WAR〜Uインター対抗戦時代の新日本プロレス
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この時代にゴールデン放送できなかったのが悔やまれる。
ゴールデン放送されたらそれなりの視聴率取れたはず。
それは同時代の全日も同じく。 WARに乗り込んだクロネコが意外にも大きく強かった WARに乗り込んだ橋本真也が意外にも小さく弱かった 平成維震軍入りしてたカブキは年齢的な衰えもあり主力には負けてたね
ムタ戦では輝いていたけど 92年にワールドプロレスリングが初めて他団体の実況となった後楽園のWARは選手もセコンドも観客も実況も解説者も熱すぎて涙腺崩壊した 92年かもしれんがライガー金本vsUドラゴン折原とか興奮したなあ。 この頃は三銃士全盛時代だったこともありプロレスが面白かった
97年位から揃って衰えが見えてきて見ててキツくなった 巨人戦がドーム球場の影響で
金曜にやるようになってたからゴールデンは無理。 この頃ならゴールデン放送すれば80年代後半のり視聴率取れたと思う。 だから新日がゴールデンだった時代の金曜20時。
巨人戦は金曜日は少なかったんだよ。
雨天中止の予備曜日とされていたから。
だから視聴率キープできた。
ドーム球場で金曜日も雨天中止予備日にする必要が無くなり
巨人戦が他曜日並みになった。以降はゴールデン無理だろうな。
今なら巨人戦無いから行けるかもね。 金曜にこだわらんでも。
90年代前半はゴールデンでも視聴率取れたとは思う。
91年SGタッグなんかゴルフで潰されて一度も放送されなかったのは本当に悔やまれる。
各地で好カード続出したのに。
あれならゴールデンタイムでもそれ相当に視聴率取れたと確信する。
野球、ゴルフ、クソ喰らえ プロレスこそ一番
by田中ケロ いや金曜、月曜以外はドル箱巨人戦があるから
厳しいんだよね。あと実況生中継あってこその
ゴールデンタイムだったから帰宅が21時以降は難しい。
金20時か月20時しか当時は難しかった。
今はそんな事ないけどね。 生中継って日は会場で見てると時間合わすために
放送までの試合があっさり終わったり休憩やたら長かったり
仕方ないとはいえなんかアレだったな 91年頃からは録画でもいいからゴールデン放送して欲しかったね。
生中継の良さはなかても世間に浸透したはず。
ベイダー、ビガロ、ノートンと世間に届く外人がいたのに勿体無い。
ビガロなんかあのキャラと風貌だからかなり知名度が上がったと思うし。
見た目のインパクトが絶大なだけで世間には浸透するからね。 >>18
プロレス中継が月曜8時の頃に猪木vsビガロを放送したけど、世間ではあまり話題にならなかったよ ビガロは仮面のりだーにも出たがこれも話題にならなかったな WARが来た頃にはベイダーもビガロもいなかったんだよね
天龍、原対ベイダー、ビガロとか見てみたかった 天龍、北原vs越中、木村は素晴らしいよね。
「崖っぷち?そりゃ未練のある奴の言葉だ」
「カラッと絞ってやる」とか天龍も語彙センスが良い。
越中木村組の入場が健悟のクリッターのテーマなのも俺は好き。
で、越中のガウンのフードが小さくて人間椅子の人みたいになってるのもポイント高い。 カラッと激しいプロレス
は、明るく楽しく、そして激しいプロレス
の失敗パクリだがな >>26
試合後のマサのマイクアピールが好きだった >>28
新日本はハンパじゃないぞ!覚悟してこい!とか言ってていや反選手会も新日やろと当時思った 反選手会同盟はうまく考えたよな。1軍半2軍の選手たちをメインに持って行ったんだから 93年2月両国を見に行った
メインの10人タッグがおもしろかった
木戸がワキ固めで天龍の肘を破壊したのと冬木と北原が憎たらしくてブーイング受けまくってたのが印象に残ってる 天龍とノートンは何度も対戦してたか。
この頃の新日は暗黒時代直前の最後のひと花咲かせていた頃か。 >>35
そんなに対戦してたんだな
出来ればノートン全盛の93年か94年に見たかった 天龍はWAR抜けた後、長い間新日レギュラー参戦していたから大抵の相手と試合してる
その時期にIWGPも取ってるし 石川の浴びせ倒しラリアットと田上のパクり技を思い出すw後楽園ホール大会はよく見に行ってたな、サムライシローのテーマがかかると盛り上がったな…天龍にはチョップでボコボコにされてたけどなw 当時テレ朝深夜プレステージの新日本特集で、越中木村の生インタビュー中に、番組を見ていた北原から生電話が入るというのがあったね。
当時は高校生で久々の殺伐とした新日に大興奮していた。
ケンゴ「かかってこいバカものー」
バカものーは口癖だと分かった。 >>42
平井が永田や中西といい勝負するのは凄く違和感あった。新日と全女は威張ってる割には無理ある負けがあるから不思議。 まえだ、マシーン、ジョージの若手時代にヤングライオン杯をやって欲しかった。 北原を上手に使う器量が新日には無かったのが痛かったな
北原の手が合う相手
北尾、中野龍雄、モッチー父
やっぱ難しかったか… 北原は石川や原、冬木に比べても色んな意味で中途半端な感じした 北原はハッシモトッハッシモトッとシングルしても蹴る呼吸合わないし最後はDDT食らってダンゴムシみたいになってたなw 北原は率直に言ってプロレスがしょっぱい
北原の試合で面白かった試合がない 当時WARの道場見学させて貰った事ある 狭い部屋が2つあって1つはウルティモのマスクやらコスチュームだらけで埋まってもう1つの部屋に2段ベットで平井と安良岡の部屋だったw
ちゃんこもご馳走になって美味かった、今では考えられない行動だわ好き過ぎてムリやり見学させて貰ったからなw 北原と小林邦の執拗な抗争を誰も憶えてないのは分かった もはや誰も覚えていない異種格闘技戦
北原VSリチャードバーン 北原は自分には格闘技があるからと結局プロレスに真剣になれなかったんじゃないの それだったら出るとこ出ればよかっただけだと
93年にUFC始まって、94年にはバーリトゥードジャパン開かれたし
対WARは結構長く楽しめたけど、対Uインターはファーストインパクトだけで
あとは面白くなかった 武藤、ライガー対高田、佐野の試合見に行ったけど凄くつまらない試合だった 93年のレスリング・どんたくの後って、軽く冬の時代になってた感じがする
交流戦ブームが一段落したように見えたな
ドームやアリーナのカードにも苦労してた
95年2月の後楽園ホール事変で再び火がついて、
Uインターとの対抗戦で最大最後のブーム来て
それも橋本高田戦で終わった感じ nwoブームってnwoTシャツブームなだけでカード的には何の魅力を感じなかったけどな >>57
それは言える。ホーガンが頻繁に来日すれば違っただろうけど。 >>55
ドームツアーやったり潤ってる感じは出してたけど、橋本と小川の例の試合までこれといった印象深い試合ないもんな。毎シリーズ武道館を超満員にしていた全日本に第1党を奪われたよね。 nwoブームの時は三銃士が衰え、第三世代は塩で、健介も塩分過多で試合内容は酷かった記憶しかない >>60
武藤、蝶野組と武藤のシングルの試合は面白かった。オレンジタイツの頃はつまらなかった武藤の試合がこの頃は味が染みてきた感じ。逆に橋本、健介はのびしろなくなった。 札幌中島の時の武藤は全盛期ではない天龍の攻撃もマトモに受けきれない感じだったなw 今だと信じられないかもしれないが、地方会場や後楽園ホールレベルだと、試合内容の良し悪しは関係なく(むしろnWoの人気頼りで手抜きのヒドイ試合w)入退場時に蝶野のnWoクラッシュが流れるだけでドッカンドッカン湧いてた時代があったんだぜ。 >>62
それは言える。
橋本と健介は完全に出涸らし状態に。
橋本と小川戦が原因での落日も必然だったのかも。
まだ橋本最強幻想はあったけど。
それに+してNWO人気が新日そのものだった、 NWOブームから外れたトップ
藤波・・無我
橋本・・異種格闘技路線
健介・・2代目長州力
みんな失敗 ナッシュ、シックス、ホール呼ぶの高かったらしいからな 2001年にホールが来たときは大物のオーラが出てた。何故か棚橋に負けてたけど ホーガン高過ぎるし価値ブック譲らないだろ
ホーガンvs蝶野、ホーガンvs藤波でそれほど集客できたと思えないし ホーガンはWWF王者になって猪木ですら綺麗に勝てないレスラーになっちゃったからね
後年にたまに日本に来るようになった時はネームバリューとギャラだけ高すぎて要らないオマケはついてくる
勝ちブックONLYの使いにくいレスラーになっていた 新日と提携が終わったWARは色々と工夫して何とか興業してたけど
正直苦しかっただろうな エース荒谷VS外敵安田忠夫の抗争とか晩年は見てられなかったな WARと新日の交流は最終的に海野レフェリーの移籍を生み、次世代スター候補の息子さんが誕生するという副産物が生まれたのはなかなかに運命だ。 >>26
試合後のマサ斎藤「ちょっと待て!新日本はハンパじゃないぞ!来るなら来い!いつでも来い!」で大盛り上がりした会場に、空気読めずに負けた木村が天龍に突っ掛かったが軽く小突かた。
リング上でマイクアピールするもブーイングと物の投げ入れ。
ホントに木村が惨めで見ておれなかった。 >>79
海野はSWSに移った中で数少ない勝ち組
新日がレフェリー不足だったのが幸いした 邪道外道もな
対抗戦で外道がレフェリーストップで負けて「俺はあそこから粘るんだよ」って
よくわからん強がり方してたのを覚えてる 冬木が負けブック呑まなくなって使い道がなくなったとゴマシオが嘆いてたな >>76
平成維震軍は天龍が新日に上がらなくなっても、WARには出てたよね。 >>82
邪道外道がWARに上がり始めた時、外道は当初から安良岡とかその辺りのジュニアの連中に連勝ブックだったのに、なぜか邪道は平井に連敗してたのが謎だった。
と思えば、後年、龍魂トーナメントだっけ?天龍の後継者争いみたいなトーナメントで優勝して天龍と戦うっていう、謎評価だったな。 >>86
高山にシングルで堂々のフォール勝ちも意外だった 天龍戦での邪道の流血もの凄い
あんな出血プロレスでもそうそうないわ イッテンヨンの団体対抗戦が大日本なのは97年か
なんかしょぼいなとは思った >>86
邪道外道は、ユニバでのパニクラの頃からイケメンで良い体のアキヨシ、引き立て役にタカヤマって感じだった。それがユニバ〜WING〜WARで外道のプロレス上手さが評価されたんだよね。邪道はジュニアでもなくヘビーでもない中途半端さが見えちゃった。 >>86
邪道外道は、ユニバでのパニクラの頃からイケメンで良い体のアキヨシ、引き立て役にタカヤマって感じだった。それがユニバ〜WING〜WARで外道のプロレス上手さが評価されたんだよね。邪道はジュニアでもなくヘビーでもない中途半端さが見えちゃった。 >>89
あの年のドームはWARともUインターとも一区切り付いててnwoブームもまだだったからネタ切れ感満載なドームだった >>92
97年の1・4は藤波・木村のタッグが復活してIWGPタッグ奪取したな。
しかも健悟は維震軍の袴ではなく黒のショートタイツ みちのくのテリーが新日上がった時にマサが「うまい」連呼してたな確か外道の時もwマサに評価されると新日上がれたり食いっぱぐれ無さそうw テリーボーイは学生プロレスやってた頃に馬場に受け身指導されてるからな タッグチームとしては外道がリーダーのように見えたな
外道が代表して喋ることが多いし 当時天龍は邪道外道というスゲエ奴らが出てきたよねと喜んでたんだよ
今の邪外なんか抜け殻だけどね 弘道 邪道 外道 非道 WARの後楽園は面白かった…ワイルドシングに乗って大仁田も参戦してたしサムライに乗って越中も参戦してたしトンパチ折原も館長と彰俊にボコボコに蹴られてたしwビール片手にあの頃に帰って見たい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています