【馬場氏】アブドーラ・ザ・ブッチャー氏のタッグパートナーを語るスレ【テリー氏】
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ザ・シーク氏、レイ・キャンディ氏、キラートーアカマタ氏、バッドニュース・
アレン氏、TNT氏、タイガージェット・シン氏、ジャイアント・キマラ氏、
鈴木みのる氏など、多彩な人とタッグを組みました。 高千穂&井上という越境タッグが実現した77年オープンタッグ ブッチャー氏は実は適応力があって誰とでもそこそこ「いいコンビ」を組める気がする。 82年にMSGタッグに出場していたら、やはりパートナーはバッドニュース・アレンでしょうかね。 ザ・シークがドリーに手首を滅多打ちにされた動画を見たがえげつないシーンだった。
あの試合、ファンクスとの試合がメインでないことを知った。 新日時代はブッチャーは6人タッグでキッドとも組んだ。
そんで佐山タイガーと対戦した。 新日ではリーグ戦に出れるようなパートナーに恵まれなかったな ブッチャー・アレンは、
なかなかな組合せだったと思うが
仲間割れしたんだっけ?
誰のプランか知らないけれど。
馬場・鶴田、キムイル・ドクの
鶴田・ドクのような役回り(試合の7,8割が鶴田・ドク)をアレンが徹し、
更にプラスアルファな動きをしていたら
新日のタッグ戦線の盛上りも違っていたのでは?
ただ、ブッチャーの五寸釘(凶器)は既に時代遅れになっていたし
ブッチャーも変えるところは変えないといけなかったが。
(それが仲間割れの原因だったんだっけ?
TNTの時もそうだっが、そもそもブッチャーはパートナーが目立つのは気にいらないからアレンが活躍したら面白がらなかったかもだが) アレンだと、すでに負け役がしみついていた。
格上げが必要だった。
結局それが仲間割れの時かな。 ブッチャー氏とアレン氏は84年の1月か2月初旬くらいに仲間割れしていたと記憶している。
で、ラッシャー木村氏が止めに入っていた。新日本プロレスのオープニング・シーン。
今にして思うと83年のMSGタッグにラッシャー木村氏とブッチャー氏のコンビで出場するという
選択肢はアリだったと思う。 83年は7月頃に1回来日しただけだと思う。
この時点で既に新日本への移籍はハッキリ失敗だったと感じた。 今日はテリーとのUN戦の日
その前日にはかカマタと組んでテリー・マードックと対戦 テリー氏とのUN戦は確か3本勝負だった。ブッチャー氏が最も勢い盛んだった時期。 ブッチャー氏とマードック氏は犬猿の仲と聞いたが実際どうだったのだろう?
仮にタッグを組んだら82年のMSGではカーン氏&戸口氏のコンビを抑えて決勝まで
行けたような気がするのだが。 日本・国際・全日本・新日本と来日経験のあるディック・マードック氏は大関のポジションが
よっぽど居心地が良かったのか、ノビノビと戦ってしまっていたが、本来は横綱格と思う。
86年あたりは「対前田氏の用心棒」みたいなポジションで格も少し上がった感じがした。 伝説の蔵前国技館オープンタッグ選手権優勝決定戦から今日で43年。 ピンフォールを取られても格落ちしないシーク氏の最盛期は日本では80年が最高潮だったか。 ブッチャー氏と仲間割れした後、80年の抗争のシングル戦を見たが後楽園の観客の
盛り上がりぶりは凄かった。
シーク氏のこのヒール人気を背景に80年の秋口に国際プロレスとの間に交換トレードを
成立させたら、どうだったか。。。。
ラッシャー木村氏vsザ・シーク氏の金網デスマッチ。あるいは、大木金太郎氏vsザ・シーク氏。
上田馬之助氏&ザ・シーク氏の新・凶悪コンビなど。もうしばらくは国際プロレスも存続
出来たような気がするのだが。。。 もう80年だと全日と国際は完全に関係が切れていたかと。 ブッチャー氏と対戦したレスラーが次々に鬼籍に入られているのは淋しいことだ。 しかしながらブッチャーは健在。
外見からすると失礼ながら余り長生き出来ないタイプかと思っていた。 梶原一騎の追悼試合で馬場・三沢タイガー組と対戦したときのパートナー
ジョージ・スコーランは試合後の乱闘でキレたブッチャーに地獄突き食らったりして
あまり良くない方で印象に残ってる。 ブッチャー・アレン組でMSGタッグにエントリーして欲しかった。 ブッチャー氏とシーク氏の名勝負から40年くらい経った シーク氏に向かって冷凍ミカンを投げつけた「勇気ある人」が昔はいたらしい。
実際は冷凍ミカンはジャイアント馬場氏のアタマに誤爆したのだが。 ブッチャー氏とテリー・ファンク氏は「戦友」という言葉がふさわしい。 ブッチャー氏とハンセン氏のコンビでその年のMSGタッグに出場していたら・・・ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています