国家総合受かったけど質問ある?
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しょうもないこと自慢してんじゃねえよ。
正直簡単だったろ?
そりゃあ内定とれば親は喜ぶけどさ。
他人の下す面接の評価なんてコントロール出来ないんだから現時点では調子に乗らない方がいい。
食える分野の研究室なら国総筆記合格よりも、そっちに所属している方が価値がある。
まあ面接頑張れよ。 「西周の王室は、牧畜業をたいへん重視し、牧畜業を管理する官吏を置くだけでなく、周王がみずから春の馬神の祭祀や子馬の「執駒(馬追い)の活動に参加しました」 弟の士壱は、はじめ蒼梧郡の督郵になった。交趾刺史の丁宮は、京都にもどる。士壱がていねいに見送ると、丁宮が感動して言った。「もし私が三公になれば、士壱を辟そう」と。 ぼくは思う。どの経路で逃げたのだろう。交趾にゆくなら、荊州から南下するのが一般的。 士壱は、黄琬に心をつくして、たたえられた。董卓は士壱をにくみ、「司徒掾の士壱を、用いてはいかん」と命じた。ゆえに数年、士壱は官位を遷れなかった。 ぼくは補う。士壱は司徒掾。黄琬が司徒だったのは、中平六年(189年)7月から12月。後任の司徒は楊彪。12月から、翌年2月。楊彪は3ヶ月で免じられて(董卓に反対するからだ)、2月にあの「司徒の王允」が誕生する。士壱は、黄琬−楊彪−王允のもとで「掾」だったのだ。
董卓に反対する人って、みんな司徒なんだけど、関係あるのかなあ。同時期のほかの三公は、荀爽、种払、趙謙、馬日磾、淳于嘉、皇甫嵩あたりで、無害なイメージの人たち。皇甫嵩は骨ヌキだから、無害です。司徒府にうずまく、反董卓のエナジー!みたいな。司徒府には、ずっと留任している士壱もいます。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています