セメントの鬼・織田信長と、その家臣団
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桶狭間で今川義元にシュートを仕掛け大勝利を収めてから本能寺で突然の引退興業を行うまで戦国プロレスの最前線に立ち続けた男とその周辺。 >>211
小次郎が70過ぎのジジイとかいうデマ流した奴は誰なんだよ・・・・
武蔵も記者会見で「俺が勝った」としか言わないし詳細は不明のままだが 巌流島はですね、公式記録上は小次郎の不戦勝の筈ですよ。だって武蔵のヤロー、大幅遅刻ですもん。エキジビション・マッチで急遽行ったのが間違って年間最高試合に選ばれてしまったんですよ。 小次郎は「ワシは人生に疲れた。宮本くんと戦ってプロレスラー人生に幕を引きたい」と語っていたことから『宮本武蔵を利用した佐々木小次郎の自殺』という説もある。 コジは二刀流の武蔵に対して「1たす1は2じゃないぞ。備前長光は200だ。10倍だぞ、10倍」と愛刀の長さをアピールしてたのが有名
このエピソードからも数字に弱くゆえに試合開始時間を間違えたというのが定説 コジが二天一流の武蔵を略してテン呼ばわりしたところからテンコジ対決と呼ばれたんだよな 信長からピンフォール取った癖に大成しなかった光秀が
天海とかいう坊さんギミックで家康のマネージャーやってるってマジ? 兄弟タッグ喧嘩別れして日本マット追放された義経が大陸渡って世界最大のテリトリーの団体作ったって説と同じくらいの信憑性 光秀は信長からベルトを奪取したもののすぐに挑戦者に名乗りを挙げた秀吉に苦戦。
遂に場外にエスケープしたものの土民の『三股の槍・アックスボンバー』を
食らって、無念のリングアウト負け。
「光秀立て! 復活して魂のゴングを打ち鳴らせ!!」という実況アナの絶叫も虚しく
響いた。
しかし、のちに「空海」なる謎の覆面レスラーに変身して、細々と活動を続けたという
噂もある。いずれにせよ、天王山で「レスラー・光秀」としては幕を閉じたのである。 たいして能力無いのに金ケ崎、信長土下座、信玄上洛、刀根坂と4回も天下を狙えるほどのプッシュを与えられておきながら、
結局全部つぶして滅亡した朝倉義景をは後藤のバカ殿を彷彿とさせる 朝倉義景は文化人としては一流。
今川氏真と同じで、なまじプロレスラーの家系に生まれてしまったことが悲劇だった。
他にも長州あたりにも同様の人が存在したような・・・・・・・・・ >>224
京都来いや、信長の背後つけやとせっつかれても
雪がとけてからねっともたもた腰が重かったんだよ
雪がとけたころには好機もとけ領土もとけたでござる >>227
色々な逸話が残されているけど、その大半は実は前田利家の話らしい。
本物のトンパチレスラーというか傾奇者は間違いなく利家 >>223
四国テリトリーでの彼の武勇伝は凄まじい 残された鎧から前田慶次はそんなデカくなかったらしいな 冬季水風呂デスマッチで利家はキッチリ水風呂ダイブを見せてくれたけど慶次は受けなかったからね >>229
試合前によくうどんの屋台出してたな
当時は誰もうどんなんて知らなかったから、物珍しさで行列ができてた 豊臣プロは当時現場監督に就任した三成に反発して
加藤 福島 細川 黒田 藤堂 浅野 蜂須賀といった生え抜きの
名レスラー達が大量離脱したのが痛かったな。
思えば家康にもあん時三成の解任を求めた時点で徳川プロ
旗揚げの構想はあったんだろうな。 >>233
実力と人格を兼ね備えた大谷がセミリタイアだったのも大きかったと思う
大谷が元気なら三成にも加藤福島にも押さえがきいたかもしれんが
当時はすでに病状が進んで頭髪もごっそり抜け落ちてたらしい >>233
実質的に衣鉢を受け継いだレジェンド前田利家さんさえ生きていれば…… 三成と言えば光秀・淀殿と並ぶ戦国3大メジャーヒールとして
江戸以降、戦国ファンからはずっと嫌われてきたが、
2000年代に入った頃から「実はいい人だった・・・」的なのが
ファンの間でも言われるようになってきたね。 かつてはメジャー団体のエースの御曹司であるプリンス氏真。団体解散後は各団体のエースにタッグパートナーとして売り込む
売り込まれた側も集客力やスポンサー獲得を目論み、テストマッチで起用するも使い物にならないことがすぐに露呈、どこへ行っても追い出されることを繰り返す まあ今とルールが違うんだから
いい人悪い人というのはどうかと思うんだよな 日本号が槍なのに正三位の官位を賜ったのはアイアンマン官位戦線でも画期的だったな
後のヨシヒコやミステロンも日本号がいなければ生まれていなかったかもしれない >>237
今じゃ氏真はかつて今川プロレス時代にあごで使ってた若手前座レスラーだった家康に
媚売って使ってもらっている始末だからな〜
ここまで落ちぶれてもしぶとく生き残っているのがある意味凄い 足利義昭と武田信虎と今川氏真と斎藤龍興で奏でた『四天王プロレス』みんな、しぶとかった。 >>206
固結びにしていたリングシューズの紐がなかなかほどけなくて >>242
足利プロレスもかつては日本一のテリトリーを誇ったが、ダイレクトメール義昭がエースとなってからは、旗揚げの地である鞆の浦で興行打つのが精一杯に
晩年豊臣プロレスにレジェンドとして招かれた時は、往年の蹴鞠殺法で都のオールドファンを沸かせたことも >>239
田沼意次は小姓上がりで若いころの肖像画はイケメンなのに
テレビとかの時代劇ではいつもいかにもな悪人面の俳優が演じてて不憫だなw >>242
シュートに強すぎた義輝がハンディキャップマッチで引退したのと、義栄が塩過ぎたのが
問題。義昭はそうせざるを得なかった。悪あがきにしか見えなかったが頑張った方だ。 >>247
義輝が強かったって江戸時代の作家が書いたブックなんだが真面目に信じてる奴多いよね 最期は講談みたいな死に様だったものな、まあ、多少は腕が立ったと
言うほどのもんなんだろうな。 義輝も氏真も、名トレーナーの塚原卜伝からシュートの手ほどきを受けていて、シュートがべらぼうに強かった。
しかし、プロレス板住人のみんなは解っていると思うが、シュートがいくら強くても、レスラーとしての器量はまた別物。
ただ、義輝は団体運営はうまい方だったと思う。
氏真はレスラーとしては大成しなかったが、サッカー選手として信長の前で試合をしてハットトリックを決めているんだよね。 砲術家の稲富祐直も
コーチとしては優秀だが
実戦はからっきし駄目という 義輝はシングルは強かったけどパートナーに恵まれずタッグでは白星配給係だった。 なおリアルセメント王のSINGEN武田に対しては平身平頭の臣下の礼をとって戦いを避け続けたクレバーさを持つ信長
ガチ界ツートップの信玄と謙信
プロレス界の王信長 信長が父信秀の位牌に抹香投げつけた時は、そこまでやるかってドン引きした覚えがある
話題作りのためか、うつけ者ギミック守るためか、はたまたガチだったのか、今となってはわからないけど、
「織田プロ終わったな」ってその時は思ってたんだけどなあ 信長は謙信にも国宝級の高価な屏風を贈って懐柔してるね。
信玄と謙信はガチ最強だわプロレスも上手いわで手が付けられなかった
からナ。
何とか時をやり過ごして、二人が死ぬのを待ってたんだろうな、さすが
なかなかの策士だ。 信長の凄い所は信玄と謙信と直接戦わず事だなに、両者を戦わせて疲弊させた事だな 信長包囲網の末路を見れば、結局弱者大連合なんてものはゴミだと分かる。GPWAとかwww 謙信にリングアウト負けを喫した手取川興行では、「跳ねる謙信逃ぐるとぶ長」などと揶揄
されたが、実際には信長はリングに上がっていないとか。
「まあいいや。どうせ謙信は期間限定の兼業レスラー。冬になると越後で活動休眠状態。
やがて冬になれば越後に引っ込む。ワシは違う。365日プロレスラーだ」とコメントしている。 謙信と信玄がタッグを組めば戦国の超獣コンビだったのに惜しいな。試合すれば相性も良く、裏では塩のプレゼントとかして、致命的に仲悪かった訳でもなかったろうに。 最強タッグにエントリーしていれば信玄&謙信の帝王コンビが恐らく優勝。
信長&信行の「敵刺すの荒馬兄弟」コンビは、残念ながら仲間割れして空中分解。 氏真は武田とガチで戦ったら勝てないから、経済制裁というリング外の戦いに持ち込んだら
信玄と犬猿の仲と言われた謙信からまさかの支援が来たのが想定外だったな
信玄と謙信はボロボロになるまでやりあって友情でも芽生えたんだろうかな? 最初から信玄と謙信が戦わずにコンビを組んで信長と戦っていたら
織田プロレスは完全崩壊してたのにな〜
例えそれが桶狭間興業の直後で義元が負けた後であっても簡単につぶせた。 武田プロ 2代目社長になったらすぐに潰れたイメージだけど7年ももったんだよな
しかも武田プロ社史の上で一番規模のデカイ大会は2代目社長が打った >>264
あれは古参レスラーと古参フロントがすぐに先代と比較してくるからやりにくかったみたいだな。
古参の連中は早々と引退した長男よりで勝頼を軽んじてたしな。 長篠興行での織田プロとの対抗戦で世間的に織田プロ>武プロのイメージが決定的になったよな
騎馬隊と呼ばれた武プロ勢の突貫ファイトより織田プロ勢の飛び技の方が支持集めて業界全体のプロレススタイルの転換期になったわけで 戦国タッグトーナメントをやったら両兵衛が優勝しそうな気もするが
高橋紹運立花宗茂のタッグに期待したい気もする >>267
戦国ミックスドタッグトーナメントもお願いします。
信長お濃、秀吉ねね、利家お松、一豊千代、宗茂ぎん千代などなど 戦国ディーヴァなら お濃を推しだな
おとんからもらった小太刀 「これで父のマムシを討つことになるかも」なんて返しすげえセンスいいわ >>267
親子タッグって浜田親子と星ハム子いぶきくらいしか思いつかん 今川氏真のディーヴァ早川殿はロリ系ヴィジュアルで人気だったろうね ディーヴァ戦線より小姓戦線の方が盛り上がってた気がするな
上杉家主催のスーパー小姓カップとかほんといろんなところが盛り上がってた スーパー・ジジイカップは一度だけ開催され、毛利元就が優勝を飾っている。1567年。 上杉プロレス御館大会、場外から景虎に加勢するかと思った武田勝頼のダブルクロスは衝撃的だった。
景勝に加勢して上杉プロレス正規軍の勝利。
まあ勝頼の親父の信玄の方がダブルクロスはお手の物だが。
今川、北条、織田、徳川にダブルクロスか 信長の時代から遡ること約400年前。華麗なる4次元殺法を駆使するちびっ子たちの
アイドル・源義経なる人物がいた。ジュニア・ヘビー級でありながらヘビー級相手に対等
以上に戦って、熱狂的なファンを獲得。兄の頼朝とのタッグで「ザ・ファンクス」と
呼ばれたらしい。現在でも「ホーガンびいき」というコトバが残っている。
しかし、実際の義経は、正統派とは程遠いファイト・スタイルで、壇之浦特設リングでの
興業では、単なる観客に過ぎない船頭のなにがしに攻撃を仕掛ける悪辣なこともしている。
義経、ミル・マスカラス、ビル・ロビンソン、ハルク・ホーガン・・・・・・・これらの系統の人は
人間的には、あまり立派でないようだ。
平清盛、ブッチャー、シン、シークといった悪役レスラーに善人が多い気がする。 平家といえばメジャー中のメジャー朝廷プロレスに喧嘩を売り日本史上初のインディー団体を立ち上げた平将門。
あえなく団体は崩壊するも斬首された後生き返った怪奇派ヒールレスラーとして大ブレイク。そのあまりのカリスマから
関東一円ではむしろ絶対的ベビーフェイスだったらしい。 あの時代最強のレスラーといえば鎮西八郎
必殺のクローズラインを放つ左腕は右腕より12センチも長かったらしい レスラー50年
色アリ恋アリ情けアリ
レスラー道をひたすらに歩みて明日を魁る
男の夢をひたすらに 求めて明日を魁る 平将門さんはテーマ曲 Motorhead - King of Kingsが似合いそう
信長とはスレちでズレるけど南北朝や源平の争乱期の武将たちもレスラーくさい良レスラー多かった 平将門が東で新団体を旗揚げした頃、西では「テロリスト」こと藤原純友が同じく新団体を
旗揚げ。平安プロレス正規軍を震撼させた。
藤原姓は、プロレス界にたびたび出現する。1019年に「刀伊の入寇」なる外敵との
戦いで、見事に撃退したのが太宰府プロレスの「組長」こと藤原隆家だった。
本家・藤原道長は下手くそな句を詠むだけの男だったが、こちらの藤原さんは非常時に
対応出来るシューターであり「ポリスマン」という隠語で呼ばれていた実力者だった。 毛利勝永と山内忠義のゲイギミックからの仲間割れで勝永
大坂軍への仲間入りは笑える。 生粋のテクニシャンなのに
後世では脳筋系キャラにされてる蜂須賀さんは可愛そう >>281
南北朝時代から室町時代、特に応仁の乱のアングルはあまりにも複雑&イミフすぎて視聴者を毎週困惑させていた。
ガチオタでも説明困難なため、初心者へ説明するときも大体飛ばされる 観応の擾乱は足利直義軍対尊氏軍だが、
試合に勝ったほうがストーリーでは負けになることがある
意味不明な展開なために人気を得られないシリーズだな。 南北朝、応仁の乱アングルはかつぎあげる神輿をお互いころころ変えて抗争していた
最初は視聴者も楽しんでたけどそのうち飛ばしてダイジェストで見るぐらいの人が増えてた
後継、親族兄弟入り乱れての何コラ押し問答
応仁の乱なんて11年あまり続いたアングルで各ユニット疲弊感半端なかった
実質大赤字のまま足利プロ衰退の原因に ドラゴンゲートとかと同じで小粒だがびっくりするほど選手の質は高い
でもストーリーの流れが速すぎでちょっと目をはなすとわけわからなくなる 応仁の乱なんて最後レフェリーが出てきてノーコンテストの裁定。
11年も抗争やってきて無効試合かよと。
あのあたりから地方プロレスのほうが面白いと思うようになった。 >>288
あの時代は観客も殺伐としてたな
客同士の殺し合いが絶えなかった でも応仁の乱は長らくクソブックだし観なくていいと言われてたけど
近年改めて解説付きで観てそのおもしろさにハマるファンも多い 応仁の乱は、これぞ不透明決着の決定版であり、曖昧さを好む日本人の心の琴線に触れる名勝負である。 応仁の乱は北条早雲のデビュー戦だったな
あれから北条プロレスが隆盛を極めるが周りに武田、上杉、今川と強敵が多すぎて
天下は取れなかったのが残念だが。 これまた伝説・神話的なたぐいだが、
アマクサ・シローがヒデ・ヨシの孫だったという説があるらしいね
島原興行に送り込んだ徳川レスラーの数が、
なんと関ヶ原ドームの倍あるとかないとか
NWA系のラスボスだったフレアー様の対WWE的な感じかね 深作欣二興行のアマクサ・シローの怪奇派ぶりは良かった。
柳生十兵衛とのシングルマッチは名勝負だったね。
あの切られた首を抱えてワハハと笑うギミックは、
鬼気迫るものがあった。 伝説の団体、S〇Kの
サ〇スピ興行の悪のカリスマとしても有名かね >>297
そういえばWWEのアレクサ・ブリスは最初はアマクサ・シローの娘アマクサ・ブリスだったな 信長と言えば、合戦後は「デ・アルカ!」の口上で締める制御不能なカリスマだったよなぁ 出戻りのくせに年下のショーグンを尻に敷いた
お江は最強のディーヴァ >>296
天草四郎はイケメンだった。
どう考えても禿ネズミや猿と言われたブサイクな秀吉の血は引いていないだろw
まあそういう流布を流すのもアングルとしてはあり。
おかげで注目度は抜群だったしね。 >>297
由井正雪「家光!ビッシビシ行からな!」 ヘビー大名級の選手ほど知名度はないけど
常陸の暴走キングコングこと真壁氏幹の
豪快な試合スタイルと歯に衣着せぬ物言いっぷりは好きだな 長尺の金砕棒をチェーンのごとく振るう姿はまさに鬼真壁だったな 知られざる地方団体の名レスラー、ていいよね。朝倉宗滴も誉めてた槍大膳こと正木時茂とか。 「三日月の丸くなるまで南部領」とまで言われた東北インディー界の雄、南部晴政とかね
一度でいいから尾張ドームに呼んで欲しかったわ ハクソージムドゥガンのサムズアップは、親指武蔵こと新納忠元へのリスペクト >>307
信長が所詮ローカルテリトリーと侮りチーム光秀のみで十分として乗り込ませた丹波では、敵団体エースのレッドオウガ直正に思わぬ大苦戦
恐怖のあまり自分たちの相手は直正一人ではなく、ブルーオウガモミーという別の鬼とも闘っているんじゃないかと思い込む始末 豊臣プロレスが秀吉引退後に徳川プロレスに乗っ取られてやがて崩壊したのは、秀吉が行った
朝鮮興行で大赤字を出したのが遠因。みんな反対してたのに秀吉が強行したからね〜
秀吉は一代で団体を作り上げたワンマンオーナーだったから誰も逆らえなかったし。
あれさえなければという思いは強い。秀吉はカリスマ性と人気と実力を兼ね備えた最強のレスラー
だったけど、晩年は老害でしかなかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています