藤沢朋斎
俺が2getしてのびたスレはない!
まね碁、大手合い最初の9段、秀行のおい、あとなにかある? 本名の「庫之助」(くらのすけ)を、ずっと「このすけ」だと勘違いしてた●| ̄|_ まね碁の人だ。
コミが多くなった今、この人だったらどう打つんだろう。 名前から受けるイメージと実際の容姿との差が凄いひと 真似碁の人って言うけどそんな真似碁ばかり打ってたわけじゃないんでしょ? そういえば、アカシヤ書店にこの人の直筆色紙が
くさるほど売ってるね 最後に本因坊リーグに入ったとき、白番の全局マネ碁だったような。
黒番は三三とコゲイマジマリの組み合わせが定番で。
まあ、マネ碁だろうと
それで勝ってたのならたいしたもんだな。
戦法としてのマネ碁が、そしてマネ碁されたらどう対処するかが
深く追求されてないのは何故?
それとももうあえて研究するような余地もないのかな? くらのすけ先生の時代からコミが2目増えたのだから、
白番まね碁は有力になったとおもうのですけどね。
見かけません。 有力かどうかよりプロが実戦でまね碁なんかやったら
叩かれないの? そりゃ叩かれる。尋常じゃないくらい叩かれる。
けどかえって評価される部分もあるだろう。 意外とアマのほうがそういうのには煩いと思う。
プロは勝てりゃ良いんだよ。 全然スレ伸びないね
やっぱ過去の人は人気ないのかね 真似碁と呉清源との十番碁で負けた時に八段に降格するべきだったとかそのくらいしかない 女流棋士に優しい先生
無料で指導後を打ってあげていた
でも、女流棋士が勝つようになって、気の毒がられて誰も打たなくなった。
気が付くと姿が見えなくなった
久しぶりに日本棋院で見た先生は徘徊ボケ老人だった。 でもまあ、今の日本に必要なのは、豪腕無双の藤沢朋齋みたいな人でしょ。
中韓に中盤後半で読み負けばかり。 NHK囲碁講座で、堤加容子さんと古棋譜を鑑賞するのをやってたね、
ちょうど最近の林海峯と万波さんみたいに。
あの頃はまだ白黒番組だったっけ 若い頃の写真みたら秀行の同じくらいの歳の頃にとても似てる。 >>17
庫之助は呉清源に定先に打ち込まれ、橋本宇太郎に先相先に打ち込まれた。
橋本は呉清源に先相先に打ち込まれているので呉が九段ならば橋本は八段、庫之助七段が妥当。
棋道とか囲碁クラブの写真ページの終局風景でよく見かけたのがこの人と木谷禮子さん。 マネ碁繰りかえす学究肌。
6期王座戦第2局は、いまでも憧れの碁。
相手の半田は、山下清のようないでたちと風貌。
今のサラリーマン棋士とは明らかに違う。 趙治勲はマネ碁は立派な碁。ただし打ち破るのが簡単なだけ。
みたいなことを言ってるね。
この人は「朋斎先生はとても強いと思う。おそらく他の人が考えるよりもずっと」
とも言っている。 坂田なんかはこの人のマネ碁かなり高く買ってるよね。
一種の求道精神として立派だって。
十番碁は持ち時間が24時間あったら勝敗はどうなってたかわからないね。
この人持ち時間が16時間あっても100手目あたりで秒読みに入っちゃってたっていうし。
何かに書いてあったけど、現代の制度に合わなくて碁界を去っていった一人だと思う。(あとで復帰したけど) 不遇の棋士という印象だな
全盛期は短かったし晩年はあまり省みられなかったようだし かなりよぼよぼ状態でもNHK杯とか出て頑張ってたもんな。 この人の棋譜は勉強に値します。ぜひ繰り返して並べてほしいと思いますが、
もう打ち碁集ってあるのかな? 朋斎が真似碁を打たれる側の棋譜ってどれぐらいあるの?
せっかく真似碁を追求してるのに、
真似碁を打つ側ばかりじゃ、なにかもったいない気がするんだけど。 晩年、女子学生の大会には呼ばれてもいないのになぜかフラリと現れて教えてくれていたそうだ
しかしそのくしゃくしゃした優しそうな爺ちゃんがかの朋斎先生だと気づかない子も多かったらしいw
というか私の知人も五子で教えて貰ってボッコボコに潰された相手がかの藤沢朋斎だと後で知って仰天したそうだ 呉清源には敵わなかったなあ。
呉清源が牛若丸、朋斎が弁慶のイメージ。 女流棋士を普及に活用することに積極的で、海外派遣もした。
煩悩が多すぎたのだろう。 芸の探求シリーズ4『怒涛 藤沢朋斎』日本棋院
本棚から30数年ぶりに引っ張り出して見た
頑固で融通が利かないところが好きだった 呉ー藤沢十番碁並べるの楽しすぎ。
藤沢が悪手打つたびに好きになってくのはなぜなんだ。 マネ碁を打つ勇気は評価にあたいするのではなかろうか 全盛期のいちゃんほとかが打ってみてほしかった
なんだか研究価値がありそうだけど
nhkの早碁とか コンピュータでマネ碁崩し崩し
のけんきゅうとか 怒涛藤沢朋斎の言葉が泣けて泣けてしょうがない。
「無器用な自分は、努力すればするほど脇道へそれていったように思う。
一つ一つ納得いくまで追求するには持ち時間に限りがあったし、
人生にも限りがあった。自分の掲げた理想は殆ど実現しなかったが、
しかし自分の失敗の一つ一つが次代の踏み石になることを信じている」 囲碁史上屈指の強豪である呉清源の全盛期に十番碁を2回も打てた自分は、
幸せ者だと思えるようになった、と晩年に語っていた。
そういう心境になれて良かったと思うよ。 >>52
ありていに言えば序盤が苦手だったんだよw
だから考えたくなかった。
その分、中盤戦の怪力は凄かったけど。
当時はともかく、布石理論の進んだ現代にあの棋風のまんま戦ったらボロクソにやられるよw 史上初の九段だよね。
最盛期は間違いなく最強棋士の一人だったろうに、今はもう全く語られない…。 呉清源に負けた後も、
十段を取ったり本因坊戦の挑戦者になったり、
読売時代の名人戦リーグに1期から14期まで14年連続在位したりしている。
一流棋士であることは間違いない。 >>70
亡くなってから月日が経つと載らなくなるのではないか。
同世代の前田陳爾・宮下秀洋もない。
高川・木谷は特別なのだと思う。 生きてたら「3時間じゃまともな碁は打てない」と言ってそう 物故棋士にも載ってないのか?
メジャータイトル取ってない木谷は載せるが取った朋斎は載せない?
事実ならいくら何でも非道すぎやしないか日本棋院。 >>74
だって理事長が木谷門下ですし
木谷家には小林名誉三冠と張栩という碁界のレジェンドがいるからね
日本棋院にとってはスキャンダルの多い藤沢家よりも上なのです