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現実でも、血縁者は寄り付かないけどよく遊びに来る近所の子供とかいるじゃん。
最終的にその子に遺産が渡って揉めたりとかさ。 >>462
全然違うじゃねえか
https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/273886/
直接に英才教育を施された最後のレスラーでもある。
長男は故ジャンボ鶴田さん、次男は故三沢光晴さん、三男・川田利明、四男・小橋建太、
そして最後の五男坊が秋山…元子夫人は独特の表現で、秋山への思い入れを語った。 >>456
その大物外人たちと及第点なプロレスができてたのが鶴田のすごいところなんだよ、あのキャリアで。 >>436
妹はそれを嫌って兄の結婚式をtテレ朝の海外取材を理由に欠席したと言われる
>>437
事件直後に鶴田は泣いていた・・・
射殺現場のダコタアパートとMSGはかなり離れている。タイムズスクウェアから
MSGは徒歩でも行けたけど。MSGのガイドツアーに参加したら地下の小ホールも案内
されてゴングではそこでもプロレスやボクシングに試合が行われたと紹介されていた。
>>439>>456
日テレ・原Pも「促成栽培で無くヒールとした客に反応を見ながら会場をヒートアップ
させるテクニックを数年かけてじっくり身につけるべきだった」と残念そう
だった。新人時代の原はテーズに「直接、自分の手元でじっくり育てたかったがヨシワラ
が許してくれなかった・・・肉が固く付きすぎたきらいはあるがいいレスラーになった」
と高評価されていたが国プロは既に無くリップサービスの必要は無いのにハンセンの
首折りの餌食に天龍となっていた頃のインタビューだったからかなり違和感があった
>>442
殴打までされたかはわかないけど「パートナーに大木さんか上田!」と日プロ残党組に
詰め寄られた馬場が「"全日百年の大計"のために絶対に譲れなかった!」と自著に
書いていた。この判断は間違ってなかったし「馬場・大木vs.ファンクス」では・・・ >>466
次男が天龍で…っていう表記も確かにあったぞ。
そのときの人間関係で、そりゃ違うだろ。 >>468
蔵前のメインとしては地味だけど
馬場大木で勝てず、大木上田でも負けて、とでもなって
こうなりゃ若さに賭けようと鶴田を抜擢して奪取、でも時間的には変わりないんだけどね。
結局、一年以上ファンクスに預けていたんだし。
想像してみたら
馬場大木×ファンクス
デスト×マスカラス
鶴田×モロウスキー(後楽園での一戦は流に鶴田一番の好勝負と評されている)
これで「大木じゃあだめだな、あのセミの前でスープレックスをばんばんやっていた若い衆はいいんじゃね?」
となったかもしれないし。 >>470
他所から来たって、鶴田もアマレスから来たし、馬場もジャイアンツから来たし。 他競技の掃き溜めがプロレスだったからなあ。
相撲が最たるもので。
輪島も相撲で弱くなってから(といっても横綱としてだが)
プロレス入りってふざけんなと思ったもんだし。
まあ個人的には相撲移籍組は納得できないなあ。今でも。 >>472
馬場はオヤジだろうが、一緒にするな!! >馬場大木で勝てず、大木上田でも負けて、とでもなって
>こうなりゃ若さに賭けようと鶴田を抜擢して奪取、でも時間的には変わりないんだけどね
馬場がまだ日プロのエース張ってて鶴田が日プロ入りしたんだったらそういう演出もありだけど
舞台は全日だからな。
馬場としても日テレとしても日プロの顔を立てたりアングルに絡めたりする必要性全然ないし
新団体としてのフレッシュさをアピールするにもここは鶴田一択でしょ。
あの日の鶴田のジャーマン見て、ほとんどの客は「すごい新人だ」と満足したのでは?
「あんな若造じゃだめだ。大木じゃなきゃ」と思ったなんて奴ほとんどいないでしょ。 全日本プロレス創立10周年興行蔵前大会には
花籠親方(元横綱輪島」からお祝いの花をもらってるからな。
二子山親方(元横綱初代若乃花)
鳴戸親方(元大関貴ノ花)
横綱若乃花(若三杉・後の間垣親方)
イーデス・ハンソンからもお祝いの花が届けられている。
力道山が二所ノ関部屋ということで相撲関係者は全員が二所一門。それも阿佐ヶ谷系列。
花田まさる氏が相撲協会を退職してアメフトに挑戦したりスポーツキャスターをやったりしていたが
これも日テレのバックアップ。 https://www.youtube.com/watch?v=iu32rZagnDI
ヘーシンクの登場で大歓声w
知名度は鶴田より全然あるし、期待されていたのがよく分かる。
この日、沖レフェリーの引退セレモニーがあったんだよな〜
デストvsマスカラスの夢の対決もあり、5日後の新日最強タッグより
熱気を感じる >>473
まあ相撲は日本のプロレスにとっては
最大の人材供給源なんだから、角界との関係は
いいほうが決まってる
アメプロだって、レスリングよりフットボール出身者の
方が多いのでは?
>>476
輪島とはこの時すでに縁があったのか
まさか本人も数年後にプロレス入りするとは思ってなかったろうけど
二代目若乃花も一時期プロレス転向の噂が流れたな
年寄株取得して自然消滅したけど
>>473
門が馬場についてあることないこと書きまくったのは
この日の沖レフェリーの引退式の舞台裏で揉めたのも一因らしいね
まあ「お前が辞めたせいで食い扶持だった日プロが潰れたんだ」
って恨みが一番大きいんだろうけど >>478
>二代目若乃花も一時期プロレス転向
二代目若乃花は、大関の若三杉時代は
良かったが、横綱に昇進してから、さっぱりダメになった。
本人がプロレスが好きで転向の噂がたったんではなく
相撲でダメだから、プロレス入りしかないだろう?
と言われた。プロレスファンにとっては
大変、迷惑、侮辱的な話だった。 >門が馬場についてあることないこと書きまくった
でも、馬場の「強さ」については、ぼろくそなわけでもないのが
ある意味信憑性あるような、うまいやり方だと思う。
時期によるんだろうが、猪木より弱いとは書いてない。
ただ豊登、大木、マンモス鈴木より弱いと書いているかな。
ピストル外人にはまったく問題にならない、みたいにも。
プロレス365を通読してだが。 >>479
二代目若乃花にプロレス転向の噂が立ったのは、
ふがいない土俵が続き引退の危機が迫ってたのに、
年寄株をまだ取得しておらず、引退後も協会に残れる目途が立ってなかったから
(だから間垣株を取得すると同時に自然消滅した)。若乃花に限らず、
大物力士にプロレス転向の噂が立つときっていつもこんなだよね
>>480
>マンモス鈴木より弱い
馬場の凱旋帰国の一戦で相手を務めた鈴木が馬場を圧倒して面目潰したってやつか
でも当日の試合見てたほかの選手も客も、誰一人としてそんな証言してないんだよな
一緒に海外修行出されて同じテリトリー回ってたのに、一人だけ先に逃げ帰ってきて
「馬場の根性を見習え」とさんざん馬鹿にされてた鈴木が馬場より強いと言われてもねえ >>471
漫画の見すぎ。
現実問題そんな展開あるわけない。
馬場大木や馬場上田わ誰が見たいねん。
客がガラガラで、赤字出たら誰が責任取るんだよ。
それに新団体ってことをアピールするには鶴田という新戦力を起用しないといかんのだわ。
実際に鶴田で正解だったし。
大木使おうなんて、一体誰が望んで、誰に気を使ってるのか。
あと、モロウスキーが一番の名勝負、って、流の嫌味だってのがなぜわからん。 >>477
ヘーシンクが知名度あるって当たり前だろ。
日本柔道がこいつにケチョンケチョンにされたんだから。 >>480
大木、猪木との道場セメントマッチで、馬場が一番弱かったって書いてるだろが。 >>467
若い頃はだいたいどの選手も経験や引き出しが少ない分
格上の達者な選手相手にがむしゃらにぶつかっていき
とにかく出来ること全てを思い切りやってみせるみたいな試合が
ファンや観客の共感を生む良い試合になるもんだけど
鶴田の場合「若大将」「将来のエース」といったイメージと裏腹に
若い頃からマスカラス戦やロビンソン戦テリー戦など
基本的に自分のスタイルややりたいこと、
自分の見せ場を強引にでも優先するタイプの相手と丁々発止
そういう相手にちゃんと「エエカッコ」させてやる試合の方が評価高いのが
よくも悪くも鶴田というレスラーを表している
若いのにそういう錚々たる面々相手に達者に受けてみせてた時代と
ベテランになって下の人間の攻撃を全て受けきったうえで跳ね返す怪物時代
鶴田ファンが評価する鶴田ってだいたいがこの二つの時期のどちらかに集中する
逆に言うと“全盛期”“脂の乗った時期”の
本来レスラーとして一番おいしくて自分を主張できるはずの頃の鶴田は
意外と勝敗の結果とフィニッシュシーンくらいで個々の試合ぶりは印象に残ってないんだよ >>480
門は力道山にスカウトで入門した猪木に対して、生活のため泣きついて
入門が許可された馬場
ベンチプレスで生涯60kgしか上げられなかった馬場
いざという時にはセメントで立ち向かう猪木、セメント恐怖症で尻込みする馬場
力道山が馬場に付けたあだ名が「お化け」「割り箸」「モヤシ」
…等々、散々な書きようw
あとインター王座で力道山1代限りの貸与で900万円、復活で1800万円とか
UNベルトは遠藤幸吉とミスターモトがパシフィックコーストヘビー級ベルトの
スペアにネームプレート部分だけを作り替えデッチ上げたインチキタイトルとか
虚実が混じっているから信じてしまうんだよなw セメントに弱いとかピストルに弱いとかいうのも
無意味な価値観だな。
そんなこと言ってるから、力道山時代には
スターレスラーが生まれなかった。 >>485
印象に残ってないってのは、お前の主観だろ。
総意みたいに言うな。 東京プロレス時代の猪木が馬場を挑発してきて
馬場が「なんで猪木の言いたい放題にさせておくのですか?僕が猪木に負けるわけがない」と言ったら
日プロ幹部から「君は猪木になら勝てるだろうが豊登に勝てるかね?」とたしなめられたって
エピソードもあったな
門の記述と言えば猪木VSアリについて
「あの試合はアトラクションで結果は引き分けと事前に決まっていた。
ボクシング側の遠山が猪木の勝ちに入れてプロレス側の遠藤がアリの勝ちに入れたのはそのためだった。
遠藤は試合後に裏事情を知らなかった新日レスラー達に袋叩きにされた」なんて記述もあったが
新日のレスラー達がそんな裏事情を知らないなんてあるわけがないし
万が一知らされなかったとしても大先輩でワープロ解説者もやっていた遠藤を袋叩きにするってのも信憑性がない
門の本は今読み返すとところどころに妙ちくりんな記述がある >>日プロ幹部から「君は猪木になら勝てるだろうが豊登に勝てるかね?」とたしなめられた
♪馬場よりよ〜わ〜い豊登〜 って歌があったが >>7
https://twitter.com/jumpwith44/status/1253263329704808449
日刊スポーツか
ジャスト頑張ってるな
今は阿修羅原に興味津々みたいだけど、いずれ世代を超越した故の彼ならではの独自の視点で原についても何か書くだろうな
パクリ得意な全日本系老害ヲタみたいにネットや古本漁って見っけたパクリコンテンツばっかしじゃいくらイキってTwitterに書き込んでも
終生、書籍化はされないって事だよな(笑)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>486
馬場は生活のためというのは本当だが
給料はいくらですか?
と力道山に言うんだからな。 >>492
ポイントは「生活のため」ってとこじゃなく
「泣き付いた」ってとこだろ。
理解力0か。 >>488
今になってだけど、星タイツ、ローリングドリーマー時代の鶴田は凄いと気づいたし、その試合も面白く見れる。
もともと体力があって動けるし、体も肉がついてそこらのパワーファイターより力があるし、
マスカラス並みのフォームの空中殺法を事もなげにやっちゃってる。
もうちょっと後のブロディもあんな感じになるけど、鶴田の後追いだったのかな。
この時期はブッチャー、マードックとのUNめぐっての陥落→奪還戦とか、一連のドクとのシングル戦。
テリー軍団vsブッチャー軍団の総力戦て感じだった第8回CCでそんなテーマ吹っ飛ばした優勝決定戦とか名勝負も多いな。 >>479
二代目若乃花は素質はすごいものがったし
成績も地味ながら安定してる
ある意味では角界のジャンボ鶴田 眼帯をつけたスレーターをフォールして念願の初優勝って、あんまりの結末だよな。
せめてクイックでもテリーを決勝フォールとか、ドラマティックな結末があればイメージも違ったのに。
馬場がスレーターに負けとか、リーグ戦関係ないシークの乱入が目立ったシリーズの印象しかない。 馬場がテーズにや猪木がバレンタインに勝った時みたいな
大物を倒して新時代の扉を開いた的な鮮烈な印象を残す試合が鶴田にはないんだな
与えられたものをただ平凡にもらってるだけというか
ドリーやブリスコに勝ってベルトを取った時もなんか印象が弱い
馬場がもっとブックを考えてやるべき話だと思う >>496
馬場は結局リング上もリング外も真に後継者を作ろうとしなかったとしか思えない。
いつまで自分がトップにいていつ頃バトンを渡すかとかも日テレに外堀を埋められて
という感じだし、会社の経営は誰に任せるかとかを最後まではっきりしないままで
なくなった後の分裂を引き起こした責任は大きい。 新日が猪木アリ戦が終わったあとに
ネタ的に手詰まりになってた時期が
全日が鶴田を売り出すチャンスだったんだが
結果的にはうまくいかなかった >>496
あのスレーターをフォールしたジャーマンスープレックスは
語り草になる程だろ。 鶴田はずっとメイン張るけど
馬場が色々警戒して負けブック呑まないから
全ておかしくなっただけじゃん
実質、三沢だけだぞ
馬場からピンフォール奪った日本人
天龍は無理やりだし
馬場は自分の値打ちを
誰よりも理解してたから前座に引っ込んだけど
10年遅いわ
ハンセン取った段階で
自分がでしゃばらずに鶴田に迎撃させて
猪木やIWGPとの対比で
鶴田を格上げすべきだった
自分が復活して
延命するつもりだったんだろうけど
自分は負けて下がって鶴田にやり返させる
それが出来なかった >>500
フィニッシュは見事かもしれないが、あの日のジャンボは片目のスレーターと試合してるんだよ。
眼帯つけたスレーター相手に念願の初優勝を飾る、なんてブックは絶対に理解できない。
あの頃の鶴田は、万全のスレーターにフォール勝ちできないような扱いではなかったはずじゃないか? >>500
相手がスレーターではなく
テリーかブッチャーだったら
鶴田は即座にエースになれたと思う
スレーターに勝って優勝ではインパクトが弱いし
結局その後の興行につながっていない >>482
開幕戦ならともかく、大会当日に
カード変更を迫るなんて嫌がらせとしか
思えないね。 鶴田対スレーターが優勝決定戦になったのも、スレーターが馬場に黒星つけて阻んだからなんだよね。しかも乱入絡みのごっつぁんリングアウト勝ちだった。
「馬場にアクシデント気味に勝って優勝決定戦に進出できた片目負傷してるスレーターに勝って初優勝」、これじゃ鶴田のイメージアップにはつながらないよね。
馬場は衰えてたとはいえ、そう簡単に鶴田に主役の座を渡したくないって意地があったのかな。 テリーが鶴田の負けるのを拒んだというより
馬場が決勝でテリーに勝つ£゚田という図式を嫌がったようにしか思えない
馬場本人が直接負けるのは勿論、テリーやブッチャーといったエース級外人に
政治力使って中々勝たせなかった卑劣なやり方見てると猶更そう思う
セコンドのテリーにブッチャーの足引っぱらせてピン勝ちって
いつから鶴田はヒールになったんだよつて 日プロ残党にパートナーは大木さんか上田にしろて詰め寄られたん
そりゃ日プロ残党切り捨てたいな >>506
テリー乱入して鶴田ブッチャーにフォール勝ち、レイキャンディ間に合わず。あったね。
会場は異様に盛り上がってたけど、試合やってた鶴田じゃなくて乱入したテリーが主役だったもんな。
馬場は鶴田に「抜かれてない」イメージ作り必死にしてたよな。
鶴田がロビンソンに2フォールで勝つのもロビンソンが全日本参戦してから数年かかってるし。
馬場自身ロビンソンとそう絡まなくなってたころだし。
鶴田がレイスに勝ったのも82年のUN戦が初めてかな。
鶴田がレイスに勝った直後に馬場がレイスに負けてPWF失ったのはびっくりしたが。 >>501
は?馬場は比較的早くトップ退いたろ。
猪木なんかダラダラセミリタイアするまて譲らんかったやろ。 >>508
馬場はタッグで、三本勝負の一本だが、ちょいちょいロビンソンにフォールされてたやろ。 ニック相手だったのが問題なんだろ?馬場がほとんどシングルで絡んでいない相手に勝っても、
世代交代を感じる人なんかいない。そんな相手だと馬場の価値も下がらないと考えたわけだな。 >>507
馬場にしてみりゃ全日旗揚げの時に袂を分かった連中だし
日テレにしてみりゃ自分たちに不義理してNETについて、そっちからも
見放されて出戻ってきた連中だし、
契約上身受けしないといけなかったとはいえ、配慮する必要は全くないわな
せっかくファクンス呼んだのに、馬場大木組とか馬場上田組とか
ワクワク感ゼロだわ。パートナーは鶴田一択! >>511
余りにも遅すぎる
その時点で鶴田は何年目だよw 60分3本勝負のときはダメージを最小限に抑えるために2本目はすぐにギブアップする頭のいいジャイアント馬場 馬場大木組でインタータッグ王者が務まるなら
まず、1972年春、BI砲から同タッグを奪った
ファンクスに対して、馬場大木組で奪回しているはず。
大木は、まずこの時点で、ずーーと後輩の坂口に
追い越されていた。 本当に鶴田って、UNを獲った時も、チャンカンを制覇した時も、インターを
獲った時も、そしてAWAを獲った時も、まるで同じ写真みたいに同じ構図で
肩車されて「これで鶴田の時代が来る!」とマスコミに持ち上げられて…
結局それっきり、という時間を延々と繰り返したレスラーだったからなあ
黒タイツ+テーズ式バックドロップ伝授+日本人初のAWA奪取&防衛、
というエース養成セットをお膳立てしてもらってどうなったかというと…
1984年5月、鶴田が若いNWA王者ケリーに挑戦したのが、マーテルに負けて
AWAを失ってから一週間ちょっとしか経ってない時の試合だったんだな
05月13日 鶴田、ミネソタでマーテルに敗れてAWA王座陥落
05月22日 鶴田、田コロでケリーのNWA王座に挑戦し、1-1から両リンで奪取失敗
そしてこの翌日、翌々日に
05月24日 フレアー、横須賀でケリーからNWA王座を奪取
05月25日 フレアー、船橋でレイス相手にNWA王座を防衛
これだけでも主役の座からフェードアウトの雰囲気が甦ってくるのに
07月31日 鶴田、蔵前でマーテルのAWA王座に挑戦、両リンで奪取失敗
10月11日 鶴田、大阪でマーテルのAWA王座に挑戦、リングアウト勝ちも奪取失敗
と、小さいマーテル相手にかつての「主役になれない善戦マン」に逆戻り。
しかもこの夏、馬場はハンセンをフォールしてPWFを奪還、三沢タイガーが
デビュー、スミス・キッドが全日に参加、トドメとばかり長州らジャパン勢が
全日に実質移籍と、鶴田のAWA戴冠はそれまでのUNやらと同様の
「忘れられた過去の栄光」になりかかってしまうところだったという。 「鶴龍コンビ」が最強タッグで超獣コンビに勝ってスポットを浴びたのは
覚えていたけれど、鶴田がマーテルに負けて帰国したばかりの5月20日に
馬場が返上したインタータッグを争って鶴龍とシン・上田で王座決定戦
やってたんだな、すっかり忘れてた。
ところが新世代を華々しく飾るはずの鶴龍コンビは、いきなり無効試合で
王者になれず、6月の再戦でも両者反則で王座は空位のまま
結局9月にブロディ・ブラックウェル組に勝ってやっとタッグ王者になれた。
ところが最強タッグがあったとはいえ翌年まで防衛戦は10月に富山で
ヘイズ・ゴディとやった一度だけ。
やっと脚光を浴びたのは、初来日のウォリアーズと対戦した翌年3月で
この頃には長州軍がやってきて、入れ替わりでブロディが新日に転出、
全日マットはゴールデン復活を機に軍団抗争と多彩な王座が入り乱れて、
タッグとしての鶴竜は評価を得たけど、鶴田個人はますます埋没して
いったという感じだった
鶴田のインター防衛戦も、84年10月から85年3月までの相手はゴディが3回、
スレーターとレイスが1回という、かつてのUNと大差ない扱いになってしまって、
歴史の重みもへったくれもない扱いに近い。
そしてこの後はハンセンのAWA、天龍のUN、長州のPWFとの三冠統一路線
まっしぐら。 消化不良試合を続けてファンに「帰れ」コールを浴びたあげく、
ハンセンに奪取されてしまうありさま。
日テレも本気で鶴田を売る気が失せたんじゃないかと思わせるほどの
迷走ぶりだったなあ。 鶴龍vs長州、谷津のインタータッグ2連戦が象徴的だったな
最初に鶴田が前哨戦で長州を負傷させたという設定で
「今度の鶴田は違う」と思わせておきながら
2戦終わってみれば4人の中で最も印象が薄くなるというオチの・・ >>509
猪木はIWGP舌出し失神とかの失態やら
フォール敗けで長州、藤波には華持たせてるで
実質タイトル移動も興行的に駆引きする
馬場の負けブック呑まない感じは異常やで
半分は安定志向の日テレの意向やろうけど
ハンセン来たとき
誰が馬場に相手して欲しかった人間居る?
結果的に以外と動けるやんで一時的に再生して
結局退くきっかけにしただけだし
馬場なんて力から見たら最後の栄光は
ブリスコとのNWAより前やん
興行会社なら先の事考えて
鶴田と天龍伸ばさんかいな
その辺の裁量が馬場と日テレに有るから
変なプライドが邪魔して子分が伸び悩む
猪木とか新日の営業はその辺
負けても更に客の興味を膨らましてって
営業戦略には長けてるよ
外して暴動も起きるけど(笑) 10番勝負開始から77年夏の田コロのマスカラス戦までは
全日も鶴田を大会場メインで推していこうと言う意思は見えるんだけど
ここから5年くらいが全日内部でどういう方向性で行きたいのか迷走してるんだよなあ
いくらファンクス、ブッチャー、マスカラスに人気があっても
毎シリーズ呼べるはずもないし
外人だからストーリーの中心に持ってくるのは無理がある AWAはニック相手に「反則負けで移動なし」で防衛したときはある意味溜飲下がったよw
奪われたマーテルとはやりすぎだろう。乱発したのが逆に良くなかったと思うわ。「結局奪回できないのか」とガッカリしたよ。
数年経って日米レスリングサミットのタッグマッチでマーテルからフォール取って勝ったけどなにか微妙な気持ちだった。 マーテルには85年9月にアメリカで挑戦してピン負けもしてる。
以前つべに動画があったが今もあるのかな? >>521
そうかな。
猪木は75年3月から83年6月まで8年間
シングルフォール負けなしの偉業を達成してるんだかどw
この間はリングアウト、反則以外の負けはなし。
83年6月のホーガンへのKO負けで、やっと負け。
これは日本プロレス史上最長の「フォール負けなし記録」とみていい。猪木の負けブック拒否こそ異常。
馬場は勿論この間、ドリー、ジャガーズ、スピリット、大木、デストロイヤー、レイス、スレーター、レイス、ブロディ、レイスと、ハプニング的なものも含めて、10回のシングルフォール負けをしている。 探したら見つかった
Rick Martel リックマーテル vs Jumbo Tsuruta ジャンボ鶴田 (09/29/1985)
https://www.youtube.com/watch?v=9-_hDl2k374 >>525
馬場は相手ほぼ外人やん
あ、大木も外人か(笑)
自身にもうメイン張れる説得力無いのに
外人頼みなのが日プロからの流れ引き摺ってる
当時の全日の中継とか見るの辛いのはソコよ
誰も馬場に期待してない
もう馬場メインで
お客さん沸かせる説得力無いし
既にラビット関根の物真似で
ロートルのヨボヨボ爺さん扱いなの
無視したらイカンよ
実質興行の核が名勝負数え唄とかに移行した
新日とはやはり鮮度で差が有る
異種格闘技路線とかから
体力的な衰えカバーして興行考えてるやん
実際の知名度とか人気じゃなくて
藤波やらタイガーやら長州やら仕掛けないと
延々看板役者のポスターで
大衆演劇のどさ回り続けるだけ
俺が出続けなきゃ団体の存亡がって
力道山からの勘違いの連鎖だよ
結局、三沢まで引き摺って系譜は途絶えた >>527
このおっちゃん時系列とか無視しとるわw >>484
> >>480
> 大木、猪木との道場セメントマッチで、馬場が一番弱かったって書いてるだろが。
長年語り継がれてたが猪木がアッサリ否定したよ
知らない覚えてないって
作り話だよ ちなみにこの間に猪木がリングアウト負けした
相手も、ほぼ外人であるw
75年 大木 クラップ
78年 アンドレ
80年 ハンセン
81年 ハンセン
82年 アンドレ 木村
76年、77年、79年は反則負け以外負けなし。 猪木はタッグで77年に、?・スーパースターの空中首折りでピンされ、
P・パターソンの足四の字でギブアップしてる。 猪木がオレ一番無敗路線。
これはナンバー2以下が、
ご隠居坂口は置いておき、
藤波、長州、マサ斎藤、前田、とコマが多かったから
高みから見物しながら闘犬やらせて、横並びさせて時々代表
旬を上がってこらせて延髄葬や巌流島、で1トップ維持。
それ以外は未知の強豪外人退治役。
ナンバー2以下のコマが多かったからできた事。
馬場はナンバー2以下は鶴田と外人しかいないから、
鶴田が外人と賑わったら馬場のトップ感がなくなる。
鶴田善戦マン戦略しかない。鶴田は若すぎた。
キムドククラスの実力者がもう2人いれば違ったがね。 >>512
確かに馬場はニックとほとんどからんでないね。
日プロ時代まで知らんが、全日ではシングルないかも。
年齢的には明らかに鶴田より馬場のライバル設定のほうがしっくりくるし、
同じダーティチャンプのレイスとはあれだけ手があったんだから
ニックとも手があったはず。もったいないと言えばもったいない。
>>520
あのインター2連戦は4人の中で一枚落ちだった谷津の
格上げが目的だったんだろうけど、格上げのためには
シングルでも実績が必要だったな 1979年にミネアポリスで馬場とボックウィンクルやってるな。
馬場がリングアウトで負けたように見えるけど、鉄柱攻撃で反則とられるみたいだな。 >>531
マスクド・スーパースターを忘れたんか、、、 >>533
最強タッグ(78年、80年)で2回シングルで対戦している。後昭雄の話が事実なら
ニックからベルトを奪うのは馬場だったかもしれないけど、馬場と昭雄のやりとりとか
読んでみると馬場も老害感が漂っているようで悲しいな。 >>529
そりゃそうだ。
そんな意味の無いことするわけない。 >>512
バレンタインは力道山のライバルだったんかよ?
都合よくコロコロ条件変えるなよ。 >>514
猪木がトップ譲ったの何年目だ?
アホか。 >>521
お前、ウソばたかりやな。
百回言ったら事実になるってのほ朝鮮人のやり方やぞ。
データ披露してコテンパンにしたやろうと思ったが、
>>525が書いてくれてた。ありがとう。 >>527
お前話がとっちらかって、何が言いたいのかわからん。
ポイントを明確にせよ。
何でもいいから馬場を貶めたいというなら帰れ。 鶴田のAWA王者期間は、始めからマーテルの繋ぎとして決まっていたのか、
本当はもう少し長い予定だったのが、評判が悪かったので短縮されたのか、
どっちだったんだろう?
もう少し長く王者でいれば、その後の展開も変わったのかもしれないけど >>543
当初の予定通りでしょう
あれ以上長期間日本を留守にさせるのはおそらく不可能だったし。
タイトル置いて戻ってきたところを「世界を獲った男」として
プッシュする予定だったんじゃないの?
結果的にそうは問屋が卸さなかったが。 >>484
モロウスキー戦が一番の〜
というのは嫌味な面はなくはなかろうけれども、
それよりもインタタッグ戦よりも、ずっと驚きやインパクトがあったよ、知らねえだろなぁ
っていうマウントだ。
マウントも偉いことはないがだからといって嫌味だと切り捨てていては見えなくなるぞ。
>>500
で、これは嫌味だよね?
あんなスレーターが二歩三歩バックしてきてくれて放ったジャーマンを語りぐさにしては
いかんだろ。
もしも「鶴田の語り草になった必殺ジャーマン」なんて動画サイトに載ったら
スレーターが投げられに寄ってきたよwwwなんて書かれるぞ。 新日の営業「社長がメインじゃないとチケット売れませんよ〜」
全日の営業「社長がメインじゃチケットが売れませんよ〜」 >>546
蔵前のファンクス大ブレイク以降ね。
だが、馬場が来る!ってインパクトは地方じゃ凄かったぞ。
馬場に鶴田にブッチャーな。これで大人爺さん婆さん確保。
テリーとマスカラスがいれば少年、ちびっこが連れてってと親にせがむ。 新日は猪木、シン、アンドレ。
藤波?誰それ?
だったなあ。
タイガー登場以降は別ね。 >>519
その時期の三冠統一路線はハンセンのAWA、鶴田のインター、長州のPWF
天龍のUNはマシン、谷津、シンとの防衛戦で統一とは全く無関係
天龍自身はハンセンのAWAに挑戦(既に剥奪されてが)したけどUNとのWタイトルではなかった >>526
当時のゴング誌にはハメられた的な書き方だった
鶴田がフォールの時はスロー、マーテルがフォールの時は高速カウント
同日ウォリアーズがガービン&リーガルにイカサマレフェリーでAWAタッグ獲られた試合と合わせて >>543
シカゴやセントポールの大会場を満員にしてるんだからガニアは何の文句もないはずだよ マーテルはガニアから突然告げられたと言ってるが
、候補として数名はいたかもね。
ただ鶴田が長期政権を取るのは全日がある限り無理。 >>551
マーテルがベビー、鶴田がヒールだからあっちのファンは喜ぶ。鶴田が阿部四郎を連れていかないかぎり。 マスクもいいし、性格もいいので引き上げられたのかね、研ナオコ似の奥さんも
大事にしてたみたいやし。
でも転落後は長州、佐野にピン負け、アメリカでもチャンピオン級の扱いでは
なくなった。 >>525
ちょっとスレ違いだが、
フォール負けをしない「絶対王者」と言えばルーテーズ、
1948年6月〜56年3月までNWA世界王者だった。
それでも、7年9か月、猪木に及ばないのか!?
王座獲得の’48年6月前から「フォール負け」なし記録が
続いていたなら別だが。
その間、‘55年3月にレオ・ノメリーニに負けて、世にいう
「938戦不敗記録」は破れているが、これは反則負け。
WWWF王者だったブルーノ・サンマルチノも‘63年5月
(対Bロジャーズ)から71年1月のイワン・コロフ戦まで
フォール負けはないだろうな。
リングアウト負けはよくあるが。 >>556
爽やかだし、攻めるチャンピオンで良かったけどね。
フレアーとの統一戦でも株を上げた。
ゴングの年一回の人気投票でも、ハンセン、ホーガン、ブロディらに次ぐ順位だったよなあ。 力道山は57年10月にテーズに地方遠征で負け、63年5月にデストロイヤーの4の字で負けてるのかな?
それなら5年7か月で、猪木の8年シングルフォール負けなしには及ばないw
外人でいうとアンドレを別にすると、ブロディが
81年4月の馬場戦から88年4月鶴田戦までシングルノーフォール負けで、7年か。
つくづく猪木は偉大だw >>556
90年のレスリングサミットにヘニングとの元王者コンビで参戦したが
同じく元王者鶴田のバックドロップに敢え無くピン負け
4人中3人が元AWA王者という豪華な顔ぶれだったが、
当時AWAはまだ存続していたのに、実況はそのことに一言も触れず。
他団体の興行とはいえ、その時点でもう全部リセットされてたんだな。 ボクシングならともかく、プロレスの連勝記録に何の意味があるの?
幻想が持てた時代ならわかるけどw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています