ぼくたちには、自分の身体とは別に精神というもおがあると考える癖がある。
これはどこの文化にも見られる共通した思考習慣であり、そのことは否定できない。
だから二元論という思考はどうしても捨てがたいのだ。

精神と身体だけではない。
ぼくたちの思考の習癖となっている二元論的な対立には、
善なるものと悪なるもの、光と闇、実在と仮象(かしょう)、絶対者と絶対でない存在、神と人、エロスとタナトス
など、さまざまな対立関係が思考の枠組みのように使われるのである。