昭和の車あるあるL26型
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昭和の車のあるある第26スレッドです
引き続きいろいろ語り合いましょう
製造後、13年以上経過車への各種重課断固反対
※前スレ
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/car/1559620916/ おばはん2人がバスツアーでスタート時凄く仲良かったのに帰る頃険悪なムードになってるやつw 国産でインジェクション開発して初めて搭載したのが
ぐうぜん自分も乗ってたいすゞだったんだな
当時、車の知識がまったくなくて117に鎮座してた箱のようなものがそれがシングルポイントだったんだな
ディーゼルが強いからいすゞはそのインジェクターの知識を利用したってこと? >>697
機械式ならずいぶん前にダイハツ・コンパーノ1000GTに使ってたけど、電子制御インジェクションが初って意味かな? ボッシュだとヂーゼル機器(ゼクセル)絡んでそうだけど 1971年デビューのブルU1800SSS-EのEGIもボッシュ製だったな
翌72年登場のマークU2000GSL-EFIが初の国産(デンソー)電子制御ガソリン燃料噴射装置搭載車か? それはスズキの燃焼室
TCC-Cは触媒を使用した排ガス対策装置の総称でキャブ車でも採用されている
TCC-VはホンダのCVCCを採用したものでTCC-Lは希薄燃焼式 >>704
指摘ありがとう
書いてて変だと思ったわ 51年排出ガス規制のあのどん詰まり感からいちばん早く脱却したメーカーと
その技術的要因の最功労はいったい何だったの? 技術的には三元触媒とO2センサーのフィードバック制御の功績が一番でかい
80年代後半から90年代初頭の並行輸入車ではトヨタの触媒がよく使われていた ハニカム構造の触媒コンバーターは鈴木の2スト車が最初? その当時の鈴木2ストは逆回転する仕様があった
4ストならばあり得ないが >>709
スズキに限らず2stは逆転防止機構が無ければ逆回転可能 メッサーシュミットはバックギアがないから、後退時はエンジンを逆回転させる
つまり後退4段になるw >>711
後進で最速の車は?ってクイズになってたな 恐らく世界最速はバイクのエンジンをミッションごと積んだキットカー
アウトプットシャフトとデフの間にギアボックスを入れて逆転できるようになっている フロンテとか勝手に逆回転してた〜とか聞いたことあるな。
関係無いけど、先日「無鉛ガソリンをご使用ください」の純正ステッカーを入手したので貼った。
1984発売のクルマなので余り違和感は無い、と思いたい。 FL360? FJ360?だったか360cc軽のエンジンを積んだフォーミュラーカーではフロンテのエンジンを逆回転させてたと思ったな >>47
ワインとか日本酒で。
ウイスキーとミネラルウォーターでも十分 >>716
正確には「スピンすると」でなく、前進時にスピンなどで後進してしまい、エンジンの正回転を上回る力がかかるとそのまま「逆回転が普通」になる。
つまりバックギアに入れないと前進できない。 >>537
当時のセリカとカリーナが姉妹車。
同じカローラ店扱いのセリカの4ドア版とのことで欧州仕様カリーナのガワを流用 >>545
Gとかリミテッドの上級感の演出はトヨタ上手かった。
他社でたまに見る、Gグレードが中級扱いなの見ると違和感しかない 軽のナンバープレートは昔は黄色じゃなかったよね
朽ち果てたジムニーが近くの中古屋でナンバー付けて放置してあるんだけと
白いナンバープレートで今より一回り小さいんだよ >>722
「小板ナンバー」といって、黄色ナンバーになる前の軽は今でもそれで新しいナンバープレート発行される。 >>678
たしかに一時はやったmomoとか小さいステアリングは
パワステなしでは成立しないものだったな 今はエアバッグの展開スペースを確保するために往年のラリードライバーみたいな
ステアリングを抱え込むようなドライビングポジションは推奨されないんですよ >>618
工藤静香みたいなヤンキー姉ちゃんが多かった。
で、彼氏が高確率でトヨタ日産のハイソセダン >>623
アウディは金持ち嫁の車のイメージ。
あと、意識高い系。
殆どが当時現行の80と90。
80は赤かグレー、90は黒っぽい青か緑。
クワトロは当時は少数派だった >>723
もっと大昔はタクシーが黄色ナンバーじゃなかったっけ? >>716 >>719
ドイツ・メッサーシュミットの2サイクル車でバックするときエンジンを逆回転させるのがあった、らしい >>734
あの切り替えレバーがついてるのはエアクリボックスじゃなくインマニで、エキマニ遮熱板などから暖気の取り入れの有無を切り替える。
真冬なんかに吸気があんま冷えてると、キャブレターの燃料が凍る「アイシング」って現象でエンジンが止まっちゃうから。
だからインジェクションの車とか、キャブレター車でも吸気が圧縮加熱されるターボ車だと基本見ない。 >>641
マイチェン前に追加された1800(TE70)にはパワステがオプションか標準で設定があった。
マイチェンを期に1800は廃止。
今夜数年ぶりに訪ねたので遅れて申し訳ない。 >>736
マイナー前から1300はラック&ピニオンだったがパワステなし
マイナー前のパワステはボールナットでマイナー後はラック&ピニオン
70カローラはバリエーションが多過ぎてややこしいんだけどね
これに輸出仕様が加わるともっと複雑になる
2Tのツインキャブやソレックス付きの2T-G、4AのSOHCなんてのもある >>737
調べたら4A-C(SOHC8バルブ版)ってカローラGT-Sだけでなく、元々は70カローラ用なんだね。知らんかった… >>738
カローラGT-Sは4A-Gだよ
4A-CはカローラスポーツSR-5 >>735
横だがエアクリボックスであってるよ
インマニ(キャブ下流)に直接暖気(外気)入れたらダメ >>741
なんか自分でも辻褄合わん話を書いてるな…と思って愛車を見に行ったら、確かにエアクリボックスのインテークに切り替えスイッチあったわ。
なんでこんな間違い書いたんだろう…キャブ下流どころか、エアクリの下流に直接外気入れてもアカンよね。
なんかいろいろとっちらかってて申し訳ない。 >>744
最近のなんかのCMで
70バンが出てたよな むかしは必ずバン設定があったな
ステーションワゴンの概念が育たない頃のワゴンと言えば事実上バンの流用版だった
クラウンのステーションワゴンに憧れて友達の家のに乗せてもらったら外見と違って中身は商用バンだった
いつでも荷車に変身できる申し訳程度の3列目シート、シートと呼ぶには憚られる程度のもの 310サニーのカリフォルニアと60カリーナのサーフはワゴン専用設計
どちらもリアサスペンションがコイルになっていた
バンはリーフだったから贅沢と言えば贅沢だった
70カローラはワゴンも乗ってたな
ラック&ピニオンだったけどリアはリーフのままだった >>737
カローラは仕様を一気に変えることを嫌って、異なる仕様を同時採用なんてことをよくやってたな。
70系のラック&ピニオンとボールナットもそれの表れだし、
NCVカローラでも1.8リッターは当初油圧パワーステアリングだった。
初の4WDはセンターデフ方式でMTとATで差動制限方式が違ってた。
そういう設計思想が端的に出たのがハチゴーハチロクなんだけどね。
グレードによってFFとFRを使い分けるなんて他にはほとんど例がない。 >>748
AE85/86は80系の時代も70カローラバンを継続生産してたがゆえの恩恵でもあったけどね。
同じく恩恵に預かり…預かったのか?最後の小型FRセダンとなったのが2代目ダイハツ・シャルマン。 >>748
あと他に新世代のFFと旧世代のFRが混在したっていうと、コロナ/カリーナ、ジェミニもそうだけどね。タクシー仕様も含めりゃブルーバードも。 KP61がラック&ピニオンだったから
KE70はそのギアボックスを流用出来たからな >>747
WHB310サニーカリフォルニア、乗り始めてすぐのころあちこちで
「あれ?このライトバン、5ナンバーなんだね」
と言われるのが癪だった >>752
310カリフォルニアはルーフもクーペ並みに低くして
リアウィンドーも強く前傾させて頑張っていたけど
そんな努力も素人には伝わらなかった
当然とはいえ、残念なことだね クーペがベースだったしね。
ぶつけられてフロントグリルが割れ、部品交換したらセダン用が付けられてた。
「これ違いますよ」と言ってクーペ用のグリルに交換。 昭和末期に初めて手に入れた中古車、据え切りしようとしたら「ミシ」って音がしてピクリとも動かなかった。
今思えば据え切りしないいい癖ついてありがたかったんだな。 今は「ブラインド」も言えやしない。
あ、太陽に吠えろでボスがのぞくやつな >>760
それただの言葉狩りっしょ。日本で言えば「メクラ(マセラティではない)」と同義の意味もあるってだけで。
ブラインドそのものは他に使われてる普遍的な用語だし、キチガイとか他に意味が無い言葉と全然違うよ。
「ブラインドタッチ」みたいに海外では「タッチタイピング」って呼ぶならともかく、
じゃあ代わりになんて言うのよって代替語が無い言葉まで言葉狩りするのはさすがにオカシイ。
ブラインドなんて英語版wikipediaですら「Window blind」だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Window_blind >>749
E90系の4WDもE70系とたぶん同じだろうか。
FFと比べてリアトレッドが狭く、マッドガードとタイヤの位置に違和感があった憶えが。
また、クスコなどのLSDが2代目カリブとAE86後期と品番が同じだったりするし。 >>763
ダイハツの池田工場で作ってたホーシングをそのまま使った可能性はあるだろね。
ホーシングまでいかんでもデフ玉一緒とか(昔のスバルも長らく日産のをベースにしてたっけ)。
(なお、小型商用車用リアホーシングの生産はダイハツの重要なお仕事だったもんで、OEMになる前のライトエース/タウンエースが生産終了する時はひと悶着あったとかいう余談もある) >>764
6.7インチのデフ玉はFFベース4WDのリアデフでは定番だし
FRベースのフロントでもよく使われている
今でもスバルのリアデフはBRZ以外は日産ベースだよ
R160とR180のロングタイプが使われている 昭和50年の暮れ頃
近所でダットサン211で暴走運転していた人が、電柱にぶつかって亡くなった。頭の骨が折れて即死と新聞に乗ってた。レーサー目指してたようだ 211ってその頃で既に博物館クラスの骨董品だったはずだが 1975年ならダットサン1000は15-20年落ちのポンコツだな >>768.769
211か詳しくないが
当時でも古い車だなと思った
その人の通夜に親が参列して饅頭貰ってきたよ 1975年にダットサン211で暴走して事故死
しかも運転者はレーシングドライバーを目指していた
まるで夢で見たかのような、現実感に乏しい話だなw まあ2005年頃に海老名SAに停まってるの見たことあるw >ダットサン211
特にイベントとかでなく、ただ普通に駐車しててビックリした >>773
スペック的には問題無いが、高速道路が無い時代に作られたから耐久性が厳しいだろね。 昔、多摩陸事の近くにダットサン210が停まっていた家があった記憶がある
子供の頃に行っていたスイミングスクールの近所にも310ブルが車庫にはい 途中で書き込んでしまった
310ブルが車庫に停まっていた家があった
たまに思い出して見に行くとまだ停まっていたが、2、3年前に見に行ったら無くなってた
一桁ナンバーだったのを覚えてる 84〜87年頃解体屋に通ってたが
日産ディーラーと取引あったようで、210や310サニー、ケンメリの4枚や130、230ローレルはいつ行ってもあった。あの頃部品買い込んどけばよかった。 4年前に京都の八幡の解体屋で大放出されて大量に並んだことがある
エンジンミッションや車体ごとなど沢山買ったよ >>771
当時車の寿命が短く、
10年落ちでも古い車だった。
ダットサン211なんか中古車に並んでた可能性低く解体屋から買ってきたのかもしれない。湾岸ミッドナイトみたいだな 1975年、連想するのはラウダが最初のチャンピオンとった年 >>779
よろしくメカドックですら当時最新のバブルエックスを解体屋から引き取ってくる設定出しな 70系カローラとか910ブルーバードは昭和期の学校の先生が乗っていた車というイメージがある 昔の公務員はケチが多く軽自動車以外中古車が大半だった。 伊藤かずえさんのシーマ、レストアで新車同様になっても
1年車検はもはや変えられないんだろうなぁ 今時1年車検なんて商用車だけやろ
登録車10年超の1年車検なんてとうの昔に廃止になっとるわ 車を買えないどころか免許も取れなかった可能性も否定できない 昭和のクルマといつまでもに出てたオーナーさんに、
’99’はナインティ―ナイン、
’77’はセブンティーセブン、
と読むことを教えてあげたかった 正式な呼び名と、実際にどう呼ぶかは無関係だからな…そこは野暮ってもんだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています