【アトキンス】BI砲を考える3【クラウザー】
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>>558
猪木はコワルスキーに仕掛けて、ダニーホッジにも仕掛けて怒らせてパンチ喰らったってね
やっぱりトンパチ日本一は猪木だよ >>580
コワルスキーやホッジに仕掛ける意味がわからんなぁ〜
二人とも猪木よりよっぽどシューターだと思うが…
ゴッチ教室の影響で裏テクでも試したかったのなら相当愚かな行為w
こういう話題がでると本当に、オープン選手権で馬場か選んだ
シューターとの対戦が見たかった。 コワルスキー、ホッジ、サンマルチノ辺りに猪木が仕掛けた的な話はチラホラ聞くけど
潰そうとかシュートやろうって意図じゃなく、
単にちょっとカタい攻めしただけのような気がするけどな
ゴッチがイリーガルと非難されながらもジャーマン使ったとか
前田がオーンドーフにダブルアームでそのまま固めちゃったとかの類 >>582
おそらくそうだろうね
日プロ時代に出戻りの猪木が道場や前座試合以外で
シュートを仕掛けるなんて考えにくい
プロレスなら馬場、シュートなら猪木、ケンカなら大木なんて言われてたみたいだけど
Gアントニオの顔面を蹴っ飛ばしたのも、ペールワンの腕を折ったのも
ワンマンに振る舞えた新日時代だからね >>528
>それって新日本と全日本と変わらなくない?
日本プロレスの幹部はバカ揃いで、新日と全日に分裂させずに、2リーグ制で儲けようという発想ができる幹部がいなかった、ということなんじゃない。 2リーグ制は日本テレビが納得しないだろ。
日テレは全選手を放送できる権利があるんだから、2リーグになったら内容ダウン。 各地のプロモーターも承知しないよ
なんでウチの興行に馬場が出ないんだ!とか絶対クレームになる
時代的にそれを受け入れる土壌がない 馬場のNET登場についてもインター戦は日テレの独占にさせるからとか言ってたらしいな
インタータッグは分からんが >>587
結局、72年のワールドリーグから馬場がNETに登場することになり
(優勝戦の馬場対モンスーン戦は日テレ放送)
インター選手権は大阪の対バレンタイン戦
インタータッグはロスのファンクス対東京タワーズ戦
札幌の対コワルスキー・ショーラック戦が放送された。
>>584
2リーグ制の話は、前スレでWWEのようなRAWとSMACKDOWNの
ブランド分けが参考になると書いたんだが、70年代初頭の
衛星放送・PPVもない時代に、招聘レスラーも日本テレビ・NETで
別々にするわけにもいかず、夢物語なんだよね…
1局時代なら数字(視聴率)を年間で出して
興行収入観客動員も含めランキングを制定
それが各レスラーの査定となり、ギャラも決められる
数字を提示されればレスラーも励みになるし、
自分の努力不足と考える者もいるだろうし、造反も起こりようがない。
もちろん数字でエースも決まる
(但し、分単位で数字を出さないとどのレスラーが視聴率を稼いだか分からない) 書いてて思ったけど、視聴率のランキング査定だと目立とうと
ショーマンに走ろうとするレスラーが増えそうでダメだな
それに実力主義のジャンルじゃないから、アングルが悪いからとか
不満も一杯でるだろうし…
やはりダメだw >>588
仙台のブラジル・ダンカンとのインタータッグは? そら日テレが中継打ち切った後だから、馬場のインターでも
放送するわね >>590
東京タワーズはNETの看板になるはずのコンビなのに、仙台の初防衛戦は
なぜか放送記録に無いんだよね
馬場・マツダ対ブラジル・ダンカン戦は放送されたみたいだけど。 >>592
後に師弟コンビの代名詞になるダブルカウンターキックは東京タワーズから? ツープラトンのカウンターキックは馬場坂口組が初めてだと思うけど、
このコンビも師弟コンビと同じく「31文キック」と呼ばれていたような…
豪快さは坂口だが、鶴田のように脚が伸びきってなかったね。 >>594
師弟コンビ以後は鶴田は田上と馬場はハンセンとやってたか 東京タワーズと言う名称は、G・馬場&坂口の前に
漫画の世界だが、「チャピオン太」で1962年にアメリカから帰国した(漫画上)
ジャイアント馬場とマンモス鈴木組に名付けられてネーミング。
主人公・大東太はデビュー戦で馬場にジェラシーを抱いているユセフ・トルコと
組んで、東京タワーズと対戦。
ちなみに、馬場が漫画で最初に登場したのは、この漫画、このシーンだと思うが、
不気味な巨人に描かれている(仇役だから、当然だが)
得意技は「東京タワー落とし」、相手をリフトアップし、手を離すと
相手の背骨が頭に当たり、まずそこでダメージを与え、さらに場外に
落とす荒技。
実際の馬場の帰国前だが、将来、期待されていたことが窺える。
漫画では、軽量でデビュー戦の太に負けるのだが(苦笑)
アメリカで、実際に馬場とマンモス鈴木が組んで、東京タワーズと
称されたことはないよね?
だとしたら、このネーミングは梶原一騎が作ったものだな。 猪木は知人と別府温泉に行った際、
観光客のオバさんが「あ、ジャイアント馬場さんだ」とはしゃいだので、
「アッポー、アッポー」と手刀を振り下ろす真似をして喜ばせたそうな。
逆の状況で馬場が猪木に間違えられても、
馬場は黙りこくだけだろうからな
間違ってもアゴを突き出して「あんだこのヤロー」とは絶対にやらないだろ 馬場は、周りが「あ、ジャイアント馬場さんだ」
とはしゃいでも、黙りこくるだろう。 >>596
「チャンピオン太」以外に、現実のレスラーとフィクションとの
絡みで見ると。
梶原一騎原作の「タイガーマスク」を描いた漫画家の辻なおきが
イベントか何かで日プロのレスラー達と面識を持ったとき、
大概のレスラー達は笑顔で接したのに、猪木だけは辻に対して
冷たい対応だったとの内容を、何かの本で読んだことがある。
一説には「タイガーマスク」のエピソードの一部である覆面ワー
ルドリーグ戦が、猪木が日プロを離脱して東プロへ移ったことを
元ネタにしたとかで、猪木は面白くなかったのでは?とも。
タイガーは物語の中で裏切者呼ばわりされていたから。
盲目の少女の莫大な手術代のために、敢えて馬場達に憎まれ口を
を叩いて離れたのがタイガーの真意だけど。 >>599
辻なおきは、同時期「ジャイアント台風」も描いていたが、
むしろ、「馬場を人格者、実力者のように描いている、
太鼓持ち漫画家」と猪木は思ったのでは? >>599
そんな説はねえだろ。
むしろ「タイガーマスク」の中に猪木が出てくるから、その扱いに不満があった可能性ならあるけど。
明らかに馬場の格下に描かれてるし >>600
たしかに想像できない。(笑)
ましてや現代と違って、当時は漫画は子供の読むもので、いい年の大人が読む
という風潮ではなかっただろうし。
(「ルパン三世」連載時の漫画アクション等、一部の大人向けの雑誌を除いて)
>>601
なるほど、馬場のことを良いイメージに仕立ててるといるいうことか。
たしか「ジャイアント台風」の中には、馬場が若手時代に猪木と戦ったことを
振り返る話があって、スパーリングでは馬場が猪木の腕を折ってしまい、
実戦では三本勝負で1対1での三本目に馬場が勝ったという流れだった。
(試合を見ている師匠の力道山が二人に、はっぱをかけてるシーンがあった。
負けてリング状に仰向けで倒れている猪木が涙しているシーンもあったな) >>602
その可能性のほうがしっくりくるね、仰る通り。
馬場が頂点の扱いで、猪木はそれが面白くなかったと。
そんな作品を描く辻なおきに猪木が非友好的な態度を
とったのは当然か。 それは辻と言うより梶原一騎が話を作ったんだから梶原の責任なんだけどね
そんな梶原は大山倍達と軋轢が生じた70年代後半あたりから猪木とベッタリになって行く
「四角いジャングル」は後半は猪木が副主人公みたいになってくるし
「プロレススーパースター列伝」は猪木絶賛漫画だし新日でタイガーマスクをデビューさせたりとね >>605
誰だって敵にしたら損な相手には卑屈なまでに我慢するだろう
そしてその分だけ害の無さそうな相手に八つ当たりをして穴埋めをする 全部、猪木の馬場への嫉妬からきているんだよな。
長州の藤波への嫉妬、天龍の鶴田への嫉妬もそうだけど
確実にプロレス界を動かしてきた。
その逆が馬場で「猪木のことは別になんとも思っちゃいないよ。
昔から二人は不仲だとかライバルだとか言われていたが、それは周りが
勝手にやいのやいの騒いでいただけのこと。ライバルだとか
特別視したことはないんだ。」と >>607
天龍の場合は鶴田への嫉妬なんかじゃなくて、長州たちが去った全日の在り方に
「このままじゃ、会社が駄目になってしまう」との危機感が先に立って、鶴田への奮起を
促すことも兼ねての事だったろうに。 梶原一騎は「タイガーマスク」や「ジャイアント台風」で
別に猪木のことは悪く描いていないけれどね。
悪く描いているのはバディー・ロジャーズ。
猪木については、もう76〜77年に「少年キング」で「猪木物語(マットの獅子王)」
の原作をしているよ。(画・小畑しゅんじ)あまりヒットしなかったが。 >>607
長州藤波って猪木と新間が考えたアングルだぞ。
プロレス史に残るアングルになったけどな。 >>608
そうか、天龍のは嫉妬の感情じゃなかったね
まあジャパンが来た時は先頭をたって全日の看板を守ろうとしていたのが天龍だったし
去った後は「ジャンボ!目を覚ませ」という感じだった。
馬場は97年のインタビューで、プロレスで絶対にやっちゃいけないことについて
「それは闘う相手の"虚"を突いてはいけないということ。いいかい、レスラーは
『殴りなさい』と構えることが大事なんだ。そうすると相手は殴るわな。
で、また殴りなさいと構える、相手が殴る。その流れがプロレス。
この流れを無視した攻撃などは絶対にプロレスにおいてやってはいけないんだよ。
だからこそな、殴られても痛くない体を作ってからリングに上がりなさいと
俺は言うんだ」
さらに「俺は、ウチの選手を教える時には、まず相手の攻撃を受けることから教えるわけ。
やられてからどうやって反撃するかを教える。
だけども、他の団体では攻撃することだけ教えている。そうなると
相手の"虚"を突くような試合しかできなくなるよ。体も鍛えていない
攻撃だけしか勉強してないレスラーの試合でも、あんたたちから見たら
同じプロレスになる。
そうみられるのは俺からしたら、やはりいい気持ちはしない。
本当にな、悔しくてしょうがないんだ」
全日と新日のレスリング感の違い、本質を語っている。 >>609
悪く書いてるんじゃなくて、馬場より明らかな格下として描いてる。
「馬場さん、すいませんでした」「猪木、いいんだよ」みたいに あるいは馬場がタイガーに何か助言をして
猪木が「僕も馬場さんと同感です」と重ねるような
キャラ扱いね まぁ、1968〜69の春頃までは、明らかに猪木は馬場の
格下だったから仕方がないな。(否、日本プロレス時代はと言っても
差し支えないだろ)
タイガーマスクには、馬場の発言で猪木に対し
「そんなことでは、賠償美津子さんに嫌われるぞ」
(71年春の婚約発表後か?)というセリフがある。
また、猪木も馬場に対し「としよりの冷や水はご遠慮願って、
この猪木がとら退治と行きましょう」というセリフがあるそうだ。 >>611
わかりやすいけど
客からしたらすぐに飽きるプロレス感だな >>611
>プロレスで絶対にやっちゃいけないことについて
>「それは闘う相手の"虚"を突いてはいけないということ。馬場談
1969年11月1日、蔵前
BI砲対デストロイヤー&Bオースチンのインタータッグ戦、
選手紹介が終わり、コーナーに引きあげる外人組の背後から
馬場と猪木が襲いかかり、無防備なデストから、1本目0分59秒、
馬場が先取したけれどね。(苦笑)
こういうプロレスも面白い。 >>615
アニメの「タイガーマスク」最終回の「去りゆく虎」では、タイガー・ザ・グレートを
凄惨な反則で頃そうとしているタイガー(伊達直人)を馬場と猪木が止めに入ろうと
リングに上がるけど、解説者だった馬場が背広なのはわかるとしても、なぜ猪木までが
背広なのか疑問に思っていた。(トレーナー姿ではなかった)
最終回直前の回でも猪木は登場していたっけ?
あと、レフェリーがリングにいない・・・。
原作漫画だけではなくアニメでも、猪木は結構直情型のキャラクターに描かれていたね。
覆面ワールドリーグ戦の下りでタイガーが離反する時、馬場に対して「そんな奴、ほっ
ときましょう!」と突き放していたし。
(実際にああいう状況があったら、本物の猪木も同じように振る舞ったかな)
当時、猪木はキレやすい性質だと、皆認識してたってことか? >>611
水戸黄門は
由美かおるが風呂に入ったり弥七が出てくる場面や印籠が出るタイミングなんかは
時間割がきっちりワンパターンに決められてたらしいけど
まさに馬場にぴったりという感じだな
その分意外性や変化を望む若い層からは支持は受けにくい そんな馬場だがハンセン戦では意表をつく
ゴング直後にいきなりの先制の16文キック そういうのはそういうブックだっただけの話でしょ
「"虚"を突く」の見本は前田の長州への顔面襲撃だろう
猪木が「俺の知る限りアメリカでもあんな風に暗黙のルールを犯した選手はいない。
卑怯千万だね。プロレス道にもとる。
戦争ですら「核兵器や細菌兵器は使わない」と言うルールがあるのだから。」と批判していた それじゃ猪木も結局「虚をつく攻撃を否定」ということで、馬場と同じになってしまう。
てか同じなんじゃないのかね >>620
二年前の名古屋のレイス戦でもやっている >>622
木戸にサソリを掛けようとしてる最中に後ろからいきなり蹴られたんだから
「虚をつく」というレベルからは逸脱してるよ
長州と前田が直接に攻防してるわけではないし
「核兵器や細菌兵器は使わない」はそういう意味 >>622
ミスター高橋が「馬場猪木は根本は同じ血が流れている」と言っていたが俺もそう思うよ
だいたい同じ団体でプロレスを学んで試合をやっていたんだから異なるわけがない >>621
一応、肩に手で合図しているようにも見えるが…
https://youtu.be/BhRtVrVEkcA
プロレス論?とは違うけど、猪木が馬場を回想するなかで
「今、馬場さんで思い出すのは、1999年1月31日に亡くなる少し前に会った時のことなんです。
ホテルオークラのバー『ハイランダー』を出たところで偶然会ってね。
その時馬場さんが『お前はいいよなあ』と言った。
若い時に『プロレスっていいよな』って言った時と同じで、俺の何がいいのか分からないけど
想像すると、あの人は受け身でしか生きられなかったけど、俺は反対の攻めの世界にいた。
そういうところで俺とはまた違う人生の苦労が馬場さんにはあったんだろうなと思います。
俺は一般的な人生の苦労をしていないからね(笑)」(『猪木流』村松友視との対談より) >>626
この動画のコメントでは
あんなの合図でも何でもないというのが大半 前田一人だけが当時から「あれは事故だ」と主張していたが
他のレスラー達は一人もあれが事故だなんて思っていない
野球でもビーンボールはプロが見れば一発で分かると言うがそれに近いんだろうね まあ猪木もグレートアントニオの顔面蹴飛ばしたり、何人も相手の目に指突っ込んだりしてるけどな 「相手の虚をついてはいけない」と言ったはずの馬場だが、何故か前田の長州蹴撃に関しては許容の姿勢を示していた。
>猪木は「相手に怪我をさせる行為は、プロレス道にもとる」と前田の行為を批判。これに対して、全日本プロレスのジャイアント馬場が、「リング上では、何をしても構わない」と正反対のスタンスの意見を公言したのも興味深い。なお、前田さんにインタビューしたところによれば、馬場はこの時、前田に非公式に、「何かあったら(身柄を)引き受けるから」と打診したようで、全日本プロレス入りを容認する懐の深さを見せている。 前田日明
>新日本のリングでは天龍-輪島みたいなことはできないって思ってた、絶対。あれ(全日本)はなんでできたか? ジャイアント馬場がブッカーだったからできた。ハンセンをノックアウトしてもああいう大暴れなことやっても、馬場さんが天龍さんを××したんだよ(聞き取れないが、守ったというようなニュアンス)。そしたら(長州がああいう固い感じできたんで)長州力とだったらやってもいいんだと思って、やったら「プロレス道にもとる」とか言われて(笑)。
(井上編集長「川田(利明)さんが『UWF? あんなのたいしたことない』という言葉に高山善廣選手がカチンときて、武道館でいわゆるそんな試合をやってしまったわけですよ。で、『こんなことやっちゃってクビだ』と高山さんは思ったんですけど、試合後馬場さんから『いやー、お前よかったよ、ただお前普通にレスリングできるんだろ。これからは普通にレスリングしろよ』ってお咎め一切なしだったそうで」)
馬場さんはそういう人。あの人はね、スケールおっきいよね。 >>633
上げちまったら四の五の言うなって事なんだろうな
後でガタガタ言うくらいなら最初から上げるなって >>622
猪木は相手を怪我させないでしょ
前田とは全く違うよ、論点が違う 馬場のインタビューの"虚"を突くとは具体的にどういうことなのかな?
ジャパン軍が参戦した85年頃のインタビューなら言わんとすることは
何となく分かるけど、あの記事が出たのは97年の『週刊プレイボーイ』だからなぁ…
まあ、前田や高山に声をかけたのは社長・経営者としてのものだろうし
UWFがプロレスだということも承知してた筈だしね
高田が10.9で武藤に足4の字で負けた時、プロレスがUWFに勝ったように歓喜したが
相手の協力なくして決まらない足4の字固めのフィニッシュこそが
UWF=プロレスなんだよね。
散々、全日はショーで新日は真剣勝負だとか
UWFこそは正真正銘のリアルファイトだとか世間を欺いてきたけど、
すべてスタイルの違うプロレスなんだよねw >>636
グレートアントニオはマジ流血してたし、前田に蹴られた長州ぐらいの負傷してると思うが >>638
あの時の猪木のセコンドに前田が付いていたのもポイント >>638
前田と長州は2人が直接試合してる場面で起きたことではない
他の相手との攻防の時に
いきなり受け身を取りようのない形でケガにつながる攻撃をされたら
どんな理由があろうと非難される >>638
61年5月21日岡山市営体育館でグレートアントニオと対戦したのが猪木の師クラウザー(ゴッチ)
リストロックを弾き飛ばされたクラウザーはカッとなりパンチ、ヒジ打ち、顔面に頭突き、
さらに鼻に膝蹴り、アントニオは鼻血を出しながら持ちこたえクラウザーを場外に引きずり出し
場外の殴り合いで4分52秒両者リングアウトの引き分け
結果ドローだったが内容は喧嘩マッチの制裁試合
その後、控室でX(Bミラー)・クラウザー・Iアーキンスの3人がアントニオを監禁して
リンチ事件が発生している。
この試合は16年後の猪木戦と酷似していて、当時若手の猪木が目の当たりにしているんだよな プロレスの仕組みが明白になった今の目線で見た方が
前田の処分について理解できる
背中を見せてて両手がふさがっている時に後方から忍び寄って
全力で顔面蹴りなんて謹慎で当然
他の新日レスラーもみんな前田を糾弾するわけだ >>641
世界王者バディ・ロジャーズにロッカールームで
暴行を加えるなど、本当にゴッチってチンピラだな。
なにが「プロレスの神様」だよ! >>643
猪木と新日が"神様"と祭り上げたゴッチは堅物だからなぁ
テーズ夫人のチャーリーがテーズ死後に二人の違いについて
「カールはプロフェッショナルレスリングのリアリティーに決して飛び込んで行かなかった。
カールにとってレスリングは誇りであり、コンペティション(競争)だった。
でも、ルーにとってレスリングはビジネスだった。
レスリングはチケットを買ってくれる人の汗でできているのよ」と語っている
つまり観客を楽しませるパフォーマンスに徹して大金を稼ぐことが
テーズにはできたがゴッチにはできなかった。
ゴッチを求道者のように評しているが、WWWFではタッグ王者になっているし、ロシモフにジャーマンを掛けて
レフェリーをKOするアングルもこなしているんだよな 馬場はゴッチとミラーのロジャース襲撃については
「当時ゴッチが関わっていた興行ではロジャースに客を持っていかれた為に
全く客が入っていなかった事」
「年収10万ドル超えが一流の証だった時代にロジャースは別格で年収30万ドルと
言われていた事の妬み」
が真の理由だったのではないかと言っていたね
ゴッチは言われいるほど石頭ではなかった
キラー・カーンは「キラー・カーンのギミックを考えてくれたのはゴッチさんでした
コスチュームの下絵まで描いてくれたんです」と証言している >>644
テーズ夫人のチャーリーって晩年ちかくに再婚した相手だろ
違いを語れるほどレスラーのテーズとゴッチを知ってたのかね >>646
テーズ夫人と言えばやはりフレッダのイメージだよな
白木葉子のモデルとも言えそうな しかし1948年のロンドンオリンピックはアメリカ代表でバーンガニア
とディックハットンがいて、
ベルギー代表としてカールゴッチがいたんだよな〜
ゴッチがオハイオ版AWA世界王者時代にはシークやブルーザー、エリック等と
防衛戦を行っていたというし、ロス時代にはニックともタッグで試合していたというんだから
本意じゃなくても十分プロレスしているんだよな。 ゴッチvsエリックって見てみたいな
両方ドイツギミクだから
アメリカのファンに需要はなさそうだが 鉄の爪はゴッチには通用しない。
その代わり控え室でゴッチはエリックの息のかかった者たちに袋叩きにされそう。 ゴッチはブラッシーに負け越してるけど、噛みつきで血だるまにされたんか >>648
>1948年のロンドンオリンピックはアメリカ代表で
カナダ代表にモーリス・バション
>ロス時代には、、、十分プロレスしているんだよな。
マイク・デビアスと組んでWWA世界タッグ王者になった。
それだけではなくデビアスが1967年7月、WWA王者、キムイル
(大木金太郎)に挑戦した時は、リング外からキムの足を
引っ張りデビアスの王座獲得をサポートした(苦笑) >>645
馬場がロジャースを尊敬し憧れていたのは有名だが、絶頂期のロジャースに
敵役として拾ってもらったからこそ、全米屈指の悪役レスラーとして人気者になれたというのもある。
>>652
48年ロンドンにはカーペンティアもいたね。他にハロルド坂田
52年ヘルシンキ=Dホッジ、カーペンティア(2度目)
56年メルボルン=Dホッジ(2度目)
64年東京=ヘーシンク、M斎藤、T杉山
68年メキシコ=Rボック、Bループ、Eハルコン
72年ミュンヘン=鶴田、長州、ルスカ、Kパテラ、Cテイラー、Wディートリッヒ
76年モントリオール=谷津、Bレイガンズ、Bアレン
84年ロサンゼルス=馳浩、本田多聞
92年バルセロナ=中西学、小川直也(96年アトランタも)…
世代的に、72年ミュンヘン大会が一番思い入れがある。 >>653
中一時代72年7月号(確か)に別冊付録で付いてきたミュンヘン五輪特集号に、日本代表か韓国代表かで揺れる吉田(郭)光雄という記事が出ていたな ゴッチはボックを避けたんだよな。
相手を普通に怪我させる人間とは試合するつもりないと。 >>653
デートリッヒは5回も出てるのに唯一メダル取れなかったミュンヘンて
本田も3回出てる
メルボルン デール・ルイス
モントリオール クラウス・ワラスも
ハルコンはガセと聞いたが… >>638
あの試合は虚をつくとかそういうレベルを超えてるの、わかってレスしてるんでしょ?
前田は意図してないと言っている、猪木は意図しやっている >>653
その意味でも馬場にとってロジャースはまさに神様なんだろうな >>656
デール・ルイスの試合は記憶にまったくないんだが、ボブ・ループのような感じかな?
UN王者だったことくらいしか知らないんだけど >>659
ロジャース、テーズ、S・B・グラハムという並びか
ロジャースは歳をとってもダンディでかっこいいな 東京オリンピックから入門した斎藤と杉山がエリート扱いされなかったのは、身長の低さとかもあるのかなぁ〜
後の鶴田や吉田の入門時と比べるのは、新興団体だから期待の入れ具合が違うのは当然だけど…
斎藤の著書には「アメリカのプロレスはギミックだ」と馬鹿にする日本のファンに
「俺が20年近く体を張って戦ってきたアメリカのマット界はそんな甘い世界じゃない。
俺に言わせると日本よりもはるかに厳しい。何が厳しいかと言えば、そこで生き残ることがだ」と
ヒーローになってはいけない国で、プロモーターの要請どおりに戦い
リング内外、どこに待ち受けているかわからない人種差別
抵抗しないで弱虫だと思われたら嫌がらせがエスカレートするから、シュートのテクニックは絶対に必要
それを身につけないでアメリカのマットに立つのは拳銃を持たないで
ギャングの集団に割って入るようなものだと語っている。
現役の頃は彼の凄さはあまり感じなかったが、米マットで常にトップを張り続けていた実績は
力道山・馬場・猪木と並べても遜色ないレスラーだな アメリカでの実績から見た日本人レスラーのトップ3は、馬場、斎藤、キラーカンだろう。 元ファイト編集長、井上譲二著の「昭和プロレス悪魔の辞典」で
「アメリカで成功した日本人レスラー」は、まずジャイアント馬場、
そしてムタとキラーカーンだそうだ。
マサ斉藤とカブキにも言及していたが、ふたりともテリトリーが
限られたからとか、あった。
でも、これでいうとヒロ・マツダが抜けているんだよね。
アメリカに定住していた選手は除外か?ならマサ斉藤もそうだが。
グレート小鹿(テキサスでのカンフー・リーも含む)も、カブキのレベルに
勝るとも劣らないと思う。
またストロング小林は、アメリカでAWAとWWWF王座に挑戦した唯一の日本人だし。 斎藤はかなり広いけどな
西海岸に始まりバンクーバー、フロリダ、WWF、AWA等々
> ストロング小林は、アメリカでAWAとWWWF王座に挑戦した唯一の日本人
馬場も挑戦してたみたい
https://www.youtube.com/watch?v=VebknSdeAns アメリカで活躍した期間の長さとテリトリーの多さで考えると、ムタやカブキより、馬場、マサ斎藤、キラーカーンは一段上じゃないかな。 期間の長さとか言い出したらヒロ・マツダが断然上なんだが
それとキラー・カーンよりカブキのほうが期間は長いぞ カブキやカーン・ムタの活躍は海外修行中で、帰る所属団体もあるが
マツダやサイトーは米マットを主戦場にしてたから
生き残るため必死だったと思うよ。 >>669
> カブキやカーン・ムタの活躍は海外修行中で、帰る所属団体もあるが
カブキは海外修行中ではないな。
全日に所属したまま海外で仕事をしてたいうだけ。 キラー・カーンも「日本のマットよりアメリカの方が厳しい」と言っていた
間接的に「だからそこで成功した俺は凄い」と言いたいんだろうけど 長州らが新日にUターンした後、キラーカンが引退せず全日入りしていたら、どんな展開になったのかな。一番考えられるのが馬場とのタッグ結成だけど、個人的には
鶴田、天龍とのシングル対決を見たかったな。 >>673
ジャパン残留組には永源がいたし、日本にはカーンの居場所はなかったと思う。
当時にSWSがあったら別だけど。 >>672
斎藤によると「年がら年中アウトローやアルコール中毒、覚醒剤中毒たちの
祭りみたいなもんだから、銃弾が飛んでこようがナイフで刺されようが驚くほどのことじゃない。
そんな世界だった」と述べている。
会場の治安が良くなったのは、PPVにプロレスを乗せるために子供にも平気で見せられ
家族全員で楽しめるプロレスにしてかららしい。
アメリカは日本に比べてはるかに放送コードが厳しく、プロレスもファミリーの娯楽空間になるにつれ
アメリカ市民が楽しむスポーツエンターテイメントに変貌してきた
日本プロレスの歴代エースで、海外武者修行を経験してないのは飛行機嫌いの豊登だけか、、 海外修行と言えば73年の今日、馬場が初代PWF王者になったBブラジル戦の試合前
アマレス協会会長の八田一朗と共に鶴田友美がリングに上がり、ファンに挨拶しているなぁ
第3試合には鶴田のデビュー戦の相手エル・タピアが佐藤昭夫と対戦し破れている。 >>673
加齢と練習不足で動きが鈍くなって
めでたくファミ悪堕ちコース >>677
体が動くうちは馬場と組んで第一線。
選手生活晩年はファミ悪って最高じゃん。 66年2月28日は馬場がテーズを下してインター王座2度目の防衛をしてるね
この試合は、あの猪木新聞と揶揄される「週刊ファイト」の井上義啓編集長も
"馬場唯一のストロングスタイルの試合"と誉めている
テーズはNWA王座を1月7日キニスキーに奪われての来日だったけど、東京体育館の3日前
大阪府立体育館のノンタイトル前哨戦(ドロー)も好試合だったらしい
レスラーとしてのテーズは、2年後68年にTWWA王者として国際プロレス
73年には新日本でゴッチと組んで黄金コンビと対戦、75年に猪木のNWF王座に挑戦するんだよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています