【新間寿】昭和の新日本プロレス11【大塚直樹】
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>>897
本場アメリカでは、全くプロレスに興味がない人でもWWWF〜WWFのブルーノ・サンマルチノとハルク・ホーガンの名前だけは誰でも知ってるらしい
今なら+ドウェイン・ジョンソンってとこかな >>898
ブロディは明らかにその爺さんを避けて、
国技館の上の方に登って行った。 >>901
まぁ、結構逃げ遅れ(逃げない人)?いるね。
逃げてる人は、怖くてってより面白がって騒いでる若者が多いな。 場外徘徊時、芯 暴力団人間(風込)避、佛茶 年寄避。 >>900
ブルーノ・マーズのブルーノはサンマルチノから取ったという話だよね。 >>897
WWFがNWAの加盟団体だったことも知らない知ったかバカ
先代ヴィンスsrなんて再加盟後はNWAの常任理事だったのにw
つーかそもそも、NWAは「団体」じゃなく「団体の組合」だし
そこからしてもう何もわかってないw
その点でミネアポリスレスリング&ボクシングクラブという団体のお手盛りタイトルである
AWAや、キャピトル・スポーツという団体のお手盛りタイトルであるWWFといった実体の
ない(IWAやPWFと同じ)存在と同列に語るものではない
WWFが実体を持ったのは親父のキャピトルスポーツから興行権を買い取ったヴインスが
自分の会社であるタイタンスポーツのプロレス興行専門子会社として設立した時点からだ
(その後、WWFのブランドが大きくなると出資転倒でWWFが親会社になってタイタンは
ヴインスの個人事務所になった) 先代ヴィンスもそうだけど
NWA副会長を長年務めたマイク・ラベールや
70年代後半から80年代初頭にかけては年間最も多くNWA王者をブッキング
していたエディグラハムなんかが
なぜか「NWA反主流派」などと呼ばれたりしていた >>906
そいつ昭和全日本スレにも同じこと書いてボコボコにされたかわいそうな人だからそっとしておいてあげて 近年のハーリー・レイスの自伝で1980年の時点ですら
猪木はNWAにおける馬場の地位を奪おうと動いていたって話が書いてあるね
新日が「NWA世界ヘビー級王者が出場するのは全日限定」と言う
屈辱的条件を飲んで加盟した事
引退が近かったジャック・ブリスコを呼んで猪木に負けさせたり
新日の外人で最も高いギャラを支払っていたのはダスティ・ローデスだったり
新日にはNWAコンプレックスがあるのは明らかだった 平成になって新日がWCWが業務提携したのだってNWA王座が目当てだって
当時のプロレス雑誌に散々書かれてたからな、NWAコンプレックスが酷過ぎると >>909
猪木に格闘洗脳されてた時代の小川直也がインディー化したNWA王座を奪取して、
しばらく入場テーマをギャラクシーエキスプレスにしてたのもNWAコンプレックスからきてたのかね ドームでIWGP戦より後のメインにNWA戦をやらせていたし >>909
1980年といえばNWAインタージュニアの扱いもそうだったな
WWFジュニア王者の藤波の方が挑戦者の立場で翌年以降のソントン経由のNWA世界ジュニアの扱いとは全くの逆 昭和の洗脳を語り合うスレだなあw
今頃昭和のゴングみたいな話を聞けるとはなんともw
猪木のNWA幻想というのは「ドリーへの郷愁」だったのは
あの小川NWA(供託金数千万円を猪木が自腹で払った)
の経緯を見ているとよくわかった
最近の流レポートで、力道山時代にいったん完全に
打ち捨てられたNWA幻想が、日プロと豊登の決別、
ドリーシニアとの提携によって甦り、三大王者の中で
ドリーが日本のマニアにも「認知」されていく過程が
リアルタイムを知らない人間にもわかるような紹介の
され方をしていて楽しい 独占団体でなくなった日プロが外人ルートで優位になるためにもNWA加盟が必要になったんだよな まあ力道山としてもNWAの代わりにWWA幻想を打ち立てようとしたとも言えるが 流のことあんまり信用するなよ
勝手な解釈押し付けてるから 猪木は結果的にNWA王者に無理してならなくて大正解だった
アンドレがNWA王者にならなかったのと同じ意味でね。
むしろ馬場の方がNWA王者に無理してなってかえって損してる気がする
それによって人気が上がったというわけでもないし NWF世界ヘビー級選手権というNWAとPWFを掛け合わせたようなものをよく見つけ出してきたな NWF世界ヘビー、73年当時はNWA、AWA、WWWFについでランクされ4大王座の一角と位置付けられてた。
歴代王者もバレンタイン、ブッチャー、ワルドーフォンエリックらそこそこ名のしれたレスラーが
連ねていたし一応評価のある王座ではあったな。 猪木は短期間だがWWF王者になってるんだが
全然誇りに思っていないね
WWF王者だった事に全然触れない
異種格闘技戦でアリ戦については誇りにしているが
ウィリー戦にはまるで触れないのにも似ている >>918
猪木がNWAを獲るとすると時期的にローデスかレイスからだが、
ローデス→猪木→ローデス
レイス→猪木→レイス
だとストロングスタイルの猪木がローデスとレイス絡みで短期でNWAとなってしまい、
トミーリッチ、ケリー、ロニーガービン、スティンボートみたいな存在になり、猪木の価値が上がったとは思えない。
格闘技戦とNWFでの名勝負で正解だったと思う。 >>910
「NWAベルトを復活させるのにウチがいくら払ったと思うんだ!」と言う発言は
坂口なんだろうね。坂口にとってもNWA幻想は大きそう 年に1度のプロレス大会の名称を「ワールドリーグ戦」としたぐらいだから
それだけ日本マット界の正統性にはこだわっていたのだろう。
インターナショナル・レスリング・グランプリとしたように
インターナショナル選手権にもこだわっていただろうし
NWA世界王者、インターナショナル選手権、ワールドリーグ戦のこの3つが
三種の神器みたいに考えていたのだろう。 それなら76年アジアリーグ戦での新日版アジア王座もだなw
全日がそれへの対抗処置として、伝統があるのはこっちだと主張するかのように
すぐさまアジア単複量王座を復活させた。シングルは大木の私物みたいなもんだったが
タッグはその後全日中堅クラスが活躍する場において欠くことのできない王座となったな。 新日本が言い出さなかったら復活は少なくとももっと遅れてたかもな
後には新日本でも防衛戦が行われたのも皮肉だが NWAとか単なるドームのネタとして使ってただけでしょ
坂口長州じゃ、NWAとかインディー担ぐぐらいでしか
ドームのネタ作れなかったからね >>923
「NWAなんて単なる寄合所帯!」と加盟できない、NWAチャンプは呼べないと
やっかみで吠えていた新間の発言あった。 まぁアンドレを独占して呼んでいるから
NWA世界王者は呼べないって
口が裂けても言えなかったからね。 そのアンドレを国際に貸してるから協定も微妙。
佐藤「新日はNWA王者ローデスを招聘できないことはなかったが、やらなかった」
招聘しても猪木NWA王者とはならないから両リンで終わり、失望感しか残らなかったと思う。
NWA王座転落したブリスコをNWFに挑戦させてピン勝ちの方が良かったと思う。 >>920
NWFはNWAが南部のプロモーター中心で動いてることに不満を持った北部のプロモーターを
バッファローのペドロ・マルチネスとクリーブランドのパワーズが扇動して結成した新NWAとも
言える組織だった
しかしいざ結成されてみると供託金は取るくせに王座戦はマルチネスとパワーズ、そして二人
の後ろ盾だったフランクタニーのトロントが独占したため
当然プロモーターたちは離脱、あっというまに瓦解して単なるローカルタイトルに よく考えたらNWAを脱退していた時期のNYやLAでトップだった馬場より
オレゴン、カンザス、テネシー、フロリダとNWA圏で修行してた猪木の方がNWA幻想が
強かったのかもしれない
テネシーは後にNWA脱退してAWAと同盟結ぶけど >>915
それと一時はインターナショナル選手権を認可してもらうなど深く提携してたロスWWAが崩壊して
後継のLA新団体であるラベールのハリウッドレスリングがNWAに再加盟するという
梯子をはずされるような事件があったからな
>>921
上にも書いたけど
逆に馬場が一番ほしかったのは「WWWF」王座だったかもな >>917
少なくとも日プロがNWAというかNWAのトロント地区とサンフランシスコ地区から
WWAへと提携先を移し、その後再びNWaに擦り寄って正式加盟した経緯は間違って
ないと思うぞ
フミサイトーみたいに日プロが力道山時代から一貫してNWAを仰いでいたなんて
でたらめ言うよりはw
>>923
坂口の自他共に認める最大の名勝負もドリーとのNWA戦だったっけ
フレアー対輪島が輪島最大の名勝負みたいなものかも知れんがw 第二回IWGPに参加予定だったリック・マーテルが鶴田に勝ってAWAチャンプになった時、
いずれ新日にAWAのチャンピオンがやってくるのか、とワクワクしたもんだったが。
結局全日に行って鶴田とやりあってたからガッカリした。 >>932 >>933
色々間違ってる
馬場の最初の渡米時はWWWF設立以前、AWAがシカゴを傘下におさめる前
NWAがNYとシカゴの二大都市を含む広範な地域を支配していた
そこで馬場も若き大型ヒールとして1年半以上活躍し、シカゴ等であこがれのロジャースに何度も挑戦した
二度目の遠征はWWWF設立後だが、半年ほど五大湖周辺の狭い地域を回っただけで日本に呼び戻された
帰国前の箔付けの一環で短期間WWWF入りし、サンマルチノの王座に一度挑戦しただけ
馬場がNWAよりWWWFに固執していたとかあり得ない むしろ
なんでマーテルがIWGP参戦寸前というところまでいったんだろう?
どこのルートのブッキング? >>937
アンドレの推薦だよ。フランス語も話せるし IWGPの参加予定の外人がキャンセルって悔しかったなぁ。
マーテルもブッチ・リードも新鮮だし見たかったなぁ。 84年のIWGPはメンバーは豪華だけど
逆に集中させすぎたかもな
パテラ、ワンツ、スタッドとか
何人かは秋や年末に回せなかったものか 日本マットで売れた黒人レスラーってブラジルとブッチャーぐらいしかいないのかな
バッドニュース・アレンは新日の常連だったけど、外人側エースに据えるには
あまりにも人気も集客力も低かったし…実力はあるんだけどなぁ
ブッチ・リードもジャンクヤード・ドックも日本ではウケなかったろうな 「黒い呪術師」なんてニックネーム、今じゃ絶対につけられないよな。昔の映像見ていて「アブドーラ・ザ・ブッチャー率いる黒い軍団が入ってまいりました」って聞こえてくると、一瞬ドキッとするw 昭和時代の日本人の中には、まだ黒人=ぶきみ・怖い・危ない
ってイメージが強かった時代だよね。 >>944
時代とか国民性とかね。日本における黒人のイメージを大きく変えたプロレスラーって誰だろ? 来日したブラックスキンのプロレスラーの数が多くないから、誰っていうのはいないんじゃない?
プロ野球やJリーグに来た助っ人には多くいるけど。 アスリートとして愛されたのはカール・ルイスやクロマティじゃね >>945
ダッコちゃんブームに乗ったボボ・ブラジル プロレスは時代の先を行っている。
国際プロレスがビル・ロビンソンをエースに据えて、全日はファンクスをメインにして
新日はホーガンを日本陣営に加えたりしている。
テレビも当時はプロレスファンから総スカンを喰らったギブUPまで待てないも
現在のスポーツ中継を見れば芸能人をスタジオに並べて試合の最中に芸能人の顔をぶっこんでくる。
それが当たり前になっている。
プロレスを見ていれば日本の未来の姿が見えてくる。 >>948
ダッコちゃんに乗ったのはリッキー・ワルドー >>942
そこそこだとレイキャンディやレロイブラウン、キマラあたり。
ブッチャー&キャンディはインタータッグにも就いて評価はあったな。
新日マットでも見てみたかった。ブッチャー&Lブラウンも強力そうだ。 連投で。
アレンがブッチャーと仲間割れした時にアレンがまた日本陣営に戻るとかは
無理だったのかな? 当時の流れがそんな雰囲気でもなかったか。。 トニー・アトラスとかSDジョーンズなんかは日本ではパッとしなかったけど、WWFではそこそこ活躍してたよね。便利に使われてただけかもしれないけど。 >>952
もしもアレンが日本陣営についたら人気出たかもね。ブッチャーと別れてラッシャーと組んだことで何となく「ブッチャー可哀想」みたいな雰囲気になっちゃった。 70年代くらいの日本人だったら、カマタや
サモアンズ、ゴリアス&ゴールドマンあたりは
黒人と区別ができていなかったような気がする。
56年のサマーアクションシリーズでの
ゴングの来日外人紹介コーナーでは
「黒人軍団がウヨウヨ」と書いてある。
黒人はルーファスジョーンズだけだと思うんだが。。。 >>955
ウヨウヨはまずいだろww今だったら「褐色の弾丸」とかもアウトですよね。日焼けした肌ならセーフか。 住みにくい世の中になったもんだw
まあ小人プロレスなんかも昭和ならではの見世物的な風景だしな。 “黒人を連想させる”ってだけで世界的ブランドも糾弾されちゃう世の中だもんな。 太ったレスラーをブタ呼ばわりするのは問題ないが
ブッチャーやキマラを黒ブタ呼びは許されない世の中 ローデスとブッチャーの抗争なんて『白ブタvs黒ブタ』なんて言われたけど、そうか黒ブタはダメか。 アレンは対UWF用の助っ人として日本陣営に入れたら面白かったかも。
まあ助っ人は上田がいたから必要ないか? 85年以降のアレンはもったいない使われ方してたな… >>963
常に外国人サイドの3番手あたりで、誰と組んでも成立させられるという意味では便利屋扱いだったよね。でも、ブロディとのタッグや、バンディと組んでのタイトルマッチは良かった記憶がある。 アブドーラ・タンバなんてタイガーが引退した後も呼び続けていれば
結構人気が出たような気がする ロッキー・ジョンソンは新日に来てたの微かに覚えてる気がするけど
黒人といえども割とカッコよかった。
先祖にアイルランド系が居るみたいでブレンド具合が良かったんだろな。
ラッドは色があまり黒くないな、白人がけっこう入ってたのかな。 >>961
UWFvs外人
前田、藤原、木戸、高田、山崎vsマードック、ウィリアムス、レイガンス、アレン、バーバリアン
Uは一たまりもないな。 >>927
そのドームと92年G1でNWAでは客呼べないってのがバレちゃったね https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0503/users/ec9b8c3b1a84c35b58c7423fd989252bbbe1997f/i-img1200x1200-1551597441mbic2w984344.jpg
たった一回で終わったIWGPタッグリーグ戦、当初はスーパースターのパートナーはアンドレの予定だった
しかしWWFの都合でアンドレは来日できず、加えてアドニスまで来れなくなった
しよーがないのでマードックとスーパースターは残った者同士でタッグ結成
足りない一組はナガサキ&ボーゴになったという顛末
タッグでアンドレ対ブロディが実現していたらなぁ >>970
ヒギンズのパートナーはヘルナンデスの予定だったんだな。 アンドレとブロディー
共にシリーズをサーキットする事になったら
プライベートでソリは合っていたのだろうか? >>963
アレンのピークはやはり蔵前のメインで猪木と対戦できた時か ある意味師弟対決なんだからアレンも感無量だったろうな >>973
サマーファイトシリーズまではシュルツとの2大エース扱いだったけど闘魂シリーズで元のポジションに戻ったような… >>973
あの時の蔵前のメインのカードはシリーズ
に入っても全然決まらなくて、突然
アレンとやる事になった印象がある。
アレンは直前までブッチャー、木村と
三角関係になって抗争してたのに急に
猪木とやったのは違和感があった。 人種差別に敏感だったらアレンだけど、WWEでのバッドニュース・ブラウンってリングネームはOKだったんかね
日本での”黒い猛牛”っていうニックネームとか アレンはUインターで桜庭との試合がツベに出てたな。
アレンは当然全盛期は過ぎてたけど、桜庭より二回りほどデカくて、当時の桜庭が何を仕掛けても軽くいなして、最後は腕ひしぎかなんかでアレンの完勝だった。 日本では猪木や藤波の延髄で負けるのが仕事だったが
WWF時代はゲッターブラスターという名の延髄蹴りがフィニッシャーなのが面白い >>979
Ghetto Blaster ゲットーブラスターな このゲットーもスラム街とかアフリカ系アメリカ人の居住区を指す意味があるから 技の名前からして不穏 >>977
昔、英語の先生に聞いたら北米では「ブラックピープルはいいけどニガーは絶対、ダメ
!」と言われた。ブラックは差別用語では無いみたいだった。 https://pbs.twimg.com/media/EAwwOOmUcAAZ7OO?format=jpg&name=small
ホーガンは娘の交際相手がアフリカンだったことが災いして
ニガー連発の私的な会話を録音され、八年前の事案にもかかわらず
WWEを解雇されてしまった アレンは得意技がないのが難点だった。
プロレス的な大技の打撃、投げ技、関節技、フィニッシャーがあれば、もっと上に行けたか? アレンは派手な大技が1個もなかったから
あそこ止まりだった アレンは本来器用な選手だと思う。バッファローラリアットとかオクラホマスタンピードは迫力あったよ。
「コレ!」っていう決め技がないのでトップには立てなかった。一方で、だからこそ誰とでもタッグを組めて、負け役も引き受けてくれるので重宝した。トップ目指してたらすぐに消えていただろう。 楯突くつもりはないけれど
猫も杓子もラリアートというのは興ざめだったね
鶴田とか
一流外人なら自分のオリジナルで勝負して欲しいわ アレンは生中継で片玉ポロリさせても呼ばれ続けたんだから大したもんだよ。 つべに「アンドレ・ブラウンvsサモアン・アティサノエ」があがってて懐かしくて見たけど、
サモアンなかなかの男前だな。来日第一戦で藤波に負け、上記の試合も負け、
とにかく勝ったことがないから冴えないあんちゃんって印象だったけど。 >>983-985 >>987
体が硬い事もあって
一つ一つの動きが客席からは小さく見えるのが難点だったよねアレンの場合
それと結構色々な技を使っていた割には
トーキックと地獄突き以外は然程印象に残らないのも良くなかった
その辺り今のどんなに新技を披露しても
ラリアットばかりが記憶に遺ってしまう後藤と被る物がある 木村、アレン組が1シリーズで空中分解してしまったのは残念だった…悪そうなチームで好きだったんだよなぁ… >>991
ブッチャーとの因縁もこのとき限り。それ以来アレンは便利屋になってしまったな。 ラッシャー木村の喉仏をアレンがラリアットで潰したんだっけ
加減を知らない壊し屋と抗争させられて木村も気の毒に いいレスラーなんだがこれと言った技がないのでエース級になれない点では
スーパー・ストロング・マシンと重なる>アレン >>993
イス攻撃じゃなかったっけ?真冬のカルガリーでの出来事だったかと。 馬場が「マシンには決め技がない」と言った直後魔神風車固めが出て仕合が決まったけど、馬場は「じゃああれがスーパーヘビー級の外人に通用するのか」とやっぱ否定してたね。 >>996
スーパーヘビー級にも通用するかもしれないダイビングヘッドバットをやったら、自分が脳震盪起こして欠場するはめになったのが1986年の最強タッグ。 これといった技がないなら藤波につきる
エース級外人と対戦して勝つ時はほとんど逆さ抑え込み レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。