【馬場氏】アブドーラ・ザ・ブッチャー氏のタッグパートナーを語るスレ【テリー氏】
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ザ・シーク氏、レイ・キャンディ氏、キラートーアカマタ氏、バッドニュース・
アレン氏、TNT氏、タイガージェット・シン氏、ジャイアント・キマラ氏、
鈴木みのる氏など、多彩な人とタッグを組みました。 【猪木氏】タイガージェット・シン氏のタッグパートナーを語るスレ【鶴見五郎氏】 【ロン・バス氏】スタン・ハンセン氏のタッグパートナーを語るスレ【大森隆男氏】 小型ブッチャーみたいなアブドーラタンバは記憶にあるがブッチャーとはタッグを組んで
いないかと。クソ弱いレスラーで1回きりの日本マット参戦では。 ファーナスが初来日の時頻繁にブッチャーと組んでいた。
まだカンナム結成前でクロファットと組むのは数えるくらいな時に。 >>11
元子全日本でキマラが来日しなかったシリーズではいろんな奴と組んだな。
カシン、安生、保坂とか。 【ラッシャー木村氏】ブルーザー・ブロディ氏のタッグパートナーを語るスレ【鶴見五郎氏】 【トミー・リッチ氏】NWA&AWA歴代チャンピオン諸氏を語るスレ【オットー・ワンツ氏】 【ラジャ・ライオン氏】ジャイアント馬場氏と対戦した選手を語るスレ【吉田義男氏】 【倍賞美津子氏】アントニオ猪木氏の人生のタッグパートナーを語るスレ【橋本田鶴子氏】 【ドロップキック氏】坂口征二氏が封印した必殺技を語るスレ【ジャーマンスープレックスホールド氏】 シークは肉喰ってブッチャーはパスタ
結果、それぞれあの体形なわけだな 深いぜ列伝 >>19
キングコングバンディ氏はタッグながらアントニオ猪木氏から85年にピンフォールを
奪っている人物。もう一つ大成し損ねた感はあるが猪木氏がフォールを奪われたのは
実に6年ぶりだったとか。
バンディ氏は恐らく全日本プロレスには来日経験がないと思われるが83年にアトランタ
あたりでジャイアント馬場氏の持つPWFヘビー級王座に挑戦している。 【Sハンセン氏】アンドレ・ザ・ジャイアント氏のタッグ・パートナーを語るスレ【テリー・ゴディ氏】
レネ・グレイ氏とのコンビでMSGタッグを制しているアンドレ氏はジャイアント馬場氏とも
アントニオ猪木氏ともタッグを組んだ経験あり。ジャンボ鶴田氏ともタッグを組んでいる。
Sハンセン氏のところはスタン・ハンセン氏でもスエード・ハンセン氏でもどちらでもOK。 >>20
あの当時、専門誌のエッセイでバンディについて
「馬場が『もうちょっと磨かれないと、日本には…』て言ってる間に
新日にとられちゃった」みたいに書かれてたの印象深く覚えてる
むかしはアメプロの映像見て「大雑把なプロレスだなぁ」て
思うことが多かったけど、やはり日本に来て日本式のpuroresuやらせると
適応する人は適応していく
バンディは日本式に適応したけど、
ブロディ移籍に話題を持っていかれて真のエースガイジンにはなりそびれ
そしてWWF参戦したら、やはり高評価されて日本に来る時間はなくなっちゃった あとバンディだと、古館が「マシュマロマン」
(説明の必要ないと思うけど、
当時の大ヒット映画「ゴーストバスターズ」に出てくるモンスター)
て呼んだら、マジで怒ったとされてたけど
あれは真相はどうなんでしょうね
古館は近い時期にシュルツに暴行されたりとか
あの人も身体張って新日冬の時代を支えて今いましたな >>23
デビット・シュルツ氏ですな。ワシもおぼろげに記憶に残っております。
確か猪木氏が反則負けしたことがあります。
古館氏も災難でしたが、80年の倉持隆夫氏は、確か15針縫う大災難。
最近ニコニコ動画で当時の試合を見たが、いやはや破壊的なまでに面白い。
当時の人気は新日本>>>>>全日本の筈なのに観客の熱狂ぶりが凄まじく
全日本が新日本に圧倒的に人気で劣っていたという認識は誤っているのでは、
と自戒した次第。ブッチャー氏とシーク氏のプロ根性に敬服。 【ザ・シーク氏】アントニオ猪木氏に勝利したレスラーを語るスレ【デビット・シュルツ氏】 この系譜の最終は鈴木みのるか?ブッチャーの子分って意味では菊ドーラブーチャンかもw ジャイアント・キマラ氏と組んで前年度最強タッグ優勝チームのスティーブ・ウイリアムス氏&
マイク・ロトンド氏のコンビに勝ったこともあった。 【前田明氏】ハルク・ホーガン氏のタッグ・パートナーを語るスレ【天龍源一郎氏】 ザ・シーク氏はナチュラルに顔が怖かった。
キラー・トーア・カマタ氏はブッチャー氏とキャラが被っている感じ。
国際プロレスから円満移籍で、最初のシリーズの確か秋田での大会でジャイアント馬場氏
を反則勝ちで破りPWFの連続防衛記録をストップさせた人物。これはプロレス史上でも
屈指の大番狂わせ。
11日後にビル・ロビンソン氏に王座を奪われるのだが。 大木金太郎氏とボボ・ブラジル氏とで最強頭突きトリオ組んでたこともあったな >>30
確か79年でしたかね。
で、それにへそを曲げてキム・ドク氏が日本陣営に入ってタイガー戸口氏になって
ジャンボ鶴田氏とT.Tコンビを結成するという流れだったような気が・・・・・・・・・・
惜しむらくはキム・ドク氏がタイガー戸口氏になってからは一度も世界最強タッグに
参加していないという・・・・・・・・・ 組んで良し。戦って良しのアブドーラ・ザ・ブッチャー氏&ザ・シーク氏。
後楽園ホールでの激闘(1980.5.2)からまもなく40年になる。 体型からしたら中年期で早世してもおかしくなかったが。適度な流血を繰り返したことが
ブッチャー氏にとっては幸いだったのかも。
惜しまれるのは30代前半で早くもレスラーとしてのピークを過ぎてしまったテリー・ゴディ氏。 ブッチャー氏とシーク氏が後楽園ホールで激闘を繰り広げてから40年になる。
youtube やニコニコ動画で当時の試合が見られるが面白くて仕方がない。
両者は「組んで良し、戦って良し」の戦友だと思う。
子どもの頃、怖くて仕方がなかったシーク氏に対する見方が変わった。
たぶん自分は隠れファンだと思う。 見たかったブッチャー氏のスモールパッケージホールド。
シーク氏のウエスタン・ラリアート。
カマタ氏のジャーマン。 ブッチャー氏とアンドレ氏のタッグを一度見たかった。 ブッチャー氏がハンセン氏と組んだタッグ戦では大器と謳われた谷津嘉章氏が辛酸を
舐めた。しかしタッグプレイヤーとしては、いい線を行ったと思う。 ブッチャー氏と言えばテリー・ファンク氏との抗争が浮かぶがそれ以前に
ザ・デストロイヤー氏やハーリー・レイス氏とも乱闘を繰り広げたと聞く。
その場面を見たかった。 >>43
全日全盛期は馬場の意向だったんだろうが、新日本転出の時は契約に盛り込んでいたそうだ。 負けなかったけど菊池とか浅子にボデディスラムに投げさせてあげてた ピンフォール負けはそんなにないような気がする。確かに。 84年あたりは没落した感じで移籍はハッキリ失敗だったと思う。 ブッチャー氏とラッシャー木村氏は75年にシングル対決したことがあったとは知らなかった。 ブッチャー氏とシン氏のシングル対決は遅きに失した感がある。 ↑ブッチャーの久々の勇姿を見て「帰って来たなブッチャー」と感慨深かった。 >>53
開幕戦の五輪コンビとの対戦で大いに盛り上げてくれた 五輪コンビ氏との開幕戦は生中継だったのを思い出す。 ブッチャーに肝炎染され訴訟起こした若手いたよね。
ジャンボも憶測だけど自身で「多分ブッチャーからだろう」って
いってた。テリーとは毎日流血戦だったけど
感染て相性見たいのがあるのかな? テリー氏は人並外れて打たれ強い。
必殺技は表向きはスピニング・トーホールドやテキサス・クローバー・ホールドなのだが、
究極の必殺技は「やられること」に尽きる。
そういう点でブッチャー氏との相性は抜群だったような気がしてならない。 大人になってテリーとブッチャーのシングル観ても
そうでもないんだよな(大宮は騒然だったが)
当時は子どもだったし興奮しっぱなしだったけど
やっぱシーク様とジュニアがいて盛り上がる。 TNTは使え過ぎた故、人気も上がっていったことを嫌ったブッチャーに
冷遇されてすぐに見なくなってしまった ↑トップ戦線ではないにしろ、WWF上がったから成功者だよ。 88年と89年の世界最強タッグではブッチャー氏はシン氏とタッグを組んだが
もう少し早くに結成出来ていたら優勝戦線に絡んでいたと推察する。
仲間割れ後のシングル戦は盛り上がりに欠いて、シーク氏の時のような観客
大熱狂とはならなかった。
個人的にはTNT氏とのコンビをもっと見たかった。 仲間割れしなければ88最強タッグはブッチャー&スヌーカだったかも ブッチャー氏はハーリー・レイス氏とも抗争を繰り広げていたと後で知った。見たかった。 スヌーカはレイスと組む筈だった82年最強タッグの欠場が惜しまれる。 >>22
ん?馬場は自らUWFにブッキングしたんだけどなあ。新間が抜けて路線変更でキャンセルになったけど。
それでハンディは新日のオファーを受けたと。
「バンディがつむじ曲げるのも仕方ない」と馬場も言ってた。 日刊スポーツにジャイアントキマラ(大きい方)の追悼記事が載ってるけど
使われている写真は、小柄な方のキマラだった。 77年のオープン・タッグで「アフリカ・中近東代表」と倉持さんが紹介しておられたが
ブッチャー氏はカナダ国籍でシーク氏はアメリカ国籍。 ジャパン・プロレスが参戦している時期に全日本にカムバックしていれば
キラー・カーン氏とブッチャー氏のコンビで最強タッグに出場する選択肢
もあったと思う。 KKKギミック?に走ったカーンだが、
その前にブッチャー参戦となれば
カーンとの合体あり得たかもね!
面白い!
で、キムイル・キムドクパターンで
ブッチャー・カーンの仲間割れ。
馬場・カーンの新潟巨人コンビ結成に!
・・・なんて流れもあったかも! 86年に全日本復帰ならばブッチャー&テリー・ゴディもあったか。 ブッチャー氏が新日本に移籍しなかったら81年は誰と組んだのだろう。
もう1年カマタ氏と組んだだろうか。 ブッチャー・カマタとブロディ・スヌーカの対戦は見たかった ×330パウンド(150kg)
アブドーラ・ザ・ブッチャー
〇481パウンド(218kg)
アブドーラ・ザ・ブッチャー 80年。ブッチャー&マスカラスVSロビンソン&シークのハチャメチャカードを
組んでみたら結末はどうだっただろう……… >>31
まだ馬場が元気だったからね。あと1~2年我慢していれば戸口の時代が来たのにもったいないと思った。 ↑ジャンボ鶴田氏がいるのでエースのイメージはないものの世界最強タッグで鶴田氏との
コンビで優勝争いには確実に絡めたかと。
しかし、戸口氏離脱のお陰で天龍源一郎氏が台頭する契機となったのは、忘れたくない。 79年は高千穂が天龍と組んで出たかったと言ってたか 高千穂&井上という越境タッグが実現した77年オープンタッグ ブッチャー氏は実は適応力があって誰とでもそこそこ「いいコンビ」を組める気がする。 82年にMSGタッグに出場していたら、やはりパートナーはバッドニュース・アレンでしょうかね。 ザ・シークがドリーに手首を滅多打ちにされた動画を見たがえげつないシーンだった。
あの試合、ファンクスとの試合がメインでないことを知った。 新日時代はブッチャーは6人タッグでキッドとも組んだ。
そんで佐山タイガーと対戦した。 新日ではリーグ戦に出れるようなパートナーに恵まれなかったな ブッチャー・アレンは、
なかなかな組合せだったと思うが
仲間割れしたんだっけ?
誰のプランか知らないけれど。
馬場・鶴田、キムイル・ドクの
鶴田・ドクのような役回り(試合の7,8割が鶴田・ドク)をアレンが徹し、
更にプラスアルファな動きをしていたら
新日のタッグ戦線の盛上りも違っていたのでは?
ただ、ブッチャーの五寸釘(凶器)は既に時代遅れになっていたし
ブッチャーも変えるところは変えないといけなかったが。
(それが仲間割れの原因だったんだっけ?
TNTの時もそうだっが、そもそもブッチャーはパートナーが目立つのは気にいらないからアレンが活躍したら面白がらなかったかもだが) アレンだと、すでに負け役がしみついていた。
格上げが必要だった。
結局それが仲間割れの時かな。 ブッチャー氏とアレン氏は84年の1月か2月初旬くらいに仲間割れしていたと記憶している。
で、ラッシャー木村氏が止めに入っていた。新日本プロレスのオープニング・シーン。
今にして思うと83年のMSGタッグにラッシャー木村氏とブッチャー氏のコンビで出場するという
選択肢はアリだったと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています