(マサ50位)1990年ジロデイタリア総解説(保存版)
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○勝負所のTT
・第9ステージ→ブーニョが優勝
平均時速43kmで1時間30分も走る、68kmものTT
(ピアセッキ、アンダーソン、ジョバネッティ、マリー、モッテ、ホッジが速い!)
・第18ステージ→ブーニョが優勝
(レハレッタ、モッテ、キャプッチ、ジョバネッティも速い!) ○7 ELEVENチーム
市川選手(総合50位)のライバルとも呼べるキャプテンのUrs ZIMMERMANN(Sui)→リタイア
一流ライダー達も
andy bishop(Usa)が2時間遅れの80位
jeff pierce(Usa)が3時間遅れの113位
norman alvis(Usa)が127位
Frankie andreu(Usa)が136位
John TOMAC(Usa)→元MTBプロ、世界チャンピオン→リタイア
と多くが低迷するか、リタイアし、
第2エースのNathan Dahlberg(Nzl)の39位が最高でした。 超有名選手達が、市川選手よりも下位なんですよ!!! 1.☆Gianni BUGNO(Ita)・・・ご存じ、ジャンニ・ブーニョ
1990年のジロではプロローグから何とフランスのティエリー・マリーに3秒差で勝ち!
(3位がやはりTTのピアセッキ、4位がホッジ)
初日から最終日までマリアローザという完全優勝を成し遂げましたね。 ・シュナこと砂田弦氏がアマ選手時代の
同じ地元チームのエースとしてイタリア-アマロード界のトップとして活躍、
後にアタラチームからプロデビュー、
フランチェスコ・モゼールのシャトーダックスで才能を開花 MOSER(フランチェスコ・モゼール)の鉄フレームにSTI8段デュラエースにて
「世界選手権2連覇」や、クラシックレースでの優勝、
「1990年ジロデイタリア総合優勝」を成し遂げた大人気選手。 その後は、キャプッチ全盛期とインデュライン全盛時代に挟まれ、
記録は伸ばせませんでしたが、ツールでも3位に入るなど活躍しました。
性格は、サロンニやバルタリと同じく「優等生」型でキャプッチ⇔ブーニョという対比があり、
師匠のモゼールはコッピ・モッタ・キャプッチの方なので、性格が逆なのが面白い。 2.Charly Mottet(Fra) NHK映像でお馴染みのシャーリーモッテです。
RMOという半分位フランス人のチームでした。
フランスのエース級の選手の1人で、1986年かな、世界選手権では
イタリアのアルゼンチーンと死闘を演じ、2位に入りました(3位がジュゼッペ・サローニ) モッテは小柄な体格でツールで活躍した山岳スペシャリストなので、
キャプッチと同じく、2着、3着に入ることが多かったですネ。
長く全盛時代を保って活躍しましたネ。
最大の注目点は、「低身長ながらタイムトライアルでも速い」、ということです。 3.Marco Giovannetti(Ita)
マルコ ジョバネッティ
SEURというスペイン人チームのキャプテンとしてたった1人のイタリア人ながら、
3位で表彰台でした。とにかく山岳でトップ集団、TTでも上位でした。 6.☆Franco Chioccioli(Ita) ご存じ、フランコ・キオッチョーリです。
FrancoはFrancesco(フランチェスコ)の略っぽいですね。
この翌年に、ジロ総合優勝しますね。デルトンゴ-MGのエースです。
身長182cmありますが、クランク長は170cmを使います。 容貌がファウスト・コッピに似ている為、小さいコッピというあだ名がありますが、
コッピより背が5cmも高いんですけどね。 キオッチョーリは性格は極めて神経質で、ロードバイクの
セッティングに煩い所から分かる通り、
ジロで10位以内に7回も入っているという記録を持っています。
(1991年総合優勝、1992年総合3位) >ロードバイクのセッティングに煩い所
この辺り、市川選手がシマノのSTI開発者 神保さんにドロミテで嵌められた
という件と併せて、若手に参考にしてもらいたいですね。
○初めてのパーツを重要な本番前に使ってはいけない、テストレースで試した後で。
○本番前には必ずテスト走行をすること。
○ステージレースが始まる1カ月前とかにすべき。 さて、キオッチョーリですが、1988年のジロではガリビエ峠で寒さにやられ、
ハンプステンに優勝を持って行かれましたネ。
>吹雪に見舞われ大量の選手が低体温症に陥る大荒れの大会となった。 7.Marino Lejarreta(Esp) スペインのONCEのエース、マリノ レハレッタです。
11.Eduardo Chozas(ESP) スペインのONCEの第2エース、でしょう。
この二人を見てもオンセのこの年以降の大活躍を考えると、
市川選手はこのチームという選択肢もあった・・・と記述しておられましたね。 9.Massimiliano Lelli(Ita) マッシミリアーノ・レッリ。17分遅れ。
アリオステーアチームでジロのエース格ですね。
第8(6位) 第13(7位) 第16(9位) 第18(TT6位)
と中盤、山岳コース、最終TTと重要な終盤を中心に大活躍し、10位以内に入りました。
第16ステージではブーニョ、キオッチョーリ、モッテ、コニシェフと
同じほぼトップ集団ゴールを果たしています。 12.Claudio Chiappucci(Ita) ご存じ、キャプッチです。
この年から大活躍を始め、アシストを卒業して、カレーラのエースになります。 15. Gert-Jan Theunisse(Hol)
ご存じオランダのゲルト・ヤン・チュニスです、NHKのツール報道でもお馴染みでしたね。
ほぼオランダチームと言えるパナソニックチームから出ています。
(枢軸の関係だからねオランダ-ベルギー-ドイツ-日本、
但しオランダと日本は直接には多少、仲が悪いんだったかな?) 17.Flavio Giupponi(Ita)
ご存じカレーラチームの新エース フラビオ・ジュポーニです。
優勝候補の1人でしたが、途中で遅れましたね。
人気選手でジロのTTでは真っ赤なC35を乗りこなしていましたね。 19.Stephen Hodge(Aus)
オーストラリアのステファン ホッジです。
TTでも抜群に速い、実力はの選手でした。
確か、市川選手が親しい選手でしたね。 20.Zenon Jaskula(Pol)
ポーランドのヤスクラ選手で、1990年はサロンニのアシストでした。
市川選手の解説が詳しかったですね。後にツールで3位に入ったそうです。
(アシストの方が引退前のサロンニ45位より上位でした) 23.Eric Boyer(Fra)です。
レモンが調整レースと割り切っている為、
Zチームのジロでのエースはボイヤーなのかな?
アメリカ-フランスという連合国の関係ですネ。 24.Gilbert Duclos-Lassalle(Fra)
フランスのクラシックのエース、ジルベール-デュクロラサール選手です。
20年近く現役生活を続けるなど、選手寿命が異常に長いんです。
(ベルナール・イノーと同期くらいですからね)
パリ-ルーべで2連勝するなど、クラシックに強いですが、
山岳にも強く、今回も24位と上位に入っており、Zのエースが誰なのか分かりませんね。 26.☆Roberto Visentini(Ita)
ご存じ、ロベルト・ビゼンティーニ。イタリアの伊達男です。
カレーラチームのエースを長く務め、ジロでも総合優勝、
表彰台など多数の実績がある、スーパースターです。 今回はカレーラチームをジュポーニにまかせて、
新チームJOLLYのキャプテン・エースとして出走しました。
数年後に引退したのかな。
カレーラ時代は二人組TTのトロフェオ・バラッキでロッシュと組んで、活躍しましたネ。 身長がロッシュやキャプッチと同じ位で、日本人に近い体格なので
ライディングやポジションが割と参考になると思います。
愛車はフェラーリ。ものすごく人気があり、女性ファンにもモテた。 確かツールカメラマンの三宅さんもビゼンティーニは割と
お好きだった記憶がありますね。 28.Marino Amadori(Ita)
デルトンゴのマリノ・アマドーリ選手です。サロンニのアシストで有名ですね。
ジロの山岳にめっぽう強いタイプ。
今回はキオッチョーリのアシストとして28位と上位に入っています。 29.Roberto Conti(Ita)
ロベルト・コンティ選手です。優勝候補かな、と思っていましたが、
山岳でトップ集団から少し遅れてしまいました。 30.Dimitri Konyshev(Urs)
有名なロシアのディミトリ・コニシェフです。
平地でも活躍していましたが、総合でも30位と山岳でも
トップ集団でゴールしたり、第二集団に食いついていましたね。 33.Phil Anderson(Aus)
オーストラリアのフィル・アンダーソン、TVMのキャプテンとして出場しました。
クラシックレースなどスター選手の1人ですね。
1980年代後半はパナソニック・チームの広告で有名でした。
既にベテランになっていましたが、山岳でも第二集団で活躍して上位に入りました。 34.Massimo Ghirotto(Ita)
イタリアのマッシモ・ギロットです。カレーラチームの第2エースでしょう。
第5(2位)、第13(3位),第14ステージ(5位)と全体的に活躍しました。
優勝候補の1人かな、と思っていましたが、山岳でトップ集団から遅れてしまいました。 37.Massimo Podenzana(Ita)
イタリアのポテンツアーナです
やはり山岳でトップ集団から遅れてしまいました。 全体的に20位〜50位まで、有名選手が多数入っています。
1990年代に入り世代交代だったんですかね。 45.☆☆Giuseppe Saronni(Ita)
イタリアのスーパースター、引退前のサロンニ選手です。
デルトンゴをキオッチョーリに任せ、新チーム DIANAのキャプテンとして出走※しました。
(イタリア+ポーランド人3名の混成チーム) ☆☆の通り、ジロ二回総合優勝し、世界選手権など表彰台も多数、
プロ通算200勝近く、アマプロ通算400勝超のイタリアの英雄です。
市川選手が山岳でDEL TONGOとDIANAチームに助けられた、と仰ってましたね。 49.Acacio Da Silva(Por)
カレーラチームの有名なポルトガル選手、アカチオ・ダ・シルバ選手です。
第2ステージでは、ブーニョに続いて3位でゴール。
第14ステージでも、ボイヤーから1分遅れの9位。
カレーラには、エース級が多く、一応、ジュポーニのアシストだったのかな? 50.Masatosi(スペル不明) Ichikawa(Jap) 1時間30分遅れ
我らのエース、市川選手です。実に凄い結果を出しました。
途中で35位でしたから、チームとサポートがしっかりしていれば、1991,1992で
総合20位とか15位くらいまで順位が上がったんじゃ無いかな-なんて思っちゃいますね。 もし市川選手がスペイン人選手だったら、グランツールで
デルガドみたいになってもおかしく無かったでしょう。 以下、超有名選手達が、市川選手よりも下位なんですよ!!! 56.Lech Piasecki(Pol)
タイムトライアルに抜群に強いポーランドのエースです。
トロフェオ・バラッキなどTTレースで活躍しました。
山岳にもそこそこ強いんですね。 59.Gerard Rue(Fra)
カストラマのジェラール ルー選手、今回はフィニヨンのアシストでしょう。
第9ステージの68kmTTでは8位に入っています。
平地タイムトライアルに強いタイプで、2時間遅れでした。 73.Pascal Simon(Fra)
フランスのパスカル・シモンです。有名なシモン3兄弟の兄。
73位と低迷しましたね。 74.Stephan Joho(Sui)
スイスのステファン・ヨーホー選手です。
山岳で低迷しました。 75.Steven Rooks(Hol)
オランダのシュテファン・ルークスです。NHKのツール映像でも超有名でしたね。 76.Rolf Sorensen(Dan)
デンマークのロルフ・ソレンセン、スター選手の1人です。
キャプッチと同じくカレーラチームで、長身で大柄でクラシックレースに強いので、
ジロのようなステージレースでは中堅選手となります。 94.Christophe Lavainne(Fra)
クリストフ ラベンヌ選手も94位!
フィニヨンのカストラマチームの平地アシストで、スプリンター。
ラベンヌ選手は第3ステージではフィル・アンダーソンに続いて2位に入り、
チポッリーニとボンテンピ、アンダーソンの強豪スプリンターに競り勝ちました。 カストラマチームと言えば、キャプテンのローラン・フィニヨンはどうなった?
昨年1989年のジロ総合優勝者で今回、優勝候補のフィニヨンですが、
第1ステージでフィダンツアに続いて、2位に入ったんですが、
序盤で活躍しすぎたせいか、途中リタイアしましたね。
1989年はジロで総合優勝、ツールで準優勝と最高の成績でしたね。 100.Bjarne Riis(Dan)
デンマークのビャルヌ・リース、超有名選手も若手時代はジロ100位。
この数年後にツールで総合優勝したんです!!!
市川選手も初出場で35位まで行ったから・・・タラレバであれですが・・・ 105.Greg LeMond(Usa)
ええーーーーーーーーーーーーー、あの?
Zチームのキャプテン グレッグ・レモンです。
ジロは調整レースと割り切っているそうで、
最後まで練習と割り切り105位で完走しています!? 手を抜き過ぎている感がありますが、
昨年1989年の世界チャンピオンで、ツール優勝者。
この後の1990ツールは総合優勝連覇しました。レモン最強時代のジロ。 109.Franco Ballerini(Ita)
超スター選手の1人、イタリアのフランコ・バッレリーニです!!!
この後、パリ-ルーべで、2回優勝した、クラシックのスター選手!
フランスのデュクロラサールと、パリ-ルーべで争っていましたね。どちらも二回優勝しています。 以降、このあたりから山岳では最後尾となるスプリンター集団が形成される為、
総合順位は3時間遅れとなります。
だいたい、1日5-6時間の山岳レースで30分遅れる計算です。
1週間5〜6日で3時間遅れ、となります。 市川選手も最後のドロミテで一日だけ、30分遅れてしまって、
35位から50位に落ちてしまったようです。
(原因は前日の栄養補給の失敗でお腹を壊したとのこと) >>57
STIレバーの宣伝活動失敗の事は言うな! 最初期のSTIレバーはブラケットが
大き過ぎて、立ちこぎがしずらく、選手達は山岳コースで誰も使って無かったんじゃ。 最初期のSTIレバーはブラケットが大き過ぎて、立ちこぎがしずらく
最初期のSTIレバーはブラケットが大き過ぎて、立ちこぎがしずらく
最初期のSTIレバーはブラケットが大き過ぎて、立ちこぎがしずらく
最初期のSTIレバーはブラケットが大き過ぎて、立ちこぎがしずらく
最初期のSTIレバーはブラケットが大き過ぎて、立ちこぎがしずらく 選手達は山岳コースで誰も使って無かった
選手達は山岳コースで誰も使って無かった
選手達は山岳コースで誰も使って無かった
選手達は山岳コースで誰も使って無かった
選手達は山岳コースで誰も使って無かった STIレバーは当時、平地で便利だね、シクロクロスで便利だね、
という扱いだった、という。
(特に枢軸の関係があるイタリア、ベルギーなどから普及した為) >>62 83スレまで来ないだろ。
何故か、あいつら、83スレ近辺で嫌がらせしてくるからな。 118.Guido Bontempi(Ita)
カレーラチームのスーパースプリンター 後の監督(どこのチームだったっけか?)
グイド・ボンテンピです! 118位ですからね! 119.Thierry Marie(Fra)
ミスタープロローグことフランスのティエリー・マリーです。
NHKのツール映像でも有名ですね。 マリーはタイムトライアルに抜群に強く、
ツールのプロローグで優勝数回した筈ですね。
トロフェオ・バラッキでも優勝しています。 チームTTではベルナール・イノーのアシストとしても活躍しました。
平地は最強ですが、山岳はさっぱりなので、119位です。 132.Djamolidine Abdoujaparov(Urs)
チポッリーニと並ぶスーパースプリンターですね、
ジャモリディネ・アブドジャパロフです。
平地ステージでは大活躍しましたね。132位です。 133.Giovanni Fidanza(Ita)
ジョバンニ・フィダンツアです。
ブーニョと同じモゼールのシャトーダックスチームのエーススプリンターで、
第1ステージでいきなり優勝しました。
(2位がフィニヨン、3位がモッテ、6位がキャプッチと不思議なゴールでした) フィダンツアは来日して日本の国際レースでも優勝しましたね。
序盤の平地ステージでは大活躍でした。133位でした。 137.Mario Chiesa(Ita)
イタリアのマリオ・キエーザ選手です。
カレーラチームのアシスト(たぶんボンテンピやダ・シルバの)で、平地に強いタイプ。
第4ステージでは10位に入っています。 ビゼンティーニと同じく、身長が日本人に近く、
ポジションが参考になると思います。 142.Mario Cipollini(Ita)
出た―――、マリオチポッリーニだああああ。142位です。
スーパースプリンターほど、体重が重いので、山岳ではタイムオーバーの恐怖があります。
序盤の平地ステージでは大活躍でしたね。 さらに10年以上走り、ジロで45ステージ以上優勝して大記録を残しました
が、3時間40分遅れ。
この後で伝説のチポッリーニの計画リタイアが始まりました。 ビテス)ヴォーグ→ジロ35位まで走れる実力
キャノンデール→トータルでは142位という山岳に非常に遅い選手向け。
と、結論付けられます。 キャノンデールのあの太いチューブは、大半の日本人には無用の長物ですね。
キャノンデールのあの太いチューブは、大半の日本人には無用の長物ですね。
キャノンデールのあの太いチューブは、大半の日本人には無用の長物ですね。
キャノンデールのあの太いチューブは、大半の日本人には無用の長物ですね。
キャノンデールのあの太いチューブは、大半の日本人には無用の長物ですね。 154.Jean-Paul Van Poppel(Hol)
オランダのスーパースプリンター ヤンポールバンポッペルだああ!
ほぼ4時間遅れで154位。 161.Theo De Rooy(Hol)
これもパナソニックチームのCMかな? オランダのテオ・デ・ローイです。
クラシックレースに抜群に強い超人の1人。 4時間遅れ!
選手生命が長くて、割とベテランまで活躍しました。 163.Alessio Di Basco(Ita)
アレッシオ ディバスコ
イタリアの超人スプリンターで大活躍しましたね。
163位と、完走最後、ほぼ4時間30分遅れでした! 197人出走、163人完走。
最強スプリンター≒かつてのマリア・ネーラであり、
創業者ジョバンニ・ピナレッロと同じです。 あの有名な奴ら、市川選手に負けてるんだ?
自転車も含め、たいしたこと無いな、そう感じて頂ければ幸いです。
(騙されてはいけませんよ) ジロの他の年のレースを例として解説しましょう。
ベッチア、コンティーニ、バンディ、パニッツア、インプ、プリムとか
有名選手が多数居るのですが、省略して・・1990年のジロに関係ありそうな
選手を主に紹介しますね。バロンケッリが惜しいんだよね・・・ 1977年ジロ・デ・イタリア
2位☆フランチェスコ・モゼール
3位ジャンバッティスタ・バロンケッリ 1978年ジロ・デ・イタリア
2位ジャンバッティスタ・バロンケッリ
3位☆フランチェスコ・モゼール
5位☆☆ジュゼッペ・サローニ 1979年ジロ・デ・イタリア
1位☆☆ジュゼッペ・サロンニ(1回目)
2位☆フランチェスコ・モゼール(また二位) 1980年ジロ・デ・イタリア
1位☆☆☆ベルナール・イノー(一回目)
3位☆ジョヴァンニ・バッタリン
5位ジャンバッティスタ・バロンケッリ
7位☆☆ジュゼッペ・サロンニ
9位☆ロベルト・ヴィセンティーニ 1981年ジロ・デ・イタリア
1位☆ジョヴァンニ・バッタリン→→→山岳コースで「トリプル」チェーンホイール使用
3位☆☆ジュゼッペ・サロンニ
6位☆ロベルト・ヴィセンティーニ
10位ジャンバッティスタ・バロンケッリ 1981年ジロ・デ・イタリア
1位☆ジョヴァンニ・バッタリン→→→山岳コースで「トリプル」チェーンホイール使用
ちなみにギア板は(53t-41t-36t)という黄金則 1982年ジロ・デ・イタリア
1位☆☆☆ベルナール・イノー(二回目)
5位ジャンバッティスタ・バロンケッリ
6位☆☆ジュゼッペ・サロンニ
8位☆フランチェスコ・モゼール 1983年ジロ・デ・イタリア
1位☆☆ジュゼッペ・サロンニ(二回目)
2位☆ロベルト・ヴィセンティーニ→→→→二位まで浮上!
6位 マリノ・レハレタ→→レハレタ来たアア!
8位 エドゥアルド・チョサス→→チョーザス来たアア! 1984年ジロ・デ・イタリア
1位☆フランチェスコ・モゼール(悲願の初優勝!)
2位☆ローラン・フィニヨン→(TTでモゼールに負けて準優勝!)
3位モレノ・アルゼンティン→この後に世界チャンピオン
4位マリノ・レハレタ→レハレタ頑張ってる!
6位ジャンバッティスタ・バロンケッリ→→バロンケッリ頑張ってる! 1985年ジロ・デ・イタリア
1位☆☆☆ベルナール・イノー(三回目の総合優勝)
2位☆フランチェスコ・モゼール(三回目の準優勝、去年は総合優勝したのに惜しい!)
5位マリノ・レハレタ→レハレタ頑張ってる。
6位ジャンバッティスタ・バロンケッリ→→バロンケッリ5位と6位が4回も!最高は準優勝。
9位☆フランコ・キオッチョーリ→→キオッチョーリ来たアアあ!
10位アルベルト・ボルピ→ボルピ来たアアあ! 1986年ジロ・デ・イタリア
1位☆ロベルト・ヴィセンティーニ(初優勝)
2位☆☆ジュゼッペ・サロンニ
3位☆フランチェスコ・モゼール
4位グレッグ・レモン→→→→→ジロを真面目に走った最初で最後?
5位クラウディオ・コンティ
6位☆フランコ・キオッチョーリ→順位上げて来た
7位アカチオ・ダ・シルバ
8位マルコ・ジョヴァンネッティ ジロ・デ・イタリア 1987・・・外国人勢力が強い、極めて陰謀臭い年。
ビゼンティーニが可哀そうという年。
アイルランドのロッシュにイギリス人ミラーが協力するという英国陰謀が酷い・・・
イタリア人のカレーラチームもこの英国陰謀に加担したふしがあるし・・・
4 位マリノ・レハレタ
5 位フラヴィオ・ジュッポーニ→ジュポーニが来たアアあ!
6 位マルコ・ジョヴァンネッティ
7 位フィル・アンダーソン→→豪州(英連邦)アンダーソンがここに入っているのも胡散臭い。
8 位ペーター・ウィネン→は山岳に強いから、良いとしても、オランダ勢の活躍も目立つし。 ジロ・デ・イタリア 1988・・・この年もガリビエ峠の陰謀が酷い
(寒さ対策を地元のイタリアチームがやって無いってか?、デルトンゴが?ありえない・・・)
4位フラヴィオ・ジュッポーニ→順位上げた!
5位フランコ・キオッチョーリ→順位上げた!
6位マルコ・ジョヴァンネッティ→二度目の6位!
7位ペドロ・デルガド→デルガドが来たアアアア!
8位ペーター・ウィネン→二度目の八位! ジロ・デ・イタリア1989年・・・この年も(米英の)外国人勢力が強く、やや陰謀臭い
フランス人フィニヨンの勝利は良いのだが、単独なのか、米英バックアップあってのことか?
モゼールは引退し、3年連続でサロンニとビゼンティーニが10位圏外となってしまった。
そう、世代交代の時期がやってきたのだ!
1位ローラン・フィニョン(初優勝!)
2位フラヴィオ・ジュッポーニ→惜しい!
5位フランコ・キオッチョーリ→五位が二回目!
6位ウルス・ツィマーマン→→市川のスイスのライバルが来たアアあ!
7位クロード・クリケリオン→→市川の元エースが来たアア!(世界チャンプだからね)
8位マルコ・ジョヴァンネッティ→→→→順位下げたが安定している!
10位マリノ・レハレタ→→→→順位下げたが安定している! という目線でスーパースターを見ると 1990年ジロは少し寂しい気分になります。
26位☆Roberto Visentini(Ita)・・・カレーラチームのエースを長く務め、JOLLYのキャプテン
45位☆☆Giuseppe Saronni(Ita)・・・引退前のサロンニ選手です。DIANAのキャプテン
>4年連続でサロンニとビゼンティーニが10位圏外となってしまった。
>そう、世代交代・・・引退の時期がやってきたのだ! この翌年から、インデュラインとキャプッチ万年二位という勝負が始まります!
と、同時に、8段エルゴパワー&横型レコードRDという、
ブサイクなシマノコピー的カンパの歴史が始まるという・・・スーパーレコードから
すると、黒歴史・・・・これは多くの中高年イタリア人ファンも納得でしょう! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています