呉の末期は253〜256年の間も悪いイベントがたくさんある
254年、孫登の子孫英が孫峻を除こうとして返り討ちに遭い誅殺
255年、孫儀・張怡・林恂が蜀の使者を迎えているところで孫峻を殺そうとするが失敗。
孫魯班は妹の魯育も反乱に連座していたとセックスフレンドの孫峻を唆し、実の妹を殺させることに成功した。
またこの年、民衆は飢え民の心が呉から離れたとの記述がある。