信じるって何でしょうか
たとえば、論理的推論に「信じる」という概念を差し挟む余地は無い
強いて言うならば公理は推論規則を信じているのかもしれないが、
それも「これが正しいならばこうなりますよ」といった程度、ルール設定であって「信じる」というよりは「正しいと仮定する」というべきものだ
それでももしかしたら誰もが信じているが誰も気付いていない公理や推論規則があるかもしれないが
仮にそのようなものがあったとしてもそれは「信じる」という概念を超えている
そもそも「信じる」という言葉は不確かなものにしか使わない
信じない事ができるようなものだからこそ信じる事ができるのだ
そのような余地のないものは「信じる」ではなく「知ってる」という事になる
たとえその情報が間違っていたとしてもだ