プロレスは完全な八百長です。理解して下さい 53ヤオ
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おいバカプヲタに言っとくぞ、論点ずらしや、面白いつまらんの感性の問題に話し逸らしても
プロレス=八百長は普遍だから。楽しむのは勝手に楽しめ。好きにしろ。誰もとがめない。
別ジャンルは一切関係無し、映画、ドラマ、ヒーローショーがどうかしたら、プロレスが八百長じゃなくなるのか?
何の関係も無い。他ジャンルへのスリ変えは過去スレで無意味と決着済み。
プロレスにちょっとでも後ろ向きな発言をする奴=プロレス嫌いじゃないから
八百長という輩をプロレスの敵と決めつけるのはお門違いもいい所だ。
それからな、八百長=悪じゃねーから。語源の八百屋長兵衛になぞらえりゃ、
八百長はWinWinの関係が正しい形だ。おめーらクソプヲタが大好きな言葉を使えば
プロレスは「王道」の八百長。由緒正しい八百長の王様。キング・オブ・ヤオ。それがプロレス。
嫌ならSNSで承認制のプロレスファンサイト作って、「分かって」らっしゃるプヲタ同士で
仲良くおしゃべりしてろや。そんな簡単なことも出来ないのかグズ。
プロレスは凄いんだろ?だったら自信持てよ。すげーんだから、自信持って八百長だ!と
胸はりゃいいんだよ。怖がるな、卑屈になるな。 まず、プロレスは八百長か?に関して多々反論があり、感情的に「八百長ではない」と言う方がいますが、これは明らかな間違いです(辞書を引いて下さい)。
「八百長」という言葉は「勝負事で、真剣に争っているように見せながら、前もって示し合わせた とおりに勝負をつけること」を指します。
つまり、事前に勝者が決まっているのにそれを隠し「私たちは真剣勝負をしています!」というプロレスは八百長です。
もっと端的に「事前に勝負が決まっている=八百長(これが正しい日本語、前提)」、「ではプロレスは八百長?⇒八百長です」ということです。
誰が何と言おうがこれは不変。
だから「プロレスは八百長なの?」に対し「プロレスはショーなんだ」は答えとして誤りで、
真っ赤なリンゴを目の前にし「このリンゴは赤いですか?」の問いに「このリンゴは甘いです」と言っているようなものです。
答えになっていません。テストなら0点です。プロレスに脚本があることは皆知っているから良いのでは」も成立しません。
くどいですが八百長かどうかは受け手の問題ではありません。あえて言えば「プロレスとは何ですか?」ならば「ショーである」は正解です。
プロレスは八百長の上に成り立っているショーですし、八百長かどうかは聞かれていないから答える必要はありません。 因みに、「だったらドラマや歌舞伎も全て八百長なんか!」と言う方もいらっしゃいますがこれも誤りです。理由は大きく2つ。
まず八百長という言葉は「勝負ごと」が前提で使われる言葉です。ドラマや歌舞伎は勝負事ではありませんので「八百長」という言葉は不適切です。
この理由だけで十分ですが、さらには、例えば歌舞伎役者に「脚本はあるんですか」と聞けば(聞くまでもないのですが)
「あるに決まってるやん」と答えますね。ドラマも映画もアニメも脚本があることは公になっています。現実っぽい映画・ドラマ・アニメなどには
「このドラマはフィクションです。登場する〜」といったテロップも出します。事実と誤解されないように「これは作り話だよ」とあえて言う訳です。
エンドロールも当たり前に脚本家が流れます。要点は事実を隠していないということです。さてプロレスはどうでしょう?
レスラーに「プロレスには脚本があるのですか?」と聞いたら答えられますか?テロップをだせますか?
事実を隠している時点で「八百長」です(聞かれないから答えない、もダメですよ。行為自体八百長なのでそれを否定しなければ八百長の冠は外せません)。 現に(人数は少ないでしょうが)誤解してしまい「プロレスはマジでやっているのでは?」と思っている方もいるのです。
「脚本家がそんなに大事かよ!いちいちドラマ見ながら脚本を意識してるのかよ!」とか言うのも質問として誤りです。
勿論、どんな良い脚本でも役者(レスラー含)が悪ければ成立しません。私はドラマや歌舞伎の面白さは脚本家で決まるとか言っているのではなく、
八百長かどうかの境界のことを粛々と述べているだけです。これは言葉の問題で答えが決まっていることで、私の意見とかではないのです。
プロレスファンは「八百長・やらせ」という言葉の悪いイメージに拒絶反応を呈し感情的になって誤った答えをしてしまう傾向にありますが
事実は事実なのでそこは理解しておくべきです。ただ、八百長=つまらない、ということではありませんし聞かれてもいないのに
あえて自ら八百長八百長と言う必要もありません。逆に言えば、プロレスファンに対し「プロレスは八百長・やらせでしょ?」と
気分を害する質問をする方もモラルがありません。答えは前述の通り決まっているのですから、あえて質問するのはただの嫌がらせでしかないのです。
宗教や趣味と一緒で信じる・信じない・好き・嫌いは個人の自由です。 八百長とは
《相撲会所に出入りしていた長兵衛という八百屋(通称八百長)が、
ある相撲の年寄と碁(ご)を打つ際に、いつも1勝1敗になるように手加減していたことからという》
1 勝負事で、前もって勝敗を打ち合わせておいて、うわべだけ真剣に勝負すること。なれあいの勝負。「―試合」
2 なれあいで事を運ぶこと。「―の質疑応答」
〔補説〕
八百屋の長兵衛(通称八百長)という人が相撲の年寄某とよく碁を打ち、
適当に勝ったり負けたりするように手かげんをしたことから出た語という
勝負事で、真剣に争っているように見せながら、前もって示し合わせたとおりに勝負をつけること。
なれあい。いんちき。ぷろれすやおちょううんこくさ。おえーぷ。 2001年に、長く新日本プロレス・レフェリーとして活躍したミスター高橋が、「流血の魔術・最強の演技 すべてのプロレスはショーである」
という書籍を出版し、大きな話題となった。
内容は、プロレスが世間一般でいわれる八百長であり、真剣勝負とはほど遠いものであることを説明し、自分のレフェリー生活の中から
プロレスの試合がいかに組み立てられていくかを詳細に解説しているものである。
プロレスがとても真剣勝負とは思えないことは今更言うまでもないが、どうやらこれは真剣勝負ではない、と言われた
昭和30年頃の時点(昭和31年、映画「力道山・男の魂」の中では、力道山が自ら主演の映画でありながら、八百長という言葉が何度も登場する。)
から、なぜ今までこの様な事が世間に発表されなかったのか、実に不思議である。
この半世紀の間、プロレス界に多くの人材が関わり、そして去っていったが、誰しもがこの「八百長」には関わったはずであるが、
その誰もがプロレスのショー的部分には口をふさぎ、公表しようとはしなかった。むしろそのことの方が異常である。
これまでこうした現実が誰の口からも発せられなかったのは、プロレスという世間一般からはだいぶ隔離された世界において、
その正体を公表することは多くの関係者の生活を脅かすことにもなるし、また、そういう裏切り者を許さない環境も確立されていたのだろう。
それは、プロレスに関わる関係者ばかりでなく、プロレスマスコミ(これも 一般マスコミとは関わりがなくプロレス世界に隔離されている)、
そしてファンまでもを巻き込んだ一種独特な世界なのである。この本が登場したのは、
もはやプロレスはかつてのゴールデンタイム放送など夢となり、深夜放送枠でやっと放送されるような、
人々に愛されるものではないマイナーな一分野に成り下がり、 要するに「金にならないもの」になり、
プロレスの内幕を公表する掟破りの危険性がほとんどなくなったからだと思う。
夜中になにやら汚いアンチャンらが騒いでいるものがプロレスだというなら、もう誰も寄りつかないのは当然だ。
(続く) (続き)
「流血の魔術・最強の演技 すべてのプロレスはショーである」が発表され、世間でだいぶ話題になっていた時期においても、
プロレス誌でその事実はなんら話題とはならなかった。その書籍の存在を知らなかったといのではない。
まるで、みんなで耳をふさいでいた様である。それは大本営発表か、現在の北朝鮮のように、ファンが知らされていなかったというのではなく、
プロレスという社会に共鳴し、そういう一般社会、メジャーな社会を受け付けたくないという自己防衛本能の様にも感じられた。
プロレスは専用マスコミやファンに支えられた運命共同体なのである。肩を寄せあって細々と生きる少数民族の趣を感じる。
http://www.cercle.co.jp/blogs/?p=395 私が『流血の魔術 最強の演技』を書こうと思った1つのきっかけは、引退後に高校で「基礎体力講座」の講師をしていたときの経験です。
当初、プロレスの話をすることを極力避けていました。それでもあるとき、生徒に「プロレスの試合は観るの?」と何気なく尋ねたところ、
帰って来た言葉が、「あんな八百長は観ませんよ」でした。
私は、返す言葉がなかったのです。
「八百長」という言葉は長年、プロレスの世界にいた私が最も嫌うものでした。
生徒たちからは、その後も次々と質問を受けました。「なぜ、相手の選手をロープに投げると、その選手はわざわざ戻ってくるの?」
「ボクシングでは殴り合いのときに顔をブロックする。プロレスでは、どうしてブロックしないの?」
「相手の選手がトップロープに上がるときに、なぜ、やられるのがわかっていながら寝転がって見ているの?」…。
いずれにも、私は答えることができなかったのです。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/14273 尖閣問題、勝っても負けてもダメ
政府同士でプロレスを続けるしかない
尖閣諸島では勝ってもいけないし負けてもいけない。その理由は以上である。
そのためにはどうすればよいか?
現状維持に徹するしかない。日中で勝ち負けを作らないことだ。
まずは巡視船同士でのプロレスの継続である。「日中双方は政府公船だけで睨み合う。軍艦は入れない。
上陸もしない」この暗黙のルールに基づく茶番を続けることだ。
https://japan-indepth.jp/?p=52337
https://news.yahoo.co.jp/articles/7344657f51f52ebb73de9067521d9ef3f8e46c40?page=2
一般メディアの「プロレス」の認識
プロレス=暗黙のルールに基づく茶番 プロレスというリアリティショーが「やらせ」を認めたワケ
リアリティショー出演者へのしつような嫌がらせ、中傷投稿を媒介したSNSが大きな批判を浴びています。
一方、リアリティショーはリアルなのか?という制作側にも批判は及んでします。
リアリティを考えるため、プロレスが八百長かどうか、年間売上900億円を超える世界最大のプロレス団体・WWEはすでに答を出しています。
・「プロレスはショーである」
小学2年生のころからプロレスを見ていた私ですが、昔から「ヤオガチ論争」というものがありました。
要はプロレスが本気か八百長かということです。
そんな、プロレスなんてインチキなんでしょ?という言葉をさんざん浴びせられるプロレスファンは
「プロレスこそ最強」という主張で孤軍奮闘しつつも、世間からは冷めた目で見られていたといえるでしょう。
今、世界最大のプロレス団体・WWEはNYSE上場企業ですし、日本でも新日本プロレスは年間売上50億円を超え、大躍進を遂げています。
しかしそれでもまだ野球やサッカーといったメジャーの中のメジャースポーツと比べて、一抹のいかがわしさがあるのではないでしょうか。
プロレス好きをカミングアウト(犯罪か!?)すればけっこうな確率で「プロレスって八百長/ショー/インチキでしょ?」と言われるのは今でもけっこうあるようです。
https://mine.place/page/5a12a2b9-c8eb-4914-a8d8-a197940f6d79 プオタが「分かってて見てる」なんて大ウソ
ASUKA / 明日華
@WWEAsuka
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5月23日
渡米するまで数年間、毎日沢山の、死ね、女子プロレスを壊すな、この業界から去れとメールが私の元へきました。
そして今日は、他の選手がコメントを出してるのに、まだお前はコメントをださないのか、ときました。
自分の正義感に前のめり過ぎて、同類だと気がついてないんですきっと。これが怖い。
https://twitter.com/wweasuka/status/1264164668215488514
https://i.imgur.com/DLJAqzt.png
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています