【PWF会長ロードブレアース】昭和の全日本プロレス71【ドウモアリガトウゴザイマシタ】
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【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【被らせて】 (実質24スレ)
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タイプ的に相性の合うドリーとの抗争で初めてブロディの良さが見えてきた印象
当時としては猪木vs木村や馬場vsハンセンと並ぶ傑作抗争だった インターナショナルのトーナメントは元NWA世界王者が4人
それに加えてブッチャー、ブロディだから箔付に気合が入りまくっているのが分かる ゴングというか、竹内は自己流の名称に固執するよね。
テーズのリバーススラムはハイアングルバックスラム、ヨーロッパ式のスモールパッケージはジャパニーズロールアップとか、ほかにもいろいろあったと思う。 スモールパッケージホールドは、昔は小包固め、今は首固めと言われるな。
首固めだとギブアップ技に聞こえるので、小包み固めの方か合ってると思う。 >>528
気合が入ってるなら
決勝はせめて蔵前クラスにして欲しかったなw
いかんせん松戸で新王者決定ではローカル臭から抜け出せない
馬場時代のインターの権威に遠く及ばないのはこのせいだと思う >>530
大きいのか小さいのかわからない
馬場のジャイアント小包み固め >>531
当時の全日は最強タッグ以外で蔵前を使用
出来る体力が無かった。 >>528
なぜそこにブルックス!?と誰もが思ったよな
トーナメントだから白星配給係は必要ないし
9人トーナメントなので一人余るし >>534
本来は片方のブロックでテリーとブルックスだけが一回戦、もう片方のブロックで
ドリーと戸口だけが一回戦という方式だった。テリーの方は二回戦でチャンカー
優勝者の馬場と、ドリーの方は二回戦でインター前王者の大木との組み合わせ。
結局は大木が出場を辞退し、ドリーと戸口の試合が二回戦に繰り上がった。 >>534
元々カーニバル上位7人プラス大木、ファンクスで10人の予定だった >>525
ようやく本格的な売り出しって、
初来日から馬場をフォールさせたり、
バトルロイヤルで3人フォールを返したりと、
破格の売り出し方をしてたんだが。 >>526
技の名前ってのは、その技の歴史でもあるからな。
原爆固めは桜井さんが思いつきでつけたとは言え、
初見の衝撃を感じさせる良いネーミングだと思う。
それを現代の人間の価値観で簡単に変えてしまうというのは自己満足だろ。エゴだろ。
被爆者から抗議を受けたわけでもないのに、
何のために変えるのかよくわからん。
ゴングの拘りの方が正しいと思う。 >>530
本来のスモールパッケージホールドは別の技だからな。この技は正式にはネックホールドだから首固めでOK。 >>525
馬場にフォール勝ちさせといてドリーに負けさせるわけないだろう、普通に考えて。 武藤と小橋がゴングの記事で「フィニッシュは月面水爆」と書いてあったので
どんな新必殺技?と写真見たらムーンサルトプレス。
ゴングの記者はバカじゃないのかと >>537
破格だが単発
結局あの年は正月の一度きりだし翌年も二回だけ >>540
滅茶苦茶に暴れての反則負けにすれば良い
それこそ馬場が初めてインター王者になった時のブルーザーみたいに >>542
来日が少なかったのは、ジェフリーくん出産前後で仕事をセーブしてたってこともある。
ブッチャーと組ませて最強タッグに出場のオファーも出していた。 ブルックスがブロディとウォリアーズが喧嘩になるのを止めていたの?
ブルックスが止めれたの? 「そういうときはナオコ・カワイの曲がなんとかしてくれたぜ」
って言ってたよな
最後は4人で肩組みながら歌ったって >>546
“井の中の蛙”“怖いもの知らず”“厚顔無恥”とはこのことだな。 >>545
j喧嘩を止めるのに常に腕力がいるとは限らんだろ >>544
ブッチャーがシークと仲間割れ後の80年? 80年代のハンセンのコンビ名
ハンセン&ホーガン 『最強外国人コンビ』
ハンセン&マードック『テキサス・ロングホーンズ』
ハンセン&ブロディ 『超ミラクル(野獣)パワーコンビ』
ハンセン&デビアス 『ビッグ・テキサンコンビ』
ハンセン&ゴディ 『ニュー・ミラクルパワーコンビ』
ハンセン&天龍 『龍艦砲』 >>552
カマタの年。
なかなか発表にならなかったのは、
ブロディにオファーしてたらしい。 >>553
ハンセン&バス「ラリアット・ライダーズ」 ハンセンの新日時代のニックネームは何だっけ?
ブレーキの壊れたダンプカー? >>557
最初が単純に「首折り男」でその次がそれ >>556
ラリアットライダーズは、デビアス、オレイアンダーソンも含めたチーム名だぞ。 >>557
猪木と互角にやりあって「ハンセン」コールが響くようになって
古館が「80年代のスーパーヒーロー」と連呼していたな
形式ばったベビーvsヒール、日本人vs外国人というくくりじゃなく
リングの上でより輝いたものが外国人ヒールでも認められる時代だ、
ということで、あのアンドレ戦とかで実況されていたから若い世代も
結構聞いてるみたいだ 次期来日紹介時なんかは「マジソンの不沈艦」とか。。 「マジソンの不沈艦」は本来はサンマルチノのニックネームなんだけどね >>554
ブッチャーとブロディのチームというのも想像出来ないな
どちらも主役意識が強そうで
むしろバランス的にはシークとのチームの方がまだ面白そう >>566
両者は認めあってるし、
当時の雑誌によると、ブッチャーが強力プッシュしてたらしいから、案外良いチームだったかもと思ってる。 バリー・ウインダムをワイルド風にイメチェンさせてたらわりとブロディと合ってたかも。
デビアスがあのキャラに変えてハンセンとマッチングしたように >>566
>>567
ブッチャーとブロディは84年にAWAで短期だけどタッグを結成していたけど、基本ずっと敵同士。
お互い一番手の合う対戦相手だった。ブロディが亡くなった時のインタビューでは、こう話していた。
ブッチャー『ブロディと俺の付き合いは長い。もう10年以上、世界中をいっしょにまわった。
日本、ジョージア、AWA、ダラス、フロリダ、プエルトリコと、どこへでも行った。』
記者『それほど仲の良かったあなたとブロディが、正式にタッグチームとして活動しなかったのはなぜでしょう?』
ブッチャー『もしもタッグを組んでいたら、最強のチームになっていたことは確かだろう。だが、俺たちはあえてそれをしなかった。
プロレスラーはパワー・ハングリーなんだ。まわりにいる人間が、すべて敵なんだ。力がすべてなんだ。
ハンセンがブロディとのチームを解散したのも同じ理由だ。結局、ほんとうに信頼できるものは神と家族しかいないんだ。』
この2人の試合は好きだな。メチャクチャだけど、そこがいいwビジネス面から見ても、組むより対戦した方が受けるのも分かっていたはず。
そう言えば、ブロディの生涯最後のテレビマッチは亡くなる3日前のブッチャーとのシングル。
生涯最後の試合は事件前日のコロン&ブロディvsブッチャー&スパイビー。日本でのブロディ追悼試合はハンセンvsブッチャー。
ブッチャーとブロディ、運命的関係だった。 イヤウケアやルーインと役目を変わるようなブロディの連続新春シリーズ参加だったな。
ちょうどラシクも来ていたが、そういった70年代全日悪役と入れ替わりのブロディ登場だった。
ちょっとこじつけかもだが、最初期のホーガンの印象もブロディに近かったように思う。
パワーはとにかく凄かったがいかんせn試合が作れない木偶タイプ、しかし2度目来日ではエースで
猪木のNWFにも挑戦。ハンセンのパートナーとしても十分役割を果たし徐々に地位を築き上げる。。 思えばブロディとブッチャーが日本で一緒だったのはブッチャーが新日本に移籍する前の最後のシリーズと全日本に帰ってきたシリーズの二つだけなんだよな >>572
言いたいことはよくわかるけど、読みづらいから句読点とか改行とか入れましょう。 そこまでブロディとブッチャーはそこまで認め合う仲なのに
ブロディ亡き後は、スヌーカとはチェーン継承の抗争
ハンセンとはメモリアルナイトで対戦相手、おめけに入場時にはブロディテーマの複合で入場
スヌーカとハンセンはブロデイを「背負う側」の立ち位置
ブッチャーはその両者とは完全な「対角線」の立ち位置で切ないな…当時は子供だからそこまで理解できなかったよ。 ハンセンは金髪の髪とヒゲで明るいイメージ、
ブロディは黒い髪とヒゲで暗いイメージがあった・・陽気と陰気というか。 ていうか、それは部品の話だから……。
でも、ブロディの笑顔をほとんど見たことないよね。 ファンクスのおかげでカウボーイ=陽気な男のイメージが定着していたのもあると思う。
ビル・ワットみたいに陰気でいけ好かないカウボーイもいたが、ハンセンがカウボーイキャラを得たのがワットランドだったのは皮肉。
やはり人柄が反映されるのだな。 アメリカじゃカウボーイスタイルって「粗暴な田舎者」なんだよね
だからカウボーイスタイルって基本ヒールばかり 世界のプロレスでブーイング浴びてるドリーを見て驚いた記憶がある
テリトリーによってヘビーとヒールを使い分けるレスラーがいるのは聞いた事あるが
テリーはともかくドリーが観客に憎まれるファイトなんて出来るのかと 地元ベビーフェイスにエルボー打ち込めば、荒くれファイターの出来上がり カウボーイ文化域以外でヒゲ面にテンガロンハット被れば基本的にヒールでしょ。 >>581
ドリーはNWA陥落後は殆どヒールだったな。
髭面にウエスタンブーツで荒くれものイメージだった。 日本では戦後西部劇が流行ったからカウボーイに対するイメージは善悪両方あるが、基本的にはヒーローだと思う。
ハンセン個人でいえばチャールズ・ブロンソンに似ていたのも印象が良かったのかも >>585
全日に引き抜かれてからの最初の相手も、和製ブロンソンと呼ばれた人だったな。 チャールズブロンソンと言えば、国プロ時代の阿修羅原、もしくは「おい、顎になんかついてるぞ?」 >>522
よっちゃん脱退で紅一点で聖子が入れば…!
って消防時代言ってたよね(о´∀`о) >>573
序盤にシンと参加してたのか
ハンセンは武道館でタイトル戦もしたから憶えていたが 「ジャイアント馬場」でググると坂口の顔が一番先に出てくるのはなんとかならんのか 八十八年春尻図、超豪華外人集結也。
前半、反戦 風呂出 佛茶 芯、外人四強 揃踏状態。 >>581
俺は子どもの頃テリーはアメリカのどこに行っても大人気のベビーフェイスだと信じ込んでたw
https://youtu.be/mEAo4QFcY3k
1回目の引退の少し前、全日の海外遠征特集でこの試合が流れたけど、テリーに浴びせられるブーイングの意味もよくわからなかった。
というか「ブー」と発するブーイング自体理解してなかった。
感覚的に「応援はされてなさそう」と薄々わかるくらいで。
後々テリーみたいなレッドネックスキャラがヒールであることが多いことを知ってそういうことだったのかとわかったくらい。 日本では映画やテレビでしか見ることのなかったカウボーイ(ガンマン)が現実に現れた。
それがドリーとテリー!
テキサスの太陽のように陽気なカウボーイ=ファンクス
暴れん坊だが根はいい奴=ハンセン
いかにも日本人好みだわ ファンクはアメリカでヒールってのを知ってる奴はなぜか知ってた。
多分プロレス誌にくまなく目を通してたんだろな。 >>597
専門誌読んでるようなプロレスファン的には知ってて当たり前だけど
一般的には豆知識の鉄板ネタくらいのかんじ
プロレス関連のワニの豆本とかに載ってそうなヤツね
「マスカラス兄弟は実は三人だった!」くらいのレベルの小ネタ
こういうファンには当然すぎるけど一般的には豆知識くらいの小ネタって
プロレスみたいなジャンルだと多そう ファンクスがヒール、なんてのは
そう、知識としては仕入れていても、全然了解できなかったんだよな。
ところ変わればファイト変える、ということがわからなかったんだ。 ハンセンがアメリカだと良く喋ってるのもつべで見たとき違和感あったなあ
そっちのほうが本来のハンセンなんだけどちょっと受け入れがたいっつうか ハンセンのAWA奪取試合!と聞いて興奮して見たマーテル戦の肩透かし感 プロレスマスコミにくまなく目を通していると
竹内さんはともかく山田さんはでたらめばかり言ってるのがわかったw ブロディ初来日の試合で松永アナが「ブロディの親分はフリッツ・フォン・エリック」と言ってるのに
山田さん「本当のボスはドリーファンクジュニアですよ」と間違った訂正 竹内さんみたく山田隆さんの選手と交流みたいな裏話あんまりでてこないね。
倉持アナだけ悪口言っていたがw >>604
日本プロレス時代ならともかく昭和50年代に「馬場くん」とか言ってる人と交流って結構難しいと思う ジャンボに試合前に控室で聞いたら。。とか解説では言ってたけどね、山田さん >>603
アメリカ本土ではほぼジョージアとテキサス(一時期五大湖)でしか試合してないブッチャーのことを
「ブッチャーは今でもアメリカのヒールナンバー1です」とかなw
一応出てるテリトリーではトップヒールだらモーストヘイテッドトップ10には入ってたけど >>598
テリーファンが嬉しそうにアメリカではヒールって言ってたから
どういうこっちゃと思ったけどね。 >>607
そこは「ファンクスは世界のアイドル」「ブッチャーはナンバー1ヒール」
にしといたほうが盛り上がるから、サービスで盛ってあげたんだろ。 シンは地元のトロントではベビーフェースでありヒールですらなかった ブッチャーは70年代後半では米国誌のモーストヘイティッドランクで結構、常連だったよ。
よくゴング誌のページ下部に載ってたヤツ。フレアー、コロフ、ラシク、パテラ、ラッドらが
悪党ランクの常連だったな。 >>600
WCWの時だったか、噛みタバコくちゃくちゃしながらのよだれダラダラはショックだった >>508
ふと思うんだけどドクターデスのドクターって本当に医師って意味なのか?
ドクターKみたいに死を与えるとかそう言う意味じゃないかと最近思った >>613
その道のプロというか、ベタな日本語で言うと〜屋とかそういう意味でないの? >>613
学生時代にフットボール部のチームメートからつけられたあだ名だってさ
https://nikkan-spa.jp/1475587 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:847cfeaf6f31691a42c25abc56bd4433) >>600
当時のアメリカマットではプロモがどれだけ重要で、それが日本マットでは全く意味がないことをハンセンが誰よりも認識してたからね。
91年最強タッグのインタビューで、日本式にジェントルマンのように答えるハンセン。
一方、WCWでのスカイスクレイパーズのやり方と同じで、一方的にがなり立てるスパイビー。
このことが当時の雑誌に「スパイビーは日本とアメリカのスタイルの違いが理解できていない」と書かれていたな。
ハンセンもフレッド・ブラッシーにアメリカ式プロモはキッチリ鍛えられてるから、スパイビー以上に凄まじいのができるんだけどね。 >>612
ホーガンの映画に出た時もそのキャラだったよね。 ブロディがむこうのプローモーションビデオか、テレビマッチの番宣なのか知らんが
やたら弁舌でカン高い声で、まくしたてるのも凄く違和感があったな
リング上の凶暴さと、リング外の知性的なイメージを勝手にもってただけに… 頭がいい人がバカを演じるのは簡単だよ。
逆はすぐバレるけど。 頭の悪い人がバカを演じるのもむずかしい、パンチの空振りとかわざとらしくなる >>611
テリーが悪党ランク1位もあった。
逆に人気の常連は、アンドレ、ローデスとかだった テリーが日本で悪党ファイトをやったのはやはり長州戦か
乱入のドリーも含めて >>617
松本での三冠戦の試合前のインタビューでも
そんな感じだったね。
淡々と受け答えをして最後は「試合が終わればこのベルトは
私のところへ戻ってくるよ」で締めてたし。 >>623
それやるなら1年前の85年にやってほしかった、両国でのタッグ戦だったかな
85年なら引退直前の頃より体格も良いし、コンディションも良さそうだったし、ヒゲ面もワイルド
あの頃なら「強いヒール」で説得力もあったろうに…
1年後の長州戦の時は何故か体重もげっそり減って、下手するとジュニア体重ぐらい
あのちょび髭も悪い意味の哀愁感が漂ってて、強いヒールどころか小悪党に見えた…
しかしテリーの体重に関しては、厳密にいうと86年春のホーガン戦、もしくはレッスルマニア2の頃
その時期までは85年と全然変わってないように見える
長州戦までの半年間でいったい何があったんだろう?
映画「オーバー・ザ・トップ」の撮影にしても、チョイ役でもトレーニング不足に追いやられるほど拘束されたか?
またはヒザの状態が思わしくなく、自らがあえて体重を落としたか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています