【過ぎ去りし時代の】SWSについて語ろう その43【夢の跡】
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維新力と佐野に続きアポロの店オープン
新倉の店は閉店した模様
前スレ
【ここにいる者達は】SWSについて語ろう その42【プロレスが好き?】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1642640938/ *カブキアンチがカブキがWWE殿堂入りしたら
顔面にチンポを移植してその写真をアップすると
約束した証拠
↓
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1505615253/
(51番) 以下
顔からチンポぶら下げた歩く猥褻物陳列罪が必死で書き込むテンプレ
↓ 1000 名前:お前名無しだろ (スププ Sdb2-+HjP) :2022/03/30(水) 12:31:23.50 ID:TIVYb1MPd
1000だったらカブキアンチが顔にチンポ移植した写真を上げる
カブキオタってつくづく馬鹿だよな
顔にチンポを移植できるわけないのに ほんと、カブキの言ってること真に受けてイキってたらバカにされてその後何年にも渡って発狂とかマヌケな人生だよな アポロは鈴木みのると試合したことのみで名前を残した デビル・ムラサキは国際崩壊後に警備会社に就職して定年まで勤めた
プロレスラーには珍しいきちんとした人 >>6
顔からチンポぶら下げたお前の方がどう見てもガイジだろ
なんの趣味でそんなことしてんだよ
それとも何かの罰ゲームか?(・∀・)ニヤニヤ >>7
それでも移植するハメになった馬鹿がなにか言ってるよ >>8
とりあえず移植手術のついでに包茎手術もやっとくくらいも頭ぐらい持っとけよww
お子様チンポを一生晒し続ける人生とかマヌケの極みだろwww コブラデビュー戦でのノータッチトペもえげつない高さだったな、スミスにすかされてそれ以後グタグダだったけど…… SWSスレテンプレ
カブキ 灰色の追憶 悲劇のUN王者
1973年3月8日 ダイナミックシリーズ最終戦佐野大会
カブキは強豪J・バレンタインを破りUN王者となる。
猪木・坂口と巻いた由緒正しいベルトをついにカブキが手にしたのだ。
しかしこの翌日、NETは日プロの放映打切りと新日本への移行を発表。
このカブキの試合がNETの日プロ最後の放映となってしまった。
1973年4月19日 アイアンクローシリーズ横浜大会
カブキは強豪K・クラップを相手にUN王座を防衛。
ただ翌日の群馬大会をもって日プロは崩壊した。
弱冠24歳のカブキにとって、これは心に大きな傷を残すことになった。
カブキがよく自分の分をわきまえれというのは、ここからきているのだ。
さらなる悲劇がカブキを襲う。
カブキは日プロ残党として全日本へ合流するも
馬場「おい高千穂、おまえUNのベルト持ってるよな? それ、ジャンボにやってくれるか?」
カブキ「ああ、いいですよ。どうぞ」
まず鶴田対カブキで鶴田が勝つ。
そして鶴田がブリスコに勝ちUN王者となる。
カブキはUNベルトを分捕られたばかりか、鶴田の踏み台にまでされてしまった。
馬場「キミ程度じゃUN王者は無理、アジアタッグくらいがちょうどいい」
馬場の言いたいことはまさにこれであり、決してそれは間違ってはいない。
この後カブキはアジアタッグ王者となるも、あくまでクツワダの底上げの為であった。
1990年7月、カブキは世界タッグのベルトを放り投げて全日本を退団。
カブキ「かつてUNベルトを取り上げられたからその仕返しをしてやった」
かようにUNベルトを取られた恨みは大きかったのだ。
このようにカブキにとってUN王座戴冠は悪夢そのものであった。
それは40年以上を経た今現在でもカブキを苦しめているのである。 カブキ 灰色の追憶 引き立て役人生
今も昔もカブキは、もっともうまいレスラーはG馬場という。
同じく自分の目指すレスラーは吉村という。
この点でカブキは自分自身をわきまえていた。
カブキは60年代後半の馬場の全盛期を目の当たりにしている。
同時に馬場と猪木の引き立て役に徹していた吉村を目にしている。
カブキには引き立て役としてしか生きる道がなかった。
サンダー杉山、グレート草津、マサ斎藤、ラッシャー木村、坂口征二…
自分が踏み台になり越えていくことを承知で稽古をする。
全日本へ行ってもそれは変わらない。
大仁田、渕、園田、天龍…
全日本入団の彼らのコーチを務める。
外様のカブキはあくまで踏み台であり、彼らはカブキを越えていく。
カブキはあくまでコーチであり、前座のレスラーでしかない。
カブキはこの状況を変えようと馬場に海外遠征を頼み込む。
馬場はダメの一点張りでカブキの言うことを聞こうとしない。
元子「そうよ高千穂さん。あなたがアメリカに行ったら、誰が練習を教えるんですか?」
カブキ自信、全日本ではレスラーとしては見られていないと自覚していた。
そして、このようにハッキリと元子から言われそれを確信したのである。
カブキはこの状況から全日本を出てアメリカへ行く。
カブキ「源ちゃんは日本に帰るところがある。俺にはないんだよ」
レスラーとしてはダメ、トレーナーやコーチは拒否。
結局、カブキという見世物として生きていくほかはなかったのである。
それにしてもカブキは哀れである。
自分を踏み台にしてのし上がっていく、彼らはトップで名声やギャラを手にする。
カブキはあくまで踏み台で前座でギャラも低いままであった。
どういう気持ちで引き立て役に甘んじていたのか聞いてみたいくらいだ。
最初の日プロから最後のインディーまで、カブキはしょせん引き立て役の人生であった。 カブキ 灰色の追憶 悲運の海外挑戦者
今も昔もプロレスの本場はアメリカである。
アメリカに武者修行に行き凱旋帰国することはスターへの花道であった。
カブキも当然アメリカ進出を意識する。
70年9月、初めてのアメリカ遠征に出る。2年間順調に過ごすも
72年9月、芳ノ里「すぐに帰ってこい」と帰国命令。
カブキは不本意だったがそれに従い日プロに帰国する。
カブキは日プロの崩壊後にすぐアメリカに戻ろうとする。
だが、芳ノ里「馬場の全日本へ行け」
またしても不本意ながらそれを受け入れる。
全日本では馬場にアメリカ行きを懇願する。
78年2月、フロリダへ行く。
81年1月、「カブキ」へと変身。
カブキは一部テリトリーにて大ブームを巻き起こすも
83年2月、全日本からの帰国命令が下る。
その後は全日本とアメリカの往復となる。
アメリカでは4ヶ月単位でストーリーを組むが
日米を往復するカブキはストーリーが組めなくなりメインから外れていく。
結局、87年1月より全日本に定着となる。
それにしてもつくづく残念でならない。
・もし日プロでそのままアメリカにいたら
・もし日プロ崩壊後すぐにアメリカに行っていたら
・もし「カブキ」として全米で活躍していたら
カブキは「パンが食える」稀有なレスラーである。
余計な邪魔をされずに存分にやっていたら、今以上の名声を得たことは間違いない。
カブキのアメリカ挑戦は完全燃焼して燃え尽きた、の真逆で
ここぞ、というとき邪魔が入り不完全燃焼のまま終わってしまった。
本人もさぞかし無念の想いが強いと思われる。
カブキはアメリカで大きなチャンスも可能性もあったのにつかめなかった。
それは今現在もカブキに深い暗い影を落としているのである。 カブキ 灰色の追憶 付き人制度の蹉跌
力道山が相撲界からプロレス界に持ち込んだ物の1つに付き人制度がある。
上位レスラーに与えられた特権で、付き人となった若手は先輩の身の回りの世話をする。
ただ、これはそのレスラーの人生を大きく変えてしまう恐ろしい制度であった。
日プロに入団したカブキは芳ノ里、豊登、吉村の付き人を務めた。
1960年代後半の日プロ全盛時代。
芳ノ里社長は全国で超VIPと会合し、都内では高級店をハシゴしていた。
カブキは付き人としてついて回り、社会を勉強したのであった。
後の馬場や猪木もそうだが社長の付き人というのは出世の最短コース。
日プロがそのまま順調にいけばカブキにも明るい未来が待っていたに違いない。
だが猪木と馬場が抜けて日プロは崩壊。
猪木と馬場が憎むべきダラ幹の筆頭が社長の芳ノ里。
その付き人で芳ノ里派のカブキには国内にもう居場所がなかった。
カブキは日プロ残党として全日本へ合流するも
マシオ、大熊、クツワダ、佐藤ら馬場の歴代付き人の格下にランク。
大仁田、渕、園田、天龍たちのコーチと踏み台としての役目しか与えられなかった。
日プロから全日本へ行って天から地へ落ちたのである。
UN王座や海外遠征など、カブキは大きなチャンスが逆の結果となることが多い。
この付き人制度もまさにそうで、日プロ社長の付き人というもっともよい位置にいたが
それゆえに馬場と猪木から蛇蝎のように嫌われてしまった。
思うにカブキが最初に馬場についていれば、そのままうまくやっていたであろう。
芳ノ里についたことにより天国から地獄への垂直落下を食ったのだ。
このように付き人制度はレスラーの人生を変えてしまう恐ろしい制度であった。
そしてカブキはその恐ろしさを、自らの身を持って万天下に示したのである。 カブキ 灰色の追憶 マッチメーカー失格
1990年9月、新団体SWSのプレ旗揚げ戦が行われた。
このSWSでマッチメーカー、現場責任者の要職を務めたのがカブキである。
まずカブキがカード案を作成し田中社長へ提出する。
田中が見て次にそれをジョージやワカマツがチェックする。
とにかくSWSはカード編成でもめた。
カブキがいくらカードを作っても、ジョージやワカマツは田中に直接文句をいう。
そして田中がそれをカブキに伝えるということが幾度となく起こった。
選手が誰も言うことを聞かず、第1試合がカブキの定番となった。
ここで有名な大事件が起こる。
北尾 vs テンタと鈴木 vs A菅原の2試合だ。
北尾テンタはもともとテンタの2連勝のブックであった。
ただ神戸の試合当日に北尾がごねて北尾の勝ちブックに変更。
カブキが直接テンタにブック変更を申し込み、それを飲んでもらう有様だった。
「試合当日に選手にごねられてブック変更」
マッチメーカーとして1番やってはいけないことをやってしまう。
結局、この試合は不穏試合となり北尾の「八百長野郎発言」となる。
試合後の北尾は田中夫人に椅子を投げつけるなど大荒れ。
田中夫妻はこの大会後にプロレスの仕組みを知らされる。
田中嫁「何でそんな大事なこと私たちにきちんと説明しないの?」と激怒。
田中「プロレスは真剣勝負だと思ってたけど裏切られた」
「所属のレスラーみんなにウソをつかれていた」
こうして田中はこの大会を境にプロレスへの情熱を失っていった。
すべてはこんなカードを組んだカブキの責任である。
続く 続き
もう1つの不穏試合が鈴木アポロ。
SWSと藤原組の業務提携開始の試合であり細心の注意が必要である。
だが選手の気持ちも考えず不用意にもこんなカードを組んでしまった。
まずルールはSWSルール、レフェリーはミスター空中と整合性がない。
鈴木「船木の相手が佐野さんで、何でおれの相手が菅原なんだ?」
菅原「俺がこの試合で鈴木に負けたら田中に「真剣勝負で負けた」と思われる」
「それだけは絶対に許すことができなかった」と、ブック破りを敢行。
この試合は不穏試合となりSWSと藤原組の提携はご破算となる。
カブキ「このカードは俺が組んだが、まさかあんなことが起きるとは思わなかった」
ここまで来るともう、バカの極みだ!
神戸大会後、反天龍派はマッチメーカーカブキの責任を執拗に追及。
自らの責任を認めたカブキは、自慢の長髪をバッサリ切り落として辞表を提出。
辞表の受理はされなかったが、ここにカブキはマッチメーカー失格の烙印を押された。
その後もカブキへの批判は続く一方。
92年1月、片山が試合中に大ケガをする。
これも「こんなカードを組んだカブキが悪い」と公然と批判された。
92年3月、カブキは試合会場や事務所から謎の失踪する。
ストレスで頭に神経性の発疹ができてしまい、好物の刺身も食えない状態となった。
結局92年4月、目に涙を浮かべながらマッチメーカー降板を発表。
それだけでなく「自分がいたら天龍が迷惑」とレボリューションからも離脱。
カブキは王者の器量もないのにベルトを巻いてしまい、分捕られた悲しい過去がある。
今回もマッチメーカーの器量もないのにその職についてしまい、失格の烙印を押された。
カブキ「SWSでは人生で1番嫌な思いをした」
SWS崩壊の最大の原因は、カブキがマッチメーカーについてしまったことにあった。 カブキ名言集!
「猪木はアメリカに行ったが食えずにわずか半年で帰国した」
「おやじ(芳の里)は会社の金ではなく自分の金で飲んでいた」
「クツワダのクーデターがあったから馬場は鶴田に砧の合宿所を与えた」
「馬場がオリガミで散財している金でUWFを呼べた」
「北尾は谷津の伝手でSWSに入ってきた」
「SWSでは全日本とたいしてギャラは変わらなかった」
「相手への嫌がらせのため毒霧にはニンニクを含んでいた」w 11 名前:お前名無しだろ (ワッチョイ 82d9-76Y4)[] 投稿日:2022/01/20(木) 12:52:17.70 ID:bdTx3cUO0
WWFとの提携の各人の言い分
天龍 - WWFとの提携料100万ドルを佐藤を通じてまとめた。※本人は8000万円と言っているが当時の為替レートでおよそ1億2千万から4千万ぐらい
カブキ - 新日が5000万でWWFとの提携を狙っていたので1億円で契約した
谷津 - 15〜18億を払ったと田中社長から聞いた。レボリューション勢の中抜きを疑っている
鶴見 - 佐藤とカブキが億単位の契約をして半分以上中抜きしたとインタビューで答えた
ナガサキ - 提携料は1億くらいと認識
佐藤 - 田中社長が提携を希望。1年間のブッキングフィーが1億。2年契約したので2億が支払われた
補足 - エリックビショフ談で91年に新日本はWCWと5000万で業務提携 >>30
よっ 待ってました
真打ちの顔面チンポ野郎ww >>30
他のカブキアンチと違って、さすがに皮の被り方も一味違いますなあ
見るからに未使用のままで顔面に移植することになった童貞チンポっぷりがお見事です
貴方もカブキさんのようにもっと広い世界をリアルで見たかったんでしょうに
自室から出ることもままならない容姿故に死ぬまで引きこもりを余儀なくされて
このスレにテンプレを貼ることしか生きがいを見出せない人生に同情を禁じ得ませんwww 顔、体格、身体能力等は申し分ないのにプロレス頭が悪くて大成出来なかった
勿体ないレスラーという意味でジョージと中西が両横綱では? 神戸大会をブチ壊したのが北尾とアポロと言う師弟タッグと言うのが面白い
ワカマツも、舞台裏でどうしてくれるのよと天龍に噛み付くんじゃなく
リング上で北尾とアポロに噛みついて抗争始めりゃ良かったんだよ
北尾はともかく後輩のアポロは寝てくれたろうから >>38
ワカマツさんと北尾はのちに映画1、2の三四郎で闘ったやぞ 北尾の件はともかく、みのるとアポロの試合は当時は
「U戦士鈴木みのるの実力に恐れをなしたロートルアポロ菅原の一方的な試合放棄」
というニュアンスで報じられていたので、UWF幻想も崩れず、あのまま興行が終わればアポロがクビ(もしくは謹慎)になってお終いだったんじゃないか? >>26
カブキがクツワダ、佐藤より格下になったことなど1度もない 待遇はともかくカブキは日プロから合流した外様だからね
轡田と昭雄は馬場の子飼い
(轡田はそれでも唆されて馬場を裏切ったけれど)
馬場全日の中では外様は何処までも外様
SWS分裂の時も生え抜きは殆ど残ったし、外様は軒並み出て行った ハル薗田が生きてたらマイティのポジションに収まって
一方のマイティはクビになってたかも プロレスやってくれと藤原が土下座しても拒否した鈴木達とマッチメークを纏められなかったカブキが悪いかな。
チャンカンで白星配給の選手が可愛そうだからと勝敗表を会場に貼らなかった馬場位のお気持ちが無いと難しいだろう。
全日と高田の交流戦が無くなったのは無理強いをしなかった為だろうし。 船木vs佐野みたいな良い試合もあったがいかんせんUとやってやると意気込むレスラーもいなかった。 >>41
新人の佐藤昭夫はそのとうりだけど、パワーのクツワダ&テクニックの高千穂と役割分担ができてて結構良いコンビに見えたな。
もちろん試合は先輩で試合巧者の高千穂がリードするんだけども。
クツワダの末期のインタビューで高千穂から受け身の指導をよく受けたなんてあったのを思えてる。リングを降りても高千穂の方が格上。
現在のカブキは好きになれないが高千穂は良いレスラーだったし、全日時代のカブキも十分キャラは立ってた。ただエースやメインは絶対務まらなかった。
そしてSWSがあれ程の寄り合い所帯かつ不仲じゃなかったら上手く行ってたと思うんだな。 フレッシュジャンプはカブキ推してたな。特集ページがあった。 闘将!!拉麺男にはアンドレ風キャラもブロディ風キャラもいた。
そもそもあの漫画、「超人拳法の伝承者」といい「救世主」といい
北斗の拳のパクリだな。 あと救世主(メシア)は、悪魔超人編のモンゴルマンが有名 >>53
ホーガンも出てた
何回か死んだが特に説明なく生き返ってた記憶 >>54
長い間勘違いしていた。
パクリ&ブームに便乗(プリンスカメハメの52の関節技とか)の
常習犯のゆでだからこれもそうだろと思っていた(拉麺男は86年ぐらいに
コミックで読んだ)。
>>55
あれこそタイガーマスクのグレートゼブラ(馬場)のパクリ。
>>56
あれは名前が似ているだけだろ。
ホーガン風キャラはネプチューンマン。 キン肉マンめちゃくちゃ好きだったんだが古墳かなんかが出てきたあたりから全く読まなくなったな。 卑劣な敵として出てきて殺された悪役が
なんの説明もなく生き返って友情に熱い仲間になる
まさにWWEも真っ青の強引アングル 再開されてる今のキン肉マンはなかなか熱いぞ
数十年の時を経てビッグボディに感動させられるとは夢にも思わなかった 今のキン肉マン作画がめちゃくちゃ綺麗だよね。また読みたいけど今からコミックス全巻揃えるのが大変だから手を出してない。 同じく「日本人が書いた中国を舞台にした作品」である吉川英治の『三国志』でも
張コウがなんの説明もなく生き返って計3回死んでいるな。 >>62
昔のレオパルドンの記憶で止まってるなら、ビックリするよw マンモスマンが強すぎたのとサムソンティーチャーは覚えている。 >>66
おお それはよかった
でも 子どもの頃の爆笑はそのまま大事にとっておくよ あの高慢ちきなフェニックスがビッグボディにタッグチーム結成を要請するも、高慢ちき故に説教指示癖が直らず試合中ビッグボディにブン殴られる「俺はお前の部下じゃねえパートナーだ!!お前はまずその高慢ちきをなおせ!」
見かねたキン肉マンがエプロン下からコソッと忠告「フェニックス…お前のいうことはきっと正しいんだろうが…正しいだけでは人はついてこないぞ」
フェニックスがすまなそうに微笑んで「キン肉マン、お前のいうことはいつも正しいよ…」
最後はめでたく勝って三人揃ってワッハッハガッハッハで泣けた
(セリフは記憶起こしなので細部は違います) 拉麺男は設定の矛盾がキン肉マン以上のカオスだったな
一話ごとに異世界に移動してるレベル ホーガンって巨大な鉄球を空中高く放り投げて蹴って割った破片を相手に刺して殺す奴だっけ?
普通に攻撃したほうがいいだろと思ったが まぁそんな事はともかく、ジャンクマンvsペインマンは名勝負だった。
オレだけ分かれば良いw >>72
瓶ですね
一回しか使えない大技はプロレス的 あとジャッキー李っていたよな
名前は結構出てくるが闘った場面がない お前ら、SWSスレなんだから『闘竜王(ティラノ)ザウラー』の話もしろよ! 好き嫌いで選手を評価するカブキや小鉄は嫌い。
解説に向いてなかった。 馬場が石川のことをボソクソ言ってたのはアングルだったのか.... >>77
小鹿「馬場さんは人の好き嫌いが激しかった」 馬場信者、鳴りを潜めてますね
コロナに罹ったのなら、正直に仰って下さいねー みのるvsアポロは、亀田vs内藤のプロレス版だったのかな?
若くてイキってたみのるが余裕で勝てると思ったアポロの対して
実力の差を思い知らされて試合をグチャグチャにしたと 天プロ、娘が頑張ってるのは理解するが
Twitterで何だか、こうでなきゃだめだとか、
痛めの語りが入って、痛めのレスラーや裏方が
乗っかって同意したりとかしてて、
何か窮屈そうな塊だなぁ 長州の娘婿の方がよっぽどわかってるよな
どうすれば売れるのかが良くわかってる 結局は、にわかの心の掴み方をわかってる人間が
どのジャンルにしてもヒット商品を生み出せるのよな 鈴木はガチの練習を専門にしてやってるオレが、そこいらのプロレスラーに負けるわけないって思ってのアポロ戦だったのかもしれないけど、今のMMAの技術ならともかく当時のガチの技術なら、よっぽどの差がない限り、本気で向かってくる相手を簡単に仕留められないよな。
モーリススミス戦で心が折れたのと同じく、アポロ戦も思い通りに試合ができなくて自分から諦めた感じ。 普通にカッコ悪いけど今もレスラー続けられてるから何らかの魅力があるんだろうな。 打撃で内藤にかなわないのに苛立って投げ技を仕掛けた亀田のように
組み技でアポロにかなわないのに苛立って打撃を仕掛けたのかなみのるは その打撃もアポロをタジタジ(笑)にさせるには至らず、前蹴りやフックを返される(当たらなかったけど)という… 佐山聡だってコステロに歯が立たなかったから
反則で試合を止めるつもりでスープレックスを出しまくったけど
全然効かなくて負けた
アポロは鈴木に負けたら社長が本気で評価を下げそうだから可哀想な立場だったな
プロレスでガチ幻想的持ち込む経営者は失格 渕正信の本を読むと結構普通に金儲け抜きで経営してたんだな
四天王時代でやっと黒字になって借金を返せたとか
それまでは経費などを引いたら馬場のただ働きが多かったそうな
四天王で黒字になったら選手に還元してた
裏方まで外車買って乗り回してたってさ
しかしカブキはどのツラ下げて鶴田のイベントに出るんだよ
普通断るだろ
人間性を疑うわ
タイガー戸口はわかるよ
カブキはまず謝ってほしい >>91
疑うほどの人間性も無い男とも言える>カブキ
ヤフコメ等でも「馬場と鶴田の悪口ばかりなのに来るんじゃねえ」と
ボロクソに言われている
金に困ってて日銭が欲しいんじゃね >>94
人間の心があれば謝るよ
君の家族ではそんな教育は受けてないんだ?
自分基準でしかものを考えられないのはどうかと思うよ
真っ当な育ち方をしてない人は論外たから参加しないでね 鶴田の関係者もカブキを呼ぶ神経が理解できないんだけどな
さんざん貶めてる老害でファンも見たくもないだろうに カブキは声がかかればどこにでも出る
「馬場夫妻を偲ぶ会」にだって出席している
インタビューにしたって
「今日は善人、聖人としての馬場さんを語ってください」
と言われればその趣旨に沿ってインタビューに答える >>96
渕の本を鵜呑みにするあなたの育ち方はピュア過ぎると思うぞw
馬場時代の全日ファンってピュアな人が多いよな。生きていくの大変だろうなと思う >>91
『俺は謝らないよ、じゃあその代わり鶴田のイベントには出ないよ』
とカブキが言えば
「待って、謝らなくてもいいから鶴田のイベントには出て、そうしないとチケットが売れない」
と関係者が言うのが現実
どうしてもカブキに謝ってほしいのなら
カブキが出る事で稼げたはずのチケット代をお前が主催者に支払うことだね
天龍は未だ認めてないけど、プロは結局お金なんだよ >>91
馬場のただ働きなんてあるかい!
それで何億も財産残せるかいな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています