イデアメルウイルスペクティヴ
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ぼくは、この世に生まれてきたとき泣かなかった。
約10時間の空白の間にいったい何を感じていたのだろうか?
生と死の狭間で、自分が生まれることを択んだともいえますが
実は、そんな単純な公式ではなさそうに見える。
従って、生まれてきた理由は認めるとしても生きる意味はないことを如何に偽りなく許容できるか否かの問題です。 ぼくの想像する意思力は自分自身を助けるでしょう。
必ず自分にはできるということよりも手にしたいものは何ひとつない。
なぜかって、それがあらゆる未知のはじまりだから。
たとえばぼくがもしバイリンガルになった時、世界中のたくさんの人たちと友達になれる。
とても好きなことは頭の中でメロデが流れ出すとき。
でも、ぼくは全然楽しめない。
長い間、ぼくは夢から覚めることなく、己のひとつの現実を無きものにしてきました。
ぼくの計画は毎日が楽しく、心充たされた生活をすること。
その信じることの強さと行動の循環は自分の内に秘められた想像からやってくる。
ああ、そうだね。
でも、自分にはそんな処世術めいた魔法なんか効かないのさ。 あなたの特異点に至る周波数は何だ?メル。
逆回転するレコードのように真の答えを知ってるあなたは
夢の中で聞こえた旋律に身を委ねながら、このままずっと目覚めないことを祈ってるぼくと同一だった。
そう、天国も地獄もぼくの中にはなかったんだ。
おそらく、二世紀後の人類たちでさえも、ポジティヴとネガティヴの差なんてゼロに等しいだなんて誰も信じてない。
なにもかもがくだらないからこそ、単なる脳なしのままで死にたくないよ。
せめてもの償いとして奇跡を授けてみせたかったんだ。
どうか、君の信じた近未来における既成間外定項の限界さえ超えてみせてよ。
あらゆる実体のイデアには相似形質の病理への許容があった。
ぼくはなにものでもない世界の象とひとつにして同時に再び唯一の過ちを侵す。
自ら死に近づく人たちは皆夢半ばにして目覚めることさえできずにいたんだ。
そうさ、闇は愛の一形式であった。
嗚呼、どうか我が精神の中心に新しいバイヴを注いでおくれ
どうせいつか肉体を捨てる日がやってくるんだ
さあ、時よ止まれ。 自らの未来を書き換えるために
巣食らいノイズの放射による誇大妄想狂と錯乱さえも収斂し尽くす自意識のブッ飛んた宇宙のバイヴを放て。 いつ死んだって別にいいのに傷つくのが怖くて気が失せていきます。
でも、どうせうまくいくと思えないと理性が保てない。
そう、矛盾してるのはよく理解できた。
どう転がっていこうが、毎日ハッピーなんか信じてない。
ぼくの乗ってる中古のワゴン車は走行距離13万キロ位で自分用じゃないし、燃費悪すぎる性能のやつだけど、
高級車なんか、ただの鉄の塊じゃないか。
せめて、車運転するときぐらいは平常心を保ちたいものだが、
それは周りを巻き込むことになるからに過ぎない。
ていうか、常に死ぬことを忘れたかのように意識してる者の方がずっと不自然な情態であろうに。 あなたは、あらゆる情感と噛みつく覚悟が残っているか?
恍惚と失意の海に漂白された関数が透明な底を見つめるとき
ぼくは痙攣しながら踊ることしかできない。
なぜなら、本来の自分は神の子ではなくて、先鋭的ビートの亡霊だからだ。
それ自体が宇宙に愛された偽ものによるシンボルでありながら
しかも、超遠近法の摂理としての異で編める関数が割りきれたときでさえも
ぼくの希望は常に裏切る永遠
ぼくの未来は常に遅れる永遠
そう、この嘘だらけの世界でずっとブッ飛んでいたいだけ
紛いなりにも天国になろうが、そうできない人たちこそが狂気に咽び泣くというわけか。
自分のいない世界が想像できない?
あまりに人間的とはいえ、
なんて浅薄なアイディアなんだろう。 天才の定義は人によって様がわる。
どんなに控えめに言っても天才という個人のは比較してはじめて見えてくるものだから、
天才というものは単に幻想にすぎず、
あくまで自分と比べて優れてるからそう思えるだけのことであった。
努力に勝る天才なし。
という言葉にある通り、どれだけ他人よりひとつのことに集中して取り組んできたか
そのような視点であれば、認めざるを得ないのだけど、
従って、天才として生まれてきたというのも実は誤りで、後から作られたものである以上、偶然の連なりによる必然の此の世には予め非才しかいなかった。 とにかく逃亡中のフリースペースで色んな曲を耳にしたな。洋楽邦楽問わず。
当時はアーティストも曲名も知らなかったけど、三浦大知の『Be Myself』がよく流れていて、これはヒットする(した)だろうと思えた数少ない邦楽の一曲だった。
つい最近になってMV観たけど、80年代のデュランデュランみたいな爽快さがあるな。
あと、同じく米津玄師の『Lemon』もよく流れてた。
正直、あまりなにがよいのかよく分からないね。
ビジュアル的に斬新というより歌詞の世界観が共感されてるからだろうけど、
容姿だけなら他に似た感じの人たちがわんさかいようから。
『Lemon』は、4.3億回再生されている。
(世界トップクラスの再生アーティストは、約40億〜60億回)
先の一曲だけに限るとして、三浦さんと再生回数において、約75倍もの差があるとは驚く外ないな。
どちらも紅白出場歌手みたいだしさ、
果たして、知名度にそれほどの開きがあるのだろうか。
個人的には、『Lemon』より『Be Myself』の方がずっと気に入ってる。
まあ、音楽性も似てるかのようで世界観はどうも違うわけだし、端から比べる方がどうかしてるのかもしれないね。
ふたりとも天才と持て囃されてるのは言わずもがなだが、自己愛の塊で頭がイカレてもいない限り、
本人らはおそらく自分でそう思ってもいなかろう。 とにかく共有しようが孤立しようが同じ絶望の別の無間地獄に堕ちていくのは必然さ。
さようなら、メル。ぼくの心の友よ。
うん、もうこれ以上悲観することさえも疲れてきた。
あたかも予め絶対が相対と同時性だなんてアイディアとしては新しくなくなったしさ。
いや、とりあえずその通りという答えはありえないよなあ。
それとも奇跡は一切信じなくていいの?
ねえ、この世の諸事実すべてがぼくへの返答だと完全に断定したって誰も困らないはずだ。
あなたには、他者からの思いを受け取る視角がないのか?
もしや、これらすべてが、まやかしのスペクトラムならば自由度の完全方程式なんか即刻ゴミ食らえだ。 かつてのぼくが「時間は実在するか」と考えていたのも実のところ
まったく「自分の時間」を生きていなかったことの証であった。
ぼくは過去を信じない。
そして未来も信じない。
従って、今も無きものになりける。
それでも、今だけのたった一点にすべてが見えるから、ぼくがいなくても世界は回るんだ。
いつしか真実になることが叶えることに完全に等しい人たちにとっては全く不釣合いな公式さ。
そう、自分の望んだ通りに夢のはじまりがやってくるから、すべて現実になるという意味でなら、
なにもかも既に完璧に叶っていたことを認められるかどうかだけのこと。
どんなに不条理で白痴な諸事実を突きつけられても己自身の在り方以外、変えようとしてはならない。 我が負の連鎖に到達点はあるのか
或いは、絶対不確定数のダークマターになりたいのか。
無数の瞬間に抉り取られるメルトの憂鬱
そう、世界は常にフラットだった。
ぼくは白昼夢の国家に針を落とす。
君の核心を震わすぼくの痛みの欠片で造られる。
未到の吐く血に流離う眼球からオルタナティヴステイツへ
あなたはこの世でたったひとりの、あらゆる情感の秩序を司る象徴なのさ。
まるで誰ひとりとして燃え尽きたことがないかのように愛してごらん。 今の自分を救うために一点の曇りのなかった過去を思い出すこと。
価値観、常識、問題、悩み、怒り、憎しみ、悲しみ、病気
これら潜在意識に植えつけられた不要な感情すべてを手放す。
なぜなら、人は皆この世を去るとき、心以外持っていくことができないからだ。
そう、この現世のおそらく99%以上の人たちが手放すことができない諸事実の総体がそのまま鏡に反映されてるだけのことだった。 騙される方が悪いという嘘だらけの世界よ、さようなら
この昨今、詐欺なんて、ネットオークションで悪質なケースがまがり通ってるじゃないか。
一般人でさえ、無自覚なのが相当恐ろしいね。
あたかも正常を装ってますけども。
ていうか、転売なんて出来ないように各ネットサイド独自の特殊通貨で取引するようにすればいいのに。
金になるから不正が起きるわけだしさ。
元製造先からは紙幣で買えるが、転売に関しては特殊通貨しか適用できず、使用条件も限定されるようにしてほしいね。
なんだか面倒な手続きになるし、ますますわけわからないか。
ま、別にいいや。
むだな悪あがきは、即刻やめた方が宜しいかと。
騙された方が悪いという論理には虫酸が走るよ。違いますか?
ええ、無知と過信に対する治療をお薦めしますね。
おれおれ詐欺にしたって、技術的に可能かどうかはともかく、通話の際に当人の顔認証
というかテレビ電話完全義務化を徹底すれば、仮に当人でなくとも理性的に処理できた場合は先ず騙されようがなかろうに。
しかも、記録にすべて撮られるわけだから、もしも怪しくなければ堂々と素性をあかすはずであって、
複数で騙す手口にしても、いくら演技力が優れていようと当人らの個人認証を最優先に実践して頂きたい。
騙される側の人間の身になれないことは即刻病に解した。
先ずもって、殺人と傷害に違いがあったのか。
元々、違っていると考えたこと自体に問題をぶつけています。
罪にさまざまな階層があるのも悪人の生成には一役買っているしな。
ますます深刻な影響をもたらすのだろう。
詐欺による心の傷の代償は無期懲役で支払って頂きたいものだ。
罪の意識すらない薄ら頭には分相応であると思う。
まあ、いずれにせよ、人類の欲動には止めどが効かないようだから、どうあがいてみても撲滅には程遠いのかな。 まるで自分に言われたかのように、良かれと思って移動しようとした挙げ句にスペース行き止まりになってしまった。
まぁ、少しでも見えるところをキープしたかったのは本音ですよ。
気まずくないふりはしたけど、あの選択ミス以来、媚薬の記録はすべて売り払ったよ。
わざとかどうかまでは分かりかねるとはいえ、脳天に一撃され、足まで蹴られた。
ぼくはずっと全く気にしない態度を貫く。
まあ、その後いっさい謝ることなかったから多分わざとに近いと思う。
ぼくの方に非はある。
だって、向こうからすると単に邪魔なやつに思えたに違いないしさ。
でも、暴力に訴えるのは違う気がするよ。
まあ、どっちみちファン失格かなって痛感して、PTA限定の非売品とかも、まとめて破棄しました。
もはや、世界を見つめることの新しさまでも無くした自分にとっては、もはや何ひとつの意味さえ生成できなくなったからね。
たとえ、間接的な関係であろうと、単にあの子たちの前で恥をかいただけで心から行かなければよかった
と思えた唯一のライヴとして記憶に刻まれます。
自ら愛好の眩惑を否認して、すべての死角を閉ざされたということです。 感情の深みが失われたことに意識をフォーカスしてみる。
ただの無意味な痴れ言が現実への閉鎖的感覚と完全一致したとき
誰しもが光学迷彩で透明な肉体になれば、ゼロに限りなく近い夢幻小の極限時間の神といえども
なにひとつアカシック的記録通りに起動する意義を持てなくなる。
それこそが唯一の望みであって、我々に知覚されるのはバイブレーションのみで死との区別が無くなったと
メルは囁くのだが、地球にとっても人類を生み出したとはいえ、
まさかここまで自ら混沌のスペースを発明したその果てに苦悩の屈折と憐れみを拡充するとは完全に想定外だっただろう。 偽りの自分を捨て去るための唯一の試み
自分との闘いでさえ勝てないのだから、いくら己自身に問うてみても空しいだけさ。
ASMRの対象を脳内彼女なりに変換したところで、決して自己変革が完結するわけではなかった。
要は生の実感の欠如による病の拡大さが増すのみ。
自分の最もやりたいであろう好きなことですらやる気になれないというのに
全くといっていいほど、興味のないことへの見返りが皆無な自分には端から希望なんてなかった。
この世に自分ひとりしかいないと考える人はごく少数であったが、
自分だけがいないと考えることができないのは自己愛の変形法と看做す。
ぼくは見返りを求めないが真の時、必ずしも充たされることそれ自体が偽ではありえないが、
もはや生の肯定より寧ろ、否定和の方が優勢に傾くのは必然の公理であろう。
少なくとも、ある程度の人格形成によって、如何なるかたちであれ、
自由度の精密化を表現した到達点に裏打ちされていなければ、
生きてるよりもマシだろう?
神の三位一体が人権を生んだなど言われても、たった独りきりで息するつもりなら、どうでもいいのと同じさ。
仮に夢が現実の続きに接点を為すかのように偽ろうとも、
常に永遠に己の望む未知とは遥か彼方に太陽が消え去る宿命なのか。 愛と光の整合性を盲信してたせいさ。
そう、暗黒エネルギーの真意とは真逆に見せかけた完全表裏一体の同質なものに過ぎなかった。
未だに希望と絶望の距離には強靱なる裂け目がある。
ブラックホールに吸い込まれてもワームホールへ通じて、別の宇宙に漂うかのようなイメージで。
単なる治療可能なスケールを夢幻に思考してしまう人間の脆さよ。
あらゆるものは不動の波に収斂されるだろうに。
まるで天地がひっくり返ったかのような極端さで、一度でも迷い混んだら抜け出せないなんていったい誰が決めるの?
己に宿る魂は既に答えを知り尽くしているというのに。 ただ君と相対するたった数十秒のためだけに生まれてきたかのような混乱ぶりさ、
ほんの一瞬、強く握って思い込めたよ。
どうやら、全霊込めてシンパシーを信じた方が伝達しやすいって言われるけど、
みんなの相対だから予め効力そのものがもつ核心が崩壊してた?
今までの心の痛みは新通力の証明にはならないが、
たとえ、いっさいこちらが我関せずであろうと、より寧ろ
向こうから支持されるぐらいの技量が欲しかったなあ。
はい、無いものねだりなんかしてもタガを外すだけで精一杯だ。
では、いっそのこと複雑に絡み合った観念の様を明晰にしてくださいませんか。
いや、無理だろうな絶対。
単に数値化された未来に対して過剰なだけとか、そういうんじゃないんだ。
偽りの天国を設定したところで真のリアリティが宿る予知なんかあったのか。
ああ、そうさ。マイナスからのゼロよりほんの少し増えるのは常に怖れの方で差異の拡大が過ぎるよ。 まあ、性悪がすべてを司る脳なしには端から聞く耳をもって頂けないようだが、
かくいうぼくは異常なまでの偏執狂で心底いやなやつだから何もかも覚えてるよ。
目の前の理不尽さを直視できたのなら次は目を閉じたままひたすら祈れ
いつか容量オーバーなって動作が重くなるその前にさっさと忘れてしまおう。
眼球の裏には、目に見えないデータが潜んでいた限り、常におまえの中の神を憎む。
で、いったいいつになったら本来性の流転に時系列を整合するのか?
ない頭抱えて考えたところで未知なんて誰も彼も知ってるふりしてただけのことさ。
はい、分かりきってる。
みんなまとめて生命を蔑ろにした世紀の記念碑として未来永劫刻まれる、だろうさ。 どれだけ時が経過したら、人の心は完璧に変化できるというのだろう。
すっかり心が死んでしまって、自らに狂気の自覚すらない類には、真の意味で生きてるといえたのか。
たとえ、自分のことを誤魔化すかのような生き方を肯定的事実と盲信した挙げ句に
孤立の未知を択んだとしても、それを自由と認めることがどうして可能なのか。
このまま無間地獄の唯中に堕ちていくネガの連鎖のままで、己の夢見たことすべてを葬りさらせられたのか。
もしも、もう一度生まれ変われるのなら、いったいどんな未来を望むことが許される宇宙になりえたというのだろうか。 さっきからまた発作みたく、ずっと自分に向かって問いかけてばかりだけど、
ぼくにとって、融和的な「未来がない」以上は、先のことを考えただけでも死にたくなる瞬間が戻ってきたりするんだ。
ところで、自分が変わらなくていいはずがあるの?
変わることが変わらないことに等しいという意味を超えないスケールで。
最も必要なのは心の痛みを直視しろ。
他者と己を同時に許し、愛せ。
そう、わかってるよ。
もし皆が互いへの尊重が主眼となる可能宇宙化にシフトできたなら、現世界の様相は僅かながらでも成熟してるからね。
でも哀しきかな、もう今さら後に還ってこれない未知そのものが無への切実なる心意に刷り変わるんだ。 あ、そうだ。
常に「3」という数字への執拗な拘りがあるのは、自分の過去における心の傷から生成されたもの
だってことに気づけたのは、かなり大きなウェイトを占めてる(のかもしれない)。
言葉は音楽から生まれてきて、宇宙の数字と繋がるから言葉と完全トライアングルになるはず。
まあ、何ていうか単なるこじつけとも似てるけど、音楽の方が言葉よりずっと心打つものだから
もう既に誰かしらが唱えた思想だとはいえ
これらがもし非真理なのだとしたら、少なくとも、ぼくにとっては何もかもが無意味になりかねないんだ。
しかしながら、今となっては不完全型の組合せでも別に混乱することが僅かになった。 ねえ、メル。
すべては無から生まれるとしてもさ、
まやかしのヴェールに囚われすぎた片割れ
死に至る病へと系統したが故の末路として、ありもしない永遠の儚さ
というフレーズが残響するだけの流転輪廻に眩惑されてきた。
もしも仮に心の痛みを異で編めるへと変換できたのなら、我々人類の情感の奥深さを軽蔑してる証拠さ。
心が死んでるのと同時に存在も消え失せてくれたらいいのに。
美しさ、醜さ、苦しみ、怒り、悦び、憎しみ、悲しみ、楽しみ、その他のあらゆる感情すべてが
まるでなにごともなかったかのようにまっさらにクリアーできるとして、いったいどんな気持ちになれたのだろう。
無感傷でありたかったというよりも寧ろ、毎日夢みていたかのように完全リセットしたい方に近い
とかなんとか思う反面、
まるで、自らの誠心を壊しておいて、闇にまっ逆さまに堕ちていく自我滅却への未知を愛でるのみが己の極限だった。
そう、君から派生してきた病的な愛欲はもはやぼくの手に追えないからこそ、
自ら終止符を打つ以外に世界の方法がありえたのかどうかについて思い巡らす。
ああ、その通りさ。
極端な相対たちは、決してひとつにまとめられるわけではなかったということが我が病のはじまりである。 もしも、主体世界がゼロ点の意思へと収斂するのならば、先鋭的なオルタナティヴの粒子らは無限大にまで拡散する。 ヤクザの世界では、「3と6も分からない」という事がよく言われる。
足し算が出来る位なら、答えが「9」になることは分かるのにそのような駆引きも出来ない者を卑下する用語みたいだ。
ヤクザの語呂(8 9 3)にしても、その筋の人たちがよくやる花札の博打からが語源です。
人を見下す意味なのに美学ぶる当人達からすると極道ということなんだから、
相互にアイロニーを含むのはともかくとして
同数以外で割りきれる数の熱力は、なんだかもの悲しい。
因みに、1から100までの素数の数は25個であった。
宇宙のリズムと方向性を示す数霊?
人間にとって欠かせない元素は、25種類ということを伝達したかったのだろうか。
(逆算すると、100から1000までに限定したら数が143になるが、スラング的には「I Love You」という意味になるようだ)
前のレスにも書いてる通り、1から1000までの素数の数は168個で「いろは」と読める。
どう分解しても割り切れてしまう仲間たちに関わることに意味なんて宿ったのかと息吹かしむその前に
たとえ割りきれないもの同志であろうと、ものごとのはじまりと続きのあったことを示してる宇宙からの声に感応しよう。 一人対多数の相対比率とは、それぞれの愛着度による不正確な共感データであった。
反応が皆無に近い自分と比較する度に無力さに向き合う羽目になったから怖ろしい。
或いは、己の力意と異質の解釈による半導抗生で、無数の中の支軸点のみが冷酷な質感になった
ただ、それだけのことだった。
つまり、自分の受けた痛みを与え反すかのような復讐の形式そのものである。
性行為は愛に見せかけた暴力に紛うように
かくして、偶像の独りじめとは哄笑の種に解されて然るべきでした。
今のあなたの記憶の片隅に僅かなりと残っていようと常に新たなデータが上書きされる度ごとに
君とぼくのメモリは薄められ、いずれは完全に削りとられていくのだから。
そう、ぼくは未だに傷つくことから回避したがっています。
では、確率的には他界に等しいがゆえに
此れ即ち、君とぼくは、三度の指針と世界閉鎖の一致によって、シンクロニシティが為されたことさえ無化するつもりか。 1、2、4、5、7、8は、物質世界を表す数字。
3と6と9は高次元を表す数字。
3+6+9=18
1+8=9
1+1=2、2+2=4、4+4=8
8+8=16は、1+6=7
16+16=32は、3+2=5
32+32=64は、6+4=10で、1+0=1
64+64=128は、1+2+8=11で、1+1=2
この通り、1 2 4 8 7 5のループが延々と続く。3 6 9は一切登場しないのだが、
3+3=6、6+6=12(1+2=3)、12+12=24(2+4=6)、24+24=48(4+8=12⇒1+2=3)
48+48=96(9+6=15⇒1+5=6)、96+96=192(1+9+2=12⇒1+2=3)
この通り、3と6が交互に現れます。
ただ、9だけは姿を見せません。
9はすべてを司る数字で生命エネルギーそのもの。
9+9=18、1+8=9
18+18=36、3+6=9
36+36=72、7+2=9
72+72=144、1+4+4=9
9を2倍して更に2倍の数を分割すると答えは常に9になる。
1と2と4は「3」に
5と7と8は「6」に支配されている。
そして、「3」と「6」は、「9」に支配されている。 その「3」「6」「9」を足すのではなく、「9」から引いてみると0になる。
9−6−3=0
ただし、「3」「6」から引くとマイナスの値になるが、それ以外は、また「3」と「6」が現れる。
6−3−9=−6
3−9−6=−12(−1+2)
−1+2=1になるが、これにもまた宇宙の法則と関係してるのだろう。
369で、弥勒(ミロク)の世か。
つまり、浄土のみが救いで、それ以外の世は、すべて地獄という見方は的を得てるな。
9以外の数を足すと、
1+2+3+4+5+6+7+8=36
3+6=9である。
因みに2011年3月11日の数字を足すと、18(3+6+9)ですね。
コンビニのセブンイレブン(7+11)はどうだ?
アメリカ同時多発テロの2001年9月11日は、23だ。
広島原爆投下の1945年8月6日は、
1+9+4−5+8+6=23
いや、これはさすがにこじつけすぎかと一瞬思ったが、なくはないね。
どうやら、「23」って、奇妙な数字の設定らしいけどな。
単なる偶然と片付けられるにしてもさ、
あたかも神の影かのようにこの世を操ってるやつらって、
色んな視点からこじつけてないように装って、
すべては我々の手中にある的な宇宙を逆手にとってるつもりのスケールで実に御目出度いよなあ。
はい、宜しくどうぞ。数字なんか大嫌いだ。 われわれを司る「9」は、宇宙エネルギーというか潜在意識の夢幻に相応しい称号そのものだ。
円の角度においても、「9」の影は消え去らない。
45度(4+5=9)、90度(9+0=9)
180度(1+8+0=9)、360度(3+6+0=9)
22.5度(2+2+5=9)、11.25度(1+1+2+5=9)
この通り、角度を分割すると、すべて「9」のパターンが見えてきた。
円に囲まれた多角形の合計角度では、
三角形 60°× 3 =180°(1+8+0=9)
四角形 90°× 4 =360°(3+6+0=9)
五角形 108°× 5 =540°(5+4+0=9)
六角形 120°× 6 =720°(7+2+0=9)
八角形 135°× 8 =1080°(1+0+8+0=9)
これを延々と続けていくと、円に近づくよね。
「9」は、すべてであり、無でもある。
つまり、エネルギーそのものだ。
振動、周波数も共に目に見えない力です。
二元性に支配された世界で、「9」がエネルギーで、「3」と「6」に分かれてるイメージか。 今は、ジミーヘンドリックスエクスペリエンスを澄ましてる。
悪魔の数字とかいう666は、足すと18になる。
あと、日本の硬貨をすべて足すと666なんだよなあ。
1+10+50+100+500=666
紙幣も二千円札入れると18になる。
1(000)+2(000)+5(000)+10(000)=18(000)
神の数字とかいう358は、「3」のみが見えない世界で、5と8は「6」に支配されてるからパターン通りにならないが、
8−5−3=0になる。
ただの偶然と捉えることもできようが、
色々、考え巡らすと「地球の中の神、宇宙知らず」と改変したくなった。
きっかけはどうであれ、自分にとっては人生に役立つことでもなかったね。
でも、ありがとう。 果たして、憧れから遠ざかっていくのは己の決めた未知なのだろうか。
理想とベストの相関性が近づくことは極めて稀だよね。
ぼくは、自分の思うように夢を叶えてる人たちのひとりになりたかったけど、
誰よりも特別な存在に生まれ変わろうとして自ら訳の解らない方向へ突き進もうと試みるのも
常に人と違うことを希求する思想への無根拠の信頼そのものであった。
本来の姿は、ただひとつの線が不和なき軸として重心の表層をなぞっていただけなのに
己のアイデンティティそれ自体は常に新しい感応を渇望していたと思い為すのはなぜなのか。
それとも、己の最上という確信は単なる妥協の連続体に過ぎないのか。
もしも、「我はありしところのもの、あるところのもの、あるであろうところのもの、のすべてである 」
のならば、
たとえ、どのようなかたちであっても、己の現実感への無条件の愛なるものが欠如された世界など何処にもなかろう。
だからこそ、自分のベストを尽くす。
ただ、それだけで事足りるなら、ここまで複雑に病むことはなかった。 日の出より早く出発して、丁度日の昇る時刻から作業すると、なぜかしら捗るのであった。
予めイメージ閃光させて見通し立てておくと能率が上がるのは良く見えた。
人間は元々夜行性の動物ではなかったし、
特に深夜12時から日の出までの間は、一切何も考えない方が賢明だと言われた。
病院にて施術してもらっても良くならない原因不明の痛みに対する唯一の望みのひとつであろう
念力は未だ疑心暗鬼のカテゴリーキラーになれたと言い難いが、
(悪質な出会い系サイトのように登録者数が少ない上にコメントのほぼ全部がフェイクならばまだしも)
今より約3年前の動画とはいえ、現在で約90万人以上視聴されてるし、事実治癒してる人がいたんだから。
仮に完全偽物のプラシーボだろうと症状が僅かでも良くなったとすれば、あえて関連づけなくとも
疑い深い方になると念力なくても治るぐらいの軽症だったと謂われかねない。
医学で出来ないことは信じない方が寧ろ傲慢になりつつある昨今、
同じく処方された薬で思い込むのよりも治癒率が超えてたとなると
逆に念力=プラシーボで治るというのは妙な感じがした。
要するに思い込みに勝る薬はなしと嘯いてやってることは同質なんだよなあ。
少なくとも自分にとっては効果らしいものが感じられていない
ということは一体どういうなんだろう?
まあ、エネルギー逆作用への怖れに勝るとも劣らず疑い深い人といえども、基本罰当たりにならないのなら
あえて未知の方に気をもんだ時点で本当は無自覚の内に認めたい感情になりかけてる証拠でもあった。 愛なき力は暴力で、力なき愛は無力。
Aさんのtwitter、6月半ば位から更新止まってる。
元気にやってるといいけど、今は静養中なのかな?
考えても分からないことを考えてる人は考えても分からないことを考えて答えを見つけたいのではなくて、
考え続けることで今向き合わなければいけないことから逃げたいだけ
まさしく、ぼくに言われてるような感じであったが、確かに一理あるよね。
いっさい考えなくてもいい人には通用しそうだけど、
ポジティブ脳の中は容量空っぽでも、予めリアリティの体現ができる人向けの格言かな。
要するに完全に真とはならないことに気づけてるかどうかだけさ。
ことのはじめから、考えても分からないと決めつけるにしてもさ、
370年間誰も解けなかったフェルマー最終定理に挑みかかり、
ひとりの数学者が約7年かけて証明してみせたことすら無きものにできるのでしょうか。
しかも、数百年前の常識では、今現在の形のいずれにしても、ほぼ非常識だったであろうに。 人は心によって栄え、金によって滅びる。
いくらお金に飢えてるからって、レアなものを転売するような輩は、人騙してる意識ないのかな?
いや、悪質極まりないね。
メルカリとかのサイトの運営側にしても規制するどころか、堂々と共犯者演じてやがるしな。
自分の要らなくなったものを売るのは許容の範囲内だが、
元はタダのものを売るなんてもう末期だよ。
手づくりのものには心が宿ってる。
それとも、世の中のために使うという目的なのかな?まさかね。
せめて、わらしべ長者みたく交換条件で取引すれば、お金なんかに関わらなくても済むのにな。
いや、端からお金に目が眩んでる類いには思いつくはずもないか。 瞬時値だけでは心もとないのでかなり未来まで予想して、
どの未来にも自分の瞬時値評価関数ならばこうなるという点数をつけるわけです
それに基づいて現在指す一手を決めれば理想度が高まる まるで、時間感覚が麻痺してた実在感すらないみたいに愛するという基準値すら不安定に揺らめくのに
更にネガティヴの視点まで見極めろだなんてさ、
ほんと支離滅裂だと思うよ。
いや、それにも拘わらず、ひとまとめに昇華したがるぼくの感応の根源とは一体何なのか、
或いはそう感じるのはなぜだろう。
うん、そうか。不可分の夢を見ていただけか。
まあ、確かにアンシンメトリーな基軸のままだけど、
ただのネガから先鋭的な美のみを抽出して壊れようとするのは
跡形もなくなった以前のようにまた再生するためであろう。 >>428
うん、言わんとすることはよく分かるんだけど、
遍く無数の瞬間に対して、それぞれ点数をつけた時に見えたのは常に変動幅の波長をしている
単なる幻影にすぎなかった。
ま、そう云うとぼくの偏執狂こそが諸悪の根源だろう?
もし仮に己の未来値が予め設定されているという想定であっても、ぼくは常に疑い続けるだろうし、
つまり、それら理想度そのものに値をつけること自体、常に己の本来性とズレてる感じに近いんだよね。
単純にいうと、ぼくの思考形体は己の理想ですらないわけか。
そもそもアイデンティティの核もないのに未来を語ることには制約があった。 まあ、あえて例えてみると影を失ったあいつは、T4ファージとかいう形状みたいな感じさ。
どこかしらリアリズム擬きで頭でっかちな神経逆撫で未来型ロボにそっくりだ。
いつしかぼくの数万年後がやって来た時には互いに人類の容姿まで似てる気がしてきた。
かくして、宇宙の法則と生命体設計図であるDNAに反する罪は命よりもずっと重いのだろう。 ぼくのありのままの相対の底までネガティヴな核心と見えない次元の支配から、主体の我を消すと無我に至る。
eiπ=−1みたいな世界に憧れる。 未来なきものは瞬定位の希望を語るべからず。
しからば、偶有限性の海に飛び込め?
やはり、ぼくの中に巣食う底無しの違和感に終わりはないのか。
そう、聞く耳をもたない罪の代償は重い。
ああ、そんなの分かりきってる。
まさかリアリティの正体が、ゲームの中の主人公のように相対的に無感傷に現実を直視するのと同時に自ら立ち現すものであったとはね。
いいえ、そんなはずはありません。
の声が聞こえますが
ぼくは時間を意識されると立ち現れます。
うん、ほんとは時間なんてないのだけど、実は自分自身が映写機であって、
では、現実の主人公は一体誰?かと問われた時、自分と答えない人が果たしているのだろうか。
この世のものみなすべてが自分の創造した形で充たされているのに。
まあね、そう考えるのには無理も承知なんだけどさ。
ほんとは感情なんて余剰のものであって、ぼくらにもし生存本能がなければだけども、
理性が勝る時代こそ、逆に冷酷な感じがするよ。
少なくともさ、理性より感情の方が先行する限り、この世の混沌に終わりはなかった。
そう、ぼくは単なる上辺だけの幸福感で充たされなかったから、こんなことを打ち明けてるのかってことさ。
いや、厳密にいえば、違う。
実は、ずっと前から、どんなに不完全な事象であっても、
まるで、ひとつのゲームをクリアーするみたいに不可能なことは何ひとつないと本当に信じてたのなら、
とっくにぼくは変われてるはずだった。
ということはつまり、自己嫌悪の塊を主体にしながら、単にポジティヴな質感のすべてに対して、拒絶していただけなのです。 もしかして、自分が病んでいるから世界が病んでる公式を無きものにしたいのか。
いや、すべては自分のせいだからってことにしてくれませんか。
世の中が病気であるかどうかの情況なんて、はじめから問題じゃなかった。
どうして、病にだけ視点を向けるのだろう。
そう、自分の在り方だけが問題だって、バシャールも言ってたけどさ。
そんなこと実はとっくに気づいていたんだ。
まさか、潜在的にはね。
ただ、心の瞬殺したいがために病みに逃げるニュアンス
もしくは、極端に残虐な描写を具現化することによって、我が人類らの残虐な側面に気づいてくれ。
て、感じ?
まあ、美しさが僅かにでも混ざっておれば、ぼくは醜い人格なのかなって。
ほら、単に素性が捻くれてるのならまだしも、まるで誰よりも勝ち誇った体でさ。
さも、自分の鏡だから、という回避のために己の完全な敵とみなして、いっそ不幸になりたがるらしい。
そんな虚しい人たちのことをほんの僅かにでも憐れむ資格がぼくにはあるのだろうか?
で、またもや自分の鏡を壊そうと思い為す。
つまり、不規則な脳内ニューロンに従属してるだけ。 ほら、まるで人が電子の粒のようだよ。
いちどきに全質料の情感の坩堝がリセットし尽くされます。
きっと、望むところでしょう。はい、そうです。
やがてぼくらの視点がミクロにまで至れば心の距離感にも狂いが生じるのだろう。
まるで、生命のいない星のように本来の痛みを知らなくて済むのかもしれない。
ただ、痛みも感じずに生命をあやめることのできた何ものかにとっては、
己の人格において恥ずべき要素を自認できないのだから、
割れこそは正義と云う名の制裁として、実質自分が神か悪魔にでもなったような酩酊ぶりである。
理論より感情の密度なる限界を設けた方が、どうせうまくいくはずの確率は高まるのだろう。
まるで、新しくなった別の空間であろうと誰かしらが己の味方になってくれるとは限らなかった。
たったひとりきりで武器を振り回したところで、本当は自分以外の人たちすべては己の分身に等しいのに
なぜに自分とそれ以外を分けて考えることに絶対の確信をもつに至ったのか。 目の前にいるものすべてはあったようでない己の創造物であるという視点。
つまり、生命体のスケールにおいて人をあやめることが可能な存在は自分自身しかありえないし、
今まさにそこにいるという質感のみに異常なまでの執着を示すにも関わらず、
実のところは、あなたの脳内の中にいる人が可視化された己自身そのものを他者と見なしてるだけなのにさ。
従って、どんなに罪の意識がなかろうが、誰ひとりもあやめることができなかったという視点の欠如は致命的だと感じます。
しかも、自ら幽閉されてることに気づけずに己の描く空想こそがすべてだと思い込んでしまうほどの過信だからこそ、
あと、もうひとつの病の方がより深刻さは規格外なのでしょうか。
ぼくらは皆、目に見えるものだけに重心を合わせがちなんだけど、
これらまやかしの光学にまんまと引きずりこまれるほどに脆い生体に過ぎなかったのに。
あたかも、神の眼を眩ますことができるかのように思い上がり、心頭滅却させた幻夢こそ真だと信じる
ただ唯一の運命に抵抗する記憶を逆撫でしてきた数千年間に終止符が打てない純正なる裏切りものであった。 プレステのプログラマを予定してた奴の暴かれた私生活なんかに惚れてる素人が異常なだけです これですね
641 夢見る名無しさん[sage] 投稿日:2019/08/17(土) 05:20:08.38 0
いや、だから使用済みゴムやデスノート程度の行動力ってことでしょ? 誰ひとりもあやめることができなかったという視点。なるほどって感じです ロールシャッハテストのカルテが残ってます
「桜吹雪」と答えたら躁を示すらしいカード、
それを散々悩んだあげく「人体解剖図」と答えた
一番好きだったカードと一番嫌いだったカード、その理由を聞かれて、
一番嫌いだったカードにその「人体解剖図」を選んだ
理由に「わかりにくくて嫌だった」と答えた 「だんだん正体がわかってきたようですね」。いや、現に一発で精神科沙汰
「わしの聖液を注入じゃ〜」。いや、現にオナニーを描いてるやん 起業の適性も意味もないことは高校生の頃に既に分かってた
サラリーマンプログラマになるはずだった 学生時代、地蔵が言ってたことがありましたね
「○○氏(僕の名前)曰く、『ソフトはタダや』」、うーんすごい」
とね
それは、学生は時間はあるが金がなく、社会人は金はあるが時間がない、
そしてソフト作りはタダでハード作りは部品代がかかるというラディカルな話でしかなかったんですが、
それを珍奇でおいしい馬鹿とでも言いたげでしたね
情報協力。どうなれという他意もなかった。変な責任なんて余計負うわけにはいかなかったから責任を手短に切り分けた
僕は就職できず、その後の業界を知らないんですが、責任なんてごちゃ混ぜにしといて誰かがケツを拭くようにしとく方がいいんでしょうか
いずれにせよ、人が一人死んでしまう背景にはおそらく僕がエンジニアとしても愚物だという評価が色濃く横たわってる 地蔵は他にも、
僕が市販の3DCGソフトでちょこちょこ遊んで動画とかでっち上げてたら
「機織りにハマって」とか言って熱烈歓迎の様子でしたね
地蔵の本音はこうです。「プログラム屋でなくデータ屋に貶めてしまえばこっちのものだ」
まあ地蔵に限らず、データは分かるがプログラムはからきしだという人は世の中に一定程度いる様子なんですが 誰にだって真ん中の道があるんです。プログラムを粗末にするならゲームブックでも書けばよかったじゃんって 要するにこういうことです
無職で、迎えに行く甲斐性なんてないのはちゃんとこちら側にもある現実だった
そしてその点こそがまずい結果を生んでしまった原因の様子
そりゃビビります。現実なんですから 感じ方のすれ違いによる終焉の予兆
生きとし生けるすべてのものは、やがて消えてしまう。
かつて生成の無垢という神と合一した時、あなたの眩惑より勝ることはありえたのか。
そうさ、ぼくの歪み方には致命的なまでに技巧が欠けてた。
もしも、某有名人への27通の手紙に対する明晰な反応がありさえしたら、少なくとも今のイデアルは存在していない。
いうなれば、愛は自殺であるが、その逆は偽だからね。
即ち、愛羅武勇射ず水彩度のエネルギーを波動関数に割振るゼロリベル効果ですら勝ち目がなくて、
死への恐怖すら微塵もないものみなすべて
瞬定アルファオメガ底位と双極スペクトラム動体の妖しい律動に惑わされるというわけか。
嗚呼、単なる脆弱システムインテグレータの片割れといえども、せめてもの救いに精密な徴を能えてくれさえすれば いったいぼくはこれまで無数に散らばる点と線をどう接続してきたのか。
この世から消えた後に以前とは違う意識が宿るというのなら、死とは肉体を欠いた視覚的に透明に変わることだ。
近頃は、ASMR系の音声流しながら眠る頻度が増えてきた。
多少の好き嫌いはあるけど、声音が落ち着いてるならなんでも良くなってきたな。
今月、Youtube見すぎたせいで、あと約7日残して速度制限がかかってるよ。
衝動に初期も後期もありはしないが、未完成のままに繊細さと激しい情感が絡み合う世界観になりたかった。
もはや、手も足も出ないはずなのに第三の眼を開こうとするぼくの空しい試み。
ひとつのアカウントで同じような超睡眠系の動画を複数投稿するのは収入目的なんでしょうけど、
すっかり見え透いてて嫌気刺すね。
「未だかつて、現在の中で、自分は本当に幸福だと感じた人間は一人もいなかった。
もしそんなのがいたとすると、多分酔っぱらってでもいたのだろう」
僅かなりとも小利口に器用に生きる技術がありさえすれば、偽りの感応としての逆作用を望みもしたであろうが、
ショーペンハウアーのこの言葉が幾度もぼくの頭の中に過るのであった。 いつでも今あることすべてに感謝すると良い波動に充たされるようだが、
憎しみが増幅されていくと真逆の結実となった。
但し、引き寄せるという感電の一撃では、どちらも共通しています。
では、完全に心閉ざすと一体どうなるの?
もしも、このぼくが絶対矛盾的自己同一を意識するとして、
無数からひとつへの収斂に至る儚さのみを肯定する以外に未知があったのかどうか
という奇妙な問いに変質する。
確かに幸せというものまでは否定できないが幸せそれ自体を信じることができたのはなぜなのか。
なぜなら、幸せというのは快感情の優位性のことであって、永続的なものは現象の中で常に幻想のことだから。
そう、ぼくらは死に近づくために夢を見なければならない。
此の世には眠らない人なんてひとりもいないのだから、
もしも生命体が眠らなくてもいいなら、生きることへの虚無震動は更に数倍にも膨張し続けて
死への誘惑自体、確率的に増すことになった。
宇宙の力意の中には、このような神経系統に対する粋な計らいがある。
もし、君が天国から数秒後真っ逆さまに落ちたとするよね。
でもさ、そこが本当に地獄か現実か分からなくなるのにも似て、
たとえ、一日に数万回繰返し「ありがとう」と口にしたとしても、必ずホジティヴ振動が増すとは限らぬだろう。 人に優しさを与えることが不器用だという視点。
こちらから頼みもしないのに余計なおせっかいに近い形で返してくる人は稀にいらっしゃるけど、
実はこういうタイプの方こそ一度打ち解けてしまうと逆に扱いやすいのだから人間って不思議なものだ。
つまり、嫌なやつというイメージは一切もたず、より寧ろ此方から好意的に向き合うだけで何れ彼方から
様々な形でお返しされるということ。
はじめから無関心の人とは何らの発展性もありえないけどさ、
好きと嫌いの両極端に映った表裏一体な感情に拘るのがバカげてるのにも似て、
実はその中間にとどまって、好きと嫌いの区別さえしないたちの方が、より正常に近いということなのか。
従って、このように無感傷でいいのなら、人間として生まれてきたのは悲劇と解されて然るべきだろう。
なぜなら、極端な相対は時に互いに紙一重どころか、己のメンタル次第で、どちらにも転がっていくもの。
己の敵は常に己しかいなかったのに予め標的を定めないと心が壊れてしまうくらい脆い性質だからであった。
ネット間でもよくあることだろうけど、
あくまでも、リアルでの話ね。 そういえば、探しものがどっかに消えることがよくあります。
神かくしかって思うぐらいにね。おかしいよなあ。
ものへの執着はないから別にいいけどねえ、データさえあればさ。
なんだか、いくつかの容れものはあるのに子宮がないことには気づきにくいのかどうかまでは知らないのだけど、
たとえ、どのように、あなたがたが解釈しようと、所詮似たもの同士が集合してることだけは的外れでもなさそうですからね。
まぁ、逆に信じてみるかの境界線は見えてる人たち次第だからね。
そう、われわれの眼球に現れるのか現れないのかを決めるのは自分自身だ。
望んでいないことが起きるのは残酷であろうが、
生命は、宇宙の子だから。
望んだことはすべて叶えてくれるのさ。 一時期、ずっと聴かず嫌いだったBeck ですが、『Color』澄ましてるよ。
まったく気分は優れないのだけど、妙に神経に絡みついてくるんだ。
ベックのライブ行ったことあるなあ。
最前列でさ、『Sea Change』の頃かな。
感極まって「Lonsome Tears」号泣してしまったよね。
この手のオプティミズムは信じられるね。
いつ澄ましてもタイムレスだからさ。
作風の変化はあれど、音楽の収斂と拡散による変換型ポジティビティーの精度は『Mellow Gold』から一貫している。
いや、しかし最初から最後まで一ミリの隙もない『Color』突き抜けてるよな。 語呂合わせの車のナンバーには各個人の思いが滲み出る。
誕生日とか他にも色々と結びつけることができますね。
たまに目にする一桁とかゾロ目になると逆にレア感が薄れてるからな。
誰もがつけたがる数字だと思いこんでるせいか、
0001ナンバー+高級車の組み合わせこそが至高という感じにさせられますね。
どこかしら、特に一桁とゾロ目好きには自分に酔っているイメージがつきまとう。
確率からいって全然レアなわけないのに。
はい、より寧ろさ、素数目当てなら、ゾロ目なんかよりレア感は増すのに
狙ってつけてる人は極少数だろうしさ。
なぜかしらゾロ目信仰が根強いのは、エンジェルナンバーの影響か?
多分、違うと思うなあ。
ゾロ目はレアという思い込みのせいだね。
確率的には全然レアじゃないのになぜに同数字を並べたがるのか。
割り切れる数=ブレない私ぼく君俺
という、無意識間の表明なのでしょうか。
総括すると、単に人目を引くからだろうね。
一桁がレアというのも他の人も同じようにつけたがってるから、そう感じるだけのことで、
一桁なら何でもいい数字だとしても、ぼくが今思い浮かべてる数字より
0001をつけてる車との遭遇率の方が遥かに多いと思うよ。
例えば、358のような神の数字と云われてるものや、宇宙の法則に通じた369とかつける方がレアなイメージはするよね。
そもそも、ゾロ目って数字的にも割り切れちゃうから魅力が少ないのになあ。 異で編めない此の世の生命体に進化は可能か?
宇宙の法則よりも遥かに精密な脳髄の扱い方は我のみぞ知る。
光を憎み、闇を愛するという必然の事由を知りたくはなかったから
脈動する軟骨の世界は見えるままに悲しくて、
ぼくの核心から目覚めるための力意の旋律より残酷な君の優しみ。
誰ひとり救いだそうとはしないあなたの答えは「スベテヲユダネヨ」でした。
無限の唯中で幾度となく喪に服するぼくのメロディを世界は聴かないだろう。
沈まない太陽を抉り取ったあなたの無色透明の海とは、もう二度と溶け合うことがなかった。 いえ、素でそうなんです
己以外の敵というのが十何年も経ってから迫った
もともとニーズでも横たわってたのかすごい威力 ソウルメイトという慰めには畏れ入る。
完璧な人がいたとするなら信じてもいいけどさ、
もしそんな人たちがいたとすると神の領域ってことか。
似たもの同士だと互いに考えてることが見透かせるから結局自分の嫌な部分に気づかされます。
それ故に距離感を誤ると次第に心が離れてゆく。
男女の友情は成立しないとかいう人は端から相手を友達と見ていないのだから当然の帰結でしょうが、
思春期から性欲旺盛な方たち特有の偏った発想だよね。
ま、無数のデータを調べてもないのに過信するのは己の自由だけども。
少なくとも、ぼくにとって友達は新しい敵をつくることに等しいんだよ。
一人きりであっても心の友達は、ぼくのことを裏切るのだからね。
ましてや、自分との対話なんかしても波長が合うはずもなかった。
Aのようにまぐれ当たりに友達になれた人がいるけど、それ以外はほぼ関係が絶たれてるのはすべて自分のせいさ。
あえて、上辺だけの関係で充たされるのがSNS特有の病と看做すのを度外視したとして、
それでも結局、離れたのは自分からで、離したのも自分からだ。
自分にどれだけ友達がいるか試すためにネット配信したりする神経は理解できなくもないが、
この先、仮にたくさんのリストから友達の友達の関係から友達になっても
ぼくの鏡が一度壊されて、再び新しい眼を発見しない限り、
未だに誰ひとり本当の友達ではありえないのだろう。 もし仮に一言呟き程度のレス信仰であっても、二重の意味において、もうこのスレ終わってるよ。
始めたからには終わらせないと気持ち悪いからね。
レスの上げ下げしてるのは単なる思いつきからだ。
一応の法則はあるけどさ。
一人で1000まで、自分の思惑通り、完遂する確率は決して高くはないけど、
あえて、引き延ばし進行に徹して、拡張交通してるバカなぼくは性悪と性善の差が極端に大きいから、感情表現の仕方までも難しくなる。
人は皆、自分の切り取りたい部分だけを強調して、
それ以外には目を瞑る感じ方が己の見方の狭さに接続していたことにさえ気づこうともしないパターンが大半を占める。
精確に云うと、自分が間違ってるかもしれないとは信じることができないからだ。
ぼくの場合は、 逆に人を意識しすぎて無関心になるサイクルですね。
元々、レス上で多弁になるのは、まとまりがないまま投げ出すからで、ことのはじめから言葉を操ることは苦手なんだよな。 白昼夢の永遠が音像化したかのようなオルタナティヴの臨界点か
個人的に21世紀以降のギターバンドでは、Airielより心像を鷲掴みされた音楽は存在しない。
厳密には、シューケイザー系のドリームポップにカテゴライズされるだろう。
彼らの1stアルバム『The Battle Of Sealand』
は、EPと比べて(UK ロックのRideとかMy Bloody Valentine辺りを想起させる)スタジアムロック調なところが特徴かなあ。
『Wink & Kissed』という4枚のEP(『Dizzy』『Cracked』『Melted』『Frosted』)
そして、EP『Airiel』は、
(ギターロック系では)ここ数年間で最も澄ました音楽のひとつだ。
サウンドの感触が、The Daysleepersの中毒性に似てはいるけど、
彼らAirielの方がより突き抜けた感じで浸透度は共に深みを帯びてる。
我が国では、ほぼ無名に近い存在だが、やはりそのせいかAmazonではアルバムが高値で取引されてます。
EPに至っては希少価値で、絶盤のようだ。
ダウンロードできるのが有り難い(多分Youtubeでほぼ全曲聴けるけど)。
流麗なメロディラインに美しく繊細かつ激しさを讃えた幻惑的なサウンドアンサンブルは唯一無二の質感である。 まとまりのないものねだりを捨て去れ。
ぼくの無知と過信を自覚して以来、付け足すより差し引くことを学んだが、
実のところ、過去現在未来像の領域が、ただ瞬間の中に溶解離し、
己の衷心から再生させる際に未だに無かった器を過去に還してきた。
つまり、単に符号の生まれ変わりを新しい感情と交換したものに過ぎない。 盲目の意志に対する比率の傷口を引き剥がすスペースは幻覚性?
いや、まさかね。
いずれ分かるなんて思ってないよ。
あなたには未来がある、という力意を信じた以外にも有限の充ちはあるのだけれど、
神は常にあなたの内部にいる
といったインプットそのものに悪疫の増殖ツールを組み込まれた時、
誤作動ではなくて清浄だと認識してしまうプロセスが削除しきれたのか。
ましてや、不完全を証明できない機械に殺される前に、未来の自分が己の標的になるかもしれず、
常に他者を意識するより、自分自身の精密なメンテナンスを怠らない心がけだけは忘れずに?
まったく冗談じゃないね、完全リセット可能ならまだしもさ。
要するに常識や思い込みの枠を飛び越えて、一面的な見方のすべてを捨ててしまえばいいんだ。 たまに人間の肉体の形みたいな木に出会すことがあるね。
うん、女性の乳房そのものの形はしてるけど、おそらく枝をふたつ切り落とした傷の名残りであろう。
あ、丸みを帯びた中心に先端らしきものもあった記憶によれば、きっと自然発生的に生まれたものと思うよ。
うん、試しに触れてはみたけど、やはり木の質感そのものでした。
そういえば、ぼくらの見てる木の切り株は、本当は木じゃない何か別のものらしいな。
はい、文字にしても何のことかさっぱりでしょうけど。
どうやら、ぼくらが見かける木の切り株と
巨木を切り落とした痕がエアーズロックとかの形で、
それが世界中に見られることを根拠にしていますね。
ジャックと豆の木のストーリのように天にも届く木たちが幾つかあったのに
なぜかは未知のままだが、すべて切り倒されてしまってるということだ。
この世はもう既に木というものは消滅している、だとか何とかいうひとつの考察がある。
謂わば、仮想現実の方はまだ受け入れる際に生成の無垢に心奪われてた思惑もなくはなかっただろうが、
ぼくの単なる思い込みの世界観へ瞬時にアウトプットされ、
己こそが世界の眼となり、神秘と自然の中立な視点があるものこそ、
此の世すべてを統べる神に近い意識に到達できたはずもなかった。 もう10日位前のことだが、若い無表情の女に執拗に追われる夢を見た。
なぜか直感的にゾンビだと思った。
あまりの気味悪さに逃げようとすると一定の距離を保って?ピッタリとついてくるのだが、
意表突いて、逆に此方が追いかけたら一体どうなるんだろう?
すべての怖れを超えて。
先ずゾンビが逆に逃げることは高確率でなかろう。
なぜなら、己の役割の性質上、自滅するために接近したとしか考えられないからだ。
昨日、ぼくのマンションに会長のお孫さんと妹の娘が突然訪ねてきた。
どうやら、ゾンビに追われてるから隠れ場所としてぼくの所にやってきたらしい。
ロフトに上がって身を潜めたところで玄関に靴があるのだから、見つかるのは時間の問題だろうに。
それに気づいたかどうかは知らないが、ゾンビ役の妹の息子は、それから30秒位して登場するも一切迷うことなくロフトへ。
自分より年の若い親たちの子供に○○ちゃんと呼ばれてるのは親近感が湧くから全く抵抗はないんだ。
流石に子供に対しては表立って人見知りしなくなれた。
きっと、あの子達が中学生になった頃でも、ぼくの呼び方は変わらないだろうと思う。
小学1.2年生の子達だから、Youtube見たり絵を描いたり、高いところから飛び降りたり、次から次へと興味が様がわってゆく。
どうやら、青鬼なんとかというゲームに影響を受けた遊びらしいことを知る。
どこまでもリアリティの中で全力で生きる子供たちの無垢さに我の心の穢れを見せつけられたようである。
そう、今でもぼくは高いところから落ちる怖れと大きな音への怖れ以外の後天的に植えつけられた怖れの奴隷のままである。
謂わば、ぼくがこうして言葉に残そうとするのも
この世に生存していながら血の気の皆無なゾンビに紛うぼくの非人間的な思考形態を根底から破壊するための空しい試みさ。 ジャンルにおけるミニマリストって何かね?
今、Autechreの『Exai』澄ましてる。
ずっとベビロテできるぐらいの密度の濃さだねこれは。
『EPs』もそうだな。
オウテカの一枚と問われたなら『Overstep』ではなくて、今までの総決算的作品『Exai』を選ぶだろうな。
結局、オウテカの作品は一枚たりとも似ていない孤高の存在だから、新世紀のサウンドトラックに相応しい。
前にAirielのことで熱くなったが、過大評価しすぎた機雷があるかな。
サウンドは時折、コクトーツインズに近い感じだから浸透力は効いてるけど、次第に飽きてがきてるしさ。
幾分、メロディが稚拙に感じられるからね。
基本、ローゼス以降のギターロック自体に興味薄れてきてるな。
21世紀以降だと、Sigur Rosの1st アルバムは未だに好きですよ。
あと、Radiohead(並びにトムヨーク)とジェームスブレイク(米津玄師が意識しているらしいが)位かな。
あ、でもギターロックというよりエレクトロニカのアンビエントね。
ここ数日は、Autechre位しか聴いてないな。
Autechreの『elseq 1-5』専用サイトのダウンロードしかないのが残念なとこ。
近頃、Amazonで音源が買えるらしいのを知ったとはいえパソコンでないとデータ移行不可だしさ。
なぜ正規にCD化されないのかが謎だなあ。
アンオフィシャルでならあるみたいだけど、
今やYoutubeで、全曲聴けてしまうのだけど、Aphex TwinにしてもCD化されてないのが多いのはテクノ奇才特有のスタイルか。
なぜかしら、オウテカは何度澄ましても新たな発見がある。
流石に『Syro』は少し飽きかけてるけどさ。 普遍的なものは実質重視して、後は見て見ぬふりする人たちのどこが心優しいといえるのか。
要は経歴、資質以前の問題だ。
そう、完璧にプログラミングされた彼の眼には血の気がなかった。
実にわかりやすい性質だ。
自分の見てきた世界こそがすべてだから、その他の切り捨ててる部分に気づくはずもなかった。
あえて云わせて頂くならば、心あるふりした自覚なき偏愛こそが我々の未来というわけなのか。
はい、当然否定しますよね。
矛盾してませんか?
ぼくみたいなやつが言うのも変だけど、スローガンだけでお金をもらってるような仕事を立派だと思ってる
からこその虚言でしょうね。
というわけで、愛国心という言葉には反吐を禁じ得ません。
いうなれば、資本主義は快適な悪疫である。
もしかして、正解ですか?
はい、ありがとうございます。
ぼくは、心の痛みに対する盲目さに憤りを覚えるだけです。
要するに大多数ばかりみて、その他のことは無きものとする。
この世の国家は、単にシステムに丸投げして、後は自助努力でなんとかやれって特殊かよ。
つまり、優先順位そのものからしてデタラメ最上級無知の証でしょうに。
キャリア先行重視のあなたがたのことですから、まさか自分の能力のせいにはしないでしょう? ええ、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉を昔から「そうかなあ」と思ってますよ まあ、いいや。
人間には食物以外、水と塩さえ摂取すれば生きてられるのに
どうせ、水のことは後回しにするんだしさ。
ある程度自分たちが充たされてるから危機感ゼロなんだろうけど、
世界規模で水を生き返らせる方が先ですよ。
まるで熱に魘されてるかのように環境問題云々騒いでる割には国家間の駆引きしてるだけで
地球の生存率はとっくにタイムリミット過ぎてるしさ。
あらゆる水を微生物だらけにすれば、地球は元通りに蘇生できるのにな。
かつて、バクチャーの研究してる人と知り合って、彼の施設で微生物のポテンシャルをまざまざと思い知らされた。
人間のいなかった地球にまで逆回転させて巻き戻せってこと。
いくら小手先で環境のためにエコロジーなんか唱えても、まったくムダなあがきに等しいしな。
少なくとも、人間たちが汚した地球を元通りにしない限り、人類の未来は常に危ういというわけさ。
あ、来月から増税はじまるのか。
ニュース見ない方が心はまだ病まずにいられそうだが、
この先、ネット使える日来ても時間制限設けよう。 どう噛み砕いていいのか不明瞭になる感じが恐ろしくもあり同時に救いでもあった。
どんなに斬新な密度の質感であろうと世界の新しさを抉り取るのは如何なる生体なのか。
その特異な進捗率は常に歪曲されてきたみたいさ、
再び零原点へと回帰するまで待つしかなさそう。
確率は常に永遠にゼロ近くだけどね。
なぜって、整合化の欠けたランダムのみの認識で逆転回するパラメーター自体が「我々には未来はない」と答えたから。 いっそ、生まれてこなくてもよかったのでは?
自分の死ぬ日を数えてみる。
あなたが眠っている間の夢は天国の中の別の日であった。
憂鬱な雷の一撃に眩惑されるように
たとえ君が二世紀先の生命の法則を解き明かすのだとしても、
この世の終わりは永遠にやって来ないのだろう。
いくつかに砕け散った光の束を授けておくれ
ぼくは再び自分を制御できなくなった。
あなたは、ぼくの偶像ではない。 まあ、予言者に少なくとも100近くリスト上げてもらって、的外れでなければ
85以上的中してるなら信じてあげてもよかろう。
数ある予言が完璧に当たらないのは時間線のズレを言い訳にできるから実に安全策なのであった。
それもそのはず、単なる推察レベルの視点だからだ。
おそらく宇宙のレコードを解読する、既に未来を体現した不思議な生物から教えてもらう以外には謎めいたままなのさ、
85%の的中率とされるハバヴァンカの予言によれば、5078年に世界が終わるらしい。
2111年、人間がロボットになる。
2288年、タイムマシーンが可能になる。エイリアンとの遭遇がある。とか
それ以降の予言は、どれもこれも現代では常識を遥かに陵駕したSFレベルのものだ。
彼女の幾つかの予言が、ぼくの夢想してることに似ているから、それのみ逆に的中してほしいぐらいだ。
その頃には、とっくにこの世にはいませんが。
公表されてるのは一部のみで、予言が国家の機密扱いされてるレベルだからさ。
まあ、影で秘密裏に全人類奴隷化計画を志すイルミナリティが操作してるからそれもそうだけどね。
2279年、電源が無から得られるようになる?
かつて、ニコラテスラの世界システムが抹殺されてる時点で現代人の浅薄さが如何なる種類のものかは容易に推察えられよう。
フリーエネルギーよりも金と権力を選んでる世の中を病理と解さないのは各自の勝手に委す外ないが、
これまで潜在意識の夢幻は真っ向から無きものとされてきた。
ぼくは多分あと長くて10年位だろうけど、もしヴァンカの予言した世界通りなら、自分の大半の夢想は実現することだろう。
因みに、おそらくニコラテスラからインスパイアされたのかもしれないが、
まったく車には興味がないはずなのになぜか車のテスラだけは乗ってみたいなと思った。
ただ、近未来的にタイヤはないに越したことは御座いませんが。 心の痛みに対する盲目さに憤りを覚える。ごもっともですね
俺は俺でエンジニア自身でないと作れない仕事をやりたかったんです
なんかもうね 経歴、資質以前の問題という点はその通りでしょうね
普遍的なものとはせいぜいみんなが食べていけることという価値でしかない
つまり優しかったのは誰ぞかの心ではなく高度成長やバブル
俺は先頭切って就職を潰されたのに何の犯人にされてるんですか?
無償の反面教師に無理難題を突き付けて遊んでるんでしょう 今日は、父さんの八回目の命日。
特にシメサバが好物だった。
スーパーに行って寿司コーナーでバッテラを見かける。
どうも、鯖寿司の違いまでは分からなかったが見た目だけでシメサバらしいのでバッテラの寿司を買ってきて食べた。
今の自分にはこれぐらいのことしかできもしない。決して割り切るのとは次元が違うが。
この世に起こることに間違いはないといえ、そう思えるには非人間的、あまりに無理が祟りますから。
そう、端から勝てない相手に剥きになるだけ無駄な足掻きとなった。
いつか、離散することは想定しながら、自分自身が権力と迎合していかない限りはね。
ただ、癒しに関しては、聞こえてきた音声を素直に受け入れるということ。
近頃は、ASMRのBluekatieさんの動画見ながら眠れるようになれた。
確率はフィフティフィフティ位だろうか。
しかし、まだ10代なんだな。hatomugiさんとかもそうだね。
自分より一回りぐらい歳が離れてる子に癒されるのは奇妙な感じはあったが、けっこう気に入ってるよ。
女性の声に微妙な好みがあるとはいえ、ケイティさんとハトムギさんの声音を融合したならば、
結局のところ、不器用さの滲み出た萌声メインじゃないか。
どうやら、年下に好意をもつと俗にいうロリコンと呼ばれるらしいが、互いの比較だけの判断基準なんて頭弱い典型だよ。
たとえ親子ぐらい歳が離れてようとお互いに好き同士なら、周りからとやかく言われる筋合など微塵もなかろうに。
政治生体然り、社会のカルチャー全般にしても、
何でもかんでも個々の能力如何よりも経歴と年齢のみで計ろうとするのは我が国特有の病ですからね。
多分、ロリコンの規成イメージが型にはまった常識とはズレてるっていう公式に当てはめたいせいなのかな。
何かしら、疚しいことをしそうだという無根拠な怖れに対する苛立ちから、既成概念への偏愛の度が増すのみ。 今時、CDなんか買わなくてもYoutubeで聴けるからと思われた時点で作り手の負けだと思う。
まあ、レンタルにしても同じようなものかな。
どこぞのグループのようにCDがあくまで手段という売り方は除いて、
どうしても、半永久的により良い質で音源を澄ましたいなら、
ダウンロードよりも必然的にCDという形で手元に置いておきたいはずだからだ。
なぜにAmazonのmp3で一枚分のEPだけ無いのか本当に謎だ。
まさか、わざとなのかな。
というわけで、アンオフィシャルで
三日前位に買おうと思ってたが、Paypalの指定銀行に該当しない理由でやむ無く却下するも、
今日、改めてDiscogsで在庫見てみたら、あと僅かひとつだけになってた。
どうせ、買えないものだと諦めておくよ。
やはり、同じようなこと考えてる人は世界中にたくさんいるからね。
あと、数日後に処理しないと無くなるのはもはや時間の問題だね。
どうやら、運も以前から尽きてるようさ。
肝心要のクレジットカードがどこかに紛失のようだから、
また改めて、一度解約したゆうちょ銀行の口座作らないと契約できないというね。
しかし、EPが一枚分ダウンロード不可なんてどういう意図があるんだか、さっぱり分からないよ。
あくまでも、専用サイトで買うのが筋だとAmazonを通じて嫌がらせしてるようにさえ思えますね。 どのような表象の無数さのただ中にあろうとそれぞれがまったく同じ質感をしていることは実に稀なのさ。
いや、完全にひとつのものとして溶け込んでいるさまは万物創成の基軸であろうに。
ひとつから無数に向かうのは気が遠くなるくらいの刹那の未知であった。
逆に無数からひとつに向かうのは宿命という曖昧な既知であった。
たかが生きる意味と同じ質感をもつイデアが消滅しえないから神やロボットを人間頭脳に置き換えてやったまでさ。
どうせ死んでしまうのだから無意味なのではなくて、本当にやるべきことができていないから死にたくなるだけ。
いっそのこと、燃え尽きてしまえばよいと天は答えるはずさ、
でもね、夢の中でさえぼくは屍のように混乱した亡霊にも紛う不良品そのものなんだよ。
卑下するなって?いや、別に。
ただ、二度と消え去ることのない焔の質感に酔いしれてたのが己の本性で、
ぼく独自のアイデアが薄まっていく度毎に、ジワジワと世界の息の根を止めてやりたくなるだけなのさ。 独自の目線と世間の無数な点がひとつに統合されることは奇跡でさえ実現付加だ。
もはや、そうなってくると君たちならどうしたの?
そうだ、何処にいずれかの線を繋けば、ほぼゼロ確率の光が射すかの見極めによる問題でしょうかね。
あれこれそれとはなしに無数の天から、たったひとつの特異点を見つける途上だとはいえ、
自分の在り方のみにフォーカスすればこそ、
母胎自身でしか作れない仕事の心意が浮き彫りになったバイアスに快感を憶えるためにさ。
やっぱり、多数派優勢はどこの世界でも変わらないよね。
個を潰そうとするのは、いつでも集団意識の核にあったもので永久不変らしいから、
自ら新しいシステムを構築していく以外に難しいとは思う。
要するに予め致命的な問題が宿ることを自覚してこそ本来の未知が開かれていくということか。 某脳科学者がWindowsの元副社長の目の前で「windowsは大嫌い」発言してたな。
2011年、スティーブ・ジョブズ追悼とかのネットの生放送でね。
多分に一部の林檎ユーザにも通じる意見でしょうけど、
普段は気にしないふりをしながら、直接ぼくの見てないところで影口を言うことで、
少しでも楽になれたのなら、別に痛くも痒くもないどころか、より寧ろ本望とさえ思えるしさ。
でもね、それ自らの首絞めてるのと同じようなものだから、どちらにせよ無力の別の形式に過ぎなかったんだよ。
せめてもの報いとしての、心の痛みに対する認識が麻痺してたわけなのさ。
自分の発言によって、当事者は過剰に反応して激怒するか。
或いは、感情を抑えた上で冷静に対処するのか。
自分の意見として、好き嫌いを口にするにしてもさ、
先にどのような反応になるのか予測できていない脳学者ってどうなんだろう?
嫌われても気にするだけムダという思考までは理解可能だけど、パーソナルな自由の行使と混同するのは的外れですし、
少なくとも、己の意見で心傷つく人らがいることぐらい完全に分かって然るべきでしょうね。
ま、ぼくのスレを呼んで不快感引き起こすのと似たようなところは幾つかあるよ。
ただ、あくまでも傷つけた自覚と共に他者に対する罪悪感は常に意識してるのさ。
ほら、国から金頂いてる分際で政権批判なんかできてしまうくらい自分は腐った性根していますが、
ぼくなんて単に頭脳形態が部分的にイカれてるだけで、極端に精神構造が触れてる以外は至って正常な人らと同質だからさ。
かつての心の傷の深さのせいにすることなど単細胞人格にこそお似合いでしょうけど、
瞬時にこみあげてくる性欲と偏執的誇大妄想さえ一切なければ、ぼくはとっくにこの世からおさらばしてただろうね。
如何にもリアリティに飢えてるふりまでして、生まれ変わったように装うぼくには真の未来はありもしないし、
あくまでも、こうしてインターネットの海に溺れるのがぼくの可能性の限界だったってことさ。 日々の眠りの中にすべてがあって、音律の海に溺れ死んでゆく現実の方が夢見ている感じなのでしょうか。
せめて、「考えるな、感じろ!」だけで成り立つ世の中ならどんなに楽かな。
ええ、はい。自らの首に包丁突きつけたりしたのも単なるポーズに過ぎませんでした。
ぼくの理想とは完璧な精度で真逆のベクトル発生器に力を貸すのだろう。
即ち、力意の無垢を己の計算に代入できなかったのではなく、端から狂ってさえいないとしたら正解とはいったい何か?
嗚呼、はじめからやり直すか永久に消え去るかのいずれかの未知を選択したまえ。
そう、君の言う通りさ。自動機械に憧れる無感傷人格こそが我々の未来なら、どんなに安らかに眠れることか。
自分のやりたいことは明晰に分かってるのに
全く接近することもなく、より寧ろ自ら離してる不可解さ。
先のこと考えるだけで一挙に気分が重いよなあ。
おそらく、なにもかも瞬定リセットするのが正解だろうが、暫しの間のみ神経麻痺させられるレベルならでは発想に過ぎぬ。
ただ、無制限で生命動体に接続しようと試みるのも己の余剰のエゴからであって、
本来なら世に還元すべき心の財産の一部だろうに。
まるで、息を吐くように嘘っぱちのリアリティがでっち上げられてきたのもぼくの醜いエゴのおかげ様です。 衝動的悪意に抗えない者たちすべてが闇を愛さずして光に飢えてるさまは如何ともし難い気が漂う。
そうさ、未来に向かっているつもりが過去に拘泥してただけのぼくのようになりたいのならまだしも、
この先もずっと、歪んだ自覚なきままに誰かしらの心を蝕むことにもなりかねませんからね。
この世の果ては常にあらゆる感情の優位性を超越したスペースであったと思う。
既成の在り方に拘る限り、まやかしの現実こそが真に刷り変わるゆえに、ごくありきたりな神聖な美学すら掴み損ねることになった。
「人間は見ることをやめないためにのみ、夢を見るのだと、私は思う。
いつか内部の光がわれわれの中から輝き出て、それでもう他の光はいらなくなるようなことがあるかもしれない」
もしも、光のみを愛するのなら相対にとっては憎しみの尖であろう。
元から崇拝芯の残り火なんて悪魔にくれてやれなんだけど、世の中の役に立てる明確なアイデアはともかく、
ぼくみたいな時として、暴力と無力の境界線すらも皆無な上に心痛力も無いような社会の癌に一体何ができるというのか。 なんのために信号があるのかさえ曖昧なとりあえず性に対する違和感。
車の運転してるとフロー状態に入ってしまうのは危険な兆候ですね。
ぼくの電子信号は時に制御不能ってことさ。
見境もなくカーチェイスでもしてるのかぐらいのレベルでね。
なぜか車の中で、小島瑠璃子さんと会話してる夢を見たよ。
まるで彼女のイメージそのままの爽やかな質感で充たされていた。
未だに芸能界の中でも最も好感のもてる女性のひとりだ。
結局、何話したかなんてまったく覚えていないが、ひたすら楽しくて居心地の良い空間であった。
ぼくは基本、まったく自分とは正反対のいつでも明るいフレーヴァを放つ女性に惹かれるようだ。
ただ、ぼくが無口でも全然気にしない人じゃないと何れしんどくなるよな。
多分、自動運転だったように思う。
車のフォルムまで分かりかねるが、幻想的にどこまでも透き通った真青な空だったな。
たったふたりきりで、ぼくと彼女共に運転してなかったからね。
要は線上で交わることがなければ互いにぶつかることがないのに
なぜかしら立体的に思考できなかったのは無くてもよいパーツへの執拗な拘りのせいなのであった。 無知と過信は己の敵なのか。
どこぞの盲目の力意がすべての宇宙の芯であるかのように極限小な遠近法で、己を中心で起動している。
もう、なにもかもが霊に背く未来に見えたよ。
愛なき世界に真の価値を打ち立てようと目論むのはなぜか?
我自身への愛と許しを与えてこなかったからに過ぎない。
ただ、いっさいの負のエネルギーを解放して、すべて手放した先にしか未来なんてなかった。
敢えて言い換えると、
自分の潜在意力へと突き抜けるだけの優位性を伴う回路を強化することができるかどうかの一点にかかってた。 かつてのぼくが「melt」の記号を偏愛してたのは、見返りを求める愛に飢えていたからであって、
同時存在的にもしも叶うのならば、無感傷になりたかったという深層心理の抽出の現れでもある。 世界的スタンダートを目指すってさ
はじめから、ぼくの辞書には書いていませんでした。
しかも、害悪的な無能、世紀の裏切り者、悪魔にも神にも勝てない時点で、
即ち集団自殺の傍観者にも紛うよね。
自分らが他とは決定的に違う、比類なき存在であったか否かよりも、
如何に数多くの感情量を収斂した上で精密な構成力によって拡散するエネルギーの増大率がより重要であった。
要は極端に偏った密度に従った結実による過信が己の誤った理想への執着を膿むのだから実に煩わしいわけだ。
きっと、先鋭的な濃度に充ちた質感には心を癒す力があったにも関わらず、
欲動主体のものにとっては、より安易な飛躍による方が扱いやすいために
予め、心の痛みに対して鈍い性質に曝されるのが必然の功利だからさ。
感性が鋭いというのと感情量の増大率は似て非なるものであって、
謂わば、絶望の先にある未到の眩しい形質への愛で方そのものを指すと思う。
この世の大半の人たちが自分の周り中心のみの平和に屈してるのは、
本来の心の傷を感じないように神経質になってるサガのおかけだ。
世界基準?そんなものに価値が宿るにしてもさ、
吐気がするくらいにくだらない計画じゃないか。 なぜ車にタイヤがなければならないのか。
人と車が同じ場所を通過するから、信号が必要だと思うだけのことでした。
決定的に車を浮かせるという発想が欠けていた。
要はUFOみたいに小刻みに上下左右動ける仕様になるのが理想的。
人や自転車より、3メートル以上上空を飛べば、車と交錯しなくて済むしさ。
そうなると、歩行者信号なんて要らないよね。
車同士だって、決められた高さを浮遊すれば、交錯しませんし、
もしも合流する時は車同士で信号を送り合い、自動で衝突を回避するなり、やり方はいくらでも見つかるでしょうに。
自動運転で浮かれてる暇がおありなら、車を浮かせる技術の方が、ずっと近未来的だよなあ。
まあ、あと問題なのは自由と権利の混同ぐらいのものだけど、予めインプット制限つければいいだけじゃん。
人身事故は通常運転ならゼロに近づくし、浮遊する車ならね。
車同士にしても信号送りあってれば、急停車にも適応できそうな気がしてさ。
いや、元から正面並びに左右の位置とは交錯不可(前後は一列でもいいけど)だから、
加速度衝突はしたくてもできないようにする。
この先、ラウンドアバウトなんて流行るはずもないんだし、いつか道路はただの飾りになったって別にいいんだね。 純正なる母胎に蠢く醜い腫瘍を抉り取る計画的自殺観念の目覚め
どこかしらに僅かに不治の疫病という尖った部分を探してみようとしましたが、
ぼくの壊れた脳髄システムでは、君の幽閉された相対の完全性なる徴としての己の無矛盾を明晰できなかった。
実は、ぼくには愛がないと思うことで、同時に君の存在意義をなきものに変換して、
このぼくの理性が優勢であるために無感傷を武装しました。
ひとつとすべての距離は不釣り合いですか?
ぼくは君の心を何度も傷つけます。
唯一の愛が自殺である時、狂気のふりまでして、
幾つかの海の色合いを平衡に波打たせていただけなのは、ぼくの悪しき偽者でした。 美貌と心の綺麗さを併せ持つ女は滅多にいないが、
仮に実在しているとした時、それは眩惑された仮もののファンタズマ病原体に霊を契約するからだ。
何かと比較が好まれる三次元を超える試みとタイムスリップ不可の範疇では、
偽りの愛に彩られた奇形児とナルシスに変態するというのに。
どうして、ぼくらは完全に見返りを求めない愛し方ができないようにされるのだろうか。 この世に音楽は数限りなく存在しているし、それに比例して偏愛の度は増すのみです。
もはや古典のレベルに君臨するバンド群(勿論、アーティスト単位も含まれます)と並んで、
浸透度という点では超えてる感もありますが、
Galaxie 500は、ぼくが最も澄ましたギターバンドのひとつだ。
もしも、この世に完璧に近い音楽があるとすれば、彼らの残した三枚のアルバムがそれにあたると思う。
いくら曲を入れ換えても違和感のない世界観は実に稀である。
おそらく、この地球上で、Gallaxie 500にしか為しえなかった奇跡の賜物なのだろう。
いったい、ぼく自身が天上の神にも紛う旋律の焔の中に溺れてる主体なのか。
それとも、『On Fire』が、ぼく自身なのかすら喪失してしまうぐらいの深度を称えていたのだから。
自ら世界基準になりたがる人たちには才能や構成力というより、それ以前の問題として、
無知過信の病に侵されてたのさ。
なぜかって、絶望と希望の差異がゼロに近いことにさえ盲目なんだから。
そう、異端の徒にとっては、真のフォロワーの生まれる予兆など微塵もなかったのである。
Gallaxie 500とは、美溶離の定義において最上濃度の可能世界だと実感できるよ。
まるで、一切の感傷を削ぎ落としながら心地よい白昼夢に襲われる麻酔薬のようだ。
いつどのような時代に澄まそうと感じ方が普遍なレベルで頭の中が漂白されていくみたいなね。 現実逃避なんてしてる時間は一秒もないのにまた今日という一日が過ぎ去っていく。
会長のお手伝いは、この先の自分の将来のためになるのかもしれない。
せめて、恩を仇で返した報いとして無償の気持ちを示すためにね。
この際だから、はっきりしておくけど、不正受給だって自覚は勿論あるよ。
ぼくが自殺未遂紛いのこと繰り返してたから、周りが困惑した果てに下した決断だとはいえ、
ほんとに情けない。死ぬほど恥知らずなクズ人格だと思うよ。
そりゃ、自分の意思なんてこれっぽっちも聞く耳もたれなくて当然だ。
少なくとも、二年位の間に四回は逃避行してるんだから、また次やらかさない為の防衛措置でしょうね。
はい、ぼくは国のシステムを騙した詐欺師に成り下がった。もはや、呆れ返るしかなかろう。
ごく正常な人らからすると、単なる怠け者レベルの甘えだと即断されても致し方ありませんね。
しかも、警察沙汰にまでなったんだから、れっきとした犯罪者でもある。
では、もう一度完全リセットするためにまた一人きりで逃亡すべきなのだろうか。
もはや、縁を切れるほどの冷酷な感覚はおろか、死ぬ勇気さえ残っていないのに。
これから今までの恩を返すことができるのなら、
無感傷に生きることなんか絶対不可能だろうに。
こちらへ戻ってきて以来、自らの夢に近づける時間が全くないわけでもないのに
そう、以前よりもずっと、真剣さの側面がまるで喪失してしまったのだから、
ぼくの本性は正真正銘の悪疫そのものじゃないか。
もう、ぼくには正常な在り方というものが想像できなくなるくらいに歪みきってしまったよ。
いっそのこと、さっさと息の根を止めてしまいたい。死にたい理由だけは、いくらでも見つかるからね。 嗚呼、気が失せていく波動なんて即刻消えてくれ。
変わりたい
変われる
変わりたくない
変わらなくていい
一体今、どの感覚なのかさえも見失ってしまうよ。
また、悪意のスピンが巡ってくるのかなあ。
いっそ、何もかも捨て去るとしても、その境界線が何処なのかも不可知なのに
はぁ、また気狂いループ発動か。
このまま想定外の悪の唯中に逆回転で円環して、微弱な善のエレメンツを貪り喰ってれば、
ほんのまぐれ散らしに世の欲導体にもありつける確率は増すが、
今のぼくにはそんな力の復権は微塵もありはしないからな。
もはや、残された未知は。唯一の光にまとめて何ものかを感じないように夢見るだけ。 ねえ、君。
完璧になれる実感は、妥協の臨界に分相応であって、
そのどれもがすべて間違いだった。
さあ、根拠はどこに眠ってる?
ほら、愛で編めるという異との平衡感覚のなさから、
君とぼくの相対は時空間に無関係な観念が夢幻大に宿る愛仕方より相似の途切れた部分にネガの要素を生成してきた。
ただ、それだけのことさ。
そう、昇華は防衛メカニズムのカテゴリーですが、決して完全にポジへと転回したいわけでもなかったんだ。
なぜなら、本来の自分が消滅する感じに侵されるからなあ。
たとえ、君が誰かのものになっても、とても嬉しい。
ぼくは、善人のふりをした犯罪者そのものだから、いつか巡って来るであろうその報いを受け入れるのみだ。
ましてや、ぼくの中で消え去ったものと思い為す新生功利の逆転回するだけのスケールでは、まったく理解できないデタラメな公理だよね。 心が無いとか痛みに不感とかはいいんです。どうせそんな責任はない。少なくとも手段は間違えてない
俺が問題にしてるのは本来の職能に資してたはずの強い責任感や忍耐力の否定や転用や征服です
世紀末だったしじゃあ宗教かって、それもうまくいってないのはほどなく理解してる ズバリこう言いたいですね。「あんたのせいだぞ」って ぶっちゃけ、「馬鹿かお前ら。世紀末は20年前だ」って感じですね 人柱を転用しようとしてるのは人柱自身だという屁理屈 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています