静閑寂雅奉
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悲しみのない自由な空へか。私も地よりは空を駆けたい 狡猾という言葉に少し引っかかるが、大した意味はないのか?カラスのことか…? クロウってコードネームに違和感がなかったわけじゃないが、まんまと騙されたよ明智五郎 極端な話、白き羽根を選ぶのが大多数であろう。いや白と黒の二分化さえ不毛かもしれない。赤い翼だってある 色にも意味があるってことだ。大袈裟にいえば文化も。そういうのを語る本も普通にあるのではないか 寝起きだから文章にキレがない。顔洗って、体操して出直す 振り返るとやはり「も」という助詞が目立つ。これでは自己完結にさびがつく 思考が鈍っている。昨日がピークだったか。今日はインプットに努めたほうがいいかもしれない それでも浮かんだ言葉は記す。私の世界を作りあげるために ただこの行為に夢中になって、他者の意見を聞かずに振る舞うのだけは避けるよう、気をつけたいところ 伯母の喫茶店で勉強しようかと思って、今日営業してるか電話でたずねてみようと掛けると、出ない。 数学を勉強する志はあるが、気持ちだけでそれを実行する気配はまるでないのである 文字のリズムを味わうことに充実感がわくので、どうしても興味はこちらなのである 文系と理系かという区分けはしたくないので、こだわらず、つまるところ両刀使いになればいいのである そのような人間になることを目指したいわけなのであるが、いうまでもなく努力しようとも思わないのだ 相手も自分に嫌われてると思って近づかないどころか、嫌いな素振りを見せる 改善するつもりはない。積極的に仲直りさせるほど私はおひとよしではない みんな仲良しとか、いい人とか。無理する八方美人は疲れる 嫌われているんだったらそのままでいいんだ。頑なに拒否するつもりはないし、その人に話しかけられたらちゃんとこたえるよ そんなことを何度も経験し、枕もとに涙ぬらしているからな。どうにも考えたくないんだよ 臆病だと思えばそれでいい。今はそんな自分なんだ。ストレスをためないコツだと思っている つまるところ、人間関係の窮屈とか、考えないようにしている 彼らに言わせれば、数学ができる人間は冷酷で、計算高く、油断ならない、極めて扱いがたい人間であるそうな この種のわからず屋に遭遇すると、不味い夕飯を食う気分になってしまうのだ 理屈を先行させて行動を制限するのか、行動の中から理屈を見出していくのか 前者は西洋から東洋への接近法であり、後者はその反対である 理屈を先人の知恵、または歴史と置きかえると丁寧かもしれない 歴史を学ばず、自身の経験だけを過信し、未来永劫に渡って東洋人に罵(ののし)られる そして世界人から論理なき人間と蔑(さげす)まれている だから、複雑極める現実の社会の問題など、取り扱えるはずがない そのような貧弱(ひんじゃく)な知性で、政治を語り、経済を論じ、社会問題に眉(まゆ)をひそめて見せても、何の説得力もない なお、これらは引用であり私の言葉ではない。他所(よそ)の主張を丸飲みし、身の丈に合わない言葉を並べて納得しようとしている心の動き、危険な思考法だ 本居宣長は「漢意(からごころ)」と呼んで私を軽蔑するだろう 数学できない自分を肯定するような逃げの発想に埋没するのはやめて、また真摯に向き合おうではないか それが必要ない社会に立たされようとも、静かに学習して主体性を保つ。慰(なぐさ)みに精神面を安定させる 積極的に数学に興味があるとは主張しない。まずは静かに独学から始めて形をつくっていく 生活には数学の発想は便利ともいう。そして、数学も一つの文化だ。彼のわからず屋はそれを把握しているだろうか どうでもすればいい。職業訓練校に通うことになれば勉強する機会が少なくなるかもしれないが、他の趣味よりは力を入れて己を高めていくことが理想だ ただ段階としてはまだ一歩も踏みだせてない。「数学は必要なのか?」に対し「必要だ」という結論づけて、助走をしっかりと頭に組み立てているのだ 本を読むだけではなく、説得力のある論理で人に説明できれば、初めて本当に理解したというのは経験上ある 権力という邪な欲望を求めるのは甚だない。というかそれを書いていてそう思うのは、己の能力を過信しすぎだ 公に発表するかどうかはともかく、ここでヒッソリと主張はする 少し……気持ちの整理はついたか?昨日は肩をこわばらせて頓服まで飲むくらい安心していなかった 病気が寛解したのに、また病気になるようなことをするのか 仕事できない立ち居地に置かれるんだよ
そっと見守るさ 裏からやるのは慣れてる
いて欲しいってメッセージ送ってくれる人もいるし
ただ働き続けられるかな
今はそれ考え出すと気持ちが追いつかないので、
一旦追いとくことにした 人気商売に嫉妬はつきものだから
あたしじゃなくて相手が困らないように考えないと思ってる あした相談面接受けて、何もかも晒して、アドバイスでこころ動くか実体験してみよう そしたら、長い目でみれば、延長線が現われるのではないか 会社側の気持ちを考えると、障害者の自分です、って言えばその点を見るのは当たり前 ボランティアでも嫌な人に遭遇すれば、邪なこころが生まれる。俺は避けてしまうだろう 一生懸命勉強して東大に入った女子大生が電通に就職して、自殺した ふとここの立場を見れば、高飛車の天涯孤独、なんという名だ。都合がいい 1世紀くらいまたげば、昔の人ってこんなに働いていたんだ、なんて驚かれる。皮肉だ 勝ち組にはなれないし、ならない。負け組でいたほうが心地よいさ そもそも、人と比べる生きかたは、あの人の言葉で、やめたんだ 明日の面接の前で結論はでてる。面接官は顔をしかめるだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています