【PWF会長ロードブレアース】昭和の全日本プロレス71【ドウモアリガトウゴザイマシタ】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
過去スレ
【馬場】昭和の全日本プロレス【鶴田】
【ブッチャー】昭和の全日本プロレスPart2【ファンクス】
【カマタ】昭和の全日本プロレスPart3【ロビンソン】
【外人天国】昭和の全日本プロレス4 【土曜夕方】
【コックス】昭和の全日本プロレス5【Jオーツ】
【蔵前国技館】昭和の全日本プロレス6【日大講堂】
【黄桜酒造】昭和の全日本プロレス7【井関農機】
【山田竹内】昭和の全日本プロレス8【田鶴浜】
【史上最強】昭和の全日本プロレス9【超獣コンビ】
【ボルコフ】昭和の全日本プロレス 10【ロン・バス】
【横浜ゴム】昭和の全日本プロレス【大塚製薬】(実質11)
【アベンジャー】昭和の全日本プロレス11【バラクーダ】
【ジョーの】昭和の全日本プロレス13【失神芸】
【NWA認可】昭和の全日本プロレス14【PWF認定】
【AWA】昭和の全日本プロレス15【鶴田戴冠】
【ミラノ】昭和の全日本プロレス16【死んじゃった】
【パンクロチオン】昭和の全日本プロレス17【スターウォーズ】
【アゴの先端に】昭和の全日本プロレス18【ヒィッツ!】
【両者反則】昭和の全日本プロレス19【無効試合】
【倉持流血】昭和の全日本プロレス20【ディンク吐血】
【阿修羅原】昭和の全日本プロレス21【永遠なれ】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【弾けた】
【喧嘩番長】昭和の全日本プロレス23【南海の黒豹】
【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【被らせて】 (実質24スレ)
【暴走戦士】昭和の全日本プロレス25【人間魚雷】 80年代のハンセンのコンビ名
ハンセン&ホーガン 『最強外国人コンビ』
ハンセン&マードック『テキサス・ロングホーンズ』
ハンセン&ブロディ 『超ミラクル(野獣)パワーコンビ』
ハンセン&デビアス 『ビッグ・テキサンコンビ』
ハンセン&ゴディ 『ニュー・ミラクルパワーコンビ』
ハンセン&天龍 『龍艦砲』 >>552
カマタの年。
なかなか発表にならなかったのは、
ブロディにオファーしてたらしい。 >>553
ハンセン&バス「ラリアット・ライダーズ」 ハンセンの新日時代のニックネームは何だっけ?
ブレーキの壊れたダンプカー? >>557
最初が単純に「首折り男」でその次がそれ >>556
ラリアットライダーズは、デビアス、オレイアンダーソンも含めたチーム名だぞ。 >>557
猪木と互角にやりあって「ハンセン」コールが響くようになって
古館が「80年代のスーパーヒーロー」と連呼していたな
形式ばったベビーvsヒール、日本人vs外国人というくくりじゃなく
リングの上でより輝いたものが外国人ヒールでも認められる時代だ、
ということで、あのアンドレ戦とかで実況されていたから若い世代も
結構聞いてるみたいだ 次期来日紹介時なんかは「マジソンの不沈艦」とか。。 「マジソンの不沈艦」は本来はサンマルチノのニックネームなんだけどね >>554
ブッチャーとブロディのチームというのも想像出来ないな
どちらも主役意識が強そうで
むしろバランス的にはシークとのチームの方がまだ面白そう >>566
両者は認めあってるし、
当時の雑誌によると、ブッチャーが強力プッシュしてたらしいから、案外良いチームだったかもと思ってる。 バリー・ウインダムをワイルド風にイメチェンさせてたらわりとブロディと合ってたかも。
デビアスがあのキャラに変えてハンセンとマッチングしたように >>566
>>567
ブッチャーとブロディは84年にAWAで短期だけどタッグを結成していたけど、基本ずっと敵同士。
お互い一番手の合う対戦相手だった。ブロディが亡くなった時のインタビューでは、こう話していた。
ブッチャー『ブロディと俺の付き合いは長い。もう10年以上、世界中をいっしょにまわった。
日本、ジョージア、AWA、ダラス、フロリダ、プエルトリコと、どこへでも行った。』
記者『それほど仲の良かったあなたとブロディが、正式にタッグチームとして活動しなかったのはなぜでしょう?』
ブッチャー『もしもタッグを組んでいたら、最強のチームになっていたことは確かだろう。だが、俺たちはあえてそれをしなかった。
プロレスラーはパワー・ハングリーなんだ。まわりにいる人間が、すべて敵なんだ。力がすべてなんだ。
ハンセンがブロディとのチームを解散したのも同じ理由だ。結局、ほんとうに信頼できるものは神と家族しかいないんだ。』
この2人の試合は好きだな。メチャクチャだけど、そこがいいwビジネス面から見ても、組むより対戦した方が受けるのも分かっていたはず。
そう言えば、ブロディの生涯最後のテレビマッチは亡くなる3日前のブッチャーとのシングル。
生涯最後の試合は事件前日のコロン&ブロディvsブッチャー&スパイビー。日本でのブロディ追悼試合はハンセンvsブッチャー。
ブッチャーとブロディ、運命的関係だった。 イヤウケアやルーインと役目を変わるようなブロディの連続新春シリーズ参加だったな。
ちょうどラシクも来ていたが、そういった70年代全日悪役と入れ替わりのブロディ登場だった。
ちょっとこじつけかもだが、最初期のホーガンの印象もブロディに近かったように思う。
パワーはとにかく凄かったがいかんせn試合が作れない木偶タイプ、しかし2度目来日ではエースで
猪木のNWFにも挑戦。ハンセンのパートナーとしても十分役割を果たし徐々に地位を築き上げる。。 思えばブロディとブッチャーが日本で一緒だったのはブッチャーが新日本に移籍する前の最後のシリーズと全日本に帰ってきたシリーズの二つだけなんだよな >>572
言いたいことはよくわかるけど、読みづらいから句読点とか改行とか入れましょう。 そこまでブロディとブッチャーはそこまで認め合う仲なのに
ブロディ亡き後は、スヌーカとはチェーン継承の抗争
ハンセンとはメモリアルナイトで対戦相手、おめけに入場時にはブロディテーマの複合で入場
スヌーカとハンセンはブロデイを「背負う側」の立ち位置
ブッチャーはその両者とは完全な「対角線」の立ち位置で切ないな…当時は子供だからそこまで理解できなかったよ。 ハンセンは金髪の髪とヒゲで明るいイメージ、
ブロディは黒い髪とヒゲで暗いイメージがあった・・陽気と陰気というか。 ていうか、それは部品の話だから……。
でも、ブロディの笑顔をほとんど見たことないよね。 ファンクスのおかげでカウボーイ=陽気な男のイメージが定着していたのもあると思う。
ビル・ワットみたいに陰気でいけ好かないカウボーイもいたが、ハンセンがカウボーイキャラを得たのがワットランドだったのは皮肉。
やはり人柄が反映されるのだな。 アメリカじゃカウボーイスタイルって「粗暴な田舎者」なんだよね
だからカウボーイスタイルって基本ヒールばかり 世界のプロレスでブーイング浴びてるドリーを見て驚いた記憶がある
テリトリーによってヘビーとヒールを使い分けるレスラーがいるのは聞いた事あるが
テリーはともかくドリーが観客に憎まれるファイトなんて出来るのかと 地元ベビーフェイスにエルボー打ち込めば、荒くれファイターの出来上がり カウボーイ文化域以外でヒゲ面にテンガロンハット被れば基本的にヒールでしょ。 >>581
ドリーはNWA陥落後は殆どヒールだったな。
髭面にウエスタンブーツで荒くれものイメージだった。 日本では戦後西部劇が流行ったからカウボーイに対するイメージは善悪両方あるが、基本的にはヒーローだと思う。
ハンセン個人でいえばチャールズ・ブロンソンに似ていたのも印象が良かったのかも >>585
全日に引き抜かれてからの最初の相手も、和製ブロンソンと呼ばれた人だったな。 チャールズブロンソンと言えば、国プロ時代の阿修羅原、もしくは「おい、顎になんかついてるぞ?」 >>522
よっちゃん脱退で紅一点で聖子が入れば…!
って消防時代言ってたよね(о´∀`о) >>573
序盤にシンと参加してたのか
ハンセンは武道館でタイトル戦もしたから憶えていたが 「ジャイアント馬場」でググると坂口の顔が一番先に出てくるのはなんとかならんのか 八十八年春尻図、超豪華外人集結也。
前半、反戦 風呂出 佛茶 芯、外人四強 揃踏状態。 >>581
俺は子どもの頃テリーはアメリカのどこに行っても大人気のベビーフェイスだと信じ込んでたw
https://youtu.be/mEAo4QFcY3k
1回目の引退の少し前、全日の海外遠征特集でこの試合が流れたけど、テリーに浴びせられるブーイングの意味もよくわからなかった。
というか「ブー」と発するブーイング自体理解してなかった。
感覚的に「応援はされてなさそう」と薄々わかるくらいで。
後々テリーみたいなレッドネックスキャラがヒールであることが多いことを知ってそういうことだったのかとわかったくらい。 日本では映画やテレビでしか見ることのなかったカウボーイ(ガンマン)が現実に現れた。
それがドリーとテリー!
テキサスの太陽のように陽気なカウボーイ=ファンクス
暴れん坊だが根はいい奴=ハンセン
いかにも日本人好みだわ ファンクはアメリカでヒールってのを知ってる奴はなぜか知ってた。
多分プロレス誌にくまなく目を通してたんだろな。 >>597
専門誌読んでるようなプロレスファン的には知ってて当たり前だけど
一般的には豆知識の鉄板ネタくらいのかんじ
プロレス関連のワニの豆本とかに載ってそうなヤツね
「マスカラス兄弟は実は三人だった!」くらいのレベルの小ネタ
こういうファンには当然すぎるけど一般的には豆知識くらいの小ネタって
プロレスみたいなジャンルだと多そう ファンクスがヒール、なんてのは
そう、知識としては仕入れていても、全然了解できなかったんだよな。
ところ変わればファイト変える、ということがわからなかったんだ。 ハンセンがアメリカだと良く喋ってるのもつべで見たとき違和感あったなあ
そっちのほうが本来のハンセンなんだけどちょっと受け入れがたいっつうか ハンセンのAWA奪取試合!と聞いて興奮して見たマーテル戦の肩透かし感 プロレスマスコミにくまなく目を通していると
竹内さんはともかく山田さんはでたらめばかり言ってるのがわかったw ブロディ初来日の試合で松永アナが「ブロディの親分はフリッツ・フォン・エリック」と言ってるのに
山田さん「本当のボスはドリーファンクジュニアですよ」と間違った訂正 竹内さんみたく山田隆さんの選手と交流みたいな裏話あんまりでてこないね。
倉持アナだけ悪口言っていたがw >>604
日本プロレス時代ならともかく昭和50年代に「馬場くん」とか言ってる人と交流って結構難しいと思う ジャンボに試合前に控室で聞いたら。。とか解説では言ってたけどね、山田さん >>603
アメリカ本土ではほぼジョージアとテキサス(一時期五大湖)でしか試合してないブッチャーのことを
「ブッチャーは今でもアメリカのヒールナンバー1です」とかなw
一応出てるテリトリーではトップヒールだらモーストヘイテッドトップ10には入ってたけど >>598
テリーファンが嬉しそうにアメリカではヒールって言ってたから
どういうこっちゃと思ったけどね。 >>607
そこは「ファンクスは世界のアイドル」「ブッチャーはナンバー1ヒール」
にしといたほうが盛り上がるから、サービスで盛ってあげたんだろ。 シンは地元のトロントではベビーフェースでありヒールですらなかった ブッチャーは70年代後半では米国誌のモーストヘイティッドランクで結構、常連だったよ。
よくゴング誌のページ下部に載ってたヤツ。フレアー、コロフ、ラシク、パテラ、ラッドらが
悪党ランクの常連だったな。 >>600
WCWの時だったか、噛みタバコくちゃくちゃしながらのよだれダラダラはショックだった >>508
ふと思うんだけどドクターデスのドクターって本当に医師って意味なのか?
ドクターKみたいに死を与えるとかそう言う意味じゃないかと最近思った >>613
その道のプロというか、ベタな日本語で言うと〜屋とかそういう意味でないの? >>613
学生時代にフットボール部のチームメートからつけられたあだ名だってさ
https://nikkan-spa.jp/1475587 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:847cfeaf6f31691a42c25abc56bd4433) >>600
当時のアメリカマットではプロモがどれだけ重要で、それが日本マットでは全く意味がないことをハンセンが誰よりも認識してたからね。
91年最強タッグのインタビューで、日本式にジェントルマンのように答えるハンセン。
一方、WCWでのスカイスクレイパーズのやり方と同じで、一方的にがなり立てるスパイビー。
このことが当時の雑誌に「スパイビーは日本とアメリカのスタイルの違いが理解できていない」と書かれていたな。
ハンセンもフレッド・ブラッシーにアメリカ式プロモはキッチリ鍛えられてるから、スパイビー以上に凄まじいのができるんだけどね。 >>612
ホーガンの映画に出た時もそのキャラだったよね。 ブロディがむこうのプローモーションビデオか、テレビマッチの番宣なのか知らんが
やたら弁舌でカン高い声で、まくしたてるのも凄く違和感があったな
リング上の凶暴さと、リング外の知性的なイメージを勝手にもってただけに… 頭がいい人がバカを演じるのは簡単だよ。
逆はすぐバレるけど。 頭の悪い人がバカを演じるのもむずかしい、パンチの空振りとかわざとらしくなる >>611
テリーが悪党ランク1位もあった。
逆に人気の常連は、アンドレ、ローデスとかだった テリーが日本で悪党ファイトをやったのはやはり長州戦か
乱入のドリーも含めて >>617
松本での三冠戦の試合前のインタビューでも
そんな感じだったね。
淡々と受け答えをして最後は「試合が終わればこのベルトは
私のところへ戻ってくるよ」で締めてたし。 >>623
それやるなら1年前の85年にやってほしかった、両国でのタッグ戦だったかな
85年なら引退直前の頃より体格も良いし、コンディションも良さそうだったし、ヒゲ面もワイルド
あの頃なら「強いヒール」で説得力もあったろうに…
1年後の長州戦の時は何故か体重もげっそり減って、下手するとジュニア体重ぐらい
あのちょび髭も悪い意味の哀愁感が漂ってて、強いヒールどころか小悪党に見えた…
しかしテリーの体重に関しては、厳密にいうと86年春のホーガン戦、もしくはレッスルマニア2の頃
その時期までは85年と全然変わってないように見える
長州戦までの半年間でいったい何があったんだろう?
映画「オーバー・ザ・トップ」の撮影にしても、チョイ役でもトレーニング不足に追いやられるほど拘束されたか?
またはヒザの状態が思わしくなく、自らがあえて体重を落としたか? 81年前半
ドリーvsテリー、ブッチャーvsブロディ
この2大カードで蔵前でできたはず。チャンカンでカードを無駄遣いするのが好きな全日本。 >>627
ブッチャーvsブロディの広島は不入りだったそうだが、先行投資というか
その日は不入りでも、テレビ放映なり、当日に来たファンの熱なりで後の広島開拓につながれば…という見方もできるが
でも、後にもつながらなかったんだろうね…その後から広島が満員になったとう話は聞かないな、四天王時代は知らんけど。
ドリーvsテリーはブロディの負傷はガチっぽい気もするから、仕方ない気もするけど
そもそも決定戦を最初から松戸でやろうとするセンス、セレクトが…って感じ、松戸市民の方には失礼だが。
松戸の全日というと1984最強タッグ開幕と、平成初期の三冠戦の記憶しかないな。 準決勝と決勝を当日に続けてやるくらいの度量があれば、蔵前でやれたかもしれん。
馬場×ブロディ
ドリー×ブッチャー
この勝者同士
アンダーカードは
テリー&ブリスコ×鶴田&戸口でいいかな。 >>616
久しぶりに天本英世さんの事を思い出した >>628
松戸は沢山の金を出してくれるプロモーターがいたんじゃない? インター王者トーナメント決勝戦は愛知県体育館でやればよかったのにね。 >>628
松戸、船橋、千葉は日プロからのプロモーターがいたのは有名 ファンクス&鶴田vsブッチャー&シーク&大木の試合が松戸じゃなかったかな?
ドクが乱入して、大木に襲いかかって日本側についた試合。 >>627
81年頃は興行不振の真っ只中
蔵前を埋めるだけの力が無かったから地方都市でタイトル戦や特別試合を組んでいた
それでもテレビ中継のある地方の体育館を満員にできなかったから日テレから改革案を突きつけられていた時期 八十一年三月、広島大会、武呂出 対 佛茶、実現。
当時、全日 切札試合。
併、広島否満員。
此現実認知時、武呂出 佛茶、傷心、馬場 苦悩。
又、土利井 対 手利井、不安久須対決、松戸大会、否満員。
只、不安久須対決場合、緊急決定。
否満員 仕方無。 八十一年、夢対決、注目対決、多数実現。
八十一年 反戦移籍前年也。
武呂出売出、芯移籍。 >>635
逆に満員になった大会場は、10周年の蔵前と最強タッグ決勝ぐらい? >>635
81年あたりは人気なかったね。。外人は相変わらず豪華だけど、チャンカンも顔ぶれがマンネリすぎだよ。
ブロディは集客力ないしブリスコも今更感だった。兄弟対決のインター戦も新日のタイガーマスクデビューや
暫くしてのブッチャー引き抜きで殆ど話題がそっちに行ってた。ま、年末のハンセンで逆転ホーマーだけどね。。 >>638
10周年は満員かな?最強タッグは最終戦はあるけど、決勝戦なんてなかっただろ? 82年の全日はシリーズ毎にムラがあった気がする…
5月のエキサイトシリーズは
ハンセン、シン、リッキー、スレーターがフル参戦で後半からフレアー、ハイフライヤーズ参戦とやたら豪華だった印象が… 八十一年最強二人組決定総当戦 大阪大会
芯 上田 対 飼育 流員
武呂出 酢糠 対 令須 辺任具
公式戦乍、好組合。
当日、大阪大会、超満員発表。
愛知大会、又 好組合、四大対決。
手利井 対 武呂出
令須 対 芯
飼育 対 上田
土利井 対 倉布
愛知大会、超満員発表也。 >>639
札幌はそんな昔から強かったんだ…
>>641
ごめん、最終戦の間違い
それより「10周年は満員かな?」って、まさかあのメンバーで満員ではなかったの?
あのメンツは全日総動員みたいなもんじゃん…てっきり札止めだと思ってたよ。
もしかしてニアミスで猪木vsR木村に食われた? インターの争奪トーナメント決勝は
その歴史と格を考えれば
たとえ不入りでも蔵前でやるべきだったと思うな
新日だって不入りの蔵前や府立の大会だってないわけではないからね
あれで復活したインターの価値は
すっかり興行価値がなくなったPWFやUNと同じようなものが増えただけという結果になった
その後はあくまで○大タイトルマッチのうちの一つという程度 >>644
満員発表でも札止めのはずがないよ、当日は二階席の後の方で見たけど空席あり。
でも当時の全日が、12月以外の蔵前で興行打ったこと自体が画期的だと思うよ。
もうハンセンの引き抜きも決まっていて、勝負をかける時期だったんだろうな。 >>645
当時の全日と馬場に、そんな力も積極性もあったとはとても思えないな。
新日に対してあれだけ好戦的になったのは、ブッチャー引き抜きからだし。 >>629
続けてやる「度量」ってなんやねん。
全日は絶対に1日2試合なんてカードを組まないところが良かった。
どうしたって有利不利が出てくるんだから、そんなもんは必要ない。 >>648
86年の最強タッグは同点決勝で鶴龍とハンセン、デビアスが2試合やっとるで 昭和51年のエキサイトシリーズ開幕戦では馬場とサンダー杉山が控え室で口論してそのまま試合をドタキャンして帰ってしまった。
仕方なく小鹿が前座のタッグマッチをこなした後、そのまますぐ杉山が本来当たる相手だった外人とシングルやったらしい。 >>646
そうか…年間2回も蔵前やるだけで画期的とか言われるぐらいだったんか
その頃は年齢的にも興行の成否なんて知らないし、単純にリング上の戦いに一喜一憂してたもんで。
しかしそんな体力でよくもまあハンセンを抜く余力(財力)があったもんだ…
ハワイでの会談は、時期的にまだブッチャーやせいぜい戸口ぐらいの段階だから
抜かれた選手のギャラが浮くから、という計算も立たないだろうし、シンも高額ギャラで抜いてるわけだし。
日テレがバックアップでもしてくれれば別だけど、ハンセン引き抜きは松根社長とは別で馬場の単独戦略なんでしょ? >>650
これだね
開幕戦、2月21日後楽園ホール 観衆1700人
覆面世界一決定十番勝負・第9戦
USヘビー級選手権 60分3本勝負
ザ・デストロイヤー(2-1)ブルー・シャーク
@シャーク(6分22秒片エビ固め)
シャークは凶器頭突き、ネックハンギングからニードロップと決めてフォール。
Aデストロイヤー(6分35秒4の字固め)
Bデストロイヤー(4分44秒エビ固め)
デストロイヤーは、シャークが仕掛けた回転エビを逆に切り返してエビに決めフォール。
※デストロイヤーがタイトル2度目の防衛に成功
デストロイヤー覆面世界一決定十番勝負12戦10勝1分1無効
タッグマッチ45分1本勝負
ワフー・マクダニエル (1-0) ジャイアント馬場
デビー・オハノン ジャンボ鶴田
@マクダニエル(9分37秒体固め=バックドロップ)馬場
30分1本勝負
マーク・ルーイン(7分46秒スリーパーホールド)サムソン・クツワダ
テリー・マーチン(8分3秒片エビ固め)グレート小鹿
タッグマッチ30分1本勝負
グレート小鹿 (1-0) ミツ・ヒライ
大熊元司 桜田一男
@小鹿(17分40秒逆エビ固め)桜田
20分1本勝負
伊藤正男(12分55秒背骨折り)肥後宗典
百田光雄(12分40秒体固め)淵正信
15分1本勝負
大仁田厚(10分11秒逆エビ固め)園田一治 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています