【不穏試合】SWSについて語ろう その36【泥沼の舞台裏】
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顔からチンポぶら下げた歩く猥褻物陳列罪が必死で書き込むテンプレ
↓ SWSスレテンプレ
カブキ 灰色の追憶 悲劇のUN王者
1973年3月8日 ダイナミックシリーズ最終戦佐野大会
カブキは強豪J・バレンタインを破りUN王者となる。
猪木・坂口と巻いた由緒正しいベルトをついにカブキが手にしたのだ。
しかしこの翌日、NETは日プロの放映打切りと新日本への移行を発表。
このカブキの試合がNETの日プロ最後の放映となってしまった。
1973年4月19日 アイアンクローシリーズ横浜大会
カブキは強豪K・クラップを相手にUN王座を防衛。
ただ翌日の群馬大会をもって日プロは崩壊した。
弱冠24歳のカブキにとって、これは心に大きな傷を残すことになった。
カブキがよく自分の分をわきまえれというのは、ここからきているのだ。
さらなる悲劇がカブキを襲う。
カブキは日プロ残党として全日本へ合流するも
馬場「おい高千穂、おまえUNのベルト持ってるよな? それ、ジャンボにやってくれるか?」
カブキ「ああ、いいですよ。どうぞ」
まず鶴田対カブキで鶴田が勝つ。
そして鶴田がブリスコに勝ちUN王者となる。
カブキはUNベルトを分捕られたばかりか、鶴田の踏み台にまでされてしまった。
馬場「キミ程度じゃUN王者は無理、アジアタッグくらいがちょうどいい」
馬場の言いたいことはまさにこれであり、決してそれは間違ってはいない。
この後カブキはアジアタッグ王者となるも、あくまでクツワダの底上げの為であった。
1990年7月、カブキは世界タッグのベルトを放り投げて全日本を退団。
カブキ「かつてUNベルトを取り上げられたからその仕返しをしてやった」
かようにUNベルトを取られた恨みは大きかったのだ。
このようにカブキにとってUN王座戴冠は悪夢そのものであった。
それは40年以上を経た今現在でもカブキを苦しめているのである。 カブキ 灰色の追憶 引き立て役人生
今も昔もカブキは、もっともうまいレスラーはG馬場という。
同じく自分の目指すレスラーは吉村という。
この点でカブキは自分自身をわきまえていた。
カブキは60年代後半の馬場の全盛期を目の当たりにしている。
同時に馬場と猪木の引き立て役に徹していた吉村を目にしている。
カブキには引き立て役としてしか生きる道がなかった。
サンダー杉山、グレート草津、マサ斎藤、ラッシャー木村、坂口征二…
自分が踏み台になり越えていくことを承知で稽古をする。
全日本へ行ってもそれは変わらない。
大仁田、渕、園田、天龍…
全日本入団の彼らのコーチを務める。
外様のカブキはあくまで踏み台であり、彼らはカブキを越えていく。
カブキはあくまでコーチであり、前座のレスラーでしかない。
カブキはこの状況を変えようと馬場に海外遠征を頼み込む。
馬場はダメの一点張りでカブキの言うことを聞こうとしない。
元子「そうよ高千穂さん。あなたがアメリカに行ったら、誰が練習を教えるんですか?」
カブキ自信、全日本ではレスラーとしては見られていないと自覚していた。
そして、このようにハッキリと元子から言われそれを確信したのである。
カブキはこの状況から全日本を出てアメリカへ行く。
「源ちゃんは日本に帰るところがある。俺にはないんだよ」
レスラーとしてはダメ、トレーナーやコーチは拒否。
結局、カブキという見世物として生きていくほかはなかったのである。
それにしてもカブキは哀れである。
自分を踏み台にしてのし上がっていく、彼らはトップで名声やギャラを手にする。
カブキはあくまで踏み台で前座でギャラも低いままであった。
どういう気持ちで引き立て役に甘んじていたのか聞いてみたいくらいだ。
最初の日プロから最後のインディーまで、カブキはしょせん引き立て役の人生であった。 カブキ 灰色の追憶 悲運の海外挑戦者
今も昔もプロレスの本場はアメリカである。
アメリカに武者修行に行き凱旋帰国することはスターへの花道であった。
カブキも当然アメリカ進出を意識する。
70年9月、初めてのアメリカ遠征に出る。2年間順調に過ごすも
72年9月、芳ノ里「すぐに帰ってこい」と帰国命令。
カブキは不本意だったがそれに従い日プロに帰国する。
カブキは日プロの崩壊後にすぐアメリカに戻ろうとする。
だが、芳ノ里「馬場の全日本へ行け」
またしても不本意ながらそれを受け入れる。
全日本では馬場にアメリカ行きを懇願する。
78年2月、フロリダへ行く。
81年1月、「カブキ」へと変身。
カブキは一部テリトリーにて大ブームを巻き起こすも
83年2月、全日本からの帰国命令が下る。
その後は全日本とアメリカの往復となる。
アメリカでは4ヶ月単位でストーリーを組むが
日米を往復するカブキはストーリーが組めなくなりメインから外れていく。
結局、87年1月より全日本に定着となる。
それにしてもつくづく残念でならない。
・もし日プロでそのままアメリカにいたら
・もし日プロ崩壊後すぐにアメリカに行っていたら
・もし「カブキ」として全米で活躍していたら
カブキは「パンが食える」稀有なレスラーである。
余計な邪魔をされずに存分にやっていたら、今以上の名声を得たことは間違いない。
カブキのアメリカ挑戦は完全燃焼して燃え尽きた、の真逆で
ここぞ、というとき邪魔が入り不完全燃焼のまま終わってしまった。
本人もさぞかし無念の想いが強いと思われる。
カブキはアメリカで大きなチャンスも可能性もあったのにつかめなかった。
それは今現在もカブキに深い暗い影を落としているのである。 カブキ 灰色の追憶 付き人制度の蹉跌
力道山が相撲界からプロレス界に持ち込んだ物の1つに付き人制度がある。
上位レスラーに与えられた特権で、付き人となった若手は先輩の身の回りの世話をする。
ただ、これはそのレスラーの人生を大きく変えてしまう恐ろしい制度であった。
日プロに入団したカブキは芳ノ里、豊登、吉村の付き人を務めた。
1960年代後半の日プロ全盛時代。
芳ノ里社長は全国で超VIPと会合し、都内では高級店をハシゴしていた。
カブキは付き人としてついて回り、社会を勉強したのであった。
後の馬場や猪木もそうだが社長の付き人というのは出世の最短コース。
日プロがそのまま順調にいけばカブキにも明るい未来が待っていたに違いない。
だが猪木と馬場が抜けて日プロは崩壊。
猪木と馬場が憎むべきダラ幹の筆頭が社長の芳ノ里。
その付き人で芳ノ里派のカブキには国内にもう居場所がなかった。
カブキは日プロ残党として全日本へ合流するも
マシオ、大熊、クツワダ、佐藤ら馬場の歴代付き人の格下にランク。
大仁田、渕、園田、天龍たちのコーチと踏み台としての役目しか与えられなかった。
日プロから全日本へ行って天から地へ落ちたのである。
UN王座や海外遠征など、カブキは大きなチャンスが逆の結果となることが多い。
この付き人制度もまさにそうで、日プロ社長の付き人というもっともよい位置にいたが
それゆえに馬場と猪木から蛇蝎のように嫌われてしまった。
思うにカブキが最初に馬場についていれば、そのままうまくやっていたであろう。
芳ノ里についたことにより天国から地獄への垂直落下を食ったのだ。
このように付き人制度はレスラーの人生を変えてしまう恐ろしい制度であった。
そしてカブキはその恐ろしさを、自らの身を持って万天下に示したのである。 カブキ 灰色の追憶 マッチメーカー失格
1990年9月、新団体SWSのプレ旗揚げ戦が行われた。
このSWSでマッチメーカー、現場責任者の要職を務めたのがカブキである。
まずカブキがカード案を作成し田中社長へ提出する。
田中が見て次にそれをジョージやワカマツがチェックする。
とにかくSWSはカード編成でもめた。
カブキがいくらカードを作っても、ジョージやワカマツは田中に直接文句をいう。
そして田中がそれをカブキに伝えるということが幾度となく起こった。
選手が誰も言うことを聞かず、第1試合がカブキの定番となった。
ここで有名な大事件が起こる。
北尾 vs テンタと鈴木 vs A菅原の2試合だ。
北尾テンタはもともとテンタの2連勝のブックであった。
ただ神戸の試合当日に北尾がごねて北尾の勝ちブックに変更。
カブキが直接テンタにブック変更を申し込み、それを飲んでもらう有様だった。
「試合当日に選手にごねられてブック変更」
マッチメーカーとして1番やってはいけないことをやってしまう。
結局、この試合は不穏試合となり北尾の「八百長野郎発言」となる。
試合後の北尾は田中夫人に椅子を投げつけるなど大荒れ。
船木が言うように田中もこの日を境にプロレスへの情熱を失っていった。
すべてはこんなカードを組んだカブキの責任である。
続く 続き
もう1つの不穏試合が鈴木アポロ。
SWSと藤原組の業務提携開始の試合であり細心の注意が必要である。
だが不用意にもこんなカードを組んでしまった。
この試合は不穏試合となりSWSと藤原組の提携はご破算となる。
カブキ「このカードは俺が組んだが、まさかあんなことが起きるとは思わなかった」
はっきり言ってバカ丸出しである。
神戸大会後、反天龍派はマッチメーカーカブキの責任を執拗に追及。
自らの責任を認めたカブキは、自慢の長髪をバッサリ切り落として辞表を提出。
辞表の受理はされなかったが、ここにカブキはマッチメーカー失格の烙印を押された。
その後もカブキへの批判は続く一方。
92年1月、片山が試合中に大ケガをする。
これも「こんなカードを組んだカブキが悪い」と公然と批判された。
92年3月、カブキは試合会場や事務所から謎の失踪する。
ストレスで頭に神経性の発疹ができてしまい、好物の刺身も食えない状態となった。
結局92年4月、目に涙を浮かべながらマッチメーカー降板を発表。
それだけでなく「自分がいたら天龍が迷惑」とレボリューションからも離脱。
カブキは王者の器量もないのにベルトを巻いてしまい、分捕られた悲しい過去がある。
今回もマッチメーカーの器量もないのにその職についてしまい、失格の烙印を押された。
カブキ「SWSでは人生で1番嫌な思いをした」
SWS崩壊の最大の原因は、カブキがマッチメーカーについてしまったことにあった。 カブキ名言集!
「猪木はアメリカに行ったが食えずにわずか半年で帰国した」
「おやじ(芳の里)は会社の金ではなく自分の金で飲んでいた」
「クツワダのクーデターがあったから馬場は鶴田に砧の合宿所を与えた」
「馬場がオリガミで散財している金でUWFを呼べた」
「北尾は谷津の伝手でSWSに入ってきた」
「SWSでは全日本とたいしてギャラは変わらなかった」
「相手への嫌がらせのため毒霧にはニンニクを含んでいた」w まあ弛んだ身体だろうが
顔からチンポぶら下げたヤツよりはマシだわな >>5
1973年 高千穂UN王座奪取
実況アナの「高千穂おめでとう!」の声の直後に画面が変わり、非常にも「次週からは、番組タイトルをワールドプロレスリングに戻し、猪木、坂口の黄金コンビのファイトをお届けします。ご期待ください。」の予告アナウンスが流れる。
高千穂UN王座奪取の中継を最後に、日本プロレスのTV放映はなくなり、日本プロレスは消滅する。
1990年 鶴田・カブキ組が世界タッグ王座奪取
実況アナが「鶴田、カブキおめでとう!」と伝えてから間もなく、カブキは世界タッグ王座を放り出し、全日を離脱してSWSへ移籍。 天龍さん快気おめでとう!
スーパードライ美味そう! WWFとの提携の各人の言い分
天龍 - WWFとの提携料100万ドルを佐藤を通じてまとめた。※本人は8000万円と言っているが当時の為替レートでおよそ1億2千万から4千万ぐらい
カブキ - 新日が5000万でWWFとの提携を狙っていたので1億円で契約した
谷津 - 15〜18億を払ったと田中社長から聞いた。レボリューション勢の中抜きを疑っている
鶴見 - 佐藤とカブキが億単位の契約をして半分以上中抜きしたとインタビューで答えた
ナガサキ - 提携料は1億くらいと認識
佐藤 - 田中社長が提携を希望。1年間のブッキングフィーが1億。2年契約したので2億が支払われた
補足 - エリックビショフ談で91年に新日本はWCWと5000万で業務提携 月曜から夜更かしでター山を見て
嗚呼、こんなヤツ信じなくて良かった
天龍ファンで正解だったと改めて思った 夜中しょんべんで起きて
自己中、性格の悪さが滲み出るにおってきそうな天龍の写真を見て
ドリーの一件みたいのがあっても馬場にはある程度の気品というものがあったよな
と、天龍グッズ断捨離しようと思う 前スレ>>998
>プロレスラーに憧れてプロレスラーになってトップになったのは藤波ぐらいか。
トップというのも、意見が分かれるだろうが、
大仁田も、三沢も川田も小橋も、プロレスラーに憧れてトップになった。
三銃士の武藤、蝶野、橋本だって、強引にスカウトされて、入門したわけでもない。
やはり憧れはあっての入門だろ。
ジュニアならライガーな!途中でプロレスが嫌いになったが、佐山とか沢山いるだろ。 >>14
いけ好かないカブキテンプレ野郎に
一泡吹かせたのがキミか しかし複雑な気分だw >>20
それほどの天龍嫌いがグッズ持ってるわけないだろw >>19
5/3(月)20:00〜23:00
5/3は豪さんの日スペシャル/夜の部
復活!! ターザン山本!と吉田豪の格闘二人祭!!
おもしろかったですか? >>24
私はタイムマシンを持ってません
テレビ番組で見たんです
マツコのヤツ >>21
他のスポーツや格闘技界から挫折してプロレスに転向する例も多いね
ラグビーの三人なんて最たるもんだし、横綱の3人もそう、親方株が無いから仕方なく >>26
ラグビーは草津、原、ケンソー?
横綱は東富士、輪島、北尾? >>27
草津も原も挫折はしてないだろ。
頂点までいって引退してからだから横綱からの転向に近い。 選手からしかるべきポストに就職できなかったから挫折かなぁと
ラグビーは大学の学閥主義だからなんか壁があるとか >>28
いや3人って誰なのかなって話で
一応パンクラスの渡辺謙吾もラグビー出身の鳴り物入りだったし
でも原は近鉄で腐ってたんでしょ >>21
今の時代でプロレスラーに憧れないでプロレスラーに
なってトップになったのは誰かいるかな?
永田、中西、秋山、ゼウス、関本とかかな。 >>30
> でも原は近鉄で腐ってたんでしょ
頂点を極めた後の話を挫折とは言わないだろ。 >>31
永田さんはプオタ
ttps://dotup.org/uploda/dotup.org2462139.jpg >>25
Youtubeに多分上がるよ
あるいはTVば
Huluも日テレ系だから見れるはず >>33
すげえ!大仁田がFMWで一時代を築いた時にどう思ったんだろう? >>23
w?
レボT,Revolution キャップ
腰手術してへなちょこ時代の第3世代との復帰戦も行ったことがある、半券この前みつけた
DVDはいいや
アンチ天龍として見れるからな >>33
ちな
大仁田の引退した日は12月2日なんだけどな.. >>27
横綱は東富士・北尾(双羽黒)・曙だろ。
輪島は年寄株を担保に入れて借金したことが問題になった。 >>39
ああ確かに花籠親方だった
よく考えたらそっちの方が体裁悪いね >>21
武藤は柔道整復師助手をやってて、身体ケアを必須にしているプロレス業界のツテでデカい逸材がいるという噂を聞きつけて新日がスカウトしたという話だったはず
手に職もあったので新弟子時代も事あるごとに辞めるとボヤいては小鉄になだめられたとか
ある時は一緒に夜逃げしようと誘った相手だけ真に受けてそのまま逃げたのに当人は朝までぐっすり寝てしれっと新弟子生活を続けたという図太さ >>39
>横綱は東富士・北尾(双羽黒)・曙だろ
>輪島は年寄株を担保に入れて
え?横綱からストレートにプロレス(格闘技)に転向したと言う意味?
なら曙も一代年寄「曙親方」を経てでの転向なのだが、、 なんでパレストラや道場撃の連中は、WWF提携料を
レボリューションが中抜きしたと思ったの?
気前のいい天龍さんがネコババするわけないのに。 >>43
馬場信者じゃないけどな
そう考えないと銭ゲバ、悪魔に魂を売った
天龍を神格化できないんだろうな 馬場信者という言葉を使うやつは頭を患ってるんだろうな
支離滅裂な内容を繰り返して何が言いたいんだろうか 416風の谷の名無しさん@実況は実況板で (アウアウエー Sa9f-FYM5)2021/04/30(金) 00:31:09.97ID:Xwg9gJ8ca
純愛いいわぁ
リリィ回もたのしみ >>48
それは俺の書き込みじゃないから
馬場信者とか言ってる奴は根本的に卑怯な人間だな >>39
輪島のやつは当時日馬富士暴力事件なんか目じゃないほど激震に揺れたな 森七菜という女優が事務所移籍をしたことで
そこまで育ててくれた事務所に対して恩知らずだとか
社会人として無責任だとかそんなバッシングがあるけれど
当時の天龍に対してもそんなだったのかな。 >>39
>>50
輪島の件について自分の周りでは「大学卒の親方は違うな。年寄株を担保に入れて借金するなんて、中卒の親方じゃ考えつかないよ。」と関心されていたけどな。 天龍の場合は全日に後ろ足で砂かけて出ていったことよりも、プロレスがケツ決めであることを隠して、大金を受け取ったことの方が酷い >>42 曙は一代年寄じゃないよ 横綱特権で親方として残っただけ きみら、あと20年ぐらいはSWSでご飯食べれそうやなw >>51
当時、ゴングの小佐野という天龍番記者がいて、天龍は小佐野にいち早く情報リークしており天龍情報は週プロよりゴングが早かった
ゴングと同じ事を書いてれば後追いになってしまうと考えた週プロ山本はゴングと逆に天龍批判をした
それを喜んだ馬場は山本にマンションを購入したり、現金渡したり、全日のビックマッチのマッチメイク&ケツ決めを任せた
喜んだ山本は紙面で強烈にSWSを批判した
よって週プロ読者も批判するようになった
当時は天龍が批判されて、三沢ノアが批判されなかったのが不思議だった >>56
当時佐野ファンだったから週プロ取材拒否は地味に困ったな。
藤原組参戦時の佐野は載ってたけど >>57
う〜ん、これはいくらなんでもなぁw
ノワできたころのター山の状況について
どなたか語ってくれwおれ実家離れてて手持ち資料乏しいのよ そういえばレッスンワンでKAIと小佐野が色々とやりあってたけど
何がしたかったんだろう? >>51
森七菜と天龍の共通点は契約途中で一方的に移籍したこと。
森七菜は前事務所との契約が残っていたのに、それを履行せずに退所。
ソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)は引き抜きとの批判を避けるため
「契約」ではなく「業務提携」とした。
はっきり言って森七菜の未来に暗雲が立ち込めている。
1990年3月、天龍全日本と契約更改
1990年4月、天龍全日本退社
こんなのが通るわけがない。
バッシングを浴びて、裁判で負けて数千万の違約金を支払ったのも当然のこと。
3月の契約更改をせずに退社すればよかっただけのこと。
プロレス界も芸能界も契約の重要性はまったく同じことである! >>59
週プロ退社から3年、この時期のター山の主な仕事は
・SRS-DX編集(月50万)
・プロレス劇本(一冊30万)
・この他にも多くの連載や単行本、テレビやラジオも
「プロレスはもうダメ、これからは格闘技の時代」
これを煽りに煽って、新日本からPへの民族大移動を引き起こす
00年代前半の格闘技隆盛とプロレス没落を理論的に演出
ノア離脱後の全日本の四国ツアーを自費で追っかけたりもしたw
とにかく狂い咲きが凄かった記憶がある。 1990年に入ってからの試合での天龍への変な当たりの強さは何かあると予感させるものがあったけどなあ
まさか全日退団〜SWS移籍とは思わんかったけど 覚えてるのだけでも、
・6人タッグ?でマイティ井上にリングアウト負け
・ラッシャー木村に毒霧を吹きかけられる
・6人タッグでジャイアント馬場にピンフォール負け
・サムソン冬木と仲間割れ→天龍同盟解散
・ジャンボ鶴田のインディアンデスロックでギブアップ
・スティーブ・ウィリアムスのインディアンデスロックでギブアップ→龍艦砲仲間割れ
・ジャンボ鶴田との三冠戦で12分程度で敗北(ハンセンの乱入あり) >>65
> サムソン冬木と仲間割れ→天龍同盟解散
これは違う
チャンピオン・カーニバル開幕戦で天龍のイスが冬木に誤爆し流血
3シリーズ越しの因縁もこれでようやく終了かと思ったら
冬木が奮闘し勝利、場内大声援の中結束をアピールする3人というまさかの展開
解散は別の話 >>66
冬木が鶴田に逆エビかけられてるの天龍がラリアットでカットしたら、
鶴田離さず余計に腰痛めた感じになって冬木が不貞腐れたのってその間の話だっけ? >>68
それは新春ジャイアント・シリーズ
その後のエキサイト・シリーズも曖昧なまま経過してチャンピオン・カーニバル そう、新春ジャイアントシリーズが不穏な感じしてた
>>65の上半分ほとんどこのシリーズってことじゃん
天龍の勝ち試合で覚えてるのって新日参戦が決まった直前に高木をサソリで破った試合くらい >>70
そもそも高木に抗争ふっかけられる事自体
格的にバランスが取れない。
動きはだいぶ良くなって来てはいたけど
まだ何の実績もなかったからね。
アジアタッグでさえ挑戦していない。 >>71
それは天龍・高木組の布石ですよ。
直後に高木の退団でお流れになったが。 天龍って何でもあんなにひねくれてるの
全日に入った時もバスで鶴田に話しかけてもらって馬場にもよくしてもらったんでしょ
先輩の渕や大仁田も呼び捨てしてるし新人なのに居心地も悪くなかったんじゃないか >>63
ターザンは週プロ辞めたあとも全日のマッチメイク
に関わってたけど、三沢からすれば何で週プロ辞めた
ターザンがやってるのってあってだったら俺がやるとなったみたい。 >>75
しがない三沢アンチだが、
それが事実なら、ものすごい燃料だな
というか、もう一生暮らせるレベル
プロレスマスコミで好き書けるやつならブック任すし
その座を追い落とされたやつなんか切れってこっちゃろ?
うん、怪情報として聞いとくw いくらみつはるでもそこまではなw ター山は週プロを退社した後に全日に「自分をブレーンにしてくれ」と売り込んだが
あっさりと門前払いを食らったんじゃなかったっけ?
WWFとの提携についてはあくまで提携料は約1億円で
それ以外の渡航費、接待費、レスラーのギャラで
WWFに支払った総額が17億円位になっても不思議じゃない
SWS側にはWWFとまともに交渉できる人間なんていないから
やりたい放題で金を持っていかれた事は想像がつく
そのWWFの接待費に便乗して一緒に飲み食いする位はあり得るね
ジョー・ダイゴーが言うには向こうのレスラーは日本の団体相手だと
「稼げる」と思って高い金額をふっかけて来るんだそうだ
ダイゴーは「俺はお前がここで幾ら貰っているか知っているんだぞ!」と諭して
適切なギャラに抑えていた
カナダの独立団体のレスラーでもそんななんだから ター山はな〜
ミスターX名義の本は、G誌読者をも捕えていたのよ
そっちに集中して「プヲタを喜ばす本(アイテム)」に専念してたら
いまも年収2000万くらい軽く稼ぎ続けてたんじゃないかな
まぁ競馬で貯金ゼロは変わらないとしたら
大差ないのかw >>46-49
何だ、馬場信者はアニメヲタでもあったのかw
>>51
恩知らずとか無責任とか言っているのは馬場信者だけ。
他にも退団・移籍した選手は何人もいるのに、いつまでも天龍カブキを叩く卑劣な奴
ちなみに >>62はしつこくカブキの悪口をテンプレとして貼り付けているゴミカス
>>64-65
汚い馬場の卑劣なやり方だね。 >>79
最盛期の週プロで編集長を務め、馬場からも田中社長からも結構な額の金銭を受け取ってたのにも関わらず現在の体たらくは…ぶっちゃけ今でも嫌いではあるけど、あまりに哀れ過ぎて叩く気にもなれない
人生の先の事を考えて、関東近郊の静かに暮らせるような街に小さくてもいいから家でも建てておけばよかったのに…ほぼ全てJRAに貢いだとかアホなんじゃないかと >>78
>ター山は週プロを退社した後に全日に「自分をブレーンにしてくれ」と売り込んだ。
某選手「ブレーンバスターなら掛けてやるよ!」 >>55
そらそうよ 倒産して今年で40年もになる国際プロでまだメシ食ってる人の多いこと多いこと 当時のレスラー関係者を愚かだと批判することで自分が彼等の上に立ったような気になれるんでしょう 64
そうですよね
本来だったら格下の高木さんが天龍さんに仕掛けたりするなんて有り得ない
ことでしたよね
マイティさんの奮闘、木村の毒霧と「何でお前が」というレスラーまで絡んで
きて、全日側のテンションが異常でした
もしかすると、馬場は独自の情報網から、かねてから若手のファイトマネー
減額等全日の待遇に不満を抱いていた天龍さんとメガネスーパー側の動きを
既に察知していて、公開リンチ紛いの仕打ちを天龍さんに仕掛けたという説
もにわかに浮上してきましたね
天龍さんが全日退団を申し出た際も
馬場「メガネスーパーか?」
と、既に知っていたのですから 馬場と木村だけ呼び捨て…これが意味するところは何なのだろうか >>85
その時点でメガネスーパーと天龍で話が決まっていたなら契約更改せずに全日本を離脱したはず
単にメガネスーパーが天龍に接触しているという段階だったらわざわざ出ていくように仕向けるような事はせず全力で引き留めたはず
なのでその説はまず無いと思う キラー・カーンの店が閉店するそうな
天龍が現金8000万円+6000万円のマンションでカーンをSWSに誘ったって言うんだからバブルだった事 >>90
飲食店って補償バブルで小さな店なら皆儲かってるんだけどなんで閉店するんだ? >>91
そこまでは分からん
ちなみに5月22日をもち閉店 >>91
補償バブルで儲かる程度の小さな店だったのか? >>92
了解ありがとう。
>>93
1ヶ月に180万だぞ。後は去年は家賃補助もあったしなコロナ禍の1年間で飲食店で補償された額で個人店はウハウハ状態だよ。大手だけだよ苦しんでるのは >>91
老後に充分なくらいの貯蓄ができたんじゃない? 天龍全日本離脱のタイミングと引き抜き
90年3月 天龍全日本契約更新
同4月3日 小倉にてナガサキが天龍を誘う
同4月7日 天龍同盟解散
同4月16日 「ジャンボに負けたら俺は辞める」
同4月19日 天龍ジャンボに負け
同4月23日 天龍辞表提出
同4月26日 天龍全日本退団
それにしても何という間の悪さだろうか?w
SWSは天龍が全日本との契約を更新した直後に誘っている。
SWSが一か月前の3月頭に天龍を誘う。
天龍は全日本との契約を更新せずに全日本を退団。
5月より新団体SWSに入団。
これで何の問題もなかった。
ところがSは初め武藤を誘い断られ次に藤波を誘う。
藤波は途中で辞めて天龍を誘っている。
そんなことをしているうちに4月になってしまったのだ。
これによりSは天龍を引き抜いたとバッシングされた。
田中自身も「一番の失敗は引き抜きをやったこと」と認めている。
SWSは天龍を引き抜くタイミングがほんの少しだけ遅かった。
しかしそのことが天龍、田中、SWSの運命を暗転させてしまったのである! 週プロ No,377 表紙
天龍全日本離脱
この事件で義理人情より
「プロはお金である」ことがはっきり証明された。
これは1つの歴史的転換である。
ハッキリ言うと、ター山はこの表紙だけで天龍とSWSを葬り去った。
元子「いやー、凄いことをやったね。あの表紙で天龍は立ち直れません」
馬場「キミもいろいろ大変だろう」
馬場はキャピトルではなくオークラにター山を呼び金を渡した。
当時はバブル全盛期。
金に汚い金権政治に国民はうんざりしていた。
それに合わせるようにSWSを金権プロレスとして批判した。
天龍は何1つ反論できなかった。
なぜならすべてその通りだったから。
・田中にプロレスの本質を隠して大金を得る
・勝利者賞を選手会でプールして年末に選手に分配
・参入から撤退までの田中の金使い
まさにSWSはター山の指摘通りであった。
巨大な黒船SWSは現代プロレス界に蘇った恐竜そのものだ。
だがそのアキレス腱がむき出しになっており的確に正確に射抜かれた。
一度倒れた巨大な恐竜は二度と起き上がることができなかった。
週プロモバイルのデジタルアーカイブの整備だ進む。
今やだれでも気軽にター山のSWSバッシングにアクセスできるようになった。
これからも半永久的に閲覧され続けることであろう。
これは落ちぶれに落ちぶれたター山にとって幸運なこと。
ター山の偉業とSWSの馬鹿さ加減は今後も永久に残るのである! いや、これはアレですよ…週刊天龍クンですよ
ターザンかぶれの「である」「のだ」の言い切り口調だからすぐわかる SWSが金権プロレスなら
一団体から金貰う編集長は金権雑誌ですか?w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています