>>214
マスカラスは「サンフランシスコでは中堅扱いされた」とプロモーターの
ロイ・シャイアーに怒っていたらしいけど、よく分からないのがマサ斎藤が
渡米してすぐにサンフランシスコに登場した1968年6月22日のカウパレス大会。

4月のカウパレス大会でシングル王座から落ちた当地のトップヒール・キンジ
渋谷は興行の看板なので、翌5月にはすぐタッグ王座に就くのだけれど、
シャイアーにあてがわれたタッグパートナーのハル佐々木を気に入らなかった
渋谷はミスター・モトから渡米したばかりの斎藤を推薦されてテストマッチを
組んでもらい、大いに気に入って佐々木から斎藤へパートナーをチェンジする

1968年05月11日 キンジ渋谷&ハル佐々木、世界タッグ王座獲得
            ミスター・サイトー、同地区デビュー

1968年06月08日 キンジ渋谷&ハル佐々木、世界タッグ王座陥落
            ミスター・サイトー、同地区2連勝

1968年06月22日 キンジ渋谷、斎藤と初タッグで勝利 ←★

1968年07月13日 渋谷&斎藤組、初挑戦で世界タッグ王座獲得

この6月22日の試合は、この後1年以上にわたってタッグ王座を守り続ける
斎藤と渋谷の初タッグをアピールする試合なんだけれど、流智美によると
「ペッパー・マーチン&ハム・リー組に快勝」
とあるのに、清水勉によると
「マスカラス&ハム・リー組と渋谷&斎藤と対戦」
とあり、実際プログラムの写真を見るとマスカラスの名前がある。

タッグ売り出しの試合で渋谷&斎藤組を負けさせるとは思えないので、
マスカラスがいきなり初対決の斎藤組に負けたのだろうか。
それとも土壇場でマスカラスが拒否してペッパー・マーチン(プログラムでは
その前の試合で貼る佐々木と対戦予定になってる)と交代したのだろうか