【竹山祐一】昭和の全日本プロレス87【読売テレビ実況アナ】
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> そもそもタイトルついたの1度では論外レベルだからな。
ジン・キニスキーもドリー・ファンク・ジュニアも
パット・オコーナーも論外レベルか?
まともな論じゃないなw >>17
馬場がNWA取ったのは金で買ったものだから論外と医師う意味だろ。
オコーナー、キニスキー、ドリーらはちゃんとNWAから選ばれてチャンピオンになってサーキットした。 アメリカで人気を博した馬場さんには
1シーリーズ休んでNWAチャンピオンとしてサーキットしてほしかったなあ なんで>>5のスレは使わないの?何か問題があったの?私が立てたわけじゃないが。 >>8
馬場は81年チャンピオンカーニバル優勝決定戦での空中胴締め落としで
鶴田は88年仙台のインター奪還戦。雪崩式ブレーンバスターからのバックドロップ。
あと3本勝負のUN戦でブロディ、鶴田1本ずつフォール取り合って3本目両リンてのがあったか。 >>18
>オコーナー、キニスキー、ドリーらはちゃんとNWAから選ばれてチャンピオン
NWA総会で選ばれたという意味だね?
その伝で言えば、リッキースティムボート(‘89年獲得)なんかは、
もう、いちプロモーションの王者であって、
テーズの時代のNWA王者とは違うよ。
それ以前のダスティ・ローデスだって1978年に、一週間、
81年一か月、王者だった時も、NWA総会で認められたのかな?
86年7月〜87年8月王者時代も、もうNWA総会は開かれていなかったし。 馬場はコーナー最上段からのボディアタックでも取ってなかったか? >>24
スティンボートの時はWCWになっていて全米でのテレビでのビジネス形態に変わっていた。
80年前後のローデスはアンドレと並んで全米トップの人気者で集客能力があったが、
基本、NWA王者はヒールのため短期間となった。取った時は大爆発というアクセント。 日本での評価はともかく、
ローデスのアメリカでの人気は
凄かったらしいね。
ただ、「NWA世界王者」としての評価は
どうか?と思うよ。
>>12
への自己レスだが、
ルー・テーズをして
「あえてひとりだけ最強のレスラーを挙げろ、と言われたら
彼を挙げる」と言わしめたディック・ハットンも、
現役時代の動画が全く残っていないんだ。
これだと後世で評価されるのは難しいな。 >>25
PWFに挑戦した時の決勝の3本目だね
「怪物ブロディ遂にフォール負け」って見出しが雑誌に出てたから
たぶんそれが日本で喫した初の3カウントのはず 81年チャンカー最終戦も、馬場のボディアタックでブロディからフォールして優勝だったような?
その後のインター王座決定トーナメント準決勝では、馬場がブロディにフォールされて星を返した。 反則絡みとはいえ自分は2対1で勝ち、鶴田は一対一のまま引き分け
微妙な線で鶴田より上に行こうとする姑息な馬場 なんで数字と漢数字にしたんだろ?しかも数字は全角だったり半角だったり。 まだ動画が残ってるか微妙だが
馬場がブロディから2回フォール勝ちした場面は
ボディアタックというのが恥ずかしいくらい
かなりしょっぱい そう言えば馬場がブロディにランニングネックブリーカーを決めたシーンは覚えが無いな。
跳躍力が無くなったから長身のブロディには
上手く決められなくなったからか。 (アウアウカー Saeb-TTEa)
↑気持ちが悪い。
こういうウジウジとして
変に細かい奴が猫とか
虐待して殺していそう。 >>33
ランニングネックブリーカーはNWA戦とか挑戦者として
リングに上がるときに使う技だったからな
馬場がブロディに挑戦者として対戦する試合はなかったはずだから
使う機会もなかったのでは
後年は6人タッグとかでも使うようになったけど、そのときもう
ブロディはいなかったし 馬場がチャンピオンとしてランニングネックブリーカーでフォール勝ちした試合は
ロビンソン戦が真っ先に挙げられるが他にあったかな? >>17
1度だけのチャンピオンなんていくらでもいるからトップ10にのろうがのるまいが
別におかしくはない。載ってなくても全然おかしくないな、古いしな。
ただ、最終的にベストチャンピオンになるには論外だって事だ。
フレアー、テーズ、レイス辺りがベスト候補の常連客だからな。 >>36
モラレス、木村。
3本目って縛りが無いなら、ブリスコ、オコーナー、レイスも。
鶴田のフロントスープレックスほどじゃないけど、
出す試合も限られてたんで、受ける相手も限られたね。 >>33
馬場が首を負傷させられたPWFタッグ王座決定戦でランニングネックブリーカーは
ブロディが体をずらして後頭部へのダメージを和らげている。
国内でかわされる事のまず無いこの技も海外ではブリスコやドリーがかわしている
映像がある。 こちらのスレを先に運用ということでいいのかな
以前も書いたことだけど、1981年の復活インターナショナル王座、ブロディが
負傷欠場していなかったら、松戸で行われるはずだった王座決定戦は
ドリーとどっちが勝ったんだろう
格を重んじる馬場だから、初代はドリー、そこからブロディへ、という流れが
妥当だとは思うんだけど、この81年と翌82年、チャンカー決勝でブロディに
馬場が勝ち、「二年連続同じカードで馬場の2連覇」という不自然なことをしてる
81年、ブロディにフォール勝ちで優勝した馬場は、その4日後にインター王座
争奪トーナメントで、ブロディにわずか5分の秒殺フォール負けを喫していて、
なにやら「インター王座をブロディに与える代わりにチャンカーでは馬場に
花を持たせるバーター取引」…だったはずが、ブロディの負傷で、翌年に
再度やり直しを余儀なくされた、みたいな気がついしてしまうという
(プロレス界ってファンが考えている以上に、星のやり取りにうるさくて、勝敗を
バーターにしなければ済まさないレスラー心理とか、よく聞かされるからなあ)
81/4/23 馬場、ブロディを降しチャンカー優勝
→ 4/30 ブロディ、インター王座決定戦へ(負傷欠場)
82/4/16 馬場、ブロディを降しチャンカー優勝
→ 4/21 ブロディ、インター王座奪取
現実には81年4月の王座決定戦を欠場したブロディが半年後の81年10月蔵前で
ドリーから反則でタイトル奪取、3週間後の11月1日後楽園、やはり反則でドリーに
ベルトを返し、最初の決定戦からほぼ一年後の82年4月21日の大坂大会において
ピンフォール勝ちでドリーからタイトルを奪取してる >>40
国内で馬場がランニングネックブリーカーをスカされたのって、
ブリスコにNWAを変えしたリターンマッチの時くらいか
あの巨体だし、スカされるとガチでダメージ大きそう
個人的にベストの一発は、2度目のNWAダッシュの時に
レイスに決めた一発かな。腕を回しながら待ち構える仕草と
エキサイトした表情、対角線上のスピーディーな走りと
高さ、レイスの見事な受けっぷり、どれをとっても説得力十分だった
放送が土曜の夜中だったのが惜しまれる。 ブロディ負傷はアングル。初代はドリーの既定路線だよ。 ブロディの負傷がアングルって証拠あるんかね?
帰国してからもしばらく試合に出てないだろ。単発でちょびっと出たくらい。 ブローディがドリー息子にニードロップしたのもアングルですか?
その後何の展開にも繋がらなかったのはなぜだろう
息子があれでプロレスラーになるのは止めようと思ったのか ディンク君襲撃は、馬場が許可しなかったら絶対にあり得ないアングル。
ブッチャーを引き抜かれ、ブロディの地位を確固たるものにするため
また、蔵前のインター戦を煽るために行われた暴挙
キングコングニーも急所を外してるし、大量の流血も血袋?だと思われる。
この一件で冷静沈着のドリーがインター戦で大暴走しベルトを失うことに…
リング上のハプニング演出は新日本のお家芸だけど、全日本では異例だったね。 >>47
分かってくれて嬉しいっす
話そらして申し訳ないですが他にもゴーディー、ハリーレイス、淵、ポールオンドルフ、
ペイトリオット、マササイト―とかあったよね
デイリースポーツは天竜だったような
で、ブローディーのドリーJr.Jr.急襲の件、事情通の方いらっしゃればお願いします >>49
> キングコングニーも急所を外してるし
どの試合もブロディがミスしない限り
実際には当ててないから急所外すも何もない。 全日はアングルは誰が考えたとか
こういうふうにやる予定だったとか
そういうのが出てこない >>38
じゃ最初からフレアー、テーズ、レイス以外に候補がいないじゃん。
やっぱりまともな論じゃないわw >>53
そりゃそれなりの回数王座に居ないとベストの可能性ないに決まってる。
あくまで個人的な思い入れがあってドリーとかテリーがあるんであってな。
ベストというのは本来1人のことを指すんだからな。 ファイトの表記で一番おかしかったのは「まんじ固め」
「卍」という活字が大阪の印刷所になかったんだろうな
外国人の名前表記については映画雑誌「スクリーン」の謎表記で耐性がついていたかw
スクリーン表記の有名なもの
ハリソン・フォード→ハリスン・フォード
ケビン・コスナー→ケビン・コストナー
マシュー・マコノヒー→マシュー・マコナヘー
チャン・ツィイー→チャン・チーイー
サルマ・ハエック→サルマ・ハーイェク
ハル・ベリー→ハリー・ベリー
ドリュー・バリモア→ドルー・バリモア
レオナルド・ディカプリオ→レナード・ディカプリオ
ユマ・サーマン→ウーマ・サーマン >ブロディ負傷はアングル
松戸の件は難しい。
アングルならばブロディはリング上にいるべきだし
武道館のレイスのように包帯や松葉杖でアピールをするのが当然
なのにそこにいない。
準決勝で馬場を破っていて、決勝でもドリーを破れば
全日の格としては最上のものになるからインター王座の復活としては文句なしだ。
そこで唐突に欠場だからなあ。
前日か前々日の東スポに負傷を匂わす話でも載っていればアングルくさいんだが。
まじな負傷のようにも思えるが、それでもなんでリング下にさえいないのかわからん。 WWEのスキットであったな
「○○タイムス・チャンピオンなんて威張ってるが、たった□日間の在位期間に○△回も
王座転落したっていうだけのことじゃないか」
と罵るというのが
まあWWEはWWWF時代から最も在位日数が多いのがサンマルチノ、次がバックランドで、
二人とも王座転落→復帰が1回しかないからな
WCWにホーガンやブレットが移籍した頃から後継王者が転落→返り咲きを連発して「○度目」を
やたら水増しするようになった印象があるけど、NWAはレイスがローデスに敗れた79年から
84年の夏までの5年間で14回も王座交代してたんだな
その締めが日本でのケリーからフレアーへの移動だったわけだけど >>54
その三人だけで決めるベスト王者なんて大した意味はないね。 >>56
あのブロディの欠場は謎だな。
おっしゃるように、負傷ならそれらしいカッコをして
リングに上がって試合できないアピールをすればいいのに。
まあおかげで究極の禁じ手であるファンクスの兄弟対決を見られたけど、
あのカードは違うシチュエーションや会場で見たかった
そもそもあの日ブロディはどこでなにやってたんだろう。
会場の控室にいたのか、さっさと帰国してしまったのか
ところで、ブッチャーの新日移籍がこの直後だったはず
これは証拠のない邪推なんだが、この時すでにブッチャーの移籍に気付いていて
慰留をあきらめた馬場が、新日の次の標的はブロディじゃないかと
疑い、新日関係者と接触させないようにブロディを隠した可能性はないかな
馬場、ドリーを連破して全日最高位に上り詰めたブロディをその直後に
引き抜かれでもしたらブッチャー引き抜き以上のダメージだからな 月刊プロレスにはブロディが松葉杖持って足に包帯巻いた写真が載っていたな。 名古屋のトーナメント準決勝で右足首を捻挫とあるが、
馬場に5分59秒で完勝してるんだよな。
負傷したとなると、試合後に延々と続いた場外乱闘でやっちゃったか? >>49
ありがとうございます
実際はディンク君もそれなりに楽しんでいたのかな
ブローディーと言えば完全にアングルなんだけどスヌーカとの仲間割れリンチシーン
が田舎の少年には強烈だった 全日中継特有の暗めの照明の下やられるスヌーカの
流血と筋肉の躍動!スタンと組むからお前には用はないみたいな冷酷なブローディー
その後レイススヌーカ組になって親分肌レイスが後ろ盾になったんだと解釈したもんだ
実際は新日でも合流して一緒に離脱後全日ターンでまた合流 仲いいよね 週刊ファイトと言えば「薔薇族」。。w
81年9月ころから85〜6年くらいまでかな、毎週購読してて勿論ストックしてたが
引っ越しの時に処分しちゃったんだよなア。。オクかメルカリで絶対売れただろうし。 >>61
当時のテレビでも映ってたけど、ブロディは馬場を秒殺した後、もう一試合の
準決勝、ドリー対ブッチャー戦に乱入してブッチャーを反則負けにした後に
威勢よくリングから飛び降りた時に、変な形で床に着地して足を引きずりながら
退場していた記憶があるんだけど…
つべを探してみたけど馬場に勝った試合、乱入でテリーをリングアウト負けにして
失格させた試合はあるんだけど、そのドリーとブッチャー戦の動画は、尻切れで
結着部分が見当たらないので確かめられない
https://www.youtube.com/watch?v=yvcryz5AFpc
ブロディvs馬場戦 (愛知)
https://www.youtube.com/watch?v=t6l2NYCnBCw&t=529s
馬場vsテリー戦 (後楽園)
https://www.youtube.com/watch?v=ekhOLqJZWYA
しかしこのトーナメント、準々決勝(実質トーナメント一回戦)4試合のうち
3試合が乱入リングアウト、準決勝の1試合が乱入反則裁定と、かなり
やっつけ仕事だったんだな
そしてこの試合でなぜかリングに上がったオルソノスキーの名前を出す
倉持アナw
>>60
私もその写真見た覚えがある気がしていたんだが、ゴング、プロレスとも
ドリーvsテリー戦を報じた81年6月号には見当たらない
もうちょっと調べてみたい >>53
NWAチャンピオンはその年の総会で1年間誰をチャンピオンとしてロードさせるか決めるんだよ。
それ以外は怪我か病気、ケリーみたいにレンタルしかないのw
1年で終わったチャンピオンは客を呼べないから交代させられたんだよ。 >>65
何トンチンカンなこと言ってんの?
その三人以外にも一年以上王者だったレスラーはいるぞ。 個人的な思い入れだけどNWA、AWAの世界王者は
「届きそうで届かない」あの絶妙な感じを出せるレスラーじゃないとダメだなあ。
88年のC・ヘニング、89年のリッキーにはそれが無かった。
団体のベルトだけどインター王者時代のブロディはそれが出来てた。
AWA王者時代の鶴田のアメリカでの防衛戦は全日ファンからすると今一つな感じだけど
当地の「あの日本人からベルトを取り戻せ!」ってファンたちからすればヒートを買う内容だったんだろうな。
そういう意味じゃハンセンvs天龍のAWA戦は「届きそうで届かない」に熱さ激しさも加わったいい試合だったな。 >>64
ブロディ松葉杖の写真は巻末の熱戦譜のページに載っていたと思います。 >>68
ありがとうございます。
熱線譜は少し前のものをまとめるから(インター決定戦を伝えた
6月号巻末は国際プロレスの2月シリーズ熱線譜のみ)8月号
あたりに載っているかも
今日はさっきまで家族のいる洋間で棚を整理していて疲れて
しまったのでまた後日に失礼します。 ヘニングとリッキー…鶴田天龍の挑戦はNG。
タイガーは貧乏クジ引かされた感じか。 >>69
7月号熱戦譜のページに
「足を負傷して決勝戦不出場になり残念がるブロディ」の写真があった
その下が「引退式で胴上げされる魁勝司」 >>71
ずっと前座のままだったから、その後レフェリーやってた北沢さんとしての印象の方がずっと強いな。 >>71
重ねてありがとうございます。
思えばタイガーマスクがデビューしたのが松戸の決定戦があった日の
1週間前の4月23日だったんですね。
猪木がIWGPに向けてNWFベルトを返上したのと同じ蔵前大会。
もともと全日がインターを大木から買い取って大々的に復権させたのも
猪木がIWGPで優勝したら「インターナショナル・グランドチャンピオン」
を名乗ることになるかもしれないので先手を打った部分も大きかった
わけだから、時期が重なるのも必然だったのでしょうし 普通に大木からタイトル奪取
というストーリーではいけないのか?
圧力かけて返上させる意味がよくわからないしイメージも良くない
いいメンバーを揃えて権威をアピールする割に
決勝が地方の小会場ではインパクトがイマイチのようなi >>74
インター王者大木の正当性を認めてないから、それまで全日で一度も防衛戦開催しなかったんでしょ? ディングも松戸欠場もブック通り
ブロディが包帯巻いて負傷の挨拶をリングでしたら終わりだよw >>75
全日中継ではインター王者は大木と言ってたから正当性は認めてたんだろうな
PWF王座を作ってしまった手前インターまで全日管理にしてしまったらベルト過剰になってしまうから
大木が国際で防衛戦行わなければ大木の王座のまま黙認するつもりだったんじゃね? ヘニングとリッキーのころにはNWAもAWAもどうでもいい雰囲気だった。
正直郡山のときも獲れない(獲らない)と思ってみてたので、87年の時点でオレの中では終了。
なぜなら最終戦・長州の挑戦が決まっていたから。カード発表で移動が無いのが分かる。 >>75
日プロが活動停止でUN・アジアヘビー・アジアタッグがその時点で一度消滅したのに
インターヘビーとタッグだけベルトが生きていたのが謎なんだけど 大木金太郎がベルト持ち逃げして韓国に帰った時点でインター王座復刻すればよかったのにな
PWFなんてヘンテコな王座作ったりしないで でもまあ大木が国際でインター防衛戦開催しちゃった後で、いきなり手のひら返して
全日のリングで防衛戦やらせるわけにはいかないよな。>>74さんはそれがわかってないと思う。 >>80
馬場が日プロ離脱するとき、結局諦めて返上したけど一度はインターもったまま退団しようとしたんだよな。
本人も未練あったから、インター王座って名のタイトル新設する気にはならなかったんだろうな
復活トーナメントのときには、さすがに自分の腰に巻く気はなかったようだが 全日本旗揚げと日プロ崩壊にはタイムラグがあるから
どちらにしてもシングル王座作る必要はあった訳だな
猪木も東プロ時代にヘンなタイトル作ってたし
団体経営にはベルト不可欠なのかもなぁ >>81
そりゃ理解できんよ
大木が国際に上がって
馬場との関係が切れたからインター王者として認めない
というならまだわかるが
大木はその後、全日に再登場するんだから
わざわざストーリーに絡ませないほうが奇怪だよ そりゃあタイトルマッチなら売り値が上がるから当然やろ >>84
大木は全日では78年ごろにすでにトップグループから脱落してたからな。
国際に転出した時も「払下げ」の印象が強かったし。
王座の正当性はもちろん、コンディションも悪かった当時の大木を
トップで使うのは難しかったのでは? >>84
日プロが潰れて大木が全日に上がって以降、一度もインター王者としては認めてもらえずに
防衛戦もやらせてもらえなかったからこそ、大木は国際に移籍してまで防衛戦をやったのでは?
国際に移籍するよりずっと前から、大木のインター王座はそんな扱いだったんだから。 ブロディ、全日から帰っても確認できる限り3週間くらい試合に出てないだろ。
1試合出てたような記憶あったけど、記憶違いだった。
GCWはその間も興行やってたし。
https://www.cagematch.net/?id=2&nr=786&page=4&s=800 >>79
>UN・アジアヘビー・アジアタッグ
の王者は、旧日本プロレス選手=全日の配下に
なったから、廃止するのも復活するのも馬場の
一存だっただろう。
インタータッグは、アメリカに流出中。
これは日本側として奪還せざるを得ない。
インターシングルは、日本の看板タイトルだから
廃止するわけにはいかんが、大木に防衛戦を
させるわけにもいかん、と。 >>88
売れっ子でも普通に3週間位休むでしょw
毎日試合なんかできるか、ボケ! >>90
3週間休んでる期間が普通にあるのなら具体的にいつからいつ迄休んだか挙げてみろ。
普通にあるのなら最低2〜3回の実例を挙げろよ。
さっさと報告しろよ。 アメリカの売れっ子は休みなんかろくに無いと思うが…
70年代終わりはどこの地区も不況に陥っていたけれど、それでも
東海岸とミネアポリスは盛況だったというし、羽振りのいい時は
家に帰る時間もなくて離婚必至になるのが売れっ子の宿命だった。
マサ斎藤ですらフロリダで高千穂とコンビを組んでいた頃は一年で
一、二日しか休みがないほど試合をし続けていたし(おかげで目を
傷めても病院に行けず、片目を失明することになってしまった)
東海岸のWWFエリアでは「1日に国境を往復して2試合する」
なんていうハードスケジュールが続く生活をする羽目になって
精神を病みかけたとか。
ブルーノ・サンマルチノも休みなしの生活で家庭が崩壊するからと
王座をリタイアし、復帰の際には(WWWFの複数スター制移行による)
自身の年間契約試合数の削減を絶対条件にしていた。
まあそれらは極端な例にしても、この時期のブロディのサーキット・
コースがよく分からないものの、3週間試合をしていないっていうのは
やっぱり異例だろうな、アクシデントは本当だったと思いたい。 ブロディは全日から新日に変えたあたりはかなりスケジュール空いてるけど特殊な
理由だからな。新日で稼げるからあくせく働く必要もなくなったんだろうし。 テリー・ファンクもNWA王者時代に離婚したし、キニスキーの奥さんは寂しさのあまり
アルコール依存症になって自殺してしまった スティングとかいい選手だと思ったけど、なんで一回だったのかな?
TNTは二回来たけど、もっと全日で見たい選手だった。 >>44
いい加減にしろ。
こっちは当時、都心から松戸まで見に行って
ブロディ欠場で心底ガッカリしたんだ。
そんなアングルあるかって。
ドリーを優勝させたいなら、ドリーがブロディに
反則勝ちすればいいだろ。
ブッチャーが新日本に離脱直前。
全日本としてはなんとしてもブロディを
売り出したい時に、試合させずに欠場させるわけもない。 とりあえずブロディのDVDの付録の
試合記録集によると
4月27日の愛知県体の馬場戦以降、最初の試合は
5月23日アトランタのジョニー・ハワード戦に
なってるぞ。 なんかにちょびっとブロディが出てた記憶あるから探したら試合はしてないが
これに出てるんだな。逆に言うと試合は無理だったんかしれんしな。
https://youtu.be/zX-wTRIqMWU 本来ならファンクスの兄弟対決をやるのに
何のアングルもなく宣伝もなしにやるわけない。
ブロディ欠場のお詫びのカードだろ。
最初から決まってたなんてありえない。 いちおう王者(前だけど)の大木が
ヒラで決定トーナメントに出るのがバカにしていると思った。
決定トーナメント優勝者と大木で決定戦がいろいろ折衷案だろうが妥当じゃないかな。
ブロディ(ないしドリー)×大木で新王者決定、なら松戸でやるのにちょうどいいカードだし。 >>99
新日本は創立10周年記念興行を何回かに分けて開催したから、全日本も各シリーズに大会場で記念興行を設けてほしかったな。
インター王座決定トーナメントの最終戦を大阪府立でやって、くじ引き後に会場前で「ドリー対テリー決定!」と宣伝したら当日券求める客が殺到したかも?! >>100
> ブロディ(ないしドリー)×大木で新王者決定、なら松戸でやるのにちょうどいいカードだし。
もうあのころの大木はロートルもいいとこだったろう?
大木のシングルがメインのカードなんか弱すぎるよ。 その辺はアンダーカードでなんとかしてもらうんだよ。 確かに当初は大木もトーナメントに参加予定と発表されてたね
最終的には大木が恥をかかされるデメリットよりはと、全日が「管理」していたことになっていた
アジア・ヘビーのベルトと物々交換する形でインターを譲り渡して、以後韓国マットでは
インターの代わりにアジア・ヘビー級タイトルを興行の看板にして防衛を重ねていた
全日も大木の影を出さずに済ませるのにはメリットがあった
「自分が持っているもっは持ち上げ、他人が持っているものはこき下ろす」のがビジネスの
基本(だから力道山がWWAと提携していた時期、日本のプロレスマスコミはNWAを
「過去の遺物」とこき下ろしまくっていた)
インターを「韓国や国際で防衛戦を続けてきた大木からベルトを受け継ぐ」のではなく、
「馬場が返上して以来有名無実化していたベルトをNWAの勧告により復活させた」という
ストーリーを喧伝して、馬場より後のインターの歴史をほぼ無かったことに出来たから >>104
物々交換じゃなく、アジアヘビー+金銭だね
まして首の負傷でトーナメントに参加できるような状態じゃなかった >>96
松戸だからっていうのはあるね。都心なら暴動になるから。
さすがに決勝戦を反則決着でベルト獲得とはまずいので、欠場にさせた。 インターナショナルの大木 UNの高千穂はドサクサでチャンピオンになったようなもので
正史ではなかった扱いだね >>106
> 松戸だからっていうのはあるね。都心なら暴動になるから。
そんなんで暴動にはならねえよアホw >>95
スティングが初来日した89年6月で、全日本とWCWの提携が終わったからだよ。
89年前半に全日本に来日したリッキー、ウォリアーズ、スティングなどWCWとの契約レスラーは
これをもって最後の全日本来日となった(馬場死去後、ウォリアーズのドーム参戦は除く)。
スパイビーもその流れにいたんだけど、ハンセンのパートナーとして90年3月に全日本に復帰した。
この89年6月以降に参加する外国人選手は、全日本をメインとする"ゼンニチガイジン"になった。
TNTは87年最強タッグでの馬場へのトラースキックが見事だったね。
確かに良い選手だけど、親分・ブッチャーより目立ってしまうことやブッチャー&シンが既定路線
となったから全日本での立場がなくなった。
また、88年7月のブロディ死去で全日本とプエルトリコ(WWC)の提携も終わったしね。
その後、新日本とWWCの提携で、コロンの愛弟子であるTNTも90年から新日本に参戦することになった。 ブロディの件で馬場とコロンは切れたのかな?
NWA末期迄かなり蜜月だったようだし。 松戸を復活インターの決勝の場としたのは馬場がインター王者時代の
日本プロレスコミッショナー川島正次郎ゆかりの土地だったから。 なら馬場がブリスコを破ってNWA王座を獲得したのが鹿児島だったのは二階堂コミッショナーゆかりの地だからなのか? >>110
解説アリガトウ!
スパイビー・スティング組、スヌーカ、TNT組なんて絶対盛り上がったよね。TNTはカブキともペイントタッグも良かったと思う。 古い話で恐縮だが、82最強はリッキー・スレーター組を2年ぶりに参加させる発想は無かったのかね?
そしてレイス・スヌーカ組なら史上空前の大会だったと思う。やはりジェイみたいな配給係もいないとダメなのかね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています