【エディグラハム】国際プロレスpart21【ジエンフォーサー】
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79年末ならガニアはバションとAWA世界タッグコンビで来日してほしいな。
R木村&草津
浜口&井上
寺西&阿修羅 以上、日本組
スミルノフ&ストンパー
ジョー&ブルックス
サモアンズはもうWWF入りで無理か。
ミレツルノ&チャールズベレッツ(ジョニーロンドス) どんな外人でも木村相手だと1回で飽きた
ジョー、スミルノフ相手はマンネリ感満載だった
ジョーは井上相手の方が面白かった さっき動画で井上対ジョー両者KO見たが 面白いねブックとか抜きにしても二人は好敵手 木村は単調でつまらない >>540
それだけ揃えても
馬場&鶴田
ドリー&テリー
ブッチャー&シーク
マスカラス&ドスカラス
マクダニエル&ヒル
大木&カマタ
レスリング&ストラングラー
参加の全日最強タッグが同時開催では… >>543
まあねw 最強タッグブッチャー&シークとファンクスは優勝戦は凶悪組の仲間割れの波乱の舞台。
確か新日も79年闘魂シリーズはかなり奮発したメンツで、全戦とおしてモラレス、ボルコフ
グレッグバレンタイン、特別参加で初登場のローデス、パターソン、バックランド、シン、
猪木もWWF戴冠と充実したシリーズだったしなあ。 >>536
原はシリーズ中「阿修羅十番勝負」を行う
1戦テーズ ●
2戦スタントン 〇
3戦アサシン1号 〇
4戦ジョー △
5戦フジイ △
6戦ストンパー ●
7戦スミルノフ ●
8戦コロフ ●
9戦上田 〇
10戦草津 ●
4勝4敗2分 ガニアはケチで傲慢で先見の明が無いんだよね
ハルクホーガンみたいなスターレスラーがみんなガニアを見限ってWWFに引き抜かれちゃったもんね
ホーガンをAWA世界ヘビー級チャンピオンにしていたら歴史が変わっていたかも知れない >>546
間違いました
何回か練り直したのに結果だけそのままでした
>>545
3勝5敗2分 >>547
ガニアはホーガンを金の成る木と見抜いて自分の娘婿にしようと工作したんだよ
ホーガンは「俺はあんな男と親子になる気はさらさら無かった」そうだ リッキー・スティムボートやボブ・バックランドはガニアにレスリングコーチ料名義で
ギャラをピンハネされて閉口してたんだっけ でも、コーチとしての
テーズよりはマシ!
とジニアスが言いそうwww 今手元にフレアーの自叙伝無いけど、フレアーの自叙伝で読んだのはガニアはコーチ料は取らないがレスラーとしてデビュー後、ファイトマネーの数十%ガニアに支払うって契約書を交わす
フレアーはクロケットJrにその話をしたらそんなのをしてるのはガニアだけで必要無いと言われた
フレアーまとまった数万ドルを送金して今後は払わないと断った
スティムボートにもその話をしてフレアーと同じ事を勧めた
他の選手は払い続けたり、払うのを無視した選手はガニアからお達しが各プロモーターに行って干される 82年からホーガンがAWA入りしても新日との繋がりを断たずに頻繁に来日してくれたのも
新日への恩義も少なからずあったのだろう。ただWWF(ビンスジュニア)との契約に関しては
シビアに自分の主戦場を見据えた行動だったな。ホーガンもなかなかクレバーではある。 >>552 >>553
ジニアスがテーズベルトを巻いていたらマネージャー料を取られたんだろうな?
10%? >>553
「虎の穴」もコーチ料は無料
(しかも、部屋、食事つき)で
デビュー後、ファイトマネーの
50%を払うんだよな。
それを断れば、虎の穴の刺客に
リング上で制裁を受ける。
でも、マッチメークするのは
興行主だが、それをどうやって
虎の穴が介入したんだろ?ww >>553
ガニア・キャンプはいままでずっとスクールの先駆とかって言われてたけど無料だったのか。 >>556
そのやり方が日本のやり方だった。
衣食住保証でコーチ料は無料だが徒弟制度で固められる。
その会社でデビューし、他団体への移籍は困難。 >>558
それに虎の穴の誘拐ほどではないが
昭和時代は、地方の身体の大きい子供に
「東京見物に連れて行ってあげる」
と言って、誘い出し相撲部屋に
入れたこともあったそうだなww。 Gスピリッツ最新号読んだが、
小林がミラーからIWA王座を奪った試合は「実際には行なわれていない」と、流智美がはっきり書いてるな。
それどころか小倉で杉山がミラーに負けた試合も、実際に行われたか疑わしいと。
全く予選が行われずに小林が決勝進出した
70年のワールドシリーズといい、国際はイージーなところがあったな 韓国のパクソンナムが来てたらかなり話題に
なってたかもしれない。
まあアメリカで売れっ子だったから、わざわざ日本に来る必要なかったかも。
猪木とは戦ってるけどね。 >>561
猪木にシュートを仕掛けられて、目ん玉やられた韓国の馬場だね。
生涯で3度のリアルファイト(アリ、パク、ペールワン)の試合で、
パク戦は本来2試合やって、1勝1敗の予定だったのに猪木が嫌がった。
アリとの試合を酷評され、パクごときに負ける姿を日本の中継で見せたくない。
しかも韓国の馬場と言われるレスラーならなおさら。
残念ながらシュート試合の初戦は中継がなかったが、
猪木が負けるはずだった第2戦の試合は凡戦で、パクは戦意喪失状態だった。 >>560
公務員やりながらプロレスやってた流の言うことは・・・
>>563
高橋本「負けが嫌ならプロレスという職業に就くな」
「アリと戦った猪木さんをパクソンナンのジョブになどできない」
言ってることとやってることが違う。 >>564
「この日にダルースで興行はなく、小林とミラーはそれぞれ違う都市で違う相手と試合をしている」。
まあね、何となく「そうかな」と思ってたけどね。 >>560
今さら流に指摘されても、このスレでは度々出てた話だよな >>566
このスレで出てくるのと雑誌、それもゴングの流れを汲む雑誌に載るのとは重みが違うなあ。
何せ当時そのゴングで「小林が王座奪取」の記事を読んだので。バックドロップでミラーを叩きつけたとか何とか。
プロレス記者が「グル」になった時代か。 >>567
マスコミとグルって、プロレスはすべからくそうでしょ。 >>567
団体とマスコミがグルになってたw
グラハムとロビンソンの王座移動も騙された。
タッグマッチの絡みを、シングルマッチにされ、
グラハムのベルトを締めた写真もフェイクだったな。
いい時代だったのか、悪い時代だったのかww グラハムの締めたベルトもなぜかいきなりのニューベルトだったしね〜。
あれが古い(小林)ベルトだったらまだよかったかな。
レイス→ブリスコの前に新旧ベルト交換式があればもっと新時代到来を感じさせられただろうに。 奇遇というか、73年全日サマーアクションシリーズで移籍した杉山とビルミラーが何度か対戦してるな。 IWAの本部がパリって設定だったからIWAワールドシリーズでなくIWAモンドグランプリだったらそれらしかったのに >>572
杉山がしっかりミラーに勝ってるのが面白いね >>571
レイスとブリスコの移動劇は、試合前に新旧ベルト交換式があったよ。
当時のゴングで見た。 >>572
日プロがこのシリーズから合流したのかな。
73年は映像が残ってないのが多いから残念だ。
確かミラー最後の来日で、ツーショルダーのタイツ姿だった。 >>560
71年3月4日、小倉で興行そのものは
あったんだろ?
いくらなんでも、その日杉山対ミラーの
IWA世界戦が行われていなければ、
後日、小倉のファンが騒ぎ出し、
ネットがない時代とはいえ
噂になると思うがな。
海外の試合は騙し通せるが。 >>577
国際は地方各地で闇選手権や闇デスマッチを行ってたけど騒ぎになった事は無い
マスコミが来てない地方大会の結果を電話でマスコミに伝えるのに誰も結果を書いてなかった >>578
闇選手権や闇デスマッチを行っても
それを見たファンは怒りはしないだろ?
むしろ、事前に発表されたカード以上のモノが
見られたからラッキー。それをマスコミが報道しなくてもOK!
ただ、小倉の興行、メインが杉山、ミラー絡みの
普通のタッグマッチ。あるいはシングルだったとして
その後、「3月4日、小倉でミラーが杉山を破ってIWA王者に
なりました!」と報道されたら、見た観客は黙っていないと思うがな。
そういう噂が、この50年、全くないというのも解せない。
ネットが始まった20年前に、この5ちゃんに書き込まれても
不思議はないと思うわ。 当時のスポーツ新聞(特に九州スポーツ)のバックナンバーは無いのかな? “気付いて騒いでも広く伝播しなかった”ってのが実状じゃない? まぁ、>>560を読めば。
流智美だって
「杉山対ミラーのIWA戦は行われなかった」
と断定したわけではないんだろ?
「疑わしい」レベル。 なんかAWAは良いレスラーを発掘するのは上手いけど、
トップレスラーになると引き抜かれているイメージ
国際プロと似てるなー >>581
575本人だが、あっさり書き間違ってるな、失礼。
×レイス→ブリスコの前に新旧ベルト交換式があれば
○レイス→ブリスコの前みたいに新旧ベルト交換式があれば 闇選手権、闇デスマッチをライブで見てない奴は完全にニワカ認定
あれこそライブで国際を見る醍醐味
テレビマッチ見て、あーだこーだなんて国際の魅力を知らんわな
田中忠治や寺西、果ては上田馬之助の金網見た奴の勝ち >>585
恥の上塗りだがまた間違った……。
571が575にレスしたのです。 >>582
流も断定はしていないね。
むしろこの試合の放送、報道を控えるようなマスコミ管制が
あったことを強調してる。
当時杉山が名古屋で副業やってたので「王座転落」というマイナス
イメージを控える必要があり、ノーテレビ、マスコミ取材なしという
状況を選んでベルトを渡したとか。 >>588
マスコミ規制とか、その感覚がそもそも国際のズレてるところだな マスコミがいないところで闇金網で剛竜馬がシリーズの目玉外人をKOしちゃうのが国際の面白さなんじゃないの
新日、全日と同列に語ってるところが、雑誌の中だけで国際を語るニワカなんだよな
国際ってのは放映権料が安い地方で客入れなきゃ持たないゲリラ団体だったのよ 俺は浜松で田中忠治対チンリーの金網メイン見たけどねw
IWAタッグ戦をセミに押しやってのメイン。チンリーは三流外人だったけど。
しかし客入りは前年暮れの新日本(猪木対パターソンのシングルがメイン)
を圧倒する、超満員の大入りであった。
ちなみにポスターはラッシャー木村の金網戦で「壮絶! 金網デスマッチ」の
煽り文句。当然木村が金網やると思ってた・・・ >>591 キミは国際ファンとして間違いなく勝ち組だよ
草津VSチンリー見た奴もいるからな
上田馬之助VSブラックロッキードも凄かったよ >>584
小林は日本にいなかった
あの日の興行に出て存命なのは井上、寺西、浜口くらいか この木村vs井上のIWA戦はテレビで見て内容も覚えてるが、コールの後にファンファーレは記憶にないw
https://www.youtube.com/watch?v=0XDH4sKaXrg >>571
日本ではベルトは会社の持ち物だけど、あちらでは基本的に王者の個人的
所有物になるんだなあ
デザインチェンジして新しいベルトを作るのは、それまでのベルトを王者
(もしくは前王者)に寄贈するための措置だったりするのか
WWFでバックランドが王座転落する直前、いきなりベルトが今までと違う
何ともいえないエスニックなデザインになったことがあったけど、あれは
次期王者にしてすぐホーガンに王座を渡すアイアン・シークが、すぐに自分の
個人所有になるはずのベルトに
「こういうデザインにしてくれ」と注文したものだったんだろうな
(もちろんホーガン時代になったらすぐにアメリカン調の新ベルトに変わった) >>593
タイトルマッチ開催の事前発表なし
当日取材記者ゼロ
ノーテレビ
これでは、たとえ杉山ミラーの試合が行われていたとしても、やってないのに等しいとも言える >>592
ブラック・ロッキード。覆面の横の飛行機マークが可愛かった。 >>595
>日本ではベルトは会社の持ち物だけど、あちらでは基本的に王者の個人的所有物になるんだなあ
ならねえよ >>539
寡黙で男らしいと思ったら、何にも考え無く行動力も無い奴 ラッシャー木村は新日からUWF→全日に移籍して結果的には良かったよね。
あのままずっと新日に残留していたらどうなっていたのかな。 ユーチューブで国際あげてくれる人、ありがたいな。
深夜時間がある時見てる。
DVDで販売してるのもより画像きれい。
入場テーマそのままだから、当時の録画だろうね。 >>600
残留と言っても、ラッシャーは
新日の「所属」じゃないだろ?
フリー契約だから、商品価値が
なくなれば切られたよ。
所属でも切られるがな(^^: というか、
新日では、もうラッシャーはいらない、
ってことで第一次UWFに「出向」になったんだろ? >>601
ジャパン一派と入れ替わりで
木村、剛、若松、モローで新日版
国際血盟軍結成?
ガラクタ感半端ないな。 ラッシャーが新日本に殴り込んだ時期に、ストロング姐さんの腰が
悪くならなければ、猪木ワールドで国際魂の復活があったかも知れない。 >>606
小林が元気だったら、スキンヘッドで悪役レスラーに変貌した
ストロング金剛&木村を核に、新国際軍団の結成もいいね。 >>595
>日本ではベルトは会社の持ち物だけど
これがそもそもが妙な話だ、「団体」のものならわかるんだけどね。
ボクシングはベルトを巻く権利を得るようなもんでしょ。
そんで勝ったら団体指定業者からベルトを言い値で買ってコスチュームの一部にする。
相撲の綱はどうせ後援会が手配してくれるんだろうけど、所有権は誰かな? >>608
ベルトの所有権は金を出して作った人・会社・団体など。
チャンピオンになって証としてベルトを巻けるの繰り返しで
相撲や甲子園の優勝旗・杯と同じで勝った者に渡されていく。
相撲の綱は贈呈したのなら関取。 >>608
そうそう。だから新王者には王座奪取後しばらくしてWBCとかの本部から
ベルトが郵送されてくるw
タイトルマッチで勝った後にインタビューなどで見せびらかしてるのは
負けた前王者から一時的に「貸してもらった」だけで、前王者が帰国する時には返してるのはなんか笑える
日本のベルトやレイス時代のNWAなんかは「あくまで会社組織の備品」という
論理が一般化していたけど、力道山の時代から既にベルトは新王者が新しく
自分で作って持ちものにしておくもの」というのが常識だったみたいだね
それこそ力道山がテーズから「インター王座」なるものを「奪った」けれど
テーズ個人所有のベルトをもらい受けることができるはずもなく、帰国時に
「ベルトは勝者が持つもの」と思い込んでた昭和の記者に「勝ったならなぜ
ベルトがないのか」と問い詰められ言い訳に窮していたり、それじゃと日本で
本場のようなベルトを作らせようとしたのに、時代が時代で不細工なものしか
出来なかったとかの珍事も、元はそこのギャップに起因していたんだろうし
日本は猪木のためのUNベルトを三冠時代まで後生大事に使うように、伝統を
やたら重んじるけど、藤波用に文字通り「作った」WWWFジュニアベルトは
完全に藤波個人のコレクションになってたよね
ジュニアの祭典とかで何度となく優勝者に「贈呈」されたはずなのに、
いつの間にかまた藤波の家に戻っているというw 見てみたら、1998年に発行されたゴング別冊「検証チャンピオンベルトの謎」
のインターナショナルベルトの項に当たり前のように書いてあった。
「力道山は王座を得たが、テーズはベルトは個人の所有物として渡さずに
王座の移動だけを認めた。当然、帰国した力道山の手にベルトはなかった。
力道山はただちにアキバ徽章に依頼し、テーズが保持していたベルトを参考に
して日本式のインターナショナルのチャンピオンベルトを作り、初防衛戦から
そのベルトを使用」
「力道山はグレート東郷に頼んで、当時WWAが世界チャンピオンベルトとして
使っていた何本かの中の一本を譲ってもらった。それを日本に持ち帰った力道山は
テーズが個人所有しているベルトとまったく同じデザインのそのベルトを、
今度はインターナショナル選手権のニューベルトとして1962年10月9日の
防衛戦から使用。当然、このベルトには『インターナショナル』の文字はなく、
『ワールドヘビーウェイトチャンピオン』と記されている」 1962年3月、力道山はロスで
フレッドブラッシーを破って
WWA世界選手権(当時の呼称はAWA)を
奪ったが、ベルトの譲受はなかった。
これまた、日本に帰って旧NWAチャンピオンベルト
(いわゆるルーテーズベルト)を真似て作成。
WWA王座をブラッシーに奪い返されると
それを新インターベルトとして使用、、(^^: 猪木が個人所有していた「WWFマーシャルアーツヘビー級ベルト」を、
プレートだけ変えて「グレーテスト18クラブ認定王者」ベルトにした時は
呆れたものだったけど、師匠譲りの伝統じゃ仕方がないのかw チャンピオンベルトの使い回しなんか
初期の国際プロレスでも、よくあったらしいよ。
田中忠治のIWAミッドヘビーベルトは
英国西部や、初代IWAヘビーベルトだったとか。
ゴング別冊「検証チャンピオンベルトの謎」に書いてあった。 >>608
そもそもプロレス界にボクシング団体のような興行会社ではない統括機関は戦前の旧NWA
戦後1988年までのNWAの二つしかない
強いて言えばWWWFとNWFは発足時にはミニNWA的な複数のプロモーションの合同組織
だったがどちらもすぐ内部分裂しヴィンスシニアとパワーズ&マルティネスの会社のお手盛り
のタイトルに
後は全部最初から興行会社の所有物 ガキの頃は、プロレスマスクとチャンピオンベルトに憧れたなぁw
あと興味なかったけど、ボクシンググローブもインテリアとしてね。 >>557
>>583
コワルスキージムとかモンスターファクトリーみたいなプロレス学校が
基本的に金さえ払えば素人にも1から教えてくれる文字通りのスクールなのに対して
ガニアキャンプってのはアマレスやフットボールなど他のスポーツで実績のある選手や
マイナーテリトリーで活動している埋もれた原石系のグリーンボーイとかを
スカウトしてきてプロレスラーとしての英才教育を施してそのうえで
基本的にはAWAでスターにするか
他地区へのブッキングの際にマネジメントコミッションを稼ぐためのもの
AWAが新人発掘に長けていたのは
この有望選手のスカウトを行いコーチを施してデビューさせるという
言ってみればエリート育成システムを導入していたから
アマエリートだったガニアらしいやり方 >>560
>それどころか小倉で杉山がミラーに負けた試合も、
>実際に行われたか疑わしいと。
「Gスピリッツ」の記事を立ち読みしたが、ニュアンスが違うよ!
記憶で抜粋すると
「国際プロレスは、3月4日小倉の杉山対ミラーのIWA世界戦を
前日に発表した。突然のことでプロレスマスコミは、誰も
その試合を取材できず、誰も見ていない。
だから菊池孝が【あれこそ本当に行われた試合か疑わしい】と
笑っていた」
最後に「笑っていた」で結んでいたが、
これ、菊地孝がジョークで言ったことだろ?(苦笑)
これを文字通りに解釈する人は、マジでアスペだと思う。
また、なぜ国際プロレス(吉原社長)が、この試合を大きく、
報じさせなかったかと
言えば、杉山はその月の終わりには、スズケンに正式に入社した。
元プロレスの世界王者だったという肩書を活かしたいだろうから、
王座転落のニュースを大きくしないという配慮だっただろう、
とも書いていあった。 >>618
だから>>588で書いてるじゃんw
>流も断定はしていないね。
むしろこの試合の放送、報道を控えるようなマスコミ管制が
あったことを強調してる。
当時杉山が名古屋で副業やってたので「王座転落」というマイナス
イメージを控える必要があり、ノーテレビ、マスコミ取材なしという
状況を選んでベルトを渡したとか。 それとあれだけ国際シンパだった菊池孝が「あの試合こそ、本当に行われたかどうか疑わしかったよ」と笑っていた、というのは相当な重みがある事実と思うがね。
あの試合「こそ」と言ってるからね。 1971年6月にミネソタ州で行われたとされる
Bミラー対ストロング小林のIWA戦。
同じく74年8月デンバ―でのロビンソン対グラハム。
これなんか国際プロレスがアメリカで
マッチメークできない=フェイクだった。
しかし、71年3月の小倉での杉山対ミラーは、
当然、試合を組める。
試合をやらなかった(やれなかった)という
理由が見当たらない。
タイトル戦を行わず、嘘の試合結果(ミラーのタイトル奪取)を
流したら、当然、その日、見に行った客が後で言いふらす。
いくらネットが無い時代だったとはいえ、その噂が
いまだに皆無だったというのは信じられん。 >>622
そら「全く発表されない、記録にも残らない」タイトル戦をやってた団体なんだから、その逆もありうると疑われても仕方ないわ Gスピ53号
もう完全に「ストーリーを作る上で捏造した架空の試合」
と断言しちゃってるなあ
流 「この時に、実際には行われていない試合なのですが、
アメリカでロビンソンが来日前のビリー・グラハムに負けて
IWA世界王座を失うというシナリオが使われました。それに
ついては田中さんはどのように対処したんですか?」
田中 「東京スポーツで報道されるまで、王座移動があった
ことは白石さんも私も知らなかったんです。その時点で
ビリー・グラハムが9月に来ることは決定していましたから
『白石さん、これ、日本では誰がグラハムの挑戦者になるん
ですか?』って聞いたのを憶えてますよ。」
(東スポ写真のキャプション)
「当時、架空の試合をさも実現したかのように報道することは
稀にあったが、日本マット史に与えたインパクトという側面で
比較すると、この一戦とストロング小林vsビル・ミラー(71年
6月、ダルースの架空試合で小林がベルトを奪回したとされる
IWA世界戦)を上回るケースはないだろう。」 テーズベルトはマーク・フレミングが巻いていた。
フレミングは負けていないのにUインターで高田vsオブライトで王座決定戦が行われ、
フレミングはUインターの常連となった。
テーズとUインターを結びつけたのは誰だ?
そいつが疑惑のベルト移動の黒幕か?
テーズベルトではなく、3つに分裂した“UWF”ヘビー級王座ではイマイチである。
その後の高田のブレイクを考えれば、日本マット史に残るインパクトとフェイク王座移動では。 >>536
第3回IWAタッグリーグ争覇戦(1980/11/1〜11/28全20戦)
復讐のロシアコンビ
アレックス・スミルノフ&ザ・USSR(チャーリー・フルトン)
恐怖!ナチスコンビ
キラー・カール・クラップ&マスクド・フォン・SS(日本人選手が日替わり)
華麗!ルチャコンビ
カルロス・プラタ&エル・ドーベルマン
地獄の用心棒コンビ
グレート・ムルンバ&鶴見五郎
前回大会準優勝コンビ
ラッシャー・木村&ルー・テーズ
現IWAタッグ王者コンビ
アニマル・浜口&マイティ・井上
韓国兄弟コンビ
大木金太郎(梁承揮)&金光植
軽量コンビ
寺西勇&マッハ・隼人
シードチーム
第1回NWAタッグリーグ戦準優勝コンビ
ニック・ボックウインクル&ビッグ・ジョン・クイン
備考
・全8チームにより総当たり予選リーグ戦を行い、上位2チームにシードチームの3チームによる決勝総当たり戦を行う
2勝したチームが優勝とする
・予選リーグを木村&テーズ、浜口&井上が勝ち上がり1勝同士の木村&テーズ対ニック&クインが最終公式戦
ニックとクインの仲間割れを突いて木村&テーズが優勝
・シリーズ最終戦は追撃戦
トリプルメインイベント
金網デスマッチ 〇スミルノフ対クラップ●
AWA世界ヘビー級選手権
〇ニック対クイン●
IWA世界タッグ選手権
△浜口&井上対木村&テーズ△(スミルノフ乱入の影響で両リン)
・大木は途中より欠場
梁承揮が代わりに公式戦を引き継ぐ
・阿修羅原は史実と違い同年9月よりMSWA地区へ武者修行へ
・テーズは公式戦以外の日はエキビションマッチを行う
・マスクド・フォン・SSは米村、寺西、高杉、等が日替わりでマスクを被る >>626
追記
ニック・ボックウインクルとビッグ・ジョン・クインは終盤戦1週間の来日
ニックは公式戦以外に木村、クインと防衛戦を行う
ニックは全日本プロレス世界最強タッグにも参加を発表
国際と全日本での争奪戦が表面化するが史実と違い吉原社長と東京12チャンネル上層部がAWAに飛び直々に会談の末来日が決まる
翌1981年9月に国際プロレスがリニューアルし旗揚げするNINプロレスリング(ニュー・インターナショナル・プロレスリング)への協力も取り付ける >>614
WWU世界ジュニアヘビー級のベルトは、初代IWA世界ヘビー級ベルトの使い回しか
レプリカベルトじゃないの? >>628
12チャンの田中プロデューサーが知り合いのトロフィー制作会社にIWAヘビーとタッグのベルトの写真を預けて発注した
鶴見の国際プロレスプロモーションの時、IWAヘビーとWWUJr.(IWAミッドヘビーで使ってた)のベルトが売店に展示されてるのを見たけど、WWUのベルトはIWAヘビーのと違い厚みが無く重厚さが無かったから明らかに別物 >>629
IWA世界ヘビーのベルトは今現在誰が所有してますか? >>630
誰か知らないけど、ドクトル・ルチャの知り合い 絶対にフカシだと思うけど、石川が旗揚げしたとき
何億円高のベルトだとか言ってたな
タイに発注して、宝石をたくさん使ったとか言っていた
本当の宝石を使っても、タイで作ったならせいぜい数十万でできるだろ。
あと、タイトルマッチ当日にベルトが完成してなかった。
国際っぽい話なんでかいたけど、あのベルトって結局完成したんだろうか? >>633
完成して使用してた
団体崩壊後、一時国際プロレスプロモーションでIWA(インディペンデント・レスリング・アライアンス)タッグベルトとして使ってた >>633
石川の東京プロレスのタッグベルトは、3億円って言われてた。
本当にその値段なら、石澤オーナーは夜逃げしてないわなw S藤はいつも写真パクってるな。本当に酷い奴や!
ウンチ臭いし、人が親切に教えてるのに有り難さを知れ!ネズミ豚野郎!
恥さらしやわ。
臭いし、嘘つくし、最悪や!
このオッサン一体何考えてるんや。
クッサイ、クッサイ、クッサイ。
不潔親父でチンポもウンチも臭い。
えらそうな態度取るのもいい加減にしろよ、変態野郎 確か「日本で作ったら三億円相当の可能性もあるから三億円ベルト」
とギリギリセーフの公式リリースだった気がする
ちなみにTWA認定世界タッグ初代王者安生と石川はその後「社長争奪マッチ」で
戦い、勝った安生が「社長」になったのだけど、その翌日JWP女子プロレスに
抜き打ちゲストで参加した安生は、テーマ曲がかかるや嵐のように巻き起こった
「社長」コールに迎えられ珍しくパニックに陥って、しばらくのあいだは
コメントがしどろもどろになっていたw >>630
初代のIWA世界ヘビー級チャンピオンのベルトは、
亡くなったビル・ロビンソンが所持していた。
今現在、そのベルトがどうなっているのかは、
息子のスペンサー氏が知っているはずだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています