【プロレスバブル】SWSについて語ろう その18【崩壊】
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バブル期のあだ花か?
金満田中社長の単なる節税対策か?
崩壊後四半世紀を経て、今なお熱く語られる伝説のプロレス団体 メガネスーパーワールドスポーツ
略してSWSスレッド 第18弾
(それにしてもメガネのMは何処へいったんだろう?)
前スレ
【謎の】SWSについて語ろう その17【5カウント】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1557122568/ >>775
クラッシュ最盛期には年間270試合を開催していた。
クラッシュ人気が陰りを見せるとともにバブル経済が到来。
「これはプロレスより儲かる!」が松永兄弟の共通認識。
月〜金まで全女は会社を上げて株式投資と不動産投資にのめり込む。
一方プロレスの興業は140試合まで落ちることとなった。
90年中頃、女子プロの対抗戦が一息つく。
全女に残っていたのは投資の失敗と乱脈経営による借金。
盛り返すことなくそのまま全女は破綻となる。
SWSの田中は株で100億の利益をだし、節税のためプロレス界に参入した。
全女は本業のプロレスをおろそかにして株と不動産にのめり込んだ。
ただいずれもうまくいかずに失敗している。
改めて異業種参入の難しさを痛感する次第である。 そのうちカブキも年金で生活するようなったら
馬場さんありがとうと言うんじゃないの?
マイティやナガサキより長く全日本にいたから
たくさん貰えるから馬場の悪口も言わなくなるんじゃ
ないの? >>785
全日外人ギャラは日テレが払ってたから全日負担は顎足代だけ。
>>788
カブキは70歳だからもう年金貰ってるだろ。 >>788
ナガサキみたいに年金事務所に行って不足分に気づいて支払ってればもらえたかもしれないけど >>784
そんなに早かったんだ!
確かスタ誕で山口百恵と同ブロックでしたよね。
ジャンボ宮本との死闘が頭に残ってる。
というかもうそんなに昔なんだなあ。
年も取るわけだ。私も。
もう若くないんだなぁ。私。 >>791
このむきになりっぷり、罵倒ぶりを読む限り、充分若い、というより幼いよ。
新日総合スレッド2472
119:お前名無しだろ (ワッチョイ 6ff6-JiLg)[sage]:2019/07/09(火) 12:14:10.69 ID:YCHm0KNH0
テンプレ
大事な事なのでもう一度
【重要】
新日本プロレスはサーカス。イオンの吹き抜けでやってるヒーローショー。
そしてそんなガキ向けのショーを見てる奴もガキ。
新日本プロレスって恥ずかしくないんですかね。 nWoのTシャツは小鉄のグッズやってた会社がメチャクチャ儲けたんじゃなかったっけ
で、新日に権利を変更したら坂口と揉めた >>787
確かSWSって2年足らずで崩壊したけど
開催試合数って100あるかないかだったんだよね。明らかに全日本や新日本よりも少ないのに
「試合数が多いので減らしてほしい」と訴えた
SWSの選手がいたってのも不思議だよね。
お金を沢山貰って試合数が少ないから飲んだり
遊んだりする日が増えたから怠け癖がついた
選手がそんな事を言ってたんだろうなって。
だからSWSは怪我する選手も多かった。 >>796
道場マッチを別にすれば、SWSの全興行数は旗揚げから解散までで70きっかり
試合数を減らせというのは「試合数が多いと良い試合が出来ないから」という主張に基づいている
年俸制なので連中にしてみれば試合数は少なければ少ないほど良かった >>797
売り興行はほぼゼロだったと富永部長が言ってたな、「売ろうと思うとすごい高い値段
になってしまう」から売らなかったらしいけど全日新日に準ずる値段だったとしても
売れなさそう 試合数が減ったのだから空いた時間は当然道場へ来て練習するのだろうと田中社長は単純に考えていたのだが、驚いたことにほとんど誰も練習にやってこない
そのくせ道場の電話を使って長距離電話をかける輩がいて、電話料金だけもの凄い金額になっている
さすがの田中社長もこれには腹を立て、社長命令で試合が無い日の練習参加を全所属レスラーに義務付け、出欠簿作って勤怠の管理まで行ったが、それでもほとんど誰も練習に出てこない状態は改善されなかった
余談だが、高木功がSWSを解雇された際の表向きの理由は「団体が定めた練習に全く参加しなかったため」となっている >>798
道場別に売るとか工夫のくの字もないよな >>800
合宿所住まいの若手のダイヤルQ2と実家への長電。 >>802
なるほど、練習来ない奴がわざわざ電話かけに来るわけないか しかしそんなに誰も道場に来ないものかね?
新日も全日も合宿住まいの若手はオフは
毎日練習あるんじゃないの?
折原、大矢、山中、北原、片山。
このあたりはまだまだ普通に道場に
いつも来なきゃいけないクラスじゃないのかな? 律儀に鶴見はほぼ毎日通ってたらしいな、若手に教えたりとか
荒川も結構顔出してはいたらしい 「会社員なら上司の指示に従うけどプロレスラーは全然従わない」と富永が言ってたんだっけ
本当にロクでもない連中だな ケロTwitterで新たなジョージ伝説
青コーナーからジョージ高野が颯爽と入ってくる。
リングサイドまで来て、リング上にいる対戦相手を見る。
「?」
Uターンして帰っていくジョージ。
試合順一つ間違って出て来ちゃった。
控室からリングが見えない会場もあるため誰かが誘導しないと間違えるかも。
https://twitter.com/tanaka_kero_mg/status/1146379991094980608
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>799
ジョージだけは熱心に練習してたらしいけどな >>807
そりゃあサラリーマンじゃないからな
そんな奴なんか見たいか? 脊椎やった片山って、現役時代は全く知らなかったんだよな
どんなレスラーだったんだろう >>811
170cm前半ぐらいの小型選手で得意技は片山ロケット。
ロープに振って相手の喉元にドラゴンロケットのように頭から飛んでいく。 >>799
J鶴田が全日本に入団する際、契約金が支払われた。
鶴田は砧に土地・建物を購入し、それを全日本に道場・合宿所として貸し付けた。
ここで鶴田が合宿所にあった電話機から小銭を回収する姿がしばしば目撃された。
これは永らく鶴田のセコくケチなエピソードして語られてきた。
だがこのSWS道場の電話の件から考えて、しっかりと電話料金を管理していたのは正しいと言える。
このような形で鶴田の合理性が証明されたのは意外なことだ。 >>811
マサ斎藤が自伝で
「新日本をケガで辞めてた団体へ行ったが車いすになった奴がいる。
かわいそうだがこの世界ではダメな奴はダメ」
と言っていたのが片山。
長州はSWSで北尾が失敗するのは容易に想像していた。
それと同じくらい片山も失敗すると考えていたと思う。 >>813
全日でも同じ事が起こったんだよ、
90年代に入って神奈川県に道場作って
電話引いたけど、凄い電話代になってた
んで有料のカード電話に戻したんだって。 >>813
新日も合宿所の電話は着信できるが、かける時は10円を入れるピンク電話だった。
会社・道場・合宿所一体の自社ビルが理想のように思えるが、
夜になると若手がダイヤルQ2と実家へ長距離長電、外人留学生が来ていたら国際電話。 >>815
>>816
合宿所と電話というのは意外な盲点。
全日本・新日本・SWSといろいろなエピソードがあるようだ。
ただやはり、私は70年代のJ鶴田が電話料金をきっちり管理していたことに感心する。
馬場的というか細かいというか、全日本に就職すると言ってのけた男だけのことはある。
これは猪木・長州・天龍では無理なことで鶴田ならではなことであったw ピンク電話って設置主は実際どれくらい儲かっていたんだろう?
通話料金とか基本料金はしっかり掛かっていて、電電公社なりNTTが別途徴収していたはずだから、1通話10円の内、1円くらいは利益が出ていたのかな? >>812
片山の身長(現役時代)は公称172だったが、
実際は、169.9cm
会場にあったデジタル身長測定器で
越中や高野が面白半分に片山を測った。
(「元・新日本プロレス」より)
まぁサバ読み2cmなら、少ない方。 youtubeで見れる事故映像しかしらないけど、ガッツある選手みたいですよね
でも、あの角度でダイブしたんじゃ自己責任だよなぁ >>820
1通話1円入ったとしても月1000円も入らないだろうな
逆に鶴田の回収作業は10円玉が溜まりすぎると電話が使用できなくなるので
定期的にやらざるをえないメンテみたいなもんだな
10円玉なんて銀行に持ってくしかないんだから面倒だったと思う
そういうのをこまめにやってたのは意外だしえらいなと思う >>821
そういう事をやっていた鶴田に対し、
周囲のレスラーは「せこい」と良く言っていたね。
でも上の人が書いているように管理がめんどくさいだろうし、無料にするとモラルなく使いまくる奴がいるのは目に見えている。
むしろ当時は外から電話をかける場合、金を払ってかけるのが普通の感覚だったから、サラリーマンでも出先の取引先の電話から自分の会社に電話をかける場合も遠慮がちにかけてた)鶴田の対応は一番揉めないベストなやり方だよ。 無料だと渕大仁田薗田の三羽烏とかが遠慮なく使いそう、九州だし 労働時間(試合数)がそれまでの1/4に減って、売り上げ(客の入り)に関係なく高額な年収が保証されている
そんな美味い話がいつまでも続くはずがないのに、誰ひとり不思議に思わなかったのだろうか? >>814
ケロが片山の旅日記の選手紹介のところで
「無茶なことばっかりやっててこの先絶対身体を
壊しそうだ」って書かれてたけど本当にそうなって
しまったのは悲しいところ。 合宿所の電話をお題にでここまで語れるの凄いな
プ板の歴史でも最上位のマニアックな会話だ >>824
ターザン「UWFの選手は怠け者の集まりなんですよ。1ヶ月の労働時間がたった15分ですから!!」
パンクラスは1月の労働時間が短い時で1分、総合は数ヶ月の労働時間が数分。
>>825
通話料、システムなどはピンク電話でググって調べてみな。 >>828
松永が「プロレスラーは怠け者の職業」と言っていたのを思い出す >>823
>>825
もし70年代に全日本の合宿所の電話代が無料だったら
三羽烏や天龍、小鹿、高千穂、越中あたりが好き放題使っていただろう。
間違いなく、90年代のSWSと全日本と同様のことが起こっていた。
鶴田は電話の通話料で儲けようとは考えていなかったはず。
合宿所の便宜上で電話機を設置していたに過ぎない。
そう考えると小銭を回収する鶴田は微笑ましくもある。
鶴田は若干20代で合宿所を運営(立派な不動産経営)していたのだから大したもの。
鶴田は身体はジャンボで頭はスマートであった。 >>830
羽田とか林はいい年なのに住む場所を失って合宿所に住み込んでいたからね。 >>826
片山の事故はSWSで最大の悲劇。
ただ田中「どれだけ金がかかってもいいから、できる限りの治療を」と言って
当時の最先端の治療を調べていろいろと受けさせた。
また傷心の片山夫人にもしっかりと向き合った。
SWSが片山にしっかり向かい合ったことは評価したい。
現在も片山は車いすで懸命のリハビリを続けていて
地元に来たプロレス興行に顔を出したり、講演会などをしている。
これも1つのレスラーの生き様である。 >>832
本人が前向きに生活してると聞いてほっとしたよ >>805
ちょっと証言が食い違う所があるよね。
ケンドー・ナガサキはSWSの道場には
みんな殆ど来なくて出席簿みたいなのを
設置してたけど途中で意味がないので
やめてしまったと。
田中社長は週プロ1000号記念誌での特別
インタビューの中で特にジョージ高野は
道場に来て熱心に練習をやっていたと関心
したと話していて、逆に天龍に関しては
道場で練習をするタイプではなく一人で
走り込みしたりするタイプだったと話してる。
カブキらレボリューションの選手の名前は
全く出ていないからやはり練習しなかった
って事かな。誰の証言が正しいのかは
今は分からないと思うけど。 >>834
あるていどのベテランになると、
みんなで道場で鍛えるより
自分のやりかたでコンディション整えるほうが重要だったりも?
むかしテラさんの練習風景というのをTVで見たら
山の中を走ったり、自然石を持ち上げて振り回したりしてて、
実はそれ見て「ジムに行くお金ないの!><」なんて
失礼なことを思っちゃったりしたんだがw
おそらくテラさんの求めるコンディションは
自転車マシンやバタフライマシンで作るものではないのだろうな >>828
ター山の「Uは怠け者集団」の発言て、いつ頃のものですか
これ編集長時代か近年かでかなり印象がちがうかも
とはいえ近年になって「試合が月一になってU選手が太った」
という説を耳にして、ちょっと唸らされたけどw SWSも週間SWSとか発行すればよかったのに。石川のラメ入りレガースの詳細記事とかプレミア付いただろ。 >>837
そりゃーおそらく その当時にサッパリ売れず、
いまになって読みたくなる人が殺到する記事だなw
定価の倍程度にはなるかもしれん >>835
プロレスなんだから道場のリングでプロレスの練習しなくてどうするんだ?
ビッグマッチで対戦する相手との技のタイミングとかの手合わせも必要だろ。
テラさんて誰だ?
>>836
第2次U全盛の88〜90年頃。
若手の練習は厳しかったが、前高山は好きな時間に来てウエイト、ランニング、新弟子相手のスパーでの調整みたいな練習なので
追い込んだりしないため、カロリー消費も少なく太ってくる。
プロレスラーは毎日の巡業がトレーニングでもあったが、月1のUはそれがなくなった。
まったく道場に来ず、後進の指導もしない天龍、カブキらよりはマシ。 >>838
メガネスーパーが発行するフリーペーパーとして、メガネスーパー店頭で配布するという手はあったと思う >>まったく道場に来ず、後進の指導もしない天龍、カブキらよりはマシ。
長州が好んで道場で下の連中を指導していたのと好対照だな
つくづく長州と天龍って真逆だよね
長州が相手の技をほとんど受けずハイスパートスタイルなのに対して、天龍は相手の技を受けて受けて受けまくるマラソンマッチスタイル
タイプが真逆だからこそ手があったのかな? >>839
テラさんも知らんでよくそこまで語りやがったなw
少なくともSの在ったころのプロレスはまだ
組体操とは違うものだったはずだぞ
「ファミコンプロレス」という言葉が一部で発生してはいたが >>841
全日時代の天龍はめっさ練習してた記憶があるな
>>842
ヤオバレが進んでなかっただけで、プロレスは今も昔も組み体操だよ(笑)
>>843
ワロタ >>843
そういえばテラさん考案?の「チューダー」て
そのうち作って飲んでみようと思って宿題にしてから
何十年もたっちゃったなぁ
三ツ矢サイダー+パックの麦焼酎くらいで概ねいいんだろうか テラさんの晩年の悲惨さを知る人は少ない
谷津嘉章より悲惨かもしれん >>849
でもテラさんには美人のお姉さんがいたし
国際のテラさんもよく池袋の洋食屋で仲良くお昼食べてるのを何度か見かけた 〇よく池袋の洋食屋で元気のいい奥さんと仲良くお昼を食べてるのを見かけた >>849
テラさんも編集長のところに行って
「こんな悍ましい漫画は打ちきれ!」ってのも何だかなと思う
妥協を知らなすぎだろう
「漫画家にとって一番大事なのは人気をとることです!」と言い切り
絵はほとんどアシと女房に任せていた本宮ひろ志の方が漫画家向きだ キムさん、フジさん、タナさん、ツルさん、チョーさんも大変だよな。 >>849
テラさんは怪我して試合が出来なくなっても馬場の温情で物販屋として残してもらえたね。外様であってもSWSにいかないで全日本に残留してたからってあったのかな。 >>731
擁護しているのは、お前のようなキモイ信者だけだろw >>854
いまのいままで気づかなかったんだけど
物販ということは、なんらかの形で
ジャイアントサービス入りだったってことなのかね
当時は、元レスラーがグッズ売りって悲惨とか思ってたんだけど
実は馬場からみれば、かなりな厚遇のつもりだったのかもしれんね >>856
パンフの販売だから全日本と懇意にしてた印刷会社に引き取らせたんじゃないだろうか
ジャイアントサービスで移籍組の面倒見るほど甘くないと思う >>858
TBS特番「燃えろ闘え長州力」では
試合中の選手の声が収録され放送されたんだよ
長州とテラさんがタッグ組んだ試合があったんだけど、
ここで長州が「テラさん!テラさんパイルドライバーだ!」て
合体パイルドライバーを促す声がはっきり聞こえて
当時はビックリしたなぁ >>859
かな?
自分で書いといてなんだが、物販屋というより
パンフ屋みたいに書かれてたような気がしてきた
日プロの時代もタニマチの土建屋に天下った選手とかいたよね
まぁ力道山じたい、相撲やめた後は暫しタニマチの土建屋で
ドカタだったかもしれんが >>860
著書でも「寺さん」と書いてたね。カタカナ表記が斬新に感じたのでw
「マサさん」「浜さん」「寺さん」・・年上の味方に対する長州独特の呼び方だよね。 全日時代の寺西は怪我で引退後しばらくパンフの販売とかしてたらしいね
後に現役復帰して新日に上がった頃は「肘?の怪我で引退させられた」とか言ってた 半年もいなかったよね
給料も高卒(中卒?)の新入社員としてしか払ってなかったっぽい こないだまでリング上でスポット浴びてた人間に「パンフ売れ」はきついよな
現役時代と同じ額の給料もらえたとしてもプライドがなあ
寺西は昭和レスラーの残党のイメージそのものみたいなタイプだし
接客商売にはどう見ても向いてない、後楽園でみかけたときはすこしかわいそうだった パンフ売りの内面の葛藤がどうだったのかは知らないけど
同時期だったか、全日退社後にしばらく経ってたかは記憶が薄いけど
新日で越中をエースに平成維震軍が旗上げした
昭和維新軍を復活させて、WARとの三つ巴みたいなのを興行の目玉にしてたよね
その時に寺西にお声がかかった、パンフ売りよりそちらを選ぶのは自明の理だし
時期的に覚えてないけど、新日から声がかかんなかったらどうだったんだろう? >>869
その前後に確か鶴見主催するところで
試合してたような気がする。屋台村とかそっち方面で。
声がかからなくてもSPWFとかでやってたのかも。 寺西のパンフ売りは見たことがある。
声も全然出てなかった。ケーシー高峰に
そっくりな人の声ばかり聞こえてた。 spwfで千春とかにプロレス教えたんだよな
93年ごろだったと思うけどテレビのドキュメント番組でも取り上げられてた >>866
でも全日の生え抜きでもなんでもなく
国際から新日に渡り歩いただけで
全日にも数年しかいなかったでしょ
あなたの会社は数年いた人に一生面倒を見る待遇なの?
レスラーなんて若くして引退するまでに自分で金を貯めるもんだし
悪いけど寺西程度の貢献者の面倒見てたら会社なんて出来ないよ
新日の高橋くらいの貢献でも退職金を出すなと長州が反対したんだろ
誰々が出ないのに社員でもない高橋に出るのはおかしいって理由で >>870
なるほど、じゃあレスラーの自負が大きかったという本人談は本音かもね
ジャパン分裂時、寺西は谷津や栗栖らと共に全日に残った
まあ、共にというのは外からの見方で、それぞれが個々の意思で残ったんだろうけど。
でも誰だったか、井上かもしれないけど「寺西の体の状態は引退提示されても仕方がない」という意見もある。
馬場としてもジャパン分裂の経緯もあるし、落としどころとして悪い待遇のつもりはなかったというのに同意。
それが本人の意識とは隔離してたという事だね。
でもパンフ売りが屈辱で、たとえば新日の小林邦の寮長や食事番が上なのかといえば違うと思うけどね。
会場の店頭に座って「Tシャツ買えばサインしますよ」と条件つけてサイン黙々と書いてた馬場も同じだと思うし、あくまで個人的には。
また、健介オフィスがいろんな団体に上がってた頃、北斗が健介と並んで大声張り上げてグッズ売ってたの良く見たけど、
個人的な収益と団体の収益とで違うけど、やはり同じような事にしか見えない
寺西本人が違うと思ったんなら仕方ないけど、ファンのオレは寺西の売り場の姿を見て、特別に気の毒とは思わなかったな。 >>874
馬場としては厚遇のつもりだったかもと書いたのは俺だけど
それはその時点で、ジャイアントサービス入りの名誉職?なのか?て
思ったからそう言ったわけで、それがその後に
「そうではなく、しかも高卒の新入社員並の待遇」との説が出てきた以上は
すでに考えは変わっているよ
でも、パンフ売りが嫌だと思ったかどうか以上に
まだレスラーとして使ってくれる団体があったってのが
パンフ売りを辞めた主な理由だったのだろうなと思うけど
もともと最初の団体がなくなってしまってから
日本のメジャー団体を渡り歩いたんだもの
全日で使ってもらえなくなったとして、
他の団体がリングに上がってくれと言ったら、そっちいくでしょ ただ、再度新日に加入したテラさんが
サンペイちゃんと「密談している」のが
専門誌にスクープ(←w)されたことがあったんだよな
テラさんは、また維新軍やろうってサンペイちゃんをさそってて
「カーンや戸口にも声をかけているんだ」みたいなこと言ってた
でもその後、テラさんと同じコーナーにその面々が並ぶことは無く
そしていつのまにかテラさんはフェイドアウトしていったかと
(新日に戻ってきたのは覚えているけど、また去った経緯は思い出せない)
新日への再登場(=レスラーへの復帰)は果たしたものの、
あまりうまくいったとはいえない感じ
新日はテラさんにどんなことを期待したのだろうか 高卒並みといっても、寺西がフリーでリングを渡り歩いたって
それ以下の収入じゃないのかな
寺西が一試合5万も貰えないとして百試合としても五百万
剛竜馬が金がなくて窃盗したり、エロビデオでたりしてたもん
普通はバイトしながらリングに上がってる >>876
テラさんは平成維震軍の自主興行の目玉として昭和維新軍との
抗争があってそのために呼ばれて、そして平成維震軍の
自主興行が行われなくなり維新抗争も終わり
でそのまま呼ばれなくなったと思った。
谷津の方はそのまま本隊の興業の方に呼ばれると思っていたら
長州から「平成維震軍の興業はやらなくなったから
お前はもういらないよ」って言われたみたいで。
その後長州と新日本の不満を口にしてた。 昭和維新軍の結成を知った越中が、
「けっ!ジジイどもに何が出来る!ジジイは縁側で日向ぼっこしてろ!」
とわめいていたら、横でカブキが涙ながらに荷物をまとめ、
出ていこうとするのを越中が必死に泊める、
という4コママンガがあった もともと長州が新日に出戻りするときに付いて行かなかった時点で選択ミスなんだよな
あと>>878のころに、谷津のwikiに「抑えた会場を新日に肩代わり」とあるけど、SPWFのことなんかな?
>平成維震軍自主興行の中断や、懐かしの外国人レスラーを一堂に会する興行を発表したのに実現化出来ず、
>抑えた会場を新日に肩代わりしてもらったことが影響し、新日マットよりフェードアウトする事になり、
>以降新日本プロレスには参戦していない >>850
>美人のお姉さんがいた
それテラさんではなく
石森じゃないか? レスラーを引退したテラさんに、
パンフ売りの仕事を与えたのは
全日、馬場の思いやりだと
当時の週プロ、ターザン山本は
書いていた。
まぁ当時、ターザンは馬場とベッタリ
だからそう書くけれどね。
俺、学生時代なんかサラリーマン漫画や
ドラマで、ドジをやった部長が降格され
地下の別室に一人で仕事も与えられない状態で
苦しんでいるシーンを見て、
それでも月給が貰える(減給されるだろうが)
なら、楽で良いじゃないか?とも思ったよ。 >>881
俺も石ノ森(当時は石森)の記憶だな。
その話を最初に知ったのは石ノ森の自叙伝とか『まんが道』とかではなく
創刊間もないコロコロコミックに掲載されていた『ハムサラダくん』(吉田忠・作)だったな。 >>875
ああそうか、文脈を読めないでゴメンなさい、それなら良くわかる。
パンフ売り云々の露出をどう受け止めるかよりも、待遇面はモロ大事だもんね、生活面とプライド面の両面で。
新日が寺西をどう思うかというのは、二部リーグ制を具現化しょうとした流れの興行面でのネタ以上でもなければネタ以下でもないんじゃない?
878さんが書いてる通りで、あくまで「昭和維新軍」とういう看板を立てる事が第一で、その面子の一員というか。
例えが変だけど、キッドスミスのブルドックスの片割れのDスミスが離脱した
変わりにJスミスを組ませた、当時のタッグ戦線が華やかなりし頃の全日は個々のタッグの看板が大事
それで新生ブルドッグスみたいなアピールしてたけど、寺西には失礼だが当時のJスミスみたいな存在なんじゃないかと?
当然だけど維新軍抗争が終われば用済み、寺西と似たタイプ?の保永ががベテランジュニアが当時は存在感を得てたから、寺西が残る場所はなくなったんでは?
ただ、何回か開催させたジュニアの他団体合同の大会、トップオブスーパージュニアだっけ?
あれに出てほししかった気はする、ドスカラスを40代の半ばで優勝させる度量もあった大会だからね。 ドスカラスと寺西じゃネームバリューが違い過ぎるだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています