20になったし人生語りたい [無断転載禁止]©2ch.net
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なんかさっき消されたんだけどなんなんだろう
破天荒な人生だったから
書き込み慣れてないから長くなるけど独り言していくよ 俺は三人兄弟の次男
一つ上の兄貴と双子の妹がいる
ハイスペックな心の病を持った母親と
長期で服役するような父親の元に生まれた 三歳までの記憶は特に無いが
一番古い記憶の中では既に両親が離婚の別れ話しで大喧嘩しているのを兄貴と階段の隙間から見ていたのが最初の記憶だ
双子の妹はまだ自我が芽生えて無かったみたいでただただ泣きじゃくっていた 兄貴と二人で見つめる両親の姿も最初は怖かったが慣れていくにつれてまだ自我も無くただただ泣き続けてしまう双子を寝かしつける事を考えるようになった 両親の喧嘩の八つ当たりで家の屋根に追い出される事が良くあった
俺と兄貴は妹が寒がらないように服を脱いで着せたり泣いて怒られる事がないように星を指差して「綺麗だねぇ」なんて妹に話しかけてた
今思えばこの20年の中で一番兄弟らしく心を通わせてたのはこの頃かな 一年程毎日の様な喧嘩も続きだんだんと父親が家に帰る事も少なくなった
父親は子供に興味が無いのか関わりたく無いのかあまり干渉してくることは無かった
母親は教育と言いながら八つ当たりでストレスを発散していたからどっちかって言われると母親の方が嫌いだったな
そして八つ当たりで飯を抜かれ腹が減って寝れなくて母親が寝たのを確認して夜中に冷蔵庫を漁りに行った時
久しぶりに父親が帰って来た
父親に腹が減って寝れないと言うと
インスタントラーメンを作ってくれた
次の日から父親が帰ってくる事は無かった
それから今まで一度も会ってないから顔も覚えていないが父親の記憶はそれぐらい それから母親と四人の生活が始まった
最初の方は母親も 「もう父親は帰ってこないから皆で頑張って行こうね」 なんて言って優しい感じになったが長く持つはずも無く
父親と喧嘩ばかりしていた頃の母親に戻っていった
こんぐらいから妹も自我芽生えて色々と感情を出す様になった 元に戻った母親は飯は抜くし暴力や暴言も当たり前だった
その頃は特に辛くも無かった
自我芽生えた時からこんなんだったから
逆に普通を知らなかったからね
20の今となっては過去が辛い事だったと思えるのは幸せを知ったお陰なんだろうなって思ってる
辛い事しか知らん人間はそれが普通で辛いって事にすら気づけないだろうからね
母親がキレる事に大した理由はいらなかった
蛇口が閉まってないだのドアが閉まってないだのとりあえず何かを見つけては怒り狂っていた
俺はその頃はまだ根が純粋のバカだったから
妹に母親の怒りの矛先が向かない様に
母親が怒る理由を見つけて「 誰がした? 」と
キレる相手を探す度に「 僕がしました 」って
アホみたいに庇っては罰を受けていた
この頃こんなに庇って自分だけ罰を受ける様な事を自らやってなかったら
今頃は兄弟仲良くやれてたのかもしれん 幼い俺の想定外な事が起こり始めた
自我の芽生えた妹は庇う俺を見てそれを利用して自らを守りだした
母親の罰を食らわないように
母親の機嫌が悪い時にはわざとキレられる事をしてそれを嘘をついて俺のせいにしだした
俺は呆然とした
「 あんなに守ってきたのに 」
心の中ではその気持ちで一杯だった
でも俺を利用されてでも妹が守られている事に違いは無いかとそれすらも耐える様になった
母親の中ではいつもキレられている俺がたいして泣くことも無くなって
つまらなくなったのか双子と兄貴を可愛いがって俺だけを差別しだした
それには流石に泣いた
俺はクローゼットがある小さな部屋に押し込められていたいたがその壁を挟んだリビングでは俺以外の家族の「 幸せ 」そうな環境があった
俺はその家族の楽しそうに話しながらご飯を食べている光景を見て初めて「 辛い 」という感情が出て涙が止まらなくなった
俺は夜中に寝静まったのを確認して冷蔵庫を漁ってクローゼットの隙間で一人でご飯を食べる様になった 一年程過ぎこんな生活にも慣れていった
母親に「トイレに行ってもいいですか?」と聞いてからトイレに行き
食器洗いや洗濯を済ませクローゼットの隙間に戻り
夜中に飯を漁りに行き
守ってきたはずの妹に追い込まれ
母親からの暴力や暴言、夜に家を追い出されたり近くの山に放置されたり
一番辛かったのは自分を守る為に俺に母親の怒りを仕向けていた筈の妹が明らかに俺が痛めつけられるのを面白がって嘘をつくようになった事だったな
唯一の支えはこそっとご飯をくれたり夜中に家を追い出されて冬の寒さで凍えていると家を抜け出して布団を持ってきてくれて朝まで一緒にいてくれた兄貴がいた事だった
この頃もう8歳ぐらいで転校を2回していたが学校での記憶は特に無い
転校しすぎてほんとに記憶から消えている
そして初めての児童養護施設へ入る事になった 児童養護施設はまー両親がいなかったり両親に捨てられたり片親で子供を育てる事ができないとこの子供なんかが集まった学校みたいな所
様々な職員がいて親の変わりになって教育する
三交代ぐらいで1日中 職員が常に出勤してる
場所にもよるけど3歳〜18歳の男女が過ごしてて異性とは恋愛等を規制する為にあまり関われないようになっている
施設内の厳しさはその施設によって全然違う
施設から通う学校の友達と遊べたりゲームが出来たりする施設もあれば学校まで施設の先生が迎えに来て施設外の関わりを規制したりゲームや音楽を禁止される施設もある >>13
ありがとう
質問とかあったら気軽にしてくださいw いろんな板を巡回してみようと思って
たまたまこのスレが目に止まった
これも何かの縁だし最後まで見るからね 初めての施設に入る事になった理由はよく家を追い出されて夜中に一人で外にいるのを見ていた近所が警察に通報して児童相談所から調査が入った事が原因だった
母親は他人に対して二重人格の様に態度を変える事が恐ろしい程上手く俺が真冬に裸足で外に追い出されてるのを見た近所の人が家に帰そうとしてくれると悪さばかりして言うことを聞かない息子に困らされる母親を演じていた
団地に住んでたから近所の人には気が狂ったように叫んで暴れている母親の声は聞こえていた
俺が追い出されていると上着を持ってきたりご飯を作ってくれたりする近所の人達に良く救われた
児童相談所から調査に来る大人達は母親の演技にいとも簡単に騙された
子供の俺がどれだけ助けを求めても信じてなんてくれなかった
その時から大人に対する嫌悪感を抱き始めた
結局母親は睡眠剤を過剰に摂取するようになり精神病院へ入院することになった
そして兄弟三人で児童相談所へ入る事になりそこで施設が決まるまで過ごす事になった
児童相談所の中はとても居心地が良かった
なにしろ敵がいない
そして自由がありお腹一杯にご飯が食べれるのだ
児童相談所で妹と話す事は特に無かった
兄貴とは自由に話せる事がとても嬉しかったのを覚えてる
そして児童相談所の職員だったおばあちゃんにとても可愛がられた
初めて愛を感じた気がする
とにかくベタベタとそのおばあちゃん先生に引っ付いていた
寝る前の背中をトントンしてくれる事がとても幸せだった
何度もトントンされながら幸せですすり泣いた
何も言わずに頭をヨシヨシしてくれた
児童相談所の中は飯も美味しくて
勉強、運動、ゲーム等子供らしいことを沢山楽しんで経験した
そして入園する施設が決まった
入園する施設が決まると児童相談所から出ていかなくてはいけない
俺は可愛いがってくれたおばあちゃん先生との別れが悲しくて泣きそうだったが他の職員にまで泣き顔見られたくなくて我慢した >>15
ありがとう
途中で嫌悪感抱くような話しもあるかもしれないけど宜しくお願いします 兄弟三人で入る初めての施設は比較的に厳しくない施設で自由があった
だいたいの施設は施設内で宗教がある
初めての施設はキリスト教だった
俺はこの施設で色々な恐怖を知りそして人として悪い面を成長させていく事になる
児童相談所は多くて20人程生活してるが
施設は100人程生活している男女同じ数ぐらいだ
施設内での人間関係にも慣れ施設から通う学校にも友達ができて家での生活より自由がある施設が楽しくなっていた頃に俺の人生を変える事件が起きた 話しは変わるが俺は良くハーフと間違えられる
普通よりは顔は整ってる小さい頃は周りには可愛い可愛いと言われてきた
それがその事件を起こした
最初の施設は小学生から高校3年まで同部屋で過ごす施設だった部屋の数は10部屋ぐらい
いつもの様に寝ていると俺の布団に誰かが入ってきた
パンツしか履いてなくて俺を触り始めた
俺は恐怖で固まったがとても気色悪く頭が壊れそうな程トラウマになった
このまま抵抗しないと今までどんなに辛くても耐えてきた自分が壊れる気がした
そして俺は布団の横にあった筆箱から鉛筆を取り出して布団に入ってきた高校生を刺しまくった
俺は理性が飛んで叫びながら暴れていたから施設の先生達が駆けつけて取り押さえられた
問題になって高校生は治療を受けた後別部屋に1ヶ月入る事になった
俺はその日から自分を守れない力の弱さを憎んで強い力を欲する様になった 襲われそうになった日から毎日必死に筋トレをするようになった
必死に必死に力を蓄えた
施設内では男女の交流が規制されているから以外にゲイやホモで無くても性欲を満たすためにそういう事があっている
そして施設では施設内での権力や派閥の様なものまでもあるしイジメも良くあっている
俺は施設で一番権力を持っていた高校生の後ろを引っ付くようになった
気に入られていれば自分を守れるからだ
妹は女子達と仲良くやっていた様だった
兄貴はたまに会いにきて遊んだり話したりしていた兄貴とは家族としての絆は切れていない気がした
通っている学校でも誰とでも仲良くしてムードメーカーのような立場を作る事で自分の心地よい居場所を作る努力をした
自分の居場所を作るためには施設でも学校でも何度も喧嘩したり問題を起こす事で注目を得ようとした
でも一人になると本性が出てしまう
周りには常にニコニコして面白い事言って笑わせて悪いことして注目されて笑ってる
そんな自分が一人になるとスイッチを切った様に真顔になってしまうのを実感していた
ストレスを感じた
本当は何も楽しくないし周りから自分を必要とされる事でしか自分の居場所を実感できない自分が嫌だった
そして自分の為に手段を選ばないで暴力を振るい他人には作り物の人格を作れる様になった自分が母親と重なり吐き気がした >>14
ありがとう
邪魔にならないよう
最後まで静かにロムします 小学3年生になった
施設内には高校生までいるからエロ本等当たり前の様に隠れて読んでいる
俺は仲良くなったリーダーの高校生が見ていたのを貸してもらい性欲を覚えた
施設ではご飯を食べる食堂等では男女同じになるのでご飯の時間では男女が話す事等が多少できた
俺は女子高校生に気に入られていた
「 可愛いねぇ〜っ」良く頭をヨシヨシされてた
食堂でのすれ違いに手紙を渡された
7時に二階のホール前に来てと書いてあった
皆がNARUTOだのアニメを見ている時に抜け出して二階の広場にこそっと行った
女子高生と仲良く話ししてたらいきなりキスされたこれが初めてのキスかな
何だか頭がとろけそうな気がした
保育園の頃に初恋をしたけど次に好きになった人がこの人だった
相手はまぁ性欲の捌け口にしてただけだろうけど
舌を入れられると混ざり合う唾液に興奮した
まだガキだったしね
相手に胸を触らされてまぁ色々とした
結局何度も何度もそこで会った
そして母親がたまに施設に来て休みの日に施設を出て兄弟三人と母親と出掛けてまた施設に帰る外出を行うようになった
母親は変わっていた
物凄く良い笑顔でご飯を作ってくれたりした
そして母親の退院が近づき何度か外出したりして母親と交流もして
家に帰る時期が近づいてきた
俺は母親の姿を見て幸せな家庭に戻れる事を信じてワクワクした
そしてそれは大きな間違いだった >>23
邪魔にならないので気になった事とかあったら何でも聞いて下さいw 施設から退園して家に帰ることが決まった
女子校生との別れは少し寂しかった
施設と学校の友達に別れを告げて
兄弟三人と母親で車に乗り施設を後にした
俺はこれから幸せな家庭を取り戻せるんだ!と児相と施設で過ごした事で前向きな考えを持てるようになっていた
母親への恐怖も施設で何度もあった外出や外泊(外泊は泊まりで母親と交流する事)で薄れていた
友達達にバイバイと手を振って家に帰る車の中で母親に「 引っ越しした家はどんな所? 」と聞いたら母親は何も答えなかった
その時母親の態度に少し恐怖が蘇った
兄弟達もあまり言葉を交わす事は無かった
そして新しく引っ越しした団地に着いた 施設から持ち帰った荷物を新しい家に運んだ
昼になり母親がご飯を作り始めた
手伝おうとしたが家に帰る車の中での無言が気がかりで一人で荷物を片付けてた
昼ご飯に俺の分は無かった
母親は何も変わっていなかった
俺はまんまと母親の演技に騙されていた自分を憎んだ
母親の演技に騙されて一年かけて築いた自分の居場所を無くした
俺はまた物置部屋で一人になった
母親の虐待もエスカレートした
家を追い出される頻度も多くなった
妹も昔より知識を得てたから嘘をついて母親の怒りを俺に向ける事が酷くなってた
兄貴だけは心の支えだった 家に帰ってから母親が新しく連れてきた彼氏が良く家に来た
結局今まで10人ぐらいだったかな
彼氏にも母親は良い親のフリをしていた
彼氏の中では俺は母親を精神的に追い込む悪さばかりの子供って説明してた
母親の彼氏ってのも精神病院で知り合った様な彼氏達だからネジも飛んでる
普通信じないような状況でも母親と一緒に暴力を振るってくる
俺はもう大人は大嫌いだったし涙なんて見せたくないし負けず嫌いになってたから何されても泣かなかった
それが気に食わないようだった
学校には通ってたから顔には手は出されなかった
それが俺には有難かった
新しい学校でも友達を作って自分の居場所を作ってたから家ではそんな事されてるなんて知られたく無かった
学校でニコニコして家に帰る度現実に戻って一人で部屋に戻り暴力受けて家を追い出されて朝になるとまた学校に通うの繰り返しだった その学校には保育園の初恋の友達がいた
俺は学校で皆から必要とされる存在になる為に毎日必死にキャラ作りをした
やっぱり喧嘩も沢山した
家では毎日色んな辛い事あってるなんて絶対に気付かれないように頑張ってた
母親の彼氏はちょこちょこ変わった
頭のおかしい彼氏にも母親のおかしさは異常だったようだ
夜中に寝てたらいきなり蹴られて起きたら泣き叫びながら車に轢かれて死んだぐちゃぐちゃの猫をタオルに包んで抱えて「 お前みたいなのが生きとるけんこんな可哀想な子が生まれるったいぃっ 」って叫びながら蹴ってくる様なもはや理解不能な母親だったから当然なんだが
カミソリ渡されて「 お前は人の痛みが分からん人間やけん私の腕を切れ 」とか言われて母親の腕をカミソリで切らされたりとかね
こんな事ばっかりだった 小学4年にもなるとガキなりに恋愛なんかがあってるもので何度か告白される事もあったが初恋の人が好きだったから断ってた
相変わらず家を追い出される度に一人で外を歩いていると警察に補導されることも良くあった
交番に連れて行かれて家に電話されて引き取りをお願いされても母親は拒否してこないから警察から直接家に送ってもらっていた
警察が家に俺を送りに来ると家に入れて貰えるから俺からすると補導されるのは有難い事だったが警察が帰ると母親はその度に荒れ狂った
補導ばかりされてると児童相談所からも調査が来るから何度も児童相談所へ入った
小学生4年の頃の児童相談所で一緒になった高校生にタバコを教えて貰った
まだタスポもいらなかったから金さえ拾えば楽に買えたんだよね安かったし
児童相談所で年上の異性と恋愛はちょこちょこしてた
年上はなんか許される気がした
なんだか年上には甘えてしまう自分がいた
同級生とかには絶対に出来ないが年上だとアホみたいに甘えてたと思う
何度も児童相談所と家を行ったり来たりするうちに児童相談所へ入る事も10回を過ぎ慣れてしまった
そして母親は今までと違うタイプの彼氏を連れてきた
その彼氏は優しかった
俺にご飯も作ってくれたし遊びに行くときは俺も一緒に連れて行ってくれた
母親もその彼氏が出来てからまともになっていった
彼氏は「 俺が母さんを変えてみせるから 」って言ってくれた
海に連れて行ってくれたり水族館に行ったり初めての経験を沢山与えてくれた
この人が父親になってくれたらいいのに
そう思えた
この彼氏がいる間とてもまともな家庭な感じがした俺は兄弟と同じ部屋に入れるようになり三食まともにご飯が食べれるようになった
この時間が続けばいいなって願ったね
でもやっぱり神様なんていないんだよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています