田鶴浜さんは明治38年生まれで、初めて見たレスラーが大正元年に芝浦に来ていた
スタニスラウス・ズビスコの実弟、ウラディック・ズビスコだって言うから驚きw
八田一朗等と日本初のアマレス協会を設立し欧米各国PRの旅に派遣され
その時、MSGの大ボス トーツ・モントの紹介で本場のプロレスも存分に観てまわった。
戦後はNTV正力松太郎の依頼でプロレスTV初代解説者となり、
日本初のプロレス専門雑誌として『ファイト社』創設
ライターとしてもパイオニアで、田鶴浜さんにプロレスの魅力を説いた人物が
アド・サンテル(テーズにバックドロップを指導した)と闘った柔道家 庄司彦男なる人物
山田櫻井など及びもしないキャリアの持ち主なんだって
調べたら、あのお爺ちゃんトンデモナイ人だった。