【竹山祐一】昭和の全日本プロレス87【読売テレビ実況アナ】
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本当だ!この書き込みは読む価値がないとすぐ分かったw >>593
だからさあ、何が言いたいんだ?
お前の中では、
「ローカルはダメ」
「時代とともに消え行くものはダメ」
っていうバカみたいな偏見があるわけだろ?
ローカルったって、アメリカは、日本みたいに東京一極集中なんた価値観ほないからな。
ローカルだからこそ、世界チャンピオンが各地をめぐるワールドワイドな活躍ができたわけだから素晴らしいことじゃないか。
時代が変われば、従来のシステムが淘汰されるのは当たり前だろ。大事なのは、その時代に天下を取ったかどうか。
お前の好きな猪木の異種格闘技路線も、今の時代では通用してないよ。 >>597
技なんて数が多ければ良いなんて、浅い価値観だなあ。
少ない技でトップ取れる→スゴいって思うけどなあ。 >>597
鶴田がマーテルとやるのを嫌と思うわけないじゃない。 オープンタッグの前と後でテリーの価値は段違いだ。
時間で変化が当然にあるなら
場所(テリトリー)でレスラーの価値と立ち位置が変わるのも当たり前 >>597
>>602
嫌だったかどうかは知らんが、鶴田はもちろん、
マーテルも実はあまり英語が達者じゃないらしいからね
コミュニケーション取りづらいという意味ではやりにくかったろうな 新人の頃からファンクスやレイス マードックらと互角以上の試合ができた
鶴田が、マーテルやケリー相手に劣ってるなんて誰も思ってない。
そう言う意味では、相手を光らせて惜敗するのは難しいことかもね。
特に鶴田は、攻め込まれた時や怒りの表情とかが下手だったからなw
マルチなイメージがある鶴田だけど、苦手なタイプってあったのかな? >>605
キング・イヤウケアが苦手だったって記事を読んだ事がある>鶴田
逆に馬場はイヤウケアは試合がやりやすかったとか 輪島は小兵は得意だった。鷲羽山とか。
逆に巨漢の高見山を苦手にしていた。 >>590
猪木のWWFをバックランドからピン勝ちでとって
ピン負けしないですぐ返したのはまずかったな。
だから歴代王者からも消された。 鶴田が試合中に体をピクピクさせるのはアマリロ時代にテリーファンクが
「体をピクピクさせるとダメージが早く回復するからやってみろ」と指導したから。
鶴田も最初は半信半疑だったが「テリーさんがいうならそうなんだろうな」ということで
バックドロップを喰らったときに体をピクピクさせるようになった。
日本での体をピクピクさせている鶴田を見て
テリーもいまさら、あれは冗談だったと言えなくなってしまった。 メキシコのカルテルに脚を切断された後にピクピク身体動いてるのあるからな。
アレはリアルな描写やね。 >>599
↑こういう書き込みが
最も不愉快だ。
消えろ。死ね。馬鹿 >>608
何故か高見山にはぶがわるかったんだよ。かたや北の湖は高見山をカモにしていた。
完全なスレチなんだが、輪島と北の湖はそういう対戦相手が何人かいた。
たしかに小兵力士には輪島は強かった。 輪島はブッチャーにも苦手だったなw
シンにはあんなボコボコにされなかったのにw >>690
シン乱入→ボブがロープ利用したアトミックドロップでピン→無効裁定
→試合内容に不満で王座返上って流れだったか
ボブにベルト返さないといけないけどピン負けすんのやだと駄々こねて
わけのわからない裁定になったんだろう
>>615
北の湖が苦手にしていたのが朝汐(長岡)
理由が「あの顔見てるとムカついて冷静さを失うから」(本人談)
プロレスでも、同じような理由でたとえば馬場とか鶴田とかを
苦手にしていた選手とかいるんだろうか ジャイアント馬場はキラー・トーア・カマタを苦手にしている。 PWF獲られてるからそういうイメージがあるのかな。
PWF獲られた試合は馬場のコンディションが腰痛で最悪だったらしいけど、
それでも試合になったのは相手がカマタだったからってどこかで読んだ覚えが。
そんな酷いコンディションの時でも馬場にとってカマタはやりやすい相手らしい。 >>612
コックスもブレアースも体をピクピクさせていたのは見た。 馬場は基本的にラフファイターが好き、というか手が合うのでランクが低い相手でもそこそこの試合になる。 78年はともかく、81年のPWF戦でカマタにフライングボディプレスを完璧に決められ、
セコンドのマーシャルボーグが余計な手を出して
馬場が反則勝ちで辛勝という、妙な試合があったな。
当日はシンが初参戦し、裏ではハンセンの引き抜きが
確定してた時期。
カマタを盛り上げる理由はなかったんだが なんで馬場が
ラフファイターが都合良いかって
自分が動かなくても、受けてりゃ試合成立して
楽だし、客をのせやすいからに決まっとるがな
技やスピード、パワーの攻防で
相手と対比される心配無いからな >>627
ほほぉ、なるへそ。
ハンセンとの初対決が年間最高試合賞を受賞したのはなぜ? >>628
あれは年の割には頑張ったというお情けの評価だよ
日プロ時代の馬場と比べたら
ハンセン戦はお恥ずかしいレベル >>628
ハンセン、ラフやん
ゆっくりロックアップからグラウンド
ロープワークで徐々に大技ってタイプちゃう
特に昔は
馬場はお得意の十六文、三十二文
カウンター系の技が最大限に生き
馬場の上手さは相手の勢いを貰って
映える事だと自分は思う
だから遠慮する日本人とは合わない気がする 馬場とドリーのシングルってオープン選手権が最後?やりづらい相手だったのかな? デストロイヤーマスクの男(正体はクリーニング屋の店員)が夜道を一人歩きする女を頭突きで失神させ、
つばを吐きかけて逃走。
失神している女を真犯人がレイプ。 >>629
年の割に頑張ったという割には
ハンセンの方も猪木戦より動きが良く感じたな >>633
そりゃ猪木との体格差なら、まともにぶち当たったら
カウンター仕掛ける間もなくふっとんじゃうからな
ケガさせるわけにはいかないから、意識してか
無意識かはともかく、ハンセンもセーブするだろう >>622
ウルトラマンがゼットンに負けた、ってことがずっと語られ続けているのと似てる。
その後、ゼットンがなんかちっちゃいミサイルみたいなので退治されたのは
カマタがロビンソンにさくっと負けたのに似てる、かな。 >>629
全日蔵前最終試合を締めくくったハンセン対馬場のPWF戦での実況で
「馬場のがんばり涙でます!」とか試合後に「おめでとう!ジャイアント馬場!
これからもより長く現役続けてほしい!」と浪花節だった。
これは倉持アナの持ち味だけど・・・ ハンセン戦は馬場最後の日になるんじゃないかって言われてたからな
それが「奇跡の蘇り」と言われた好試合を見せた
さっさと試合を実現させたのも良かった 「馬場、危うし!立てないか!立った!返した!
馬場返しました!馬場、返しました!頑張る!
涙がでます!馬場の頑張り!馬場の頑張り!
ほ〜んとうに涙がでます!
よ〜くがんばる!必死でがんばる!
馬場、頑張ります!馬場、頑張ります!
スタンハンセンを破る男!それはジャイアント馬場しかいません!
スモールパッケージ!ホールド!どうだ!タイトル!奪還!」 >>636
あ。やっぱりそうだよね…。
>>638
それは冗談、あるいは新日ファンの
ストロングスタイルで外人エースだったハンセンがマジにやったら
ヤオ馬場なんか死んじまうだろ、いやいやハンセンはともかく引き抜いた馬場許せん〜
みたいな心情からの願望でしょ。
まじめにとった人はいない、はず。
あるいは自虐傾向のある全日ファンの、下手すりゃ〜だな。 >>640
いまさら全日新日、馬場猪木論争は勘弁ww 倉持実況もマンガだったけど、田鶴浜爺の解説をもう一度聞きたいなぁw >>639
その試合鶴田と天龍も奥から見てて、馬場の過去の栄光も何もかも吹き飛ばされて潰されるような試合になるんじゃないと思ってたそうだ。
実際そのような流れで進んで、もう終わりかと思った瞬間のスモールパッケージホールドで思わず驚いた二人が声あげて顔を見合わせたといういい話。
鶴田は馬場さんには勝てないと何度も何度も繰り返して言ってたそうだ。 一時期学生プロレスでも田鶴浜ふう実況が流行っていて
「こりゃあ〜プロレスの城を超えてますなあ〜」
「それはプロレスの域じゃないんですか?」
といった掛け合いをやっていたなw >>644
田鶴浜は博識だから、そんなバカみたいな間違いはしない。 「こりゃ〜まさに海軍対空軍!ネイビー対…
…
…
ネイビーだなこりゃあ〜」
フミ斎藤とかの本などで、日本プロレス創世記の頃の若く颯爽とした
パイオニア・田鶴浜さんの姿を振り返ると色々味わい深い 田鶴浜さんは明治38年生まれで、初めて見たレスラーが大正元年に芝浦に来ていた
スタニスラウス・ズビスコの実弟、ウラディック・ズビスコだって言うから驚きw
八田一朗等と日本初のアマレス協会を設立し欧米各国PRの旅に派遣され
その時、MSGの大ボス トーツ・モントの紹介で本場のプロレスも存分に観てまわった。
戦後はNTV正力松太郎の依頼でプロレスTV初代解説者となり、
日本初のプロレス専門雑誌として『ファイト社』創設
ライターとしてもパイオニアで、田鶴浜さんにプロレスの魅力を説いた人物が
アド・サンテル(テーズにバックドロップを指導した)と闘った柔道家 庄司彦男なる人物
山田櫻井など及びもしないキャリアの持ち主なんだって
調べたら、あのお爺ちゃんトンデモナイ人だった。 「レスリングだと62対57で、馬場が上田を上回る」とか田鶴浜が言っていたことあったよね? 「生でMSGの試合を見た」って言ってもサンマルチノとかバックランドとかの
話じゃないんだものなあ
1937年、まだバディ・ロジャースもアントニオ・ロッカもデビューしていない頃
(日中戦争勃発の頃だよw)ジム・ロンドスやレイ・スチールが王者の頃
テーズもまだいないし、NWAだってまだアライアンスなんか影も形もない
こないだ単行本にもまとまっていたカミノゲの対談に出ていたけど、高校生の
保永昇男が学校の柔道部で木村政彦の指導を受けていたという話には驚いた
ものだけど、田鶴浜さんはアド・サンテルとやった庄司彦男(靖国神社の異種
格闘技戦が行われたのは1921年・大正10年!)に話を聞いてるんだからなあ
力道山とシャープ兄弟の解説やっていた人がフレアーやスティムボートの
ライブ解説やってたんだから、戦前戦後の人たちは凄いと思うわホント 日プロ時代はどうだったか知らんが、全日では
タザハマさんは馬場を君付けで呼べる唯一の解説者だったな
山田さんも竹内さんも馬場選手だったし。
一番印象に残っているのは「ありゃ反則ですよ」だけど 今まで面白おかしく、ちょっとズレたお爺ちゃん扱いしていたけど、
田鶴浜さんこそ『プロレス殿堂』に相応しいw 田鶴浜はゆでたまごにキン肉マンで
面白く描かれたからなあ。 田鶴浜さんスターウォーズも好きだったな。
実際に映画見ているかわからんけどw >>648
ファイトはプロレス専門じゃないよ
ボディビル、ボクシング、アマレス、柔道等色々載ってた
プロレスが6割くらいは占めてたけどな
>>650
レイ・スチールとテーズは王者になった時期そんな変わらんぞ
https://www.wrestling-titles.com/us/oh/mwa/oh-mwa-h.html >>655
セントルイスのテーズがマソニックと出逢ったのが1937年の1月で、これを機に名を上げたテーズは
12月にセントルイス版世界王者になり、NWA(アソシエーション)王者になったのが1939年で
約1年後に同王座に就いたスチールとほぼ同時代ですね
ただスチールは1931年6年にはヤンキースタジアムでロンドスとタイトルマッチをやったりで
東海岸で顔になっていた
MSGは田鶴浜さんも観戦した1937年にプロレス興行を停止(再開は戦後の1949年)しているので
田鶴浜さんの戦前東海岸観戦ツアーでは、テーズよりスチールの方が馴染みがあったのじゃ
ないかと想像して書きなぐりました、失礼 >>626
ただ試合後に馬場が一人でカマタとマーシャルボークをのしてたから辛勝って印象は消えてた。
インタータッグを前に鶴田も飛び込んで乱闘、にすらならなかった。
ブッチャーの大きな穴を埋めるために新日からシンを即座に引き抜き、前のシリーズでスヌーカの売り出しに成功し、
このシリーズではマーシャルボーク(こっちは売り出し失敗)。
夏にジプシー・ジョー獲得。そのうえシーク、カマタも健在という盤石な形にして駒を豊富に揃えておきたかったのかな。 田鶴浜は馬場と上田で62対57で馬場有利の他にもハンセンと馬場で〇対8でハンセン有利とかもいうのも有ったな。
〇を忘れたが10か12だと思った。何故か倉持は馬場の勝利は8パーセントしかないと間違った解釈をしていたが。 田鶴浜さんといえば「ネイビーですね。アーミーじゃない」。ミラクルパワーコンビ対マスカラス兄弟のときの解説。 >>626
>>657
このシリーズ、カマタはPWFとインタータッグの挑戦者、スレーターはUNとインタータッグの挑戦者、
ロビンソンだけはインタータッグのみの挑戦者という、過去から考えるとあまりに落差ある扱いだった。
スレーターが帰国してしまい、天龍を抜擢した最終戦のイメージが強くてみんな忘れているが。 オープンタッグのファンクスvsホフマン&ロビンソンの解説聞くと、
田鶴浜さん、ああいう試合が好みなんだなってよく分かる。
後年、フリーバーズvs鶴田&カブキ戦で毒霧がフィニッシュ?になったことに対して
呆れたような感じで解説してたのが凄く印象に残ってる。 場外乱闘になると田鶴浜さん何故かいつも
「こりゃ没収試合になりそうですなあ」
でも実際はリングアウトなんだけど >>653
アニメでは、中野さんと過激なアナウンサーがレギュラーになったからね。
でも、タザハマさんは実況が消えた七人の悪魔超人編の後半も実は実況していたってキン肉マンの謎本に書いてあった。 >>660
何を言いたかったんだろう。16門チョップの方がわかる 田鶴浜さん亡くなった時は解説降りて既に数年経ってたけど
全日本プロレス中継の中で訃報を伝え在りし日の映像も流してくれた >>657
ただこの試合は会場で見てたんだが、カマタの
フライングボディプレスの決まり具合が尋常じゃなかったのね。
隣の客のおじさんは決まった瞬間「負けたー!」と絶叫してた。ちょっと事故的な側面もあって、マーシャルボーグが乱入で馬場を助けたようにも見えたよ。
まあそれも含めて馬場の演出なのかもしれんが。 >>667
遠藤幸吉ばりのトンデモ解説の印象が強いけど
ボディビル界において大変に功績のある人物だったらしい。
後年のファイトとは違う雑誌を発行していて「プロレスを応援している」と力道山が
感謝して後援金を出していたと証言していた。 馬場や小鉄みたいなプロレスラーでなく、桜井や山田みたいなサラリーマンでもない貴重な解説者だったな。 >>657
カマタ上げはシンのパートナーにするつもりだったんじゃないかな。まだ上田が参加する、できるかどうかわからなかったからとか。 >>657
カマタとマーシャルボールが挑戦したインタタッグ戦、
へっぽこチームでも「王弱組危うし」とか煽るもんだけど、
入場のシーンから「今日はよほどのことがない限り防衛は確実でしょう」
とか実況してたな。
それまでの試合がよっぽどしょっぱかったんだろうな。
実際当日の試合もマーシャルボーグはとんでもなくしょっぱかったけど。 >>671
82年サマーアクションシリーズ富山大会でシン、カマタ組がインタータッグに挑戦したことあるね。
満員でスッキリフォール勝ち防衛したことでデラックスプロレスで褒めまくっていたのが印象深い。
この前のエキサイトシリーズにもシンは参加していたが上田は呼ばれていなくて2シリーズとも強硬参加した。
インタータッグ挑戦は最初からシン、カマタ組で発表しており変更はなかった。
2シリーズもシンだけ呼んで上田は干すって、馬場は本当に上田が嫌いだったのだろうな。 >>673
>2シリーズもシンだけ呼んで上田は干すって、馬場は本当に上田が嫌いだったのだろうな
日プロ崩壊から全日離脱までの経緯考えたら当たり前だけどね。
本心では二度と全日に上げたくなかったけど、シンに頼まれて仕方なく上げたんだろうな。
実際シンのベストパートナーって上田だったし 伝説のシーク負傷→カマタ登板じゃないけれど、この種の「追放」って、
実はスケジュールや契約の問題であることが多いから、素直にプロレスを
見ていた子供の時みたいには受け取れないよなあ
結局1983年になって、鶴見が海外遠征する都合に引きずられたように
突然馬場と上田の遺恨試合が実現、倉持アナが「永久追放」という単語を
連呼する中、まるで猪木との釘板マッチを突然意識したみたいな腕折り
制裁で馬場が勝つけれど、まるで「これでみそぎは済ませた」、みたいに
上田・シン組は堂々と全日で幅を利かせ、四か月後には追放どころか
馬場・鶴田組を破ってインタータッグ王者になってしまう
(上田は日プロ時代以来、10年ぶりのインタータッグ王座返り咲き)
ちなみに馬場の腕折り制裁マッチの時の田鶴浜さん、「そういえば試合前、
馬場くんが腕か足を折ると言ってましたが、ホントだったんですなこりゃ〜」と
試合が終わった頃になって笑って解説してくれたそうですが、そういうことは
もう少し早くお茶の間にw 天龍とヘイズのUN戦のときの田鶴浜さん。
ヘイズにはこれという決め技が無いとダメ出し。
倉持アナが天龍も決め技が定まっていないのではと言ったら、
「いや、敢えて多彩だと思いたいですな」
と掌返しw 若林アナは、田鶴浜さんの解説を妙に嫌ってた気がしたんだけど
どうなんだろうね? 倉持アナも田鶴浜さんの話が長くなりそうだと、
遮ってまで「リングサイドの松永さーん」だもんね
田鶴浜さんは自分が発した言葉が気に入ると、何度も繰り返す癖があるw >>677
若林は嫌ってない。
倉持があからさまにイラついてた。 >>672
開幕で極道コンビを喉への蹴りで倒したときは、子供心に恐ろしかったけどなあ。 田鶴浜さんだっけ?「ガンバリズム」とか言ってたの。 >>675
実際アングルで不穏試合で何でもないんだよな? >>574
関係者もネットプロレス関係に無関心になったのは
ネットの書き込みに一喜一憂してるような輩は
知情意が確実に退化していくのが分かったからな
そいつらの文面読んでみれば一目瞭然 >>682
でも喧嘩別れした後、シンは全日残れたけど
上田はあっさり切られなかったっけ?
最強タッグのシンのパートナーが、マイク・ショーとかいう
マーシャルボーグなみにショボい選手に代わってたし 89年にはブッチャーと組んで、90年には猪木とのコンビも実現。上田とのタッグも復活させたり、息子連れてきたり、平成になってからもシンは意欲的だったな。 >>682
いろいろ言われていますね
表向きのストーリーは
83年2月、上田馬之助とまだ若手だった天龍との抗争が激化
↓
ランバージャックデスマッチでの結着戦が行われる
↓
しかし上田のセコンド・鶴見五郎が凶器のスパナを渡すなどして天龍を大流血に
↓
鶴見に対して「PWF本部から」「半年間の出場停止(国外追放)」が命じられる
↓
天龍ら「セコンドの鶴見を処分しておいて当の上田は放置では示しがつかない」
↓
その頃馬場はシリーズ全戦欠場を発表、北米〜ハワイをサーキット中
↓
上田が「最終戦まで帰ってこなかったらシンと共にシリーズをボイコットする」と脅迫
怒り心頭の馬場はやむなく急遽帰国し、「PWFから上田に対する処分はなかった。
こうなったらオレが上田の片腕でもへし折って制裁し、永久追放するしかない」と断言
…というものでしたが… しかし実際のところ、噂されているのは
・鶴見が当初の契約切れに合わせて海外遠征を予定してしまっていたために
日本を離れ、上田のパートナー役をいったん解消せざるを得なくなっていた
・馬場が全休した「83エキサイト シリーズ」は、「グレートカブキ凱旋シリーズ」で、
当然不人気と思っていたこの馬場抜きシリーズが、しかし大人気で旗揚げ以来
初の黒字シリーズとなってしまい、社長の座を追われていた馬場は日テレに
「馬場がいなくても問題ナシ!」とされる事に慌てて、存在感を示せる大一番を
見せなければいけない、と突貫工事で上田戦を設定した
・上田は当時さまざまな媒体で発言していたが、新日の新間氏や元子夫人に対して
「プロレスラーじゃないくせに出しゃばり過ぎな奴らがいる」
「全日は女にサイフの紐を握られている情けない団体」
といった発言を繰り返していて、元子夫人が上田の「公開処刑」を命令し、馬場が従った
といったもので、実際81年に社長の座を追われた馬場はこの7月にインタータッグを陥落、
8月に奪還するものの9月にはハンセンにフォール負けしてPWFから陥落、年末の最強
タッグでも勝てず、翌年4月には欠場に追い込まれて連続試合出場記録もストップ、と
窓際に追いやられるムード濃厚で、この間に日テレにプッシュされた鶴田は8月に蔵前で
インター王座を獲得、翌年2月にはAWAを獲得、最強タッグは馬場とのコンビを解消して
天龍と組むなど、着々と進む世代交代路線にガッツリ乗っていました
この流れの中で、同世代の上田に一肌脱いでもらってなんとか日テレ路線と別の隙間で
存在感を見せようと馬場が奮闘していたというのはあり得る話のような気がします
なお、上田は猪木との釘板デスマッチでも腕を痛めつけられて敗退という結末を演じて
いましたが、もともと道場でのスパーリングに定評があり、得意の決め技は「腕がらみ」
だった上田からすれば、「自分が負けるなら腕をやられる負けがいい」と望んでいた
結果だったのかもしれないとすら思います >>687
後半のタイトル戦線の話は上田戦以降のことじゃん >>684
上田は長州の去就に振り回された感じ。後門馬が言うにはマネージャーの人も筋の良くない
人で手を切るようにアドバイスされていたそうだが、金を騙し取られたとか。 >>687
昭雄が言うには5年以上赤字が続いていたのが黒字になったそうでカブキ参加が要因
になった面は否定しないけど旗揚げ以来初めて黒字になったという話の信憑性は誰か
が吹いているだけかも。 >>687
上田はラッシャー木村にも腕を折られてるから、三団体のエース全員にやられてることになるな。 >>686
ランバージャックデスマッチが3月1日で猪木vs上田が3月3日
中1日でストーリー詰め込みすぎだろ >>691
テリーがブッチャーにフォークで刺されて血まみれになったのを、純粋なファンは
「ブッチャーの好む攻め方」
だと思っていましたが、本当は
「テリーの好む攻められ方」
だったのが頭に残りますが、レスラーって「やられ方」の傾向に好みが出るのかもしれませんね
ラッシャーが他の外人勢に腕折りを仕掛けたってあまり印象にないですし
(ラッシングパワーが売りの木村が、実は裏4の字などねちっこいグラウンドが好きなのも
観客としてはいろいろ反応に困るところなのですが) ミスターX本で馬場上田戦を
私生活でトラブルを起こした上田を馬場がガチ制裁した、と紹介していた
今みたいに動画で確認出来る時代じゃなかったから信じた人もいるだろうな >>668
ハンセンが移籍初参戦した翌年の新春ジャイアントシリーズ、
ハンセン登場までは実質カマタがエース格みたいなもんだから、
馬場の脳裏にそのPWF戦の印象もあったのかな。 >>691
国際でIWA王者になった経験あってそこそこ格も高いから
簡単にピン負けさせられないし、かといってフィニッシュが
あのショボいクロスチョップでは勝ちに説得力ないし
上田ってシングルで使いにくいタイプだから
パートナーがいないとマッチメークに苦労するよね
フェードアウトするのも道理かと >>690
外人勢がショボいし、馬場のギャラも
ないとしたら普段より経費はかかっていない
かも知れないけど、愛知県体は半分強の入り
だし、他に大会場もなし、東北と中部中心の
サーキットだったので、全日本創立以来
唯一黒字というのはふかしすぎだと思います。 >>697
土曜トップスペシャルの放映料が寄与しての黒字じゃないのかね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています