プロレスは「実戦」です
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「プロレスは格闘技の集大成であり王者である」アントニオ猪木(談 私もその通りだと思います 実際そうじゃね?なんたって兇器攻撃まで5カウント以内は有効なんだから 問題は当のプロレスラーが弱いってだけであって 猪木とマサ斎藤による、プロレスラーとしてのプライドと、互いに人間としての最低限の加減をし合った上での闘いこそ真の決闘 マサが武藤に言い放った「(プロレスじゃないという意味で)あれヤラセですけどね」「(興行じゃないから)大変じゃないよ」「お前もプロレスラーならわかるだろ?」はそういう意味 実戦の定義は人それぞれ異なると思いますが 分類すると興行、金銭の伴わない公式戦、練習試合、競技ルールの制約を取り除いた腕試し、異種格闘技戦、 試合場以外での喧嘩や奇襲、お遊び、果たし合い等、 更に、非公式での「喧嘩を見せる商売」など色々と有り 人数も1対1が大前提と、人数制限無しの戦いなど ルールについても 競技ルールを厳密に尊重、曖昧、不文律、ルール無して個人的な資質に委ねるなど… これら全ての要素を内包しているジャンルとは、 プロレスであります。 総合系興行組織の「プロレスラーは実戦では通用しない」とのメディア戦略を 誰よりも間に受けてしまったのが熱心なるプロレス評論家の人達… プロレスこそ実戦であると私は思っています プロレスて八百長やで、八百長 あと、プロレス=八百長 八百長も罷り通る これまた「実戦」です 趣味の世界、慈善事業、啓蒙活動だけではありませんからな、プロレスは 尚且つこれらの要素も担っています 総合格闘技の寝技はプロレスラーが長年やって来たグラウンドの攻防のほんの一部分かも 大昔のボクサーは試合に向けてのトレーニングでレスリングの練習も行なった 現代よりも取っ組み合いの要素が多く残されていたと思われる レスリングも組み合いの最中に殴り合いをしていた ルール整備が進み、技術が洗練進化したがその分、失われたモノもある 私の勝手な想像だが、総合系組織の立場では、柔道やレスリング、ボクシングや空手のトップクラスが参戦した場合に総合系選手が勝っても負けてもどちらでも良い。 勝てばジャンルの優位性を示せるし、負けた場合でも相手に打撃や組み技などを使わせて 「優秀な総合戦士」に仕立てれば良い。 問題なのは相撲とプロレスですな。 相撲は現代でも打撃と組技や投げが一体化している。 プロレスに至っては更に寝技まで有る。 最も貶めなければならなかったのは「プロレス」という事です。 小学校時代から言われていたと言い張っていた!!!! 今や格闘技系YouTubeてジャンルを越えてのコラボが凄いやん 柔道アマレスに空手ボクシング、ありとあらゆるジャンルのトップ同士の技術交流があって まったく相手にされてへんよな、八百長プロレスだけ 「リアルファイターがフェイクのリング(プロレス)に上がるべきではない」… ヒクソン自身が本気で語り実践してきたのか、グレイシーや総合系興行への売り口上なのか、あくまで個人的な立ち位置なのかは知りませんが、 このような発言に嬉々として飛びつき吹聴したがるプロレ評論家とは何とも奇妙ですな 「プロレスをガチなどと微塵も思っていない、ファンは皆そうだし、勘違いしないで欲しい」などと考えているのかもしれない 莫大なファイトマネーを稼いで引退した偉大なる選手であっても、離婚の慰謝料やら重税、本人や親族縁者の放蕩などで生活に困ってにリングに戻った人は多い 或いは、故障や衰えを感じて引退したが、しばらくの休養の後にまた舞い戻る人もいます このようなケースの中でも、国民的な英雄や伝説の偉人などには特に敬意を払うべきで 衰えたとはいえ、ジャックデンプシーやジョールイス、ルーテーズなどが無残に打ちのめされる試合などは誰もが悲しみますからな 場合によっては、エキビジョンマッチで花を持たせるべきであり その一方でお互い無名に近い選手であるが、有り余る体力と情熱をぶつけて手加減無用の 激闘なども格闘技やスポーツ観戦の醍醐味ですな 第1回アルティメット大会で勝ち抜いたホイスグレィシーを見て魅力的な選手が現れたと思いました 「グレイシーの為なら死ねる、腕が折れてもタップしない」等のコメントに [現代のサムライ]などと絶賛する人も多かった 但し、勝って威勢あるときは、格好良いコメントにも充分な説得力がありますが、 窮地に陥ったときも同様でいられるかは、まだわからないと思いましたな トーナメント大会でのキモ戦で激しく消耗し次の試合にも登場したが、相手に背中を向けてうな垂れるホイスを見かねた親父が試合棄権させた場面は 競技者としても家庭を持つ社会人としても賢明な判断だったと思います 猪木はタイガージェットシンと決勝進出を賭けて対戦 引き分けたのですぐに再試合し激闘の末に勝利目前となったときに急所攻撃を喰らい悶絶、反則勝ち。 更に体調万全のハンセン相手に3試合目を行なう。 顔面蒼白の猪木はいきなりラリアットで場外に吹っ飛ばされて意識朦朧 坂口にビンタされ(活を入れられ)リングに戻り最後まで闘った 猪木と比べてしまうとホイスだけでなく、他の殆どの選手にとっても酷な話しになってしまいますが 猪木の強烈なプロ根性やサービス精神はリング上の事象だけでなく、食事のエピソードなどもあります 視界がぐるぐるする なんか頭が右に流れていくような感じ タイムマシンを使い、それぞれ18歳のアントニオ猪木と中田翔を現代につれて来て、両者に3年間MMAの練習を積ませた後、MMAルールで5回戦わせたら中田翔が全勝すると思う。 「強さの尺度がMMA」と宣伝されて、それに倣う人も多いと思いますが、 人々の求める「強さ」とは千差万別ですな。 強さとは相対的な事象でもあり 最高峰の選手同士による実力拮抗の戦いよりも、ひ弱な大学生が小学生を叩き潰す動画の方が衝撃的な映像になります このような残酷な暴力描写は全世界から非難を浴びすぐに抹消されますが「見れるなら見たい人」も少なからずいます 公然のイベントであれば、明るくタフネスを競うのが望ましい。 昔は学校同士で代表を選んでの学生タイマン対決があり、校長先生自らが応援団長になる事すらあった プロレスとなれば興行であるから、学生対決よりも技術や迫力でそれを上回る必要があり、 頭突きを激しく連発しても、観客は安心して見ていられるくらいにレスラーは鍛えている 「猛将、韓国の虎」と呼ばれた大木金太郎などは、遺恨相手には鼻っ柱や後頭部を狙う強烈な頭突きを見舞っていた 相手が一回り以上大きい馬場や坂口、ブッチャーなので耐えられましたな 「倒れた相手には攻撃しない」クィーンズベリールールは理想的なタフネスコンテストかもしれません 本場のアイルランドではボクシング公式戦とはまた別にクィーンズベリールールがあり 真っ向からの殴り合い、倒れたら応援者から水をぶっかけられ引きずり起され、体力と戦意続くまでとことんやる決闘形式があります 映画「静かなる男」では決闘途中の2人がバーに立ち寄りウィスキーを飲んで休憩して また殴る場面があります キャッチ無視したら小声で死ねよて言われたんだけどっ ̫ -˘ お前が死ねよって言い返したら逃げてったなんなんだあいつ 「実際にどちらが強いのか?」はファン、関係者など皆の関心事でありますが、場面によって優劣が逆転するケースは珍しくない 腕力に歴然の差が有れば、立ち合いの握手だけで決着してしまう しかし、勝負事であれば、体力が劣っていても技術で相手でも捻じ伏せる事も有り得る 戦った当人同士が「どちらが強いのか」を確認出来れば良い事ですが 理想を言えばレフェリーは選手以上に優劣や展開を見極める慧眼を持ち合わせていると良い レフェリーの役割は重要ですな 猪木vs大木の有名な一戦、自らの額を指差して「もっと打ってこい!」と鬼の形相で迫る猪木… この名場面はレフェリーが豊登であればこそですな 豊登は猪木、大木の大先輩で頭突きで猪木が崩れる度に割って入り、その間合いが緊迫した 場面を演出した 他のレフェリーなら坂口大木戦のような乱撃戦になったかもしれない このように影響力が大きいレフェリーという役職を長年務めたミスター高橋が 自身の存在意義を主張しても不思議ではない 「流血の魔術」とは出版物であります この本に限らず、本人の名前での自伝や手記であっても編集者が必ず関与します 原稿を見た本人が「私はここまで強くない、立派ではない」 と編集者に意見しても 「あなたはとても立派な方です」と持ち上げる一方で、他人を不当に貶す、事実と反する記述があっても 「出版するからには、これくらいの事を書かないと意義がありません(売れません)、別の箇所でフォローすれば心配無いです」 出版の動機とは多くの場合、 情報誘導、営利目的であり 真実の告発や探究などが第一義ではありませんな 無人島で実際に我が身で直面し感じた事を有りのままに語れば 「唯一の真実」となりますが、 人間社会では相手が存在しますので、当事者がそれぞれ偽り無く語っても 「真実」に相違があり 第三者が当事者達の語る真実と客観的な現象を把握したうえで実情を書けば 「真実が明かされた」とされますが これも別の書き手がいると、描写や結論が異なる事も多い 「信用する」とは本人にとって心地良く、都合の良い事を「事実」としたい要素が多いに有り、 「信じていたのに裏切られた」…これは本人の都合や希望的観測が叶わなかった事であり 憤慨したり悲しい気持ちはある程度察しますが、相手を罵り騙されたと吹聴する行為は 傍から見れば間抜けな行為となりますな 2ちゃんねる系統でのネット古参の常連プロレス評論家達は「ブック」の概念に頓着して「プロレスは実際には弱い」という情報は信じ込むタイプの人ばかりという印象でしたな 10年くらい前の段階では「アンドレやブロディは強い」などと書き込む人がいると 「この期に及んで何を言ってるか! アンドレやブッチャーは実戦で通用しない!」 「馬場は若い頃でも強いはずがない!」などとえらい勢いでしたな 飲むためにお湯を沸かしたいので、お安くお譲り頂けないでしょうか。 この場では叩きのめせるけどやったら相手の仲間から報復されるからやれない、 そういう場面は当然ある。 人間は社会的な動物であって、ただその場の物理的な腕力や技術だけで力関係は決まらず政治力や経済力が強さに関わる。 政治力や経済力まで織り込んだ人間としての実戦がプロレス。 MMAはただの力比べで実戦ではない。 プロレスの方が上位の競技。 >>51 たしかにな。 競技は現実には無い条件をあえて作って競い合うことだった。 プロレスは政治力や経済力も含めたトータルの実戦だから競技ではないね。 あほブタクサと人類の戦いを描いた凄まじいい視界がぐるぐるする なんか頭が右に流れていくような感じの Fly me to the moon Let me play among the stars Let me see what spring is like On a-Jupiter and Mars In other words, hold my hand In other words, baby, kiss me Fill my heart with song And let me sing for ever more You are all I long for All I worship and adore In other words, please be true In other words, I love you [instrumental-first verse] Fill my heart with song Let me sing for ever more You are all I long for All I worship and adore In other words, please be true In other words, in other words I love [3 piano notes] you プロレスラーや武道家の武勇伝を語り楽しむ人達を 「ネット社会になり、ファンタジーは通用しなくなった、信じている者は情弱な信者」と蔑む人もいます どのような楽しみ方をするのかは人それぞれですが、 [事実は小説よりも奇なり]という言葉があります 大組織の責任者、多くの協賛者を抱える社会的影響の大きな人などは 従来語られて来た武勇伝が虚構だと立証されても、差し障りあって伏せられていた事柄の中には伝説をも凌駕するほどの逸話を内包する可能性もあり 情報一つ取って「嘘だとバレた」と矮小化するのは早計だと思いますな 情報に惑わされずに信者呼ばわりされる人達でも、 比類無き、永劫絶対的な存在として対象を崇めてはいませんので 例えば大山倍達の牛殺しにロマン掻き立てられた人であっても 全盛期の大山以上に強い武道家やプロレスラーの登場は、リアルタイムでも昔話しでも大歓迎であります 「大山より私の方が強い」 「大山より私を題材にした方が更に信憑性あるストーリーを構築出来て青少年に夢と勇気を与えてられる」と主張して憚らない実績と面白味のある人物が現れたら良いが、なかなかそんな人は見当り難いのが実際です これは猪木の[格闘技世界一決定戦]でも同様な事が言えます 大葉を3パック注文したら八百屋さん間違えて3束しかきませんでした 趣味は若作りなんだが、重力と年月には負ける 頭おかしい 人に見せられる肌状態じゃないため引きこもり生活始めます 人類は動物界の中では弱い部類で、小型犬と同じくらいのレベルらしい 食物連鎖の上位である虎やライオン、鮫や鷲などに素手では到底敵わないが 武器や機材を用いる事で最強ランクの動物達を獲物にしてしまう そんな人類の技術力でも勝てないのがウイルスで 昔から「食物連鎖の最上位はウィルス」と言う人もいました 毒ガスなどの化学兵器、猛毒を有する植物や動物など全ての人が死に直面ほどの 強い作用はウィルス自体には無いと思いますな 制御出来ないウィルスに晒されてながらも人類は石器時代から存続しています 「物資の危険度や毒性」とは量依存であり 生き物にとって必要不可欠な酸素、水、塩も過剰摂取すれば即死レベルの危険な物質 インフルエンザ発症とマスクの関係を雨と傘に例えれば 本降りの中をしばらく歩くなら傘を用います。小雨だったりこく短距離の移動なら傘を持ち歩かない。暴風雨なら傘さしたところで一瞬にしてずぶ濡れです 但し、生き物には個人差や事情の違いがあるので各々が状況に応じて判断すれば良い 私の場合はインフルエンザ発症して咳、くしゃみが出ればなるべく外出は控えて人前に出るときはマスク着用します 風邪をひいていないのに健康に関してマスクの必要性などまったく感じませんな 雨と傘の例えで言えば、現在の「コロナ禍」とは雨が降らずに「湿度が45パーセントになってしまい危険」と騒いでいるように思える 騒いだところで大気中の湿度を人力で変えたり出来ませんわな。 湿度が50%なら全ての人が健康で死も老化も無く、40%だと多くの人が亡くなるなら あらゆる手段を講じるべきで、私も全力で逃げを試みますが… 実際にコロナ感染で被害を被った方々がいるのは事実ですが 成長し生き続けるという事は、その一方で老化や死は絶対に避けられない宿命であります コロナの感染者や死者数を発表するなら、過去の統計で毎月どれくらいの人が病死していて コロナ騒動以降どれくらい病死者数が増えているのかも併せて発表すべきですな 「マスクを着用しないで感染リスクを高めたら責任取れるのか!?」 という人もいますが、ならば逆に訊きたい 「マスク着用強制による負担、営業自粛による失業や収入減などが実際には不適切な処置だと明らかになった場合には責任とれますか?」と 誰も責任など取れませんわな。自身と身内を守るのが精一杯であればこそ なるべく良い環境で働き生活費を得て、そのお金が社会にも還元される でも、仕方ないことだけどラウンジで他の客もいっぱいだからプレート撮りたくても人の顔や頭が絶対に写りこむから 小川対橋本の3戦目についてはどういう位置づけですか? >>73 今さらすぎて草 それを踏まえた上で、実は強いって幻想があったのに、なぜガチであんまり勝てなかったかを問う場じゃないの? 「アントニオ猪木は世間と戦った」と評論する人がいます 世間=プロレス八百長論という意味合いで… 「八百長」の定義とは幾つもの解釈がありますが、一言で言うならば「馴れ合い」ですな 競技試合を大別するとアマチュア大会とプロ興行があり アマチュアとは社会的地位や利害を排除して、ルールを遵守して純粋に勝敗を競う事に意義がある プロ興行とは集客力であり、入場者や視聴者の期待に応える内容を提供し これが叶わないとインチキ(馴れ合い)呼ばわりされる事もある UWFの台頭はプロレス特有の如何わしさを否定し「これで我々はプロレスファンと公言出来るようになった」と喝采する人達がいました 「世間から認められるプロレス」を目指したはずの猪木が何故UWFスタイルを行わずに レフェリー暴行や乱入、大流血戦などが当たり前の従来プロレスを続けてきたのか? 人前で殴る蹴る行為は、見せ物如何に関わらず、世間全ててから受け入れられる事はありません プロレスだけでなく、格闘技や武道として認知されていても同じです 生真面目な鍛錬と激情を以ってプロレス、格闘機ファンの心を掴むだけでなく 明るく優しい人間性で人々に愛されるのが真のトップレスラー、格闘家 それが猪木の志向する「対世間」であったと私は思います 人参買いに行きましたが痛んでいたので 白菜で我慢しました 落語家の5代目志ん生には[高座の最中に居眠りしたが観客は怒らなかった]という有名な逸話があり 呂律が回らず噺家として現役終わっているような状態の晩年でも 「志ん生に来て欲しい」 「ただ居るだけで良い、何か食べたり酒飲んだり、寝転んでいる様子を眺めているだけで満足」という人達がいたそうです ここまでになると芸人として超一流ですな プロレスラーでは、スタンハンセン、ミルマスカラス、ファンク兄弟、そしてアブドーラザブッチャー、タイガージェットシンなどがこの境地に近いと思います この中でも特にシンは突如に血相変えて暴れる事を期待する人も多く まさに「プロレスラーの鑑」であります このようなケースは昔からあり 「若手売出し中」ハルクホーガンのマネージャーとして帯同来日したフレッドブラッシーの 人気や知名度が、試合する選手達よりも優る事を現役組はボヤいていたそうですが 日本各地を巡業し、毎週のテレビ放映や新聞、街頭ポスターなどで顔と悪名を売りまくったブラッシー長年のキャリアの賜物です プロレスとは子供から老人まで楽しめるコンテンツであるべきですが 特に熱中するのは中学生~高校一年生くらいの時期で この年頃だとプロレスファンでなくても仲間内でチョップ合戦をしたり戯れあいますので テレビでプロレス中継を見れば血が騒ぎ、サッカー少年なのに「ジャーマンスープレックス」をやりたくてブリッジの練習(首を痛める)とかよく有る事です そんな時期に親しんだレスラーには年を取っても思い入れがありますな 猪木は「青少年の体育向上」に多大なる功績があり、この点では馬場は及ばないが 79年のオールスター戦では、奇襲や速攻の達人であるブッチャーやシンと積極果敢の象徴である猪木を差し置いて真っ先に手を出したのが馬場というのも面白い 慎重、鷹揚ようでいて肝要な場面では意外にも手が早く大胆 猪木にとっても頼りになる終生の兄貴格であったと思います プロ興行に於いて勝敗のみに徹するならば、「ウィナーテイクオール」… 勝者がファイトマネー総取りが本来かもしれないが これでは選手やセコンド陣営への金銭の保証やエンターテイメント性(集客力)を確保する事などが難しくなる 負けたら報酬無しとなれば必死に勝ちに拘り そういう世界で勝ち抜けば真の強者と言えます 観衆は単に勝敗の趨勢を見守るだけでは飽き足らずに賭けを始める そこで様々な駆け引きや「裏取り引き」が行われる事になります 興行主や協賛者からの勝敗に関する「強硬な干渉」を拒否した選手が 試合後のシャワー室で、ナイフを持ったギャング2名に襲われる場面が 昔のボクシング映画にあります 更に遡ると[黒人初のヘビー級チャンピオン]のジャックジョンソンは 「勝ったらその場で射殺する」との脅迫を受けながらもリングに上がり 対戦相手を叩きのめした というエピソードもあります これが事実ならば、ジャックジョンソンは「正真正銘の命懸けガチンコ勝負」に勝った事になります プロレスの場合はシリーズ毎に違う顔触れの外人部隊を日本陣営が迎え撃っての連日興行が 基本であったので、波乱含みの方が盛り上がる テリトリー制当時のアメリカや他の国々でも、外敵は強さや狡猾さを誇示しての煽動行為を求められ、 これにヒートした観客に襲撃される事も頻繁にあったようですな 純粋な勝負や技術論だけでは収まりきれない「生きていくうえでの強さ」をも考察したい人が どんなジャンルのファンの中にも少なからず存在すると思います 知らないなら教えてあげるけど、甚目寺より津島の方が遥かにマシですよー(´・ チンピが含まれる七味唐辛子や、シナモンやクローブを含むガラムマサラは五香粉に似た風味を出すことができますが、独特の辛味やほのかな甘みを出すことは難しいようです。 現代の商業施設にあるウォシュレット機能付きの清潔快適なトイレに比べて 昭和のはとても狭く汚く臭い。 特に駅の便所は酷かったですな ただ昔はホームにもトイレが設置されている駅もあり 乗り換えなどのターミナル駅では大きな洗面所が設置されていた 駅の改装工事のコンセプトとはエレベーターの設置と カラフルな色彩、開放的な空間、お洒落な店舗などですが 本来、必要な設備とは洗面所とトイレ、椅子です 駅のホームにもトイレと洗面台と多めの椅子、改札までの連絡通路も椅子が設置されていれば、非常に良い駅だと思います 更に立ち飲み屋まであれば満点ですな コロナ禍による営業自粛要請への協力金をばら撒くよりも 洗面所を増やす事にお金を使った方が遥かに良いと思いましたな ウィルスは常に存在している、それに加えて[水害とか大気汚染、人口増加に対して下水道の整備などが追いつかない]などの劣悪な環境が重なり疫病が大流行する 現代の清潔な環境にいながら更に「除菌」に励み 常に変異するウィルスに対して戦々恐々とするよりは 自己の免疫力を高め維持する事が大切であり、 過剰なるマスクや除菌液、度重なるワクチンなどはこれに反しますな 昔から暴走族、ヤンキーや 日焼けしたくないご婦人などにマスク着用して外出する人 近年でもプリクラやインスタ映えなどでマスクしたい若い人も増えてはいましたが 「健康なのにマスクする人は変質者」というのが昔からの相場であります 首都高の電光掲示板や防災放送で市長が「県を跨ぐ移動は自粛して下さい」などと盛んにやっていましたな 政府の意向や優秀な広報担当が付いているはずなのに もう少しマシな言い回しが出来ないのか… 草加市の人が越谷市に行くのと足立区に向かうのでは健康上で何が違うのか 大田区の蒲田に住んでいる人は隣の神奈川県川崎に買い物行くよりは都内の八王子に行ったほうが良いのか? 「不要不急の外出は控えてください」だけで済むのに 「県を跨ぐ~」と言ってしまう事で「自治体レベルでの点数主義」も露呈してしまう こんな「点数」などに一般庶民が右往左往する必要などありませんな [プロレスに何を求めるか?]は人それぞれですが 「喧嘩が見たい人」も多いと思いますな 昔から「喧嘩とは両成敗」…手を出したからには正当化せずに「どちらも悪い」という事になっています 法律や規則などは全ての人に適用されるのが本来ですが 人々は立場や事情が異なり、社会情勢の変化も有るので、幾ら特例を設けたとろで完璧な法律などありませんな 規則では裁けないので喧嘩して事を収める 喧嘩とは(両者合意のうえで始まり、前歯が吹っ飛んだり、腕の一本も折れた程度では 被害者ヅラして訴えたりはしない)という暗黙のルールがあります 一方的な暴力行為や正当防衛と一線を画すものですが 喧嘩を含めてこれら全てを「暴力否定」で括られて久しい年月経ちますな 善良な市民でも危険に直面して応戦したり、嫌な事が重なり魔が差してしまう事があり得る 誰でも暴行傷害罪に問われる可能性は0とは言い切れないが 危害を加えてこない人に暴行したり、拉致して脅かしたりはしません これをビジネスとして何ら恨みの無い人に対してさえ暴行を働く暴力団、ヤクザの類などは 容認すべき存在ではない ヤクザが存在するのは需要が有るからです 「暴力団追放!」などのスローガンがありますが 一体何処に追放するつもりなのか? ヤクザ不用の社会とは 社会人は約束を守り、立場の弱い者を虐めない (少年には指導する)に尽きると思いますな お金を借りたら期限までに返す、出来ないときは催促される前に連絡と状況説明して誠意を見せる 体を買ったときは、取り決め通りの金額を2人っきりになったと同時に渡し 暴行罵倒などは一切せず(マゾ願望の相手のときは要相談だが…) 約束の終了時間には相手は既にシャワー浴びて身支度整えてすぐ帰れる状態にさせておく オプション、延長の場合も気前良くお金を渡す 皆がこれらの事を当たり前の事として実行すれば 借金取りやケツ持ちなど不要ですわな プロレス興行に於いても 入場料やファイトマネーの他にも色々な取り引き業者が関与してお金のやり取りが発生する これに関わった人達が約束通り迅速に事を運べばヤクザは必要無い ヤクザではなく、有名企業や銀行などが運営すれば良いとも言えませんな 倒産して窓口消滅のリスクは零細企業より少ないが、 大手企業ともなれば、経営陣は高収入を得て、従業員にも給料と福利厚生を保証しなければならない お人好し経営では済まされず、「客や取り引き先に損をさせたり騙しても会社は絶対に損をしない」というのが基本セオリーになっています やはり生きて行くうえで「自己責任」の気概は必要で これは自らも体を張らないと思考が偏ってしまう事もある 世間でも喧嘩はある程度容認され、その中でも「プロレスラーは喧嘩のプロ」というも 在り方の一つですな 万蔵は以前、町からコスモクリーナーを付けろと指導を受けてるはず。 そもそも家賃相場を調べれば分かるけど駅前でも7〜8万円で 2LDK借りられるような地域がセレブを自称するとか 地元なだけに、分別ってものをわきまえて欲しい。 ありがとうございました。龍太と呼ばれて痺れました。 後期高齢者が増えて若者の負担が激増し貧困社会になると言われていますが 両親にはなるべく長生きしてほしいと思うのが人情であり 「対策は増税のみ」という論調が頻りに流布されていますが 高齢者も働いて自活出来る社会こそが本当の改善策だと思いますな 高度経済成長を担い必死に働いてきた人達を更に死ぬ直前まで仕事させるとは 「老人虐待」であり、「自宅で孫の世話しながら悠々自適の生活こそが理想」と考えるの普通ですが、 実際にはこれは若い人の考えかもしれません 人間の身体とは、若い頃は怠けた生活をしても特に異変は無いが、中年以降になると体を動かして負荷をかけないと確実に機能が劣化する とはいえ、現役と同じ内容の作業を行い、1日働いたら3日間寝込むようでは駄目ですな 早起きの老人が増える世の中では、早朝の活動を恒常化させた方が良い マンションの緑地管理の仕事では、専用庭への立ち入りやエンジン工具を用いた作業などは 8時半以降からにすべきだが、 共有の緑地帯では7時から作業も容認され 昼までに殆ど済まして14時前には撤収しても 9時過ぎからの施工を義務付けられて17時頃まで働くよりもかなり身体への負担は減り、実質労働時間はさほど違わない 現役のときと比べて老人は瞬発力や持久力は落ちてはいるが、朝の作業などは若者より機敏である事も多い 特に夏場などは年齢に関わらず暑くなる前に作業を進めたほうが、作業効率や安全性も良いですな このような事を妨げる現代の一般的とされている常識や制約は見直した方が良い 人々とは、「本当の窮地」に陥ればそれまでの慣例を打ち破り状況に適応する逞しさを持ち合わせている 終戦直後の混乱期では、混雑の度が過ぎて列車の屋根にまで人が乗って移動したり、 便所が整備されていないので、停車時間の長い駅では女性達はホームから降りて草地で皆で並んで用を足したそうです「皆でやれば怖く無い」という事ですな このような「大衆の生命力」を体現し娯楽として昇華したのがプロレスであります これをどう表現するかが腕の見せ所ですな ⇧ こいつ意味わかってない ただガムシャラで考えないで手出しするのが格闘技 ウケる 拾い画しか投稿してないのバレてブロックしてる 消費税とは「事業者に課せられる税金」であり 消費者は事業者(店や施工会社など)への支払いに対して代金に「消費税を加えて預けて」いませんが インボイス導入に際して「免税業者は預かった消費税を納付していない=不当利益」との 論調が流布されております 消費税込み価格とは「物価、値段」であり税抜価格での取引と変わらない 「~円支払ったら入手出来るのか」という点では全く一緒ですな 消費税とは付加価値税と同義と言えます 付加価値とは50円の製品を仕入れて100円で売った場合の差額分であり その内訳には、[店舗の設営、商品陳列、従業員や駐車場の確保]などがあり これらの経費よりも仕入れ販売の差額分が多ければ利益、儲けになりますが これに加えて事業者は納税の義務があるので、税額分を商品価格に上乗せする必要も有り その結果として商品の「値段」が決まります なので「免税事業者は預かり金を不当に入手している」とは誤った見解ですな 「事業者は消費税の納税義務がある」のに免除されている免税事業者の存在については、 幾つも理由が考えられますが その一つとして、売り上げ1000万円以下の個人事業主などは「交渉力が弱い」傾向があると思います 発注側はなるべく金額を少なく、受注側は多めにしたいのが通常ですが 立場弱ければ「高い発注額、安い受注額」になりかねない 税込み価格で辛うじて採算取れる状態で インボイス導入による税金負担となれば、存続の危機にもなる 消費税法では社員の給料を経費として認めないので 会社としては正規雇用よりも下請け業者としての取り引きを望む流れが久しくあり その一方で今回のインボイス制度で下請け業者がダメージを受けるとなれば サービスの質の低下や更なる物価の上昇など国民全体も悪影響を被るかもしれません 私は税金が殆ど無くなり給料が3倍に増えても、その結果公共施設が破綻するよりは 税金が9割となっても人々が便利で安心して暮らせる方が良いとさえ思っていますが 「事業者は消費税を預かっている」という論調を押し通そうとする風潮を見ると 今回のインボイス制度には反対したほうが良い気がしますな 八尋寧々の人魚の呪いを抑える代わりに助手として雇い、毎日こき使っている >>139 あなたは本当にアホですねえ まず、実際に税金が何を優先して使われるかの実態調査から始めなさい。 公共施設や福祉等を二の次にして、軍事費の支援他に使われるのを許してどうするの? そのために税金が9割になってもいいなら、アホなあんただけが9割出せばいいじゃん。 まず減税して、余計な所に経費を負担させないような状況に追いこまないとな。 それを改善するには、今の総理大臣はダメだ。岸田は政界から追放。 まだ、れいわの山本太郎氏に任せた方がよっぽどマシだ。 岸田はかつてのAWAやNWAの世界チャンピオンのように 防戦一方で反則や場外のカウントで逃げてベルトを保守する役者。 ぶったぎっても、なぜかかわすポンコツ総理 大石さん、やはり大石さんは噛みつきですよ! ガチで期待してます!! 正論に感謝!! 「お金を持たず世界中をヒッチハイクして周り食事や眠る場所が必要になったらどこかの家のドアを叩いて回ろうかと考える、私にはそれが出来る」モハメッドアリ談 勿論、私もアリが自宅を訪ねて来たら歓待します 多額なお金が入っても、いつも他人に配ってしまい殆ど残らず これに見かねた誰かが無償で家や車を提供してくれて 本人は安普請の家や劣化した車に乗っていても何ら不満無く 必要とあれば最高級リムジン車でもすぐに用意出来て 貴賓室にも出入り自由… 政治家など大衆の頭目になる人物に対する理想像の一つであります 現状の問題点を分析して批判する事も勿論大切ではありますが 今後どのような事を行い、どんな裏付けが有りどう結果を出す、果たせなかったときは如何に責任を取るか これを公言して本気で打ち込む人ならば、自らの意に沿わない人達や体制への「批判に終始」している暇など有りませんな 啓発活動や現状打破を訴えて民衆の支持を得た組織であっても、既得権益の排除や体制破壊を実際に行う為には非常に強い力(独裁化)が必要な場合もあり この新たな権力に対して批判する人は懲罰、煽動者は処刑されてしまう事もあり得る 「世の中の無駄を排し不公平を是正する、悪い奴等を淘汰する」と主張して強大な力を得た組織が 気が付くと「以前よりも無能で悪い奴等」になっていたというオチはよく有る事ですな 学問や研究、技術の分野でも「達人」とされている人達は古今東西を問わず同じ様な事を言う 「覚えろ、そして忘れろ」 徹底的に物事を追求し、この過程に於いて自らの指針に反する思想や方法論を断固排除する気構えも 持ち合わせた方が良いが、まだその先が有るという事ですな 著名人となり財を成した学者でも仕事は一人では行えない 師匠にもなり弟子や同志を教育して喧伝させたり実務現場に送り出す 積極財政派の学者が緊縮財政派を批判する動画を見かけますが 学者自身よりも、教え子達に更に鋭く強硬に緊縮財政を否定させるべきで その一方で緊縮財政派の言い分を聞き「あなたの言説は正しい」といったら 弟子は呆気にとられますわな 「裏切られた、失望した」と… 師匠を見限る形で袂を分けて独立した弟子がその後に「師匠の行いも何気に間違っていなかった」と 戻ってくるかもしれない これと似たケースはプロレス界でも有るかもしれませんな ↑ お前はそれでいいや お前なんかどうでもいい ともかく岸田はクビにしなきゃな 景気回復しないのに増税するなんてアホだ 吉幾三って海外進出したら OK Let’s go になるの? 税金の公平さとは「累進性」であり 皆が同じ金額とか収入に対する割合を負担するのではなく 所得に応じて比率が違うのが本来だと思います 所得税が徴収される年収103万円を超えない程度に出勤日程を組む 準社員、パートの人達は昔から多くいました 消費税の場合は、売り上げ3000万円以下が免税事業者でしたが 1000万円以下に引き下げられてインボイス制度によりまた状況が変わりました この免税事業者の存在とは、消費税法の導入に際して国民の承認を得る為の約束でもあるので これを変更する場合は、その根拠を説明して国民の同意を得るのが本来であります 消費税の施行で事業者の経費が増えて販売価格が上がったので その結果、物価上昇で消費者の家計への負担が増えましたが、 事業者は店頭やレシート、又は発注書に記載されている消費税額などは預かっていないのが実際であります 例えば同じ商品を本体価格50000円、消費税5000円の計55000円で販売しているAとBがあり 年間販売数が200個で一緒ならば売り上げはどちらも1千100万円です A店は親から受け継いだ土地の建物で来客した人だけと商売するのに対して B店では毎月の家賃の支払いが有り、営業車を使って遠方までの商用が頻繁に有るならば 経費は違ってきますので商品1個5万5千円分の消費税納税額がA店では3000円で B店は500円になる場合もあります 客はどちらの店で買っても支払い金額は5万5千円 実際に5千円を消費税として販売店に「預けて」いるならば 販売店が納税した消費税額が5千円以下であれば その差額分の返金とか所得税控除などを要求しても良いはずですが そんは人はいませんな そもそも消費税額の表記自体が出鱈目ですからな このように税の累進性や消費税の成り立ちなどの観点からも 免税事業者に対して「不公平」とか「不当利益」と非難するのは筋違いだと思いますな 批判すべきは「預かり金」などと間違った誘導をして一方的に約束や信用を反故にする政治の在り方であり 年金や保険の制度改悪と同じ類が行われる事であります そして更なる悪政が敷かれる事態への牽制の必要性も有りますな インボイス反対運動に対して声優やイラストレーターの抗議に焦点を当てる報道などは 一部の特殊な人達が騒いでる印象を与えてしまう懸念もあります 実際には国民の殆どが被害を被る事態への隠蔽工作に利用されかねない 人間とは自分1人では社会的な活動など何一つ行えない 多種多様の人達の働きに依存する相互作用が不可欠で 同じ国土に住む日本人として、人々の生活を困らせる制度に対して 「勝ち組」とされる立場であっても安易な賛同はしない方が良いと思いますな そして政治権力の中枢にある人達が 外国とか巨大資本からの懐柔や命令を受けて 売国、亡国的な政策を行い国民を苦しめてしまった場合 利用する側からすれば、そんな情け無い権力者を「自分達の仲間」とは見做さないし 尊敬する事も無い 用済みとなればすぐに切り捨てるだけの存在です ならば最高権力者が民衆に寄り添い、盾にもなってもらい権力を維持する為には まずは民衆がしっかりする必要が有る 愚かな民の上には厳しい政府がある という諺もあります ウチの子は色々と気にしないタイプなので高校生になっても大丈夫みたいです ウチの子は色々と気にしないタイプなので高校生になっても大丈夫みたいです ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる