かぐや姫の物語 34 [転載禁止]©2ch.net
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先に書かれたけどやってくれて嬉しい。
ただ、今回はエンディングはちゃんと流してくれ。 5月20日20時ニコ生岡田ゼミは
”かぐや姫の物語の解説”
楽しみだwwwww 日本版ハイジという可能性も…高畑勲監督『かぐや姫の物語』は改めて見直してほしい珠玉の名作です【GW映画】
https://youpouch.com/2018/05/03/504645/amp/ なみきたかしが高畑の追悼集会を開くらしい
ジブリはジブリで開催するだろうから、熱心な高畑信者は両方出席しないとならない
ジブリと共催して一回で済ませるのが筋だと思うが難しいんだろうな
私はどっちにも行かないからどうでもいいようなものだが…
この状況を知ったら高畑はどんな顔をするかね ジブリのお別れの会は15日。(ジブリの森美術館)
一般の献花は14:00-。
なみきたかしの追悼会は25日。ネットですでに募集中。
(無料だが要予約。キャパ1200人)
どっちも平日なので残念ながら自分には無理。 なみきたかしはえらく評判悪い男だけど、
なぜか高畑や小田部羊一と付き合いが深いんだよな。
ちょっと理解できない。 これ、レッドタートルか平家かどっちなんだろう。
↓
坂本龍一、高畑勲監督からオファー&解雇されていた!「僕の音楽がシリアス過ぎて…」
〜アニメ映画の音楽に携わったことについては、
「今から35年前に担当したことがあるんですが
、あまり気に入っていないんです(そのため題名も言えないらしい)。
現在は、韓国のプロデューサーも参加し、
手塚プロダクションで手掛けられている
アニメ映画の音楽を担当していて、
その作品は今年の後半期に公開される予定です。
あと実は、2、3年前に高畑勲さんと会って、
音楽の担当を任されていたんですが……
僕の音楽がシリアス過ぎて、結局解雇されてしまったんです(笑)」と
意外な事実を明かした。
https://www.cinematoday.jp/news/N0100497 >>718
付き合いが深いって顔を並木が一方的にしてるだけ
高畑や小田部は並木と付き合えばメリットがあるから嫌な顔はできない
もともと並木はアニメーターを目指したが挫折した使えない人間
高畑や小田部は内心で馬鹿にしていただろう 5月20日(日曜日)20時
ニコ生 岡田斗司夫ゼミ
かぐや姫の物語特集
金曜ロードショーで予習しなくっちゃだよね〜 >>724
今、確認してるけど批評はして
けなしてるってとる人もいるだろうけど
見ていない人は見た方がいい映画って言ってるけど
絶対見ろとは言っていないけどwww 公開当時の岡田評聴いたけど面白かったわwwww
宮崎駿のかぜたちぬと対になっている
(ピラミッドのある世界の肯定)宮崎駿の業
かぐや姫の美しさ(才能)は周りに災いしか起こさない
スタジオジブリの天才二人も周りから理解されない(災いしか起こらない) 『かぐや姫の物語』」は、『風立ちぬ』の逆なんですよ。
ピラミッドの無い世界から、ピラミッドのある世界に来て、ピラミッドのある世界の美しさに心を奪われてしまった女の子の話なんです。
だから、彼女にとっての、この世界の生きにくさとか残酷さっていうのが嫌っていうほど描かれてるんですよ。
見てる最中は、あまり気づかないですね。
高畑勲は表面上、この世界を、すごく生命に満ちあふれてて素晴らしい世界だというふうに描いています。
予告編の、花びらのなか、クルクルまわるシーンとかが印象に残りますよね。
あんなふうにかぐや姫がこの世界で生命を謳歌していると。生きるいうのはこんなに素晴らしいことなんだと。
差別とかいろいろあるかも知れないけど、それを含めて私は肯定するっていうシーンしか印象に残らないんです。
でも、よく思い出すと、その前の十二単を脱ぎながら走って行くシーンは、美しいシーンだけどそうじゃない。
女という立場とか、美しいという属性を持ってしまったために閉じ込められていくという、この世界のもう一つの残酷さ(の象徴)です。 ピラミッド構造は、『風立ちぬ』では戦闘機をつくるという、ピラミッドを積み上げるほうに働きます。
でも、『かぐや姫の物語』では、何がスペシャルなのかっていうと、かぐや姫のとんでもない美しさです。あれは、美しく生まれてしまった女の話なんですよ。
見た人はみんな心を奪われてしまって、声を聞いただけで恋に落ちてしまう女性として描かれています。
そんな女がこの世の中にいたら、周りには災いしか起こらないっていう話を描いてるんですね。
ここがものすごく面白いところです。
「かぐや姫の罪と罰」っていうのが、テーマになってるんですけども、何が罪かというと、実は美しいことが罪なんですよ。
美しいことが罪だから、かぐや姫はこの世界に災いしか起こさない女なんですね。
僕も映画一回しか見ていないです。
一回見て、なんじゃこりゃ退屈やったなと思って、なんでこんなんつくったんかなーと、ダーッと考えていました。
で、昨日の夜お風呂入ってる最中に、「ああそうか!これは実は『風立ちぬ』とひとつのペアになってる作品やねんな」と思ったんですよ。 『となりのトトロ』と『火垂るの墓』」が、昔を振り返って、家族を考えるという意味で、ある種、一対になってる作品やとしたら、『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』も実は対になってるんですね。
そのメインテーマは何かっていうと、「美しい」なんですよ。
『風立ちぬ』では、美しいことにしか興味が無くて、美しいモノに邁進することにためらいが無い青年が描かれています。
子供の頃は正義感があってピラミッドのない世界こそが素晴らしいと思っていた青年が、ピラミッドのある世界を肯定して、やがてこの日本を破滅へもっていきながら、美しいことを追い続けることをやめることができないという物語。
宮崎駿自身の生きていく"業"とか、"やましさ"みなどが全部のっかった作品です。
高畑勲の描いたものも同じなのです。
かつて共産主義革命になんか心を奪われた青年=高畑勲が、共産主義の世界っていうのを月の世界と仮定してるんですね。
で、自分たちがやろうとした社会活動、共産主義革命は失敗したかも知れないけども、その気持ちでこの俗世っていうのを見たら、なんて猥雑でいやらしくて、生命感に溢れて素晴らしい世界なんだ、と。
でも、その中では、圧倒的な才能も、圧倒的な美しさも、庶民と違う何かよいものは、その人間を含めて周りに不幸を及ぼすことにしかならない。
現にジブリで8年もアニメつくってる俺を見て見ろと。俺の周りにいるスタッフ全員不幸になってるぞ!みたいな。 高畑勲もすごく作家的で、思想家なんですが、宮崎駿より"はぐらかす度"がとつてもなくうまいんですよ。
で、はぐらかしてるぶん、高級な作品に仕上がってるんです。でも、僕に言わせれば、おかげでつまらんワケですね。プロテクトが完璧なぶん。
言っちゃいえば、宮崎駿の話は色気があるんですよ
色気っていうのはよく言われるように"隙"です。
完璧に見える女の人が1ヶ所か2ヶ所か隙を見せてくれることです。
男の人だったら、ネクタイ緩めたときの感じとか、ちょっと無精ヒゲっていうのに、女の人がたまらなく色気感じたりします。
つまり、色気っていうのは、出来上がったボディから、ほんのちょっと見える"隙"みたいなのです。そこに、みんなゾクッとするんです。
宮崎駿はこの色気がありまくるワケですよね。
これが、ボロボロボロボロ出てくるから、見た目にもすごく面白い映画になるんです でも、高畑勲のは、出来は良いけど、着付けが完璧すぎる。
パリコレのモデルとかを見て僕らは、うわぁ美人や、つきあいたいとあんまり思わない。同じです。
感覚として、かぐや姫をただ単に、ものすごく完璧なアニメにつくっただけやなぁというふうに、どうしても見えちゃうんですね。
なかなかこのテーマ性には気がつかない。
俺も風呂入ってるときにやっと気がついたぐらいで、そういえば高畑勲って普通の映画つくるはずないよな、と。 岡田斗司夫 評 《アニメ評論家》
かぐや姫って、高畑さんが一生懸命に作った「萌えアニメ」だと思うんだよね?
もう見た人、あの内容で「絵をまどマギ」にして想像してみて。
ずっとキャラに共感しやすくなるでしょ?
育ての親の翁と媼も、まどかパパ&ママに飜訳したら、わかりやすい。
最後にかぐやが●●されてしまうシーンも、萌え絵だったら、たぶん泣ける人がもっと増えたと思う。
はじめて企画を聞いたときには「鳥獣戯画の絵を動かす!」という噂だったんだけど、いざ現物を見たら「超キレイな絵本がそのまま動いてる」という感じだったんだよ。
僕は「絵本が動いてる」というアートなチャレンジには興味ないので、今回のアニメは見どころ少なかったなぁ。
お話も人物造型もすっごく薄味だったし。 10月23日(日) ニコ生 岡田斗司夫ゼミ のハイライトです。
『かぐや姫の物語』は制作費52億円、興行収入25億円。
ということは、ジブリとしては6億円くらいしか儲かってない。
赤字45億円。
まあメガ赤字ですね。
一般には、ヒット作を連発しているように見えるジブリ作品。
でも、実は儲かっていた期間は、ごく限られた期間なんです。
具体的に言うと『魔女の宅急便』の1989年から、
『ハウルの動く城』の2004年までの15年間だけは、ジブリは儲かっていたんです。
それ以後は、かなりやばいことになっている。 2008年までの4年間は赤字と黒字が交互にきて、2011年の『コクリコ坂』以降はずっと赤字なんです。
かなりやばいです。
一覧にしてみました。
ジブリ作品勝敗表by岡田斗司夫。
by岡田斗司夫と書いてるのは、僕なりに調べたんでw
まあかなり正確な数字です。
『風の谷のナウシカ』 制作費4億円 興行収入15億だから、アウト。
『天空の城ラピュタ』 制作費8億に対して興行収入12億。もちろんアウト。
『となりのトトロ』『火垂るの墓』 制作費12億、 興行収入12億でアウト。
高畑さんが金使いすぎたからだ! とよく宮崎さんはいうのだけど、別に『トトロ』だけでもですね、どう考えても赤字なんですよ。
『魔女の宅急便』 ここからですね、ジブリの黒字が始まるんです。
制作4億に対して興行収入37億。これ、グレイト!
『紅の豚』 制作費9億。興行収入54億。グレイト!
『もののけ姫』 制作費21億。興行収入193億。グレイト!
たぶんこの『もののけ姫』でジブリのは大作主義になってしまった。
ハリウッドの映画会社が1950〜60年代に大作主義になって、ばんばん、倒産するようになったんです。
具体的にいえば、『クレオパトラ』って映画があるんです。
これ当時の予算で100億円はいかなかったんですけど、何10億円もした。 当時の何10億円ですから、今の何100億円っていうふうに予算使って、作っちゃった。
フィルムがぜんぜん仕上がらず、ヒロイン役のエリザベス・テイラーは、恋愛で色々いじけちゃって、トレーラーハウスから出てこず。
もうすっかり金がなくなってしまった。
制作会社のMGMは、本社の前に芝生があるんです。
芝生の中にスプリンクラーがあって、水まくんですよ。
ハリウッドって雨が降らないから、スプリンクラーで水撒まかないと芝生が枯れるんです。
でもその水を撒く金すらなくなって、MGMの芝生が全部枯れたという伝説があるんです。
ほんとに金遣いの荒い映画だったんですけど。
なんでハリウッドがそうなっちゃったのかというと。
それぞれの映画会社が、ものすごい豪華な作品を作って、どんどん大作主義になっていってしまった。
ちょうど10年くらい前のゲーム市場みたいに。 (途中データ消失)
たしかこの時は2回目の引退宣言だったと思うんですけど。
この時僕も大好きな宮崎吾朗くんが出てきます。
『ゲド戦記』 制作費22億に対し興行収入『77億』
77億ってすごくがんばったんですよ。
新人のアニメ監督ならまちがいなく合格なんですけど、ここがジブリなんですよね。
ジブリって金がかかっちゃうんです。
押井守さんがですね、鈴木さんに、ジブリどうするの?
あんたこれからジブリのアニメーター、リストラするんだろ?
リストラしても俺のI.Gはジブリのアニメーターなんか引き取らないよ。
お前のとこのアニメーターなんて、金ばっかりとって、ちっとも働かないじゃないか、と。 正確に言うと、すごい優秀なんだけど、別に日本でただひとりという優秀さではない
高坂希太郎はすごい優秀。
高坂希太郎だけだったらほしい。
でも別にジブリのアニメータークラスのうまいやつは、ジブリの払ってる金の三分の一くらいで手に入る。
そんなに欲しくない、と。
そうなんですよ。ジブリって金かかるんです。
『ゲド戦記』をよその会社で作ったら、10億くらいでできる。
でもジブリだから22億かかって興行成績が77億円だった。
当然アウト!です。 桜の花見に行くシーンは
ハイジとクララがおばあさんと
ピクニックに行くくだりやね ☆ 開演:19:00 「パンダコパンダ」「じゃりン子チエ」1話〜10話 高畑勲さんを偲んで lv313006543 >>697
叶精二氏のtwitterによると、献花会場のBGMに「天人の音楽」が使用されていたとのこと。 >>740
虎のふんどし〜ヒグマのパッチ〜ムカデの歯ブラシぶ〜ら下げて〜♪
じゃりん子ちえも高畑勲だったのか〜知らなかった 捨丸にも妻子がいるし
結局、この映画は、幸せはどこにもない事を現してるの? 宇多丸批評要約
市川昆の実写映画版の「竹取物語」は、最後に月に帰るのを臆面もなく
UFOとか出して「未知との遭遇」をパクッてます。
確かに迎えにくるところがメインだと考えるとそうなるのかなあって。
「竹取物語」を普通に解釈して映画化すると、
かぐや姫は宇宙人だったでしょうと、なるのかなあとは思います。
高畑版のかぐや姫の物語は、そんな解釈じゃなく、元々もとネタがあるんです。
それは阿弥陀二十五菩薩来迎図という絵があって、構図もそのままです。
それはかぐや姫が月に帰るんのではなく、あの世からのお迎えなんです。
月の世界っていうのは「死」なわけです。文字通りお迎えです。
死っていうのはつまり無の世界で、だからこそ完璧な世界。
対照としてこの世があるわけで、この世は「生」に満ち溢れている。
だからこそ、穢れ、醜さ、残酷、煩悩、不完全なこの世がある。 高畑監督は、それをアニメーションの根源の立ち戻って描き出してるんです。
つまり、ただの線とか絵であるものが「生」として動き出す、その驚きと喜びが
描き出されているんです。手書きの生々しさとか、滲んだ感じとかが、
渾然となって動き出しているんです。
「生」は、確かに穢れて汚らしい。
だけどだからこそ生きていて素晴らしいと感じる。
そういう世界観を表現するには、「アニメーション」で表す必要があったんです。
しかもあの絵、あの表現方法だったんです。
余白や余剰、普通だったら綺麗に修正するような、汚れや荒々しさ、
あの絵柄が必要だった、その汚れた部分こそがこの世であると。
そして生の喜び=アニメーションの喜びに繋がるんです。 物語が進行して、姫が都に行くと、「生」の滑稽さ、空しさが
フェミニズム的視点から、時にコミカルに、時に残酷に描かれていきます。
かぐや姫をみてもいないのに、ありとあらゆる美辞で求婚する様はコミカルであり、
彼女が自分がモノとしか思われていないと悟ったときの衝撃、
思春期に誰もが受けるであろう絶望の描写がものすごい。
それでここで終わらないのが高畑勲、ここから物語がさらに反転します。
かくや姫も含めて、ここではない何か、ここにはない何ををもとめ、
こうではなかった人生の幻を追っていることに気がつく。
帝の女になるという、この世の最高の場所にたどり着きながら、
そうではないと気がつく。
人生はこんなはずじゃなかったのにと思いながら、
必ず確実に、いやおうなく死はやってくる。
あのときあの人と付き合っていたら・・
そう思っても実際には現実がそこにある。
そして最後は誰もが死ぬけど次の生もあるんじゃないか。
という突き詰めた結果、生の肯定なんだと。
いろいろあっても生を肯定するしかないじゃないか。
最後に優しい主題歌でギリギリなんとなく救われた感じで終わる。 高畑監督は、この映画を誰にでも通じる普遍的な話にしている、
生まれて、育って、そして育てば育つほど、
こんなはずじゃなかったのにということが増えていって、
これもしたい、あれもしたいと思っても、でも死んでいく、
ていう話しです!
ていう話しを、竹取物語から読み取った高畑勲って
どんだけスゲーんだよ!
そういう絶望的な話だけど、無よりもなんかあるほうがいい
生があるほうがいいじゃない?
欺瞞に満ちた生を、それでも素晴らしい生を
最も最適なアニメーションという手法によって命にみちた形で表現した。
ありがたやー、拝んだほうがいい一作だと思います。
僕が言語化できるのはここまでです。
あとは音や絵、子供時代ながれていた旋律じゃないかな、
もろもろを見て感じてください。
少なくともこの一本に関して、これ以上求め得ようがないところまで
いってるんじゃねえかな。
とにかくスゲー、スゲーとしか言いようがない。
劇場でリアルタイムで見てください! >>743
子供たちと遊び、野山をかけて、老夫婦に慈しまれて暮らす。それが望んだ暮らし。かぐやの幸せ。 でもあの時代の農村部は日本昔ばなしみたいな牧歌的な暮らしはできないよね
飢饉、疫病、強奪、強姦、サバイバルだったでしょ かぐや姫の物語のテーマ性
捨丸みたいなヒーローとして描かれている人間が
いとも簡単に自分の家族、子供や妻や仲間を裏切って(かぐや姫と)どっか行きたいと思うんです
それは何かって言うと、10年ぶりに再開した懐かしい仲間やからと違って
今、目の前にいる、圧倒的に美しい女の前では
自分が持っている常識とか良識というのが壊れてしまうんですよね
これが罪なんですよ
美しいというものが、ここ世の中に存在してると言うことは
この世の中が辛うじて保っている
倫理とか、バランスとか、摂理みたいな物をトコトン崩してしまうと
で、それを高畑勲は、あっさりと描くんですね
まるで、二人の切ない恋愛みたいに描くんですけど
此処でやっている捨丸の、今まさに自分の子供や妻を棄てようとしている良心の呵責みたいな物はカケラも見せないで
かぐやもそれに対して、何ら罪悪感を感じない
知らんからというのもあるんですけど、罪悪感を持たない
で、それ以前に実は、数年前に、3年ほど前かな、
1日だけ再会したときがあって、
それはかぐや姫が、えーかげんお嬢様みたいな教育受けて、お姫様になって、牛車に揺られて都の街を行ってると
そこに偶然にも鶏泥棒している捨丸を見つけたと 捨丸は、ほんまは腕のいい山の中に住んでいる職人なんですけれども
仕事が無いときには泥棒もせなあかん訳ですね
そうやって食っていかなきゃならない
それで鶏盗んで仲間と一緒に逃げてる最中に
かぐや姫が牛車の中から出て来て”捨丸兄ちゃん!”って言って
”たけのこか?”って子供頃の名前で呼んで、出会ってしまう
そこで、見つめ合ってしまって、捨丸は結局捕まってしまってボコボコに殴られるんですね
本当に体に障害が出るのかと思われるくらい殴られる
それをかぐやは見ていながら、声をだして助ける事もなく逃げてしまう
で、てっきりこういう事をやったら、かぐやの中で罪の意識になって、最後の方で出てくるか?と思ったんですけど
台詞でやり取りがあるだけなんですね
それは何かって言うと
あのー、かぐやが”どっかの世界行きたい”て言うと
捨丸が”じゃあ、俺について来い””俺と一緒に駆け落ちしよう”と言うた時に
”うん、行く”てかぐやが言うんですよ
で、捨丸が”いいのか、それで本当にいいのか?俺と一緒に来たら、食えないかも分かんないぞ
木の根っこをかじって暮らす暮らしもするんだぞ、何も無い時は人様の物も盗むんだぞ!”と言った時に
かぐやが”うん、知ってる、捨丸兄ちゃん盗んでたもんね”
”あんな事が出来るのか!””私出来る!”
ルパン三世の逆ですね
あのー、クラリスが”泥棒は出来ないけれども、出来るようになります”と
世間知らずのクラリスが判らなくて言うたんじゃなくて
かぐやはそれが何を意味しているのか分かりながら、あのー、”泥棒できる”と言うですね
で、その時にかぐやが笑いながら”捨丸兄ちゃんあんとき捕まって殴られてたもんね”って割と他人事みたいに言うんです
僕、その台詞で”えっ!!”っと思って引っかかって
演出が簡単な高畑勲作品で此処で演出とかあったら絶対そこが声張るはずなんですけど、そうじゃない
かぐやはごく自然に”捕まって殴られてたもんね〜”て言うと
そしたら、捨丸兄ちゃんはかぐやに対して罪の意識を下げる為に
かぐやに対して”そんな事、気にしなくていいんだよ”と言う為に
”あ〜、それか〜、たいした事じゃないよ”って言ってあげるんですね、かぐやを慰める為に、ですね
私のおかげで、捨丸兄ちゃん見つかったね、そのおかげで殴られてたねって言ってたのに対して
かぐやは”捨丸兄ちゃん殴られてたね”って言うと
そうすると、捨丸兄ちゃんは”そんなのたいした事ないよ”って言ってくれるんですよね そしたら、かぐやがそれに対する、返す台詞が”そうだよね、たいした事ないよね”って言うんです
つまり、かぐやは自分の美しい事によっておきた罪に関して、何ら罪悪感を抱いてないんですね
でかぐや姫のメインプロットである、次々とプロポーズしてくる男性に、無理難題を吹きかけて
それでその男性が死んでしまったり、行方不明になったり、エライ目に遭うんですよ
で、かぐやはその度にへこみはするんですけど
なんでしょね、あのー、だからと言ってじゃあ誰か適当に言い寄ってくる男の人と結婚して
あのー、親を幸せにしようみたいな心の動きがまったくないんですね
つまり、彼女にとってみたら、自分の美と言うのは、私に対して関係なく与えられた物であって
それで周りが振り回されるのは勝手、私は私の生きたいように生きるって言う
美とわががまの中心点みたいな存在なんですよ
それに対して、周りがトコトン振り回されると
だから、月から迎えに来ると言うのは、言ってしまえば当たり前の事で
あんな災難みたいなもんを、地球に置いてたら
なんか月から迎えに来て回収に来てくれた、みたいなもんなんですけれども
”地球人としては有難い”みたいなもんなんですよねwwwww
そう言う、なんでしょうね、あのー、政治的な話でもあるし、思想的な話でもあるんですよね
その、自分が美しいという罪に関して、かぐやは無自覚だと言うことで
映画の見所としては、月からのお迎えの世にもエスニックなインド音楽
ディズニーのエレクトロニカパレードのインド版みたいな音楽は聴く価値あり
クレームは2箇所
振り向いたら地球が丸いwwww
そこはあかんでしょこれ、かぐや姫の世界ですよ
お釈迦様は雲に乗って飛んでくるんですよ、そのような物理法則が成立する世界で
振り返ったら地球が丸いのはまずいですよ
そこは明らかな、平安絵巻みたいなところにある、金色の雲がかかっていて、その金色の雲の向こう側に現世が見えないと駄目なはずなんですよ
そこをなんで科学やっちゃったのか?物理世界にしたのか
もう一箇所
月世界にクレータがあるんですよ、ちーがーうーだーろーwwwww
竹取物語が書いている月面はwwwww
それは確かに、争いも何もない、ピラミッドのない世界だから、平坦でモノクロでフラットな世界を描きたいという意図があったかも分かんないけど
平安時代の竹取物語の人々が伝えたいと思っていた世界感は、一面クレーターがある、真空の世界ではなくてですねwwwww
それなりの極楽浄土のはずやのにwwwww そこだけ変に科学的になってしまって、月にクレーターがあるわ、振り返ったら地球が丸いとか
そこんとはね、なんか、間違った科学やなーと思いました
月に兎があってもいいくらいの世界なのに、そうではなかったと言う所が不思議でした
あのー、なんだろーなー
かぐや姫が最後まで自分が美しいと言う事に関してその
それが罪である事に気づかずいていない事ですね
かぐや姫は月世界でつまり理想の世界で地球のいきものが生きているさまに
憧れをもってしまったから」、地上に落とされたんだと
それで地上に落とされた後、もうこんな汚い世界にいたくないと、帰りたいと
心から願ったからこそ、月から迎えが来て帰って行くんだと
これが、原作で書かれているし、今回映画化されたプロットなんですよ
この通り、忠実にやってるんですけれども、その
月から地球に落とされる時の罪って言うのが
”じゃあ、そんな汚い世界に、お前が月世界で持っている、我々が持っている、美しさその物をもって生まれたら、どんな思いをするのか、知るがよい!!”
って言うのがこの呪いなんですね、かぐや姫が受けた罰なんですよ
罰と言うのは、地上に住んだ事でもなければ、誰かを好きになった事でもなければ、この世界で生きた事、生きたいと願った事ではなくて
かぐや姫が生まれついて持っている美しさその物が罪であって
それが、そのスタジオジブリって言う天才2人をようするですね、高畑勲、宮崎駿の天才2人をようする会社が作ったアニメとしての面白さやと思うんですね 宮崎駿は、自分が持っている、天才性とかアニメを作る力っていうのを、美しさに対して向かっていく力だとして
それがたとえこの世界を荒廃させる事になろうとも、やっぱり俺は悪いけど
アニメをつくるしかないんだという言葉で語っているです
で、高畑勲は、こういう才能がこの世の中にあることが、果たして良い事なのか悪い事なのか分からない
そして出来た作品は、言い方悪いけれど、庶民の皆さんに分かるとも思わないけれども
あのー、これが僕の仕事で、こういう風なアニメを作るのがスタジオジブリの仕事です
と言うような宣言をしていると僕は解釈しました
その意味では大変興味深いんですけども
残念ながら、映画としては退屈で5回も寝ました
かぐや姫はけっこうエグイ話ですよね
で、かぐや姫って言うのは美とか人間の不平等と言うのがどのようにこの社会というのを壊してしまうのか
でもこの社会のダイナミズムというのは、その美とか不平等によって成立している
それは、かつて共産主義で皆が平等な世界を憧れて目指していたはずの高畑勲が
でも、アニメを作る俺達の動きそのものがこの世界の中の資本主義の不平等から生まれてるし
で、自分達がいくら先で平等な世界とか、太陽の勇者ホルスみたいな、
えー、社会革命、共産主義革命みたいな事をやろうとしても
それを見に来る人は、資本主義の中で人を騙したり、鶏を盗んだりして儲けた金で映画館に来る事には変わりないって言う、なんか、そのー
今になって出た、高畑勲の共産主義者、かつて社会運動をしていた人間の総決算みたいな話やな
それは、平成たぬき合戦ぽんぽこの頃から、たぶん自分達が社会運動をやってた事の決算をやろうとしてるんですけど
かぐや姫でまったく分からなくプロテクトがかかったと言うか
全て隠しおおせた上で、えー日本全国で公開する事に成功した訳ですね
ネタばれもクソもない、お話は本当に原作その物です 水彩画が動き出したような画面だといっても特に感動はしないんだ
むしろ構図の妙を追求した映画のほうが感心されるんじゃないの 僕のアイディアというのは、罪を犯してこれから地上に下ろされようとしているかぐや姫が、期待感で喜々としていることなんです。
それはなぜなのか。地球が魅力的であるらしいことを密かに知ったからなんですよ、きっと。しかしそれこそが罪なんだと。
しかも罰が他ならぬその地球に下ろすことなんです。
なぜなら、地球が穢れていることは明らかだから、姫も地上でそれを認めるだろう。
そうすればたちまち罪は許される、という構造。それを思いついたんです〉
ただしこれはあくまで前提で、暗示に留めようと考えていたのだそう。
ところが、企画の鈴木敏夫が「姫の犯した罪と罰」というキャッチコピーを思いつき、高畑監督の反対を押し切って通してしまった。
そのために、チラシで説明を増やし、本篇も少し直すことになった。
インタビューを担当した中条省平はこう問いかけている。
〈人間的な感情や欲望があり、さまざまな色に満ちている人間界というものがそもそも罪なんだということですよね。
しかし、すべて純潔で清浄な月世界にとってはそれは罪だけれど、当の人間にとってはかけがえのないことであって、その罪や穢れも含めて現世を肯定しようという意志を感じました〉 これに高畑監督は「まさしくそういうことです」と答えている。
しかし「肯定」というのは微妙な言葉で、「こういうものなんだ」というある種の諦めや絶望も含んでいるように思える。
月の世界の住人が予想していたとおり、かぐや姫は人間界で「幸せになる」ことができず、心の奥底から地上での生を否定してしまう。
小さなころは「地上での喜び」を噛み締めていたはずのかぐや姫は、成長するとともにどんどん窮屈になっていく。
彼女を取り巻くのは「女の幸せは結婚」「女は結婚してこそ価値がある」という(平安時代でも、そしておそらく現代でも変わらない)価値観と、
かぐや姫を「女」として品定めする男たちの視線、そして娘の幸せを願うあまりに娘を不幸にしてしまう父(竹取の翁)の愛情だ。
彼女は心の底から「月に帰りたい」と思ってしまう。それと同時に、同じくらい「帰りたくない」とも思う。
この世は美しく、豊かだが、つらい。でも好き、でもつらい。希望に満ちあふれているが、同じくらいの絶望に縛られる。
かぐや姫はきっと、月に帰ったあとも、(かつてかぐや姫が地上に憧れたきっかけの「羽衣伝説」の天女のように)地上の歌を涙を流しながら歌うのだろう。
また違う月の住人が地上に憧れをいだき、そしてつらい思いをして帰っていく……。月の世界の住人に死はないが、愛とつらさが循環していく。
「かぐや姫の物語」は、本当につらいお話だ。 年齢付きでコメみたくなる映画だな
人生経験を積んでる人ほど響きそう
逆に若い人は希望に溢れて後悔もまだそんなにないだろうからつまんなく感じるだろうな >>759
前回もノーカット
今回もノーカット
ジブリとの契約でジブリ作品はノーカットみたい 宮崎や高畑でない作品はエンディング切られることが多い
おまえオンエア見てないな? 今回放送のCMのタイミングいいね
前回はセンスのない記憶があった、エンドロールも2画面で最悪だった。
カットアウトしてエンドロールで終わる意味分かっているのかな、と これがアニメーションとして優れてるのかどうかはわからないが、もう何万回も読んだり聞いたりした物語を、ここまで新鮮に感動的に作り上げたことに驚いた 地球に生きる人間達の多様な感情は月の民からみると汚らわしいものなのね
だから地球に憧れた民はワザと地球に落として現実を見せつけて苦しめたのかな
なかなか面白い解釈だった この作品初見だけど
泣いたわ
ボロ泣きだわ
高畑勲マジありがとうございました 悲しい気持ちで泣くのもあるけど、
それ以上に感動する気持ち、あったかい気持ちが溢れて泣いてしまうんですよ。 空飛ぶシーンは捨て丸兄ちゃんとめっちゃセックスした暗喩でLA? 人は浮き世の穢れの中でしか生きられないが、それはそれで愛おしくかけがえないことなのだ
ってメッセージはまさに今そのただなかで悪戦苦闘中の大人には今さらというか陳腐に取られるかもな
むしろ老い先短い年寄りには「色々あったけどなんだかんだ生きてきたんじゃ」と響くかもしれない
子供にはさすがに難しいだろう >>770>>773
それは違うと高畑が否定してるぞ
西村にそう見えますよと言われてそう見えるだろうねとは言ってるけど
>>744
宇多丸の分析は的確だな
それと比べて岡田は相変わらず阿呆だ
作品を利用して己をよく見せることしか考えていない糞中の糞だ 公開時にも思ったけど、コレはもう日本アニメーションが到達した一つの極点だろう…ジブリというか日本映画史上最高傑作の一つだよ。こんな凄い映画他に無い。余りにも刺さりすぎて、おいそれと観れるもんじゃないな… >>751
長文連投うざー ブログでやりなさいよ… ・この世はいろいろゴチャゴチャしてるところだけど、だからこそ生きることは素晴らしい。
・ただし、貴族的な生活とか、他人の言いなりのお人形みたいな生き方は、生きる実感に乏しいのでよくない。
・貧しくても自然とともに生きるのが人として正しい生き方であり、本当の幸せ。
(だったら黄金や着物を竹から出しさえしなければいいのに)
「おもひでぽろぽろ」も全く同じだった。「OLやめて東北の農家の嫁になれ」
「平成狸合戦ぽんぽこ」も。「自然豊かな時代はよかった。開発で自然が失われていくのは悲しい」
ただただサヨクにありがちな薄っぺらいエコロジーバンザイが高畑の思想の全てだったとしかいいようがない
それ以上どんな深読みのしようがあるというのか? すごい手間をかけてるといっても色がスカスカで逆に手を抜いているように見える >>763
月から迎えがくる直前にCM入ったのはがっかりだった
あそこは連続で見ないと 鈴木の「姫の犯した罪と罰」ってキャッチコピーは合わなかったな
あとCMでも番宣でも姫が月夜に爆走するシーンばっかり流させて「すごいアニメ!」って宣伝してたのも最悪だった
そこをクローズアップされたから当時は「罪って何だったの罰ってなんだったの?えっすごいシーンはあれだけ?」って感想が多かった
鈴木は理解できてないんだろうなあの映画 >>779
もともと日本の美術や絵師が好きだから全然そんなこと思わん
予告のジュラシックパークやズートピアの方がはるかに安っぽい画だと思った
ゴチャゴチャうるせえ絵だな!安っぽすぎて見てられねえ!ってな ID:xAQ1ICH+
なにこいつ長文考察がうざいんだが
岡田斗司夫か? >>761
サンクス.
エンドロールって、映像加工してるの? どうも文字が小さすぎると思った。 >>784
本物のエンドロールはスタッフクレジットだけだよ
左側の物語を振り返る映像はテレビ局が勝手に付けたもの 天の羽衣で強制リセットされたはずの姫が地球を振り返って涙を浮かべるシーン
未練たらたらの人間くささが残ってたな
これ帰った月でまた童歌を歌ってそれを耳にした第2第3の姫が興味を持って地球刑に処せられそう
最後に月に映った赤ん坊はそういう連鎖の意味にも見えたな まだ解釈が定まってない本作品
岡田斗司夫の解説が待たれるね >>783
デブの信者か本人か、火垂るの墓のスレにも延々あのデブの有料チャンネルPR文投下してく奴が沸いてて困っている 『かぐや姫の物語』は、高畑監督から宮崎監督への挑戦状だった!? >>770
女房子供を簡単に捨てる、捨て丸兄ちゃん。 昔は多産だしあの後捨て丸兄ちゃんは何事もなかったように嫁と何人も子供作るんだろうな 最後飛んだとこって琵琶湖?海?どっち
どこなんだいあそこは 添える言葉を重ねるほど聴く耳を立てる者の気持ちを逆立て大袈裟な評価だと作品の価値を濁してしまう。しかし、一眼写せば見る者の言葉を奪う。
作品に命を宿す事の出来る人がこの世にどれだけいるのだろうか。 >>796
ネットで感想や考察を漁ってもこの手の内容の無い糞ポエムしか出てこない
ホメるならホメるで自分の言葉で他人に伝わるように具体的にホメてみろ >>6
“かぐや姫の罪とは、「愛を試したこと」なんかではない。
姫自身の視点から見れば、姫の罪とは、自分の意志を持ち、周りの期待に添う言動ができないことだ。”
…この手の勝手にフェミ文脈にこじつけて自分の思い入れを投影してるだけの「考察」もよくあるのだが
「かぐや姫の罪と罰」=濁世に憧れ、そこに転生したことそのもの ってそのまんま作中で説明されてるのに何言ってるんだか。
「人生は思うにまかせない。生きることは汚辱にまみれることだ」「でも、だからこそ生きる意味があるんだよ」…
はぁ、そっすねとしかいいようがない月並みな説教。 躊躇なく妻子捨てようとする捨丸って一番のクズでしょ それぐらいかぐや姫が美しかったわけで
それがかぐやの罪なわけでしょ
捨丸ごとき抗えるわけもなく 捨丸兄ちゃんって、妻子持ちでしょ?
ただのクズ野郎じゃん。 今観終わった。
養子成金や、捨丸兄ちゃんの野望が達成されなくて良かったわ。 >>775
仏教の死が無の世界で完璧な世界というのも
何をさしているのかよくわからん話だけどね
あれを阿弥陀如来ととらえていいのか
それを模した何かというのかもわからん >>801
やんちゃなDQNは
1000年も前から居たんだな かぐや姫って激情型の性格だし
捨丸に妻子いるって知ったらすごいことやらかしそう >>775
なんだ監督が否定してるのか
初めて見た時はそんな風に思わなかったし
ネットでそういう意見見ても「そういう解釈もあるのか」程度だった
でも今回感想を色々見てたらそう言ってる人が多くて
やっぱりそうなのかと信じかけてたよ
妻子捨てるのもアレだけど野外でしてることにも引くから違うみたいでよかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています