もし大森隆男が秋山準より先に全日に入団していたら?
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大学在学中に馬場さんと面接したが、すぐ入団してほしかったが「卒業してから来なさい」と言われたため結果的に秋山と同期に。それで大森のプロレス人生は大きく変わってしまった気がする。
もし大森が秋山の先輩になっていたらどうなっねいたか?
泉田よりも先にデビューしていたかな? 世渡りもアピールも下手な大森さんはいつデビューしようと変わらん気がする あれだけ秋山と比較され続けて常に中堅扱いじゃ嫌になるだろ。
新日で永田、小島とかが第一線でやってるのに大森は1若手扱いだったもんな、体格とルックスはいいのに。
彼を活かさないのは宝の持ち腐れだった。 デビューが早くても結局ノーフィアーまでブレイクできないと思うわ ただ、1988年〜89年、大森19歳〜20歳でデビューしたとして
(小橋とほぼ同期)
1990年4月〜6月の天龍らのSWSへの大量離脱の後、
この頃、小橋と共に、ぐーーっと引き上げられたとは思うね。
そしたら、今度は小橋と比較されるが。 先輩というだけなら
井上雅央、泉田、浅子、、このあたりも
秋山より先輩なんだがねぇ、、、 大森をダメにしたのはフライングニールキック
もっとカウンターのスパインバスターやパワースラムを使っていれば器用な立ち回りできたと思う
それがフライングニールキック覚えたせいで相手とのやり取りに間ができてしまうとこがダメ
大森はとにかく間が多すぎる
そこさえ治せばもっと輝いた
まぁプロレス脳のスピードがないんだろうね 地味な選手が多い全日では、入場の時にアピールしたりコメントも良くて良いキャラしてた
イケメンで身長もあって体もブヨブヨではない
ドロップキックやダイビングニーは跳躍力があった
駄目な所はメンタルが弱い?とこかな
みのるに虚勢を張っていると言われた
橋本とシングルをした時はビンタを振り切ってないと秋山に言われた
試合内容は別に悪くはなかったと思うが特別良いとも思わなかった 秋山の後輩というポジションだからある程度ダメでも許されてた訳で
先輩だったら立場なかったんでは
秋山は今でこそ老害ハゲだけど、日本のレスラーで
ちゃんと下積みをした選手の中では最高のデビュー戦をしたレスラーだったし
プロレス界を背負って立つと本当に思ってた ノーフィアーのやらされてる感は
すごかったな
結果高山が金髪でブレイクしたけど
アメトークで大森の理由いるだろ?
のツッコミに対する狩野の着眼点は
さすがと思った 秋山はデビューまもない頃、ロープに振った相手をホールドしないでタイミングで投げるフロントスープレックス
を頻繁に使っていた
対して大森も、自分が走り相手の後ろに回り込んで仕掛けるネックブリーカーを使用していた
毎試合使うノルマでもあるのかなぁと気になっていた
デビューが近い雅夫や浅子や泉田も何か一つは特徴的な技を使っていたのかな? 大森はホントもったいなかった
新日本で言えば中西と同じ 三沢に好かれるかどうかが全ての全日・ノアでは大森が陽の目を見るのは難しい。 >>13
みのるに「高山はノーフィアーだけど大森はフィアーだろ」って言われてて納得してしまった >みのるに虚勢を張っていると言われた
ノーフィアー時代、顔を歪めて怒鳴っているのは
かなり無理があったなぁ。
普通にやっていて売れなかったんだから仕方がないが。
一時、胸の筋肉の盛り上がりなんか日本人でも、
抜群だったんだが、顔も良かったし、本当に勿体ない。
素材は新日本のジョージや中西以上のモノがあった。 あの身長でブリッジが綺麗なのが良かった
橋本をドラゴンで投げたのは凄い 92年の春〜夏頃(秋山の入団発表後)、
後楽園に観戦に行ったら、長身、イケメンで、
ちょっと武藤に似た練習生が場内整備とかやっていた。
そいつが大森だったけれど、目立ったよ。
デビューすれば楽しみだと思った。 >>13
ノーフィアーが嫌だろうと
もっと利用しないとダメだった >>23
93年9月の武道館ね、当時は頻繁に観に行っていたのにその日だけは行っていなかったよ。
大森ほど「もったいない」と思わせてくれたレスラーも珍しい、背が高いうえにルックスもいいのに。 >>007
俺の基準に過ぎないけど浅子、井上、泉田と大森は別なんだよね、大森は団体のエースになれる人材だった。 大森が棚橋、秋山が中邑みたいな形で進めば一番良かったとは思う 90年代に全日本に入門したレスラー
90年 浅子、井上
91年 泉田
92年 秋山、大森
93年 本田
94年 志賀、モスマン
95年 金丸
97年 橋、森嶋、宮本
98年 丸藤
99年 KENTA、力皇
なんだかんだで大森より上なのは秋山だけか 実際に、90年代終わりの全日は、将来、秋山と大森の路線を
敷いていた。99年9月の武道館、4大シングル戦のメインは
秋山対大森だったし、翌2000年チャンカンでは大森が秋山を秒殺。
しかし、その後、ノアで実績が積めないまま離脱。 >>14
>デビューが近い雅夫や浅子や泉田も何か一つは特徴的な技を使っていたのかな?
雅夫はアルゼンチンの前にはブロックバスターホールドというバックフリップからそのままブリッジして固めるスープレックスを決め技にしていたと思った
浅子も水車落とし固めで形としてはノーザンライトスープレックスホールドに近かったかな 98年に高山&垣原が参戦してオブライトとトリオを結成。新日では第三世代が台頭。
この時期に大森はコロコロ負けていた、ほんと酷い扱い、大森を活かそうとする気が全く無かった。
マッチメーカーの評価が低いと言えばそれまでだが納得いかなかった、秋山に6人タッグで初めて勝ったのが99チャンカーの大阪(両者の公式戦の直前)だった。
秋山と差をつけ過ぎなんだよ、いる人材でやり繰りするしかないのだから大森はもっと活かすべきだった。
三沢体制になってからやっと大森の扱いが良くなってきたけど、それでも99チャンカーは8敗1分って酷過ぎだろ。 やっぱり性格は重要
志賀ももう少し志が高かったらトップになれてただろうな
金丸は志賀よりもしょぼい選手かと思ったけど逆転してかなり差がついたな このスレは基本的に大森をデビュー当時から知ってる人(年齢層が高い人)がレスするだろうけど、バカみたいな幼稚なレスが少なくていいね。
>>32
あれはハンセンのパートナーがいないのと(ノードが怪しくて)大森に経験を積ませる意図もあったと思う。 >>33
志賀はダメでしょう?
いくら志が高くても身体は太れないし、
情けない顔だちだし。センスも悪い。
彼だって、志がなかった、低かったわけでもない。
でも、あの程度が精一杯。 大谷とかもヤングライオンの頃は細かったけど少しずつ肉つけてヘビー級になった
志賀にはそうなってもらいたかった
西村みたいな身体になられたら困ったが 志賀はなー
身体付きも性格も向いてなかったが
それ以上にセンスがなかった
なんか試合のリズム感というか、最後までぎこちなさが消えなかったな
後輩の金丸や丸藤がそのリズム感が抜群だっただけに 大森はアックスボンバー、ギロチン、フルネルソンスープレックス、バスター、ダイビングニー、パイルドライバーと技はある方だとは思うけど間を開けすぎる癖があるし、オリジナルの関節技が乏しいからスタミナ切れやすかったよね
その点秋山は展開力が抜群に上手いからどこで誰と当たっても試合を作れた
下積み時代が小橋の下にいればまた変わっていたかもしれない さあ反撃だ!ってシーンで急にゆっくりスリーパー始めたり
間の悪さが素人にも分かるレベルだった やられていた大森がようやく少し反撃して
パートナーのハンセンにタッチを求めるものの
敵を放ったままスタスタ戻ってきた大森にハンセンが(違う、ヘッドロックをして連れて来い!)と
ヘッドロックのジェスチャーを見せタッチを拒否
大森はそのハンセンのジェスチャーを見て気付いたのか
敵にヘッドロックをする
2回くらいキュッキュッとしめたら、ヘッドロックほどき
スタスタとタッチを求めて来て、
ハンセンが(うわ、コイツマジかよ)と言う顔をしてタッチを渋々受けたシーンがあった >>41
ヘッドロックで締め上げたまま相手を自軍コーナーに連行するのがハンセンの要求した行為ってこと? >>42
そうそう。わかりにくくてごめん
しっかりと相手を捕獲して連れてこい、と言う命令のヘッドロックのジェスチャーだったのに
ヘッドロックした後、また普通にタッチ求めた ヘッドロックしてタッチして腕をあげさせて相手の脇を開放させた状態でリングインした選手が蹴る
とかそういうタッチプレイの連携もよくあるしね ハンセンと組んだのはアックスボンバー使い始める前?アックスボンバーからラリアットの連携やれば良かったのに >>43
週プロに載っていた大森がハンセンに言われた「次、俺の言う通りにできなかったらお前とは組まない」という主旨のコメント。この件とか94年3月以降の話だね、7月あたりまでは頻繁に組んでいたから。 >>43
週プロに載っていた大森がハンセンに言われた「次、俺の言う通りにできなかったらお前とは組まない」という主旨のコメント。この件とか94年3月以降の話だね、7月あたりまでは頻繁に組んでいたから。 >>45
アックスボンバー初公開は99年1月2日だと思う、98年の最強タッグでは使っていなかった。 >>49
秋山にもバカとか言われていたからねえ、大森。大学在学中に中退して入門していたらそれも無かったと思う。
実際に思っていても先輩相手に客の前でマイクで「バカ」とは言わないだろうし。 SWSに行ったジョージ高野とノアからWJに行った大森って
イメージが被るんだよね。
どっちも、一時、大きく期待されたが期待ほど成長できず、
うっかりすると後輩に追い越されそうになった。
それで、新天地を求めて新団体に移籍したが、そこでもダメだった。 >>27
97年の宮本て、まさか宮本和志のことじゃないよね? >>52
それどころか、バネも柔軟性もパワーもそこそこある
センスだけが全くない ドロップキックもエルボースマッシュも一級品だったのにな。 小橋の引退試合時にノーフィアー対みのる丸藤の試合があったけど、
みのるは試合前には「ノーフィアーって怖いもの知らずって意味だろ、高山だけじゃん」「大森はなんかピンと来ないんだよ」
試合後には「なんなんだよ大森は、弱いくせによ、虚勢を張りやがって」と言ってて一応大森をdisりながらも構ってくれてたな。
ただその点が線になることはなかった。
大森とみのるの抗争に発展することはなかった。 >>56
え、マジでそうなの?
宮本て武藤全日本でデビューしたという認識でいたから
56が間違えて書込みしたのかと思ったんだけど。 >>59
「90年代に入門したレスラー」って書いてあるけど。 ’90年代全日プロレスに、元プロボクサーが
入門した記憶があるんだが。
無論、身体はデカかったよ。でもまぁ、
デビューは出来なかった。
普通、入門しただけならプロレス雑誌なんかに
載らないんだが、紹介されたところをみると
期待されたんだね。 >>62
サンクス!
やはり、いたよね!?
ノアの運転手で送別会でプロレスごっこをして2011年に亡くなった牧村英雄も
90年に全日に入門したんだよね。(天龍ら大量離脱で門が広かったのかな?) >>63
96サマーアクションシリーズ2開幕戦が載った週プロでその人も載っていた気がする。
牧村は大きかったね。新弟子→リングスタッフ→FMWでレスラー→その後しばらくは不明→ノアバス運転手という経歴だけ知ってる。 >>59
宮本は97年に入門したけどすぐやめた。
そんで01年に再入門。 マット界でも一般社会でもチビの方が気が強かったりする
そうじゃないとやってけないんだろうが 小柄で気が強いと言ったら、
星野勘太郎、佐山、ライガー、と言ったところだね。
大きい人は、やはり茫洋としているよ。馬場、坂口、鶴田。 秋山とは同級生でデビューはたったの1ヶ月違い、常に比較されて不憫だった。
俺自身がそうだけど比較されて悪く言われるのはほんとうんざり。言ってる方はそれに気づかないんだよね。 >>68
不憫だとは思うけど人に見られる職業である以上それは仕方ないよ
むしろ大森は期待されてた分甘やかされてもいた 秋山と大森は、産まれた年だけではなく月まで一緒。
1969年10月生まれ、秋山の方が1週間、お兄さん。 鳴り物入りで入ってきたエリートの穐山と比較されるってのは期待の裏返しだろ
それが泉田とかだったら比較対象にもならなかった >>69大森が甘やかされていた
そうかな?98年、99年、ノーフィアーブレイク前の大森の扱いって酷かったと思うけど。
5強ばかり目立つし他の人材って大森しかいないのに。
高山はよそから来たから除く、多聞は膝が悪いしアマレスは強いけどプロレスではパッとしなかった。
大森しかいない状況なのに大森をプッシュする気が全く無かった。 高山に引っ張って貰ってようやくブレイクできた印象あるわ 最終的には馬場さんが愛しの愛弟子太陽ケアにも抜かれたしね
ただ体格だけは歴代トップクラスの見栄えのいい体だったわ 腕はそんなに太くなくてベンチプレスばかりやってるような体
ベンチ豚というやつか
アックスボンバーを必殺技にするならもっと腕を太くしないとと思ったが、ハンセンもそんなに太くないな
大森もハンセンもアメフト出身 >>72
俺が「あれ?」と思ったのは、1996年の「第三回あすなろ杯」
生観戦したんだが、決勝は、多聞対大森で、てっきり大森の優勝か
と思ったら、多聞優勝。
ちなみに94年の「第二回」は、秋山優勝、大森準優勝。
↑95年は開催されなかった。 >>75
ケアに抜かれた印象はないけどな、さすがに >>82
ちなみに、若手のリーグ戦で2回準優勝=優勝できなかったのは、
木村健吾、第2回、3回カールゴッチ杯、1975〜76年、対藤原、対魁
永田裕志、第6回、7回ヤングライオン杯、1995年〜96年、対中西、対石沢。
大森も健吾も永田も2回目は優勝すると思ったよ。相手はそう手ごわくもなかったし。 川田と仲いいから諏訪魔みたいに全日本に残って方がよかった大森 00年の大量離脱があってケアが短期間でトップで戦うようになったけど、ケアなんて全てが中途半端で何が良いのかわからんかったわ
武藤からは評価されてたみたいだけどね
ケアよりは大森の方が良かったな
しかし川田は20年近くプロレスやってて、川田が残るなら俺も残るよって選手がいなくて切ないね
元付き人だった雅央や当時の付き人だった橋もノアに行った
渕は実家に帰ってたからね
田上とは組んでたけど、田上は百田達と飲む事が多くて川田とはそんなに交流がなかったらしい
ある選手が川田と合う奴は誰もいないなんて言ってたな
まあでも全日辞めた時はタイチが付いてきて良かったな
今は田上とも仲がいいみたいだしね >>87
でも結局、タイチとも喧嘩別れって程じゃないけど離れていったから川田と合う奴はなかなかいないという結論。 川田が入院したとき誰も見舞いに来なかったらしい
武藤全日時代に入院したら武藤が見舞いに来たそうだが 93年9月、秋山がデビュー1周年を迎えた全日の
ファン感謝デー、後楽園2連戦。
初戦を観戦したが、小橋&秋山対川田&大森がメイン。
大森が痛めつけられて、よたよたと自軍に戻り、川田に
タッチを求めたが、拒否された。
館内からは「(川田の拒否は)それで良いんだ!」
そのことをまた週プロはグラビアで報じていたなぁ。
結局、小橋のジャーマンで大森がフォール負け。
で、2戦目は、これは見に行かなかったが、川田対大森で
大森は絞め落とされたらしい。 >>90
何が言いたいのかよくわからないから続きを頼む、当時のことは俺もよく憶えている。 >>88
ハッスル時代は高田と毎晩のように飲みに言ってたと川田が言ってた
まあその高田の人望もかなり怪しいところがありそうだが >>91
分からなかった?
秋山と大森がデビュー1年を迎えた時、それぞれ小橋、川田と組んで
ファン感の後楽園のメインに出たが、大森は不甲斐なく、川田に
タッチを拒否され、続く2戦目の川田とのシングルは絞め落とされた、
と言うだけ。 >>93
いや違う、そうじゃなくて過程は俺も憶えているのだがあなたが何を言いたいのかが伝わってこなかった。 過程を言うだけなら俺も得意だよ、ジャイアントシリーズの博多では川田の「そんなもやしにやられるなバカ」発言があったね。 >>84
川田と仲良かったかどうかはしらないけど三沢か川田かといったら川田の方が
大森と距離が近かった印象がある、前でも出てるけどタッグも組んだりしたし
失笑を買ったアックスボンバーを使い続けたのは川田のアドバイスらしいし >>96
アックスボンバーを使い始めたのは川田のアドバイスってそれって何に載っていたんですか? >>97
Gスピリッツのインタビューだったかな、後楽園でアックスボンバーはじめてやった試合後に
川田「今日は俺の友達が観に来てたんだけどお前のアックスボンバー良かったってよ」
大森「それはありがとうございます」
川田「お前あれ使い続けろよ」
大森「いやぁちょっと〜」
川田「俺はふざけて言ってるんじゃねえんだよっ」と激おこしたので逆らえず今に至る、こういう流れだそうです >>94
同じデビュー1年で、後楽園で小橋、川田と組んで
メインに出たが、まだ大森は「顔」ではなく、
川田にタッチ拒否という厳しい判定を食らった。
普通、90の文を読めば、それくらい分かると思うがな? >>100
一言どころじゃないぞ。
ドームで三沢&小川vs武藤&ケアで小川と武藤の顔合わせに対して「その絡みを見たい奴がどこにいるんだよ」と言ったんだぞ、そんなんばっかw
レスラーとしては一流なのにね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています