WAR〜Uインター対抗戦時代の新日本プロレス
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NWOブームから外れたトップ
藤波・・無我
橋本・・異種格闘技路線
健介・・2代目長州力
みんな失敗 ナッシュ、シックス、ホール呼ぶの高かったらしいからな 2001年にホールが来たときは大物のオーラが出てた。何故か棚橋に負けてたけど ホーガン高過ぎるし価値ブック譲らないだろ
ホーガンvs蝶野、ホーガンvs藤波でそれほど集客できたと思えないし ホーガンはWWF王者になって猪木ですら綺麗に勝てないレスラーになっちゃったからね
後年にたまに日本に来るようになった時はネームバリューとギャラだけ高すぎて要らないオマケはついてくる
勝ちブックONLYの使いにくいレスラーになっていた 新日と提携が終わったWARは色々と工夫して何とか興業してたけど
正直苦しかっただろうな エース荒谷VS外敵安田忠夫の抗争とか晩年は見てられなかったな WARと新日の交流は最終的に海野レフェリーの移籍を生み、次世代スター候補の息子さんが誕生するという副産物が生まれたのはなかなかに運命だ。 >>26
試合後のマサ斎藤「ちょっと待て!新日本はハンパじゃないぞ!来るなら来い!いつでも来い!」で大盛り上がりした会場に、空気読めずに負けた木村が天龍に突っ掛かったが軽く小突かた。
リング上でマイクアピールするもブーイングと物の投げ入れ。
ホントに木村が惨めで見ておれなかった。 >>79
海野はSWSに移った中で数少ない勝ち組
新日がレフェリー不足だったのが幸いした 邪道外道もな
対抗戦で外道がレフェリーストップで負けて「俺はあそこから粘るんだよ」って
よくわからん強がり方してたのを覚えてる 冬木が負けブック呑まなくなって使い道がなくなったとゴマシオが嘆いてたな >>76
平成維震軍は天龍が新日に上がらなくなっても、WARには出てたよね。 >>82
邪道外道がWARに上がり始めた時、外道は当初から安良岡とかその辺りのジュニアの連中に連勝ブックだったのに、なぜか邪道は平井に連敗してたのが謎だった。
と思えば、後年、龍魂トーナメントだっけ?天龍の後継者争いみたいなトーナメントで優勝して天龍と戦うっていう、謎評価だったな。 >>86
高山にシングルで堂々のフォール勝ちも意外だった 天龍戦での邪道の流血もの凄い
あんな出血プロレスでもそうそうないわ イッテンヨンの団体対抗戦が大日本なのは97年か
なんかしょぼいなとは思った >>86
邪道外道は、ユニバでのパニクラの頃からイケメンで良い体のアキヨシ、引き立て役にタカヤマって感じだった。それがユニバ〜WING〜WARで外道のプロレス上手さが評価されたんだよね。邪道はジュニアでもなくヘビーでもない中途半端さが見えちゃった。 >>86
邪道外道は、ユニバでのパニクラの頃からイケメンで良い体のアキヨシ、引き立て役にタカヤマって感じだった。それがユニバ〜WING〜WARで外道のプロレス上手さが評価されたんだよね。邪道はジュニアでもなくヘビーでもない中途半端さが見えちゃった。 >>89
あの年のドームはWARともUインターとも一区切り付いててnwoブームもまだだったからネタ切れ感満載なドームだった >>92
97年の1・4は藤波・木村のタッグが復活してIWGPタッグ奪取したな。
しかも健悟は維震軍の袴ではなく黒のショートタイツ みちのくのテリーが新日上がった時にマサが「うまい」連呼してたな確か外道の時もwマサに評価されると新日上がれたり食いっぱぐれ無さそうw テリーボーイは学生プロレスやってた頃に馬場に受け身指導されてるからな タッグチームとしては外道がリーダーのように見えたな
外道が代表して喋ることが多いし 当時天龍は邪道外道というスゲエ奴らが出てきたよねと喜んでたんだよ
今の邪外なんか抜け殻だけどね 弘道 邪道 外道 非道 WARの後楽園は面白かった…ワイルドシングに乗って大仁田も参戦してたしサムライに乗って越中も参戦してたしトンパチ折原も館長と彰俊にボコボコに蹴られてたしwビール片手にあの頃に帰って見たい 新日がエンタメ路線に走ったのもこの二人の影響だと思われるから大したもんだわ
冬木のプロレスを継いだのが新日って痛快だな >>102
やることなすこと気に入らないクソ団体って言ってたもんな。
それを>>101が言うみたいに弟子の邪外が長年かけて、冬木の理想のエンタメ団体に仕上げたってことなら美しい話だけど。
ホントのとこはわからないけどなw 冬木のエンタメをそのまま引き継いだわけじゃないけどね
結局バカらしくなって冬木から逃げたわけだし 高田がこのまま新日に出戻っていたらどうなっていたかな? 当時バイト先の休憩室のテレビでワープロが放送されていて、
藤波vsカブキをやっていた。
それを一人のおっさん(以下おっさんA)が観ていたが、
別のおっさん(以下おっさんB)が画面を指して「これ武藤だろ?」
おっさんA「藤波だよ」
おっさんB「いや、武藤だろ。アメリカで息子になったんだろ。」
最初意味が分からなかったが、じきに二人の噛み合わなさが理解出来た。
おっさんB→カブキをムタと勘違いしてる
おっさんA→「おっさんBは藤波を武藤と勘違いしている」と勘違いしている 外道は「新日本羽ロレスはストロングスタイル。ショーではない」とか、なんかキャラと違う発言する時あるよな
プライド高いんだろう >>29
一度UWFインターの神宮球場のときに天龍vsベイダーが発表されたけどベイダーが来日が来日出来なくなり結局佐野とのシングルに変更となった。 nwo時代のヒゲ白シューズ派手タイツ武藤が1番ツボだったな 短すぎたが この頃がプロレスてピークだったな
U系は格闘プロレスからバーリトゥードもやるし、FMWやみちのく盛況で新日はそのターミナルみたいな役割をしてた
今は日本式ルチャがあるだけで飽和状態 94年ぐらいからジュニアも確立しだしたかな
jカップやったり
ペガサスブラックタイガー
大谷金本
6人タッグの完成はもう少しあとかな ところで日本式ルチャってなに?
具体的にお願いします >>84
三銃士四天王クラスならともかくバイプレーヤーの冬木が当時の新日本相手のそんなに強気に出れるもんなんやろかね
なんかゴマシオオヤジの言ってることもいまいち信憑性がねえんだよなあ
ようわからんけどさ 新日はストロング小林や若松やはぐれ国際軍団といった国際プロレス出身者を
上手く利用していたから割と冬木も上手く利用できそう。 純プロレスの中に「ひょっとしたらガチ?」がまだ生きててそれが輝いた最後の時代じゃね? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています