【竹山祐一】昭和の全日本プロレス87【読売テレビ実況アナ】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
過去スレ
【馬場】昭和の全日本プロレス【鶴田】
【ブッチャー】昭和の全日本プロレスPart2【ファンクス】
【カマタ】昭和の全日本プロレスPart3【ロビンソン】
【外人天国】昭和の全日本プロレス4 【土曜夕方】
【コックス】昭和の全日本プロレス5【Jオーツ】
【蔵前国技館】昭和の全日本プロレス6【日大講堂】
【黄桜酒造】昭和の全日本プロレス7【井関農機】
【山田竹内】昭和の全日本プロレス8【田鶴浜】
【史上最強】昭和の全日本プロレス9【超獣コンビ】
【ボルコフ】昭和の全日本プロレス 10【ロン・バス】
【横浜ゴム】昭和の全日本プロレス【大塚製薬】(実質11)
【アベンジャー】昭和の全日本プロレス11【バラクーダ】
【ジョーの】昭和の全日本プロレス13【失神芸】
【NWA認可】昭和の全日本プロレス14【PWF認定】
【AWA】昭和の全日本プロレス15【鶴田戴冠】
【ミラノ】昭和の全日本プロレス16【死んじゃった】
【パンクロチオン】昭和の全日本プロレス17【スターウォーズ】
【アゴの先端に】昭和の全日本プロレス18【ヒィッツ!】
【両者反則】昭和の全日本プロレス19【無効試合】
【倉持流血】昭和の全日本プロレス20【ディンク吐血】
【阿修羅原】昭和の全日本プロレス21【永遠なれ】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【弾けた】 >>165
谷津がアマレスの大会に出たのってこのシリーズ辺りじゃなかったっけ? >>171
谷津が出たアマレスの日本選手権は6月だった、もちろんケガはガチではなくアングルだと思う。
アマレスの大会に出るための準備期間が短すぎたから、ケガが理由で欠場させるしかなかった。
でも優勝したんだから大したもんだな、プロレスのブックみたいなのはない忖度なしの大会だし。 >>170
昭和ならともかく今は居づらいなんて
通じないだろう。
借金取りの電話でもアウトだよ。
辞めてくれと迫られるだろう。 >>165
UN王座決定リーグ戦は企画が雑魚だよ。やる前から分かるでしょ。。
鶴田、長州が入っていなく別格みたいなリーグ戦。谷津だってやりたくないだろう。
ケガした振りして棄権したんだよ。
だったら日本選手権でやりゃ良かったんだよ。どうせなら。 >>174
デビアスに至っては、「何で今さら俺がUN争奪戦なんだよ」の思いだったろうな。
きっちり天龍の踏み台役も仕事としてこなすところは一流のプロだけど。
>>138
具体的に何年の件だ?
1987年はかなり空いてるけどこのころはプエルトリコくらいしか上がるところなかった
んだろ、もう歳だしな。最大で2週間ってところだな、ちゃんと調べてるのか?
アホなのか? 函館市千代台公園陸上競技場特設リングでの世界タッグ戦ハンセンゴディvs鶴田谷津は
倉持のレポートの形で短く試合を放送
この会場で小鹿の引退記念試合と倉持が言ってるが、ブログに載っている試合結果には小鹿の名前は無いw
観衆8200人は凄い入りだな、函館市民体育館の倍以上入ったんじゃない?
http://blog.livedoor.jp/moya_sic/archives/52220073.html
https://youtu.be/LK2f87Wns7Q?t=2010 >>163
でも、小鹿は馬場が松根さんがクビにしろって・・・って言うのは信じなくて、松根さんの自分にそんな権限ないを信じたんでしょ。
馬場が引退してくれって言ったら素直にわかりましたで辞めたって言ってるけど、それはそれで引退したら後年絶対文句言ってるよなw >>168
そのマスカラス&カネック組見に行ったなあ
そういうお祭りみたいなカードに合う会場だわ >>49
へ?ハプニングなんて異例でもなんでもないだろ。 >>74
大木を倒してタイトル取ってもなあ。
インターの価値を下げるだけだろ。
大木が保持してたことをなかったかのように、豪華メンバーでトーナメントやる方が華やか。 俺が大木だったら創立10周年記念蔵前大会でドリーの王座に挑戦させろと言うね! 特設リングというか、旅館の宴会場で興行やった記事を見た事があるな
記憶に間違いがなければ、1988新春シリーズあたりだったかな、いやもう少し後かな?
確か写真が東スポに載ってたはず、「宴会場で試合」みたいな記事で。
大広間にリングを設置して、入退場は広間のフスマを開閉して使ってた
観客も宿泊者が多かったのか、浴衣というか甚兵衛を着た客がアグラをかいて観戦していた
あれは中学生だったとはいえ衝撃を受けたなあ、プロレスはドサ回りというのを初めて理解した時だね。 >>184
宴会場にリング設営なんて床がもたないんじゃないかな?
老朽化した体育館や学校の体育館などは床が弱くてリングの重みに耐えられない会場は、
プロレスをやりたくても出来ないなんて記事を昔見たよ。 >>185
木造の旅館なら床の強度は心許ないが、鉄筋コンクリートならリングの設置は可能でしょう。
藤波の披露宴(京王プラザホテル)では宴会場にリングを設置して、藤波自ら余興に一戦交えたそうだ。 >>185
旅館はイメージより丈夫
特に古い団体旅館の宴会場は
何でかっていうと元ボーリング場設備
だったりとかで>>186さんの言うように
鉄筋コンクリートだった
博多スターレーンで出来るんだから大丈夫w
ソースは元旅館従業員のワイ >>177
何がwなのかわからん。
全日は基本的に引退試合はせんからなあ。
この日もセレモニーだけ。 >>184
1987年2月23日
87エキサイトシリーズ
静岡・熱海後楽園ホテル大ホール
のことだな >>148
万博公園お祭り広場な、
入るわけ無いって何を根拠に言ってるんだ?
大阪に見に行ってみろや。
入れようと思えば一万人どころじゃないぞ。 フロリダではスティーブ・カーン&マイク・グラハム組がファンクスを撃退するし、
ロスではチャボ・ゲレロがNWA・AWA・WWWFの3大タイトル全てに挑戦し全勝する。
MSGでは日本ではパッとしないチーフ・ジェイ・ストロンボーやトニー・アトラス、
ドン・ムラコ、ジム・ドゥガンらが大スターで下にも置かぬ扱いだったりする。
日本の格が世界標準だと思い込むと色々戸惑うことになるよね。 >>191
説得力ないなあ。でも本人は、
俺は全日の次期外人エースのブロディをフォールした男だ
だから全日は俺が凱旋帰国したらエース待遇で扱うべき、
とか思ってそう 高千穂も小鹿も芳の里派だったわけで馬場がそれを忘れるわけがない
小鹿は「俺は生き残れた」と自信があったんだろうが上位互換の永源が手に入ったら
あっさりと切られた
だが小鹿の若手苛めは有名だから同情はできない
三沢も川田も小鹿を全く慕っていなかった >>191
レフェリーがルー・テーズじゃん。
2度も毒霧吹いたんだから反則取れよw >>186
藤波の披露宴は藤波vs ヒロ斎藤だった。
その2年後ぐらいにも京王プラザでやってて、藤波vsタイガーマスク初対決で
確か、藤波、栗栖vsタイガーマスク、藤原。
もしかしたらパートナーが逆かも。 >>185
この間越谷に行ったら越谷市立体育館がまだあったのには驚いた。
相当ボロくなってたからもうプロレスは無理だろうな。 越谷は馬場vs天龍の唯一のシングルが行われた場所。 >>191
本当だ!報道さえてないが、すごい。倉持がもっと煽ってもいいのに。 >>144
移動がないっていうよりもあまり辺鄙なところでは
そもそもタイトルマッチ自体あまり組まれてなかったということでは
メインも「あ、こいつが負け役」みたいなのがミエミエの6人タッグとかで
>>148
万博公園お祭り広場は屋外会場としては
所謂「ジャスコ××店駐車場」とか「○△市場特設会場」とは違って
当時の屋外会場としては田コロのように例外的なかんじだったと思う >>178
>>194
実際は松根さんがリストアップして馬場の同意・了解を得た人間だけってとこじゃないかね?
つまり小鹿に関しては松根さん馬場双方とももはや不要で一致をみた、と
松根さんは社長として出向してきたけど立場的には
馬場:松根:日テレ現場(編成&運動局):日テレ上層部 の四極構造の中で
日テレ現場の意思を尊重すれば馬場やベテランを早期に退げて
鶴田天龍タイガー&永源体制にしたい一方で
日テレ上層部の庇護の下にいる馬場の存在を無碍に出来ない
典型的な中間管理職的難しい立場で
馬場は馬場でこの頃には創立時のいきさつや日テレ上層部との関係がある一方で
創立以来人気・興行的に新日に後れを取ってきた負い目がある
双方ともいろいろなしがらみや個人の思惑と組織としての思惑のズレに
がんじがらめの難しい立場だったのではないかな >>192
「地元では強いのだが敵地へ行くと持っている力を発揮できない内弁慶のレスラーもいるのは事実で
そういうものを乗り越えていってこそ超一流の証明といえます」と解説の山田隆さんは言うだろう。 >>192
>日本の格が世界標準だと思い込むと色々戸惑うことになるよね
昔テレ東でやってた「世界のプロレス」では,
時折日本では決してあり得ない勝敗のカードがあったりしたよね
馬場は「ああいうのが放送されると困る」とこぼしていたらしい。 >>177
函館の体育館、ブリスコ×馬場のNWA戦で
7000人入ってることになってる。
>>183
アジアヘビーと統一戦だな。
馬場発電所×シン上田
フレアー×鶴田
大木×ドリー
ブロディスヌーカ×レイステリー プロレスクラシックの再放送を観ていて、そういえば谷津って3ヶ月弱の間にインター、UN、PWFの各シングルに挑戦してたんだな
3つのタイトルに挑戦したことあるというとブッチャー、レイス、ブロディ、ロビンソン、ハンセン(UN単独はなし、ダブルタイトル戦)くらいしか思いつかない >>191
ヤオ丸出し。当時のオレが見てたら怒り狂っていたわ。アメリカのプロレスは偽物だあ、と。 >>203
ちょっと前の新日スレで、中東ドバイ遠征の時にキラー・カーンが
長州を5分であっさりフォールしていたり、アレンが坂口を6分で
フォールしていたり、韓国では韓国人ヨウ・コンブとして試合に
出ていた星野勘太郎が藤波のジュニア王座を奪う幻のタイトル移動が
あったりといった海外での意外な試合結果が話題になっていたけど、
本当にプロレスは「所変われば格変わる」なんだなあ。
サンマルチノがセミリタイアして以降、全米一のマーケットだった
WWFの東海岸エリアで観客を呼び込んでいた顔役の人気者の系譜は、
ストロンポー→アンドレ→スヌーカという流れで、大関格として
モラレス、プトスキー、トニー・ガレアらがいた、と後で知った時は
かなり驚かされたものだった。70-80年代の日本のプロレスファンの
感覚では理解しにくいメンツで「日本のエース格も、現地に行ったら
こいつらにやられるのが当然なのか」と不思議な感覚になったな。 熱海後楽園は天井がものすごく高く、畳だが広い会場。 1981年12月にブロディがスヌーカを血だるまにして仲間割れしたのも、
ハンセンが全日に来たから古いパートナーを解約するための決別儀式
なんだろう、と思っていたものだけど、実は売れっ子のスヌーカが
WWFのツアーに帯同するために日本には来ることができなくなったため
日本でのタッグを維持できなくなったのが直接の原因だったんだな。
逆に翌年82年秋にスヌーカがプロディと「決着」をつけるために来日
したのは、本格的にWWFに定着することになって当分来日する機会が
見込めないほどの人気者になってしまったため、全日本に残っていた
契約を消化してしまうための措置だったとか。
この来日の間、WWFでスヌーカは「首を負傷して治療していた」ことに
して姿を消し、アメリカに戻った時にはベビーに転向する手はずが
整えられていた。
日本でレイスと組んでの最強タッグ出場をキャンセルした82年11月に
WWFでベビーに転向したスヌーカは、(前にここで話題に出ていたように)
復帰したネイチャーボーイ・バディ・ロジャースとタッグを組んで大々的な
「全米の顏」になる。
ビンスが全米侵攻に勝算を感じたのも、ホーガン獲得以前にこのスヌーカの
大人気で興行がうまく行くようになったのが大きかったのだとか。
(翌83年に年間興行数を472→592と激増、この年にNWAを脱退する。)
だからその後も来日したスヌーカからしてみれば、ハンセンやブロディは
本場では「完全な格下」なんだけど、日本では一歩引いて常に立てていて、
それが「エリアが違えば格が変わる」アメリカマットに生きるレスラーの
常識だったとか、後から知ると色々面白い。 ちなみにチャボ・ゲレロの三大王座挑戦・全勝の内容は
NWA王座 1977年4月8日 ロスアンゼルス
王者ハーリー・レイス
チャボが一本目をボディアタックでフォールの後、時間切れ
AWA王座 1977年4月27日 サンアントニオ
王者ニック・ポックウィンクル 反則勝ち
WWWF王座 1978年2月10日 ロサンゼルス
王者ビリー・グラハム ドクターストップ勝ち
チャボはアメリカス王者として1975年から76年にかけ、
テリー、ドリー、パターソン、ラッドらを相手にタイトル
防衛を果たしている >>169
新間寿「アントニオ猪木の伏魔殿」に参院選立候補にあたって福田氏に挨拶しに出向いたことが書いてありますね。
当時自民党には消費税とリクルート問題で逆風が吹いていたので自民党公認にはならなかったが、順風なら自民党公認を得られたとのこと。
実際猪木は自民党候補者の応援に何度となく立ち会っていた。
馬場が政治家と一緒に写った機会といえばオールスター戦後、控え室で二階堂コミッショナーとロード・ブレアース会長を交えた集合写真が有名ですね。
ブレアース会長を輪の中に入れたことでプロレス的世界観を保つことができたと感じました。 >>205
テリーも
インター ドリー
UN ブッチャー
PWF 馬場、長州
日プロや海外も含めるとキニスキー、シーク、カマタ よく出る話だがその手の海外での落差が一番露骨なのはカネックだろう
地元メキシコではアンドレ、ハンセン、シンに負けないのに
日本だと雑魚になる
「メキシコは高地で空気が薄いので地元のカネック有利」とか書かれていたが >>207
>本当にプロレスは「所変われば格変わる」なんだなあ。
それ考えたらマスカラスってすごいな。
どこのテリトリー行ってもベビーで、しかも絶対に自分の格を落とさない
状態を何十年もキープしてたんだから。
ヨーロッパ遠征した時はボックに負けたって記録みたことあるけど、
どんな試合だったんだろう? >>212
そうか、テリーはブッチャーのUNに挑戦してたな
カマタのインターとキニスキーのUNは全く覚えてないわ >>209
細かくて割りが、スヌーカを血だるまにしたのは82年4月では?チャンカンのあと。 >>207
新日で
越中>スティング
中西、健介>フレアー
スティーブ・オースチン>アーン・アンダーソン
蝶野、馳>リック・ルード
全日で
スパイビー>スティング
鶴田>バリー・ウィンダム、フリッツ・フォン・エリック
天龍>スティンボート
UWF系で
高田>マーク・ルーイン、バックランド
安生>アイアン・シーク
アメリカのファンからしたら「何だそれ!?!?!?」となる。 >>205
長州がいなくなった後の谷津は外敵一番手だからね。挑戦者が谷津しかいなくなっちゃった。
何気に快挙が多い。ハンセン・ブロディ・ホーガンとタイトルマッチしたのも谷津だけ! >>214
マスカラスは「サンフランシスコでは中堅扱いされた」とプロモーターの
ロイ・シャイアーに怒っていたらしいけど、よく分からないのがマサ斎藤が
渡米してすぐにサンフランシスコに登場した1968年6月22日のカウパレス大会。
4月のカウパレス大会でシングル王座から落ちた当地のトップヒール・キンジ
渋谷は興行の看板なので、翌5月にはすぐタッグ王座に就くのだけれど、
シャイアーにあてがわれたタッグパートナーのハル佐々木を気に入らなかった
渋谷はミスター・モトから渡米したばかりの斎藤を推薦されてテストマッチを
組んでもらい、大いに気に入って佐々木から斎藤へパートナーをチェンジする
1968年05月11日 キンジ渋谷&ハル佐々木、世界タッグ王座獲得
ミスター・サイトー、同地区デビュー
1968年06月08日 キンジ渋谷&ハル佐々木、世界タッグ王座陥落
ミスター・サイトー、同地区2連勝
1968年06月22日 キンジ渋谷、斎藤と初タッグで勝利 ←★
1968年07月13日 渋谷&斎藤組、初挑戦で世界タッグ王座獲得
この6月22日の試合は、この後1年以上にわたってタッグ王座を守り続ける
斎藤と渋谷の初タッグをアピールする試合なんだけれど、流智美によると
「ペッパー・マーチン&ハム・リー組に快勝」
とあるのに、清水勉によると
「マスカラス&ハム・リー組と渋谷&斎藤と対戦」
とあり、実際プログラムの写真を見るとマスカラスの名前がある。
タッグ売り出しの試合で渋谷&斎藤組を負けさせるとは思えないので、
マスカラスがいきなり初対決の斎藤組に負けたのだろうか。
それとも土壇場でマスカラスが拒否してペッパー・マーチン(プログラムでは
その前の試合で貼る佐々木と対戦予定になってる)と交代したのだろうか >>214
後年のボック曰くシュートマッチだったそうで、マスカラス曰くボックはプロレスが出来ないだそうな。
ソースはプロレス最強のなんとかという分厚い本。
余談、その本で日本にも何度か来ているクラウスワラスがヘーシンクやルスカクラスの
柔道の超強豪だったとは知らなかった。
鶴田十番勝負のクリステーラーもそうだけど、強くてもプロレス出来なきゃしょうがない。
レスラーの評判が悪いマスカラスだけど、偉大。他にマスカラスのようにどこでもリンピオでメインイベンターって誰だろうね。 >>217
ブロディvsスヌーカ戦は82年11月2日愛知県体育館 >>218
WCWヘビー級王者になったクリス・ベノワが新日にゲスト参戦した時
ドームで天山に負けさせられたのを見た時はさすがに唖然としたなあ
もうアメリカの展開をファンがリアルタイムで追える時代になっていたのに >>211
スポーツ平和党は自民党清話会別動隊と言われていて
猪木は当選後は過半数割れの自民党会派入りするのは?という情勢が大勢であったが
スポーツ平和党は民社党と統一会派を組むことに。
それについては坂口と民社党の米沢書記長が旭化成で同期だったとか言われていたが
猪木参院選当選祝賀パーティーで登場したのが来賓の森喜朗。
国会運営に苦境の自民党三役ということで政治部の記者も取材にきている中で
森喜朗が挨拶で「猪木君は自民党と民社党をつなぐ架け橋」と口を滑らせて
周囲の関係者を慌てさせていた。 >>220
となりのロスではアメリカスヘビー獲ったりエースだった時期もあるのにね。
抗争相手のブラックゴールドマンに腹を刺された(切られた?)なんて物騒な事件もあったね。 >>218
格と勝敗は違うでしょう。
鶴田とエリックとか高田とバックランドとか。
また対戦当時と後にでも違う。天龍とスティムボートとかね。
鶴田とニックが戦いベルト奪還したところで格はニックの方が上でしょう?そういうことです。 >>225
アメリカの超大物が日本で白星配給係をさせられているのを見たりすると、
日本でマッチメーカーの山本小鉄とかがアメリカの格や人気をちゃんと
把握できていたとはとても思えないし、日本での第一印象だけで、シリーズ
通しての格を決めちゃうやっつけ仕事も多かったんだろうと思うけれど、つい
「アメリカでも隣の州で何が起きてるか、誰が人気かなんて全然気にしない
プロモーターが格を決めて、それに文句を言えずにしょぼい役回りを演じて
ますます格を落としてしまったレスラーもいたんだろうなあ」
とも考えてしまう。
そういう中で不勉強なマッチメーカーのも唸らせる試合をして考えを改めさせ、
トップを張り続けるのはそうとうな腕の持ち主だったんだろうな。
ヒール側のマサ斎藤やカブキなんかは常々言ってたね。
「人気レスラーを叩きのめして商品価値を下げたら客入りが悪くなって自分も
食えなくなる。かと言って相手に花を持たせてばかりいたら自分が飽きられて
別のレスラーと交代させられる。どうやって自分をアピールしつつ人気レスラーを
引き立てて客を湧かせられるかの勝負だ」
「メインを張っても集客力のないレスラーは前座連中からもバカにされる。
こいつがトップにいると稼げないから潰してしまえ、ということにもなる。
レスラー間でのシュートの類は、こういう時に出てくる」
などという恐ろしいことも言ってたけど。
マスカラスがその斎藤と抗争するようになったとはシスコの3年後の71年、
日本で絡むのはさらに翌年の72年になってからですね >>221
>後年のボック曰くシュートマッチだったそうで、マスカラス曰くボックはプロレスが出来ないだそうな。
全然話が噛み合ってないww
プロレスやるつもりで来たマスカラスがシュートマッチなんか受けるわけねえだろw
大方、ボックがプロレスのセオリー逸脱したカタい攻め繰り返して、
相手の地元だからと我慢していたマスカラスが
付き合いきれなくなって試合放棄しちゃったんだろうな
どこ行ってもベビーのマスカラスの神通力も、ドイツまでは及ばなかったか プロ野球にもいるだろ。メジャーではものすごい成績だったのに日本に来たらさっぱりだったとか。
逆にアメリカではずっとマイナーで日本に来たらホームラン王になるぐらいの大活躍とか。 どこまで本当か分からないけれど、マスカラスにまつわる話で印象に
残っているのは、彼がアフリカに遠征するというので、現地の悪い水に
当たる心配はないかとマスコミに聞かれたマスカラスが
「私は水が悪いと言われるメキシコで育ち、世界中を回ってきた
人間だ、抜かりはない」
と胸を張っていたんだが、帰国してから
「アフリカの水を舐めていた。これからはうがいもビールでする」
と言っていたという話w
ドラゲーのシーマたちは闘龍門時代にメキシコに行き、ウルティモ校長から
「屋台のタコスだけは絶対に食うな」
と言われていたのがある日あまりにももうまそうな匂いが漂ってくるのに
ついつい買ってしまったら死ぬほど美味くて皆で貪り食ったら、その日の
夕方には猛烈な腹痛と下痢に襲われて4日ほど寝込んだとか
ガッツ石松に言わせると「メキシコでは皿をきれいに洗ってないとかといった
問題じゃない、洗うその水自体にもう日本人はやられるんだ」というんだから
そんな地で育ったマスカラスがやられるアフリカの水ってどういうものなんだw マスカラスが初来日した時の契約書には、メキシコで映画俳優を兼ねていたから
顔面への打撃が禁止事項として記載されていたらしいよw
対戦相手の中堅レスラーは、セメントでボコボコにして二度と映画に出られない
ツラにしてやる!と毛色ばんだが、日プロ幹部に呼ばれ「こっちも合意して判を
捺した以上、もし契約違反を起こせば莫大なペナルティが生じてしまう!
オマエのギャラじゃ払える額じゃないぞ!それでもセメントを仕掛ける気なのか!
オマエは家族を路頭に迷わせてもいいのか!その覚悟は本当にあるのか!」
そう論され、泣く泣く負け役を務め、新しいアイドルヒーローの誕生に貢献した。
おそらく星野勘太郎のことだと思うけど…? (門茂男メモ) 日本料理でもふぐの肝の美味さは天にも昇る絶品で
ふぐの肝を食えたら死んでもいいというぐらいの美味らしい。 >>230
人の水との関わり方は、単純に衛生技術の面だけでなく、宗教も関係してくるからね。
プロレスから離れるが、1987年にテレ朝のドキュメンタリーで小林薫がインドを旅行した番組があった。
小林が入った食堂で使っている皿はそばにある川で洗っているんだけど、その川の上流では牛が噴をしていたそうな。
「牛が飲む水は人間も飲める水だ」というヒンズー教の思想から、現地の人は平気なんだと。 >>231
>おそらく星野勘太郎のことだと思うけど
星野走る人ぞ知る喧嘩度胸の持ち主だったけど、
マスカラス相手だとガチでも分が悪いだろうな
>>232
フグの肝は2年くらいぬか漬けにすると無毒化されて
食えるようになるらしい。人間の食欲おそるべし。
詳細はググってくれ お相撲さんがフグの肝をちゃんこ鍋に入れて集団食中毒起こした事件もあったな >>232
フグの肝は何度か食べた事があるぞ
カワハギの肝よりも上品な味
今は知らんが大分県では普通にフグの肝を客に食べさせていた その昔、人間国宝の歌舞伎役者が致死量を越えるフグの肝を食べて中毒死した
当時小学生だったがテレビや新聞一面トップと大騒ぎになった事を思い出しました
興味ある方は「フグ肝坂東」でググれば詳細がわかる ボックと言えば「猪木がボックに負けた」と騒ぎになったがあれは当たり前なんだよな
あれはボックの為の興行なんだからな
猪木が遠征したら「アリと試合したキラー(殺人者)猪木」と宣伝されてて
完全な悪役レスラー扱い >>236
養殖のフグには毒がないと言われるな。
本当かどうかわからんけど。
それでも食べさせるのは禁止だけど。 馬場ぐらいの超一流のプロレスラーになれば全国各地で当地のプロモーターの親分さんと一緒に美味いもんを食っていたんだろうな >>210
海外遠征時代の馬場を
遥かに凌ぐ実績だな >>241
当地のエースとして王座に挑戦だったチャボと
ヒールとして挑戦した馬場を比較してもしょうがない。
日本では馬場が三度NWA王者になってるから
馬場の方が上とも言える。 西海岸ではチャボの少し前にビクター・リベラ、WWA時代はペドロ・モラレス
ロスやニューヨークでは、ヒスパニック系に人気があるんだね。 >>237
歌舞伎好きの知人はいつも「○代目」ではなく「フグで死んだ三津五郎」と言うね。
それくらい印象に残る事件だったんだろうな。 >>233
聖なるガンジス川は心身を清める聖水らしいね。
沐浴してるところに牛糞大便のたぐいが流れて来たらどーすんだと言ったら、
「大事なものを扱うように両手でそっとすくってよけて流す」らしい。
夏に長期海外旅行に行くと現地に同化してしまって日本に帰りたくなくなるという知人が
「世界は一つとか人間は分かり合えるとか言うけど、インドだけは別だった。
日本の常識が何一つ通用しない」
と言っていたなあ。 >>242
そういう比較なら馬場は1968年、
アメリカの4大世界王者の内3人と
5回対戦して2勝1敗2分けだな。
対WWA世界王者、Bブラジル
6月25日愛知
ブラジル(2-1)馬場
6月27日 東京
馬場(2-1)ブラジル
*3本目、リングアウト
対WWWF世界王者、Bサンマルチノ
8月7日、大阪
馬場(2-1)Bサンマルチノ
*3本目、リングアウト
対NWA世界王者、Gキニスキー
12月1日、仙台
馬場(0−0)Gキニスキー
12月6日、東京
馬場(2-1)Gキニスキー
*3本目反則
いずれもインター防衛戦。 >>235
佐渡獄部屋だね
後の関脇・長谷川も当時ちゃんこ番だったけど
腹の具合が悪くて食べなかったので難を逃れた >>239
フグ毒は生まれつき持ってるものではなく
餌である海藻に含まれる成分が体内で変化蓄積されるものだから
養殖の飼料では出来ないのよ >>216
ニック戦が余裕あったなら
鶴田の演技力もなかなかだ。
マジでニックに腕取り決められまくってるように
見えた。
でも、そんな試合の組み立てができるのが
鶴田の地力なのかもれん、
ラッシャー木村や大木じゃ無理だから 向こう(地元とか)じゃエースだが日本じゃ員数扱いと言うとホセゴンザレスか。
まあ彼は色んな意味で国内外問わず有名になってしまったが。。
カルロスコロンなんかもこっちじゃブッチャーの子分だったが地元ではブッチャーを迎え撃つヒーロー。
それとCコロンやゴンザレス、ラリーシャープ、ナチのスタイガー兄弟等、こういったB級(こっちでいう)
レスラーって数年間で各団体を渡り歩いてるが、特に引き抜き扱いでないのが彼らの立ち位置をよく表してる。 >>246
訂正、G・馬場は1968年、
3世界王者と対戦して
✖2勝1敗2分け
○3勝1敗1分け。 >>246
いずれもノンタイトルだが
サンマルチノとは8月2日仙台で分け
キニスキーとは12月7日宇都宮で分け >秋山:確かに最初は鶴田さん、横から入ってましたね。
>今の僕はヒザからガツンと入りますけど。外国人選手との試合でも横からだった。
>当時、テレビで見ていても天龍さんが相手だとヒザを入れているのが分かりました。
ヒザを入れずに横から当たるやつでも十分キツイよな、これw
↓
https://www.youtube.com/watch?v=va2kJ7Zb4dg&feature=youtu.be&t=1121 >>231
星野は平成にマスカラスについて聞かれたら
「マスカラスは素晴らしいレスラーです、『自分だけイイカッコする』と陰口を叩く連中がいますが
終わってからブツブツ文句言う奴に限ってショッパイ試合しか出来ないレスラーなんですよ」
何十年も経って心境が変化したんかな
https://pbs.twimg.com/media/DXqe3V-X0AIdqXp.jpg 札幌の谷津の狂乱って結局なんだったの?
本人もかたってないよね 谷津乱心ね。
乱心なんて情緒の人を見たのは谷津がはじめてだし、
あれから乱心している人を見たことないねw >>257
門茂雄メモ自体が嘘だろ。
顔面への打撃禁止なんて普通に常識だし
それで怒るレスラーなんていない。
門茂雄はもっともらしい嘘が多いんだよね。 長州の新日復帰直後の藤波戦(長州が2−1で勝った試合)について
「「あの試合は1983年頃の試合とちがってセメントマッチそのものだった」と語ったのは
木村健悟である」とか
「リッキー・ワルドーはセメントマッチでタッグタイトルを奪って力道山に恩返しをした」とか
門の本って今読むと「なんじゃそれw?」って記述がけっこうある
あんなセメントがあるわけがない >>258
鶴田とのシングルの前に因縁つくるアングルだろ。 >>263
ただのそれ?ガチでマサや浜口に説教されたと思うぞ。その後大人しくなったし。 谷津、下手なんだよ
暴れ方がw
お客さんの空気が読めない
そらアニマル浜口とかマサとは違うわな
客意識して試合してないもん
だから、オリャとかバカにされる >>264
その後大人しくなったって、
アングル終了したからだろ。 https://pbs.twimg.com/media/EAzD_xkU4AI-3Su.jpg
ブラソ・デ・プラタをカットしてまで永源と栗栖をポスターに表記する
当時のジャパンの政治力の高さがうかがえるポスターだ >>267
これはひどいなw
全日所属レスラーよりジャパン所属レスラーの方が
ポスターに写真が載ってる人数が多いし
永源、栗栖よりは格上だったはずの大熊、小鹿さえ載ってない。 >>105
韓国で行っていた海苔事業が不振だったのも馬場が大木からインターを奪回するのに
好都合だった。
>>169
佐山をタイガーマスクでデビューさせるに辺り福田元総理のルートを使い緊急帰国なので
外務省を動かしている。秘書がプロレスの大ファンだった・・・
>>184
円形でひな壇の座敷もある小ホールみたいな感じでみちのくプロレスと同じく席代わり
に座布団を敷いていた。年末に巨人軍が忘年会を盛大にやっている映像を良く見る。
>>49
当時の雑誌で「プロレスラー医師になるか?迷っている」と書かれていた。
数年前にハンセンのインタビューでディンク君がハンセンの地元で医師として病院に勤務
していて「ウチの子供達が幼い時は大変、お世話になった。不思議な縁を感じるよ」
とコメントしていた。 >>267
>>268
全日の営業ボロボロだったんで
ジャパンの営業頼みなのはしゃーない
そら扱いは大きくなるよ
永源は特に猪木も認めるスーパー営業マンやし
小鹿が地元北海道で載らないというのは
その程度の影響力しかないという事じゃない?
そら切られるわ
ジャパン新日出戻り時に
永源が残ったのは馬場の配慮絶対有る筈よね
手数料のマージンとか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています