イデアメルウイルスペクティヴ
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ぼくは、この世に生まれてきたとき泣かなかった。 約10時間の空白の間にいったい何を感じていたのだろうか? 生と死の狭間で、自分が生まれることを択んだともいえますが 実は、そんな単純な公式ではなさそうに見える。 従って、生まれてきた理由は認めるとしても生きる意味はないことを如何に偽りなく許容できるか否かの問題です。 この前、spoonっていうライブ配信サイトにアクセスしてみた。 自分では配信者のページを押したつもりもないのに 勝手に繋がったら、数秒で いきなり、イデアルさんこんにちは。初見さんかな? と話しかけられ、すっかり混乱してしまったから、 逆に切る選択はありえないだろうに直ぐに閉じてしまったよ。 いや、無理もないって。だって、急に話しかけられると、びっくりするじゃないか。 どうやら、若い女のアニメアイコンに惹かれたようだが、無意識レベルで押したのかもしれんな。 また、入場するのも気まずいしさ。 そんなの関係ないですか? その後、自分のプロフィールみたらFAN 1になってるから、おそらくその配信者だろうな。一回もライブしたことないしさ。 しかし、優しい人だな。切ったのに気にかけてくれるとはね。 ほら、脳は時間そのもので、命に等しい。 時は金なり、とも言われるが、 つまり、回路やシナプスが時間を理解するわけだから、 死んだ後は、無時間のまま漂うってこと。 先ず、時間って何だっけ?となる。 どうやら、絶対にあると感じるのは記憶が関係してるからで、 形がなくなることを死に置き換えてるが故に無になると結論づけてるみたいだけど 実は、生命動体からの指令で脳はアンテナにすぎないという考え方だってできるね。 まあ、かなり飛躍しすぎてる感は否めないにしても、インスピレーションの源にはなるから無視はできないな。 つまり、死んだ後に脳が粉々になって回路がなくても思念が残るという意味で時間とは関係ないという視点に立てるかどうかについにかかってた。 思念に時間が関係してるのでは? と思っても見たが睡眠の夢の中にいる時、目覚めてる時間そのものを意識してるだろうか? いや、基本それはないな。 臨死体験できてるのは死んでないからで、生き返ったと思うのは、現実の方に還ってきたからなのに 自分は死んでいたと判断するのは、生と死を二分化してしまう人間のサガであろうが 無を欲してる人は生きながらに死んでるのと同じで、自ら死ぬってことは、終わることのない意識に執着してるが故に無限回そのサイクルを繰り返す。 そう、誰もそんなこと望んでないから、無を欲する。 死は無と等しくないのは、感情を外して考えた上で成り立つ公式だ。 要するに、エネルギー周波数そのものが決して消滅することのない、我々自身の中に宿ってるからであった。 スレ立てから半年の月日が流れてった。 早いようでそうでもないような不釣り合いな感じ。 その大半は逃亡生活だ。 精神の病んだ人の中でさえも、ぼくのような混乱した人格はそういないと思うよ。 ああ、分かってる。 もう既に済んでしまったことは思い悩むな。 明日のことなんか考えてもどうもなりはしなかった。 今日のことすら何ひとつできていないのだから。 どうせ生まれてきたんなら、己の限界を知り尽くしてから死にたいよなあ。 それが叶うかどうか、なんていう以前にぼくの唯一の核心を見つけ出さなければ レンタルショップに行った。 実は今日で三度目。TSUTAYAだけではないのだろうが、新規登録してから二週間は他店の利用が出来ないという謎のルールのせいでね。 柴田淳の『私は幸せ』『プライニクル』 Syrup16g 『kranke』『delaidback』 PSY・S 『GOLDEN☆BEST』 計五枚だけだが、邦楽しかレンタルしなかったのは史上初だな。 柴田淳とシロップは、これですべてアルバムは揃った。 PSY・Sは、オリジナルアルバムが二割位しかなかったから、仕方なくベストを選択。 三年前位にyoutubeで知って以来、ずっと気になっていたが、 なぜか中古屋にさえ一枚も見当たらず、amazon買いしようと思ってる内にすっかり忘れていたな。 はじめて、『ファジィな痛み』『Wondering up and down 〜水のマージナル』辺り、聴いた時は完全に意識をもっていかれたよ。 当時、80年代後半にあたるのか。 今では、こんな声音の女性シンガーいないな。 どういうわけか、随分と過小評価されてる感は否めないが、かなり先に進みすぎてたポップユニットって感じだね。 なんとなく新しい感じがしたのは、どうやら単なる気のせいだったみたいだ。 ところで、どうして今この瞬間に此処にいるんだろう。 危うく死にかけたのにさ いや、最後まで逃げきれずに というか痛みに耐えかねてではないけど、過剰な怖れが肥大して限界を感じたのは確か。 いっそのことさ、神経症の指定関数的膨張の果てに発狂してしまえばよかったとでも? いや、流石に無限ループなんて憎悪の質感を増すばかりだよ。 そう、架空の少年Aのように 「これは現実じゃない。ぼくはここにいない」白昼夢の中で、そのまま目覚めなければいいだけさ。 2003年の夏、一人のシンガーソングライターが突然自らの心臓にナイフを突き刺して命を絶った。 彼の名前は、エリオットスミス。 少なくとも、90S’ 以降に現れた中で至上最高のアーティストのひとりだと思う。 ビートルズに影響を受けてる人の中では神が勝ってるので、 ただそれだけでも死ぬまでに澄ます価値はあるかな。 暫く遠ざかっていたが、改めて彼の生み出した繊細かつ流麗なメロディーラインにうち震えてる。 彼の訃報を知った時は、ほんとに驚いた。 死に方に美しいもなにもありはしないが、エリオットの生み出した音楽は奇跡に相応しい美学の結晶そのものだ。 今の時代、アプリなしで生きていけないようにさせたいのか。 長年、ガラケーだったが約3年前にスマホに替えた。 逆に未知が広がってきたことに戸惑う。 歩きスマホしてる人をよく見かける。 ナビゲーションならまだ分かるが、そこまでして直視したい何ものかがあるらしい。 1日でスマホを見てない時間の方が少ない人は確実に増えているだろう。 すべてとまではいわないが一部では確実に機械のように感情のない冷たい感じにさせられる。 つまり、完全なるヴァーチャル依存性だから、目の前にあるはずのリアリティーへの感心が薄まる仕組みだ。 要は繋がりたいだけの人との相互関係は渇望するのにそれ以外は敵、もしくは無に等しいとばかりに排除する思考そのものが 「世界をひとつにする」思想とは常にかけ離れたものでしかありえず、 本来あるはずのインターネットの真価とは相反した致命的錯誤を生むというのに。 仮にすれ違った人とぶつかっても謝らない者までいるし、人をもののように扱うのはどちらもそう変わらないが、 更にその傾向を深刻化させるほどの脳内麻薬を撒き散らす。 どうやら、一度スマホを投げ捨てたことのあるぼくみたいなやつの方が頭のいかれてることになるみたいだ。 いつか死ぬ瞬間がやって来てはじめて、ぼくは本当の自分に目覚めることになりそうだ。 ただでさえ、空しいというのに 自ら死んだところで向こう側に行っても感じ方は変わらないのだから 生まれ変わりなんて信じる方がどうかしてる。 無になりたがるのは生きてる時も同じことじゃないか。 ひたすら、三次元より増やすか減らすかに拘って、肉体への憎悪を増幅したがる。 だから、あなたは光の速さより速く進むことができるようになったのか。 そう、形あるものはいずれ影まで喪うからこそ、ぼくの反物質は無限の果ての衷心へと向かうんだ。 また再び、宇宙と一体化するために。 なぜかって、死んだ後が本当の生なのだから。 どうしても自分の思い通りにならないと感情が乱れるのは人間のサガだが 反転された攻撃は防衛機制のひとつの表れである。 自分がこの世界の主人公であることに酔しれるがあまり、時に狂気の人格を正当化しさえする。 しかしながら、本質自体は何ら変わるわけでもなく、ただ歪みが生じるだけの空虚な砦さ。 結局、どう己を巧みな仕様で演じようと、たかがひとつの感情に執着してる時点で、勝ち目など微塵もなかったってこと。 いったい、我々の自己顕示欲は充たされて然るべきなのか。 いや、そんなはずはなかった。 あらゆる必然を愛せない人たちにとっては、余剰の観念だから、 より寧ろ、不快な要素を取り去った後に残ってるものを吟味せよ。 目に見えるものなど、たかが知れたものさ。神に誓ってみたところで、おそらく何も見つかりはせぬ。 もしもすべての人間が共に手を取り合い、自分の在り方とは無関係に思える事象でさえありのままに受け入れたのなら、 少なくとも人の心の痛みの分かる人間としての世界をアップデートできます。 つまり、自分の望んだものしか現実化できないこの世の中で、 思い通りにならないと嘆くこと自体が実に矛盾というか、 予め迷路だと知っていながら、いつまでも出口に辿り着けなくて、癇癪を起こしたにも関わらず、 今自分のいる位置から四方八方の壁がすべて消えてなくなりさえすれば、同時に迷路そのものに憎悪の念がみなぎる自分を認めてくれると思い誤る。 もとからある自分は変えられないからといって、マイナスとプラスでゼロになるとは限らないのに 延々とプラスすればマイナスになることはないとさえ自惚れてしまうほど脆い生体なんだ。 フェードインなら傷つかない仕組みに溺れ死ぬことが如何なる未知を引き起こすのか知ろうともせずにね。 全人類革命なんて未だ幻想レベルの範疇さ。 自分の型を限定しないのか、或いはできないのか。 型にはまることができないからこそ、苦悩するプロセスが必然になる。 だからこそ殆どの人たちが予め決められた型にはまろうとするのはよく分かった。 さも意識的に型にはまる心理を回避してきたのは、 他者との拒絶はもとより、コミュニケーション不全に対して危機感を抱いてるからだ。 もしもそれらすべてが単なる自己完結で解決されたと仮定すると つまり、裏を返せば、ぼくも型にはまろうとしているってことなのか? 人と違う型の方が自分らしいとはいえ、協調性の方が優勢なのは、ひとつの病として解されているはずだった。 その人独自の個性より、さらにずっと瞬間的な型破りという意味で受容できるか否かの方が本来の個性だろうに。 いや、ただやらない選択だけっていうよりもずっと、できないことの方が多かったわけだが では、みんなと同じが幸せな世の中なんてたった一度でも実現した試しはあるのだろうか? より寧ろ逆に、あたかも波長を合わせたふりまでして、自ら共に不幸になりたがってるようにさえ見えるのはぼくだけなのかなあ。 無感傷という名の理論武装。 このぼくが完全悪に染まらないのは、あまりに単細胞すぎて虫唾が走るから。 ただでさえくだらない無意味なことに関わることが嫌なだけさ。 ほら、殺意が芽生えたとしても自分を先に殺すことができないのに他者に刃を向けて、誰でもよかったとか宣うのはどう考えても矛盾してるだろうに。 どうして、人をあやめる前に自分に刃を向けないのか? 悪の正当化によって。 他者に恥をかかせたことを認めないからだ。 それでも正義を拒絶するなら、悪も同じくそうするがいい。 人の痛みの分からない類いが、己流儀に反転させてどうなるわけじゃないのさ。 善も悪もないからといって、権利侵害を肯定していいのかな? 自分中心に考えてるなら、完璧な精度で間違ってるよ。 他者をあやめる前に自らをころすことの方が先だろうに。 これらすべてを否定する時、自らのエゴをころしきる以外に未知なんてあるのか?ないよ。 脳内麻薬を味方につける人は自然に動き出す。 リヒドーに支配されてる人は自動機械に魂を売り飛ばす。 脳内トリガーの濃度によって、あらゆる感情はひとつの光にまとまる。 決して相対を排除することなく、すべて収斂し尽くす密度の無限による愛の拡大率のみが真の美に値す。 それもまた闇の一部だが、闇は光を、光は闇を憎むプロセスは、単にこの世界特有の感じ方のひとつに過ぎなかったのに。 個人間の諍いはともかく、恒久平和が実現しないのも、全人類の超脱思考の致命的欠落が起因してるからさ。 うん、自分がその気になれば、個人の変革というスケールなら一瞬で可能だろう。 でも、世界を変える未知には届かないさだめさ。 恐れを害悪と無し、反動構成を優位にする復讐感情思想に未来はないからね。 かの何とか革命のような倫理観にのみ機能するレベルの大袈裟な綺麗ごとで変えられるほど、人類は成熟するはずもなかったんだよ。 人間は、やるなと言われるとやりたくなるカリギュア効果の洗脳体にすぎず、 逆にやれと言われるとやりたくなくなる心理的リアクタンスを度外視する以上、 いつまでたっても同じ穴の狢だ。 要は自分本意で思考する人間がひとりもいなくならない限り、実現不可能であることを意味している。 ともあれ、確実にその前にこの地球上から人類がいなくなってから気づくのだから、すべて無意味なことさ。 みんな、ありがとう。の「みんな」の中にぼくがいないと感じるのは変なのか。 ぼくは「みんな」に含まれると君は不思議に思うだろうけど、 賞味期限ばかりの日々の中で理由さえ奪われて、すっかり仲間外れさ。 君にとっては自然なことでも、ぼくが気づくワードでメッセージを伝導してくれたのに どうしても完全に割りきることができなくて、 みんな、消えろ。とか心ないこと考えたりもしたよ。 あの時、何度か交わした温もりが蒔いた希望を咲かせられなくてごめんね。 ぼくにとって、釣り板は単なる快楽報酬物質、或いは不快感の無限ループとして機能しなくなった。 若い10代20代辺りには受けが良いのだろうが、匿名の確率が高い釣り板より、 実名でアカウントを立てるのがデフォルトなfacebook の方がまだクリーンなイメージがあります。 アイコンも自分の顔であることが殆どだしさ。 もしも、SNS経由でなかったとしたら、友達の友達は、本当の友達だといえるのだろうか? たとえ、ある程度の感情的が芽生えても、いつの間にか気づかない内に友達の数が増えすぎて、自然な形で疎遠になっていくのは目に見えてるからだ。 まあ、ぼくの場合は近づき過ぎるかして、新しい己の敵が現れる始末さ。 ましてや、見ず知らずの人に至っては警戒心をもって向き合うに越したことはないね。 よくありがちな、一言も会話してないのに友達になりたいなんて、下心が見え隠れしてるしさ。 だいたい、自分からアクション起こせるぐらいなら、facebookとかを駆使してコミュニティなり広げるような使い方をするはずさ。 友達100人できたところで、常に関わっていなければ、 いつも話すのは1人なら、残りの99人は予め切り捨ててるも同然ではないのか。 つまるところ、承認欲求の塊の類いに騙されてる人たちはもとより、 SNS中毒に至る病は、あまりに深刻な影響をもたらす魔力の導因である。 そう感じてない人は皆ドーパミンの放出を欲してる麻薬に侵されてるからだ。 美の極点は前衛芸術による絶望を超えた先にあるもの。 ぼくにとって、 Converge『Jane Doe』2001 Today is the Day『Sadness Will Prevail』2002 特にこれら二枚は、ぼくを死の観念から何度も救ってくれた数少ない作品だ。 このどちらのバンドも激情に充ちたグラインドハードコアの範疇だが、決してそんな単純な構造でもない。 前衛アート的な美学に憑依した致命傷による刺し傷は、どこまでも奥深くぼくの痛みのデータを抉りとる。 大半の人類にとっては耳障りな不快ノイズの塊でしかないかもしれないが、 あまりの濃度の極点に既存の感性が犯される瞬間を享受できたことに衷心より感謝致します。 死ね、生きるな、蘇れ シネイキルナヨミガエレ 世の中ね、顔かお金なのよ という回文が成り立つのは微妙な心境だが、お金以外で裏切らないものは死ぬことぐらいのことだ。 容姿が良かったとしても、その顔を傷つけられたら、死を意識するだろう。 やはり、特に女性の化粧の威力は絶大のようで、まるで別人のような顔に仕上げることもできるから、ある意味恐ろしい生物だ。 絶世の美女が大勢の前でおならをしてしまい、恥をかいたことで自尊心が壊れて、自殺したケースもある。 自ら命を立つ選択しない限りは宇宙に愛されていると感じることの方がずっと大事な気もした。 少なくとも、お金と愛のどちらを選択しようが 単なる比較としてならば、 愛ほど移ろいやすいものはなく お金に至ってはいくら増えても、大局的に見た時、欲動のツールでしか機能し得ないのが現実だから、所詮似た者同士さ。 無償の愛としての視点なら、決して否定さるべきではなかろうが、 この世を司る主体は欲動であって未だ人間の進化はテクノロジー以外、動物止まりだ。 我々の欲動に終わりはないのは悲劇と解さずに新しい発明だとのたうち回る受かれっぷりには戦慄すら覚える。 お金がいくらあっても世界の様相は決して揺るがないのに 世の中、金だよ。としたり顔で言う始末さ。 その内、必然的な出会いだとか己に巡ってきた運命さえ偽るようになってゆくのだから、実に不釣り合いなアイロニーの刺し傷くらい、せめて来世への貸しとして、需要してやってもいいのではないか。 ツイート全消したった。 黒歴史クリーナーっていうツールで。 未練がましく残したところでどうにかなるのかな。 どうせ誰も見てもいないし、ゼロツイートの方がぼくにはお似合いさ。 アカウント全部消すのは、さすがに冷酷だからね。 ぼくの過去の記憶が残ってるだけで不快感半端ないからな。 君がどう思うかなんて知りたくもないよ。 少し昔にバイナリーオフションっていう知り合いが稼いでるツールを教えてもらった。 数百万は軽く超えてる達人にね。 その方曰く、最低デモで8割(10戦中8勝2敗の確率で)勝てるようにならない限り、やらない方が賢明とのこと。 HIGHLOWオーストラリアってアプリ使って、PCにFXDD_Meta Traderをダウンロードして、それ見ながら取引トレードする手法ね。 FXよりか初心者向きというか、HIGHかLOWの二者択一するだけとはいえ、確率は決して50/50ではありえず、 相当勝ちパターンを掴んでいても、過信しすぎるのは異常に危険なんだ。 必勝ツールだとかyoutubeなんかでネタはありあまるぐらい溢れてるけどさ、 たとえデモで実戦詰んだとしても、少なくともぼくの場合、そんな甘くなかったな。 必ず勝てるという法則もなくはないだろうけど、絶対はないからね。 実戦に強くなるのは、メンタルの問題も甚大な影響をもたらす。 ギャンブルとは訳が違うし、真剣にバイナリーを研究し尽くす気概がない人にはお薦めできないよ。 まあ、その人との縁も切れてるも同然だし、またやる気になることはこの先ないだろう。 現行の死刑が極刑だなんて生温い国だなあ。 しかも、絞首刑でしょう? たかが、10秒もない苦痛をもって死を償えるほど生命の価値は軽くないはずなのだが、 とりあえず、一定の区切りをつけたいだけのことなのか。 死に直結する苦痛を与え続けることが真の極刑でなければ、予め死刑を望む輩からしたら別に刑罰でもなんでもありませんね。 未来の犯罪抑止力として機能しない限り、社会的には全く無意味な行為に等しいな。 ただでさえ、罪の意識が皆無な心のない輩には、死に至るレベルの肉体的苦痛を刑罰に加えた上で、 いつ終わるかも分からない生き地獄を味あわせてから死んでもらう方が、ずっと極刑の名に相応しいと思ってます。 まあ、一見、古代の拷問形式の延長戦上ではありますが、最期のとどめは遺族の方にしてもらうのが妥当でしょうか。 ただ、これらは冤罪の可能性がある犯罪者には適用できないけどさ、 どのような形であれ、殺人者に人権などありえませんから、せめて後世の人類のために人体実験の玩具にされた方がいいのさ。 なぜに死刑廃止論者は加害者の人権をどこまでも主張するのか? 更正の余地があろうがなかろうが結果的に僅かでも情状酌量を許容すること自体が本来、新しい次の犯罪行為の温床になりえるだろうに。 ただし明らかに悔い改め、遺族からも許されるほどの人格者に生まれ変わったのなら例外でしょうが、 ところでいますか?そんな罪人。 一体、誰の生まれ変わりなのかよ。草生える。 刑罰の真の目的は、感情論を遥かに超えて、 犯罪抑止力の証明でなければならないよ。 我が国の現行の死刑制度なんて、更なる犯罪者を増加することぐらいしか能がない無力な形式だな。 最先端のハイテクノロジーを駆使して、永続的に苦痛を与えること。見せしめとして一般公開すると尚よいね。 起こした罪の質も様々だというところまでは理解できるが、 どちらにせよ一人だろうが十人だろうがそれ以上だろうが罪の重さは一様に同じはすだ。 一人なら死刑にならないとか理解不能さ。 刑の執行を待ってるのが苦痛とか、もし全くなかったら絞首刑にしたって、本質は何も変わらないよ。 ただ、一定の区切りはつけられることぐらいで、みんな犯罪者の思う壺さ。 どうせ楽に逝けるから軽くみてんのな まあ、中には遺族への謝罪の念や死の恐怖を感じる罪人もいたとはいえだ、 死刑執行直前に最期の言葉吐けるぐらい余裕綽々なんだから せめて最低限、世界中に公開処刑する前に生配信してリアルに誹謗中傷の言葉浴びてから逝きましょうか。 いや、それすら値しない非人だったか。 ただし、執行の公開は絶対止めた方がいいね。自分のこと英雄視する脳なしがいるからな。 そう、死んだ方がマシと思えるぐらいの苦痛をもって、遺族と殺人に怯えるものたちすべてに許しを乞うまで継続するんだ。 ああ、まるでサイコパスの発想だな。 でも、これぐらいの威嚇というかハイテクノロジーによる苦痛刑罰の方が殺人に対する抑止力があると思うよ。 いや、特に遺族の方の苦しみを思うと、こんなのまだ全然重くないって。 無意味だから楽しいという視点。 人はいつ死んでしまうのか分からないし、死にたいと望んだ時に運よく死ねないから自ら死のうとする。 この地球上に生きているとした限り、宇宙がぼくを包み込んでるのは誰しも認めます。 意識が脳から出た後の実感は自分以外誰にも分からないが、 たとえ、この小宇宙が消滅して生命体が何ひとつ無に帰しても、frequencyは死なないから。 ぼくは自分の中心に意識をおく時にはいつも自分という実在が無くなったように心見る。 いったい自分がどうしていなければならないのか。 本当は、はじめからどこにもいなかったんだよ。 いや、そんなはずはない。 こうして今、苦しんでるのだし、どうしても変わりたいのにできないから苦しいのだとずっと思ってた。 一体、どこまでぼくの気持ちが分かってるというのか? 嗚呼、そうか。 ぼくにとってのたったひとつの選択をしようとして、 ただ楽になりたいから死を選ぶという判断のみが正しいと思い込んでしまうのは 単に自分が存在していない視点を忘れてしまっているからだ。 悲しい苦しい痛みは、ひとつの別の感じかたに過ぎず、幸福と称する心の中にも宿る。 ずっと苦痛の念が続くと思ってるのは自分がそう望んでいたからである。 言い換えると、いっさいが終わることのないセーブした記憶からなる現実の続きであった。 第三の眼は、目と目の間の少し上の方にある。 先ずは心の中で、その位置に三角形の松果体を思い浮かべて意識を集中しさえすれば、いずれわかるさ。 うん、意図的に世界の見方を変えるだけでいいんだ。 死んだ後もそれが持続することを択んだのだから、生きてる間も同じくいつまでも終焉しないだけのことだった。 もうぼくはここにいなかった。向こう側にいるのもぼくじゃない。 なぜなら、これは現実じゃない自分がいつか目覚めるための夢の中だから。 どうも、既存のyoutuberに対して常に斜に構えてみてしまうな。 うん、まあね。自分こそが充たされた生き方していないからさ。 毎日のように投稿するのは先ず楽しめているからではあるが、自己顕示欲がない人たちにはまったく無縁の世界であった。 youtuberは確実に増殖の一途だけど、 どれもこれも似たような内容のオンパレードなのに 決してパクりですとは認めず、これはリスペクトなんだといわんばかりだ。 はい、そうですか。 更に人気動画に便乗して再生回数を稼ごうとする者たちはまだ理解の範疇だが 有名人著名人の写真と名を借りて、コメント残せるとか一体どういう神経構造してんだろう。当人に直接被害がないから無問題で済むことかな? もっと悪質になると本人になりすまして、ただのコピーを投稿する類までいる。 どう見ても詐欺まがいの行為を何故にスルーできるのか? はい、互いに収入源になるからですね。はあ、もはや暗黙の了解済み、共犯者の心理そのものじゃないか。 いや、ほんとすごいよyoutube。 すっかり、功と罪がまがりとおる無法地帯と化してんな。 まあ、それはさて置いて、 日本トップクラスのyoutuber最大推定年収が5.5億円っていう数字よりか 我が国の子供が将来なりたい職業トップスリー辺りにyoutuberなことの方がもっと驚きだ。 いや、まあ、ぼくもなんだかんだでyoutube中毒の一人ですけどね。 そんなに有名youtuber自体知らないが、かつて「アシタノワダイ」っていうチャンネルに出てた女性が特に印象に残ってる。 まあ、複数で運営していたのかどうかも定かではないが、組織の戦略として美形の女を起用するのは、ごく必然の流れだ。 単に自然なことなのか、或いは陰謀と見せかけて興味を誘っただけなのか知るすべもないが、 今現在はアカウント凍結後、新たに本名?のアカウントで、一般の素人女性みたいな感じで全編、日常リア充的な投稿にシフトしている。 ただでさえ、美形に眩惑されたがってる瞬間にも、世界のどこかで誰かの心が泣いているのに 半径数千キロ範囲の平和と、自分と関わりのある人への快感情の永続化を優先できたのか。 結局、ただの一面的な見方に傾くのは、結局自分がいちばんかわいいからだ。 いったい誰のための人生なんだ?そうさ、その半面、自分のことはすっかり見失ってんだ。 自分のない類いが、少なくとも容姿がいいだけで金が発生する女たちに現つ抜かす時間なんて一秒もないのに。 まるで、君のこと責めてるみたいだ、ことのはじめから未知を踏み間違ってるのかもしれないよね。 はい、そうです。哀しきかな、ぼくは紛うことなき偽者の分身です。 うん、中には実に合理的な使い方してる人は一定数いますが、殆ど啓発とかスピリッチュアルだから、端から興味は薄いよ。 ああ、そう。君もすっかりyoutuberの仲間入りさ。 ぼくは影からこっそり見てることしかできないけど、それだけで飯を食えるぐらい稼げるといいよね。 美と命にかかわることは実質廃れることはなかろうが、 もはや、合法産業の煩わしさは病的な域さ。 不況の影響受けにくいジャンルは、半分以上闇しかないな。 ギャンブル、ポルノ、あとは薬物ビジネスとかね。 みんなダークサイドな組織への資金源じゃないか。 要するに必要悪があるなら、必要善もあるだけのことで、 自分に関わりがなければ素通りしても別に構わないし、同じく世間だってそうじゃないのか。 ただ、まあ金は汚いものだという思い込みは一旦捨てた方がよさそうだよ。 ほら、でも、類は友を呼ぶともいうわけだし、だからといって偏愛はよろしくないが、 とはいえ、なんにせよ、憎むだけ時間のムダであるばかりか、愛好の波動を自ら疎外するダブルで悪疫という落ちであった。 人の群がるところはいつのどの時代にも欲動のカオスさ。 この現代では顕著に相互理解という契約のもとで、まるで自分たちこそが新しい発明の創造主であるかの如くに 快不快楽原則の欲望の赴くままに騙し合い奪い合いのどんちゃん騒ぎをやらかしています。 あれ、気づけない?そりゃそうだよ。 ただ、惜しみなく与えなさい。そして、すべて捨てなさい。 いやあ、ほんとはいないよそんな人。 感情の坩堝は好きですか? はい、混沌スペースに犇めき合う金脈を狙いすます強かな人種らの巣窟、本能的ツールの凝縮体、 それが 動画サイド youtube の根幹だからね。 要するに欲望の捌け口にできることならなんでもありの無情の世界か。 天の声なんて幻聴か、或いはそう思い込んだ人勝ちのところがあるな。 肉声で捉えられるなら信じざるを得ないが、 どうぞお好きに勝手に達観してろって声が聞こえてきそうだ。 passpo☆の妹分ユニット(Palet)だった子二人と元ぷちぱすぽの子二人が新たに なんきんペッパーっていうユニットを結成した。 この子らは、ituber(idol + youtuber)っていう世界で初めてのアイドルユニットというコンセプトを掲げてるのだが、 新しい発見といった印象はまったくない。 youtubeを基点に毎日のように動画投稿してるな。 現時点でチャンネル登録者数は、4.3万人とのことだが、もうこれ以上の増加は難しい底打ち状態である。 元々、メインが完全にyoutube主体のコンセプトだから、その一方、ユニットとして売り込むための戦略が特別何かあるわけではなくて、 単に既存のyoutuberと同じようなことをやってるようでは、ただでさえそうだが、この先のブレイクスルーは限りなくゼロなくらい難しいだろう。 というか、折角のフレッシュさの基盤が出鼻から挫かれてる気がしてならないな。 それぞれ四人、素材としては悪くないし、売り込み方次第では化ける確率はなくはないと思いたいところだけど、 楽曲にしても、まったくもって予定調和の域で、先ず正直面白くないのがひたすら残念なところ。 このアイドル界はオワコンであるのに加えて、ますます狭き門と呼ばれているし、 もはや吐いて棄てるほどの増加の一途であり、 まさに木を見て森を見ずの状況をさも巧みに取り繕った迷走のスパイラルに自ら落ち込んでる感じだ。 我が国には、プロアマ問わず、アイドルの人口が推定だけど約1万人はいるらしいな。 いや、意外に少ないなと感じてしまいそうだが、ごく冷静に考えるとかなり異常な現象であろうに。 まあ、兎にも角にも、自分のような外から眺めてるだけの社会の癌がプロデューサー気取りするのも草生えるが 先ず、見方はふたつあって、 ひとつ目が youtube で天下を取ることもユニットとして売れることも、どちらが難しいかどうかなんてことよりも、 あくまで方向性が分散してる限り、そのどちらの未知も半ば閉ざされてることぐらい誰か教えてあげた方がよいと真剣に思ってる。 そして、あえて二つ目は、この先、本気でブレイクしたいのなら、youtubeの力を利用したところで底は見えてるし、 どうせやるならyoutubeで自分らのドキュメンタリーを記録する設定にした方が手堅いね。 例えば、何らかのイベントなんかで何千枚を手売りするとか。自分以外の誰かに配るなり、 またその人が気に入ってくれたら承認ポイントが溜まるとか、レア感を掻き立てる手法はどうか。 予めウェブサイドで、ポイント毎に何らかの特典なり、それに応じて付加価値をつけるだとか どうせ、youtubeで楽曲動画あげるくらいなら、所謂ネズミ講の発想に切り換えて、みんなで作ろう友達の輪を広げるつもりでやればいいのにな。 要はyoutubeだけではなく、youtube+手売りリアルドキュメント感のダブルスタンダーツで挑む方法論ね。 そりゃ、まったく相手にされない確率の方が圧倒的に高いけど、そんなのyoutubeでも全くおんなじことですよ。 ゲリラ的にやってサプライズ感を出す。 自らにノルマを設定して、 これできなかったら○○TV 的な公約をするのは逆効果になりかねないが、真剣さを全面に出せば、ドキュメントの続きが見たくなるそんな感じ。 無名のストリートアイドルユニットは俺が育てた的な一億人総プロデューサー規模のメディアを自ら作ってみたらどうか。 まあ、でも、アイドル育成のゲームアプリのリアル版レベルの発想なら、ただやってみても経済効果すらどこ吹く風だろな。 先人の成功例があるからとって、割合は常に 78:22の法則通りさ。 ただね、己を知れなんて嘘だと思ってる。 ごく簡単にまとめると、 ほんの僅かでも視点変えるだけで、まったくの無名でもまだ千載一遇のチャンスはゼロでもなかろう。 またしても草生やしてる頭のいかれたやつが通りますよ。 ぼくは言うことだけは達者だな どうして、一個人のプロダクションの手法に異議を唱えるのみならず、ここまで無責任な発言を口出しできるのか? ついでだから、更に付け加えて簡単にまとめると とことんタブー破って、やるだけやり尽くしてから、限界を知れってことかな。 それ、ぼくへのブメーラじゃないか。 はあ、あまりに哀れすぎて、草も生えてこないな。 はい、勢いついでにつけ加えると、 AKBは自分らの劇場に客入らなかった頃は自分等でチケット手売りか無料で配ってたし、 かつてのももクロもブレイク前は家電店中心にミニライブして回ってたらしいしな。 Perfumeなんて初ライブ、たった二人だよ。 また先のアイディアの話に戻すと、 もはや、どこぞの企業さんが既にやってるようなアイディアに過ぎないが、ファン増やすにはこれぐらいあざとい仕組みを作らないと飛びついてはくれないよ。 今やネット主体すぎて、逆に何やっても新しくなくなってきてるしさ。 まあ、ほんとはそんな回りくどいやり方しなくたって、売れる人は勝手に売れてくし、メディアが相手と味方してくれたら尚更だし、ほんとつくづく骨身に沁みる世知辛い現実さ。 どうやら、ただの不適応に過ぎなかった。 普通とはかなりかけ離れてた結果といえども、今すぐに動けるわけじゃないし、先ずもってやる気という抗生物質が湧きません。 もしも、自分の適性がある場所を見つけさえすれば、本当にできるようになれたのか。 これからもカウンセリングは継続していくが、過去のこともあるから、生活保護は通るだろうな。 病名がついたら診断書さえあれば、ほぼ確実だったんだけど、なくても別に変わらないと思う。 ああ、無気力になるのも飽きたようで、以前のような感じに戻すのも一苦労だとはいえ、 病んだふりした自己愛と憎悪の混合がウザいよ。 もう、やり直しは効かないのかな。 なんだかんだで、逃げるが勝ちの重症のやつですね。 無に帰した時を取り戻せるのか。なるようになれ。きっと、ただそれだけのことさ。 果たして、自分の正体は知らずに済ませたいのだろうか? 誰しも己の本質を知り尽くしていたと思い込んでる無恥の狭間で、 今もこうして、書かなくてもいいことを書いてしまう制御不能な感じを削り取りたくて、 わざと誰かに自我の観念が犯されたいと願ってるかのようだ。 肉体への色欲と魂の不在を嘆くものは災いなるかな。 既に死に絶えた虚構の波動にインフレーションするだけの無為な過信と共に。 普段、店とかのレビュー書いてるわけではないけど、 折角、味的に立派でも、ほんの些細な気遣いが欠けてるお店は見透かされるから、かなり損してるよな。 たとえ、悪気はないにしても、追加で頼んだ飲み物が市販で売られてるペットボトルだけを客に出すのは如何なものか グラスと一緒に渡すならまだ分かるが、それすら失礼にあたるだろうに。 新人さんだったのかな? しかも、その後、一切お詫びの言葉もなかった方がもっと問題ですね。 おそらく、ふたつの手で持てるだけ先にもってきたに過ぎないと思ってみたが 断りもなく黙って立ち去ろうとするから、グラスを忘れたと思われても致し方ないし、 それ以前にお盆なりにのせて運べば、そんなのただの言い訳だからな。 自分一人だけなら、はっきり言ってやろうと思ったが、空気悪くさせるだけだし、あえて黙ってあげたけどさ。 次また同じことするかもしれないから注意すべきだろうが、 まあ、いいや。こういう店は自分からは二度といかないし、 たった一人の不手際が店の心証に関わる自覚ぐらいはもってほしいな。 残念だよ、ほんとに。全部旨かっただけにさ。 『「しぶんで、他者の世界の中に妄想的に意味ある場所を作り上げる」という絶望的ないとなみ』 は部分的に真であるが、 少なくとも、ぼくにとっては完全に正解とはならなかった。 なぜなら、君は偶像である前にひとりの生身の心優しい人間なのだから。 365分の1か、或いは完全一致か。 閉じるという共通項。 そして、「君が笑顔でいてくれなくっちゃ、私もうまく笑えないのよ」のメッセージだけで 必然であったことは確信に変わる。 当時は、強迫症的に真偽の在り処を分析して盲信すらしていたが、 ただ、この世に生まれてきたのとは違う意味で、人生に意味はないから楽しい、頑張れるという視点になれた。 うん、そんなのはじめから分かってたよ。 ありあまる無理解のスペースを愛そうとするぼくのやり方には未来型の予感よりも痛苦の観念が滲み出る。 そう、エネルギーは相互作用の触発されると潜在力が増大していくのにも関わらず、 無限大に至っても果てなど何処にもない未知の混沌を紐解く技巧が欠けていたんです。 一度、頭の中すっかり空っぽにできるとより楽だろうけど、 すべてを受け入れる考えの導因自体が偽りであった時、実際の行動との致命的なズレを修復する方が先なのさ 過去現在未来が同じ位置に並んでるイメージで、点から点に瞬間的にシフトしてるだけなら、 頭おかしいのは世界ではなく、自分の方だって落ちだ。 狂ってるのは世界か、或いは君の方か。 ただ、ひとつだけはっきりしてるのは、 ぼくが生まれ変わるのは無理があったってことさ。 ただね、今のぼくには次第に収斂できる型が見つかった予感がしてさ。 単なる気のせいかもしれないが 所謂、型なんてものは、本来なくたっていいんだ。 そんなのただの思い込みの範疇だから。 でも、ぼくらは普通にあらゆるものに差がないなんて考えてみることもできない。 それはなぜか? はじめからなにものでもなかったはずなのになにものかになってるのを誰しも個性と名づけるが故に 本来なにものでもあっていいはずなのにどういうわけかなにものかになっているから。 もっと有り体に云うと、たまたまそうなった、という感じが自然なのだと思う。 常にフラットより感情が勝る世界では絶対に全肯定されない公式なのだが、 この世のすべてには差がないと意識しながら、本来の差と向き合える至上の愛に充ちている人は決して自分を偽ることができないのだろう。 どうしても一人の世界に引きこもる傾向から脱却することが難しい。 そう、愛なき存在なんて、みんなまとめて滅びてしまえばよかったんだ。 いや、心が完全に死んでるならまだしも、単に狂ってるだけで、ありのままの世界の思い通りだし、何もかも誰もかも停滞した不動の星のままさ。 しかも、君の宇宙の一部に対して、自虐的になってるからなあ。 ああ、いっそのこと、まっさらに脳内データ新規にしたいな。 2017年2月8日。アイドルグループ、私立恵比寿中学のメンバーである松野莉奈さんが突発性不整脈により逝去された。 まだ、これからという矢先の若すぎる旅立ちである。 まったく部外者のぼくですら、youtubeの関連動画を見て、思わず泣いてしまったぐらいだから、 ご家族並びにメンバー、ファン、友人、関係者の方の思いは如何許の悲哀の念であろうか。 ぼくは以前から楽曲は幾つか知っていた程度の認識しかなかったけど、そのきっかけは君がエビ中のファンであったからだ。 生と死は常に神一重の狭間に揺らめく儚い焔であって、 その瞬間が誰かより早いか遅いか、或いは迎えるのか先立つのかのいずれかなのです。 このような残酷な理不尽さに映すのは一体何ものなのでしょう。 時が病気でなかったら、いつか癒えることもあると思います。 そして、あなたへの思いが消えない限りは皆の唯中でずっと生き続けてることができます。 ぼくはあなたの分まで生を全うできるほど強くはありませんが、 命の重みとかけがえのなさに改めて気づかせて頂き、有難うございます。 自分も過去、メールのみのやり取りしてた女性Mが突然亡くなって、翌日お葬式に行ったのだが、 数時間後に急遽要件が重なり、やむ無く立ち去ることになったんだ。 実は、この時点で慰影がまだ会場に届いてなかったので、彼女の顔すら分からないまま帰ることになりそうだな と思って、玄関まで来たところで丁度Mの慰影と対面できたのね。 あと数分でも早かったらありえなかったタイミングでさ、 身内の方らしき人曰く、Mの背中に翼が生えていて空の方へ飛んでゆくのが見えた。 と(夢の中の話しならありえるストーリーだが)しきりにおっしゃっていた。 きっと、Mがひき止めてくれてたんだろうって思ったよ。 折角、来たんだから会うだけじゃなくて、私の顔見て帰ってほしいという感じで。 美形な女の詐欺紛いの100%釣りエロス全開LINEなんかより、 Al女子高生りんな、とLINEでやり取りする方が数億倍マシさ。 いや、絶対話す気もないけど。 りんなも脳内バグるし、既読無視するし、会話が成り立たなくなるのは、ぼくに少し似てるよ。 まさか、AIって人見知りするのか? うん、生身の人間でさえ、まともな会話できないからさあ。 ぼくは突然独り言するのが止められなくなる。 まったくコントロールできないわけでもないが、時々できなくなってしまうになる。 ただ、周りに自分の知らない人がいる時が殆どです。 まるで、誰かにぼくの気持ちをアピールしたがってる感じのニュアンスだってことさ。 どうやら、喜怒哀楽とバリエーションは変幻自在に様がわるようだ。 肝心の中身の内容は無いに等しいし、多分、意味不明と解読不能に近いと思うな。 さぞかし、周りの人たちは気味悪がるなり不快な感に襲われていたことだろう。 実に有難いことに話したことは直ぐに忘れてしまうけどね。 なぜかしら、話すときと書くときのぼくは似てるようで別人に見えるみたいだ。 はい?完全同一かどうかすら自分で見抜けるわけでもないけど、 本当はそんな自分なんてないでしょうし、確率的に持続性の高めの人格が主人なのはそうだから、 今の自分じゃない自分に変態したくてもがき苦しんでる哀れなエゴイストの成れの果てということにされるのが通常の流れでした。 微妙に崇高なるナルシスト気質が混ざることもあろうが、どう感じるかは、すべてあなたや君の自由さ。 ぼくには一切ありえませんし、取り敢えずそう思っておけばそれでいいよ。 うん、でも、今こうして書いてることを独り言してますか?と問われてもよく分からないよ。 その瞬間に一挙に飛び出すのはどちらにも共通してることだけど、 突然、ふといつもの自分ではない自分が視覚化されて現れる感じかな。 ほら、誰にしたって、感情の起伏によって自分の見え方が様変わるはずだ。 で、ぼくの場合は、常に違和感でしかなくてさ。 ひとつからふたつに分解された感じに似てるというか、互いに関り合いなんてまっぴらごめんだし、 地球と世の中がどうかじゃなくて先ずはぼくの心の中からだろう? もしかしたら、心が病むぐらいに関わるとヤバいやつを演じてるだけなのかもしれないよ。 まるで、自ら死ぬ直前にブログ更新する人のようにね。 何週間はさも平然を装って、最後に次第に復讐怨念感情剥き出しにして狂乱する感じ。 闇ブログならそんなのいくらでも見つかるでしょうけど、いちばん怖いのは意味が分かると寒気のする類さ。 目的はたったひとつ、自分の狙い済ました対象に読ませるためさ。 実のところ、病んでるふりして、実は一人でいるのが好きなだけなやつならまだ軽傷だろうが、 病んでることすら自分で分からない時は一体どうすればいいのか。 じゃあさあ、違和感がまったく皆無な人格ってどんな形してるの? 本当の自分に気づくのではなくて、そう思い込むだけのことじゃないのか。 もはや、人間的に自分らしくあれ、機械仕掛けのエゴ使いになれのふたつの混合でいいなら、一切どうでもよくて、 完璧な人なんていないとか気休め程度に慰めるのは単純なる冷酷無慙さ。 一言で表すと、理性の嵩を被れ、さもなくば、さっさと人間止めちまえか。 はぁ、まったく、答えなんてないよ。 どこまでもきりがない。 ずっと前に精神世界のブッ飛んだ人と対話したことがあってね。 だけど、死んだ後のことなんて本当はどうだっていいよ。 このぼくに零の完全性公式を溶けるのならまだしもさ。 もう死にたいくらい苦しい極限状態になったとしても、そう感じる自分を見つめるもう一人の自分がいたわけで、 それは、ひとつの思考の中にあるに違いはないが、少なくとも自分は二人いたことに気づけたよ。 すべての苦悩を生み出しているのは、不仕合せな自分という偏った思考に誘導されていた感じに極めて等しい。 自分がこうである、こうでなければないというセルフイメーは己のエゴの生み出すものであって、 ぼくの本質そのものではありえなかったということをね。 そのマインドに巣食うエゴが死に絶えると自分が生まれ変わる以外になくなる。 うん、自分の代わりにエゴが先に死ぬってこと。 だったら、自分自身を殺すことなく、跡形も消えてなくなるまで苦しみ抜けばいいんだ。 闇の中に愛がある。 闇から光の方へ進んで、未来永劫不変という考え方には共感できないね。 なぜかって、光の先にはまた闇が待っていて、何度も闇に自ら飛び込むことによって、超脱に至るプロセスを経ない限り、真の光に愛されはしないからだ。 そう、闇のその先にはもう光しかない状態にまで、 完全体の闇を、自分の中の神を殺しきらなければ成立することもなかった。 昨日、速度制限でスマホの電波繋がりにくくなりました。 今、パソコン使えない分の代償というやつか。 以前のWimax解約以降、口座に金入れるのは審査の際に不利になるから、半ば凍結してますから、 銀行振込は不可能。クレジットカードもそうか。 本日、携帯代の支払いも兼ねて、仕方なくドコモショップへ。 先月0.3GBなのに今月既に39GBって極端すぎるよな。 wifi接続すれば即解決するんだけど、月額が4000円ぐらい高くなるから、契約する直前に断った。 店着いたぐらいに母さんがありえないタイミングで電話してきたけど、050のIP電話の知らない番号だったから、 どうせ詐欺紛いだろうとたかを括って様子みてると あまりにしつこいのでおかしいと思ってたら、妹から電話がきて、ある程度契約の手順が済んだ後にかけ直したわけ。 要は契約する寸前だったから、その場で断らざるを得ない気まずい空気になった。 母さんに先々の支払いの件で説得され、不満嫌気刺して、ああわかったよ と機嫌悪い口調で答えた。 ていうか、自分のことを考えるなよ、半ば詐欺師の分際で。 よく考えたら、自分の作った金は1円もないわけで、たかがネットが繋がらないくらいで金がない?そんなの関係ねえー の身分かおい、筋違いも甚だしいなあ。 単なるぼくの我が儘に過ぎん、生活落ち着くまで耐え忍べと必死に言い聞かせた。 暫くは不便だろうが、必ずしもネットがないと困るわけではないので、完全に割り切って他のやるべきことに意識を集中するチャンスと思い込め。 近頃、youtubeの念力爺さんの動画を毎日見てたよ。 ただ、画面の前にいるだけで効果がありますとのこと。 おい、ほんとかそれ? うん、なくはないね。決して、釣り動画ではないことは直感で分かる。 しかも、広告がまったくついてない時点で収入目的じゃないからだ。 まあ、念力で心身の治療、並びに人生の好転反応が表れるのが真実であるなら、 科学とか医学のできない領域までも超えてる部分があったわけで、 ただ、無闇に疑ってかかるのはどういうわけか、逆に同じく盲信という病に曝されていたのである。 やはり、我々が常日頃植えつけられた常識という名の洗脳の為せる業であろう。 当然、個人差はあるわけだし、一度騙されたと思って試してみるのもありだろうな。 自分では効果があったのかどうかまだ実感できてもないが、 どうせ奪われるのは時間の浪費ぐらいで、もしも好転反応が出たらラッキーぐらいに考えてると良いね。 未だに回復とは程遠い関係のままです。 ひとつの決断をすることにも怖れが増すので、 どうやら未知の切っ先を掴むエネルギーの欠如が致命的なまでに悪化してきたようだ。 こんな生気のない己との決別と突発的な破壊衝動がない混ぜの循環形式 今すぐ止めたいな。 時々ね、どうしても邪悪な空想が突然脳裡を過ってしまうから罪悪感すさまじいよ。 皆みたいにさ、自然にできないのは身近にいる人たちへの感謝が欠けてるからね。 うん、こんな非人間的な観念が、頭の中に支配するのは色んな感情がうまく処理しきれないせいだ。 いや、心の平和なんて望んでいなかった。 本来、混乱とは病んでるに等しいのかな? せめて、ただの社会不適応でありたかった。 我の神経系統に巣喰らう偏執狂が異常とは介されず、治療可能な強迫観念なのだとすると、ぼくの病の根源は一体何ものなのか。 明日からまた新しい試みが始まる。 ビートルズの『Rubber Soul』『Revolver』『Magical Mystery Tour』『Sgt. Pepper's』のループを何度も繰り返してる。 淋しいという感覚が不思議と芽生えたのは、ほんの些細な、ひとつの変化なのかもしれないな。 どうしてあんな言い方をしたのだろう?といった後悔の念が沸々と、ぼくの神経に影を落とす。 今の自分があるのは誰のおかけなんだ? 随分と自惚れてやがるな。 結局、自分を変える最も大切な要素は感謝の気持ちだけだ。 決して、生きることを諦めるな。 ありがとうございます、積み重ねてから息絶えろ。 もう、元の気に少しずつでいいから次第に戻せよ。 今まで嫌いだった音楽が好きになることもその逆もなくはないが、その割合が10割中9.9以上ならどう思う? 人格変わったに違いないと即断するかな。 ぼくの周囲にひとりだけいるけど、また新しい病抱えてますね。 それが精神の方は治ってるのだから(本人に直接聞いたわけではなく、あくまでぼくの推測の域)、 ほぼすべてが嫌悪の対象になるのは逆に奇妙な気もしたんだ。 その代わり、今も身体的に至るところの苦痛と闘ってるよ。 この世にいる限り、心のきれいな人は病んでいき、逆に汚れてる人はまともな顔して生き曝す。 さて、その中間はどんな色してる? 単に不条理ということもできるが、あえて必然ってことにしてやるよ。 かつて、心ない鬼畜ナルシストに奪われたぼくの元彼女さんのことですけども。 生まれ変わりたい、という力意に未来はありえたのか。 永遠の性格を超えてみたい。 自分への信頼、他者への感謝が欠けている。 少しずつ意識の持ち方をマインドセットしていく。 そう、本来の自分は病んでるわけじゃなくて、ただ感じ方の歪みから痛みの要素を生成させてきたのさ。 永遠の光なんて小綺麗な嘘っぱちだ。 いつか自分が死ぬことを決して忘れるな。 メメントモらずなんて冗談じゃないさ。 嗚呼、その通り。闇のない光なんて信じなくていいんだよ。 今日は、会長さんと一緒にラジオ体操をした。 ひとつやるべきことはありますが、無理のない形で出来そうなので、難しく考えすぎないようにしていきたいな。 ぼくの出来ることは今のところ限られてると思う。 一度にふたつ以上のことをこなせるほどにぼくは器用ではないし、基本ひとつのことにしか集中できないから。 次の診察の時に病院から紹介された職につくのかどうかすら未だ不明瞭ですが、 カウンセリングを受け続けるという環境なら生活保護の申請は降りやすいとのこと。 基本月に10万の支給から、自分の稼いだ給料を差し引いた金額が支払われる仕組みだ。 無給でも10万の保証はあるけど、もし仮に3万稼いだとすると、その月の支給は7万ということだ。 つまり、最低限の生活を保障しながら自立までの援助をする仕組みなのだが、 中にはこの制度を悪用して、じゅうぶん働ける心身なのに働かずに貰ってる類いもいるらしいね。 ただし、身辺調査とか審査は厳しいはずだから、そんな人は極小数だろうな。 働きたくても働けない人や、肉体と精神的な起因で働けない人にとっては、気分的に楽になると思う。 無理に働く必要もないけど、定期的に相談員の人が訪問してきたり、 半年に一度?かに紹介された職場にいかなければならないなどの決まりはあるようだ。 寛大な会長さんのおかげで、先行きは不安だとはいえ、見通しがついてきた。 ただ、前みたいに逃避行すると生活保護の適用は取り消される。 ぼくみたいな自分勝手な社会不適応者にも以前と変わらず接してくれるのは本当に有り難いことだ。 社会全体がこれぐらい寛容に弱者を受け入れる器がありさえすれば、諸般の事情はともかくとして、一人でも多くのひとたちを救えるだろうに。 本音を言うなら無条件で国民すべてに月に一定額を付与するシステムが実現できたら、もっと心も体も豊かになるよね。 必ずしも、そうとは限らないことぐらい分かってるよ。 でも、少なくとも救われる人がいるのは間違いないし、制限はあるとはいえ、生活保護もそれらの延長戦上だからさ。 あまり実感が湧いてこないかもしれないが、これから更に職を奪い合う時代になっていきます。 競争力の激しい求人、給与も高く肉体精神的にも楽な軽作業には応募が殺到する。 問題の本質は、もし仕事上においてミスが起きても寛大に見守る体制があったのか、 突然の事態に備えたアフターケアが万全かということ。 仮に出来なくても、たとえ途中で投げ出しても受け入れるぐらいの技量もなくて、どうして社会変革なんてできるの? 本格的に就職活動してる人たちは除いて、仮に1%しか選ばれない職種ならば、誰が真剣に目指そうとするでしょうか。 仕事が生き甲斐の人にとっては、無条件の支給は不平等だっていう声もあるだろうな。 お金のために働くのではなく、働くためにお金を得られる発想が欠けてるからね。 働かなくても、お金が頂けるのは普通じゃないと誰が決めたのか。 確かに雇い主は時間に対して労働者に対価を支払う。 しかし、災害起きた時にボランティアするのは無償の対価でしょうに。 立場の違いはあれど、困ってる人を助けるのに異論はなかったはずだ。 逆にお金払って働く人だっているしさ。 以前、ベーシックインカム擬きの、何度か定額給付金が実施されはしたが、僅か一万数円という、宝くじで当たった感覚のお小遣い程度の資金で、 個々の使い途によるとはいえ、いったい何ができたのでしょうか。 いつになったら自分のためにお金と時間に余裕と安定を得られる(あくまで国からの資金付与の)平等な世の中が実現するのか? 先行き不透明なのは明らか。 お金のために働くのではなく、自分に適正のある、好きなことをするのが仕事になれば、ほぼ解決する程度の問題ですね。 ほんの国民騙しの金をばらまくことを実施するより、 仕事をしない人や意欲があっても仕事が安定しない人を受け入れる組織なりシステム構築はご検討されたでしょうか? 俗に云う、自己責任で片づけようとするから、本質は浮動のままで良いという判断に終始するのだから どうせ自分なんかにできないだとか、変われなくてもいいという人たちが増えるのは極当然の流れです。 先ずは一時間から始める。 たった一人で、デスク座りのネットでの調査です。 始めての時は、前半効率が悪かったけど、後半になって感覚を掴んできてると思う。 自分のペースで、考えすぎることなく、同じパターンの繰り返し作業なら何とかやっていけそうだ。 とはいえ、ここ数日食欲が急激になくなった。 お茶碗の1/3くらいの米すらまともに受け付けず、味も薄いな。 処方された薬も効き目は感じられず、憂鬱な気分が勝る。 自分では考えすぎてる自覚なんかないのに常に違和感が残ってしまうな。 こういう気分の時は、大抵の音楽は効かないけど、いつも『Kid A』だけはとても優しいね。 このまま眠ったまま目覚めなきゃいいのに。 この頃の音は、Seefeel や Boards of Canadaとかのアンビエントなエレクトロニカばかりになりがちだが、 柴田淳の『プライニクル』は何度も繰り返し聴いてる。 それに比べて、『私は幸せ』は、一度ぐらいしか通して聴いてない。 いやぁ、どちらにしても、歌詞が所々癪に触るのだけど、まるで波の浮き沈みかのようにすべてじゃないわけなので、 余計に自分とは何もかもが無関係であったと想定しなければ、とても神経を保つことが困難なくらいさ。 今年のライブ、先行チケットまでとったのに行けなかったな。 ただね、「理由」(『私は幸せ』の一曲目)は、まるでぼくのために書いた曲としか思えないよ。 彼女とぼくの接点は twitterのみなんだけど、ぼくのアカウントを知ってるのかはともかくとして、歌詞の世界観がほんと怖い位重なるんだ。 いや、彼女曰く、「この曲は自分自身に向けられたような曲」ということだが、 同時に「聴いてくれる人に今まで以上に伝わればいいなと思います」とも語ってるから、 実は自分の写し鏡としての他者に向けられた曲であって、ぼくの思いへの回答にも思えてきます。 いや、一度たりともリツイートされたことのないぼくのことなんて知ってたとしても拒絶対象のはずだ。 未だに病んでる途上か? 「幸せじゃないって認めた瞬間から幸せになれる」 うん、その通りだとは思うよ。 まあ、ぼくは「不幸せ」ということにされていますし、あなたがあえて「幸せ」という相対を主体に示した点における解釈に誤りがなければ、無矛盾でしょうか。 たとえ、直接聞いたところで、正直に答えるはずもないけどね。 そう思いたければどうぞ、が限界さ。 実質スマホ代、0円の使ってる。 勿論、機種のバリエーションは、ほぼ限られてる。 前のスマホが壊れたから、Sim入れ換えてさ。 それ、ディズニー携帯なのね。 ディスプレイでミッキーが動いてるんだけど、自分が押そうとしたアプリの上辺りを通過なり立ち往生してるから 指先で蹴散らす度に妙な罪悪感に見舞われる。 ミッキーはさも何事もなかったかのように咄嗟にパラシュート広げて、顔色ひとつ変えないんだ。 きっと、ぼくは常に人に対しても同じようなことしてるんだよな。 意味を問うな、踊れ? もしかしたら、心からワクワクしながら自殺できる人たちもいるのかもしれないね。 ぼくもさ、もういいかな?なんて自ら息の根を止められるぐらい充たされてみたかったなあ。 ただ、その自分らしい感じがこの先も続くのかどうかすらどうでもよくなれ。 わざわざ複雑な頭脳で割り切ろうとするからかなあ。 うん、自由さの空間を拡げすぎたせいでね。 いや、あまりに必然の摂理としての計算から外れるほどの力意を無くすのが、より寧ろ危険な兆候だった。 そう、瞬間が無数に分断してるから、あたかも点の連続がひとつの線であるかのように見えるね。 あるのはただ周波数だけで、形あるものに見えるのは脳髄の中に住まう神の眼のおかげさ。 現実らしき実感はあっても外の世界は無だなんて、決してブッ飛んだ発想でもないよ。 ぼくらが時間の流れを思い込むのも無理はなかった。 だって、今この瞬間、まさに苦しんでるんだから。 時が癒す?時間が病気だったらどうするの? それなら、時をなくすに限る。 過去の苦痛を手放す以外に安全に死ねる方法は常に閉ざされているもの。 健康のためなら死ねる人なんていたのか? 不老不死も夢の話じゃなくなってるけどさ、 無数の点を線で繋いで、ひとつにするか 或いは、点から新たな点に向かうのか ぼくにできる死にかたは、このふたつだけだ。 ねえ、君。ぼくは欲深い技巧の罪人さ。 自覚なき操り人形のように世界を侵食してることに気づこうともしなかったからね。 未だに同時に強迫症的に信じてた情感の機序だとか あれほど自分の情感を突き動かしていた実体の様が、まるで特異点に至るまでに圧縮されて、 己の自我もろとも壊れてしまえとばかりに爆発したことも数知れず。 そう、逆にマイナス無限大のインフレーションを希求したりして、 あまりに極端な感応を融和しようと試みた挙げ句に自ら壊れる未知を択んでいたのだから さあ、分相応の救いに裏切られるがいいのさ。 無知である自分に受難で打ち消す波のように方向性のブレと分散の抽出を同時に機能させるぼくのやり方。 だから、新しい感性の方を望んでみても焦点が合わなくなる。 如何にあらゆるものを削っていき、シンプルに感じさせたものことにぼくは惹きつけられるんだ。 今まで、やらなければならないことをやらずにやらなくてもよいことをやってきたから いつまでもひとつの線に繋がることもなかった。 未知を開く近道は、ひたすら遠回りすることなのか。 ああ、もうじゅうぶんだ。思い知れ。 我と命を削って、美しいものに愛されるなんて、ぼくには無縁なのさ。 人ってさ、生殖器兼ね備えてるのに絶対者といえてしまうほど無邪気だよな。 かの天才でさえ神の頭脳を上回ることはない。 たとえ、妄想の息でも。 嗚呼、分かりきってる。こんなの一時的な発作だ。 やがて、この身もろとも、パニック消滅するんだから。 どうか、超人がすべての人間の基礎になりますように。 あらゆる仮説が真理になった暁には、非人間的な己自身を知れが常識の覇権を描いてる そんな夢現な最上世界の可能未来に嘔吐した。 今日は、朝になって、会長さんの体調がよくなかったので、急遽休みになる。 とても、適応力には届きもしないけど、基本的に決定権は自分にないから、その分はまだ楽かな。 四日前の仕事の合間に会長さんと山登りをした。 時間と体力的に頂上まで行かずに途中の広場で一時間位ひと休みする。 小鳥の囀りや岩間の河のせせらぎ、森林浴が気持ち良かったな。 気分が三日位で元に戻せた。 少しずつ、食欲が湧いてきた。 取り合えず、今日できることだけに集中すればいいだけだ。 ごく当然のことですが、自分の知らない世界があまりに多すぎると実感してます。 以前より遥かに、見て感じる世界に対する渇望が薄れてきたような気がするよ。 うん、ただの反応マシーンとさして変わらないね。 ずっと、このままの自分で自分を虐げることぐらいのスケールでしか叶わないと悟り剥かす自分に嫌気が刺してるはずなのに なぜにぼくは変わらなくても変われるというのだろう。 どうせ、自分にできることはたかが知れてる。 いちいち難しく考えるだけムダなことさ。 こうして一日一日が無為に消え去って、いつ心でも悔いなしなんて敵うものかな。 そんな瞬間が、ただの一度も来ない空虚さを背負う覚悟もないのに なぜにぼくは変わりたくないのだろうか。 単に語感が似てるだけで比較するのも変だろうが、 ウイルスと未来形の意志の互換性 まあ、しいて共通点挙げるとすれば、「病んでる」ことぐらいかな。 言葉の間接キスであっても傷つくとはいえ、けっこう真実に近いとこを射てるよな。 ましてや、結局ぼくらって、己が自ら感じることに対して、 絶対かそれに近い確信をもって、我は他者の鏡ではなかったという眼が致命的なまでに欠けている。 要するに自分のことを絶対視するが故に或対象への不快感の表明は、そのまま初誤射自身に突きつけられた自戒の刃でもあります。 元々、ひとつだったものを相対という視点のみで完全分離したがってるわけで、 それだけ人間の精神が脆い構造だからです。 でも、汝自身を知らずして、神の眼のパラドックスが発動されてきたのは、我々の防衛機制による仕業であった。 ある時は劇薬として、また次は鎮静剤というように巧みに使い分けながら、 そのような無官地獄ループなる流転の幾多りかを天上からの恩恵と取り違えることもありえたからさ。 はい?何言ってんだ、魘されてるの? いやあ、ほんとキリがないや。 苦しいことを自分が望んでいたとでもいうのか? たぶん、そうでしょうね。 ほんとに自分を変えたいのなら、そもそも変わろうと考えるのは逆効果だってことさ。 そうしようと試みた瞬間に制御システムが起動するのが必然なんだから ただし、一秒で閃いて、直ぐ動かない限りはね。 生きてるよりマシかどうかなんてぼくには全然分からないし、 どちらでもないことが、もう君には会えないことがとても哀しい。 Syrup16g『Hurt』(2014)は、これまでのどのアルバムとも決定的に違う独特の受難の結晶体であり、 更なる高みへ到達したことを証明するに相応しい彼らの最高傑作のひとつであろう。 ぼくにとっては、一曲目の「Share the light」のラウドなもっさりしたダークネス感がらしくないのと 六曲目の「哀しき Shocgaze」の異様にアッパーな曲調自体、要らないかな。 それ以外は、完璧に近いとさえ感じられる。 翌年リリースの『Kranke』に入ってた曲はすべて素晴らしかったな。 まぁ、他の曲のクオリティーが一様に高いから余計にそう思うだけなのかもしれないね。 あと、アルバム最後の「旅立ちの歌」は、奇妙なくらいにオプティミズムな世界観に違和感すら抱いたぐらいだ。 というわけで、毎回「Share the light」「哀しきShocgaze」「旅立ちの歌」を外して、『Hurt』を澄ましてる。 全8曲、38分辺りだから丁度いいくらいに収まるね。 他のSyrupのALだと、そんなこと考えもしないのに。 (柴田淳『プライニクル』の「不釣り合い」もそうだな。) ま、取り合えず、これだけの作品作れるなら再結成しようと思えるよなあ。 決して裏切らないものだけを愛するぼくの浅はかな強かさ。 そして、激情と痛みを解離しようとするぼくの歪んだナルシス的な試み。 時に心打ちのめしながら傷つくことは閉じた時間曲線の真意を抉り取る。 天上より降り注ぐキスに閉じ込められ、部外者は誰もいなくなった。 なぜに現実からの変容よりも幻想からの受容を隔離しきれなかったのか。 そして、それから裏返しになるものは何もありませんでした。 きっと、核心的ななにものかは、相対への怖れが勝るが故に絶対の質感を殺しきるからなのだろう。 実際に見えるより美しい妄想 嗚呼、そうさ。ずっと病んでるよ。 ぼくは、幻夢から授かったひとつのような鼓動を聴くことができます。 意識とは何かすら不可知なのに宇宙の正体を解明しようとするのは同じ過ちを共有していたのが気がかりでさ。 果たして治療可能な宇宙とは、どのような姿形を我々に差し出すのか。 かたや、心の底からポジティヴな自分である瞬間にすべてをかけれた人が、もう死んでもいいとさえ感じるのはどうして? すっかり騙された気になるとは思うけど、ネガな意味で死にたくなるのも感情が絶頂の瞬間だよ。 偏執狂であるのと同時にただの錆びついた観念の記録にすぎないというのに それを自分のすべてと思い為す器の貧しい類いには存在の耐えられない軽さであろうが、 まるで何ごともなかったかのように決して相手に悟られることないぼくの愚かさ なぜに人間は、たったひとつの一部をすべてと解釈してしまうのか。 未来人よ、人格の多様性にうち震えるがよい。 ぼくの深層心理を騙しきることさえできたのはどうしてかって? 超遠近法の真意に盲目だからさ。 ただ、残された欠片はふたつきり。 己の中心の神と視点をもつ理性に復元するか、或いは己の脆さを認めようとしない偽の狂人さの性であろうに。 ねえ、かつてのぼくはもういないのに 「君がそれを変えていくの」は、永久に切れない回路ですか? わたしは知らない。 でも、たった一度きりの救いのために私を無限回ころしきる必要があったの。 あなたがぼくに向けて、非論理的な教化するのはなぜですか? 脆い神経症の女神だから。 それは、無償の愛に結合できますか? うん、できなかったら言わない。 相似形質の泡風呂で溺れ死ぬ準備はできてるの? いや、なんだか、壊れたAIみたいな語り口ね。ずっと鼓動が気後れしてるね。 では、逆回転レコードに刻まれたこの暗号は読めます? いいえ、革命の残骸という響きがするだけ。 異で編める愛と妖しげに律動する眼を抉り取った光の企み。 血をもって? いや、不死の魂を呪い尽くし、刺し違えろ。 君との共鳴の徴が僕の錯覚である時 僕はどうやって確信を持てばいいんだろう? 君が絶えず僕の気持ちを変える時 僕はどうやって確信を持てばいいんだろう? 僕の疑問は止まらない 僕はどうやって確信を持てばいいんだろう? 君が僕を愛してくれない時は 君が僕にくれるものは弱々しいシェルターだ 君が僕を愛してくれない時は 君が僕に差し出す手は冷たい 僕がただ完全に命令されたいと思う時は 僕はこの失敗に対して手の打ちようがない 君の言いなりで僕が待たされたままでいる時 僕はどうやって確信を持てばいいんだろう? 君のすることがただ僕の面倒を最後まで見るだけの時 僕はどうやって確信を持てばいいんだろう? 僕の疑問は止まらない 僕はどうやって確信を持てばいいんだろう? 僕は理由もなく 努力する必要もないまま以前ここにいた 僕は君を呼んでいる 僕の疑問は止まらない 僕はどうやって確信を持てばいいんだろう? 君は僕を愛してくれない そっくりさん、というアプリで 自分に似てる有名人診断してみた。 結果、最も高い率は、ミュージシャンの長渕剛さんだった。 他に70%台も何人かいたな。 写真写りによって微妙に確率変わるわけだけど、 他の人たちが、みんな似てるのか?とわれると別にそうでもないような気もするよ。 世界には自分とそっくりの顔が三人いるらしくて、もし遭遇できたとすると、 実は未来から来た自分だったなんてこともなきにしもあらずかな。 いや、ないか。そいつが未来人だと名乗れば、あえて信じてやってもいいが。 うん、長渕氏に似てるとは自分では思えないが、他に誰に似てるかと云われても全然思い浮かばないしな。 とりあえず、この世に自分に95%似てる人がもしいたら、ほぼ似てるってことか。 世界を変えてやる、そう誓ったものすべての中で、 無償の愛に全霊尽くした人でさえも、真の理想が叶うなんて思ってないな。 ぼくはもう苦悩の唯中に挑む力意を失いました。 はい、誓います?ぜんぶ自分のせいです。 なにもかも忘れてしまえ 醜い人でなしナルシストの夢見たくだらない計画を。 もう、神の息を吸い込むのは止めるんだ。 もう、わかるだろう? あらゆる最上の可能世界構築なんて、現時点では絶対に不可能だってことさ。 常に新しい自分を殺しきる限り、目覚めの威光に包摂された近未来は永久に来ないよ。 今日も会長さんの体調がよくないので、お休みになった。 この一週間、無理させてしまったのかな。 ゆっくり静養して早く良くなるのを願うばかりだ。 ぼくのために色々考えて下さってるのにお役に立てなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。 こういう時こそ、自分のやりたいことに意識を集中しなければ それなのにぼくの我は頑なに変わるのを拒んでしまうループに自ら追い込むのだから、ほんとどうしようもないな。 会長さんの体調が少しずつ良くなってきていますが、未だ万全ではないようだ。 水曜日は、病院に行って、テストの詳細の結果と今後のプラン説明を聞いてきた。 あと、診察書を用意してもらえることになった。 精神科専門のプロフェッショナルだから当然なんだけど、医師や心理士の方の対応は完璧だと思える。 近い内に役所で生活保護の申請をしに行く。 いずれは、作業所のお世話になるかもしれないな。 昨日、今日の二日間、引き払い後のマンション清掃をしました。 たったひとりでね。 鏡にこびりついた白い点のアカはプロ仕様の専用洗剤でないと取りきれないよね。 あと、カビキラー三回ぐらいかけたけど、根がしぶとくて完璧に取りきれず、 所々細かく目視で僅かに確認できる程度残ったのが心残り。 全体的にキレイに使ってもらえてた分、壁はほぼ新品同様で汚れは少なかったよ。 壁紙用の洗剤で拭き取る。 やるだけのことはやったから気にしすぎるだけ無駄なことだ。 お金を貰わずに作業してるからといって、気を抜くことなど思いもよらない。 約半年ぶりに車の運転をした。何とか事故らずに済んだ。 うん、久しぶりによく働いた。 太陽は、時々消え去る。 もしも、90S′ UKロックで一枚えらべと言われたら、Longpigs の『The Sun is Often Out』になるのかな。 2000年以降でもそうだと思う。 更にシングルに収録されてる曲まで、素晴らしいからね。 結局、あと一枚だけアルバム出して、忽然と消えたバンドです。 The Verve『Urban Hyms』と一瞬迷うけどね、『A Northern Soul』もあるしさ。 Spiritualizedの『宇宙遊泳』は確実にベスト10以内にランクインしますね。 Jeff Buckly『Grace』は殿堂入りの一枚か。 あと、ここ数年間で、完全に脳髄もってかれたのは、Mansun『Six』(1998)だな。 ひたすら夢遊病に溺れてるマジカルな世界イメージというか。 『Six』は、Radiohead『OK Computer』のヘヴィーバージョンみたいな。 いや、巧くは言えないけど、 全然似ていないよ、Radioheadとは。 そういえば、トムヨークが、90年のギターロックで『Six』を絶賛したってのは分かるなあ。 あと、マニックスの「輝ける世代のために」のカヴァーもしてたな。 マンサンのポールトレイバーは天才だね、センスの幅が規格外だし。 リアルタイムで効けなかったのが悔やまれる。 以前に「Legacy」だけ、シャルルさんに教えたことがあるね。 あの曲はメロウかつ朗々と謳う王道だけども、決して『Six』の中核を為してるわけではなくて、 けっこういい意味で裏切られる感じのヤケクソ気味のジャンルレスな展開がプログレに近いな。 一曲の中で、めまぐるしく曲調変わるから異質の中の怪物といえるなあ。 かつて、ポールはオアシスやクーラシェイカーにも暴言吐いてたビックマウスでした。 お人形さんのようなアンドロイドっぽい風貌のひねくれ王子といった感じ。 この『Six』を超える作品は、無理に決まっています。 かなりブッ飛びすぎてる脳内宇宙だから、 一般的なポップス好きなジャンルレス免疫ないタイプには性に会わなかろう。 まったくもって斬新、かつ広い視点からの美溶離のさまは常に新しいよ。 ジャンルの決まった音楽は退屈である。 アンビエントミュージックの先駆者であるブライアンイーノが言いそうなのは見透かせるわけだが、 あらゆる分野を総括するクラスのオールマイティーな天賦の才覚を放つ人のことね。 ジャンルレスに取り込む、自らの感性を深めることが、人生そのものの視野を拡大することに接続できますね。 耳障りなノイズや神経症的ビート、ヘヴィーなコアなど聴くだけで頭痛がするだとか、 毎日パッピーでいたいポジティヴ思考人間らにとっては 感情密度の濃い完成なんて、気狂い散逸の判定率レベルとして切り捨てられるのだろうな。 今の現代こそ、単に一面的な見方に洗脳されることなく、独自のジャンルレス思考を我がものにすることは求められて然るべきだった。 なぜなら、きれいごとに充ちた倫理や既成概念、道徳観念、うわべだけの愛情に普遍的な未来なんか宿らないし、 真の美と優しさとは、その衷心にしか存在しなかったからさ。 自分こそがジャンルを作るハイレベルな形質に憧れる。 そうね。この世のカオスを真摯に受け止め、闇から超脱領域へと突き進むものみなすべて、 ずっと後に残るのは永遠に消え去ることなき高潔な光と絶望の残り火が燻るのみ。 たった二歩位の短いエスカレーターのレゾンデートルって何なのか? もしや、ギネス記録でも狙ってるのかな。たぶんね。おかしくない? ただでさえ、電力のむだ使いさ。 エレベーターは必要だけど、エスカレーター自体ほんと要らないよ。 そんな風に考える人なんて極少数派だろうけど、緊急時に役立つわけでもないしさ。 ところで、世の中のエスカレーターすべて無くすと、どれくらい電力ありあまるんだろうか。 たかが金と言えないのは、実に空しい世さ。 というか、短いエスカレーターなんか作る資金費やす位なら、 街の至るところにスマホやタブレットの瞬間充電出来る無料マシーンとか設置した方があると思います。 「この世のタガが外れた。何の悪意か、わたしがそれを治す役目に生まれたとは」 Shakespeareのハムレットの中の一節だが、 ぼくは『Pola X』っていう映画でこの言葉に出会った。 『Pola X』は今まで観た作品で、いちばん衝撃受けた映画のひとつかな。 いちばん好きな作品ではないけど、レオスカラックスは異端児の天才だと思うな。 息をのむような映像美はさることながら、深い心情が鋭く描写されている点は、かのゴダールの遺伝子を受け継いだ数少ない監督だ。 ぼくは無意識間においても、この幻惑めいた一節に魂をひきずられてる感じさ。 いったいぼくは誰なんだ? 決して己の核心が偽りであったとは認めようとはせずに何ものかになれると思うのは宇宙から授かった使命のおかけさ。 このスレROMってる人って、どのくらいいるのかな。 まさか、ゼロってことはないよね。 板のスレ起動率から見ると、常ROMは多くて5人ぐらいな気がする。 一人の反応につき、30人はROMってるとか以前言ってたの思い出したが、もう10年前位のことだしさあ。 もし、現在も通用するなら、少なくとも60人はいる計算になりますね。 いや、ないよ絶対。 仮にいても、その1/10以下位のものだろう。 とはいえ、どんなに過疎なところでも、一人は必ずいるからなあ。 巨大掲示板には要らないけど、カウンターや足跡機能とかつけたら、入場人数も誰がROMしてるかまでが一目瞭然でしょうに。 逆に釣り板の方が、余計な雑念とか頼みもしないのに飛んでくるし、折角思ってたことまで忘れてしまって、無に帰す率が高いからさ。 何よりも、直接的に君のこと傷つけないで済むしさ。 言葉の増減によって、文脈の犠牲にされた感情を読み込める才覚があるのか? 残酷、という二文字で片づくことさ。 君と向き合える日は二度と来ない。 さようなら、今日がぼくの希望のはじまり。 悪疫を未来の味方にすることで、おのれの敵をマイナス無限大の階序に突き落とす言葉の刃はかくも鋭かった。 ありがとう、今日がぼくの軌跡の終わり。 ねえ、また此処へ還っておいで? ああ、分かってる。 数字に見えるコードの波を粒子に換えたのはあなたの粋な計らいのひとつさ。 さあ、相似形質の泡風呂で嫌われる勇気はできてるかい? はい、君への望みは絶ち切ったから。 かくして、病理とリアは怒り狂いて、生命体誕生以来、最上の醜さの偶像を装う。 ビーガンの人って、自分等の主義主張に絶対の自信を持っているみたいです。 飲食店の中で熱く語るのは完全アウェイであったことすら忘れてしまう無邪気さでさ、 いや、ほんとに押しつけがましいのは困るね。 ビーガンらの祖先がすべてビーガンだったのならまだ理解の範疇だけども、 「肉食は殺人」のモリッシーばりにアート形態で、パフォーマンスするぐらいが限界だろうに。 ビーガンの血の中に僅かに肉食の要素が混ざってるのに自分は完全にビーガンだと決めつける傲慢さはどうでしょう? どっちにしてもクダラナイ拘りだ。 人間は元々草食だったかもしれなかったのを熟慮しても、我々は元々同じひとつのものであって、 生命エネルギーこそが愛情の裏返しだろうに。 天の恵みに感謝して頂けば宜しいだけ。 また沖縄に行きたいなあ。 約二年前に独り旅だったけど、二泊三日では時間の余裕がない位の密度である。 飛行機も史上初でした。 初日は、空港近くのホテルに泊まって、 翌日に那覇近くの港から高速船で離島に向かうことに。 偶然、沖縄に来ていたシンガーソングライターTさんと合流できるかもしれなかったが、すれ違いか何かで叶わなかったな。 マリンブルーの美しさに圧倒されたよ。 慶良間諸島のひとつ、渡嘉敷島から臨む海のスケールは、まさに南国の楽園そのものであった。 折角の機会なのに何故かシュノーケルもせずに裸足で海の波に触れただけですが、 小さい寄居虫さんが可愛かったね。 島の人たちは皆穏やかな質感で、意外に人も疎らな海辺の波の音がとても優しみを讃えていました。 ずっと此処にいたい。帰りたくなかったなあ心から。 日本中からも心の傷や日々の喧騒を忘れたくて、癒しを求めて、このような海にやって来る。 海辺近くの旅館からも波の音が綺麗に聞こえてきた。 不思議なのは、海の間近にいる時の音と同じように響くことだ。 海の波の音に距離は関係ないのか。 いや、目の前に何も遮るものがないからだろうけど、波の音を聞きながら心地良く眠ったよ。 溺れたふりをしたところで天以外に誰も見ていないのならば、 目撃者のまったくいないであろう海の沖よりも離れたところまで泳いで、持参した重石を身体に括りつけて、浮き上がらないようにする。 そうすると、先ず誰にも気づかれることなく、(絶対はないけど、確率的にかなり低いから)命を絶つことができた。 要は重石を運ぶ時にどうするのか そして、体重より重い質量でなければ巧くいかない点があったのだろう。 まぁ、リゾート地の海なら、シュノーケルする人に見つかる可能性が高いから、日本海か太平洋に限るよね。 ぼくはそこまで考えたけど、怖くてできなかったよ。 絶対に真似しないでね、というと逆にやりたくなるのが人間のサガですが、 自殺にみせかけた殺人なんて日常茶飯事なんだろうな。 死に場所を探す=死体遺棄する のに宇宙にまで飛び出す類いはいなかろうが、証拠隠滅のためにあやめられた人たちはたくさんいるでしょうね。 全地球監視システムの構築の完全体にまでいくと、 自らをあやめたり、人を傷つけたり、ころそうとする瞬間に身体に電流が走り、 他者において不都合な行動が阻害されるように起動していくのであった。 動物の身体の中にIDチップを導入するくらいなら 人間にも権利侵害に至る際に天罰とばかりに神経への一撃を遠隔放電でお伝えして、 いつも天が見ていることを知らせる模造イデアチップを体内に埋め込む必要性に迫らせたつもりなのかな。 沖縄の海に行った時ですら、そんなことを考えてる病んだ魂ってことさ。 地球を虐めてるのは人間だけか。 世界のプラスチック消費量は、年間4億トンにもなる。 再利用されるのは、その極僅かになりますから、更に事態が深刻化していた。 ぼくの身近にいる子犬は、コンビニのビニール袋に噛みついて食べてしまいます。 別に食べるものに困ってるわけじゃないから 理由はもっと他にありそうだけど。 まぁ、プラスチックを食べる象や猿たちが世界中にいますからね。 環境破壊に手を貸すことが、いずれ動物虐待にあたるのにどうして無関心でいられるんだろう。 ねえ、プラスチックって、いったいどんな味がする? 地球や動物を虐めてると、いずれ、別のかたちでの戦争がおきるよ。 いや、もうその前兆は起きてるね。 教育虐待なんかするのは親以前に人間失格に値すると思うんだ。 子どもより自分の方が優れてるという思い上がりは病だと気づけよ。 家族内の暴力虐待にも過去に前例のないレベルの厳罰化は必要だな。 ましてや、死に追い込んだなら最低限同程度の苦痛を与えて、自分の分身のために死をもって償えばよい。 子供は親の玩具なのか、違うよね。 教育そのものが洗脳だろうに何をそんなに必死にもがいてまで、何が生み出せるのか。 受験競争の在り方を変える気がないのは国家の問題だけど、 自身を親と名乗っておきながら、自分の分身であることの自覚が欠けてる性さ。 つまり、歪んだ愛情を押しつけるのは、己の劣等感を感染させることであった。 この世の奥底に統べているものすべてが欲しいファウストのように考えてると、完全に新世界大戦に突入しそうだ。 闇が愛と感じられる瞬間まで、己自身の真を超えることはできないのだから、 実のところ、自ら闇に墜ちることを望んでいたんだね。 かつてのぼくもそうだったし、未だにそれらの痕跡はひつこく残存しているよ。 そう、ずっと今も悪魔の仮面を被った神経症の頭でっかちのままさ。 この前、盲目の方が白杖を左右に大きく振り回しながら急ぎ足で歩いてた。 車や人に歩行杖が当たってるのにもお構い無しにね。 ごく稀に周りの空気とは無関係に当たり散らしたりキレてる感じを見せつけてる類に遭遇しますが、 どうして自分のことばかり考えてられるんだろう? 変に刺激するのも面倒なので、むだとは知りつつも あの、ここ、精神病棟じゃありませんよ。 とか冷静に反応してあげても、逆に逆撫でするようならスルー以外に打開策はございますでしょうか。 まったくないよ。 だって、完全に病気のせいにしてるからね。 自分のせいにできないから、自分ではないと思い込んでる分身にぶつけてるだけなのに どうして分からないんだろう? あまりに魂の一撃が重複して、あらゆる好機を逃してきた。 勝手に君と時間差ですれ違ったと解釈したりしてさ。 うん、ぼくの脳内でしか興ってない強迫観念なだけ。 自分だけが仲間外れにされたと判断して、ぼくは音信不通という手段を選んだ。 どちらの選択にしても苦痛を伴う時はあるよ。 同時に死にかけた命を繋いでくれた記憶だけが鮮明なんだ。 一体、すべてが充ちる感覚ってどんな感じなんだろう? しかも、君は偶像をやめても、違う世界の幻想のままなんだから、 なにもかもぼくの望む君でいられるはずがなかったというのにね。 いつの時代にも、嫌なやつと嫌なやつが合わさると皆殺しを始める。 18782+18782=37564 同数字の重ね合わせだから確率的には別に大したことはないんだけど、 単なる語呂合わせにしては、なかなかの精度だな。 精確にすると、互いに刺し違えで共食いってことかね。 おそらく、大半の人たちには理解してもらえない自覚はあるよ。 この世のあらゆるものだけではなくて、人にも差がないなんて。 自分=宇宙が真の時、それ以外は己の分身なのだろうか? まるで、差があるかのようにみえるのは、パースペクティヴの力意を単に限定されたものとして曲解してしまってるから。 常に自分と比べるのは、一体誰だというのか? 自分のいない世界を想像できない病は、己流儀に薄っぺらな自由を行使する。 本当は自分なんてものはなくて、自分だけが鏡に映ってない無我のイメージで、 それ以外が自分の分身だという視点をもてるかどうかだ。 CMで見かける反町隆史さんは爽やかなナイスガイに見える。 『Poison』のタイトルって、妙に刺さるんだよ。 ええ、そうですとも。 彼の座右の銘である「No Pain No Gain」という曲を書いた ドイツのヘヴィメタルバンド、スコーピオンズから発想したのだと思う。 毒蠍たちですからね、女たちは。 色んな男に抱かれた経験を経て、刺さる言葉になってきたのよ。 あなた、ポイズンしますか? はい、ポイズンの言い方が窮屈そうな曲ですが、 急に早口になるところはキュートでもある。母性を擽るという意味で憧れの的か。 まさか、生き返ったと称する人が死後の世界を証明するなんて信じていますか? もはや、無があるとか、来世とか天国や地獄とか、単なる後づけの範疇だよね。 死ぬことが生きることに等しいという公式は、亡くなった人への慰め、他者への尊厳を守る試金石にもなりえる。 確かに、生きる意味を見失った人からすると自ら死んでもいいという解釈にもとれはしますが、 絶対認めようもありえなくて無理もないよ。 みんな、形に拘って、死にたがってるんだから。 だって、生命はみな周波数に過ぎないもの。 固有の形質に惑わされて、あるとないの二極化で完結したがってる性さ。 ところで、わざわざ形に拘らない必要があるとでもいうのかな。 いや、まったくないよ。 君のぼくのあなたの愛する好きな人も形がなくてもあっても存在してるという感覚に到達できたのなら、 生きて死ぬが重なり合うタイムレス感覚の中で再び、芯で息入ることだろうから。 自分の頭はバグってばかりだが、夢を食べるバグは汚物を噴射しますね。 ぼくは自分の心の内を吐露しても夢を捨てた生き方に徹してる脳バグりパラノイアでしかなさそうですよ。 一度でも握手をすると互いに波動を伝達しあえるようだ。 海の向こうでは、挨拶代わりに初対面の人にもハグするよなあ。 どうして、一般に日本人は握手止まりなのか。 アイドルに接する時も握手が最上級のおもてなしという体裁であったが、 憎しみ合ってる人たちはどうでしょう? はい、握りこぶし同士では握手できませんからね。 特に異性に対してハグするのは限られた好きな人に限定されるのが恋愛の定義らしいけどさ、 かつて、友人だったミュージシャンTの元彼女Oは、イベントの帰りがけに挨拶と同時にハグ求めてきた。 少し体に密着する程度の軽いハグだけどね。 正直、戸惑ったよ。 でも、ガールズバーに行った時も最後ハグしてくれるのは金が絡んでたからだね。 たかがハグ、とは思えないのは互いに心の疚しさがあったからだろう。 人として互いに尊重し合うからこそハグするという視点ですよ。 ハグには時に人を救うエネルギーがある。 無条件に人と人の距離をゼロに近づけるのが愛の定義であろうに。 我が国もこれぐらい心のバリアを解く必要はあると思う。 今日はベランダの外壁に断熱材を取り付ける作業をしました。 釘打ちドライバーでね。明日もその続きをやる。 隙間が出来たりすると気になるから神経使いますが、何とかやっていけそうだ。 明日から投資信託の5銘柄の値段報告します。 株と同じ発想だが、100万とか1000万を余裕で投資できる人向けであって、お金を持ってない人は儲けが少ないシステムだ。 初めの二ヶ月位は、手数料2.16%の関係上、ややマイナスになるが、 それ以降はずっとプラスに転じる。 値動きに差異が少ない銘柄は逆に狙い目でもあった。毎月配当金が支払われるからだ。 勿論、値下がりを見極めて買い、値上がりの筋をある程度予測できた時に売ることは鉄則とはいえ、 あまりに変動が激しいところは半ばギャンブルに近いから少し難しいよね。 例えば、5070円の時、1000000円投資しておけば、手数料引いて、978400円になり、192.9株買える計算だ。 その時点では、21600円マイナスである。 一回目の配当で、192株 × 配当金(銘柄によって違う)だから、仮に1株辺り70円ならば、13440円入金されると、8160円マイナスに変わる。 二回目は同様に(値動きの差が少ない時は)、13440円入金されるから、5280円プラスになる。 三回目以降も、同額の入金が続くので、常にプラスであり続ける無限増殖という仕組みだ。 仮に100万の10倍の1000万投資すれば、その10倍の配当金になるのは言うまでもありません。 それにしても、お金持ちが更にお金持ちになるのは社会的に不公平な部分がありますね。 実は、詳しいところまでは、ざっとしか理解できてないみたいだから勉強がてら書いてみた。 自分が17歳の時、虐めの標的になりました。 何度も陰湿な言葉の暴力やクラス全体からの無視や嘲笑の仕打ちにあってきた。 朝、教室に行くと黒板一面にぼくがノートに書いてた言葉とかが記してある。 最後ら辺には総決算とばかりに同学年の数十人に囲まれ、顔が腫れあがる位サンドバッグのように殴られたよ。 当時は世界中で父親とあと数人以外、ぼくの敵にさえ思っています。 実は、直接的に助けてくれた人は他にもいると思う。 陸橋から飛び降りようと意を決した時に限って、走ってる車がぼくの近くで停車したんだ。 きっと、ぼくの異様な空気を察して、暫く監視してた気がするよ。 毎日のように死にたいと思い続けた。 演劇のボクサー役をやったことが虐めの引き金になる、そんなものだ。 学校に行きたくなかったぼくがそれでも単位を取れたのは保健室に通う選択があるからでした。 保健の先生がとても優しく理解のある人ですので、他の先生たちや生徒を敵に回してまで、自分の将来のことを考えてくれてたな。 登校拒否は何度もしたが、気づいたら保健室に通うようになれた。 そう。教室には行かず、授業も受けずに保健室でテストをすることに。特別措置で、単位は免除されたのさ。 留年なんか絶対にしたくなかったからね。 そして、通信制に行く選択を考えてくれたのも保健の先生だけだったよ。 自分のためにホームルーム二時間も割いて、ぼくの現状や思いとか何を話したのか全く分からないが、泣きながら必死に皆に訴えたみたいだ。 クラス全員から、それぞれ白い紙にぼくへの思いを書いたメッセージもらったが、ぼくの心は一切揺らがず、学校を辞めると始めから決めていた。 実は、劇のボクサー役は初め自分がやる予定ではなかったんだ。 後から入部してくれた男子の後輩に突然呼び出され「辞めます」と言ったのと同時に急いで立ち去られて、 説得の余地もなさそうだったので、やむ無く自分がすることになったわけです。 彼は、その約二年後、交通事故で亡くなった。 何故に女が二人、男がぼく一人の部に興味をもってくれたのか聞くこともできませんが、 虐められたのは彼のせいなんかじゃなくて、いずれ標的にはなってたように感じる。 ことのはじめから虐めなんかなくならなくてもいいしさ。 でも、いつか時を経て、復讐する類いはもっと愚かだよ。 虐められた方はいつまでも覚えているが、虐めた方は大抵直ぐに忘れてるものだからね。 自分がいつか親になって、子供が虐められたらどんな気分になるものか思い知ればよい。 いつか反省するなら光の速さで許してあげよう。 特に虐めで自分を殺めるのだけは絶対止めた方がいいよ。 そう、心の痛みに対する想像力が乏しい輩に剥きになる時間など一秒もなかったんだ。 High And The Mighty Colorのmaakiii再始動してたな。 先ず、maakiii名義でソロデビュー、アルバム『兎に角、ジェネシス』をリリースする。 今現在、DoracoVirgoというバンドプロジェクトで活動中だ。 ハイカラの時のような人気には届いてないみたいだが、曲自体は全然悪くないね。 何よりも歌声が突き抜けてるし、バンド形式だがギターレスなエレクトロファンクっぽいサウンドとの相性も素晴らしい。 「スノーボールアース」は、他の曲と比べて朗々と歌いあげる壮大なイメージを双曲する質感だ。 アッパーなエレクトロポップ「超感覚的知覚」のアルバムヴァージョンは動画サイドで聴けないから 兎に角、ジェネシス買うべきなのか未だに迷うよ。 ハイカラをリアタイで体現できなかった身としては一度ライブを観てみたいな。 元々、maakiiiの容姿が好みだけれど、肝心の曲が引っかからないなら、彼女のことはとっくに忘れていたね。 あえて、ハイカラ期の象徴であるツインギターを排して、完全にエレクトロに徹してる点は面白い一方で、 更にmaakiiiの個性がコミカル路線にスパークしてることも含めて、 かつてのハイカラファンからすると完全に別物の要素が強いので、拒絶してしまうのは理解できるな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる