【高畑勲】 火垂るの墓 Part4 【清太・節子】
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引き続き語りましょう
監督 : 高畑勲
脚本 : 高畑勲
原作 : 野坂昭如
公開 : 1988年4月16日
出演者 : 辰巳努(清太)
白石綾乃(節子)
前スレ
【節子】 火垂るの墓 Part3 【清太】
https://kanae.5ch.net/test/read.cgi/animovie/1386059715/
火垂るの墓は、「反戦」映画でもなく、「お涙頂戴」映画でもない。
これを見て、涙が止まらないとか、何度見ても泣けるとか言ってる奴は本当に見るべき
ところ(原作者や映画監督の意図)が見えていない。
この物語の真の意図するところは、「社会のレール(ルール)から外れては生きてはい
けない(まして、子供なら尚更)」という残酷ながらも歴然たる事実を表現しているの
だよ。どんなに本人達に信念があろうとも精神論だけでは生きていけないというメッセ
ージがまさにエンディングの部分。
これを読み解くヒントは、映画の中の随所に描かれている。
まず、清太は親戚のおばさんの家での態度が悪過ぎる。節子の面倒を見なければいけな
いというのは分かるが、せめて「何かお手伝いできることはありませんか?」とか、節
子を一時的におばさんに預かってもらい、勤労動員に赴き僅かながらに金や食料をおば
さんの家に供給することくらいは出来たはずだ。しかし、実際は謙虚な言葉は一切なく、
毎日遊び惚けて、挙句におばさんの小言に不機嫌そうな(不満そうな)顔をするだけ。
そりゃ、おばさんも怒るわ(笑)
飯を別々にしようという話になったときも、おばさんの娘が、「お母ちゃん、またキツイ
こと言うたんちゃうの?」と突っ込むも、おばさんは「せやけど、ごめんなさいの一言も
のうて七輪から何から買うてきてからに、まるで当てつけやん!」と発している。
これは文字通り、おばさんは「ごめんなさい」とちゃんと謝って、言動や態度を改めれば
飯を食わさんつもりではなかったということ。実際、作中でおばさんは直接的には出てい
けとは言っていない。飯が食えなくなったのは、100%、清太の態度のせい。
また、おばさんは清太達が出ていくことになったシーンでも引き止めこそしないものの、
家に入る直前に心配そうな顔で二人が去っていくのを見つめている。これはどう見ても、
二人が出ていってせいせいしたという意味ではなく、子供二人では生きていけないことを
知っているため、心が少し痛んでいるという意味だろう。(だからといって、引き止めて
まで面倒を見る気はないという意味もあるが・・・)
また、おばさんの家を出て行った後、農家のおじさんに食料を分けてほしいと頼みに行く
シーンがあるが、ここが一番重要。ここでおじさんが、「今は何でもかんでも配給やし、
となり組に入っとらんと暮らしてはいけん」と最大のヒントをくれる。このシーンの直前、
近所の子供達が留守中の穴蔵を見に来て、蛙の干物を見て、「えらいもん食うとるなー」
と言うシーンがある。農家のおじさんに頼みに行く時点で既に窮乏を極めていたのだ。 それでも、自分達の現状を直視できない清太。
農家のおじさんに食料を分けてもらうのを断られた後は、とうとう畑泥棒を働く。
夜中に畑泥棒をしているところをみつかり、ボコボコにされて警察に突き出され、釈放された後
は節子の前で号泣するも、それでも反省の色はなし。畑泥棒の次は火事場泥棒。空襲で焼けた町
で、人々が逃げ回っている隙に食べ物を盗み食いし、着物等を盗み出す始末。さらには、空襲の
真っ最中に、「やれやれ、うえーい!」などと叫びながらテンションMAX。
このシーンの清太は狂気と呼ぶ以外にない。
その後、節子の容態が急激に悪化し、医者に診てもらうも「滋養を付けるしかない」とバッサリ。
最後の切り札であるお母さんの貯金を下ろしに行くが、そのときになって、既に戦争が終わって
いたことを知る。終戦後、何日経過していたかは明らかでないが、周りの大人の雰囲気からは、
一週間程度は経っていたのではないかと思われる。(このシーンは、社会のコミュニティから外
れると、致命的な情報不足に陥るというメッセージが込められている。)
お母さんの貯金で買った食料を持って節子のもとに戻るも、既に手遅れ。スイカを一口食べさせ
ただけで、そのまま節子は息を引き取る。どうして、お母さんの貯金をもう少し早く下ろして飯
を食わせなかったのか? まだ14歳の清太には小さな子供が餓死するタイミングを見定めること
が出来なかったのだろう。信念だけでは生きていけないというメッセージはこういうところから
も垣間見れる。もっとも、いずれにしても、清太一人さえも最終的に餓死することからも、二人
の死は避けられなかった。しかし、作中に描かれているのは、ほとんどが清太の身勝手で愚かな
行為ばかり。
このような本作が、「反戦」映画や「お涙頂戴」映画なわけはない。冒頭で述べた通り、
「社会のレール(ルール)から外れては生きてはいけない(まして、子供なら尚更)」という残酷
ながらも歴然たる事実を表現しているのだ。そして、それは現代にも当てはまることを受け止めね
ばならない。ニート、ネットカフェ難民、年金未払い、生活保護、これらに当てはまる人々は社会
保障が消えた瞬間に清太と節子と同じ末路を辿るだろう。 >>624
単純に、原作の設計ミスじゃないのかな。実話ベースだったら不味いだろうけど。
清太の人格形成のために、士官の息子にしたのはちょっとまずかったのかもね。 >>665
てか節子死んでからエッチなことしてね? 宮崎
『火垂るの墓』にたいしては強烈な批判があります。 あれはウソだと思います。
まず、幽霊は死んだ時の姿で出てくると思いますから、ガリガリに痩せておなかが減った状態で出てくる。
それから、巡洋艦の艦長の息子は絶対に飢え死にしない。 それは戦争の本質をごまかしている。それは野坂昭如が飢え死にしなかったように、絶対飢え死にしない。
海軍の士官というのは、確実に救済し合います、仲間同士だけで。
しかも巡洋艦の艦長になるというのは、日本の海軍士官のなかでもトップクラスのエリートですから、その村社会の団結の強さは強烈なものです。
神戸が空襲を受けたというだけで、そばの軍管区にいる士官たちが必ず、自分じゃなかったら部下を遣わしてでも、そのこどもを探したはずです。
……それは高畑勲がわかっていても、野坂昭如がウソをついているからしょうがないけれども。
戦争というのは、そういうかたちで出てくるものだと僕は思いますけどね。
だから、弾が当たって死ぬのもいるけれど、結局死ぬのは貧乏人が死ぬんですよ。
稲葉振一郎「ナウシカ解読」 インタビュー
http://kazesoku.com/archives/5610
http://mangadojyo.doorblog.jp/ar てか昭和30年代40年代は少々現実と違う事書いても「小説だから」で済んでたけどな
特に火垂るの墓が書かれた当時は海軍さんの子供が飢え死にするわけ無いのは皆知ってたんで
そこは承知のうえで「小説だから」で済んでた
これがあれが現実と違うなんて無粋な事を叫ぶ人なんか出て来なかったもんだ なんか、このスレの連中って、自分が見て経験したような書きぶりだね。
>「海軍さんの子供が飢え死にするわけ無い」
とか、戦争を知らない世代が、一体何を知ってて何を見たというんだい?
そして、どうして何も知らないはずの世代が、いろんなことを断言してしまう
のかがよく分からないね。この物語の本質は、社会のレールから外れてしまう
とどうなるかってところにあるんだよ。 >>676
もちろん、子供の頃はいろんな話を聞かされたもんだ。
昔は警察もヤバかったそうだな。闇米が当たり前に流通してる状態だった頃、警察が一般
市民に執拗な職務質問をしては、闇米を「違法」だからという理由で没収し、自分達で食
っていたという話を聞いたことがある。これは、俺のじいちゃん、ばあちゃんの体験談だ
から嘘ではなかろう。でも、俺はそんな話をまるで自分が体験したことかのように他人に
断言口調で語ったりはしない。
海軍さんのエリートも然り。そりゃ、生きてたら特権階級の生活が保障されてたかも知れ
ないけど、物語上はとっくに連合艦隊が撃沈して、おそらく清太の父親もとっくに死んで
いたものと思われる(物語が始まった時点で、とっくに死んでいただろう)。
そして、実家まで丸焼けになって、焼け出されで乞食同然になった幼い兄弟(第三者から
は、この兄弟も生死不明扱いになっているはず)を、大掛かりな捜索までして保護すると
は思えないな。現代の科学技術を以ってしても、行方不明者を捜索するのは依然として容
易なことではない。
だから、清太と節子が生死不明(空襲の状況から生存可能性は絶望的)と判断されたら、
いくら親が偉いさんであっても、放置される可能性はある。
当時は今とは比較にならないくらい科学技術が低いし、資源もない。戦争の大混乱の中、
空襲の直撃を受けて行方不明になってる奴にいつまでも構ってられるとは思えんね。
これが俺の考えだが、キミ達はそれでも「海軍さんのエリートの子供だけは違うんだ!」
と熱弁を奮うのかね? 何を根拠に? キミ達が当時の何を知ってる? 小学生の頃にテレビで放送されているのを観て、包帯に巻かれた母親のシーンと、節子の火葬シーンで、少し気分が悪くなったのを覚えている
大人になってもう一度みたら涙が止まらなかった >>678
>>669-670を読んでくれ。その後にもう一度感想を聞かせてほしいな。 >>677
うちの母親は全くただの一般庶民だが映画を見てポロポロ涙を流した後で
「でもまあ海軍のお偉いさんの子供なら部下が絶対探し出して面倒見るけどね」と言っていた
昭和13年生まれだから宮崎駿とだいたい同世代と言って良いと思うが
別に宮崎駿が物識りだから「こんな筈は無い」と言ったわけでは無く
当時のだいたいの人はそういう事は了解のうえで原作を読んでいた事の証明では無いかね 母親自身の意見じゃねえだろ
どこかで有名な説を見聞きしたとみた >>680
昭和13年生まれだと、終戦の時点で7歳じゃん。まだ、物心が付き始めた
くらいの年齢じゃん。その年齢で、海軍さんの息子は違うなんて認識できる
のかね?
俺は、>>677に同意だな。
今の時代でも人探しは困難なのに、戦死した人の子供を「絶対に」探し出す
なんてことが本当に可能なのかね? >>683
旧軍人の絆は終戦でいきなり終わったのでは無く終戦後も元上官の残された家族を援助したりするのが普通に行われていたんだよ
そういう事が身近に普通にあった時代だよ
うちの母親が高校生の時には孤児院から通っていた級友のもとにソ連に抑留されていた父親がようやく帰還して来て引き取られていった
7才で戦争が終わったらいきなり現代になったわけでは無いんだよ
そうして育った昭和30年代40年代の大人はおしなべて”海軍のお偉いさんの孤児なら部下が面倒を見る”って認識を持ってたって話をしている
そういう認識を持ってたって事に何か疑問を持つ根拠は何かあるのかな
そういう認識を持っていても野坂昭如の火垂るの墓は小説として「こんなのはおかしい」なんて野暮な事は言わず
小説だから少々実際と違う事があるなど承知のうえで読んでいたっていう話なんだが
そんなに分かりづらい事かね
重ねて言うが疑問を持つならその信じられないという根拠を言って欲しいものだね
信じられないから信じられないじゃ話にならない >>684
話にならないのは、お前さんの方だよ。
そもそも俺も、>>677も、特権階級が存在していたこと自体は否定していない。
火垂るの墓のストーリーは、元の実家とその周囲が焼け野原にされ、そこにいた
住民の安否を正確に確認できる状況にない。清太も節子も安否不明の行方不明状
態だと言ってるんだよ。そして、この二人が戦禍の中で生きていたのは時間軸で
はほんの1〜2ヶ月程度だ。
今現代でも行方不明者の居場所を特定して保護するのは困難なのに、当時の捜査
能力で「絶対に」探し出すことなど現実的でないという話をしているんだよ。
あと、お前さんの例え話は、今の話題の例えになっていない。
>「孤児院から通っていた級友のもとにソ連に抑留されていた父親がようやく帰
還して来て引き取られていった」
↑ これは、その子の父親が生きているから成立する話じゃないか。そして、そ
の子は自分の力だけで生きていけないから孤児院に入っていたんだろう。火垂る
の墓とは全く対照的な状況じゃん。そして、極め付けは・・・
>「昭和30年代40年代の大人はおしなべて”海軍のお偉いさんの孤児なら部下が
面倒を見る”って認識を持ってたって話をしている」
↑ 俺も、>>677も、この認識を疑うような発言はしていない。生死不明の行方
不明者を「絶対に」探し出して保護するというのは現実的じゃないという話をして
いる。要するに「絶対」という言葉は、言葉が過ぎると言ってるだけ。 >>685
安否不明の状況になんか無いよ
叔母さんの家に引き取られてそこから学校に通ってるんだから
そして叔母さんの家に居る間に海軍の方から誰も来ないのがおかしいんだよ >>684
ついでだから、最後まで突っ込みを入れさせてもらうよ。
お前さんは、
>「そういう認識を持ってたって事に何か疑問を持つ根拠は何かあるのかな」
>「重ねて言うが疑問を持つならその信じられないという根拠を言って欲しいものだね」
などと言っているが、俺の方こそ重ねて言おう。俺達は当時の人々の「認識」自体に何の
疑問も持っていない。ただただ、行方不明者を「絶対に」見つけ出して保護するなど現代
科学をもってしても不可能だと言ってるだけ。(当時なら、更に精度は低い)
そもそも、宮崎駿の発言自体が軽率なんだけどね。この人は巨匠中の巨匠だから、一般人
が何か疑問を持っても、宮崎駿がおかしいことを言うはずがないと盲目的に信じてしまう。
しかし、社会政策や個人の保護うんたらに、「絶対」なんて言葉を遣ってしまうあたりが
ナンセンス。絶対という言葉は、「100%」という意味だよ?
一人の例外もないという意味になってしまうわけだが、そんなことをどうやって証明する
の? 証明不可能なことに「絶対」などという言葉を当ててしまうところに疑問を持って
いるんだよ。 >>685
あと
>「孤児院から通っていた級友のもとにソ連に抑留されていた父親がようやく帰
>還して来て引き取られていった」
という話は>>683が7才で戦争が終わってるのに認識できるのかという主張に対して
終戦後も戦後は長く続いたんだという実態を話したものだよ >>687
絶対に起こりえないとは言えないから何だと言うんだ
通常起こり得ない事が起こってるのに何故起こったかという理由は野坂の本には書かれていないよ
理由も無いのに起こったのは何故だなんて小説に詮索するのはナンセンスだから誰も言わないってだけの話だよ
起こり得ない話だが小説だから別にいいよと読まれるのは何か悪い事なのかね
もしかしたら実際にあったかも知れないと思えないとお前さんにとってこの小説の価値は無くなるのかね >>686
反応が早いな(笑) >>687の書き込みは、>>686を確認する前に発信してしまった。
火垂るの墓の状況は、第三者目線では安否不明の行方不明者だよ。
映画の作中では、「親戚のおばさん」としか表現されていないが、このおばさんは血
の繋がった親戚ではないよ? 確か、清太の父親とこのおばさんの旦那さんが従兄弟
同士という設定だったはずだ。清太の父親が死に、このおばさんの旦那も死んだなら、
このおばさんと清太達を繋ぐ姻戚関係はもはやない。
映画では、明確に描かれていないが、「みなしご二人預かったっって、そう言われた
ら世話ないわ」というセリフがある。このセリフからも、血の繋がりがないことが窺
われる。(血が繋がってたら、いくら憎くても「みなしご」とは言わんだろう)
だから、第三者目線でそんなに分かりやすい親戚関係ではないし、清田達は正規の届
け出などしていないだろう。何より、清太は学校に通っていない!(笑)
>>688
また、ちょこちょこ書き込みしてるな。しかし、そんな反論をしても無意味。
全く状況が異なることを事例として掲げている時点で的外れだし、今一度言うが、俺
の論旨は、当時の人々の認識自体に疑問を持っているわけではない。
お前のお母さんの知り合いで、そういう実例があったところで、それを紹介しても今
の話の骨格には何の意味もない。
>>689
もっと、冷静になってから書き込みすれば? もう、耳まで真っ赤になってるのが容
易に想像できるwww
だから、宮崎駿の「絶対」という言い方がおかしくて、それに影響されて、戦争を知
らない世代の人間達が、>「海軍さんの子供が飢え死にするわけ無い」なんてことを
断言口調で熱弁を奮ってる行為が滑稽極まりないと言ってるだけだよ。 >>690
君はどうもさっぱり分かって無いな
>清太は学校に通っていない!(笑)
いや、清大は学校に行くのをやめたんだが
学校に行かないと清大が言ったからと学校の手続きもしないわけが無いだろうよ
そして手続きもしないで学校に行かないのを嫌味を言うわけも無い
>そんな反論をしても無意味。
重ねて言うが7才で終戦なのになんで認識出来るという疑問に対し終戦後も戦後は続いたという話をしている
それが何故無意味か君の文章には何も書かれていない
>宮崎駿の「絶対」という言い方がおかしくて、それに影響されて、戦争を知
>らない世代の人間達が、>「海軍さんの子供が飢え死にするわけ無い」なんてことを
言ったのは母親で戦争を経験した世代だが
君は当時の経験も無いのに当時の経験をした人間の言葉を否定するのはおかしいな
何も知らないで顔真っ赤にして熱弁しようとしてるのはどちらでしょうね
やはり話にならない >>691
感情任せで書き込みするのは、そろそろ止めた方がいいんじゃない?w
>「いや、清大は学校に行くのをやめたんだが
学校に行かないと清大が言ったからと学校の手続きもしないわけが無いだろうよ
そして手続きもしないで学校に行かないのを嫌味を言うわけも無い」
これはお前さんの想像だ。作中で清太は、「動員行っとったコウベセイコウは爆
撃でメチャクチャやし、学校も焼けてしもて、行ってもしょーがないんです。」
と発言している。つまり、学校はもう機能していないということ。
そんな状況で、「手続きもしないわけが無いだろうよ」なんて発想がナンセンス。
そして、「手続きもしないで学校に行かないのを嫌味を言うわけも無い」とか言っ
てるけど、おばさんが最初に学校のことを訊ねたときに初めて清太が上記の状況を
説明した。それ以来、学校の話は出ていない。だから、「手続きもしないで学校に
行かないのを嫌味を言うわけも無い」というセリフは的外れ。
>「重ねて言うが7才で終戦なのになんで認識出来るという疑問に対し終戦後も戦後
は続いたという話をしているそれが何故無意味か君の文章には何も書かれていない」
まぁ、7歳時点だけの認識ではなかったという点は認めよう。しかし、お前さんのお母
さん個人の実体験だけで、
「でもまあ海軍のお偉いさんの子供なら部下が絶対探し出して面倒見るけどね」なんて
断言はできない。別に、お前のお母さんを否定するわけではないが、まだ年端もいかぬ
少女時代だったろうし、世の中全体を見渡せる立場でもないだろう。
そして、お前のお母さんの体験談である、「孤児院から通っていた級友のもとにソ連に
抑留されていた父親がようやく帰還して来て引き取られていった」という話は、火垂る
の墓の状況と全然違うんだから、話の例として成立していない。
しかも、火垂るの墓は終戦直後に清太と節子が餓死した話。お前のお母さんが7歳のと
きに終戦を迎え、高校生のときに旧友がお父さんに引き取られていったという話とが何
の関係があるんだ? たまたま、その旧友のお父さんが無事でよかったねというだけの
話にしかならないんじゃないか?
>「君は当時の経験も無いのに当時の経験をした人間の言葉を否定するのはおかしいな」
こう書いてあるが、否定など何もしていないよ? どこに否定するようなことを俺が言った?
火垂るの墓と状況が全然違うから比較対象にならないという主旨のことを言っただけだが?
>「何も知らないで顔真っ赤にして熱弁しようとしてるのはどちらでしょうね」
紛れもなく、あなたです(笑) まぁ、話を要約すると、宮崎駿にしても、お前のお母さんにしても、
軽率に「絶対」という言葉を遣ってしまった点がよくない。
この意味においては、お前のお母さんの発言を否定していると言えなく
もないが、自身の体験だけならともかく、社会全体のことを「絶対」と
表現することはどんな時代背景であっても成立しない。(一人の例外も
ないことを証明することなど不可能なのだから・・・)
また、お前のお母さんの旧友の経験を事例として紹介してるけど、話の
骨格である「火垂るの墓」とは状況が違い過ぎる。だから、今の議論で
は何の関係もない。だから、無意味と言っただけ。
結論として、>「海軍さんの子供が飢え死にするわけ無い」なんてこと
は誰にも断言はできないということ。そのため、火垂るの墓が必ずしも
現実離れしてるとは限らないということ。
付随して言えば、俺自身は当時のことを能動的には何らの自己主張もし
ていない。むしろ、何も知らないのに、当時のことを断定口調で発言す
る輩に注意喚起をしてるだけ。 >>692
さて、どうも君は最初から何の理由も書いて無いが
まず海軍の偉い人の子供が被災してるのに何故海軍の同期や部下はどこに行ったか探し出せないのかね
清大の母は誰とも交流が無かったと?
そして当時の警察が管轄に居住する人を把握して無いと考えるのは何故かね
見慣れない者が歩いているだけでとりあえず引き止めて職務質問するような時代なんだが?
また引き取った叔母さんは何故清大の学校の手続きもしないのかね
ちゃんとした息子や娘も居る人が何故そんな世間体の悪い事をしたのかね
絶対は無いと言うが無いのならどういう理由でそんな非常事態が起こるのかね
そして現代でも行方不明はなかなか見つからないから当時はなおさらと言うが
君は当時の事は何も知らず断定してるよね ほたるのの墓のは二人の心中物語であるということ
冒頭の一分にこの話全て入っています。
一番初めは僕は死んだから始まって
自分を見ている、自分が死んじゃって、駅員さんがドロップの缶放り投げたら
その中から節子の骨が出てくる、
最初に出てくるのは節子の亡霊
節子は死んだ兄ちゃんを見ている(お兄ちゃんが本当に死んでくれるのか見張っている)
死んだに兄ちゃんのところに行こうと何歩か踏み出そうとすると(死んだかどうか確認しようとする)
後ろから呼び止められて、振り返るとお兄ちゃんがわらっていて
安心して節子は画面の左に抜けて、タイトルバック
どういう意味かと言うと
本当は節子の遺骨を捨ててくれば、取り殺される事もなかったはずだけど
ついつい自分の言うとうりに美しく死んでくれて、一瞬生への欲望が出たんだけど
結局、節子の遺骨を持ち続けてしまったが為に呪われたように、恵んでくれたお握りを食べることもなく衰弱して死んでいった
それをずーーーーと待ち続けていた節子はようやっと走っていこうとしたら、大丈夫僕はここにいるよ、二人はずっと一緒だねと言っているのを
映画の冒頭に見せている。だからわかるはずでしょって監督は言うけど
心中物は死を美しく描く事が目的
高畑勲が描きたかった事は、美しい死の輝き、死は美しいと言う文芸でしかいえないこと
蛍と同じ、命が限られていて今死ぬから精一杯生きる、翌朝には死骸で転がっている、そのはかなさこそが美しい(全ての場面で滅びるさまは美しいでしょと言っている)
でも普通の人は、悲しい話だから犯人探しをしてしまう(永遠に論争してしまう) >>694
これ以上の恥の上塗りは止めておいた方がいいんじゃない?
お前は俺の言うことに「理由がない」と言ってるが、俺自身はそもそも当時の時代背景に対して
何らの自己主張もしていないと結論として書いてるじゃないか。俺の論旨は、「絶対」という
ような断言口調でモノを言うべきじゃないということ。この論旨に何の理由を求めてるんだ?
そして、お前は得意気に、これは何故だ、これは何故だと問い掛けているが、滑稽極まりない。
現代人に、そんな理由など断定できないということこそが俺の論旨なのだから。
最後に、行方不明者の捜索が現代よりも当時の方が精度が低いであろうことは、文明の進化、
捜査ノウハウの蓄積を考えれば、戦時中の混乱の渦中よりも現代の方が優れているであろうこ
とは自明の理。
そんなことにも理由を求めないと生きていけないのか、お前は? >>695
あんた、誰か知らんけど、改行も句読点も無茶苦茶だし、
誤字脱字も多過ぎる。日本人か?
一応、あんたの主張にも返事を返そう。
あんたの論旨は分かるけど、「心中物語」と断言するのは
ちょっと苦しい。「心中」ってのは少なくとも一人は自ら
死ぬことを望んでいることだからね。
死んだ後の節子が、早くお兄ちゃんにも来てほしいと願っ
ていたという考えはあってもいいかも知れんけど、それを
「取り殺された」と表現するのは乱暴過ぎやしないか?
この物語が、死を美しく描こうとしているのは同意。
一瞬の生の輝きと死の儚さを蛍のごとく描いているのはタ
イトルからも明らか。これが戦時中の悲劇であることを強
調するために、「火垂る」という当て字で表現しているこ
とも明らか。
でも、「心中」とはちょっと違うと思う。 >>696
つまり理由は分からないが絶対は無いと言った次には
当時の事は知らないが現在より探す事は困難に決まってると言うわけか
どうも空っぽなうえに支離滅裂だな
証明を必要としない楽な論陣を張ろうとしているそばから自分の言葉で破綻してるのはちと恥ずかしくないか
そんな事をさせる為に野坂も高畑も作品作ったわけじゃ無かろうに 父親、昭和11年の観艦式の時大尉なのに、摩耶沈没の昭和19年に艦長職の大佐と言うのは進級早すぎ
そもそも作中に艦長してることが言われてないだろ >>698
楽な表現(俺としては、無難な表現と言ってもらいたいが…)をしていると言われれば、その
通りだが、一体何が支離滅裂なのかね?
俺の主張の何がどういう意味で支離滅裂なのか、君の大好きな「理由」を説明してみたまえ。
ついでに付言するが、世の中ってのは分からないことの方が圧倒的に多いんだよ?
お前のように、何にでも「理由」を求めるタイプの人間は、客観的な論理よりも自分が納得
できるかどうかで理由を判断してる場合が多い。
つまり、お前が「理由」だと思い込んでいるものは、お前の思い込みに過ぎない可能性が高い
ということ。
「無知の知」を自覚することがモノを学ぶ第一歩だ。無知の知を自覚している人間は、「理由が」、
「理由が」、って言わないんだよ。
どれだけ恥ずかしいことを喚いているか、胸を手を当てて考えてみることだな。 そもそもあんなババアが何で他所の家族受け入れたら自分のとこ苦しくなるのに
引き取った思う?
金持ちが転がり込んでくると自分のとこに贅沢品入ってくるからだ
バター見た時の態度見てみろよ あれが目的だったんだ
持ってきたものが尽きて売る形見もなくなってからの態度の豹変ぶり
清太が働いてないならないでどこかへ連れて行って自分の口利きでねじ込むなり
家事手伝いさせるなり出来たはずなのにそんなことは一切せず形見を売って米にしろとか
そういう事ばっかり
そういうことも考えられず結果だけ見てむやみに清太叩きするこの世の中がホント恐ろしい 節子はかわいそうだが、清太はな・・・
彼は、節子を死なせてしまったことをどう思っているのか。後悔しているのか、責任を感じているのか。
彼は全く悪いと思っていないと思う。
なんで清太は現代まで、節子を連れて現世に留まっているのか。節子は天国の母親に会いたいはずだ。
なぜ清太は節子を自ら荼毘に付したのか。寺などに行って供養し、冥福を祈ろうとしないのか。
なぜ清太は節子が瀕死の時、医者や大人に預けなかったのか。金はあったし、節子を第一に思うならそうするべきだ。
答えは「清太が節子を手放したくないから」だと思う。だから、節子が死に瀕しても防空壕の暮らしをやめず、遺体を骨にして缶に入れて肌身離さず持ち歩き、死後も節子を手放さず現世に留まっている。
清太は節子を深く愛しているが、節子の生死にも意思にも本質興味がない。自分の手元にあることを第一に考えていると思う。
ただ高畑勲は、そういう清太を「悪」とは描いていないと思う。場合によっては美しく描いている。それは何故なのかが分からん。 >>703
あー、原作ではなく映画を作った高畑勲の意図を考えていたんだが・・・・
すまん上の解釈は間違いだ。
改めてもう一度見て、考えをまとめてみたが。
正直酷い内容だった。703です ちなみに原作者の意図は抜いて考えてます。
野坂は鎮魂と後悔を込めて書いたそうだが、
高畑は「極限の状況で死ななければならないのは現代の心優しい若者である」と語っている。
だから原作者の意思とは関係なく、
高畑は清太=心優しい現代の若者と重ねて描いたと考えて、見直した。
よく、清太は身勝手で考えが甘いという意見があるが、そうではないと理解した。
清太は他人に合わせようと精一杯努力している。めちゃくちゃ頑張っている。自分の心を押し殺すことに。嘘をつくことに。
あの作品は、「皆のため頑張るが、心の痛みに耐えきれず、その痛みを紛らわすために麻薬漬けになりボロボロになって死んだ若者」を描いた作品だと解釈している。間違ってるかもしれんが。
あと、上に書いた節子を手離さないってのは半分間違いだった。亡霊として出てきた節子は、節子本人ではなく、節子の幻だ。これは間違いないと思う。
節子は最初ドロップの缶からふわぁと出現した。これは清太が死んで節子と一緒になったと思ったが。最後、節子を焼いた後、その焼け跡からもう一度、笑顔の節子が出現している。
一緒になったなら、もう一度現れるのはおかしい。だから、あれは節子本人じゃない。清太は独りだ。
長くなってすまん。 >>707
心中じゃないと思うよ。
なぜかってーと、清太は節子に嘘をついてる。
母ちゃんの骨は墓に入っていると言ったけど。
実際は入っていない。
穴に入れられてまとめて焼かれたから、どれが誰の骨かなんて分かるはずがない。その中の骨を適当に渡されて、墓に収めたんだろう。戦時中にはそういう、誰とも分からん骨を渡されることが実際あったと聞きます。
節子が蛍の死骸をまとめて穴に埋めながら、
「母ちゃん死んで墓に入ってる」っていった途端、清太は噴き出すように泣いたろ。
あれ、母ちゃん墓にも入れんかったと思い出して泣いてるんでしょう。
でもすぐ涙を拭いて、いつか一緒に墓参りしようと嘘をつき、自分は大丈夫なふりをしてる。
節子の前で気丈に振る舞うため、清太は無理をしている。それで傷ついて疲弊している。
嘘をついている相手と心中しようとは思わんでしょう。だから心中じゃないと思います あんなに母親に会いたがっていた節子が不憫だから泣いたんだろう。おばさんの家で節子がお母さんお母さんと騒ぐシーンで幽霊が出てきて耳を覆ってただろ。
相手を思いやって嘘をつく、その相手と心中する、なにも違和感ないね。 耳を覆ってたのは、単に節子が泣いてるからじゃない。泣かせるのに清太が加担しているからだ。節子に手を離すよう言っている。
不憫なんじゃなく、自分が痛めつけて泣いているから耳を塞いでいるんだ。
作中、清太が節子を自ら泣かせたシーンはあそこしかない。そして、幽霊の清太が唯一、偽りでない表情を見せているのもあそこだけ。
清太ははっきり言って地獄に居るが、あのシーンが清太に残された蜘蛛の糸だ。あのシーンと向き合えばおそらく救われる。しかし耳を塞いでいるから、清太は救われないし、今後も塞ぎ続けるだろうと思う。 あとな。
節子が蛍を埋めるシーンで、一瞬穴に投げ込まれるカットインが表示される。蛍と母親を重ね合わせて泣いたのは間違いないよ。 カトリックの教えの中に、「煉獄」(れんごく)という概念がある。
これは、天国にも行けず、地獄に堕ちるほどでもない奴が、陥る奈落の一つ。
自身が生前に犯した愚かな行為を延々と直視し続けなければならない地獄に近い状況。
映画の清太は間違いなく「煉獄」に嵌ってる。
これは、作中で描かれている清太の行動は全て良くない行為ばかりであることを意味する。
冒頭で清太が死ぬところから始まって、過去に戻って回想するような構成だけど、観客に
状況を見せるだけでなく、しばしば赤い幽霊の清太が苦しんでいるシーンが挿し込まれて
いる。つまり、映画で描かれているのは、基本的に全て清太の愚かな行為ばかりであり、
観客に見せると同時に清太の回想を軸にした映画なのだ。だから、清太はけしからん奴だ!
という感想を持った人が正解。これを見て、二人の兄弟が可哀そうだとか、涙が止まらなく
なったとかって感想を述べてる奴は肝心なことが何も見えていない。 君それ、岡田斗司夫の受け売りでしょw
私も彼の動画見て、言ってることがおかしいから見直して投稿してるけど・・・
あいつ本当にバカだから、真に受けない方がいい。清太が節子の食べ物を奪って食欲を優先したから、節子が先に死んだとか、ほんまどこに目をつけてるんだってこと言ってるし・・・
一度見直して、いかに岡田がアホか確認するといいと思う。あいつは、宮崎駿が「おばさんに同情するようになったら本当に危ない」と言った理由がわかっていない。
あの作品の中で、唯一まともな人間性を保っているのは清太だけってことなのよ。あれは戦時中のことだとか考えず、今のあなたの感受性でもって見直すことを勧めます。 「当時は非常に抑圧的な、社会生活の中でも最低最悪の『全体主義』が是とされた時代。(中略)我々現代人が心情的に清太に共感しやすいのは時代が逆転したせいなんです。いつかまた時代が再逆転したら、あの未亡人(親戚の叔母さん)以上に清太を糾弾する意見が大勢を占める時代が来るかもしれず、ぼくはおそろしい気がします」と高畑は言っていた。
そして実際に晴太を糾弾する人が増えている。 そうなんです。
清太に共感しやすいはずなのに、糾弾する内容が多い。あまりにも居た堪れないので投稿してます。
清太は常に、食べ物を節子に率先して与えているのです。最初のカンパンに始まり、サクマのドロップは節子に与えて自分は梅干しで我慢し、後半火事場泥棒で米櫃をその場で貪り食うシーンでも、最初に見つけた甘いカボチャは一切手につけず節子に届けるため仕舞い込んでいる。
じゃあなんで節子が栄養失調で死んだのかというと、「節子は甘いものしか食べない」んです。カンパンは食べないし、トマトも手に持ったままぼーっとしてるし。最後意識が朦朧として、おはじきをドロップと間違えて舐めてしまう状態になっても、オカラ(に似せた泥団子)は「兄ちゃんにあげる」って言って口につけない。途中、清太は「大豆も好き嫌いせず食べんと大きくなれんよ」と言ってるのに。大豆を食えないんだから、カエルなんてもってのほかでしょう。
スイカを買ってきた清太を、世間知らずと嘲笑う人がいる。馬鹿野郎と。節子は甘いものしか食べないし、手に入る一番甘いものがスイカだったんだよ!
節子の栄養失調の原因は、カロリー不足ではなく、タンパク質、ミネラル不足によるバランス失調です。そして、タンパク質不足はカロリー不足以上に栄養失調の進行が早い。だから先に死んだんです。
清太は節子を虐待して死なせたんじゃない。文字通り「甘やかして死なせてしまった」んです。現代的でしょ?じゃあなんで、あんなに甘やしたのか。そこが清太の心の痛みを知る入り口です。 節子が死んだ後の妄想シーン、裁縫したり敬礼したりする、現実には決して無かったシーン、あれはどう説明するんだ?あれは恋人としての妄想だろう。 恋人じゃなくて、母と重ね合わせてたのよー。
そして妄想、きましたね。同意見です。だから悲しい。
妄想の中で、節子が傘さしてるでしょ。ポスターで節子と一緒におぶってるやつ。あれ母親の傘。海水浴のシーンで、回想中の母親がさしてる。
清太は節子に母親の代わりを求めてるのです。
傘は、世間の冷たい雨から兄妹を守ってきた母の象徴。それが破れてしまっている。
ポスターで清太は、節子と母親を一緒におぶっている。もっと正確には、母親の遺体を。それが清太の痛みであり苦しみだと思います。
遊んでいる小さな節子は子供の節子だけど、アップの節子は母親を重ね合わせた節子。だからBGMはホームスウィートホーム。針仕事はまんまだけど、敬礼は父親を送り出すときの母でしょう。
あの壕で父親役は清太。そのおままごと(というには悲しすぎるが)なのです ほら、原作者と監督が心中ものと認めてるじゃないのww
嫌いな奴の意見だからといって全否定するのはあまり賢くないわな。中身で判断しろよ。 清太は母親には冷たいよね。泣きもしない。遺骨は捨てていくし母親の幽霊も出てこない。 >>720
そこだよ!そこが違和感!!!
そこがスタートです!! >>717
高畑「はじめて原作を読んだとき、これは神話だな、と思ったんです。『神話』とは何か、ぼくもよくわからないので、いい加減なものですが、とにかく神話性のある物語は、同じ人物、同じ筋だてに様々な意味や肉づけを与えることができるんですね。どんなことをしても、簡単にはこわれてしまわない強さを物語自体がもっている。とまあ、この物語の扱い方が読者それぞれの思い入れやイメージとちがっていた場合の弁明を先にしておきたいんです。」アニメージュ1988、5月号。ネットソースですまん。
高畑は原作と本作で意図が異なることを明言してるよ。読んだ時心中ものを意識しても、それがそのまま本作の意図ではないと思います >>720
遺骨は母親のものじゃないの。上の書いた。そこが清太の苦痛なの。一番大事なところです >>722
近松の心中物とかそういうのを感じまして
構成からいってもそうだという気がしたんです
主人公たちが死ぬことを前提にして
その死に至る道筋をずっと追っている
だだその今天国っておっしゃったのはその通りだと思うんです
映画でもそこをきちんと描きたいと思っています
https://i.imgur.com/D3n9oko.jpg >>725
このソースは知らなかった。しかし、筋立てが心中ものだからと言って、主人公が心中を望んでいるわけではないでしょう。
あなたのソースで野坂も言っている。二人の目的は天国を築くことだと。天国に行くことではない。そして二人にとっての天国とは、父と母がいる「家」です。
ただ、清太の真奥の望みはもう一つある。それは母を弔うこと。普通に、美しく、心を込めて。そして母の死を悲しみたい。それが出来なかったことが清太の苦痛なのです。
そしてその痛みが節子を甘やかす原動力。節子を甘やかすことで、母親を弔う代わりとしているのです あ
>>708 これ読んだあと、あの親戚のババアのこと思い出してね。一部誤字 墓に収めた× 箱に収めた◯
宮崎が、あのババアを擁護したらまずいと言ってたけど、ほんそれ。
清太はババアに母が死んだことを告げた後、なぜ教えなかったのか聞かれ、節子を悲しませたくなかった答えた。にも関わらず節子に母の死を教えた。その結果、「お母ちゃんお母ちゃん」と夜泣きする節子に対し、うるさいと愚痴を垂れ、皆は頑張ってるとのたまう。
このババアの行動には軍国主義も全体主義も関係ない。むしろ、自分の個人的な不快感を正当化するために、全体主義を利用している。全体主義の上をいく最低のクソババア。
蛍を埋めるシーンで、観客の清太の行動への違和感を氷解し「誤解してごめんよ」と思わせつつ、同時にババアのクソっぷりを白日の元に曝け出し、「あいつ真正のゴミやな」と思わせる仕掛け。そこら辺の演出は流石の高畑。しかしあのシーンは情報量多すぎる。清太の怒涛の感情が流れ込む感じ。
ババアを擁護する奴はやばい。感受性が欠如してるか、記憶力がない。 >>726
あんたの意見は言葉遊びだよ。要は心中もの。 >>727
いや、あの叔母さんの清太に対する邪剣な態度はみんなが当然の様にやっている努めを清太が果たしていない嫌悪感だよ
全体主義の中でみんなと同じようにするのが叔母さんには当たり前の事で
それが出来ない清太は何のお国の役にも立っていない穀潰しのゴミとしか思ってない
だから可愛げも感じないし気を使う気もこれっぽっちも無い
叔母さんは社会のお荷物を責め立てる尖兵のつもりでいるんだ
その叔母さんに同情し、「もっとみんなと同じ様にやればいいのに」「もっとにこやかにして可愛げがあれば良かったのに」
と清太を糾弾するのは取りも直さず、全体主義的な同調圧力に何の疑問も感じずそれを危険とも感じない
抑圧的社会に何の免疫も無い危うげな状態に他ならない
また叔母さん自身が悪辣だったと叔母さんの人格に全ての責任を負わせる思考も
状況が人間性に及ぼす影響に無頓着すぎると言わざるを得ない どうしても聞いてもらえないか
まぁ私の言うことにも間違いがあるだろうが・・・
んー、全部のネタバレは避けたいので、謎解きのヒントを最後に話します。
1.なぜ最後に清太は無機質な顔を観客に向けるのか。
清太が地獄にいる理由がそれです。地獄にいるからには罪を犯しました。なんの罪でしょう。
2.蛍の光は何を意味するのか
死の暗示と言われるがちょっと違う。正確には死をもたらす何者かの暗示です。
3.「火垂るの墓」とは何を意味するのか
私が知ってる限り4つの意味があります。
一つは節子が作った蛍の墓。2つ目は蛍と同じようにまとめて投げ込まれた母のいる穴。もう2つが重要です。
ぜひ映画をもう一度観てください。高畑の意図がわかった時、激しい驚きと恐怖を感じると思います。
この映画は高畑の言った通り、御涙頂戴でも戦争映画でもないのです。どうかぜひ、再鑑賞を。
高畑は本当にすごい映画監督です。 あー、すまん今気づいた。高畑の意図に間違っているかもしれんが。
>>728が言った心中もの。これもあるかもしれん。そして私が言った意見。これはあると思う。
そして>>729が言った言葉こそ、高畑監督が最も望む、この映画への接し方かもしれない。叔母さんをこき下ろした私の態度は、この映画を語る上で正直不適切だった。すまん。
もう一度映画見てくるわ。また新しい発見があるかも。この映画は何周もできる。観て鬱になるという評価ではもったいない。地獄を何周もすることを、高畑監督は観客にも求めているかもしれんw
高畑はこの映画を、いく通りの解釈も可能で、それらが皆正しいという構造に作っているかもしれない。そのような構造にすることが、この作品のテーマに最も合う。 幾通りの解釈も可能なら、ネタバレ気にするのもバカらしい。
とりあえず上の解釈の穴埋めやります。
2.蛍の光は、全体主義の光。
清太と節子が蚊帳に蛍を集めて楽しむシーン。あのシーンは蛍の死に際の光を描くと同時に、これから死に向かう2人を暗示するシーンでもある。
と同時に、節子のためという美名の下、蛍の大虐殺を行っている現場です。蛍の目線からすれば、2匹の怪物が快楽のため、命を弄ぶ現場にすぎない。
全体主義は一見美しい。「〇〇のために」と言って他者を奉仕させ、その名の下に他者を虐げる。
3.「火垂るの墓」の意味
母の投げ込まれた穴。それは一切の人権を剥奪され、個性を否定され焼かれる場所。全体主義の縮図です。ですから、火垂るの墓とは全体主義のこと。
であると同時に、清太が投げ込まれた地獄の名前でもある。清太は全体主義の地獄にいる。
清太が叔母に母の着物を奪われたシーンを思い出してください。清太の亡霊は必死に目を背けて耳を塞ぐ。あの時清太は、母の着物を奪われる被害者であり、嫌がる節子に手を離すよう指示した加害者でもある。
その双方の事実が清太を苦しめ、彼は耐えかねて目を閉じ耳を塞いでいる。
清太は全体主義に囚われ、今も地獄の責苦に喘いでいる。
そして
1.清太はなぜこっちに顔を向けるのか。
答えは、顔を見せている、だと思う。
清太の無機質な表情は何を意味するのか。
母の死を弔うことも悲しむことも許されず、抑圧され心を殺された被害者の顔。
節子を喜ばそうと、嘘をつき自らの心を殺して「人のために」奉仕する信奉者の顔。
蛍の苦痛に心を動かさず、冷酷に虐殺を行う加害者の顔。
いずれとも取れる。
共通点は、心を表現することなく極めて冷めていること。そして、この顔が何に見えるか観客に問いかけている。
この映画は「騙し絵」ではないか?
視点を変え、立場を変えることで、あらゆる解釈が引き出せる。そしてそれは皆正しい。
であるならば、この映画を語る時は
「いかなる解釈が可能か」と語り合うことが適切ではないか?
「どの解釈が正しいか」では、異なる意見を否定し絶滅させることを目指すことになる。
全てを一つに染め上げようとするのは全体主義者の思想だ。それをやってはいけない。
この映画は「反全体主義」の作品でしょう。
それゆえに複数のテーマを内包している。
私は先ほどまでその一つを正解とし、他を否定しようとしていた。私は地獄に居た。恐ろしい。
皆さんの解釈をぜひお寄せください。私はそれを聞きたい。それがこの映画の最高の楽しみ方ではないでしょうか。
高畑監督、偉大すぎませんか? やたらと、まとまりのない長文を書いてる奴、自分の考えや文章に酔ってるだけにしか見えないよ。
哲学者気取りで、この物語の本質は何だろうかと考察したところで、個人の感想でしかないから。
もっと、まとまりのある文章で根拠を示しながら端的に書かないと、誰も読んでくれないよ?w 根拠は他の部分で書いているし、情報量が多すぎる。
短文でまとまらんよ。
とりあえず、蛍の光=全体主義が発揮されている場面として、映画をもう一度見れば色々分かるんでないかな。 この映画は、一見全体主義の被害者である清太が、同時に加害者でもあるというところが怖いんではないかな?
節子のためという理由で、蛍を集めてセツコと名前を書くなどずいぶん酷いことをやっている。
悪ガキたちに蹴散らされたが。蚊帳に集めた時より、エスカレートしている。
「人のため」に悪事を正当化することで、全体主義に陥る危険性を示唆しているんでしょう。
火垂るの墓=地獄の名前という根拠は、ラストシーンの小高い丘が、母が焼かれて皆と一緒に埋められた場所だからです。清太のループは、そこを起点と終点としている。 ラスト、清太と節子は岡からビル群を見ている。
現代の神戸に蛍は居ないから、代わりにビルの光を見ているのでしょう。
蛍=全体主義の象徴ならば
蛍の代わりに見ているビルの光も、全体主義の危険を孕んでいることになる。
ただしビルの光は一色ではないから、まだ全体主義に陥ってはいない。
しかしいつまた「人にため」という理由で、あのビルも一色の全体主義染まるか分からない。
その警鐘を鳴らすのが高畑監督のメッセージではないでしょうか? 全体主義に警鐘を鳴らすのが監督のメッセージ?
逆でしょ。人間社会は何かしらのコミュニティに属していないと支援も受けられない。
どんなに信念があろうと、どんなに純粋な気持ちがあれども関係ない。
全体に染まらないと生きてはいけないことに警鐘を鳴らしているんだと思うよ。
まして、節子のように物心が付いていない年齢だと、清太のようなエゴに振り回されて、
そのせいで命を落としてしまう(節子本人にはどうしようもない)恐ろしさも同時に描
いているのではないか? >>738
高畑「当時は非常に抑圧的な、社会生活の中でも最低最悪の『全体主義』が是とされた時代。清太はそんな全体主義の時代に抗い、節子と2人きりの『純粋な家族』を築こうとするが、そんなことが可能か、可能でないから清太は節子を死なせてしまう。しかし私たちにそれを批判できるでしょうか。我々現代人が心情的に清太に共感しやすいのは時代が逆転したせいなんです。いつかまた時代が再逆転したら、あの未亡人(親戚の叔母さん)以上に清太を糾弾する意見が大勢を占める時代が来るかもしれず、ぼくはおそろしい気がします」
全体主義を擁護することはないと思うよ。というか、20世紀の人間にとって、全体主義は悪魔そのもの。何億人も殺した化け物だから。
ただ、節子を死なせてしまったことは美化していないと思います。清太の問題点もきっちり描き、肯定はしていないのは同意です >>738
すまん考えが変わった。
あなたに同意する。
一部違うのは、全体ではなく、自分と意見の違う他者との交流を絶つなだ。
高畑監督のメッセージ。
監督は2人をえげつないくらい批判している。
理由を書く >>738
私はこの映画が「騙し絵」ではないかと思った。
見方を変えると、全然別のものに見えるやつ。
で、火垂るの墓のポスターを見た。
清太が節子をおぶって、傘を差してるやつ。
騙し絵だった。
2つの線(清太と節子)が折れ曲がって絡み合い、後方に円(傘)が描かれている。
これ
ハーケンクロイツだ >>738
>全体主義に警鐘を鳴らすのが監督のメッセージ?
>逆でしょ。
>全体に染まらないと生きてはいけないことに警鐘を鳴らしている
が全く逆の方向でも成り立つ事に留意すべきだ
清太にどういった考えがあれ清太や節子みたいな子供が飢える事に注意を払わない社会が先ずおかしい
清太が節子を医者に見せたとき、医者は「滋養をつけなさい」と言うだけでそれ以上の事は何も無い
その放置は「子供は子供の親がどうにかすれば良い」という考え方だ
それは「親のいない子供は餓死しても当たり前の事」という考え方に行き着く
空襲に合わなければ清太や節子は劇中に出て来た富裕層のようにそのまま何の苦労も無く大人になれて、それは運の良し悪しでしか無い
駅で毎日子供が餓死しているがその子供の中には模範的な軍国少年だった子供も大勢居て
その子らが餓死しなければならなかったのもまた運の良し悪し
その子供がコミュニティとどう接してたかは関係無い
そしてあの時代のコミュニティに属して異議を唱えないという事は、そのように子供が餓死するような社会に異議を示さず
加担してるのと同じ事だ 高畑勲が、全体主義はいかん!などという押し付けをするとは到底思えない。 >>742
当時そんな余裕のある大人などいない。お前の意見はマリーアントワネットのケーキ発言と同じ。 >>744
その余裕の無い時代が問題だって話をしているんだがな
「助けてくれる人は誰」では無く「どうしてこんな世の中だった」という問いの建て方の違いに気付いてくれ
当時何故食物が無かったのか、そして何故今は食物あるのか、今が子供の餓死するような世の中では無いのは何故か
君の口に安価に入る食べ物はどういった努力の結果か
それはこうした社会にしたい、しようと云う意思の集合の結果じゃないかね
戦時中に食物が無かったのは、我慢すれば勝てるという意思の集合の結果だ
それが碌でも無い結果になったから今の世の中を欲したんだよ
あの時代は仕方が無いと言うのは世の中のあり方がまるで人の意思が介在しない自然気候の様なものだと誤解している
意思の集合に何の注意も懸念も向けずただ埋没するだけの愚かな姿勢だ
世の中がどうであったか、またはどうであるかが自分の考えのうちに発生せず、ただ個人的サバイバルしか頭に思い浮かばないのでは
高畑氏もがっかりだろう >>746
実際、戦時中に生きた訳ではないから、2人の置かれた悲惨な状況を無視して責めるのは、ちょいとひどいと思う。2人がなんであんな行動に出たかを汲まないのは、一方的だわ。
ただ、現代でも生活保護受給断って餓死する人はおるし、なんなら青木ヶ原で2人で生活したら余裕で死ねる。他者との交流を拒んで生活したら、破滅するのは現代でも同じだと思う。
高畑氏も、2人を完全に肯定しては居ないし、だから地獄を彷徨ってる訳で。2人が破滅を避けて、成仏できる方法を考えてもいいと思う。 色々見返して分かったことが多いが、どうしても分からんのが清太の直接的な死因。餓死は餓死なのだが・・・
節子の命日に枕崎台風が接近していることを話しているので、発生の11日から上陸の17日の間だというこは分かる。
だが清太が死んだ21日まで10日もない。なんであんなに急速に衰弱したのか・・・。 節子を荼毘に付したのは、晴天だから枕崎台風が通り過ぎた翌日19日。
清太の死因は餓死じゃない・・・・
薪屋のおじさん、人間の焼き方を嬉々として話すので人の心がないのかと思ったが・・・
死者行方不明者4000近い台風で、昨晩は命の危険を感じて居たのかな。それから解放された晴れやかさだったのだろう。無神経ではあるが・・ >>750
見直してみて。台風が来てる。
日本3大台風の一つが9/17〜18に上陸し、作中でも描かれてる。
節子の遺体を抱く清太の、外は超大型台風だ。
だから餓死じゃない。死因はだいたいの当たりはつくが、まだ解けてない。難しい 何が言いたいのかがよく分からんが、栄養失調による衰弱死は餓死と一緒でしょ。
清太が三ノ宮の駅で野垂れ死んだのは事実。
しかし、時系列的に清太が死ぬのがちょっと早過ぎなのは同意。節子死亡時には貯金を
下ろして食料をそこそこに買い込んでいる。節子のために作った雑炊も結局清太が食っ
てるし、スイカも食ってる。あと、何かよく分からないもの(パンかおにぎり?)をム
シャムシャ食ってるシーンもある。あと、節子を荼毘に付したときには、服装もそこま
でボロボロじゃないが、冒頭の野垂れ死にシーンではシャツもズボンもボロボロだ。
エンディングから冒頭までの数日間で何があったのか軽い謎と言えなくもない。
あと、謎と言えるのは、どうして清太は「三ノ宮」(神戸市中央区)の駅構内で死んだ
のか? 節子と一緒に暮らしていたのは西宮のはずだ。西宮から三ノ宮まで、少なくと
も20kmはある。当時は今ほど道が整備されていなかっただろうから、田舎道を道に迷
いながら、草木を分けて這うように移動したのなら服装がボロボロになるのも分からん
ではない。また、まだまだ暑い季節だから、この労力によって栄養失調が加速し、水分
を大量に失ったなら、急激に衰弱する可能性はある。そういう意味では、直接の死因は
餓死というより水分不足だったのかも知れない。或いは、熱中症か。
しかし、三ノ宮まで移動する意味が分からん。また、人前で死ぬ意味も分からん。
清太は自殺に近い精神状態で自らを死に追いやるため(衰弱を加速させるため)、あえ
て三ノ宮まで行ったのか?
また、人前で死ぬことで、自分達の悲惨さ(不幸さ)を人々を分からしめたかったのか?
この辺りの趣旨は、原作者も監督も明らかにしていないな。
ただ、清太の父親が海軍だから、最後に神戸港を見たくなって三ノ宮まで行ったと考える
ことは可能かも知れない。
節子と暮らしていた横穴のほとりなら、水分は取れるし、蛙や魚を取って食ってるシーン
もあるし、もう少し生き長らえた可能性はある。まぁ、最後は想像にお任せってところか
な? 軽く謎と言えば子供でも大人でも殴って言う事聞かせられた時代に清太が嫌味を言われるだけで平気で家でゴロゴロしていられたのも謎ではある
うちの親父の戦時中の子供だった頃の話を考えてもあんなだらしない事してたら顔が腫れ上がるほど殴りつけられて強制的に学校や勤労奉仕に行かされるはずだが そういえば、清太はお母さんの死体が腐敗して蛆が湧いていたのを目の当たりにしたんだよな。
また、節子と海に遊びに行ったとき、浜で蝿がたかってる他人さんの死体も目にした。
だから清太は、人が人目に付かない場所で死ぬと、腐乱死体になってしまうことを知っており、
自分は無縁仏でもいいから荼毘に付してほしいと願って、あえて人前で死ぬことを選んだのかな? >>753
おっと、こんな時間に書き込みがあるとは驚いた。
まぁ、海軍さんの息子だし、遠縁とはいえ親戚だしね。おばさんは未亡人だし女性だし、
清太をボコるほどの腕力はないだろ。あと、「平気で家でゴロゴロ」していた時間は長
くはない。最初に家に来たとき、それなりの食料を差し出し、途中でもお母さんの着物
を売って、それなりの米を提供したことを考えると、あんなもんで妥当じゃないかな?
学校に行っていないことは理由を確認してるし、防火活動等を手伝わないことなどは、
それなりにキツい口調で責めてるしね。 >>755
うちの親父も地主の息子なんだよ
でも当時の大人は他所の家の子でも平気で殴るし大人の言う事聞かない子供の方が悪いになって
よほどひどい話でも無い限り殴った大人が糾弾される事も無い
作物盗んだ清太をお百姓さんが叩きのめしてるがあれが普通の時代だ
清太が持って来た物だって面倒見てる以上出して貰うのが当たり前で大人が気後れする理由にはならないし
ちゃんと理由を言えば子供の話を大人が聞いてくれる時代でも無く余計な事言ってないで命令どおりしろとさらに殴られる時代
清太がひどい不良で怒らせたら何するか分からないヤクザ予備軍まで行ったら放置されるだろうが
ただの子供で成人男性も下宿してる家でああいう態度でいられるのは妙な話だよ
上記のような、家でも学校でも街中でも怒った大人によく殴られたという話を親父はよくしたがその口調はそれがひどい事では無く
厳しい時代に育てられた昔の子供は偉くて今の子供は甘やかされてひ弱だと昔をむしろ懐かしんでる口調だったし
実際俺もよく殴られた
昔の学校で体罰が当たり前だったのもうちの親父のような「子供は道理が分からないのだから叩いて教えるんだ」という
考えの大人が大多数だったからだね >>756
言ってることは分かるけど、あんたの親父さんは男じゃないか。
火垂るの墓の状況のように、自分の息子でもない、親戚の中学生男子を殴るとなると、
女性では難しいんじゃないか?
ちょっと話のアプローチが変わるけど、当時は男尊女卑が当たり前の時代だし、女性
には女性らしさ(奥ゆかしさ、おしとやかさ)が求められていた時代でもあるでしょ。
実際、火垂るの墓でも、おばさんは清太のことを「清太さん」とさん付けで呼んでる。
今なら、君付けが当たり前だろうし、親戚の子なら呼び捨てでもおかしくないよ。
それに、ところどころに敬語が混じっていたりもする。
食料難の時代、食料を貰った瞬間はいい顔をするけど、それ以上に浪費が続けば邪魔
になる。最終的には一挙一動にギャイギャイ説教垂れてるわけだし、おばさんの態度
は別にそこまで違和感ないけどね。 >>757
親父が男という意味がどこにかかるのかよく分からんが
叔母さんが絶対一人で対応しなきゃいけないと頭から思っていそうな感じがどうもよく分からないな
手に負えなければ男手を頼めるしそれは近所のおじさんでも下宿の男性でも良い
最初に叔母さんが平手打ちでもして言う事聞かなければ「ちょっとうちの居候がだらしないんで言ってやってくれないかい」と近所の懇意に頼めば
「よし分かったふてえガキだ」と簡単に出て来てくれるよ
叔母さんに手を上げでもすればそれこそ大変な事でガキのくせに容赦しねえぞ袋叩きになる
そういう事ってもう現実感が無いのかな? >>758
うーん、俺にはガキを絶対にどつかないとおかしいと思い込んでいる方が違和感あるけどね。
今に比べると、子供をどついてしつけること自体のハードルが低いのは分かるけど、実際にど
ういう方針で接するか自体はいつの時代でも個々の感性があるでしょ。
あと、>「親父が男という意味がどこにかかるのかよく分からんが 」って書いてあるけど、
人を殴るという行為は男性の方が優位だし、ふてえガキはすぐに殴っちまえというのは男性寄
りの考えだよ。そういう意味で、あんたの親父さんの体験談は男性目線なわけで、おばさんの
行動原理を考察する上で直接的な根拠にはならないという趣旨で言ってる。
しかし、俺はあんたと論争をする気はない。あんたの言ってることは、全部理解出来るよ。
でも、個々のキャラクターの行動原理に普遍的な価値観を押し付けちゃいけない。
火垂るの墓に出てくる下宿人はおとなしそうな人だし、頼まれたら何か行動を起こすことも考
えるだろうが、頼まれなかったら、下宿人という立場をわきまえて他人の親戚関係のことにま
で積極的には関与しないだろう。
近所付き合いでも同じ。おばさんがその気になれば、どうとでも出来るのはよく分かるよ。
でも、曲がりなりにも親戚だ。ちょっとした歪みで家系の信用問題に発展するかも知れない。
ちょっとしたことで、おばさんの家全体に非難の目が向けられるかも知れない。
おばさんはおばさんで、それなりにキツい口調で清太達を非難している。
物語で描かれているのは、手を出す直前だと解釈すれば、そんなに違和感のあるシーンとは思
えんけどね。 三ノ宮へ行ったのは母の焼き場へ向かうためだよ。
生前の節子と母の墓に行こうと約束してたので。
骨壷には母の骨が入ってるかどうか分からないしね・・・ あと清太餓死じゃない。
急性の食中毒だと思う。旅立つ直前に何かを食べてる描写があるし。雑炊やスイカじゃなく。
その食べてるものと病名と、そういう死となった理由が分からん あ、西宮駅じゃなく三ノ宮にいる理由か。
確かに分からん >>755
防火活動は、空襲警報来た時に行うからね
節子の避難が最優先の清太には出来ないんだよなぁ。
当時の世間では正しいんだろうけど >>764
食中毒が死因なら、もっともがき苦しんで死ぬよ。息も絶え絶えに、節子のことを思い
ながら事切れた描写から衰弱死(餓死)が最も有力な説だけど、俺が>>752で、三ノ宮
までの移動によって水分不足(脱水症状)を起こしたか、熱中症で死んだ説を提唱して
るじゃん。そこに、何かコメントが欲しいな。
単純な栄養失調による餓死は、時間軸から考えると早過ぎるというのは既に述べた。脱水
症状や熱中症なら、あんな風に息も絶え絶えで死んでもおかしくないと思わんかね? >>767
脱水症状は同意す
清太、死ぬ時大量の糞便を撒き散らしてて、
通りすがりのおっさんに「汚ねっ」て言われてるので。下痢による脱水だと思います。
ただ三ノ宮宮に移動したの確かに謎。亡霊が焼き場から帰って再ループする時は、西宮で降りてるし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています