【新間寿】昭和の新日本プロレス11【大塚直樹】
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俺は個人的にはリングアナが選手名や肩書、試合形式など以外の
大仰な煽り文句を言うのはなんか安い田舎芝居がかってて好きじゃなかったな アナウンス力は素晴らしかったね
ケロのなんたらって選手の日常を書いた本も面白かった ケロは大阪でハイヒールリンゴとかとラジオやってたな。
けっこう裏話してたわ。
大阪のラジオやテレビで舌禍するタレントやら当時多かった >>283
闘魂プロレス塾→おはようプロレスだな
ハイヒールのリンゴとか、亡き非常階段のミヤコとか出てて、時々馳浩も来てたな
この番組で初めてラッシャー木村のスカイダイバーを聞いたわそういや。菊水丸もケロも「これは木村さんのイメージに合わんでしょ」「会場では流れてないんじゃ?」となったのを覚えてる
>>284
早くなったのと適当になったな
こしなかーしろーおー、だったのが
こしなかーしろ、おー
くらいに名前の方を伸ばさなくなった >>281
わかる
なんかダサかった
でも会場大盛り上がりなんだよね
嫌いではないけどやんなくても良くね?とは思ってた >>268
この頃から新日は全日(ノア)やUWFに見下される側になったのにな。 でもさ倍賞鉄夫がずっとリングアナやってたらケロみたいな盛り上がりが出なかっただろ
ケロはふだんもレスラープッシュアップ500回とかのトレーニングをやってたから
意外と肉体派の努力家だよ >>281
ベースボールマガジン主催のドームのメインの橋本vs蝶野で
「蝶野、蝶野、菜の葉に止れ、蝶野正洋入場」はうざかった。
だったら橋本にも「豚もおだてりゃ木に登る、橋本真也入場」とやってほしかった。 「7時時は来た」じゃゴロが悪いからって1分の間をもたせて
「7時1分時は来た」ってやったときなんて天性の言葉使いのセンスに感心した
調子に乗り過ぎることもあるけど当時の新日本の立役者の一人だよ >>288
ドームでシンに流血させられたり、ベイダーにぶん殴られたり、黒蝶野にフェンスに叩きつけられたりと結構大変な思いしてたね… >>288
倍賞鉄夫の様な醸し出し華がなかったから、口上やり始めたんだろうな。がずっとリング
>>ケロはふだんもレスラープッシュアップ500回とかのトレーニングをやってたから
意外と肉体派の努力家だよ
リングアナが腕立て500回やったから、
選手コールに関係ないし、ただの趣味だろ。
リングアナまで練習アピールして
実に昭和新日らしいww >>291
だよね
リングアナも体作っとかないと大けがする危険あるからね >>292
倍賞鉄夫が華があったとは思えないな実際レスラーからの評判も悪かったし
それと当時の新日は裏方も体を鍛えることが業務命令だった
「営業に来た社員がヒョロヒョロだったらプロレス自体が舐められるだろ」って小鉄が言ってた
趣味じゃなく仕事の一環だったんだよ 当時週プロだったかゴングだったかでケロのプッシュアップバー持った上半身の裸が載ってたけど
胸板が厚くヤングライオンみたいな体つきだった
趣味のレベルじゃなかったよ 華のあるなしと、レスラーの評判云々の話って何が関係するんだ?
>>それと当時の新日は裏方も体を鍛えることが業務命令
スタッフはレスラーか?
片腹痛いわ >倍賞鉄夫が華があったとは思えないな実際レスラーからの評判も悪かったし
っていうか、
あなたは「華」の意味がわからない? >>295
ケロはかなりのナルシストだからあんな
他の団体を見下したような前口上の
セリフを考えるし、「新日本はリングアナ
の肉体も凄い!」と驚かれたい為に筋トレも
行う。
彼は嫌々ながら努力しているのではなく、一連の不遜な行動は楽しくてやっているんだよ。 1987のタッグリーグって坂口、木戸(前年度準優勝)、越中(前年大飛躍)がエントリーされてないんだよね。
ジュニアでは高田だけエントリーだから、相当プッシュされていたと思う。 田中 選手小馬鹿発言、多。
評判悪状態、以前。
茶化言葉、雑誌掲載等。 84年夏頃までのケロのコールは神がかってる
それだけにそれ以降は適当にやってる感が丸出しなのがよくわかるし
前口上やり始めてからは明らかに勘違いしてる 倍賞美津子さんの弟さんというだけで値打ちあったわな、当時は。
離婚してもそこまで仲悪くはないんだなってのもあった。
田中は自分が会場設営のバイトの時に上半身裸見たけど、いい身体してたな。
ミスター高橋はイメージより小さくて別人かと思った、 人の尻馬に乗って同じことを繰り返すのってみっともない… >>297
あのさ猪木や小鉄が倍賞のコールはダメだったと言ってんだよ
レスラーにダメ出しされるリングアナのどこに華があるんだよw >>304
>>>297
>あのさ猪木や小鉄が倍賞のコールはダメだったと言ってんだよ
情報ソースは何?
猪木や小鉄が言ったから華が無い?
さてはケロ本人の書き込みか? >>304
やっぱりいい歳して
「華」が何なのか
わからないようだなww 俺はキャバレー支配人みたいな風貌でかみかみで抑揚がなく、語尾が下がってテンション下がる
「45分1本勝負シングルマッチを行います」と新日と逆に言う全日の原軍司が好きだった。 >>299
坂口はスコットホールが余ってしまったので急遽参加してたね
木戸は日本人が充実してたので外されちゃったのかも…ジョージ高野も参加しなかったね http://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190628-00010001-flash-ent
前田日明
http://amd.c.yimg.jp/amd/20190628-00010001-flash-000-11-view.jpg
伝説のプロレスラー・長州力がついに現役から身を引いた−−。
引退興行がおこなわれた6月26日は、プロレス界にとって歴史的な1日だった。
ともに伝説を作ってきた前田日明(60)に、今だから語れる「長州秘話」を聞いた。
前田の「長州力顔面蹴撃事件」には、伏線があった。
1983年11月3日、蔵前国技館で前田日明対長州力のシングルマッチがおこなわれ、前田は長州のフィニッシュホールド「スコーピオンデスロック」によって、レフェリーストップ負けを喫していた。
「(長州は)ガチッと極めて、俺からギブアップを取りにきた。これはマッチメイク破りだから、カチンときた。俺はこの試合で腰を痛めたんだ」
リベンジの機会は、4年後にやってきた。
1987年11月19日、後楽園ホールでの維新軍対UWFの6人タッグ戦。
木戸修にスコーピオンデスロックを仕掛けていた長州の顔面を、前田は背後から右足で蹴り上げた。
長州の顔は腫れ上がり、リング上には選手が入り乱れ、騒然となった。
「顔への蹴りなんて、よくあるカットプレーのひとつ。俺は(長州の)肩に手をのせて『蹴りますよ』と合図をしてから蹴った。そしたら(長州の)首が動いて、額を狙った蹴りが、顔面に当たったんだ。じっとしてればよかったのに。
あのとき、俺が全力で顔を蹴っていたら、100%死んでるよ。実際には、30、40%の力だった。『ちゃんと合図したのに、バカだなこいつは』って思った。(怪我をしたのは)自業自得。俺のせいじゃない」
前田は、長州との対決を「アングル(リング外を含む抗争)」だと考えていた。
「あのころ、俺たち(UWF)にはマイナス要素がいっぱいあった。新日本の経営が赤字で、立て直すために『UWFはいらない』と言われ、解体・吸収されるんじゃないかという憶測記事も出た。
一方、全日本は、天龍(源一郎)と輪島(大士)の激しい試合(天龍革命)もあって、盛り上がっていた。天龍と輪島ができるのなら、前田と長州だったらもっと面白くなると思った。長州さんは頑丈な人だから、なんとかなるだろうと。 つづき
本気で2人がやり合えば、そこからアングルができると思った。そうでもしないと、業界全体がこっちを向いてくれないから」
UWFの若手レスラーや社員の生活を守るため、新日本に注目を集めるため、前田は過激なプロレスを仕掛けた。
だが、この「顔面蹴撃事件」を重く見たアントニオ猪木は「プロレス道にもとる」と、前田を解雇した。
「現場の人間をも騙すのが、最高のアングルなんだよ。本当に揉めてる、ヤバいっていう緊張感が周囲に伝わって、さらにファンにも伝わっていく。俺にとって最良の師は、猪木さん。
プロレスラーとして言っていいこと、悪いこと、やっていいこと、やらなきゃいけないことというのを、200%、最優秀の弟子として、守っただけ。それ以上でも、それ以下でもない。
猪木さんが、タイガー・ジェット・シンに、自分たちを伊勢丹の前で襲撃させたことがあった。あれは緊張感があったでしょう。俺はそれを目指した。
プロレスってね、自分のアングルに、いかに多くの人を巻き込むかの陣取り合戦なんだ。これをできる人がトップになれる。
俺が自慢できるのは、自分のアングルを人に考えてもらったことは、一度もないこと。自分で考え、自分で仕掛け、緊張感を作ってきた。そのひとつが、長州さんだった」
最後に、長州への贈る言葉を、色紙に書いてもらった。
「いま、一緒に戦ってきたレスラーが、どんどん亡くなってるからね。長州さん、『健康第一』で(笑)」
まえだあきら
1959年1月24日生まれ 大阪府出身 新日本プロレス、UWF、リングスで活躍。
現在は、THE OUTSIDERのプロデューサーを務める 田中アナ、いつからあんな前口上やりだすようになったんだろ。平成入ってから?
80年秋ごろか、アナデビューしたころなんか「どこのガキや。お坊ちゃん顔して・・」って
ガキの俺が思ってたがw、しばらくは普通にコールしてたしギブ待て時代なんか殆ど新日
見てなかったし。。 >>313
八十九年後半以降。
九十年二月 導夢大会、田中 前口上有。
長州組 対 天龍組、試合前、『燃 天龍、燃 長州』
又、九十年春頃以降、試合前選手紹介時、身長 体重、紹介。
後、試合終了後、勝者入場曲流、九十年春頃開始。 >>301
少し前だけど、ボクシングの富樫アナが酷いよな。
例えば内藤大助のコールなんかも、経歴紹介がやたらと長かった
敗戦は世界戦における二敗のみ〜
なんて、負けの内容まで言いやがったwww
最後のコールも名前だけじゃなくて、ニックネーム(サブタイトル)も含めて
国民の期待〜内藤〜大助〜とコールしてたね。
他のボクサーも、浪速の闘犬〜亀田〜興毅〜
ネイチャーボーイ〜小堀〜佑介〜
ベィービーフェイススナイパー〜荒川〜仁人〜
みたいな感じでwww >>310
マッチメイク破りとは?
予定にはなかったのか? >>312
映像見ると分かるが、肩に手をのせて『蹴りますよ』と合図をしてから蹴ったは無理がある。
また、長州は首を動かしていない。
技が完成する前にカットする必要なし。
あそこでカットかするなら、ステップオーバーしてからカットするべき。 >>317
昔っから、前田はこの言い訳をしているね。
映像見たら、嘘丸わかりなのに。 長州と前田がシュートマッチやったら
五輪代表だった長州がフィジカルなら強い
でも黒人のグリーンベレー数人を撃破した前田の
喧嘩度胸も捨てがたい
かなり面白そうだ >>319
> でも黒人のグリーンベレー数人を撃破した前田
これ本当か? 長州はシュート強くないだろ
長州 永田 vs 小川 村上で
長州は小川を固めはしたが
次に動けなかった
これが全てを物語っていると思う 米兵殴ったとか言ってるけど、整備兵かPXの店員でも
殴ったんじゃねぇの?ww >>315
プロレスでもボクシングでも試合前の選手紹介は
「××世界○級チャンピオン」っていう肩書のコールだけで
ちゃんと雰囲気出して盛り上げることできるくらいのアナが権威がある感じがして好きだなあ
ニックネームも選手紹介前の入場の時に簡潔いうくらい
「赤コーナーより“燃える闘魂”アントニオ猪木選手の入場です」とか
「赤コーナーよりWBA世界バンタム級チャンピオン“浪速の闘犬”亀田興毅入場」
みたいなやつがいいや
「時が来た」とかいかにも事前に考えてきました風の長々と大袈裟な前口上は苦手だな >>280
他団体の選手ならまだしも、自分ところに所属してる選手の商品価値を自ら落とすような発言はアホとしか思えんかったな >>321
> 長州は小川を固めはしたが
これができただけでも前田よりは強いだろ。
前田に顔面蹴られた時期なら若いからなおさら。 >>321
そのシーン自体がシュートかどうかはともかく
長州小川じゃ体格も違うし
そもそも長州は全日本王者で韓国五輪代表と言っても
小川は柔道無差別級の世界王者で五輪銀メダリスト
もしシュートやそれに近い状態だったとしたら
「シュート強くない」の根拠にするにはものさしの方がすごすぎだろw プロレスラーとして「モノ」になる条件に格闘技の下地があると有利だが、
前田の空手ってどこまで有効だったんだろうな。。w
アマレスでメダル取ったとか、幕内力士あたりが一番エリートだろうけど、
ガチ(セメント)も身に付き、上下関係の厳しい環境で一定の地位に就いた選手って
やっぱレスラーになってからもコーチ役等で存在感を示すことも多いな。 ふつうは幼少期から始めてる者が多い中
小川って高校から柔道始めたんだよな
それで4年後とかに全日本チャンピオンとかになった
これこそモンスターだな > プロレスでもボクシングでも試合前の選手紹介は
> 「××世界○級チャンピオン」っていう肩書のコールだけで
> ちゃんと雰囲気出して盛り上げることできるくらいのアナが権威がある感じがして好きだなあ
ボクシングはもう無理だよ
海外、特にラスベガスのビッグマッチが世界に中継され、日本でもファンなら
誰でも海外の試合をノーカットで見てるから、とうとう日本でも何年も前から
ラスベガス式の選手紹介・判定アナウンスをするようになってる
このラスベガス式の選手紹介が、挑戦者一人の紹介に1分近くもかけて滔々と
過去の経歴・獲得タイトル・エピソード・ニックネームなどを語るスタイルで
日本もそれにならってる
もうプロレスでテーマ曲なしの入場がありえないように、ボクシングも過去の
紹介スタイルに戻ることはできないだろうね、仕方ない 前田の空手は極真とか糸東流とかのデカい団体でなく
田中ってやつが創設した町道場なんだよな
空手の実力がどこまであったのかは謎だな 俺は新日ヲタだったけど、入場はケロのコールより入場曲がかかってオーッてなるほうが好き >>328
そもそも高校でも柔道はヤル気無かった。
しかし、受験の時の面接で面接官の先生に
「君、いい身体してるね。合格したら柔道部に入らないか?」と言われて
「はい」と言ってしまい、合格してしまったので
仕方無く柔道部に入ったwww 小川はざっと眺めただけで
・柔道を始めて3年で全日本学生選手権優勝
・柔道を始めて4年で世界柔道選手権無差別級で史上最年少金メダル
・さらに次の89年ベオグラード世界柔道選手権大会でも無差別級二連覇。
同大会では最重量の95kg超級でも金メダルで同一世界大会2階級制覇。
(これは世界歴代でも81年の山下、95年のドゥイエ、99年の篠原、01年の
ミハイリンしか達成していない大記録。)しかも全試合一本勝ち。この年、
全日本柔道選手権でも初優勝。以後全日本柔道選手権を5連覇。
・山下泰裕の記録を更新されたくない講道館派閥が占拠する会場でヒールに
され判定で連勝をとめられるも、翌年から再び連覇。連覇複数回は史上ただ一人。
・奥襟を取って崩し・作りのタイミング以前に技を仕掛け続ける、外国人に対応した
国際式柔道を日本で開発した先駆者。
(そのために旧来のスタイルにこだわる講道館関係者から憎まれていた面もある) ・二年に一度開催される世界選手権で金メダル4個は、山下、ドゥイエと並ぶ
世界歴代最多獲得記録。 (ちなみに3個獲得は古賀捻彦、井上康生、
ミハイリンの三人。ヘーシンク、ルスカは2個、吉田秀彦は1個。)
・無差別級世界三連覇は歴代ただ一人の記録。(そもそも70年代以降
無差別級で連覇できた人間は世界で小川しかいない。)
・全日本選手権7回優勝は山下の9回に次ぐ歴代二位。
(ちなみに三位は神永、篠原、井上、鈴木らの3回優勝。 中量級の吉田、古賀は
優勝ゼロ。猪熊功2回、坂口征二1回。木村政彦は全盛期に大会が存在しなかった)
…という、世界の柔道史でも傑出しすぎているとんでもない実績の持ち主だからなあ。
小川のことを「寝技が弱い」なんて言える奴がいたら、そいつは間違いなく世界最強も
いいところのレベル。
ハッスルを始めた頃、小川はPRIDE対策として連日明大で柔道の稽古をしていたが、
全日本を狙っていた大学の現役猛者たちが、小川に寝技でオモチャにされていた。 >>332
プロレスでは橋本を半殺しにし
プライドでは佐竹を圧殺
その後ハッスルでインリン様にフォール負けw
小川最強だよ かつて練習相手だった井上康生も「まるでこっちのエネルギーを吸い取られるみたいな
無尽蔵なスタミナの持ち主で、全く勝てる気がしなかった」と言っていた。
竹園隆浩
「ひたすら突進し技をかけ続ける。相手は丸太で足を殴られ続けているみたいなもので、
ダメージがたまって我慢できなくなったところを、小川は狙いすまして仕留めるんです」
上村春樹
「小川がただ前に出るだけで相手がへばっていく。私たちには考えられなかった、大型
選手が作り出す新しい柔道の時代が来たのかなって思ったよ」
それを可能にしたのは明大時代に与えられた無茶苦茶なハードトレーニング。
寝技の練習をやった後に乱取り二時間、さらに三十人の部員全員から一本を取るまで
真剣勝負、その後全員相手に一分ずつの打ち込み。
肺活量7000ccを身につけてしまった小川は圧倒的なスタミナで先手を取って動き回り、
「重量級選手がやる軽量級の柔道」で相手をボロボロにしても、自分の息が上がることは
まったくなかったという。 >>329
もうボクシングもすっかり「ショー要素」が目障りなくらい前に出してるね。。
以前はストイックさが魅力だったけど。「あしたのジョー」とかああいう世界観w。
亀田あたりが出てきて、テレビもそれに倣った構成で「前振り」企画が長いのな。
で、肝心の試合はしょぼい。。w >>330
あれたまにあるトンデモな「俺が考えた無敵格闘術」みたいなかんじだよなあw
田中自身はいくつかの流派ハシゴして多少心得がある程度で
勝手に自己流の流派名乗って
稽古は街に出てごついやつやいきってるやつに喧嘩売って回るとかっていう
なんだよ、それってやつ
でもあの時代の大阪のおっかない人たち
二郎さんやシーザー武士や赤井みたいな面白話は田中にも前田にも無いんだよなw >>338
まあな渡辺二郎なんてのは生まれついての極道だからなw
前田とか次元が違うのは確かだw >>337
亀田や村田や井岡(井岡は前回は良かったけど)の試合はショボいけど
井上尚弥の試合は凄みがあるぞ!
井上こそ正真正銘のモンスターだよ!
亀田三男がショボい試合をして2回とも判定負けで
勝つ事が出来なかったマクドネル。
そのマクドネルと井上が戦ったら
1Rから圧倒して2回倒して1RTKO勝ち。
これこそ本物を見せてくれた感じだったよ。 >>338
前田日明は、ワルと言っても岡田彰布レベルのワル
前田と岡田は北陽高校の同級生。
岡田のワルのレベルは、野球(それもプロが注目するレベル)と両立しての
ワルだからたかが知れてるだろ?
前田は高校3年時に進路指導の先生に
「岡田は野球があるから進路先が選べるけど、お前はどうするんだ?」と
言われたらしい。 前田はほぼ無名だったんでしょ、シーザーあたりは二つ名で通ってた
みたいだけど。
UWF時代にシーザーの正体を知った前田が、「あの有名な●●さん
なんですか!!」ってビックリしたんだよね(笑) ボクシングやっていて喧嘩は一度も負けたことないという星野勘太郎
これまた喧嘩が飯より好きでヤクザをボコボコにした藤原喜明
柔道やレスリングの一流アスリートやら元関取
そんな癖のある連中を束ねてきた猪木って桁外れに強かったんだろうなと想像する >>340
うむ、井上はちょっと今までの日本人にはなかったシャープさだな。天性の勘なんだろうか。
彼はマジで極めそうな感じ。それとラスベガス型のああいうのってK1や総合にも影響与えたな。
まあこっちはショー要素は在ってしかりの競技だしまあ雰囲気も良かったけどな。
>>341
岡田が悪って知らんかったw あの藤山寛美みたいな顔で粋がっても、って感じだが。。 >>315
アレはアメリカの有名なリングアナの
マネだからな
ボクシングでは普通なんだけど
日本じゃなじまないだろうなってだけで >>333-334
でも海外勢にはそのジワジワとプレッシャーをかける戦術は必ずしも効果的ではなかった
しかも一本を取る技の数が少なく勝負時になると攻めが消極的になってしまうのが見抜かれたせいで
肝心の五輪では勝てずじまいだった
>>336
その(所謂木村政彦伝説にも云えるけど)練習量自慢乱取りでの無敵噺も
一歩間違えれば「稽古場横綱」に陥って本番に弱いとなってしまうんだけどね特に日本の体育会流指導法だと
勿論草津や鶴田みたいな練習嫌いなんかよりは遥かにマシなんだろうけど プロレスにも通じる話だな。
萬屋錦之介は今年で二十三回忌となる、戦後を代表する時代劇スターだ。
一九五四年に東映の「新諸国物語」シリーズで華々しく登場してアイドル的な人気を博した後、「一心太助」シリーズや『宮本武蔵』五部作などでスターとしても役者としても確固たる評価をされるようになっていく。
その殺陣もまた見事だった。身体能力を活かした躍動感で魅せることもあれば、立ち姿や構えなどの様式の美しさで魅せることもできる。
自伝『わが人生悔いなくおごりなく』(東京新聞出版局)で錦之介は、先輩スターたちの特徴を分析しつつ、東映時代に殺陣で意識していたことを次のように振り返っている。
「映画の殺陣に最初は戸惑ったのですが、歌舞伎との共通点はあります。いや、基本は歌舞伎にあると言っていいでしょう。
まず足の運び。うまい人は決して無駄足を使いません。それから間(ま)。そのバランスによって立ち回りにリズムが生まれます。ただ速ければ良いというものではありません。
足の運びでは、嵐寛寿郎さんのうまさに感服しました。動きがきれいだし、速い。
刀の重さを感じさせたのは、月形龍之介先生。竹光が本身(真剣)のように見え、重量感がありました。剣だけでなく酒も強く、水のように飲み干す。古武士のような風格でした」
ただ、七〇年代に入ってからの錦之介には変化が見られる。テレビシリーズ『子連れ狼』(七三年、日本テレビ)や映画『柳生一族の陰謀』(七八年)の殺陣は、一刀の重みの伝わる、リアルな迫力を帯びていたのだ。 つづき
そこには、自身の中での意識の変化があった。先の自伝本によると、錦之介は東映時代劇の殺陣に対して「本物じゃない」と思うようになる。「刀に重みがなく、軽い」のだ、と。そこで彼は警視庁で居合を教えている達人に弟子入りする。
そして、納刀、抜刀、残心といった実際の剣術を会得していった。後年になってからの表現の変化は、まさにそうした精進の賜物だったのだ。だが、一方で、こうも付け加えている。
「しかし、本物の剣道と映画の殺陣は、また別物です」
その具体例として五七年の映画『大菩薩峠』でのエピソードを披露している。この時、有名な剣道の先生に特別に指導してもらったのだが、順番にタテ斬りしていくだけ。
これでは立ち回りの面白さが出ないと判断した内田吐夢監督は殺陣師を呼び、その剣道の原型を活かしながらアレンジして立ち回りを作ったのだという。そして最後に、錦之介はこう述べて締めている。
「剣道の理からいえば完璧なのでしょうが、映画的にはどうも迫力が感じられません」「立ち回りに限りません。リアルなものを、いかに映画的にアレンジするか、その大切さを、改めて勉強いたしました」
昨今の時代劇の殺陣はリアルかド派手かの二極化しつつある。だが、どちらも違うのだ。錦之介から学ぶことは多い。 >>344
北陽高校のワルツートップだった岡田と前田
岡田は藤山寛美みたいな顔だけど、ガタイは良かったからな。
ただ、住む世界が違ったのか2人に接点はあまり無いらしいんだよね。
岡田は曲がりなりにもマスコミが注目する有名人だし
岡田に喧嘩売る=野球部に喧嘩売るになり
勝っても負けても処分されるのは前田の方だから
敢えて近づかなかったのかも?
岡田も自ら前田に喧嘩売る程暇では無かっただろうしね。 >>350
だから先輩の岡田には絡まなかったんだ。
まぁ、岡田からしても別世界の粋ってる後輩でしか無いもんな! ケロ「思いっきり新日本プロレスしてください!」
観客「うおおおおおお」
↑これ嫌 北陽ってその頃は甲子園の常連校だったのかな。
確か、江川甲子園初登場の時バカ負けしたのが北陽だったような。 >>353
あの時代の大阪は大阪桐蔭や履正社はもちろんPLなんかの出てくるまだ前だから
北陽浪商大鉄あたりが強豪校じゃなかったっけ? >>355
野球もサッカーも喧嘩も強い
弱いのはあた・・・ >>340
俺はプロスポーツ選手がよく言う
「体幹が強い」
ってのがいまいちピンとこなかったんだけど、
ど素人の俺が見ても井上尚弥の体幹とういうものの強さがいやというほどわかる。
普通の人間がそうそう鍛えたとて、あんな強いボディブローはなかなか打てない。
レスラーでいうと誰なんだろうね 正直スマン、北陽と言うともう虻川と伊藤ちゃんしか出てこなくなった。。(´・ω・`)
>>357
鶴田と佐山かなあ。。体幹ってなんかイメージワードな感じイマイチぴんと来ないが
身体を十二分にコントロールできる人が体幹鍛えてる人って感じだな。 体幹と言って思い出すのはやっぱりテーズだなあ
実際は還暦と言われていた年の猪木とのNWF戦なんて、
筋肉は落ちてもまさに「幹」がビシッとしていて驚いた
猪木がブロディと初対決したのは42歳の時で、猪木は
翌年、ブロディと60分フルタイムドローも演じている
一方鶴田は同じ42歳の時に肝炎が悪化
翌年43歳でカムバックした時にはトップ外人と戦える
身体ではなく、渕・永源・泉田らと前座試合をしていて
体幹の強さを感じさせるような場面は見られなかった ぎゃくに体幹の弱い筆頭はヨシハシだな
入場でこけて大怪我した >>358-359
俺も鶴田にはそんな体の芯の強さみたいな物は感じなかった
日本人レスラーだと小林邦昭中西田村潔司近藤有己辺りかな試合映像を見直して体幹が強いなと思わされたのは 全盛期の中西は凄かったなタッグマッチでアルゼンチンで担いだまま
片脚をあげて別な選手にキックしていた ああそうだな、アマレスやってると体幹は鍛えられるか。。 >>359
テーズと言えば、鉄柱つかんでそのまま地面と水平状態にして体を支える特技。
あれこそ体幹の強さを象徴しているように思う。 鶴田の肝炎はただの肝炎じゃなくて劇症肝炎肝炎で死んでも不思議じゃないというか生きているのが難しいくらいな重病。体幹うんぬんどころじゃない。
当時病院で働いていて劇症肝炎の患者を色々治療してたけど、悪化してから運ばれてきた患者はほぼ全員死んでしまった。
いまならいい薬で比較的安全に治療できるんだろうけど、当時はインターフェロンの副作用で逆に肝炎悪化させて死にそうになったような記憶がある。 肝炎はマジで怖いよな、友達のお父さんが医者だったんだけど、患者から
血液感染して早死しちまったよ。 青木真也 shinya aokiストロング本能
@a_ok_i
出た。体幹。体幹ってなんだよって。ビッグスリーして組み合えば強くなるわ。
6:44 - 2016年3月8日 >>321
ってかそんなカードあったっけ
長州中西小川村上 あるいは
長州永田安生中野 ならあったけど >>321
そこから躊躇なくパウンドできたらめちゃくちゃ強いと思う >>313
自分がプロレス見はじめた頃、この選手の名前を呼ぶ人の声かっこいいな、
と思ってたら画面の片隅に映ったケロの姿を見て、「えっ!こんなオカマがあんな勇ましい声出してるの!?」と驚いたw ケロはある意味究極の新日オタだったんだろね ちょっと前のノアオタと同じタイプ
WCWワールドワイドの解説はあまりにも行き過ぎてたと思うけど >>374
いや、腹筋、背筋、大腿筋、全身の筋肉使うと思うけど 俺は長州派でも前田派でもないが
前田が長州のボディースラムを喰らうとは考え難い
長州はグランドでの極め技がない
よって前田の勝ち 確かに前田があの重たい蹴りで長州をボッコボッコにするイメージはあるわな。 >>378
長州は負けるときは案外あっさり負けるからね… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています