かぐや姫の物語 34 [転載禁止]©2ch.net
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活躍した実在の人物が登場していることも本作品の特徴である。
5人の貴公子のうち、阿倍御主人、大伴御行、石上麻呂は実在の人物である。
また、車持皇子は藤原不比等とされ、
不比等は天智天皇の落胤との説があり、
母の姓が「車持」であるためといわれる。
石作皇子のモデルは多治比嶋と推定され、
多治比嶋が宣化天皇の四世孫で、「石作」氏と同族だったためである。
この5人はいずれも壬申の乱の功臣で天武天皇・持統天皇に仕えた人物であることから、
奈良時代初期が物語の舞台だったと考えられている。
つまり、「今は昔」と9世紀後半から10世紀ごろの平安時代前期で書いている竹取物語の作者からすると、
「昔」は8世紀前半のの奈良時代初期がモデルなんですね。
里見八犬伝や忠臣蔵などを見るに現代劇を描く時にちょっと昔の人の話に置き換える作法は日本文学にはよくある手法なんですが。
(シェイクスピアも似たようなことをしている)
で、原作は文字文章だし、そんなにはっきりと奈良時代とか平安時代などの建築や衣装の描写もしていないのだが。
アニメーションでははっきりと平安時代の衣装習俗建築文化として描いています。
何で平安時代になっちゃったんだろう?
原作では平安時代から奈良時代を「今は昔」として見て、作中のエピソードから 生死の観点はバックグラウンドに抑えられてるからな
阿弥陀二十五菩薩来迎図があの中では特に強くそのバックグラウンドを出してる部分。
だから「なぜ仏様?」って疑問が出るのは普通だし、「なぜ?」って思わせることがこの作品全体の色。
絵が淡く、簡略化されてるのも、疑問からの答えを見いだすための、想像力を促すためのもの 市川コンですら陳腐なSFにするくらいのアイデアしか思いつかなかった
日本で映画化はそれだけ
高畑は原作のよさを生かしつつそれを世界中にアピールする普遍的な物語に一変させた
この功績は日本映画史に残ると思もちろんアニメーションとしてのすばらしさは言うまでもない
「ご来迎」を正面から取り組めるSFX・VFXがありゃなあ
島倉二千六の描く背景を背に綿で作った雲にのった天人がワイヤーワークでやってくるのかと
どんな民話・説話・伝説も産まれたときは、その時代の「現代的」だったんだよ
時が研ぎあげて今ある形に落ち着いたのだろう 宮崎は蝦夷(朝廷外部のアウトサイダー)を描いたが
高畑は木地師(朝廷内部のアウトサイダー)を扱ったということか
もっとも高畑もホルスの時代からアナル文化等に興味をよせていた
奈良時代以降に西日本に蝦夷が残っていたとするのはなかなか難しいため
高畑は漂白民である木地師を選んだのだろう で、原作の帝が格好いいのは姿を消したモノノ怪そのものであるかぐや姫を討伐するのではなく、和歌を交わしたところ。
和歌はそれまでの貴公子とも何度か送っていたが、姫から送信したり何度も返歌を送ったのは帝だけ。
ここで、それまでの貴公子で恋愛をテストしてきた姫の伏線が生きるし
帝が姫を引き付ける力が権力や腕力ではなく「気高さ」や「言の葉」として描かれているのも感動的。
かへるさのみゆき物うくおもほえてそむきてとまるかぐや姫ゆ
(行幸からの帰り道は憂鬱な気持ちでいっぱいだ、これも私の命令に背いて一緒についてきてくれないかぐや姫のせいなのだよ。 )
御返事を、
葎はふ下にもとしは經ぬる身のなにかはたまのうてなをもみむ
(雑草が生い茂る貧しい家に育った私などが、玉で飾り立てられた宮殿で過ごすのは身分違いというものですよ。 )
和歌を送られた後かぐや姫の美しさに他の女性に興味が失せた帝はかぐや姫の御もとにぞ
御文を書きて通はさせ給ふ。
御返りさすがににくからず聞こえ交わし給ひて、おもしろく木草につけても御歌を詠みて遣はす。
「雑草が生い茂る貧しい家に育った私などが」と自分を卑下しているかぐや姫に対して
帝は植物の話題で三年間文通するんですよ!
アニメの御門は草木花から遠い成金趣味として描かれたけど
原作の帝はおもしろく木草につけても御歌を詠みて遣はす。
尊い!!!国の長でも、草木花を愛する心があるのだ。
で、割とラブラブになったところで、(帝とはその後一回も再会してないのに)
かぐや姫は月を見ては憂鬱そうになる。
かやうにて、御心を互ひに慰め給ふほどに、三年(みとせ)ばかりありて
春の初めより、かぐや姫、月の面白う出でたるを見て、常よりももの思ひたるさまなり。
ある人の、『月の顔見るは、忌むこと』と制しけれども、ともすれば、人間にも月を見ては、いみじく泣き給ふ。
七月(ふみづき)十五日(もち)の月に出で居て、切にもの思へる気色なり。
これでかぐや姫が月に帰る前兆となるのだが。
『月の顔見るは、忌むこと』がなぜなのかと言うとそのまま歳月の移り変わり
すなわち死の予兆を意識することだからだ。
八月十五夜の帰る時に、かぐや姫は養父母に「かの都の人は、いとけうらに、老いをせずなむ。思ふこともなく侍るなり。
さる所へまからむずるも、いみじく侍らず。老い衰へ給へるさまを見奉らざらむこそ恋しからめ」と「自分は老いることが無いのだが老いるあなたたちを看取れなくてつらい」と言った。
求婚者が現れた時に「何で人間は家族を作って子孫を残すの?まずそこがわからない」と言った姫が「老いを看取れないのは辛い」
と言うの、本当に成長を感じさせるし泣ける。
アニメ版は「子供時代が尊い!大人はクソ!」みたいな描き方だったのに
原作だと「人は死ぬからこそ大人になって子をなすのだ」ということを不死の宇宙人が学習する話になっている。
そして、かぐや姫が月に帰ることになった理由がアニメ版と全く逆だとわかる。
アニメ版は「帝に抱きすくめられて、大人になりたくない!ここに居たくない!帰りたい!」とテレパシーを送ったからと高畑監督は言うのだが。
原作ではむしろ「歳月の流れ、老いていく人を止められないから辛い。翁と媼と、そして御門の命が縮まるのを待つのが辛い」
という短命な時代の人らしい哀しみを感じたんじゃないか?それを実感させるのが姫に対する罰だったのではないか?と私は思う。だから姫は帝に再会せずに文通だけにしたのではないか。 かぐや姫はなぜあそこまで里山の自然にこだわったのか
昔のことは忘れて都の生活をエンジョイするのもありなのでは?
でも終盤でかぐや姫は月の都で聞いた歌とそれへの憧れを思い出したと言う。
そこでやっと自分が本当にやりたかったことを自覚するわけだな
里山のような自然の恵みに憧れて地球にやってきた。
だから都の生活には馴染めなかったと
じゃあ最初からそうやって生きろよと思うかもしれないが
かぐや姫は赤ちゃんに生まれ変わった時におそらく記憶も消えてしまっていた。
だから子供の頃は月の歌の歌詞だけはちゃんと覚えていたが
その意味や自分の憧れにも気づいていない
無自覚なまま生きていたわけだ。
それが都で苦しんで苦しんで最後の最後になってやっと思い出せた レッドタートルが大コケしたそうで、毎度のことだが高畑ェ… んなもん鈴木敏夫の問題だろう。
過去にも海外アニメーション作家作品をジブリは上映しているけど
「最新作」みたいな売り方をしていなかった。
パクさんはアドバイスをしただけで実制作にはノータッチ。 東京モーターショー2016で話題になったダイハツ美人
https://t.co/zSARhqVckB
【見逃し注意】スーパーフォーミュラ第6戦のレースクイーン画像50枚!
https://t.co/OvstHqhpKH 久しぶりに見たけど最後はやっぱり号泣してしまうな
生きる実感ねぇ
食って寝て仕事行くだけで生きる実感ある俺は志低すぎ 岡田は寝ていてこの作品まともに見なかったと言ってた奴だからな。 特集 アニメーションとしての『かぐや姫の物語』西村義明プロデューサー
インタビュー第3回 コンテ作業の長い旅 | WEBアニメスタイル
── コンテの段取りとしては、例えば高畑さんがラフを描いて田辺さんに渡すとか?
西村 いやいや、そういうレベルじゃないです。例えば、高畑さんが「あの……竹ってなんで光るんでしょうかね」って言い始めるんです。
── え?
西村 で、僕が「いや、だって『もと光る竹なむ一筋ありける』って原作にあるじゃないですか」と言うと、高畑さんが「竹の光源ってどこにあるんですか」と。
「光源は、姫じゃないんですか」「いや、かぐや姫が光源だとしたら、竹を光が貫通するんですか」って。高畑さん、自分で脚本を書いてるのに聞くんです。
── (笑)。
西村 「光、貫通しないですか」と言っても、高畑さんが
「いや、貫通しません。この竹はまず孟宗竹じゃありません。真竹です。真竹であっても、皮がこんなに分厚いんですよ。だから、姫が光源だったら光は貫通しません。つまり竹は光りません」。以上。
ここでコンテが止まるわけです。
── それはコンテ打ち合わせ中に言い出すんですか。
西村 言い出して、考え始めるんですよね。どうやって竹を光らせるか。
仮に、姫を光源として光らせたとしても、節と節の間しか光らないはずだとかね。
こっちとしては「アニメなんだから、光ればいいじゃん」って思うんですけど(笑)。
でも、悩み続ける。2ヶ月ぐらい考えてから、言ってくるんですよ。
「分かりました。光源を外に持っていって、外から光らせましょう」って。
どういうことですか? と聞くと、
筍の先端に姫がいて、そこからボワッと光が発していれば、そばにある竹の根本が光って見えるはずだと。
「もと光る竹なむ」になるはずだ、と。
── ああ。
西村 ホントに「ああ」としか言いようがないですよ(笑)。
考えるところはそこじゃないだろ!!!!!!
ナレーションを原文で行くのか、おばあさんにさせるのか、ナレーターはナレーターとして同じ声だけど別人として割切るのか、そこら辺の演出判断や切っ掛けが全然できてない。
どうも「最初の『いまはむかし、たけとりのおきなといふ〜』はみんな知ってるだろうから入れた方が格好がつくだろう。でもその後はどうせみんな知らないから適当に原体語で喋らせとけ」という気分が見えてきて、本当に、本当に、憎い。
視聴者をバカにして舐めてるんだよ
あのインテリは 大伴大納言(宇崎竜童)は寝所から起き上がってきて、
『お前たちが竜の首の珠を取ってこなかったのは良いことだ。
竜は雷の類であるから、その珠を取ろうとして大勢の人々が殺されるところだった。
まして竜を捕らえようなどとしたら、私などはあっさりと殺されていただろう。お前らも捕まえなくて良かったのだ。
かぐや姫とかいう大悪党が私を殺そうとしたのだ。今はあいつの屋敷の近くも通りたくない。お前たちもあの家の周りを歩くんじゃないぞ。』とおっしゃり、
屋敷に残っていた金品を、竜の首の珠を取ってこなかった家来たちに与えてしまった。
これを聞いて、離縁されていた元の妻たちは、腹がよじれるほどに大笑いした。
屋根を葺いた五色の色鮮やかな糸は、鳶・カラスが巣を造るためにくわえて持って行ってしまった。世間の人々は、
『大伴の大納言が竜の首の珠を持って帰ったようだ。』『いや、そうではない。(海の嵐で遭難して)ただ両眼に二つのスモモのような腫れ物が出来ただけだ。』などと噂をしていた。
『あな食べ難(あぁ、そんなスモモは食べられやしない)』と言ったことから、世間の評判と実際の姿が合わないことを、『あな耐え難(あぁ、おかしくて笑いを我慢できない)』と言い始めたのである。
と、武士の部下や船を危険に晒して「あの女は魔女だ!」と言いだして、離縁されていた妻や世間の人はその言葉を真に受けずに笑う。
だが、石上中納言が大勢の部下を率いて燕の子安貝を取りに行って事故に遭って死ぬ。
死ぬ前に
中納言は子供のような幼稚な振る舞いをして腰骨が折れたことを、
世間に知られたくないと思い、隠そうとして気疲れしてしまい、更に病気が悪化して弱っていった。日にちが経つにつれて、子安貝が取れなかったことよりも、
人から笑われることを気にするようになり、ただ病気で死ぬことよりも恥ずかしいことをしてしまったと思って悩むようになった。
これをかぐや姫聞きて、とぶらひにやる歌、
年を経て 波立ち寄らぬ 住の江の まつかひなしと 聞くはまことか
とあるを読みて聞かす。いと弱き心に頭もたげて、人に紙を持たせて、苦しき心地にからうして書き給ふ。
かひはかく ありけるものを わび果てて 死ぬる命を すくひやはせぬ
と書き果つる、絶え入り給ひぬ。これを聞きて、かぐや姫、『少しあはれ』とおぼしけり。それよりなむ、少しうれしきことをば、『かひあり』とは言ひける。
5人の貴公子は同じようにダメになっていくんじゃなくて、どんどん世間の評判や巻き込まれる被害者の数や金額が5段階で増えて行って、ついに石上中納言が死ぬ。最初は恥とか料金踏み倒しで済んでいたのが、貴族が事故死するという最悪の穢れを巻き起こす。
また、かぐや姫は逆に内面で人間に対して心を開くというか、男が自分の前でどうなるかを学習していく。それで、最後に中納言に見舞いの手紙を送る。(中納言が一番身分が低いのに一番最後で、また唯一姫に同情されたというのも批評的である) フェミの人は
「真面目な話をすると、あの帝のデザインっていうのは別に本当にアゴの長い人をバカにしてるわけじゃなくて、
「そこ以外はハンサム」っていうとこが重要なんれすよ。
別に鼻でも歯でもなんでもいいの。「見た目は綺麗に整っているけど何かが狂っている」っていう人間の隠喩。高畑勲はそれ判ってるんれす。」
https://twitter.com/C4Dbeginner/status/576405753616969728
って言うんだが。
あー、それを揶揄って言うんだよ。
世界が「食わせる側の都合」で動いていること、大量に生産し効率的に供給する側の論理で動いていること。
そしてその結果「そうでない人」に深刻な結果が生まれること。高畑勲の天才的な演出が観客に教えるのはそのようなことれす。
1935年生まれ、まもなく80歳。天才としか言いようがないれす。
https://twitter.com/C4Dbeginner/status/5765154552186634
いや、御門へのかぐや姫の主観的な嫌悪感を描写するために「こいつは見た目が変だから嫌っても当然だからね」「権力者って言っても成金の延長に過ぎないんだからね」
と揶揄するのを手段にするのは、下手くそな演出だと思う。
ターンエーガンダムのグェン・サード・ラインフォードはイケメンじゃないですか。
でもクズじゃん。
顔の見た目ではなく行動で「グェン卿はディアナ様と同じ道を歩まれる方ではないようですね」って見せるのが演出なんだよ!
なんでパクさんが8年かけて、16年前の富野由悠季が出来たガンダム程度の演出ができないんですよおおおおっ!!!
パクさんは人間国宝レベルの表現者なのにorz 普通は外出するときに化粧をするもんだがかぐや姫は化粧を落としてから外出するんだな
いかにも姫らしくて好きなシーン
高畑はやはり素晴らしい才能の持ち主だよ。
高畑監督ボロクソに言われてて笑った
人格破綻者、誰も彼の事なんか信じてない、作品を完成させる気ないとか…
西村さん顔が疲れてたわ
駿「人格破綻者」
西村P「誰も彼のこと信じてない」
鈴木「作品を完成させる気がない」 多摩丘陵の開発を進める人間に「化け学」を駆使して挑戦する狸たちを描いた高畑監督作品『平成狸合戦ちんぽんぽこ』が公開されたのも、この年の夏であった。
そして、この頃から毎年のように日本各地の博物館や美術館で、妖怪画を中心として妖怪文化に関する展覧会が開催され、多くの人々を集めるようになった。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150802-0004430-gend 久石譲は観客を煽ったり登場人物の心情を説明するような音楽は一切いらないと言われたらしい
これがかなり衝撃的でそういう演出の考え方もあるのかと
普通はテレビでも映画でも音楽は煽りと心情描写のためにあるのに
高畑としては作り手の意図を観客に押し付けず観客が自由に映画に入り込めるように作ってるんだろうな
監督失格だよな
受け身の観客が多い昨今ではハードルが高い要求だろうが陳腐な発想だったわ ようつべにあるJAXAの月の映像見て思うけど
あーいうところから地球眺めてたら行ってみたいと思うんだろうな
月は何もないから幸せだろうけどなんやかんやある地球の方が楽しいっていう
かぐやの気持ち考えると…深いわ〜 今日は雨で見られないが、昨夜の月は天人の音楽を流したくなる
雰囲気だったなぁ。次の地上波放送はいつだろうな。 アニメのかぐや姫では最後が石作皇子の正妻の怒り→石上中納言の死の知らせ、となっている。で、ヒステリーを起こして箱庭を壊す。
つまり、恥をかくイケメン→死んだ知らない人→箱庭の破壊、と、アニメのかぐや姫は内向して幼児退行していっているんですね。
原作のかぐや姫は男女の恋愛ゲームを通じて「人間社会とはこういうものか」と、男たちを破滅させながら学習して人間的になって行っていくんですが。
アニメのかぐや姫は
「本来の人間社会で必要なことは全部子供のころの砂場で思い出にしかないんだ!!!」って幼児回帰していく。
そこで、ミカドの登場となります。
アニメの御門は「色んな男を振った女はつまり国王である私のことが好きなんだな」
と、能天気に思い込む。視野の低い王様として描かれている。
原作の帝は
「多くの人の身を徒らになして合はざなるかぐや姫は、いかばかりの女ぞと、まかりて見て参れ」
と、内侍中臣房子に命じる。
さすが、帝なので自分では動かずに女の部下を使って見させる。ここで、帝が恥を捨てる恋愛バカではなく、順序立てて動く配慮のある人と見るか。
あるいは、流行を作り世相を騒がし人死にを招く女に対して、国家の長として「私がなんとかせねばならんのか」と
恋愛ではなく政治的な危機感で興味を持ったとみるべきか。
で、房子がかぐや姫の顔を見ようとして怒る。
内侍、
『かならず見奉りて参れと仰せ言ありつるものを、見奉らではいかでか帰り参らむ。国王の仰せ言を、まさに世に住み給はむ人の、承り給はでありなむや。言はれぬことなし給ひそ』
(姫を見ないままでどうして帰れるでしょうか。国王のご命令なのに、この国に住む人間が、その命令を聞かなくても良いというのでしょうか。言われたことをきちんとしなさい。)
と、詞(ことば)恥づかしく言ひければ、これを聞きて、ましてかぐや姫聞くべくもあらず。
『国王の仰せ言を背かば、はや殺し給ひてよかし』(国王の命令に背いているというのであれば、早く殺して下さっても構いませんよ)
ここで、もう恋愛がどうのと言う話では無くて、秩序を破壊するばかりか新しい文化をもたらすかぐや姫は「違う国の元首の襲来」として帝に立てつく形となる。天皇制とかもう古いしな。
「私は違う国の貴族なので、日本人の国王の命令には従わない。使者であるお前は私を殺せるものなら殺してみよ」と挑発している。
原作のかぐや姫がなんでこんなにプライドが高いのかはよくわからないのだが
「生まれながらに美しい」と同じく「生まれながらに気高い」ということだろうか。クソジャップ。
そこで帝は『多くの人殺してける心ぞかし』『多くの男を殺したという強情な性格だけのことはあるな。』
『この女のたばかりにや負けむ』『この女の謀略に負けて諦めてたまるか』
と、秩序を維持する高貴なるものの義務としてかぐや姫に対する。
同時に「男としての意地」も芽生えてくる。
「女を支配する男」の社会権力の構図じゃなくて「女なんかに社会を壊されてたまるか」
と言うわけで。イザナギンイザナミミンの古事記の神話とも同じく「女性の乱暴なエネルギーへの畏れ」がある。 「かぐや姫の物語」
これは感想が要らない物語というか作品だと思う。
一言言うなら、この世界で生きることは残酷で辛いし汚い部分もあるし傲慢さもあるけど、それでも生きる価値がある世界であるという訴えを感じる
天上楽土(月の世界)ではそんな「業」自体(概念すら)ないのだろう
そして「かぐや姫の物語」が凄いところは、あれが完璧なシンデレラストーリーだということ。
貧しい生まれの少女が周囲の誰からも愛され、やがて一国の王から身も世もなく求愛される。
少女漫画の王道であるにも関わらず、これほど多くの人が「何の救いもない」という。誰も「かぐや姫いいなあ」と言わない
娘を一番ちゃんと分かってるのは母親で、父親の理解は的外れだよなぁって。ひしひし感じて辛かった。
あとは感想としては、映像や表現はさすがジブリって感じがした。
最後の別れのシーンはあと60秒くらいやられてたら号泣したけど、泣く前に姫が月人になってしまってちょっと残念。
そこ以外は楽しめて見れたかなー それでいろいろ本を借りてきて調べてみたらかなり面白いことがわかった
例えば竹取の翁はもともとプレイボーイという設定だったとか
原作は残ってないらしいが逆にいろんなバリエーションがあって面白い
のある描写のギャップがよかったな
おてんばだった姫が眉を抜かれてじっと我慢しながら涙を流すシーンとかゾクッとした
相当つらかっただろうがあの毅然とした振る舞いには胸を打たれたわ
高畑監督は素晴らしいな オリジナルキャラクターの捨丸は木地師です。
轆轤(ろくろ)を用いて椀や盆等の木工品を加工、製造する職人。
轆轤師とも呼ばれる。
9世紀に近江国蛭谷(現:滋賀県東近江市)で隠棲していた惟喬親王が、周辺の杣人に木工技術を伝授したところから始まり
日本各地に伝わったと言う伝説がある。
(ソースはウィキ)
やっぱり奈良時代じゃない…。
奈良時代には木工用のろくろは無い!
平安時代を描くぞ!という確固たる意志があって捨丸を出したんだろうか?
しかし、惟喬親王から木工技術を伝授され
また木々を伐採することも許可されていた特殊技能一族の木地師の捨丸が
都で盗人をするほど落ちぶれたりするのも説得力が無いし。
落ちぶれた後にまた木地師の一族に復帰しているのもおかしい。
まあ、十歩譲ってかぐや姫の物語のアニメ版は平安時代が舞台、ということにしましょう。
だが、ここで問題なのは平安時代が長いってことです。
原作が書かれた9世紀ころが舞台とします。
ですが、姫がお歯黒や引き眉を嫌がるのは『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」から来ている。
で、『堤中納言物語』は平安時代の後期、12世紀ころに成立したものなんですね。虫愛づる姫君の(父親の)モデルは蜂飼大臣と呼ばれた藤原宗輔(1077〜1162)太政大臣なので平安時代の最後の方の人。
いったいいつなんだよ!!! かぐや姫の物語の正直な感想としては、キャッチコピー負けしてるな…ってトコかな…
キャッチコピーで期待したものではなかった。ただなんの先入観もなく竹取物語を期待して見たら最高だった!
幸せってなんだろうと考えさせれれました。元々、ハッピーエンドではないお話ではありますが・・・なんか、悲しいというかむなしいというかそういう感情が強いですね。
絵は自分は好みでした、女童がかわいかったです
宗教的な話になるけど、
命が尽きるという事は、生きた喜怒哀楽の全ての記憶から解放されるが、この世との別れはやはり悲しいものなんだなと思った。
男がこき下ろされてるのは原作からしてそうなので気にならなかったが、帝のキャラデザはいったいなんなのか、あんなん絶対笑ってしまう。 サマリー
・ダメな点、1.第一声がダメ
・ダメな点、2.時代背景がダメ
・ダメな点、3.感情移入のさせ方がダメ
・ダメな点、4.台詞が致命的にダサい
・ダメな点、5.和歌の使い方がへったくそ
・ダメな点、6.恋と命の熱さが無い(御門や男をバカにしている)
・原作の素晴らしい所!!!!
ダメな点、1.第一声がダメ
「今は昔、竹取の翁といふ者有りけり。野山にまじりて、竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば讃岐造(さぬきのみやっこ)となむ言ひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。」
有名な、みんなが教科書でならう古文の一説ですね!
なんで、おばあさんがナレーションをやってんの????
まず、その段階でダメ。
で、その後ナレーションのおばあさんはなんとなーく何の理由もなく現代語を喋るようになり
「この不思議な赤ん坊はおじいさんとおばあさんの手で大切に育てられることになりました」
「しかしその明日は姫にも捨丸にもくることはありませんでした」とか言う。
は????
古語か現代語かどっちかにしろよ!
だいたい、ナレーションはどういう立場なんだよ?
なんで原作にないこともナレーションしてるの?なんで後半はナレーションが減って女童が噂話を聞かせてるの?
明らかに脚本を書いてる期間が長すぎて途中で演出プランが変わってますよね? 久しぶりに来たら荒らしがまだ活躍していて驚愕。
何年続けているんだコイツは
2年?3年?
イカれてる 「となりのトトロ」や「もののけ姫」でも美術を務めた男鹿和雄さんです。
高畑勲監督の「この映画は虫と草の映画です」という説明のもと男鹿さんが丁寧に描きこんだ植物や生物の美しさは必見!
男って押し付けがましくて気持ち悪いよねって話には見えますよね。
こんなんなら飛行機馬鹿の方がよっぽどマシだよねってくらい次から次へと残念なやつしか出てこない。それはもう、そういうもんなんだっていう高畑監督の基本設定なんだろうなと思った。
だって捨丸に関して言えば所帯さえ作ってなけりゃどうとでもなるところまでイイセン行ってたじゃないですか。
もちろんわからんけど時代設定的にあの捨丸の年齢で所帯がないって設定は異常だとかそういうのはあるかも知れないですけど
そこはもう無視してさえおけば気兼ねなく二人は一緒になれたはずなのにってことに一旦できたじゃないですか
最終的に月に帰っちゃうにしてもちったぁ良い話になるんじゃねえのとか思うんですけどそうはしないわけですよね。
多種多様な気持ち悪い男のラインナップを取り揃えようってコンセプトで考えた時
そりゃ純粋な気持ちではあるんだろうけど後先考えず所帯を捨てて添い遂げようとする男っていうのも気持ち悪い男どもの品目の一つとして絶対必要だったんだろうなって思う
と同時にかぐや姫が最後にちゃんと添い遂げたいと思った相手の男が何の後ろめたさもなく身軽すぎるのもあかん、かぐや姫が苦しんでるぶん男も何かしらの業を背負ってないとかぐや姫に申し訳が立たんみたいな
そういう高畑監督の気持ち悪さもあるのかなぁとか感じました。 昨年「文藝春秋」12月号に掲載された宮崎・高畑・鈴木の鼎談では、
『かぐや姫の物語』の感想を尋ねられた宮崎は開口いちばん、こう話し出す。
「『かぐや姫』を観たときにね、長く伸びた竹を刈っていたでしょう。
筍というのは、地面から出てくるか出てこないときに掘らなきゃいけないんじゃないかとドキドキしたんですけど」
作品の感想を訊かれているのに、竹の話。高畑は「真竹だからあれでいいんですよ。
孟宗竹だったら宮さんの言うとおりなんですけど、
当時、孟宗竹は日本にはまだ入ってきていない。ちゃんと調べたんです(笑)」と
どっちでもええええええねねねんんて!!!!!!! かぐや姫の物語で描かれるのは十二単を着た高貴の姫君のしきたりに反発するかぐや姫…。なんだが。
そこがおかしい。
『竹取物語』は平安時代(9〜10世紀頃)に成立したと推定されている日本最古の物語文学。
遅くとも平安時代初期の10世紀半ばまでには成立したとされ
通説は、平安時代前期の貞観年間 - 延喜年間、特に890年代後半に書かれたとする。
元々、口承説話として伝えられたものが『後漢書』や『白氏文集』など漢籍の影響を受けて一旦は漢文の形で完成されたが
後に平仮名の崩し字に書き改められたと考えられている。
作者は、
源順、源融、遍昭、紀貫之、紀長谷雄、他に文章博士などを歴任し、仁和2年(886年)から仁和6年(890年)まで
竹取の翁の名・讃岐造と同じ讃岐国の讃岐守に遷任したことがあり
自身の出生も余呉の羽衣物語で語られる菅原道真など数多くの説が提唱されている。
とwikiに書いてある。
で、ちょっと調べたり注釈つきの古典分を読むとわかるように、五人の貴公子にはモデルがいる。
竹取物語には壬申の乱で活躍した実在の人物が登場していることも本作品の特徴である。
5人の貴公子のうち、阿倍御主人、大伴御行、石上麻呂は実在の人物である。
また、車持皇子は藤原不比等とされ、不比等は天智天皇の落胤との説があり、
母の姓が「車持」であるためといわれる。
石作皇子のモデルは多治比嶋と推定され、多治比嶋が宣化天皇の四世孫で
「石作」氏と同族だったためである。
この5人はいずれも壬申の乱の功臣で天武天皇・持統天皇に仕えた人物であることから
奈良時代初期が物語の舞台だったと考えられている。 それと花見であんなにはしゃいだ後でさっと日よけ帽をかぶってしまうシーンとか
悲しくて仕方ないときほどあっさりとした無感情な態度になってしまう
赤毛のマンコがこの家にいられないなら外の木々と仲良くなっても仕方ない
と言うシーンがあるが高畑はこういう演出は本当にうまい 都の新居で姫がはしゃいでペタペタ走り回るシーンは可愛かったな
トトロを思い出した
他にもいろいろ駿リスペクトなシーンがあったな
手のひらサイズの姫はポニョみたいだったし
パクりじゃなくて自分なりにうまくアレンジして取り入れてるから違和感がない
やはり駿に肩を並べるのは高畑だけだ まぁそんなこんなで、普通に面白い話だなー、1000年生き残ってる話はやっぱ強度が違うわなーとか思いながら観てた
そうそう結論としては「めちゃめちゃ面白かった」になるんですけど
僕の中で「めちゃめちゃ面白かった」っていう結論が確定したのは、月の人たちが迎えに来たシーンなんですよね。
というか、あの月の人らの奏でる音楽です。あれはちょっと、鳥肌じゃないんだけど、あのシーンが来た瞬間、ブワッってなりました。あいつら、全然おもんなさそう。あんな音楽で迎えに上がってくる奴らの住む月、全然おもんなさそうじゃないですか?
僕は「きついわ〜」と思って、自然いいよね四季いいよねとか言うてる時にあの感じでどや顔で来られたら嫌じゃない?
せっかく虫の声に耳を傾けてたのに改造マフラーをバオンバオン言わせてやってくるシャコタンみたいな
僕は月の奴らにそういう印象を受けたんですよね。そしてそこから田畑主導による地球の歌?の大合唱。
全然関係ないけど伊集院光はデブだからデブの声やるのうまいな〜と思って観てたけどw
田畑智子はデブじゃないのにデブの声うまかったですね。
不思議ですね。で、そう、あの、月の奴らのもう全然おもんなさそうな「こういうの楽しいやろ?な?どう?こういう音楽、めっちゃ楽しいと思わへん?」と言わんばかりの月の奴らのおもんない歌と、地球の童どものあの歌。
あそこのコントラスト?がなんか堪らなかったのでこれは良い物語だったなと思った。
あと、よくよく観終わってから思い返して気付いたんですけど
かぐや姫が赤子から一人前の女になるまでの一連が描かれてる本作なんですが、かぐや姫の挙動の端々にジブリっぽさというか宮崎駿っぽさが感じられて
ポニョっぽかったりキキっぽかったりナウシカっぽかったりする瞬間が全体通して織り込まれている印象があった
それで最後あのザマなんで、「宮崎駿の理想の女性像みたいなのを体現したって女性は碌なことになりませんよ」
っていうのが高畑監督の見解なのかなと思った。俺もあんな女いねえし、いても碌な男が寄ってこなくて大変だろうと思う。 石上中納言は真面目で素直な人に見えたんだがなんで死んでしまうん?
かぐや姫への贈り物でツバメの家壊そうとしたから? 僕が作ったらこういうストーリーにした
http://ncode.syosetu.com/n5884dz/ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3) 本作のメイキング映像見ると、宮崎駿の「引退会見」のときに
高畑勲は「(アニメーション作家に)引退なんてないですよ」
みたいなことを言っていたけど、ちゃんと当たったな。 >>648
原作通りだから
>>650
無理やりハッピーエンドとかディズニーかよ
原作レイプも良いとこ >>650
これはこれで面白い
ただかぐや姫の髪色を変えたのは蛇足 傑作映画、アカデミー賞はこれとソング・オブ・ザ・シーの二強だった(通例通りディズニー映画がかっさらいましたが)
話は基本的に原作を踏まえているようですが、特に絵が素晴らしい、あの空間の捉え方と使い方は本当にレベルが高い、一般人はあまり理解してなくて残念、これこそ日本アニメーターが誇る職人技術だと思う よく「罪と罰はなんだったの?」という疑問があるが
かぐや姫の罪と罰ってキャッチコピーは、鈴木が勝手につけただけなんだろ?
高畑はそれを受け入れてなかった 話にケチつけてる奴がいるが(特に終わり)、原作を踏まえてるんだからしょうがないだろw
高畑がやりたかったのは書かれていない部分だからな 2013年上映ってもうそんなに経つのか
あれからどうしてもコレ今見なきゃ後悔するってアニメは出会えなかったんだが
久々にこれを見たいと思った
https://www.cinra.net/news/20170626-lovingvincent
ゴッホが振り向くところ ゾクッとする 最後がかぐやで本当によかったよねえ高畑監督
最後の最後でまた傑作を産み出せて本当によかった
4年経ってしみじみ思うわ 食わず嫌いだったけど結構面白かったな
あの製作費は無いわと思ったけどね
山田くんの時も感じたのだが荒波のシーンは凄い迫力だよね
興行的にはさっぱりだし作品としても賛否あるとは思うが
ずっと残る作品だと思う 「竹取物語」以上ではないことは事実だが、薄いとは言えんよ。 なんちゅう切ない話なんや…失って初めて大事なことに気付く話やな。
生きねば。 あと原作読みたくなった。原作者は何が言いたくて作ったのか。 今気になってるゴッホの映画
https://www.cinra.net/news/20170626-lovingvincent
油絵のアニメとかチャレンジ精神は凄いなと
ただ100人以上の画家が携わってるもんだからシーンごとにクオリティの差がw
描き込みの時間足りなかったのかおばあちゃんがやらかしたイエスの修復画レベルのも正直あったり 月光条例にもかぐや姫は登場していたね
もちろんチルチルミチルと鉢かづき姫も 「捨丸兄ちゃん クズ」が検索候補に出てきて笑ってしまった 金ローの二年前に録画したやつなんとなく今更見たけど
退屈するのかと思ったが飽きずに見れたな
所々笑えたし絵は流石だわ そういや朝倉あきは見かけないなって思ってたら、「四月の永い夢」って映画で主演してたんだね
ただし、金の無い映画みたいでクラウドファンディングで上映の為の資金集めているw
変わりなくって安心したわ 中秋の名月記念カキコ
この季節の満月見ると「天人の音楽」思い出すな。 かぐや姫がなんのために地球に来たのか全くわからないや
不幸をふりまくだけ?このお話自体なんだったんだ・・・と呆気にとられた 米映画サイト選出「最も悲しい21世紀の映画20本」に「かぐや姫の物語」
http://eiga.com/news/20171114/11/
米映画サイトIndieWireが「最も悲しい21世紀の映画20本」を発表。
高畑勲監督の「かぐや姫の物語」(2013)が選出された。
同サイトでは「目利きのシネフィルたちはときに良質な涙を求めている」と述べ、
涙なくしては見られない20本をセレクト。「アイラ・サックスや高畑勲、
アスガー・ファルハディといった当代随一のフィルムメーカーたちの代表作」から、
ハリウッドの大ヒット作まで、「胸が痛むような人生経験の中に美しさを見出す」作品がリストアップされた。
「かぐや姫の物語」の選出理由は、ハッピーエンドではない結末に加え、
「天から色が降り注ぎ、途方もなく素晴らしいパレードで終わるのだが、
その美しさのすべてが描かれている出来事をより一層悲しくさせる」と説明されている。
米IndieWire選出「最も悲しい21世紀の映画20本」は以下の通り。
「愛、アムール」
「ブロークバック・マウンテン」
「フルートベール駅で」
「アリスのままで」
「Keep the Lights On(原題)」
「ブルーバレンタイン」
「かぐや姫の物語」
「ラビット・ホール」
「ムーラン・ルージュ」
「ハッシュパピー バスタブ島の少女」
「きみに読む物語」
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」
「人生は小説よりも奇なり」
「レスラー」
「マンチェスター・バイ・ザ・シー」
「つぐない」
「ヘルプ 心がつなぐストーリー」
「ミリオンダラー・ベイビー」
「別離」
「ビッグ・フィッシュ」 上のオリジナルサイト
ttp://www.indiewire.com/2017/11/saddest-movies-of-the-21st-century-1201896115/ >>636 1年以上前にレスするのもあれだが
おじいさんは姫の幸せを考えず、一方でおばあさんはおじいさんと違って優しく寄り添っている
という意見が多いけど
おばあさんは姫の好きにさせてるだけでおじいさんと大差ないのよね
未来の事も現状も考えてないし ものすごい映画を見せられたと思った
これって人間の一生を描いてるんだろ?
生まれてきて初め純粋だった子供が
成長するにしたがって汚れを知りながら汚れていく
やりたかった夢も現実の前で諦めていく
こんな人生のはずはなかったと思っていても時は無情に過ぎてやがて死んでいくって言う....
KY天人が怖すぎだった
仏教における解脱、悟りを開くことって感情を殺す 人格そのものをなくすことなんだな
なんか想像してたのと違う教えで結構ショックだったよ 高畑さんの平家物語が見たいよ
だれか金を出してくれ! 金もさることながら、田辺修に代わる人材連れてこないと…。
田辺さんが人殺しは絶対描かないといって平家没になったんだから
あとは高畑さんに数年単位でつきあえるプロデューサーがいる。 『ポプテピピック』第10話でかぐや姫のパロディシーンがあったな
パクさんに報告じゃ その後の本編のタイトルに「罪と罰」というフレーズ使ってるから
合わせたんだな。
パロディシーンは冒頭いきなりだったから吹いた。 アニメーターの問題もあるけど、あの長い平家物語を映像化するとなるとどれくらいの時間の作品にするつもりだったのかな?
2時間くらいではとても清盛の出世から平家滅亡までたどり着かないと思うんだけど まさかの三部作とか 絶対最後まで作られないよな....
かぐや姫でさえ8年かかってるのに.....だが見てみたいよ むかしむかし、あるところにお爺さんとお婆さんがいました。
お爺さんは山へ竹取りに、お婆さんは川へ洗濯に行きました。
お爺さんがいつものように竹やぶに入ると、
そこで見たこともない光輝く竹を見つけました。
これはきっと高く売れるとオノを振るってみると、なんと中から
ちいさなちいさな、驚くほどかわいらしい女の子が現れたではありませんか。
お爺さんは面倒なことは嫌いだったので、さっさとその場を
立ち去ろうとしましたが、女の子はお爺さんの服をつかんで
離しませんでした。ずるずると家まで引きずっていき、
とうとうお爺さんは根負けして、洗濯から帰ってきたお婆さんと相談し、
しかたなくその子を自分たちの娘として育てることにしました。
数カ月後、お爺さんとお婆さんは、そのことをさんざん後悔するハメになるのでした。 サマリー
・ダメな点、1.第一声がダメ
・ダメな点、2.時代背景がダメ
・ダメな点、3.感情移入のさせ方がダメ
・ダメな点、4.台詞が致命的にダサい
・ダメな点、5.和歌の使い方がへったくそ
・ダメな点、6.恋と命の熱さが無い(御門や男をバカにしている)
・原作の素晴らしい所!!!!
ダメな点、1.第一声がダメ
「今は昔、竹取の翁といふ者有りけり。野山にまじりて、竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば讃岐造(さぬきのみやっこ)となむ言ひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。」
有名な、みんなが教科書でならう古文の一説ですね!
なんで、おばあさんがナレーションをやってんの????
まず、その段階でダメ。
で、その後ナレーションのおばあさんはなんとなーく何の理由もなく現代語を喋るようになり
「この不思議な赤ん坊はおじいさんとおばあさんの手で大切に育てられることになりました」
「しかしその明日は姫にも捨丸にもくることはありませんでした」とか言う。
は?
古語か現代語かどっちかにしろよ!だいたい、ナレーションはどういう立場なんだよ?
なんで原作にないこともナレーションしてるの?なんで後半はナレーションが減って女童が噂話を聞かせてるの?
明らかに脚本を書いてる期間が長すぎて途中で演出プランが変わってますよね? モモへの手紙と、ゼロ・グラビティについて。
ゼロ・グラビティでは、ラストで水中から浮かび上がり、大地に感謝していた。
ももへの手紙では、ラストで空に感謝し、海にダイブして浮かび上がった。
偶然とはいえ、どちらも同じシークエンスを採用している。
魂の再生と感謝の気持ちを表している。
これが、近年、映画芸術がたどりついた、精神性をモチーフとした場合の観客に語りかけるべきテーマである。
かぐや姫はどうか?
ラストの別れのシーン、じじばばが、「一緒に連れてって」と泣いて懇願するところで、
かぐや姫は「お許しください」とだけしか言わない。
そこは、どう考えても「今まで育ててくれてありがとう」じゃないの?
やっぱりね、ちょっとずれてるんだよね。感性が。
別れを惜しむかぐや姫に、天女は「月に戻れば、この世の穢れも拭い去られましょう」と諭し、
かぐや姫は「穢れてなんていない!」と講釈をたれる。
「この世は彩りに満ちている……(うんぬんかんぬん)」
果たして、その言葉に説得力はあるのか?
観客に何が伝わるというのか?
かぐや姫が言い終わると羽衣を強引に着せられるかぐや姫。
監督もいっぱいいっぱいだったんだね。
監督自身も「この世は穢れてなんていない」なんて、かぐや姫の言葉は信じていないんだよ。
天女のほうが正しいと思ってるわけだ。
でも、一応映画としてまとめるために、オチをつけるしかなかった。
その苦肉の策の結果が、あのトンチンカンなラストシーンですよ。
もう一度、簡潔に言うよ?
かぐや姫が「今まで育ててくれてありがとう」と感謝しないのは作劇的に間違ってる。
そして、じじばばが「かぐや姫のおかげで、幸せなひと時を過ごせた」と感謝を返すべきなのに、それも無い。
上記の台詞が、あると無しで、どちらが美しいドラマと言える?
観客は、ただ後味悪いものを見せられただけ。酷い駄作だ。
監督は他人に感謝するということを日常的にしない人なんだろう。
だから違和感も感じず、こんなラストシーンを作ってしまうわけだ。
かぐや姫には感謝の気持ちが無い。
どうも、かぐや姫を見ていて、違和感を感じていたのは、つまりそういうことなんだ。
自然に対して人の心を育むうんぬんと賛美するような台詞は多いが、
具体的に人に対して「ありがとう」という台詞が、かぐや姫では無いんですよ。
いのししから助けられたときも、かぐや姫は「ありがとう」とは言わないし。
最初に言葉として言わなきゃいけない場面だろうが?
男がケガをして包帯まいてもらっても、ありがとうとは言わない。
「ありがとう」という言葉はとても重要なのに、普段から意識しないで言えるような人間は少ない。
だからこそ、他の映画では重要なシーンで「ありがとう」と印象的に言わせている。
観客に感謝の気持ちを表すことの重要さを思い起こさせている。
かぐや姫も、そのモチーフから考えれば「ありがとう」という言葉を印象的に使わないといけないのに、
無いってのが、ダメダメだよなあ。
そもそも「ありがとう」という言葉によってドラマが帰結するものなのに、それが無いってことは、
ドラマが無いというのと等しい。
高畑は、根本的に作劇をわかってないんだよなあ。
「ありがとう」が何回出てくるか数えてみたけど、
屋敷で、自然を象徴する庭をもった時、桜の枝をもらった時、の2回か。
そんなに自然(自然を慈しむ自分)が大事か?この脚本はちょっと歪んでいる。
脇役の口から発せられる感謝の言葉は、全て皮肉でしかなく、観客は共感できないよね。
「かぐや姫の物語」に違和感を感じなかった人は、
監督と同じく普段から他人に対して「ありがとう」と言わない人なんだろう。 なんか変なのが湧いてきたな
1人でありがとう連呼してれば良いんじゃないだろうかw 黙ってたけど、かぐや姫の物語な、表現としては最高に評価しているけど
物語としてはインテリ左翼のダメな部分が出過ぎていて大っ嫌いです。
なんだよ、あの御門の露骨に差別的な顔。あの不自然に長い顎。
色んな人がいて、キャラクターの顔を声優を戯画化したものに似せて書いているのだが、
御門だけ、中の人よりも数倍顔が長く、気持ち悪い成金趣味のキンキラ金の権力者としてわざとらしく書いてある。
本当に、インテリ左翼が帝王に対して抱く理屈が先走って、キャラクターを歪めている
月に帰すための段取りとして、「御門を生理的に嫌う」って言うのを入れて、その説得力を「顔の気持ち悪さ」にしているのが、本当にストーリーテリングとしてダメダメ。
そして、やはりこの映画は高畑勲監督の自己中心性のせいで原作の魅力が全く失われた駄作になっているというしかないと思った。
高畑勲「かぐや姫の物語」についてのCDBさんのツイート - Togetterまとめ
CDB @C4Dbeginner 2015-03-13 09:50:29
うわ、今夜の金曜ロードショーは高畑勲の「かぐや姫」なのか!
みなさんこれ必見ですよ!
批評家が当時ビビってメディアでほとんど言わなかったけど
完全に天皇制とフェミニズムがテーマなんだから
隠喩とかカルスタ的な深読みとかじゃなく
直接「帝の性暴力と女性性の収奪」が描かれる超名作れす
↑アホかwww
もちろん、フェミニズム的な要素は入っている。だが、描き方が致命的にダメで。
「天皇=文明=男=権力=性=暴力=悪!」
「姫=自然=女性=弱者=被害者!」
って思考停止して雑に描いているのが本当に本当にクソ。
だいたい、「現代に通じる人間ドラマが〜〜〜」とか言って、現代の問題を昔の人にやらせるのは卑怯でしかないだろ!昔の人は昔の人の環境と文化で生きてるんだ。それを踏みにじって「かぐや姫の物語には現代のフェミニズムの要素がありますね〜」とかふざけているのか? 捨て丸の存在があるからどう描いても帝は悪役にならざるおえないんじゃないの?
帝=都の世界=非人間的な世界になるからな
姫の描いてた人生は自然の中で自由に生きる生き方なわけだし真逆の存在が帝と京の暮らしな訳だから 作画監督の小西賢一って今どうしてるんだろう?
wiki見ても2014年以降の仕事が見当たらないんだけど… 駿にとりついていた寄生虫が死んだから、これでジブリ再開できるんじゃないか 訃報があってきたら煽りコメしかないのか、ひどいな。
「お別れの会」ではぜひ「天人の音楽」を流してもらいたい。
でもやはり『平家物語』は見たかったなぁ…(泣) 超久々に来てみたら長文荒らしは未だ書き込んでたのか....
ファンすら殆ど書き込まない過疎スレでここまで暴れられる精神力は尊敬する しかし次回作を気長に待ち続けるつもりだったのに残念だ 本当に遺作になってしまったなあ 残念だ
平家物語は見て見たかったよ
ご冥福をお祈りします 最後の方の捨丸と姫のフライングシーン、凄いな。
イマジネーション溢れる映像だ。
100年後でも「かぐや姫」のデファクトスタンダードとして見続けられるだろうな。 久石譲の音楽としてもこの作品は至高だよね
もっと色々な作品で組んで欲しかったわ 個人的にはジブリの全作品の中でベストなのはかぐや姫だったんじゃないかと思う
日本の古典的な昔話という作りだと例えばもののけ姫とかも素晴らしいけど
あれは設定がかなりいじられていて日本に見えないんだよね
たたらばの連中が銃を持ってたりハリウッドの時代劇みたいで.....なんか違う感がすごい 岡田斗司夫ゼミ4月15日号「本当は10倍怖い『火垂るの墓』〜アニメ界の怪物・高畑勲監督追悼特集」
00:00 オープニング〜注目映画盛沢山
?? 01:40 本当は10倍怖い『火垂るの墓』
?? 06:21 視聴者からのお便り 09:01 冒頭5秒の謎
?? 19:40 見逃しがちな重要なカット 24:25 クレショフ効果
??29:58 冒頭5秒がすごいパート2
?? 35:09 『仕事道楽』
??41:13 高畑勲は見る人に悩んでほしい
?? 42:55 『火垂るの墓』の意味とは
?? 50:00 なぜ清太と節子は2人なのか?
?? 54:05 オモテ放送エンディング
実は後半も面白いwww
https://youtu.be/1YD51SO3s2k ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています