Aleph 庚
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>>485
意図をくんであげられたか自信ないですけど、どうも。 素敵な風景画が描き続けられるのを見ることこができる
感じることが出来るあたしでよかった
お父さんとお母さんにまた感謝できる(笑) Parasite Eve - OST - Someone calls me... Someone looks for me...
https://youtu.be/sr89znbZOrY 先人に感謝しなきゃね。文化をちゃんと紡いでくれてありがとうね、と。 とりあえずメモ。
https://www.youtube.com/watch?v=tnNJR1jgWnM&index=26&list=RDyDXCQkOr4P0&spfreload=1 /⌒ヽ
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三 U .U 挨拶は気軽さがたいせつであると思います。
それ以上は、たがいに疲れてしまうでしょう。 日本国憲法関連の記録をしようとしたらNGに引っかかる。 ERROR: Rock54: Warning: NGワード禁止! パリ条約が源流
90年前の1928年8月27日、パリ・フランス外務省の「時計の間」。
日本を含む15カ国の高官を前に、ブリアン仏外相が宣言した。
「利己的で意図的な戦争に終わりをもたらす日となるだろう」
1600万人が犠牲になった第一次世界大戦の反省から
生まれた「パリ不戦条約」の調印式。
それまで戦争は国家の自由と考えられていたが、初めて戦争を違法とした条約だった。
加盟国は63カ国に増え、「戦争なき世界」を目指した。
しかし、自衛のための戦争は制限されないことが交渉過程で確認され、実効性が薄かった。
日本は旧満州(中国東北部)を占領。ドイツやイタリアも自衛の下に侵略を広げ、
第二次世界大戦を防げなかった。
大戦後、45年の国際連合発足とともにできた国連憲章は、条約の理念を引き継いだ。
国際紛争を「平和的手段」で解決することや、「武力による威嚇(いかく)又(また)は武力の行使」
を慎むよう加盟国に求めている。
日本国憲法9条1項はこの流れをくみ、戦争放棄をうたう。
ただ、戦後制定された多くの国の憲法にも同様の規定があり、9条1項が特別とは言えない。
つまり、多くの国の憲法も日本と同じく「戦争放棄」の理想を掲げている。
47年制定のイタリア憲法は、紛争解決手段としての戦争などを否定。
87年制定のフィリピン憲法も「国の政策の手段としての戦争」放棄をうたう。
2000年代に左派政権が誕生したエクアドルやボリビアも、紛争解決手段としての
戦争放棄を新憲法に掲げた。
侵略や征服目的の戦争を否定した憲法も多い。
ドイツは「侵略戦争の準備」を違憲とし、刑事罰も規定。
フランスは1791年憲法で征服戦争放棄を定め、
現行憲法も引き継いでいる。 自衛の名の下に
だが、2001年にブッシュ政権が「自衛のための戦争」を宣言して
アフガニスタンを攻撃したように、自衛権を根拠にした軍事行動が繰り返されてきた。
国連憲章は個別的、集団的自衛権を国家の「固有の権利」として認めているからだ。
侵略と認めて軍事行動をするケースはほとんどない。
自衛権を根拠に、多くの国は憲法で軍隊の保持も定めている。
不戦の理想が実現しにくいのは、これが大きい。
世界で最も強固な平和憲法とされる日本国憲法が特別なのは、
9条1項の「戦争放棄」に続き、2項で「戦力不保持」を明記している点にこそある。 scene23が落ち着く……。今日はそんな気分なんだな。 憂鬱な感情と向き合える、一人にいるようで、それはグレーな感覚。 もう少しで夏になれば虫のハーモニーが耳を触れることもあろう。心地いい。 このやりかたで「あなたに会える、会いたい」という気持ちが惹き起されるのだろう。 患者を強制隔離し、施設へ軟禁。
絶望と孤独の中、審判の日を待ち続ける…。
黒き翼の生える、その日をな。 ざっと読んだが心くすぐるような話はなかったな。惰性で読んでいるが。 凍えそうな季節にキミは愛をどうこう言うの
そんなのどうだっていいから
あたため合おうよ こごえそうな季節にキミは愛をどーこーゆーのー
そんなんどーだっていいから冬のせいーして
あーたためーあおおおおおお 【作業用BGM】格好良いフォルクローレ音楽集【全31曲】
http://www.ni covideo.jp/watch/sm8365604 >>562
(_ _ )
ヽノ)
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( _ _)
(ヽノ
ll アマゾン効果、宅配便勢力図に異変 日本郵便が急伸
宅配便市場の勢力図に変調の兆しが出てきた。
11日、日本郵政傘下の日本郵便などが2017年度の宅配便取扱数を発表。
最大手のヤマトホールディングス(HD)傘下、ヤマト運輸が採算性改善へ荷受けを
16年度比で約2%減らしたのに対し、法人向けの値上げ幅が小さかった日本郵便は
26%増と大幅に伸ばした。
ネット通販の急増に伴う人手不足への対応策が、宅配シェアを左右し始めた。
日本の宅配便は16年度に年間約40億個に達した。
米郵便計器大手のピツニーボウズによると、16年に世界で宅配された小包は650億個で
日本は中国(310億個)、米国(130億個)に次ぐ3位だ。
日本は大手3社が計9割超のシェアを握る寡占市場。
トップのヤマト運輸がシェア5割近くを占め、約3割の佐川急便(SGホールディングス傘下)、
2割弱の日本郵便とは大きな差があった。
ところが11日出そろった3社の17年度の取扱数は、
ヤマトが18億3600万個と16年度に比べ約3000万個減らしたのに対し、
佐川は12億6200万個(同4300万個増)、日本郵便は8億7500万個(同1億7800万個増)
とそれぞれ伸ばした。
ヤマト1社が縮み、佐川と日本郵便が受け皿となる構図だ。
ヤマトは17年、集配要員らの労働負荷軽減も理由に「総量抑制」を導入。
アマゾンジャパン(東京・目黒)など法人顧客と値上げ交渉を順次進めたほか、
17年10月に個人向けも値上げした。
採算性の低い荷物を引き受けなかったことも他社への流出につながった。 一方、佐川はヤマトに続き個人向け運賃を引き上げたほか、法人顧客とも採算重視で値上げを交渉した。
佐川の増加幅が4%にとどまるなか、3割近い拡大を果たしたのが日本郵便の宅配便「ゆうパック」だ。
日本郵便も今年3月に個人向け運賃を平均12%引き上げたが、
荷物の9割を占める法人向けの値上げ幅は個人向けと「ほぼ同じ」(広報室)。
他社の値上げ幅が3〜4割に達するケースもあるなか、
低価格志向の中小企業などがゆうパックに乗り換えている。
かつて国営事業だった際に公表していた運賃割引の設定を民営化後も引きずり、
大幅な値上げをしにくい事情もあり「想定を超える伸び」(幹部)につながった。
18年度もヤマトは荷受けを約4%減らす計画だ。
一方の日本郵便は17年度比約9%増を見込み、さらに差は縮まりそう。
佐川は「横ばい」(SGHD経営企画部)を見込むため、
3位の日本郵便は2位の背中に近づくことになる。
ネット通販の急拡大を受け、米国や中国でも宅配分野の人手不足や
競争の構図の変化が起きている。
中国ではアリババ集団のサービスを中心に宅配需要が急増した結果、
17年に荷物の遅配や紛失が頻発し社会問題化した。
米国ではアマゾン・ドット・コムが外部の運送会社に委託していた宅配を
自前で手がける動きを強めている。
消費活動がネット通販への依存を強めるなか、
宅配網は社会インフラとしての重要性を増している。
日本ではヤマトの総量抑制を機に物流網における深刻な人手不足が注目を集め、
働き方改革などの契機となった。
ヤマトの総量抑制は課題克服に向けた動きだが、顧客の流出など痛手も大きい。
日本郵便も荷受けの急増に伴い社外への配送委託の費用も膨らんでいる。
10億個の大台が視野に入るとはいえ「採算性を重視しむやみにシェア競争に走らない」(幹部)
方針だ。 躁鬱病とはいかなる病気か。
「躁鬱病の正式名称は『双極性障害』で、躁状態と鬱状態を繰り返すことが特徴です。
落ち込む時はすごく落ち込み、元気な時はカラ元気でハイになります」
一般に躁鬱病にかかりやすいのは、「真面目で人の評価を気にするタイプ」という。
「典型的なのが真面目で自分に与えられた役割を忠実に果たそうとして、他人からどう見られているかを人一倍気にする人です。
その評価がちょっとでも悪いとものすごく落ち込みます。
他人からの評価を気にするあまり、対外的によいイメージを無理をして作ろうとしがちです。
そのため、現実の自分と理想の自分とのギャップが大きくなることが、躁鬱病を発症する一因と考えられます」 中学生でもできる副業情報ドットコム
時間がある方はみてもいいかもしれません
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EVDXR 「迎合者は軽くみられる。」それは紛れもない事実だ。 私がそう強く感じ始めたのは、現在通所している通称デイケアからだ。
ここで繰り広げられている環境は「学校」と相似している。
学校とは言うまでもなく、みなさんが年齢の若いうちに通っていたそのものだ。
相似どころか一致と言ってもいいかもしれない。 残念ながら学校というものは、甘酸っぱい「青春」などという呼び方はハリボテ、
隠された真実は、まず周りの者を敵とみなし、その中で生き残りをかけた「戦場」である。
より良い自分をみせるために一所懸命に働きかけ、主張して“運良く”周りの目にひかれ
認められたら、その人間関係は大変すばらしいものになるだろう。
栄光を握ってハッピーエンドだ。 問題は私が着眼する点。うすら寒いので私自身の立場としよう。
学校という舞台からはじかれ、ドロップアウトした、
いわゆる「負け組」のレッテルを貼られた者だ。
笑い者にされるのならまだ救われよう。
存在を忘れるどころか、それ自体認識されないままでいることもある。
生がい苦渋な表情で床を舌でなめることになる。 そういうわけで、ここから本題として「迎合者」の話を始める。
迎合とは、自我を捨てて他人が良いように調子に合わせるということだ。
この生き方が自分にどんなマズい理由があるのか、実例をあげながら述べる。 まず一つ、相手に謝ることはしないほうがいい。
これは道徳的観点でいうと、悪いことをして相手に迷惑かけたら謝るというのが普通の考えだ。
そうではなく、私が言いたいのは、自分が悪くなくても悪いと認め謝ることだ。
この行為をすると相手はつけ上がり、「こいつにはまた同じことをすれば、自分のためになるだろう。」
と対象者を否定ないし利用し、比較して己の価値を高めようとするくわだてだ。 もう一つ、むやみに相手をほめることはしないほうがいい。
上記と同じ結果だ。その人がほめた側を対等として見なくなる。 以上のように迎合者は常に軽くみられる。
自分がどれだけ意見を言おうと、周囲は有無言わせず水泡のごとく消されてしまうのだ。
その空気がどれだけ辛いことか。屈辱である以上に、そう考える自分が嫌になる。
自己否定に繋がるのだ。 一度そうなると関係を修復するには長い時間をかけてしまう場合がある。
これは容易ではないのだ。どうしても辛いなら、あきらめて別の環境に移った方がいい。
そしてそれから気をつけよう。 なぜこんなこと考えているのか。それは私が今まさに苦しいからである。
こうみると生きることは、他人に認められて初めて肯定できるのだ。
大手振って人生を誇れる。それが支えであり、なにより生きがいなのだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています