【アックスボンバー】昭和の新日本プロレス50【三叉槍】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
これがノーTVかよというと、
82年第5回MSGで特別参加枠の後半アンドレと前半ホーガンが唯一バッティングした日程のアンドレ&アトラス対ホーガン&ドン・ムラコ
この2人が顔を合わす意味があってのMSGシリーズではないのかと・・ >>37
それでもアドニス&オートンは軍団抗争に拮抗してたな >>39
ブロディもスヌーカもお互いを「ブラザー」と呼び合う関係だからね。
あのボイコットについてスヌーカは「ブラザーが出ないというからには、独りぼっちに
させておくわけにはいかなかった。オレもブラザーと行動をともにするしかなかった」
と言っていた。
一方、ブロディ未亡人のバーバラさんによると「フランクはあの時、行動をともにした
ジミーにものすごく感謝していた」と言っている。
ステーキハウスで大喧嘩もしたそうだけど、実の兄弟のような関係だたんじゃないかな。 そういえばスヌーカはボイコット事件翌年のIWGPに呼ばれてたな。 殺されたブロディ
殺しちゃったスヌーカ
皮肉な人生だったね >>29
MSGタッグリーグでの猪木のタッグパートナーがまわってきたのも美味しかった。
その上でWWFはジュニアの時代になって、NWA脱退と全米侵攻開始で
「バックランドが王者では駄目だ」って事でホーガンに王者がまわってきてと
全てがホーガンにとって良い方向に行った感がある。 >>40
ホーガン&スーパースターvsマードック&アドニスはテレビマッチでやったな。アックスボンバー一発でアッサリだった覚えがある。アンドレ&アドニスはなかなか珍しいコンビだな。 猪木
ラッシャー木村にボコられる 貴重動画
猪木自分がブック破りされると弱え―――――――――――――wwwwwwww
https://youtu.be/Hns98mz3ggU?si=ieI5_R44xK1bIvvm ホーガンは売れてない時に日本で身につけた相手の後をクルクル回ってアシを掛けて倒すテクニックやらを使うのがセコくて大嫌いだった >>49
アメリカでも日本でも同じ様な試合をするレスラーと違って
ホーガンは「日本で受けるスタイルがある」と理解していたとも言えると思う。
日本だと後ろにまわって腕関節をとるムーブをよくやっていた。
日米レスリングサミットのホーガンVSハンセンも「これは日本向けの試合」と
意識して試合をしていた。 日本でのホーガンは来日を重ねるごとに
緩急と陰影をつけることを覚えてたね
80年と84,5年ごろでは全然違う
しかしアメリカのファンはそんな事求めてないから
あっちでは終始陽気で単調なキャラにならざる得なかったから
本人的にはつまらなかったかもしれないな >>50
あのムーブをホーガンは技術もあると評価するかチマチマしてセコいと思ってしまうかは価値観ですな ホーガン級になると、日本向けに固執するのは逆効果。
フィニッシュをレッグドロップからアックスボンバーに変えるぐらいで
あとは大味なアメリカンプロレスのままの方が、魅力があった。
体格が2mくらいあれば小細工は日本であっても邪魔でしかない。 ホーガンが凄いなと感じたのは
日本側でベビーの時と対猪木でのヒールの時とで
膝当ての色を変えてくるところ 猪木が「ホーガンは意外とゴッチと気が合った」とか言っていたな。2人が談笑している
写真も見たことあるけど。ゴッチは移住だけど、2人ともフロリダ州タンパが拠点だった。 >>56
それ雑誌にも書かれていた。
ゴッチは「あの金髪の大男は好青年だった」と言っていたとか。 >>47
当時のアンドレのパートナーっていえばスーパースターだったけど、
これが敵に回ったら組む人いないんだよね。w
このシリーズでのホーガンも相方になるのが居なくて、
便利屋さんのスーパースターが選ばれましたな。
珍しいコンビと言えばホーガンとマードック組が印象に残ってる。
猪木の相棒藤波が集中攻撃食らい、結果はドローだったけどスリリングだった。 >>56
ホーガンが特別人付き合いが上手いってことなんかな?レスリングスタイル的にゴッチ好みではなさそうだし
若手時代のホーガンはすごい素直で、写真やらインタビューの仕事も嫌な顔せずやってたって話だし処世術に長けてた?のかも 猪木ホーガン組は超獣に匹敵するコンビ。
84年に猪木藤波組となったときの寂寥感。 80年代入って新日最強コンビを考えるなら猪木前田組か。アンドレやホーガンのようなスーパーヘビーでも
充分試合は作れそう。 猪木・坂口vsアンドレ・ホーガンが予定された84年末に実現していたらなぁ。
85年になればもう今更感しかなかった上にテレビマッチにもなってねぇ。
ブロディが来たところで辛うじて残ってたホーガン、まだ動けた猪木とアンドレと四人、
同時にリングに集めて夢のタッグマッチしてほしかったですよ。
しかし組み合わせで一番あり得るのが猪木・ホーガンvsアンドレ・ブロディだが、
肝心のホーガンとブロディがからまないまま両軍リングアウトになりそうで怖い。
猪木・ブロディvsアンドレ・ホーガンが理想だけど猪木とブロディのコンビって考えにくい。 >>61
そもそも81年に優勝出来なかったからパートナー失格の烙印を押された形だったし >>61
ハンセン・ブロディ組の足元にも
及ばないだろ猪木ホーガン組なんて。 >>59
2004年出た『アンドレがいた!』って本でカーンが語っていたけど、
ホーガンは新日の巡業中にビール買ってアンドレのところに持って行ったりしていたらしい。 >>59
ホーガンはヒロ・マツダの弟子。
マツダはゴッチのところで三ヶ月学んだから全く無関係でもない。
孫弟子とでも言うか。 75年頃なら猪木・坂口のゴールデンコンビならどんな相手でも勝てそうな感じ何だろう。 あの手のツカミは金曜8時にはちょうど良かったんだよ。 Xでたまにホーガンの日本での試合の動画が流れて来るけど外国人のリプで「日本でのホーガンはアメリカと別人」とか「ホーガンが受身取ってる!」とかあるのが面白いw >>40
この試合の後に長州対スタッドの公式戦だったんだね >>8
猪木&長州vsホーガン&オンドーフって
猪木タッグ編というシリーズでビデオ化されているんだよね。
30分で9800円だったけど、売れてたのかな?
他にも猪木の海外編、フルタイム編といったものがあった。 >>74
回転エビ固め
>>73
外国人勢がこれだけ豪華だったのも凄いね
それなのに維新軍が出てきてウザかったw ブロディ・スヌーカが参加したタッグリーグも本当はアンドレ・スーパースター組とマードック・アドニス組が参加予定だったんだよな
実現していたら凄いリーグ戦だった
WWFの都合でアンドレとアドニスが不参加になって残ったマードックとスーパースターのコンビになったけど そういやアックスボンバーをホーガンと共同開発して名付けたのはピーターと山本小鉄って話だけどウェスタンラリアートは誰が命名したんだろう 本人の希望通り、ホーガン・ハンマーのほうがよかったのに >>75
あと長州の3部作もあった(これはのちに復刻された)
旗揚げ戦を撮影したことといい新日は映像で記録を残すことに昔からこだわってたような気がする >>76
回転エビ固めか。
確かに長州がスタッドにリキラリアットやサソリ固めでクリーンに勝つのは説得力が無いからな。 >>79
そもそもアックス・ボンバーって和製英語で変だね。
斧爆撃機って意味不明。
アメリカでのフィニッシュはギロチンドロップでアンドレに勝った時もそれだった。 長州はドロップキックやジャーマン出来るから技は持っているけど、トップレスラーになってからは攻めるスタイルで人気が出たから受けに回るとイマイチ あの身長で攻めのスタイルだと大型外国人相手には苦労するわな。
長州・浜口vsザンビアエクスプレスの時痛感した。
正直あの試合見て「ザマーミロ、もっと維新軍にも強い外国人と当ててこういう風に苦労させてやれよ」と思った。 >>84
両国国技館こけら落としの試合も、新日移籍を決めていたブロディに子ども扱いされていたよね。
「お前なんかには何もさせない」って感じのブロディもオトナゲないけど。
https://youtube.com/watch?v=64nV0hDMDlk そう、長州浜口は極力アンドレやホーガンとの対決を回避されていたんだよね。
タッグリーグのエキジビションだってアンドレと戦ったのは藤波前田。
>>81
スタッドの途中帰国は、長州相手に負けさせられたことへの不満もあったかもしれないね。 >>85
夏に藤波とブロディのシングルが組まれなかったのはブロディがそういう行為に出ると予測していたんだろうか。 >>84
他の三人も乱入した時点で維新軍は実質終わった
マズイと見てか藤波も乱入して注目をすり替えたが >>86
長州はともかく浜口はアンドレやホーガンとテレビでやった事は無かったか >>86
でもあのタッグリーグのエキシビジョンで長州・浜口はマードック・アドニスとやった。あれもバイオレンスコンビに一方的にやられたイメージで、vsザンビアエクスプレスの時と同じように「ザマーミロ」と思ったな。 国際時代ならって話だが、浜口アンドレ。
レイキャンディもそうだし、マイクジョージ&ボブスウィータン戦とかホント体力負けって感じしかなかったな。 >>91
そう言えばキャンディは国際に1回来たんだったな。テーズ杯の予選勝ち抜いたが、その後に国際が倒産してしまった。 >>86
スタッドのWikipediaにもあるけど、帰国後2日後には試合出てるから負傷ではないし
そういう理由でもないよね。ワンツも当初から途中で帰るようになってたんだよな。
当時のプロレスメディアでも如何なものか?という意見はあったね。 >>87
ダイナマイト・キッドは
「意外に思うかもしれないがフランクはとても紳士で俺にはいつも良くしてくれた」と回想しているし
ブロディは「私は藤波をミゼットとは呼ばない」と言っていたしチビだから全てNGじゃないらしい。
かと言って藤波相手の負けブックは100%拒否しただろうけどね。
ブロディが露骨に悪意がある試合をしたのはマスカラスと長州。 最強でブロディとマスカラス一緒に呼んだのは馬場さんの思惑だったりしてw ブッチャー引き抜きは痛恨。
あれでハンセンが引き抜かれ一気に凋落。 >>90
しかし公式戦では長州組はマードック組に反則とはいえ勝ってるんだよな。
一方でライバルの藤波前田組はアンドレ組、猪木組の敗戦がオンエアだ。
83夏以降で長州浜口組が反則以外で負けたのってテレビではないんでないかな。 >>97
最近の説ではハンセンの硬い攻めに耐えきれなくなった猪木側から持ちかけたとの話もあるね
結局馬場と猪木って全日新日を共同経営してたみたいなもんなんだよなあ >>99
長州、浜口組って健吾に勝ってるとこしかみたことないような気がする。オンエアされているタッグマッチの負け役ってヘビー級だと健吾ばかりだからか笑 馬場と猪木がホテルで偶然会ったフリしてそのまま密会してて、2人ともニコニコデレデレだったって新間や大仁田も言ってるんだよな
言うても2人は兄弟みたいなもんなんだよな >>101
それは言いすぎだw
バディ・ローズにも勝ってるぞ。
>>102
韓国のプロモーターで馬場そっくりのパク氏が外人控室にいるのを見た若手が、
馬場が来ていると勘違いしてみんなで挨拶に行ったっていう話があったねw >>81
90年代の話だけどラリアット連発でベイダーやノートンにフォール勝ちは説得力なかったな
その点三沢のエルボーは上手くやってたと思う >>99
反則の勝ちだから逆にマードック組が決勝進出 >>105
マードック組が長州組に実力通りに圧勝して決勝進出してほしかったよ。 >>103
正規軍なら健吾ばかりでしょ。藤原は反則絡みばかりだし、木戸はテレビ前が多い。前田に負け役をやらせる事もあったけど、ふて腐れてた感じだし笑 >>104
平成以降のスピードが落ち更にアキレス腱断裂と体重増加で走れなくなった長州と
動きキレッキレだった(多分)97年頃までの三沢とを単純に比較されても
ただ長州も加齢や体調に合わせて試合スタイルを変えるべく試行錯誤するべきだった事には同意 スティーブウィリアムスも新日(というか猪木)では持て余してたしな >>100
へー、そういう話もあるんだね。まあ翌82年から猪木は怪我や持病で欠場多くなってきてるし、あながち本当かも >>110
ハンセンはど近眼で加減が下手くそなんだよな
アメリカでも硬い攻めで嫌われてた >>99
夏以降というのがいつを指すのかによるが、
猪木の復帰戦(vsラッシャー)の特番でvs藤波・前田で
藤波の回転エビ固めで浜口がフォール負けをしている。 >>111
あー、ハンセン自身の問題ね。でも全日ですっかり定着できたし転出はおおむね正解なんだろう。 >>113
ハンセンも気にしてNWAスタイルでやるのかと聞いたら新日本でやってたようにやってくれと言われたとか 猪木の名勝負を挙げるとなった場合、対外国人と対日本人どちらを挙げる人が多いのかな
時代的背景もあって対戦カード自体は対外国人のが圧倒的に多いだろうけど、名勝負となると票はそれなりに割れそう 前者はロビンソンで後者は小林との初戦というのが多そう >>116
猪木本人はロビンソン戦を一番には挙げないんだよな。
猪木としてはプロレスで一番快心の試合はドリー戦で
最高のライバルはシンだとか。 猪木的にはロビンソン相手に思う様な試合運びが出来なかったからかな? >>117
タイガー・ジェット・シンはあの当時のまだ勢いのない新日本をめちゃ稼がせてくれた救世主的存在だったから、みたいなことはピーターも言ってたね
だから猪木がシンを最も印象深い対戦相手に挙げるって >>112
サンクス。見てないかなんだか、ともあれ記憶になかったわ。 猪木vsアンドレで反則以外で決着がついた試合って
1、格闘技世界一決定戦として行われた試合で猪木のレフェリーストップ勝ち
2、猪木がギブアップ勝ちした試合
3、85年IWGP公式戦で猪木のエプロンカウント勝ち
4、坂口とフランクバロアが戦い始め、アンドレが坂口を追いかけていってリングアウト負け
5、フランクバロアが猪木の足を掬って、そこにアンドレがジャイアントプレスを決めてフォール勝ちした試合
6、2の近い前後に何かのトーナメントでアンドレの勝ち
まだまだ有るはずだが。 >>122
場外でカナディアンバックブリーカー→リバーススープレックスで返してリングアウト勝ちってなかったか?第1回MSGシリーズ決勝かな? ジャイアント・マシーンがワカマツの援護受けてフォール勝ちはある >>125
生中継に収めようと無理矢理決着つけたせいで会場が暴動寸前になったみたいね。 >>125
>>126
大木も猪木相手に秒殺リングアウト勝ちってあったよね。蔵前でのワールドリーグ開幕戦だったかな?
猪木が目当てで会場に来たファンからしたら、ああいう結末は「金返せ!」って感じるだろうな。 >猪木が目当てで会場に来たファンからしたら、ああいう結末は「金返せ!」って感じるだろうな。
そういうことならもっと酷いのは84年の3月だったと思うが
猪木が試合前に維新軍に襲撃で試合が出来なくなり、坂口に代わったやつ。
あれは猪木がよっぽど体調悪かったのかな?
確か翌週の中継も欠場だったはず。 対ハンセン戦の戦績という視点からいえば、あきらかに猪木>馬場となってしまうわけだが
馬場的には何の葛藤もなかったんだろうか。 >>128
坂口と谷津がテレビで当たったのはあの時だけか >>128
坂口と谷津がテレビで当たったのはあの時だけか >>129
全日本に来た時のハンセンはむしろアンドレと名勝負をやったハンセンの印象だからな
あれが無かったらまた扱いも違ったかも >>128
この試合の前日は大阪城ホールで初めてのプロレス開催だった
この大会って観客多かったのかな >>129
馬場自身はハンセンとの試合は楽しんでおり「負けても口惜しくない相手」とまで讃えている。
ヘンな話、馬場が初シングル戦でフォール勝ちしていたらファンの興味は半減し、ハンセンの商品価値も落ちていただろう。
それは超獣コンビの商品価値にも直結するから、ハンセン、ブロディに立ち向かう馬場、鶴田、ファンクスという図式を維持することが商売になると踏んだのだ。 >>134
馬場はキニスキーとかブルーザーとかハンセンみたいな真っ向勝負の相手を好んでたんだよな
その意味でブッチャーはあまり格好の相手ではなかったらしい >>129
残念ながら名勝負という視点になれば馬場>猪木になってしまう >>135
>キニスキーとかブルーザーとかハンセン
>みたいな真っ向勝負の相手を好んでたんだよな
>ブッチャーはあまり格好の相手ではなかったらしい
ブッチャーも真っ向勝負型だと思うが?
そうだとしても、キニスキー、ブルーザーは、
もう日プロ時代(〜72年夏まで)のライバル、まぁ全日時代も対戦したが
すでにピークは過ぎていた。そしてハンセンは82年以降、
全日の72年秋〜81年の馬場の相手は主にブッチャーだった。
格好の相手ではない選手と8年も抗争を繰り返したことになる。
あとレイスやドリーか?彼等こそ、真っ向勝負型ではないだろ? ハンセン離脱はかなり痛かったろうけど、それによって新日マットは誰でもラリアットを使用できる状況になった
長州は迫力不足を連発式で魅せ、ホーガンはただ真似るだけでなくエルボースタンプとの合体フォームでオリジナリティをアピール
ラッシャーは得意技が一つ増え、アドニスオートンは仰天ツープラトンを発明
特にホーガン長州はハンセン並みの注目選手として格上げに成功し
現有戦力で人気維持に成功した“持たざる者“新日の錬金術
ただし人気選手が一斉に抜けた84年以降はどうしようもなかったというオチもつく >>135
馬場は著書でブッチャーと対戦した期間を「レスリングしなくなった」と自虐していた。
たぶんグラウンドの攻防ができなかったことを指しているのかと思う。
ブルーザーとのグラウンドも想像できないが、キニスキーとハンセンはグラウンドの攻防ができたから馬場的には満足度が高かったのだろうね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています