【アトキンス】BI砲を考える3【クラウザー】
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>>193
初期の新日本はクラップを決勝要員にしてたか コワルスキーやキニスキーとか相当強かっただろうな。 >>192
坂口vsキニスキーのUN選手権は、日プロ最後の年末興行・最終戦で行われているね
【1972年インターナショナル選手権S〜最終戦12月14日岐阜市民センター(4,500人)】
UNヘビー級選手権 60分3本勝負
坂口征二(2−1)ジン・キニスキー
坂口(19分57秒 反則)キニスキー
キニスキー(5分5秒 体固め)坂口
坂口(6分0秒 逆片エビ固め)キニスキー
*3度目の防衛
タッグマッチ45分3本勝負
大木&上田(2−1)カンガルーズ
ケント(12分7秒 片エビ固め)上田
大木(6分54秒 片エビ固め)コステロ
上田(4分6秒 片エビ固め)ケント
30分1本勝負
高千穂明久(14分10秒 両者リングアウト)キラー・カール・コックス
ミスター松岡(9分37秒 エビ固め)マンマウンテン・カノン
ザ・ストンパー(10分45秒 反則)マサ斎藤
20分1本勝負
エリック・フローリッチ(13分28秒 エビ固め)戸口正徳
15分1本勝負
安達勝治(10分9秒 体固め)桜田一男
小沢正志(14分27秒 逆片エビ固め)羽田光男
大城勤(14分49秒 逆片エビ固め)木村聖裔 >>202
当時の新聞記事だとインター決定戦でやるなんてのもあったみたいですね インターナショナル王座決定戦の大木の相手が、キニスキーになっていたら、どういう試合になったのかな?
対ブラジル戦は、頭突き合戦を売りにしながら、凶器攻撃絡みの不透明決着という結末だったけど、キニスキーが相手ではこの手は使えなかっただろうしな。 >>203
第4戦 11月29日札幌中島スポーツセンター(4,500人)
UNヘビー級選手権 60分3本勝負
坂口征二(1−1)ジン・キニスキー
キニスキー(4分25秒 体固め)坂口
坂口(17分18秒 逆片エビ固め)キニスキー
(11分7秒 両者リングアウト)
*2度目の防衛
日プロ最後の札幌大会(前年BI最後のインタータッグ)
本当はこの2人でインター王座決定戦を行う予定だったが
なぜか大木とブラジルになったねw
キニスキーはインター・UN・PWFと三冠王座全てに挑戦した事になる。 このシリーズ最大の蔵前大会はインタータッグ決定戦なんだよな
確かにキニスキー・ブラジルなんてのは見たいチームだが キニスキー・ブラジル組は、決定戦・防衛戦・ノンタイトルの3度実現していて
大木・坂口組の2勝1分け
(ブラジルが足を集中攻撃され、負傷?したことになっているが‥w)
NETに映像残ってないだろうなぁ〜 当時のキニスキー、ブラジル組なんて
全盛期とはいえないがハンセンブロディ組クラスの夢のコンビだろうに
そんな戦績か…… >>209
今考えれば、そんな戦績にされたって事だろうねw
1989年大晦日はモスクワで猪木がショータ・チョチョシビリと組んで
マサ斎藤&ブラッド・レイガンズと対戦した日
この年政治家になった猪木は10月14日講演中に暴漢に襲われ負傷
最期は力道山の二の前になると思ったが、馬場が先だったね。
1982年の明日は猪木がローラン・ボックに反則勝ちした日 キラー・カール・コックスが高千穂と引き分けってのも凄い
全日移籍後のコックスVS高千穂なら100%コックス完勝だろう
全日移籍後にシングルしているのかな キニスキー・コックスでアジアタッグに挑戦してたんだよ
思えばトロフィー時代の元王者コンビなわけだが >>211
【74年サマーアクションS2(8.27千葉)】
30分1本勝負
KKコックス(16分48秒 片エビ固め)高千穂明久
【75年サマーアクションS(7.14愛媛)】
30分1本勝負
ザ・スピリット(11分59秒 体固め)高千穂明久 >>213
ありがとう
やっぱり完敗だったんだなw カブキ×スピリットなら両リンか両者反則、ノーコンテストになるかも。 ストンパー、コックス、特参でキニスキー、ブラジルと1シリーズに
インター挑戦経験者が4人もいるって、このシリーズくらいのモノだったな。
できれば、大木、坂口、キニスキー、ブラジルでトーナメントをして
インター王者を決めて欲しかったが、インタータッグでチームを組む相手同士が
当たる可能性もあったから、それは出来なかったんだろうね。
高千穂に引き分けたコックスよりも、
ストンパーの方が扱いは悪く、タイトル挑戦なし、はおろか、
吉村にフォール負けしたのが放送された。 その四人のなかでいちばんインター王者になってほしくないのが できれば BI 対キニスキー・ブラジルのインタータッグが見たかったね。 BI対キニスキー・バレンタインを見たけど
若い馬場、猪木が貫禄で圧倒されてる
こういうのは新日全日に分かれて以降の試合では
テーズ、ゴッチ、ガニア絡み以外で見たことがない >>216
当初はコックス・ストンパーでアジアタッグに挑戦する予定だったらしい >>219
キニスキーもバレンタインも馬場・猪木というか豊登の世代だからね
貫禄で負けてもしょうがないよ
そう考えるとテーズは何世代のレスラーと対戦したのかw >>221
日プロにおける唯一の猪木とバレンタインの接触だったか キニスキーとバレンタインは全11回シングル対決していて
キニスキー(4勝)、バレンタイン(5勝)、引き分け(1)、結果不明(1)
初のコンビ結成は65年5月15日インディアナポリス
△キニスキー・バレンタインvsBエリス・Wスナイダー△(ノーコンテスト)
《70年の来日タッグ結成は3試合》
11月28日 滝川大会…○キニスキー・バレンタインvs猪木・小鹿●
インタータッグ選手権
12月1日 東京大会…○馬場・猪木vsキニスキー・バレンタイン● (リングアウト)
12月4日 宇都宮大会…○キニスキー・バレンタインvs馬場・猪木●(反則)
《猪木とバレンタインのシングル対決》
11月27日 横浜大会…△猪木vsバレンタイン△
12月7日 浜松大会…○猪木vsバレンタイン●
《馬場とバレンタインのシングル対決》
12月9日 盛岡大会…△馬場vsバレンタイン△ >>223
>11月27日 横浜大会…△猪木vsバレンタイン△
テレビ中継があり、猪木が初公開の人間風車(ダブル・アームスープレックス)で
一本取ったね。 猪木とバレンタインのシングルはそれぞれのテレビ局でやったんだよな
最終戦の盛岡では新インター王者のキニスキーがレイスと組んでアジアタッグ挑戦
その前にはバレンタインとレイスで二度挑戦 年末のアジアタッグ挑戦者が豪華すぎますね、
69年ドリー&レイス
70年バレンタイン&レイス
キニスキー&レイス
71年ドリー&マードック
72年キニスキー&コックス ドリー&マードックなんか
破壊力ではファンクスに勝るとも劣らなかった。 >>226
まぁ、69年〜71年はインタータッグ(BI砲)を
流せないワールドプロレス用にアジアタッグに
大物を用意したんだろうね。
また、年末のシリーズは大物NWA王者クラスが来日している。 猪木、吉村対バレンタイン、レイスの2連戦は映像が残ってないかな
時間切れ引き分けの後の再戦で
猪木がバレンタインに決める卍固めが見たい レイスと猪木は年齢も一緒(1943年生)で、共に73年にNWA・NWFと世界王座を獲得し
その後の全盛期が重なるんだよね。
ファイトスタイルの違いから、もし新日本のリングで闘いを続けていたら
意外と名勝負にならない気もするが、公平な日本プロレスが存続していたとすれば
良いライバル関係が築けた気もするんだが… >>228
吉村の負担が半端じゃ無かったろうなって
あるいはそれで選手生命も縮めたか >>230
日プロ時点での猪木とレイスは差があるよ
悪い試合にはならないと思うが
猪木と同年代で猪木より格上感があるのは
モラレスだけだろう >>231
それも、吉村の絡んだアジアタッグって、外人が判定にクレームを付けたとかで、
再戦になることがあった。1969年ダイヤモンドシリーズの対B・オースチン&M・アトミック
なんかシリーズ中3回も。
そして46年暮れは、ドリー&マードック組が、最初の防衛戦(12月7日名古屋)で
60分引き分けの後、ドリーが強行に再戦を要求。再戦がなければ、この後、
猪木とのNWA戦を含む試合をキャンセルして帰国するとまで言った。
なんで、NWA世界王者が、アジアタッグにそれほど拘るんだよ?(苦笑)
それを受けて吉村は、「もう防衛する責任を負えない」と弱気な発言をしていたなぁ。 >>233
本来なら猪木吉村から猪木坂口組にシフトする
タイミングだったんだろうなあ。 バレンタインが現役最後に来日したのは、73年4月にテレビがついて
初めての大物外国人レスラーを迎える新日本だったね。
当然猪木との名勝負再現が期待されたが、二枚看板としてスタートを切ったばかりの
(日プロでUN王座を巡る因縁のできた)坂口の株を落とすわけにもいかず
今回は坂口との再戦が優先という流れになったのか、
それともバレンタインが高千穂にUN王座を渡したwという事が
猪木戦にはマイナスイメージになると思ったのか‥?
でも年末にNWF世界王座を獲得した事により、次回来日では抗争が再開されると
期待したが、75年に飛行機事故にあい半身不随に…現役引退しちゃったね。
猪木デビュー30周年で横浜アリーナに松葉杖姿で現れたバレンタインの笑顔は
最高にカッコ良かった。
9.17熊本…○坂口vsバレンタイン●(反則)
9.19名瀬…○猪木・木戸vsバレンタイン・Eメイナード●
9.21那覇…○猪木・坂口vsバレンタイン・Vリベラ●
9.22那覇…○バレンタインvs小沢● 9.23コザ…○バレンタインvs木戸●
9.25大阪…○バレンタインvs柴田● 9.26西尾…○バレンタインvs小沢●
9.27岡山…○坂口・小鉄・木戸vsバレンタイン・Vリベラ・Eサント(ハン・リー)●
9.28広島…○坂口vsバレンタイン●
9.29堺…○坂口・小鉄・柴田vsバレンタイン・Wブリッジ・Eサント●
大好きなレスラーなので長文になりました。ゴメンなさい‼ >>235
その同じ飛行機事故で新たな人生が開けてレジェンドになったのがリック・フレアーだったという… >>184
67年9月アート・ネルソンのインター王座挑戦は、ゴッチの推薦があったかららしいよ
もともとタッグ屋(Jウェーバーとの)で、この年47歳だからムリがあった。
ゴッチもゴードン・ネルソンを推薦するならまだ分かるがw ↑↑
スタン・ネルソン(スタン・リソワスキー)とのブロンドボンバーズの方が有名か >>235
バレンタインはいいファイトを見せてくれたが、ブック的には今一つ恵まれなかったね。
猪木にはよく負けて、坂口、高千穂に負けをくらった。
本来なら日本プロレスで外人単独エースで何度も招ける格だったが、最初の来日が東京プロレスだったからか。
グレッグバレンタインの方も、向こうじゃヘビーのトップなのに、ジュニアのチャレンジャーにされたり、なんとなく不遇。 >>239
そうかぁ〜、東プロが初来日だったね
2度目が67年の国際が東プロと合同で開催したシリーズだったし…
(シリーズ中には猪木と豊登・新間が告訴合戦して東プロ崩壊)
このシリーズではバレンタイン絡みで興味深いカードもあり
ホッジ・バレンタイン組が猪木・マツダ組や猪木・斎藤組と対戦したり
バレンタインと木村(ラッシャー)のシングル対決や
猪木・マツダ・木村vsバレンタイン・Eグラハム・Jスミスの6人タッグもあった。 ジョニーバレンタインはキンタマに刺青してるから、それを見せると大概のレスラーがビビるとのこと
イタズラ好きで、他人のバッグにマックシェイクに見せかけたウンコを入れたりする >>240
バレンタインは国際との合同興行では猪木にストレート負けがあるんだよね。
だから日本プロレスでの初来日では、キニスキーとのダブルエースとはいうものの、馬場ではなくて
猪木のライバルの役どころだった。
次の来日では晴れて馬場のインターに挑戦できたけど、その後が坂口→高千穂のUNのつなぎ役。
坂口大木→大木上田のインタータッグのつなぎ役という嫌な役回り。
その後が新日で、坂口にリベンジされる役回り。
実力、内容に比べたら損な役回りが多かったね、 >>234
あるいは追放劇が無ければ最終戦で猪木・坂口とドリー・マードックで決定戦だったのかもな
その時点のドリーはインタータッグ王者でもあっただけに舞台は最高って >>242
新日本での役回りは元王者として猪木のNWF獲得の前振りになった感じも しかし、1966年の秋、東京プロレス旗揚げのエース外人、ジョニーバレンタインは
適役だったが、この時点で未来日の強豪と言えば、V・ガニア、E・カーペンティア、
D・ホッジ、B・C・ライト、クラッシャー、M・バション、B・ワット、、
やはり、猪木と手が合って来日可能だったのはバレンタインだけだな。 >>245
外人招聘に関しては間違いなく日プロの妨害もあった筈なのに
よく大物バレンタインを呼べたなぁ >>246
猪木の才能を高く評価していたサニー・マイヤースがブッキングに協力したって話
理由はよくわからんが不義理でマイヤースを怒らせて絶縁されたらしいけど >>246
でも逆に未来日のバレンタインだから
呼べたとも言えるね。
テーズ、キニスキー、デストロイヤー、プラッシー、
ブルーザー、スナイダー、そしてゴッチを呼ぼうと
したらシャレにならない問題になる。 >>247
サニー・マイヤースやジョージ・ゴーディエンコは、来日しているが見れてない選手
ダラ・シンやスカル・マーフィーなんかも、一度は見たかったな〜 >>230
71年頃だと、坂口とレイスがライバル関係を築けそうだったけどな。 >>249
マーフィーは1969年来日時、見たけれど、本当に冷酷そうで、
子供心にも怖かったよ。同時期に参加した相棒のバーナードや
ブラッシーよりも。
バーナードは、確かに凶悪だが、時としてユーモラスな動きも
するんだよな。 >>252
62年海外修行中の馬場がマーフィーとタッグを組んで
試合中マーフィーのアドバイスで左のカウンターキックを放ったのが16文の始まりで
2度目の海外修行中に空手家のジョージ土門から蹴りの本格指導を受け
16文キックが完成した!というのを読んだ事がある。
左の16文は投手出身だから、振りかぶる時の動作が反射的に出たんだろうね。 >>252
アジアタッグ王者になった時かな
確かサンマルチノへの先発命令もこの時で >>254
>アジアタッグ王者になった時かな
>確かサンマルチノへの先発命令
それは1968年の夏ですね。その時は見ておらず、
69年のゴールデンシリーズで初めてマーフィーを見た。
その時は、ブルート・バーナードとのコンビで初参加。
最後のコンビ参加でもあったけれどね。 >>257
共に互いの王座に対する唯一の挑戦なんだよな >>255
一番下の写真でも、
マーフィーの目には明らかに狂気が宿っている。
バーナードが「普通の人」に見えるよ(苦笑) 68年1月3日隅田川決戦 馬場vsクラッシャー(蔵前国技館)/草津vsテーズ(日大講堂)
79年1月3日ブロディ初来日第2戦 伝説のバトルロイヤル他(後楽園ホール)
https://youtu.be/l3bx0FPodzg
70年1月3日モンスター・ロシモフ初来日
ロシモフ・カジモドvsサンダー杉山・田中忠治 (岡山大会) >>255
真ん中の写真の撮影時のエピソードが確か竹内宏介氏が監修の何かのムック本に書かれてた
カメラマンが二人にガイコツをかじってほしいとお願いしたら「どうして俺達がそんなことをする必要があるんだ?」と
「その方が日本のプロレスファンにより一層インパクトを与える事が出来てアピールになりますよ」
「その為にわざわざガイコツを用意したのか?」
「そうです」
すると二人は腹を抱えてゲラゲラと大笑い、笑い終えた後は快く撮影に応じてくれた ジャイアント・バーナード(Aトレイン)も、ブルートの息子とか孫とかいう
ふれ込みだったがギミックだったね。
ミスター高橋の話によると1984年にピストル自殺したブルートは
義理堅く涙もろい優しい性格のレスラーだったとか‥ サム・スティムボートは
「リッキー・スティムボート?彼には会ったこともないよ」と言っていた >>193
コワルスキーって意外と便利屋?
Wリーグ前の前哨戦で凱旋一時帰国時の馬場と引き分け(この時の馬場って力道山、豊登に次ぐNo.3以下の筈)
Wリーグ本戦でも馬場相手にフォールでは無くリングアウト勝ち
極めつけは力道山とのWリーグ決勝前に、デストロイヤーに屈辱的なビンタ喰らって格下げ。(試合が盛り下がらんかっただろうか?) >>260
五人のカバーをブロディが跳ね返して優勝したんだったか >>265
あの日のブロディは、キム・ドクを僅か6分でノックアウトしているし
来日第1戦から大熊・伊藤を相手にしたハンディキャップマッチだった。
メインのインタータッグは、当初エリック・ラシクのコンビで挑戦予定だったが
エリックに家庭の不幸があって来日が遅れ、イアウケア・ラシク組になった。
クローコンビは魅力的で夢のコンビだったが、エリックが合流して実現した
馬場・鶴田、馬場・デスト、鶴田・デストとの3試合はどれも2−1の完敗だった。
せめて4年前に実現して欲しかったな エリック&クラップはインタータッグ王者
ラシク&クラップは最強タッグ出場
エリック&ラシク、いちばん強そうにも思うが戦績は振るわないんだね。 そうだよね〜
ブロディが初来日した79年には黒人最強コンビといわれたブラジル・ブッチャー組も
インタータッグに挑戦したけど敗北して最後は仲間割れw
https://white.ap.teacup.com/corona/img/1273697913.jpg
シングルで名を馳せた大物同士だと、ガニア・ルーイン組も期待できないかな‥ >>264
試合前に握手を求めて無視され「ローカルチャンピオンのくせに…」と呟かれたので
ビンタしたとされているが、真相は「オレの頬を張れ。そしてリングを降りろ」と
コワルスキーの方から言ったらしいよ。(コワルスキー追悼の際のデストのコメント)
ただ、デストロイヤー売り出しには効果があるけど、これから始まる優勝戦がねぇw >>268
>黒人最強コンビといわれたブラジル
といっても1979年時点で55歳だもん。
ブラジルは、もう全日参加(73年)時点で、もうピークを
過ぎていたなぁ。花を食べるとか、変なパフォーマンスで
壊れていた。 >>269
>ローカルチャンピオンのくせに…」
実際、WWAは、「アメリカ4大タイトル」と言われても、
西部の小さな団体と小ばかにされていたようだね。
昭和41年Wリーグに、現役のWWA世界王者ペドロ・モラレスが
参加したが、後からウイルバー・シュナイダー来たら、
外人側のボスが移り変わり、モラレスも敬意を表したとか。 >>270
ブラジルとブッチャーは、ここでもよく出てくる全盛期のズレなんだよね
ブラジル初来日は力道山時代だし、エリックも79年の時点で50歳
往年の迫力はまだあるけど、体力的にパフォーマンスが…
ブルクラのように全盛期が近くても、全日に来てインタータッグに挑戦した時は
日プロ時代の凄みがなくなっていたね。
だけどシークのように凶器攻撃一筋のレスラーは、あまり衰えは感じさせないけどw ジョニーバレンタインのイタズラで凄いのは、ウンコを詰めたタッパーを若手のバッグに忍ばせたこと
ジャパニーズカレーだそうだ >>268
1960年前後で黒人最強タッグは
ブラジル&ベアキャット・ライトだろうな。
昔、12チャンネルの「プロレスアワー」でガラナー兄弟と
対戦したのを見たが、さすがに強かったよ。
1970年NWAタッグリーグに参加したEラッド&Rジョンソンは
黒いBI砲と呼ばれたが、サッパリだった(苦笑) >>273
バレンタインってシャレにならんイタズラばっかりするので
レスラー仲間からは嫌われてたらしいな >>274
ベアキャット・ライトは馬場の初武者修行時に何度か対戦しているね
1962年の今日シカゴ・アンフィシアターのメインが馬場vsライトでノーコンテスト
13日はデトロイトでライトが馬場を破っている。
カラー放送のNY版は記憶にあるが、白黒時代の「プロレスアワー」見たかったな〜 ベアキャット・ライトは1975年にやっと新日に初来日
新日の外人ルートが弱かったのでロートルにさしかかっていたライトを呼んだんだろう ベアキャットっていうけど「山猫」を知らなかったから
どう考えてみても強そうには聞こえなかった。 >>278
馬場は、全日創立に当たって、日プロと同じ外人では
代わり映えがしないと、思ったんだろう。
B・CライトやM・ルーインといった「まだ見ぬ強豪」を
呼んでいたね。サンディ・スコットも
その一環だったんだろうが、
小柄だし、やはり兄弟で参加させないと。 72年頃になると「まだ見ぬ強豪」も、出尽くした感じじゃなかった?
ライト、ルーインの他にアルゼンチン・アポロやミスター・レスリング…
あまり思い浮かばないなぁ
力道山没後の64年新春シリーズにクラッシャー・ブル・ベドウが来日する予定だったが
日プロを切られた東郷の妨害が入って未来日のままだったね。 日プロ時代はそれこそ世界王者ドリーが当時は未来日だったりしたから。
ある意味良い時代。
団体が増えてシリーズが増えて絶対数というか頭数が増えたね。
最後のまだ見ぬ強豪はローランボックだったんだろう。
ブロディもまだ見ぬ強豪の一人に数えられてた。 70年代になると、むしろAWAと提携していた国際プロレスの方が
新鮮な強豪を招聘してたかな?
ラシクにホフマン、グラハムやマクダニエルなんかね。 >>281
そう!全日が73年頃に招聘した「まだ見ぬ強豪」
ミスターレスリングも入れるべきだった!
>72年頃になると「まだ見ぬ強豪」も、出尽くした感じじゃなかった?
ルーイン、ライトは世界王者クラスだったが、
「ゴング」が無理やり「まだ見ぬ強豪」にしたてた選手も
少なからずいたね。マスカラスは当たりだったが、
レイ・メンドーサは軽量すぎたし、後は、スパイロス・アリオン、
コンビクト、カール・ハイジンガー、レス・ロバーツ(苦笑)。
ロッキージョンソンも期待外れだったなぁ。 「まだ見ぬ強豪」の企画で必ず出てきた
ザ・バイキングとかブロンコ・ルービッチとか見てみたかったな ロスでちょっと売り出したカール・ハイジンガーやレス・ロバーツに比べ
1969〜70年のアメリカにおけるアブドラ・ザ・ブッチャーの
方が遥かに活躍していた(モントリオールIWAの世界王者になる、
レスリングレビューのランキングでベスト50に入るなど)が、
「ゴング」での「まだ見ぬ強豪」としての紹介は薄かった。
やはり、情報がロスかニューヨークに偏っていたな。 >>282
80年代にもまだ見ぬ強豪はいたよ。
リッキースティムボート
ケリーフォンエリック
ロードウォリアーズ まだ見ぬ「強豪」としては
大会場でいきなりタイトルに挑戦するくらいの格じゃないとなあ 電人デビットショルツもまだ見ぬ強豪って言われてたな >>289
ウォリアーズはいきなり両国メインで
インタータッグ挑戦だったけどね。
全日本系ではスティングが最後の「まだ見ぬ」かな まだ見ぬ強豪で心底がっかりしたのは
南部の帝王ジェリー・ローラーだった
体もそんなにデカくなくパワーもスピードも感じなく
どこが帝王?って真剣に考えてた小学生時代 >>291
ルードはまあ「期待の初来日選手」くらいでしょ。
特にビッグマッチも組まれなかったし。
スティングは武道館の対戦相手がファン投票された
くらいだから、やはり注目度が違った。 >>293
デビアスだったら良い所を引き出したのかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています