ハンセン、ゴディ、ウイリアムス、スパイビーの時代の全日本プロレス11
全日本プロレスが最もファンを沸かせていた時代
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ハンセン、ゴディ、ウイリアムス、スパイビーの時代の全日本プロレス10
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1709848879/ >>536
フレアーとは真逆だな。あっちは痛そうで痛くないチョップやナックル使うというプロレスの理想系とも言える打撃技。 チョップは見栄えいいけど身体に残るダメージもヤバいぞ
ブレットハートがあんなもん使うなってキレてた >>561
ファミ軍みたいにするにしてもわざわざ田上と組ませる必要がわからんと言ってるんだが
何度かこのスレで言ってんの見かけるしよっぽど自信のある主張なんかもしれんが目的と手段入れ替わってねーか >>566
あの時代は嘘を本当に見せて本当に凄い人はそれを隠して試合する時代
それが終わったというか日本は元々フレアーはその場、一発は客のヒートを買えるけど一回だけだろ
天龍とか三沢以後は嘘じゃなくて本当に大変な事をしましょうというスタイルだし比べてどっちが理想とかそういうものじゃないと思うわ ウィリアムスの最後の輝きってベイダーと世界タッグ獲った時かな? >>570
武藤とのファッキュー合戦も悪くなかったw 武藤対ウイリアムスの三冠戦
週プロの見出し「ガラスで鋼鉄を砕く」は良かったな。
即ちボロボロの膝でシャイニングウイザードを見舞いウイリアムスを倒したことを喩えた秀逸な表現だった。 分裂したくらいのタイミングで急に動けなくなったよなウィリアムス
グーパンチ使いだしてからも1回落ちたけど元子全日になってからもう2段階くらい落ちたわ
分裂前の小橋ウィリアムスの三冠挑戦者決定戦はまだ三冠戦としてメインにしても良いくらいの動きだったけど
元子全日になってからはもうサッパリでCC公式戦のシングルなんかほとんどブーイング喰らってたわ 97年の三沢との三冠戦はひどかったよ
眠くなっちゃった 馬場がちゃんと小橋を教育しないからあんな恥ずかしい試合するようになったんだと思う。俺はマジでこいつ基地外じゃないかと思ったわ ウィリアムスとノートンは5年前だったら凄かっただろうね。 しかし分裂元年の元子全日を動画で改めて観てみると、
カードがマニアック過ぎてけっこう面白いんだよなw
当時のウィリアムスも衰えたとはいえ、全日の貴重な戦力だった 中西の試合は笑えるけど、小橋の試合は笑えないんだよな 今日は越中と共に三沢の初タイトルマッチの日
また聖鬼軍コンビの世界タッグ初奪取 馬場のランニングネックブリーカードロップって馬場の真の必殺技と言ってもいい技なのに、小橋と田上は普通に繋ぎ技にしてたな。
鶴田がハンセンからピン取ったり、三沢がコーナーから繰り出して馬場からピン取ったとかはあったけど。
鶴田とバックドロップと馬場のネックブリーカーは必殺技として誰か継承して欲しかった。 ウイリアムスは来日でトラブって、一年間の日本マットのブランク前後でだいぶ動きが変わっちゃったね
ゴディが不在の後は主にシングルプレイヤーとして奮闘してたけど
ブランク後のTOP形成あたりからタッグが主活動になった感じがした。 >>583
なんとなく健介が小橋に忖度してんだよな。
チョップ合戦の途中から、健介が小橋が踏ん張れて無いことに気づいてしまうんだよ。 >>587
打ち合いにおいての足運びというか左手で押して空間を空けさせてたのが健介は上手かった
小橋は空間を空けないで撃つから撃ちづらそうだった
途中から小橋も左手で押して空間を作ってから撃ってたから良い感じになってた
小橋のほうがスタミナがあったから最後に打ち勝った(健介が引いたのもあったとは思うが…) 川田の方が上手かったな
小川、藤田、健介の三大塩まみれと名勝負作るだけある 今日は札幌での四天王対決から三十年
この年の世界タッグは二回だけなんだな 92年から99年までの最強タッグ優勝チーム
92年 三沢光晴&川田利明
93年 三沢光晴&小橋建太
94年 三沢光晴&小橋建太
95年 三沢光晴&小橋建太
96年 川田利明&田上明
97年 川田利明&田上明
98年 小橋建太&秋山準
99年 小橋建太&秋山準
結局こんな感じになっちゃうんだな >>589
川田は試合巧者だよな、一見打撃系でゴツゴツしてるけど繋ぎとか理にかなってる。 2004年の健介はおもしろい試合が多かった
ジャイアント・バーナード戦は迫力あってよかった >>592
攻守の切り替えとか上手いよな。
相手への攻撃ターンの渡し方とか普通に上手い。 >>591
三沢&小橋 出場3回優勝3回
小橋&秋山 出場2回優勝2回
小橋が優勝できなかった時はパートナーが馬場、エース、パトリと 暫定パートナーぽい
ちょっと欲張りではないかと思う >>594
なんせ田上と好勝負になるからなw
三沢が意外と…なんだよね。 >>570
91年横浜で鶴田との三冠戦で大凡戦やらかしてから輝きが一気になくなったように思う >>596
三沢の試合は流れの連続なんで、相手はそれに乗っかる技術や体力が必要になってくる。
だから上手くいきゃめちゃくちゃ綺麗な試合になるし、その逆もありうるんだよね。
川田は相手がデクでも蹴り込んでいって、膝の持病で悶絶してと自己完結で間を持たせたりもできるから
意外に相手選ばないんだよな。
川田がG1出たときに対応力の高さに感心させられた >>597
そう?
そのあと93年くらいにゴディがいなくなって、シングル戦前で小橋とやり合ったりチャンカンや三冠に絡んでた、WWEに行く前くらいのあたりが、いちばん輝いてたと思ったけど 鎖国して反則裁定をほぼ無くなったからブッチャーの存在意義は無くなるわな シングルでのウィリアムスの初の武道館メインは93年9月の三沢との三冠戦
実質的なブレイクはその前の小橋との挑戦者決定戦 >>591
たまには外国人チームに優勝させてもよかった気もするが、
中頃はそれに相応しいチームがなかったか
ハンセンベイダー組はよかったけどね ギリ優勝しても良さそうなチームはウィリアムスエース組とハンセンオブライト組とウィリアムスオブライト組かね >>605
その面子の組み合わせはやはり少しインパクトが弱い感じがするね
圧倒感が足りないというか、無双する感じじゃないというか 90年代以降は「世界」最強タッグじゃなくなったよな。 鎖国期の全日のガチャガチャはハンセンが欲しいだけで出てきたカワダ、田上、オブライトはカプセルも開けず捨てていた..ホントゴメンなさい >>591
98年はハンセン、ベイダー組に勝たせるべきだった
ハンセン、馬場組でも優勝しないところが馬場の凄いところ
猪木だったら自分の出る大会で優勝しないとか、まずない >>607
テリトリー制の崩壊により、WWFとWCWが選手をがっちり拘束してしまうので、アメリカと日本で活動する選手がわかれてしまった。 >>607
他の団体のエンタメ化が進行したので質実剛健的な意味合いが強くなった >>611
>>614
だいたい最初から優勝できそうなの3チームか4チームくらいで、あとヨーロッパ代表とメキシコ代表が加われば世界の大会っぽくなってた。
長州が来た頃からかな、メンバー選定が雑になりだしたの。
87は凄かったけどね。 >>591
92年は鶴田がマニラ旅行で欠場したし、三沢が飲み過ぎて片足怪我して巡業中ずっと足引きずってたのに優勝とか無理があるストーリーだった >>591
それと優勝するのも川田三沢小橋田上と社員ばかりなってる
あと連覇の繰り返し >>605
>>606
世界タッグは取っても良いけど世界最強タッグの優勝はなんか違うチームってあるよね >>511
確か週刊ファイトの井上譲二の本に三沢は亡くなるずっと前から元子と和解済みで長電話するほどの関係に落ち着いたとか >>619
最強タッグは年末の大トリだから、結局その時々の顔役が優勝してしまうんだよな。 >>620
それだったら分かるけど三沢が泣き言を元子にしたとかになるのは違うと思うけど… >>610
馬場がマッチメイカーだったらそうしてたはず
外人嫌いの三沢が実権握ってしまったが為に小橋秋山を優勝させた ハンセン馬場組で世界タッグに挑戦すれば!?って言ってきた記者に
馬場がブチ切れたエピソードあったな ハンセン馬場組で世界タッグに挑戦すれば!?って言ってきた記者に
馬場がブチ切れたエピソードあったな >>624
週プロの市瀬が書いた全日本に書いてあったね
提案された時に馬場が「そんなことやったら、今がんばってるヤツらに失礼だろ。そんなこと二度と言うな」って怒ったらしいんだけど、結局は後年にタイトルマッチやってると言う、馬場の気まぐれ >>626
自己レスだけど、ごめん、タイトルマッチじゃなかったかも
だから、馬場もカード組んだのかな
確認不足で、すんませんでした >>622
仲田の愚痴を延々と言ってたらしい
まさに皮肉な敵味方逆転 >>629
仲田が夫人を最大限に糾弾して三沢に訴えてたがその仲田自身が自分を律することが出来ずに「元子さんの役割する人がいれば…」と夫人みたいに権限を使ってたからな… >>630
愛人にノアの看板使って居酒屋やらせたんだったか >>619
普通のタイトルマッチじゃなくて、
その年を締めくくる「最強タッグ決定戦」だからね
しかしハンセンが殊勲賞だか敢闘賞でもらった盾を
小橋の顔面に打ち付けた演出はよかったw
あそこで古き良き時代のカオス感を出したハンセンは流石だよね 無粋なこと言うけど最強タッグリーグ戦が夏の大会だったら優勝チームも多少変わってた可能性あるのかな 最強タッグは地方プロモーターにとって年末の御歳暮シリーズでもあったらしい
それを買うためにその前の興行も引き受けたりしていたとか >>634
昭和時代の自分が優勝出来ないと表彰式で暴れるパターンの復活だったな
とにかくファンもそれでこそハンセンと大喝采 81年の最強タッグで試合をブチ壊したハンセンが
18年後の最強タッグで日本人とタッグを組んで優勝できず
パートナーに日本語で「ごめんなさい」と言うなんてまったく想像つかんよな >>634
あそこで握手してたらおしまいだったよね。
さすがハンセン。 1989年から反則、リングアウトがほぼ排除されてしまったため、最強タッグの番狂わせも起こしにくくなってしまった >>628
ならお前、読点も内容も完璧なコメを書いてみろ! 99年は最後オブライトが全員で記念撮影しようぜーって呼びかけてたのに(ウルフホークフィールドも「マジかよ!」って笑うくらいに)、でもハンセンが暴れたからオブライトはそそくさとリングから降りた。
その1ヶ月後に死んじゃうんだから、あの記念撮影しようとしてたのが意味あるように感じてしまう。 >>634
天龍と組んだときも最後仲間割れしてリセットしてさすがだなと思った
>>636
外人のギャラは日テレ持ちだったんだろか?
あれだけ外人呼んだら渡航費とギャラだけで
シリーズ赤字だよな テレビ局持ちだろうね。
だからその後外人いらなくなり、外人いなくてもそこそこ
集客できるようになり高額ギャラ不要で
インディーができた。
豪華海外レスラーがいないと客が入らない構造が
変わった。 Iジャって全日落ちの外人たち、幾らで雇ってたんだろ? マスカラスだけは特別待遇だったそうだが、他は全日時代の半値近く? 龍艦砲のリセットはガキながらちょっと強引だと思った 吊りタイツコンビのウイリアムスオブライト組すきだったなー
ザンギエフハシミコフ組も好きだった >>648
その前の最強タッグのゴディの気の毒さをむしろバネにしたのが上手い オブライトは、全日じゃもったいなかったよね
全日じゃジャーマンの安売り状態だったからな KOK前のリングスにオブライトが参戦したら面白かったかも >>646
WINGのサンタナは凄いリーズナブルな
ギャラで出てくれたらしい 100人前後の地方会場にシンデビアスウィリアムスボスマンロトンドバリーウィンダムドゥガンキマラが登場するIWA(笑) 三沢ってハンセンと凡戦ばかり積み重ねてたってイメージしかないけど好試合なんかある? >>656
猪木対ハンセンが名勝負とでも言うのかよw >>656
札幌での王者三沢に挑戦者ハンセンの
試合は好きだった
ローリングエルボーを初めて繰り出して防衛した試合だね >>655
>>660
その豪華メンバー迎え撃つのが松田慶三とかだったんだろ? >>658
猪木とか前田とかストロングギミックありきの試合をちゃんと評価してから鶴田や三沢を語ってほしいんだよね…
場外のハンセン相手に三沢がリング内からえげつないストンピングをしてるんだよ
三沢が亡くなった後の特集で見たが一つ一つの攻防が重い
それが見えないんだからなぁ… 96年くらいのすでに落ち着いたハンセンと三沢のチャンピオンカーニバルの公式戦がそこそこ面白かった
ハンセンがラリアットで勝ってたはず