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【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【弾けた】 >>485
印象に残ってないってのは、お前の主観だろ。
総意みたいに言うな。 東京プロレス時代の猪木が馬場を挑発してきて
馬場が「なんで猪木の言いたい放題にさせておくのですか?僕が猪木に負けるわけがない」と言ったら
日プロ幹部から「君は猪木になら勝てるだろうが豊登に勝てるかね?」とたしなめられたって
エピソードもあったな
門の記述と言えば猪木VSアリについて
「あの試合はアトラクションで結果は引き分けと事前に決まっていた。
ボクシング側の遠山が猪木の勝ちに入れてプロレス側の遠藤がアリの勝ちに入れたのはそのためだった。
遠藤は試合後に裏事情を知らなかった新日レスラー達に袋叩きにされた」なんて記述もあったが
新日のレスラー達がそんな裏事情を知らないなんてあるわけがないし
万が一知らされなかったとしても大先輩でワープロ解説者もやっていた遠藤を袋叩きにするってのも信憑性がない
門の本は今読み返すとところどころに妙ちくりんな記述がある >>日プロ幹部から「君は猪木になら勝てるだろうが豊登に勝てるかね?」とたしなめられた
♪馬場よりよ〜わ〜い豊登〜 って歌があったが >>7
https://twitter.com/jumpwith44/status/1253263329704808449
日刊スポーツか
ジャスト頑張ってるな
今は阿修羅原に興味津々みたいだけど、いずれ世代を超越した故の彼ならではの独自の視点で原についても何か書くだろうな
パクリ得意な全日本系老害ヲタみたいにネットや古本漁って見っけたパクリコンテンツばっかしじゃいくらイキってTwitterに書き込んでも
終生、書籍化はされないって事だよな(笑)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>486
馬場は生活のためというのは本当だが
給料はいくらですか?
と力道山に言うんだからな。 >>492
ポイントは「生活のため」ってとこじゃなく
「泣き付いた」ってとこだろ。
理解力0か。 >>488
今になってだけど、星タイツ、ローリングドリーマー時代の鶴田は凄いと気づいたし、その試合も面白く見れる。
もともと体力があって動けるし、体も肉がついてそこらのパワーファイターより力があるし、
マスカラス並みのフォームの空中殺法を事もなげにやっちゃってる。
もうちょっと後のブロディもあんな感じになるけど、鶴田の後追いだったのかな。
この時期はブッチャー、マードックとのUNめぐっての陥落→奪還戦とか、一連のドクとのシングル戦。
テリー軍団vsブッチャー軍団の総力戦て感じだった第8回CCでそんなテーマ吹っ飛ばした優勝決定戦とか名勝負も多いな。 >>479
二代目若乃花は素質はすごいものがったし
成績も地味ながら安定してる
ある意味では角界のジャンボ鶴田 眼帯をつけたスレーターをフォールして念願の初優勝って、あんまりの結末だよな。
せめてクイックでもテリーを決勝フォールとか、ドラマティックな結末があればイメージも違ったのに。
馬場がスレーターに負けとか、リーグ戦関係ないシークの乱入が目立ったシリーズの印象しかない。 馬場がテーズにや猪木がバレンタインに勝った時みたいな
大物を倒して新時代の扉を開いた的な鮮烈な印象を残す試合が鶴田にはないんだな
与えられたものをただ平凡にもらってるだけというか
ドリーやブリスコに勝ってベルトを取った時もなんか印象が弱い
馬場がもっとブックを考えてやるべき話だと思う >>496
馬場は結局リング上もリング外も真に後継者を作ろうとしなかったとしか思えない。
いつまで自分がトップにいていつ頃バトンを渡すかとかも日テレに外堀を埋められて
という感じだし、会社の経営は誰に任せるかとかを最後まではっきりしないままで
なくなった後の分裂を引き起こした責任は大きい。 新日が猪木アリ戦が終わったあとに
ネタ的に手詰まりになってた時期が
全日が鶴田を売り出すチャンスだったんだが
結果的にはうまくいかなかった >>496
あのスレーターをフォールしたジャーマンスープレックスは
語り草になる程だろ。 鶴田はずっとメイン張るけど
馬場が色々警戒して負けブック呑まないから
全ておかしくなっただけじゃん
実質、三沢だけだぞ
馬場からピンフォール奪った日本人
天龍は無理やりだし
馬場は自分の値打ちを
誰よりも理解してたから前座に引っ込んだけど
10年遅いわ
ハンセン取った段階で
自分がでしゃばらずに鶴田に迎撃させて
猪木やIWGPとの対比で
鶴田を格上げすべきだった
自分が復活して
延命するつもりだったんだろうけど
自分は負けて下がって鶴田にやり返させる
それが出来なかった >>500
フィニッシュは見事かもしれないが、あの日のジャンボは片目のスレーターと試合してるんだよ。
眼帯つけたスレーター相手に念願の初優勝を飾る、なんてブックは絶対に理解できない。
あの頃の鶴田は、万全のスレーターにフォール勝ちできないような扱いではなかったはずじゃないか? >>500
相手がスレーターではなく
テリーかブッチャーだったら
鶴田は即座にエースになれたと思う
スレーターに勝って優勝ではインパクトが弱いし
結局その後の興行につながっていない >>482
開幕戦ならともかく、大会当日に
カード変更を迫るなんて嫌がらせとしか
思えないね。 鶴田対スレーターが優勝決定戦になったのも、スレーターが馬場に黒星つけて阻んだからなんだよね。しかも乱入絡みのごっつぁんリングアウト勝ちだった。
「馬場にアクシデント気味に勝って優勝決定戦に進出できた片目負傷してるスレーターに勝って初優勝」、これじゃ鶴田のイメージアップにはつながらないよね。
馬場は衰えてたとはいえ、そう簡単に鶴田に主役の座を渡したくないって意地があったのかな。 テリーが鶴田の負けるのを拒んだというより
馬場が決勝でテリーに勝つ£゚田という図式を嫌がったようにしか思えない
馬場本人が直接負けるのは勿論、テリーやブッチャーといったエース級外人に
政治力使って中々勝たせなかった卑劣なやり方見てると猶更そう思う
セコンドのテリーにブッチャーの足引っぱらせてピン勝ちって
いつから鶴田はヒールになったんだよつて 日プロ残党にパートナーは大木さんか上田にしろて詰め寄られたん
そりゃ日プロ残党切り捨てたいな >>506
テリー乱入して鶴田ブッチャーにフォール勝ち、レイキャンディ間に合わず。あったね。
会場は異様に盛り上がってたけど、試合やってた鶴田じゃなくて乱入したテリーが主役だったもんな。
馬場は鶴田に「抜かれてない」イメージ作り必死にしてたよな。
鶴田がロビンソンに2フォールで勝つのもロビンソンが全日本参戦してから数年かかってるし。
馬場自身ロビンソンとそう絡まなくなってたころだし。
鶴田がレイスに勝ったのも82年のUN戦が初めてかな。
鶴田がレイスに勝った直後に馬場がレイスに負けてPWF失ったのはびっくりしたが。 >>501
は?馬場は比較的早くトップ退いたろ。
猪木なんかダラダラセミリタイアするまて譲らんかったやろ。 >>508
馬場はタッグで、三本勝負の一本だが、ちょいちょいロビンソンにフォールされてたやろ。 ニック相手だったのが問題なんだろ?馬場がほとんどシングルで絡んでいない相手に勝っても、
世代交代を感じる人なんかいない。そんな相手だと馬場の価値も下がらないと考えたわけだな。 >>507
馬場にしてみりゃ全日旗揚げの時に袂を分かった連中だし
日テレにしてみりゃ自分たちに不義理してNETについて、そっちからも
見放されて出戻ってきた連中だし、
契約上身受けしないといけなかったとはいえ、配慮する必要は全くないわな
せっかくファクンス呼んだのに、馬場大木組とか馬場上田組とか
ワクワク感ゼロだわ。パートナーは鶴田一択! >>511
余りにも遅すぎる
その時点で鶴田は何年目だよw 60分3本勝負のときはダメージを最小限に抑えるために2本目はすぐにギブアップする頭のいいジャイアント馬場 馬場大木組でインタータッグ王者が務まるなら
まず、1972年春、BI砲から同タッグを奪った
ファンクスに対して、馬場大木組で奪回しているはず。
大木は、まずこの時点で、ずーーと後輩の坂口に
追い越されていた。 本当に鶴田って、UNを獲った時も、チャンカンを制覇した時も、インターを
獲った時も、そしてAWAを獲った時も、まるで同じ写真みたいに同じ構図で
肩車されて「これで鶴田の時代が来る!」とマスコミに持ち上げられて…
結局それっきり、という時間を延々と繰り返したレスラーだったからなあ
黒タイツ+テーズ式バックドロップ伝授+日本人初のAWA奪取&防衛、
というエース養成セットをお膳立てしてもらってどうなったかというと…
1984年5月、鶴田が若いNWA王者ケリーに挑戦したのが、マーテルに負けて
AWAを失ってから一週間ちょっとしか経ってない時の試合だったんだな
05月13日 鶴田、ミネソタでマーテルに敗れてAWA王座陥落
05月22日 鶴田、田コロでケリーのNWA王座に挑戦し、1-1から両リンで奪取失敗
そしてこの翌日、翌々日に
05月24日 フレアー、横須賀でケリーからNWA王座を奪取
05月25日 フレアー、船橋でレイス相手にNWA王座を防衛
これだけでも主役の座からフェードアウトの雰囲気が甦ってくるのに
07月31日 鶴田、蔵前でマーテルのAWA王座に挑戦、両リンで奪取失敗
10月11日 鶴田、大阪でマーテルのAWA王座に挑戦、リングアウト勝ちも奪取失敗
と、小さいマーテル相手にかつての「主役になれない善戦マン」に逆戻り。
しかもこの夏、馬場はハンセンをフォールしてPWFを奪還、三沢タイガーが
デビュー、スミス・キッドが全日に参加、トドメとばかり長州らジャパン勢が
全日に実質移籍と、鶴田のAWA戴冠はそれまでのUNやらと同様の
「忘れられた過去の栄光」になりかかってしまうところだったという。 「鶴龍コンビ」が最強タッグで超獣コンビに勝ってスポットを浴びたのは
覚えていたけれど、鶴田がマーテルに負けて帰国したばかりの5月20日に
馬場が返上したインタータッグを争って鶴龍とシン・上田で王座決定戦
やってたんだな、すっかり忘れてた。
ところが新世代を華々しく飾るはずの鶴龍コンビは、いきなり無効試合で
王者になれず、6月の再戦でも両者反則で王座は空位のまま
結局9月にブロディ・ブラックウェル組に勝ってやっとタッグ王者になれた。
ところが最強タッグがあったとはいえ翌年まで防衛戦は10月に富山で
ヘイズ・ゴディとやった一度だけ。
やっと脚光を浴びたのは、初来日のウォリアーズと対戦した翌年3月で
この頃には長州軍がやってきて、入れ替わりでブロディが新日に転出、
全日マットはゴールデン復活を機に軍団抗争と多彩な王座が入り乱れて、
タッグとしての鶴竜は評価を得たけど、鶴田個人はますます埋没して
いったという感じだった
鶴田のインター防衛戦も、84年10月から85年3月までの相手はゴディが3回、
スレーターとレイスが1回という、かつてのUNと大差ない扱いになってしまって、
歴史の重みもへったくれもない扱いに近い。
そしてこの後はハンセンのAWA、天龍のUN、長州のPWFとの三冠統一路線
まっしぐら。 消化不良試合を続けてファンに「帰れ」コールを浴びたあげく、
ハンセンに奪取されてしまうありさま。
日テレも本気で鶴田を売る気が失せたんじゃないかと思わせるほどの
迷走ぶりだったなあ。 鶴龍vs長州、谷津のインタータッグ2連戦が象徴的だったな
最初に鶴田が前哨戦で長州を負傷させたという設定で
「今度の鶴田は違う」と思わせておきながら
2戦終わってみれば4人の中で最も印象が薄くなるというオチの・・ >>509
猪木はIWGP舌出し失神とかの失態やら
フォール敗けで長州、藤波には華持たせてるで
実質タイトル移動も興行的に駆引きする
馬場の負けブック呑まない感じは異常やで
半分は安定志向の日テレの意向やろうけど
ハンセン来たとき
誰が馬場に相手して欲しかった人間居る?
結果的に以外と動けるやんで一時的に再生して
結局退くきっかけにしただけだし
馬場なんて力から見たら最後の栄光は
ブリスコとのNWAより前やん
興行会社なら先の事考えて
鶴田と天龍伸ばさんかいな
その辺の裁量が馬場と日テレに有るから
変なプライドが邪魔して子分が伸び悩む
猪木とか新日の営業はその辺
負けても更に客の興味を膨らましてって
営業戦略には長けてるよ
外して暴動も起きるけど(笑) 10番勝負開始から77年夏の田コロのマスカラス戦までは
全日も鶴田を大会場メインで推していこうと言う意思は見えるんだけど
ここから5年くらいが全日内部でどういう方向性で行きたいのか迷走してるんだよなあ
いくらファンクス、ブッチャー、マスカラスに人気があっても
毎シリーズ呼べるはずもないし
外人だからストーリーの中心に持ってくるのは無理がある AWAはニック相手に「反則負けで移動なし」で防衛したときはある意味溜飲下がったよw
奪われたマーテルとはやりすぎだろう。乱発したのが逆に良くなかったと思うわ。「結局奪回できないのか」とガッカリしたよ。
数年経って日米レスリングサミットのタッグマッチでマーテルからフォール取って勝ったけどなにか微妙な気持ちだった。 マーテルには85年9月にアメリカで挑戦してピン負けもしてる。
以前つべに動画があったが今もあるのかな? >>521
そうかな。
猪木は75年3月から83年6月まで8年間
シングルフォール負けなしの偉業を達成してるんだかどw
この間はリングアウト、反則以外の負けはなし。
83年6月のホーガンへのKO負けで、やっと負け。
これは日本プロレス史上最長の「フォール負けなし記録」とみていい。猪木の負けブック拒否こそ異常。
馬場は勿論この間、ドリー、ジャガーズ、スピリット、大木、デストロイヤー、レイス、スレーター、レイス、ブロディ、レイスと、ハプニング的なものも含めて、10回のシングルフォール負けをしている。 探したら見つかった
Rick Martel リックマーテル vs Jumbo Tsuruta ジャンボ鶴田 (09/29/1985)
https://www.youtube.com/watch?v=9-_hDl2k374 >>525
馬場は相手ほぼ外人やん
あ、大木も外人か(笑)
自身にもうメイン張れる説得力無いのに
外人頼みなのが日プロからの流れ引き摺ってる
当時の全日の中継とか見るの辛いのはソコよ
誰も馬場に期待してない
もう馬場メインで
お客さん沸かせる説得力無いし
既にラビット関根の物真似で
ロートルのヨボヨボ爺さん扱いなの
無視したらイカンよ
実質興行の核が名勝負数え唄とかに移行した
新日とはやはり鮮度で差が有る
異種格闘技路線とかから
体力的な衰えカバーして興行考えてるやん
実際の知名度とか人気じゃなくて
藤波やらタイガーやら長州やら仕掛けないと
延々看板役者のポスターで
大衆演劇のどさ回り続けるだけ
俺が出続けなきゃ団体の存亡がって
力道山からの勘違いの連鎖だよ
結局、三沢まで引き摺って系譜は途絶えた >>527
このおっちゃん時系列とか無視しとるわw >>484
> >>480
> 大木、猪木との道場セメントマッチで、馬場が一番弱かったって書いてるだろが。
長年語り継がれてたが猪木がアッサリ否定したよ
知らない覚えてないって
作り話だよ ちなみにこの間に猪木がリングアウト負けした
相手も、ほぼ外人であるw
75年 大木 クラップ
78年 アンドレ
80年 ハンセン
81年 ハンセン
82年 アンドレ 木村
76年、77年、79年は反則負け以外負けなし。 猪木はタッグで77年に、?・スーパースターの空中首折りでピンされ、
P・パターソンの足四の字でギブアップしてる。 猪木がオレ一番無敗路線。
これはナンバー2以下が、
ご隠居坂口は置いておき、
藤波、長州、マサ斎藤、前田、とコマが多かったから
高みから見物しながら闘犬やらせて、横並びさせて時々代表
旬を上がってこらせて延髄葬や巌流島、で1トップ維持。
それ以外は未知の強豪外人退治役。
ナンバー2以下のコマが多かったからできた事。
馬場はナンバー2以下は鶴田と外人しかいないから、
鶴田が外人と賑わったら馬場のトップ感がなくなる。
鶴田善戦マン戦略しかない。鶴田は若すぎた。
キムドククラスの実力者がもう2人いれば違ったがね。 >>512
確かに馬場はニックとほとんどからんでないね。
日プロ時代まで知らんが、全日ではシングルないかも。
年齢的には明らかに鶴田より馬場のライバル設定のほうがしっくりくるし、
同じダーティチャンプのレイスとはあれだけ手があったんだから
ニックとも手があったはず。もったいないと言えばもったいない。
>>520
あのインター2連戦は4人の中で一枚落ちだった谷津の
格上げが目的だったんだろうけど、格上げのためには
シングルでも実績が必要だったな 1979年にミネアポリスで馬場とボックウィンクルやってるな。
馬場がリングアウトで負けたように見えるけど、鉄柱攻撃で反則とられるみたいだな。 >>531
マスクド・スーパースターを忘れたんか、、、 >>533
最強タッグ(78年、80年)で2回シングルで対戦している。後昭雄の話が事実なら
ニックからベルトを奪うのは馬場だったかもしれないけど、馬場と昭雄のやりとりとか
読んでみると馬場も老害感が漂っているようで悲しいな。 >>529
そりゃそうだ。
そんな意味の無いことするわけない。 >>512
バレンタインは力道山のライバルだったんかよ?
都合よくコロコロ条件変えるなよ。 >>514
猪木がトップ譲ったの何年目だ?
アホか。 >>521
お前、ウソばたかりやな。
百回言ったら事実になるってのほ朝鮮人のやり方やぞ。
データ披露してコテンパンにしたやろうと思ったが、
>>525が書いてくれてた。ありがとう。 >>527
お前話がとっちらかって、何が言いたいのかわからん。
ポイントを明確にせよ。
何でもいいから馬場を貶めたいというなら帰れ。 鶴田のAWA王者期間は、始めからマーテルの繋ぎとして決まっていたのか、
本当はもう少し長い予定だったのが、評判が悪かったので短縮されたのか、
どっちだったんだろう?
もう少し長く王者でいれば、その後の展開も変わったのかもしれないけど >>543
当初の予定通りでしょう
あれ以上長期間日本を留守にさせるのはおそらく不可能だったし。
タイトル置いて戻ってきたところを「世界を獲った男」として
プッシュする予定だったんじゃないの?
結果的にそうは問屋が卸さなかったが。 >>484
モロウスキー戦が一番の〜
というのは嫌味な面はなくはなかろうけれども、
それよりもインタタッグ戦よりも、ずっと驚きやインパクトがあったよ、知らねえだろなぁ
っていうマウントだ。
マウントも偉いことはないがだからといって嫌味だと切り捨てていては見えなくなるぞ。
>>500
で、これは嫌味だよね?
あんなスレーターが二歩三歩バックしてきてくれて放ったジャーマンを語りぐさにしては
いかんだろ。
もしも「鶴田の語り草になった必殺ジャーマン」なんて動画サイトに載ったら
スレーターが投げられに寄ってきたよwwwなんて書かれるぞ。 新日の営業「社長がメインじゃないとチケット売れませんよ〜」
全日の営業「社長がメインじゃチケットが売れませんよ〜」 >>546
蔵前のファンクス大ブレイク以降ね。
だが、馬場が来る!ってインパクトは地方じゃ凄かったぞ。
馬場に鶴田にブッチャーな。これで大人爺さん婆さん確保。
テリーとマスカラスがいれば少年、ちびっこが連れてってと親にせがむ。 新日は猪木、シン、アンドレ。
藤波?誰それ?
だったなあ。
タイガー登場以降は別ね。 >>519
その時期の三冠統一路線はハンセンのAWA、鶴田のインター、長州のPWF
天龍のUNはマシン、谷津、シンとの防衛戦で統一とは全く無関係
天龍自身はハンセンのAWAに挑戦(既に剥奪されてが)したけどUNとのWタイトルではなかった >>526
当時のゴング誌にはハメられた的な書き方だった
鶴田がフォールの時はスロー、マーテルがフォールの時は高速カウント
同日ウォリアーズがガービン&リーガルにイカサマレフェリーでAWAタッグ獲られた試合と合わせて >>543
シカゴやセントポールの大会場を満員にしてるんだからガニアは何の文句もないはずだよ マーテルはガニアから突然告げられたと言ってるが
、候補として数名はいたかもね。
ただ鶴田が長期政権を取るのは全日がある限り無理。 >>551
マーテルがベビー、鶴田がヒールだからあっちのファンは喜ぶ。鶴田が阿部四郎を連れていかないかぎり。 マスクもいいし、性格もいいので引き上げられたのかね、研ナオコ似の奥さんも
大事にしてたみたいやし。
でも転落後は長州、佐野にピン負け、アメリカでもチャンピオン級の扱いでは
なくなった。 >>525
ちょっとスレ違いだが、
フォール負けをしない「絶対王者」と言えばルーテーズ、
1948年6月〜56年3月までNWA世界王者だった。
それでも、7年9か月、猪木に及ばないのか!?
王座獲得の’48年6月前から「フォール負け」なし記録が
続いていたなら別だが。
その間、‘55年3月にレオ・ノメリーニに負けて、世にいう
「938戦不敗記録」は破れているが、これは反則負け。
WWWF王者だったブルーノ・サンマルチノも‘63年5月
(対Bロジャーズ)から71年1月のイワン・コロフ戦まで
フォール負けはないだろうな。
リングアウト負けはよくあるが。 >>556
爽やかだし、攻めるチャンピオンで良かったけどね。
フレアーとの統一戦でも株を上げた。
ゴングの年一回の人気投票でも、ハンセン、ホーガン、ブロディらに次ぐ順位だったよなあ。 力道山は57年10月にテーズに地方遠征で負け、63年5月にデストロイヤーの4の字で負けてるのかな?
それなら5年7か月で、猪木の8年シングルフォール負けなしには及ばないw
外人でいうとアンドレを別にすると、ブロディが
81年4月の馬場戦から88年4月鶴田戦までシングルノーフォール負けで、7年か。
つくづく猪木は偉大だw >>556
90年のレスリングサミットにヘニングとの元王者コンビで参戦したが
同じく元王者鶴田のバックドロップに敢え無くピン負け
4人中3人が元AWA王者という豪華な顔ぶれだったが、
当時AWAはまだ存続していたのに、実況はそのことに一言も触れず。
他団体の興行とはいえ、その時点でもう全部リセットされてたんだな。 ボクシングならともかく、プロレスの連勝記録に何の意味があるの?
幻想が持てた時代ならわかるけどw >>551
鶴田AWA圏遠征中に如何にもそれらしいインタビューが行われてるね。
https://www.youtube.com/watch?v=xcMaHsAP5Jc
ブレアース「PWF会長の私は、確かに東京での世界タイトル戦を目撃しました。
こちらが誰もが認める世界王者・ジャンボ鶴田です。」
ニック「誰もが認める?そんなことは認めんぞ。日本に着いたらルールが変更になってるじゃないか。
カウントアウトでタイトル移動。反則負けでもタイトル移動。テリー・ファンクというレフェリー。
スタンリー・ブラックバーンの故郷のアマリロ在住で、ランザとマリガン(この時2人はニックと抗争中)
の親友じゃないか。彼がレフェリーだったんだぞ。しかも、ヒーガンは自分と一緒に日本に入ることを
許されなかった。誰もが認める?大いに異議ありだよ。」
ヒーナン「ジャンボツルタが実力でニックを倒したようなことを言っているが、自分は日本に行けなかったし、
ルールは変更されていたし、レフェリーは2人、すべてAWAのブラックバーンとPWFによる陰謀だ!
ニックを丸腰で日本を去るように仕組んだんだ。ヒーナンファミリーに対する完全なる陰謀だ!
この男が正当な王者と言うなら、あなたは完全に間違ってるよ、ミスターブレアース。」
ブレアース「そのような発言はすべて非現実的ですよ。この男は間違いなく誰もが認める世界王者ですよ。
日本からわざわざ来た王者にアメリカのファンへコメントをさせてあげてくれますか?ジャンボ、コメントをどうぞ。」
ヒーナン「直ぐにリマッチを中立ゾーンでやらせてくれ。日本じゃなく、自分たちが今度は場所を選ぶ。」
ブレアース「ジャンボは『サヨナラ』と言いたいみたいですよ。サヨナラ。」
>>556
>研ナオコ似の奥さん
確かにw
当時は鶴田も新婚で「お互いに奥さんの写真を見せ合った」と鶴田が亡くなった時マーテルが言ってたね。
>>558
ハンセンは「リック・マーテルとトミー・リッチはあの時代(80年代前半)の二大全米ベビーフェイス」と評価している。 >>561
ブロディに16秒負け
Bruiser Brody vs Wayne Ferris (All Japan April 2nd, 1981)
https://www.youtube.com/watch?v=gBQkjrqlyHw >>562
馬場の負けブック拒否は異常、と言ってた人が
いたから、それどころではない猪木の例を
出しただけだがねw
まあ「人気があって」「俺が俺がという性格」を
合わせ持つレスラーでないと達成できない記録では
ある。 >>553
もしジャパン勢がもう少し早く全日に来てたら鶴田はAWA圏に腰据えて暫く王者やれたかもな
全日勢が手薄だが馬場も積極的に対戦すれば何とかなる >>567
そうなったら、凱旋帰国した鶴田と長州の一戦で
「日本の長州、世界の鶴田」って倉持アナの実況が
一段とテンション上がりそうw >>561
>>565
日本で白星配給王だった外人レスラーがその後大スターになり、
日本のマスコミもその点については無かったこと扱いに近い形で
触れない、って結構あるね
アメリカではスターに手がかかってるんだけど、ベルトでも巻かない限り
日本では向こうの格を無視する、っていうのは若手に限らないことで、
すでにあちらでは大スターなのに
「レベルの高い日本では通用しない!」
ってスタンスで無視するっていう
日本の鶴田天龍クラスが向こうでは白星配給王をさせられるようにもので、
プロレスっていうのはそういうものだ、と言われればそれまでだけど…、
っていう話はこのスレでも一週間前くらいに語られてたな チャンカンの噛ませ犬役というと、第三回大会ではボブ・オートン、
スティーブ・カーン、マイク・ジョージの若手三人とマーク・ルーイン
という豪華な顔ぶれが全てトーナメント一回戦で敗退
初の総当たりになった第四回大会ではラリー・シャープが全敗、
ラリー・レーンがそのシャープに勝っただけで残りは全敗
第五回ではレッド・ウルフことロス・バッキンガムが全敗、その
ウルフに勝った以外全敗がホセ・ゴンザレス
その二人相手以外全敗がビル・ホワイト
第六回大会ではフランク・モレルが全敗、テッド・デビアスも
小鹿大熊羽田あたりに勝たせてもらったくらいで噛ませ犬
第七回大会はビッグ・レッドが全敗、ドン・ミラノ、ビリー・
フランシスが白星配給係 鶴田が優勝した第八回大会はカール・ファジーが全敗、
ミステリアス・アサシンことボビー・ジャガース、意外に
レイ・キャンディが白星配給係
第九回大会は初の全敗無しで、最下位のウェイン・ハリスが
大熊に勝ち、ブリスコと引き分けてる
日本人最下位の大熊はトンガと小鹿に勝ち、小鹿と羽田は
揃って石川に勝っている
この辺りでベタベタな噛ませ犬は無くす流れになったみたいだ
新日のMSGシリーズなんかは、そのMSG現地では大人気だった
ストロンポー、ガレア、トップヒールだったアンアンシーク、ムラコ、
ロスの帝王のチャボあたりを白星配給係にしていたのに比べると
全日は適格というかザコが多すぎたというかw >>571
昭和チャンカン最後の十回大会のビル・ハワードが阿修羅原に不戦勝以外は全敗
中堅日本人に一つも勝たせてもらえなかったのは不可解だったな >>491
我ながらこれ、姑息なパクリ蘊蓄ひけらかしマニアヲタ特有の奇妙な承認欲求を浮き彫りにしていて何度読んでも笑いがこみ上げてくる
こういう視点で該当するヲタのTwitterアカウントを見る度に、何年も同じパターンで承認欲求満たそうとするヲタの悲哀が偲ばれてニヤニヤが止まらないなw
ネットや古本、古雑誌とかの二次情報ばっかりネットに書き込んでるブログ書きとかも
最近はTwitterなんかじゃ関係者やらにめっきりRTされなくなったな(笑) >>570
第六回はルーク・グラハムが大熊に勝っただけの勝点2でブービー
WWA世界ヘビー級、WWA世界タッグ、初代WWWF世界タッグの実績
帰国後はバックランドのベルトに何回も挑戦してるのに >>560
だいぶカットしてたからな。
触れてるかもしれんよ。 >>562
お前は誰に何を言ってるのだ?
話の流れを理解せよ。 >>570
>第三回大会ではボブ・オートン、スティーブ・カーン、マイク・ジョージの若手三人
これに加えて鶴田でUN決定戦をやってたらいいようなメンバー。
実際は時期が違うけどね。
というかブリスコとやるよりもフレッシュかつ映える。 >>575
ああそうだ。
この回はジョナサンもイアウケアもパッとせず、ブッチャーの
一人舞台の外人勢でかなりもったいないシリーズだったんだね。
ボブ・バックランドと言えば1974年から75年にかけて立て続けに
全日本に来日してる(オートン、カーン、ジョージが来日する直前)
初来日の時は一緒に参加したボブ・ループよりもはるか格下で、
サンディー・スコットと並ぶやられ役担当だった。
この年にはスタン・ハンセンも全日本に来ていて、やられ役専科
だったハンセンが、半年後にはMSGでサンマルチノの挑戦者として
首折り事件を起こし、その2年後にはバックランドが王者になった。
イワン・コロフもレッド・マクナルティとして日プロにいた頃はただの
やられ役だったのがすぐにサンマルチノを苦しめるトップヒールに
なって、ちょうどこの頃に「世界のプロレス」が放送されたため、
日本とアメリカの格の差がファンにも知れ渡ってしまうことに。
まあテリトリー制というのは、隣の地区でどんな試合をやっているか
レスラーがどんな扱いを受けているか知られないことが前提のシステム
だったわけで、そういうことも含めてプロレスの楽しさなんだろうけどね。 >>579
>まあテリトリー制というのは、隣の地区でどんな試合をやっているか
>レスラーがどんな扱いを受けているか知られないことが前提のシステム
動画が普及した今はもう無理だね。地元の英雄が実は他地区では
かませ犬だったとか、検索すれば一発でわかってしまうし
これって総格でも同じ問題があるらしく、動画の普及に伴い、
海外の格闘家が負けブックを飲んでくれなくなったため、マッチメークに
苦労するようになって人気低下の原因になったらしい カネックが日本での雑魚扱いも飲んでいたのは
「日本の試合の勝敗なんてメキシコじゃ知られてねえよ」って安心感があったからだろうね カネックとソリタリオがタッグを組む、なんて当時のメキシコでは考えられなかっただろうな。 鶴田のAWA戴冠直前にブロディが
「俺の挑戦を受けて俺を倒してインターを守ることと、老いぼれニックからAWAを獲ること。
どちらにより高い価値があるかは日本のファンがよく知っている」なんて辛辣にコメントしてたけど
確かにそういう面もあるな…
それでもベルトを獲られる(AWAに返す)相手はニックより、スターになる可能性、伸びしろの面でマーテルの方が良かったか。 普通にAWA世界ヘビー級王座奪取の方がインタータイトル防衛よりも
値打ちありそうだな。マサ斎藤がAWAとった頃はもう値打ちないけど。 >>582
昭和の日プロ、馬場がインター王者で
WWWF王者のサンマルチノやNWA王者の
WWA王者mブラジル、キニスキー、ブルーザー、
エリックといったアメリカの大物がリングアウト含みながら
1−2で負けているが、本人も「こんな日本の
結果なんかアメリカには伝わらない」と
多寡を括ってたことだろうね。
そして、日本のファンは「アメリカの世界王者をも
倒している!」「本当に強い!」と錯覚を起こしたんだろうな(^^: マサの戴冠は店仕舞間近のAWAが
貢献したレスラーに功労賞をプレゼントって感じだもんな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています