セメントの鬼・織田信長と、その家臣団
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
桶狭間で今川義元にシュートを仕掛け大勝利を収めてから本能寺で突然の引退興業を行うまで戦国プロレスの最前線に立ち続けた男とその周辺。 秀吉の世界戦略として豊臣朝鮮プロレスを足掛かりに豊臣中国プロレス、豊臣インドプロレス
と世界を制覇する夢を実現しようとしたんだが。二度にわたる朝鮮興行の失敗は豊臣プロレスを
傾けさせるのに十分だった。 当時の大メジャー中華統一ベルトへの挑戦を宣言した時は痺れたけど
案の定LKW(李氏朝鮮レスリング)との合同興行でお茶を濁して終わったな
せめてLKW参戦の明国レスラーとの試合が実現したらまだしも
名護屋ドームのパブリックビューイング会場から一歩も動かず
体調も悪いのか渡海するする詐欺のマイクアピールを繰り返すだけだった >>312
あれは増えすぎたレスラーを減らすための経営戦略だったんじゃないかな 朝鮮出兵アングルは半ばタブー化されてるので
立花宗茂などの武勇エピソードが語られづらいところが
歯がゆいところ 立花宗茂は、大河ドラマになっていいほどドラマチックなプロレス
人生だったと思うけどね、残念ながら、もはや大河ネタが枯渇しつ
つある現状でも、取り上げられる気配は全く無いんだよなぁ・・・ >>316
高橋紹運の実子で立花道雪のレスリングファミリーとかエリート過ぎるだろ
同世代ならノブの直弟子氏郷か徳川プロの裏番長忠勝ぐらいしか対抗できなかったんじゃね? 秀吉は自らも朝鮮興行に参戦するつもりだった。
それを命がけで止めたのが利家と家康。
秀吉が参戦していれば朝鮮興行の結果はまったく違っていたはず。 豊臣プロレスの崩壊の原因は朝鮮興行と並んで秀次の引退がある。
この秀次はレスラー仲間からの信頼も厚く、関白として天皇に忠誠を誓えば豊臣プロは安泰であったろう。
だが秀吉は秀次を強制的に引退させ、器量が未知数の秀頼を後継レスラーに指名した。
これは徳川プロレスに付け入るスキを与えることになった。 豊臣プロレスの副社長、秀長の早逝も秀吉の団体経営に影響を与えたね ヒデ・ヨシは山崎体育館のvs明智戦、賤ヶ岳特設リングでのvs柴田戦では驚異的な運動量を見せつける試合をしたが
続くvs徳川戦では序盤圧倒されてから全く動けないまま時間切れ引き分け防衛
その後の天下統一シリーズは意外と地方タイトルには傘下のレスラーを挑戦させて自身は多人数タッグのコーナーに控えるシーンばかりが印象に残った
当時の動員記録を塗り替えた小田原興行では往年の一夜城ムーブで健在ぶりをアピールしたがそれが実質的な引退試合になった
その後は欧州遠征には後継者に定めた秀次と強さの象徴となった徳川のタッグを派遣して以降一切リングに上がっていない
熱心なヒデ・ヨシファンには悪いけど朝鮮興行は渡海する、しないのスキットのみで健康不安も囁かれレスラーとしては終わってた
そこに秀次がまさかの殺生関白にギミックチェンジしてヒールターンしたのは心底驚いたよね
リタイア状態のヒデ・ヨシもレスラーとしてもう一花咲かせるかと期待したが子飼いのマサ福島を当てて不透明な引退に追い込んで結局自身は会場にも顔を出さなかった
そりゃ当時のファンもレスラーも揃ってストロングスタイルの象徴・徳川待望論に傾いたのも無理がない 豊臣プロレスといえば大口のスポンサーにして団体の旗揚げや細川とか蒲生や織部のようなスター選手の育成にも貢献した利休プロデューサー解任したのアレなんだったんだろうな?あれ以降それまで重要なタニマチだったはずの堺集とも距離を置くようになったし。 レスラーがふたりリングインするのが限界、
観客も入れないというストイックすぎるWBC(わび茶)のレスリングスタイルが
ド派手なレスリングを好むヒデ・ヨシとは対極だったからな わび茶プロレスも一時凄い勢いで流行ったな
ヘチカンが試合前に対戦相手の母親をシャークケージに放り込む謎ムーブ好きだった ヒデ・ヨリは190近い完全無欠の怪物だった説と
ヨド・ギミの血を受け継いでイケメンだった説とあるね
アマクサ・シロー→ヒデ・ヨシの孫、ヒデ・ヨリの息子説も
ヒデ・ヨリがイケメン説が残っているからだとか ヨシは異常なほど多くのトレーナーに子飼いレスラーの育成を要請したが
結局デビューに至ったのはヨリだけだったのはとても不思議。
デビュー寸前にまで行けたのもヨリ以前に一人いるだけ。
ハードルをすさまじく高く設定したのかも知れない。 タカカゲとヒデアキのタッグは
面白かったな
あんな笑えるタッグはないわ ヒデ・ヨリは公式プロフィール196cm、160kgで全盛期のゴリラモンスーン並の超巨漢レスラーだよ
今のファンにはジャマール(WWEウマガ)やバンバンビガロをさらに数センチ高くした感じというとわかりやすいかもね
デビュー戦から大阪城ホールで前代未聞の怪物登場と期待させた
そこでまさかの晩年の親父のリングに立つ、立たないのストーリーを完コピしたのは時代が読めてなかった けど秀頼はそんなガタイなのに親父からは公家ギミックを教育されていたから、京言葉を話して所作は貴族のそれだったらしいな。なぜか漫画等創作物の秀頼はヒョロガリで神経質とかのキャラが多いな。 真田太平記のシャリバン秀頼が個人的に一番しっくりしてる >>326
そんなレスラーがいたとは初めて知った
戦国プロレス界は奥が深い 戦国プロレス人気ナンバーワンはやはりY-SANADAかね
フリーから大坂プロレスに入団し、引退試合となった大坂城ホール夏興行では、同団体のGMヨド・ギミの妨害に苦しみながらもハンディキャップマッチで数々のレスラーを蹴散らし不動のチャンピオン家康を攻め立て、骨が終わるあと一歩まで追い詰めたのは今でも語り草 秀頼がトップレスラーって・・・・
力道山死去後に百田光雄がデビューしてトップレスラーになったようなものだ。
そら団体は崩壊するわ。朝鮮興行の失敗で資金難で大物呼べなかったし、豊臣プロレスから離れた
奴らが多くて末期はほとんどインディーズ団体になってたし。
おとなしく経営権を徳川プロレスに譲ってたら、団体の名前だけは存続して秀頼もレスラー続けられたのにな。 団体に所属する事なくフリー参戦だけであれだけ名勝負繰り広げた雑賀衆とユニットリーダーのマゴイチがいまいち語られなくて悲しい… 晩年にはみちのくプロレスに参戦
必殺技の馬上筒ラリアット伝授の他、瑞厳スタジアムの建設、スタジアムへの交通網の整備に貢献 転戦マンといえば笹の才蔵ことカニー吉長ですなあ。ビッグマッチあるところ彼あり >>284
蜂須賀正勝がどれだけ出世しても毛皮のベストを着て火縄銃背負ったグラのままの太閤立志伝5は不穏 太閤記の野盗ギミックはそれだけインパクトあったってことだな
実際子々孫々までそのイメージに苦しんだとか
ナチやソ連ギミックのヒールが実生活で苦しんだエピソードと共通するものがある 蜂須賀さんの子孫が明治帝にチクリと「野盗の子孫だから云々」と言われたエピソードを思い出した。 「おい、メイジ、お前らが貧乏公家だったときに、俺らは藍で大儲けして
阿波踊り踊ってたんじゃ」って
言い返してやれ。 >>313
LKW(李氏朝鮮レスリング)は李舜臣以外にまともなレスラー居なかったしな・・・
しかも李舜臣は向こうでほされまくってて、興行最終日にやっと出てくる始末。
他の朝鮮レスラーの塩ぶりと違って、本物の実力者だった。でも最終日限定で出てこられてもな〜
惜しいレスラーではあった。
朝鮮興行成功の暁は大中華統一ベルトに挑戦し、明を制圧。その後は天竺統一ベルトに挑戦し
インドまでも征服する予定だったが。
朝鮮興行の失敗で懲りたのか秀吉もあんまり大口叩かなくなったね。
一度目の朝鮮興行は明、天竺を攻略する足掛かりにするつもりだったけど
二度目の朝鮮興行は大それた目標じゃなくてせめて朝鮮プロレスだけでも完全に支配する計画に変更したが
秀吉の体調不良により漢城(ソウル)ドームやる前に撤退する羽目になった。
二度とも興行は完全失敗で、大赤字も大赤字。猪木の北朝鮮興行の大赤字も真っ青だよ。
豊臣プロレスは不協和音で責任の擦り付け合いで収集付かなくなったし。 かつて賤ヶ岳イリミネーションマッチで勝ち残った7人の英雄の1人でありながら、移籍組かつ最年長であるためかその後は中堅どころでくすぶっていたワッキー・ザカ
この度の遠征を聞きつけて己の活路を見出だすべく、秘蔵の貂のガウンを持ち出してプロモーションを行ったところ、思惑通りLKWの幹部の目に留まりエース李舜臣の対戦相手に抜擢される でも織田家の二世レスラーっていうと信忠 信雄 信孝の3人だけどまぁどいつもこいつもパッとしないヤツばっかだったな。
信忠の息子の三法師こと三世レスラーの秀信なんかはそこそこ鳴り物入りで豊臣プロに入団したけど信長みたいな派手な入場コスチューム着て南蛮スタイル気取ってるだけの塩レスラーだったし。関ヶ原興行で福島や池田に大敗を喫した後は
坊さんにギミックチェンジして地方インディーのKSW(高野山プロレスリング)にいたらしいが昔爺さんが散々勝ちブック漁って焼け野原にしてたもんだから冷遇されまくって結局そのまま26歳で引退したとか。 >>346
信忠はまだ有望株だったが本能寺ファイヤーデスマッチの二条城会場で無念のリタイアをしたね
信雄、信孝はブックに恵まれずパッとしなかった >>347
そうそう。
あの当時の織田家の当主は信忠で、戦でも指揮官としてかなり結果残している。
各大名の2世としてはむしろ有望どころ。
有望な2世で早世したとなると、デビッド・フォン・エリックみたいなモンか。 >>303
天草四郎の親だか爺様ってアングルの秀頼の時点で
秀吉の子じゃないって噂がある。
そら150pそこそこのおっさんの子供が2m近い大男
って時点でムリありすぎる。 バテレン・シローこと天草詩郎のヒップアタックは踏み絵に対して踏んでないというアピールからうまれたらしいね 最強ディーヴァおねね様、5人の母である側室ディーヴァ京極竜子も懐妊されなかったことからもヒデ・ヨシにも問題があると言われてたね 織田信雄は無能だろうか?
5万石のプロモーターになれたし、よりでかいテリトリー持つとそれだけ
リスクを負うからねえ。 織田プロ社長のままヒデ・ヨシに言われるまま東海地方のテリトリーに入ってても
晩年疑心暗鬼のヒデと江戸プロ設立狙う家康の板挟みで苦労したろうね
ショープロレスで天下ベルト継承者ヒデとストロングスタイル継承者家康のシングルが実現した
小牧・長久手シリーズも信雄のプロモートだしもっと評価されてもいいと思う
まあ肝心の自分の試合はシリーズ中盤で唐突のギブアップ負けから欠場でレスラーとしては酷いけど 信雄は伊勢北畠のテリトリーを継いでプロモーター修行をしていたね
目立つ存在ではなかったが本能寺ファイヤーデスマッチ後に豊臣プロレスでプロモーターをしたり少ないながらも活躍の場はあった
大イベントの小田原興行後はテリトリー変更を拒絶して失脚したのが不運だった 酷使され一時は一国と半分を治める権力を得るも結局は洒落にならない戦場でフルボッコにされ没落。
原田直政は早すぎたジョージ高野だったのかな?と
蘭奢待ください 一時は九州トップ3の団体までのし上がった龍造寺プロレスが衰退したのは、
四天王プロレスを五人でやるなど時代を先取りし過ぎたのが原因か… 大友プロレスが衰退したのは和式ストロングスタイルを捨てて南蛮式ヨーロピアンスタイルを取り入れたのが原因? 賤ケ岳興行信孝引退試合の最後のコメントは名言であるとともに色々考えさせられたな
「昔より主(しゅう)を討つ身の野間(のま)なれば報いを待てや羽柴筑前」
後の豊臣プロレスの末路を思うとね・・・・ 龍造寺プロと言えば、
選手の大量引退騒動があった時に選手が足りなくなって
ほぼ引退状態だった御大がリングに再び上がってきたことがあったな。
フロント業務で活躍した高齢爺さんは天海や幻庵など何人かいるけど、
実際に試合にも関わった高齢爺さんは他にいたっけ? >>360
有名どこではソーテキ朝倉は引退直前まで試合に出てたな
ドインディーレベルだけど一栗放牛は92歳で試合中に(この世を)引退してる >>316
確かにそうだが、仮にドラマ化しても、対戦相手が地味過ぎて。
来年の大河の主人公明智は本人は地味でも、所属団体やタッグパートナーが派手だから、何とか1年持つのかと。 アマクサ・シローが大河になることはないのかな
てかアマクサ・シローは日本史上において
16歳で関ヶ原ドーム以上の島原興行メインバッテキとか異端すぎて
いまいちベビーかヒールかも位置づけしづらいよね >>363
ベビーでもヒールでもなく魔王の降臨を目論むサタニストだぞ
プロレススーパースター列伝と同レベルの正確性を持つと言われる石川賢先生の歴史漫画に書いてあったから間違いない アマクサ・シローは、島原の乱以降で派手なデビューを飾って、それ以降怪奇派としての地位を築き上げたね。深作欣二や、山田風太郎と言った名プロモーターにも恵まれたが、美男子のルックスを生かしてプロモーター達の期待に見事に答えたね。
魔界から蘇ったと言うギミックを存分に活かしたいというのは、WWEのレジェンド、アンダーテイカーに通じるものがあるね。 島原興行は現地で絶大な人気を誇ってた天草詩郎に松平“IZU”信綱がシュート仕掛けて潰したのが真相らしいね 九州と言えば、スレチだが元プロレスと激しい対抗戦で大活躍したイメージがある。1度目は、苦戦したが、2度目は海上闇討ちデスマッチや、防塁ガード戦法で元プロレスのレスラーをキリキリ舞いさせてた猛者揃いだね。
九州のレスラーは、ホント昔から好きなんだ。
中でもお気に入りは、立花道雪。
必殺の雷切ラリアットは俺の大好きな技。
社長の大友宗麟とのスキットも大好きだ。 プロレスの教科書ではサラッと台風で興行中止扱いされているが… 捕虜になった数万のモンゴルレスラーと高麗レスラーは全員殺されて、
南宋レスラーは「君たちは命令されて来たから」って助けられた。 当時の『歴スポ』では日本圧勝の1面見出しが躍っていた。戦うモンゴリアン
とその他の連合軍との一戦。
元軍は泣き叫ぶだけで何も出来ず鎌倉プロレスに一方的にやられてしまったと。
で、北条時宗社長のコメントも出ていた。
「蒙古レスラーなんて鎌倉プロレス入りしたら前座クラスがいいところ。
そんなクソ弱いレベルで本気で乗っ取ろうとするな、と。
まあ、鍛え直して、また挑戦して来いよ、ハッハッハ(笑)」
苦戦したとか神風が吹いたとか言われているが、鎌倉ジャパンプロレス余裕の
勝利だったようである。 アマクサ・シローは
平成のデルフィンたちにとっては
サムスピ興行のダークヒーローのイメージが強いかもね 蒙古プロレスはてつはうと称したパイロ演出を持ち込んだり、コール中に襲撃したりとかなり時代を先取りしてた 鎌倉レスラーは荒いからな。
あまりにも荒くて、「農民の嫁を犯すな」とか「通行人の首を切って
軒下に飾るな」等、社長から御触書が出た事もある。
世界的に見ても荒さはモンゴルレスラーと双璧だったろうな。 蒙古プロに博多の町荒らされるくらいなら前もって自分達で荒らしといたろの精神 ヨシツネは日本史上、否、世界史上屈指の天才レスラーだったな
平プロレスが完全に市場を抑え込んだ独占市場を、鵯越や八双飛びなどの四次元殺法を駆使してあっという間にひっくり返して平プロレスを倒産に追い込んだからな
兄のヨリトモとの不仲アングルも秀逸で、奥州から蝦夷に逃れ更にモンゴルプロレスのチンギスハーンとなったというアングルは伝説だね ヨシツネは決して体格的に恵まれたわけじゃないのにトップレスラーたちに対峙していったからな
巨漢の弁慶をボディスラムで投げる様はアンドレとホーガンの試合を彷彿とさせた
そこからホーガン贔屓という言葉がうまれたのは言うまでもない >>375
ただその義経=チンギス・ハーンのアングルはモンゴル人に言わない方がいい。
酒の席で日本の政治家がモンゴル人政治家にその話をしたら、「お前ら馬鹿にしているのか?」と
マジギレされたらしいしな・・・・・
モンゴル人もネタはネタとして笑って受け止めてくれよ・・・・・ 大蒙古プロレスは大陸各所で興行起こして、累計レスラー人生引退者数は4000万人を超えるという。これは数百年後ののナチプロを凌ぎ、スターリン率いるロシプロと並ぶ史上最大の引退者数である。 蒙古プロレスの躍進は独特の構えから放たれるモンゴリアンチョップとショルダータックルの域を超えた蒙古覇極道にあった >>376
昔アイアンクローで岩を砕いたことからクロー崩岩って呼ばれるようになったって習った気がしたんだが、もうそれは古い説なのかな もう力が落ちてきたかつての英雄を、現在の英雄よりひいきして人民が持ち上げるのをホーガン贔屓って言うんだっけか モウ・タクトウ、スター・リン
このへんはナチ・ヒットラーやミスター・トージョーより
ヤヴァイよね
後者は自分がヒールで、悪事をしていることを自覚していた
引退試合もヒールっぽい感じ
前者は自分が絶対王者でスーパーベビーだと思い込んでいる
欠場、負傷、引退に追い込んだレスラー数はヒットラーやトージョーより
多いのに 最後の最後でようやく統帥部掌握するもすぐ失脚した東條とその他じゃ独裁のレベルが違うわな 青葉は無理やり生かされて縛り首にされるんだけど、
グレート・トージョーも自殺したあと、米軍は威信にかけて治したらしい。
縛り首にするために。 ムッソリーニなんてエチオピア以外で悪事なんて大してしていないのにガソリンスタンドに
吊るされて悲惨だったな 戦後日本の自由党プロレスと民主党プロレスによる吉田政権打倒アングルとその後の合併劇は最高でした >>378
リング上のレスラー相手のみならず、協力的じゃない興行先なら
観客相手にも老若男女問わずシュートかましまくったんだったか >>385
列伝見たけどムッソリーニってレスラーになる前は記者だったらしいね。ヒトラーの画家崩れは有名だけど。 最凶のナチュラルヒール
モウ・タクトウとスター・リンは
まともに引退試合できたんだっけ 大躍進政策からの文化大革命という泣く子も黙る団体へのテコ入れ モウ・タクトウこそ人類史上最悪・最凶・最狂のヒールであるな
文化大革命興行では紅衛兵という熱狂的ファンクラブ会員を使って知識人を中心に、一説では1億人(最低でも数千万人)の国民を殺してるからな
ルール無用の野蛮人極まれりであって、プロレス界で喩えを見つけることすら出来ない極悪ヒール、それが毛沢東 ヌル山、ケターオ、バカサバイバーなんて問題にならんレヴェルだねww そしてモウ・タクトウの流れをくむ、シュウ・キンペー率いる極悪ヒールユニットレッドチーム。
最近、ユニットメンバーのムン・ジェインと安倍晋三が抗争してるね。 このスレに出てきた連中みんな織田信長の仲間なのか、すげえな キンペーが掲げる一帯一路と言う名の世界制覇の野望を打ち砕く、世界最大の団体アメリカの現チャンプのトランプの活躍は頼もしいわな
現在進行形で行われてる米中イデオロギー闘争は全日vs長州軍、新日vsUインターをこえてるね なんか上杉プロレスは、新潟よりも山形の方が人気あるな。
山形には羽州の狐こと最上義光がいるのに、山形のプロレスファンは上杉は俺たちのものだーって言ってるし。
最上義光はファンサービスを欠かさず、常に山形のテリトリーを大事にしてきたのに。 邪馬台国プロレスは本拠地がどこだったのか分からない。 新日って言ったら猪木、上杉って言ったら謙信。
景勝だの鷹山だのは新日の藤波、棚橋レベル。 最上義光の金属バットで戦うスタイルはスティングに受け継がれている 空中殺法と多彩なジャベ、あえてマスクを被る伊賀と甲賀
林崎甚助の高速丸め込みに、宝蔵院の遠距離ドロップキック
シュートスタイルの二天一流、正統派の柳生一族
戦国シリーズは様々なスタイルが生まれた改革期だったな 今では美談になってるが「敵に塩を送る」ってのは、謙信が信玄への目くらましのために塩攻撃したのが語源だってばあちゃんが言ってた >>399
九州だってさ。
昔、イタコがヒミコ様呼んで直接聞いてたから間違いないっ。 卑弥呼て名前、もう少しマシなのに改名したほうがいい。「卑」の文字は何とか
ならないのか、と。 >>375
平プロレスと源プロレスの興行戦争
一ノ谷、屋島、壇之浦と3つの興行戦争でヨシツネは完勝
その模様は「平家物語」に収録されている。
確かに、世界史上屈指の天才レスラー >>370
鎌倉プロレスと元プロレスの頂上決戦
文永興行と弘安興行
結果はよく知られるように鎌倉プロレスの圧勝
ただ北条時宗社長が全国の神社仏寺に勝利の加持祈祷を行わせていたことはあまり知られていない ていうか、元プロレスは対抗戦に一線級出したか?
鎌倉レスラー舐めすぎじゃないか。 お得意の騎馬軍団の大軍で海越えるのは大変だからねぇ。吸収した下位団体中心になってしまった。 >>405
ボスの大中華プロレスの会長が「まあ、オメェはそれで良いやw」って
フザケて付けた名前だもんな。
ここのボスは代々独特なネーミングセンスで、そのセンスを受け継いだ
のがあの豊登だ(笑) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています