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名前は関係ない。
どんな平凡な名前でも、本人がデカクなれば、
良い名前ってことになる。 マイクジョージ、新日本参戦時国際軍団と結託してたね。
乱入して試合前のタイガー襲ってたな。タイガーにショルダーバスター食らわせて。
タイガー組の対戦相手のミショネロスが所在無げに傍観してて何か気の毒だった。 >>275
大相撲時代は典型的なソップ型だったしな。プロレスに入ってからもゴツくなるまで10年かかってる。
WARの時には木村健吾がパイプイスで胸板をぶっ叩いても、イスの方が壊れるんじゃないかと思うほど
頑丈な分厚い体になってたもんな。
>>285
天龍は色んなところで「長州選手が来る前の自分のプロレスは恥ずかしくて見たくない」と言っている。
ジャパン時代の長州との対戦で「気付い」て、天龍革命で鶴田と対戦し完全に「覚醒」したんだろう。 >>290
恥ずかしくて見たくないって、天龍チョップのことかな?
あれは子供心に、意味無し、恰好悪いと感じた。 >>282
第三回チャンカーだったか
この時はスティーブ・カーンにボブ・オートン・ジュニアも参加の実に鶴田向けのフレッシュな顔ぶれ
ただし興行成績が悪かったためか次の第四回からブッチャー路線になった印象 >>291
あの「相撲ツッパリ」のことか。あれを天龍が最後にやったのはいつかな?
確かにジャパンが来ていた頃にはやらなくなってた。
83年最強タッグの最終戦でハンセン&ブロディにやっていたのは覚えてるけど、
それ以降はあまり記憶にないな。 天龍が蔵前でメインを張った唯一の試合でもあるんだよな
とにかく五年後と並んで天龍の最後のラリアットでのやられっぷりが強烈 あの天龍チョップは後に猪木戦橋本戦小川戦でも見せてた。
胸に当てて痛そうに見えないのと途中でエルボーを喰らって中断するのが欠点だから、出す以上は顔に当てて必ずやりきれば良かったんだよ。それも中堅時代じゃ難しかったのかもだが >>285
ハンセンブロディとやりあってたくせに長州なんかにパワー負けとは情けないよなw >>287
俺も天龍は小さな体の長州相手に苦労してやられ役やってるように見えてた、たまに反撃すると体格差がモロに出てたし >>295
特に失神から目覚めての猪木への怒涛ぶりが良かった ジャンプ放送局のスポーツ新ルールで
「天龍の天龍チョップは意味が無いので使用を禁止する」ってのがあった >>286
>>292
あの時代の初来日ルーキーをジャンボのライバルとして囲い込んでいればよかったのにな。
ほかにも
リッキー・ギブソン
ランディ・タイラー
エド・ウィスコフスキー >>300
> リッキー・ギブソン
鶴田自身がこの人からミサイルキックをパクったと言ってたな。 >>287
いや俺は全日ファンだよ。
俺が言ってるのはジャパン参戦時の初シングルのときの試合なんだが。
体格差は明らかに長州が上だったし、長州自身も源ちゃんはラクだった。と言っている。
後にでかくなった天龍以降は別だと思うがね。 >>302
> 体格差は明らかに長州が上だったし
それは絶対に無いな。
同じくらいに見えることはあっても、長州が上は絶対に無い。 「源ちゃんは楽だった」
ハンセンブロディ、ウォリアーズの天龍評と同じ意味合いだろう。
「どんな技でもキレイに受けてくれる」という。 まあ、イメージというか雰囲気もあるしな
日本で1番ノッテる時期の長州だからね、等身大よりも大きく見えたのは事実
天龍は物理的にもオーラ的にも、1993年あたりのデカさはすごいね
新日では大きいほうの木村健ですら向き合うと厚みが全然違ったし… >>306
そう。後に新日に上がってころの天龍のデカさ圧倒感は別物で別人のようだった。
あくまでジャパン維新軍当時の様子としてなんで。 >>306
天龍だって、人が変わったように覇気があったよ。
大体いくら長州が乗りに乗っていても、
身長差がありすぎるだろ。
それでも明らかに長州の方がデカかったというなら、
眼科か脳神経外科に行くことをオススメする。 >>295
痛める技じゃなくて、相手を押し込める技だろ。
なんでもかんでも痛く見えなくちゃいけないわけじゃない。 天龍 鶴龍時代初期、色白、細身、気弱、印象。
後々、天龍 褐色肌、太肉体、強気、印象。
天龍 肉体的変貌、鶴龍解体後。
腕太、肩盛上、日焼 褐色肌。
天龍 体系的、芯酷似。
全日離脱後、新日登場時、天龍 矢鱈巨大。
天龍 既四十代也。 >>308
いや、オレは長州の方が大きく見えたとは言ってない
ただ巷で言われるほど天龍との体格差は感じなかったという感じ
天龍は昭和と平成の境あたりで体格が変わってきたイメージ
厳密に段階で分けると、1982年と1983年での体格のスケールアップ、その第二段階での体格アップという感じ
まあでも、1983年で既に33歳〜34歳っだったんだから何気に凄いが… スベってる漢字表記だけならまだしも、内容もそれまでのレスの焼き直し…。 天龍は天龍同盟で一気にイメージ変わったよ。
そして親日に上がった時は実際の体格まで変わっていた。
鶴龍時代は不器用でスベり気味の2番手キャラだったのに
(トペとか延髄なんて劣化した物真似でしょっぱい)
革命以降はその不器用さが凄みになった。
あと、VTがブームになったことでプロレス入りする前のキャリアが
より重要視される時代になったのも、親日時代の天龍のイメージアップになったと思う。 >>313
新日に上がって体格が変わったんじゃなくて、
新日レスラーが小さいから、デカく見えたんだよ。
冬木があんな大型だって、誰も思わなかったろ? >>312
矢鱈巨大とかどんな苦し紛れやねんてなw
寒いったらありゃせん >>308
うーん。身長差でなく厚みと横幅、体幹の馬力、スピード感ね。
念を押すが、83、4、5年ごろに限った天龍の印象だから。 >>316
> うーん。身長差でなく厚みと横幅、体幹の馬力、スピード感ね。
長州が上回ってたのはスピード感だけだな。
じゃなきゃハンセン、ブロディ等と渡り合えるわけがない。 >>316
だから、眼科か脳神経外科へどうぞ。
単にお前が長州好きなだけだろ。
長州が来た頃の天龍は、
色はまだ白いが、
十分ゴツいよ。 ブロディが鶴田のスピードに対応するために減量した、という与太はあるが……
そんな感じでハンセンのパワーに対応するために身体をでかくしたんじゃないかな。
やっぱり長州以前から。
鳥獣コンビの矢面にいるくらいの時にはこういうのをヘビー級っていうのね、と思うよ。 >>319
> ブロディが鶴田のスピードに対応するために減量した、という与太はあるが……
スピードじゃなくてスタミナだろ。 ブロディは実際体重どれくらいあったんだろう…あの風貌とブーツで凄いデカく見えるけど意外とスリムなイメージがあった だるだるの鶴田と対峙すると、コントラストが残酷だった 足が異常に細かったね
それを隠すためにアレ着けてたらしいけど >>319
ブロディ刺殺事件のドキュメンタリーの動画で、息子のジェフリーがブロディのビジネス手帳を公開しているんだけど、
その中で「スクワット○○○回、ステップアップ(踏み台昇降)○○○回」と毎日欠かさずに記録してあった。
他にも「○月○日 サンファン・プエルトリコ、○月○日 ダラス・テキサス」と几帳面に自分のレスリングスケジュールも
細かく記録されていて、やはりブロディはプロだなと感じた。
スクワットとステップアップの記録が刺された日で途切れているのが、悲しかった・・・
>>322
70年代後半は一番体重があったはず。135s以上確実にあったんじゃないかな。
82年〜83年頃は一番絞っていたよね。120sくらいかな。フレアーと60分フルタイムをやっていたのもこの頃だった。 1979年新春シリーズでのイヤウケアとのタッグマッチでは164キロのイヤウケア(倉持アナの実況より)よりずっと重そうに見えた。
倉持アナの実況ではブッチャーもずっと140キロだったが。 バーバラ夫人の「ブルーザー・ブロディ私の、知的反逆児」だと、ステロイドの副作用で原因不明の体調不良で入院してからステロイドを止めてスリムになったと書いていたね ブロディとタッグ組んでたロングヘアでちょっと禿げてるレスラーもめちゃくちゃ脚が細かったよな。
あれはプロとしてどうなんだと思った。
名前が出てこないんだ、、困った バック・ロブレイがTシャツ着て試合するのは、弛んだ体を隠すためだったのかな >>329
いや、24時間テレビのチャリティだろうに ブルックスは国際に来ていた頃は脚のみならず胸板も凄い厚みだったのにほんの数年で萎んでしまった。 まさかキラー・ブルックスが新日本、それもIWGPに参戦するなんて思いもしなかったわ。 初来日時のブロディはかなり違うね。
小川が肉体改造(ただのダイエット?)する前と後くらいには。
ハンセンも初来日時の頃が一番重いかな。 >>334
MSGシリーズ以前のワールドリーグ戦に先祖返りした印象だったな
実質的なエース外人はマサ斎藤で >>334
1987年だよね。同じく全日本から流れてきたスミルノフも参加してたね。
他にヒギンズ、コンガ・ザ・バーバリアン、若手の頃のスコット・ホールが参加。
外国人参加者に優勝争いしそうな選手がいなかったな。 ブロディの足は言われてるほど細くはない。
マスコミに印象操作されたな。
あの体であのジャンプ力はなかなか出せないよ。
同時代では鶴田くらいだろ。 https://i.imgur.com/urOC20P.jpg
若い頃、ボアのシューズカバーつける前の写真。これ見ると太腿はバンバンに張ってるが、太腿に比べて脹脛はそこまで太くない印象。
https://i.imgur.com/20qywj1.jpg
体絞った晩年も太腿はパンパンだから、元々脹脛は体のサイズのわりに細いのかもね。
シューズカバーつけたのは正解だったかも。 馬場がブロディの脚力には驚いていた。
金沢市卯辰山相撲場の勾配をダッシュで駆け上がり、物を投げた悪質ファンを捕まえたという。 >>339
ブルックスとスミルノフを国際と新日にブッキングしたのは大剛 >>339
え〜、そんなメンバーだったんだ?
そりゃショボイな、UWF勢がいて長州軍も参加秒読みとはいえ
確かその年が最後で、IWGPはタイトル化されたんだよね
しあし1988年は新日の暗黒年といわれるが、IWGPというドル箱シリーズを失って
さらに同時期に新生UWFが旗上げしたもんだから、ダブルショックだな、確かに暗黒というのもわかる
全日も夏のブロディ事件といい、年末には前年の薗田に続き、原と輪島と石川を失った
全日新日を問わず、既存のプロレスファンとしては1988年は暗い思い出のイメージが強い… >>346
新日本は暗黒だったけど全日本はそうでもないよ、最強タッグはもりあがったし輪島石川の退社は年明け発表だったはず
88年の新春シリーズはちょっと暗黒感があったけど次のシリーズのウォーリアーズ天龍から一気に盛り上がりが加速していく >>339
ブルックス、スミルノフ
いかにも全日本からのお下がりといった感があるな。
IWGP当初からのストロングスタイル至上主義者にとってブルックスは絶対受け入れ難い選手だろうが、そんなファンはUWFに傾倒していたのだろうな。 >>345
スミルノフはカリフォルニア在住の新日本駐在員鯨岡チカに直接コンタクトした
BY 流智美 『超一流になれなかった男たち』 >>346
Aブロックは猪木、坂口、藤波、藤原、バーバリアン、ホール、ブルックス。
Bブロックはマサ、キムケン、ジョージ、前田、上田、ヒギンズ、スミルノフ。
藤波、前田ともに負傷欠場でリーグ戦途中から離脱。
ブルックスは藤波に不戦勝以外全敗だった。
猪木とマサで優勝争いさせるの丸わかりの展開だったね。
シリーズ途中で長州が復帰して新日本自体は盛り上がってたけど、リーグ戦はイマイチだったね。 マードックとブルックスの従兄弟コンビをみてみたかった 世界統一のイベントのはずだったIWGPに
全日をお払い箱になったスミルノフ、ブルックスを出すことに
抵抗を感じなかったのかね?w 全日でのブルックスは単なる小汚いヒールレスラーだが、新日に来たらインサイドワークに長けた実力者と改変されます。 >>343
マードックが新日時代の対決前にあいつの
○○は以外とだぜ。ってウィンクした記事を覚えてる。 当時の新日本はWWFと関係が切れていて
吉原経由で新日本のブッキングをやるようになったジョー・ダイゴーに頼っていた
ダイゴーがブッキングするレスラーは国際臭が漂うレスラーばかり スミルノフは全日時代も良くて二番手的な存在に終わったね…
タイトルマッチにはシングル、タッグと何回か絡んでたけど… 木村とカマタがタッグ組んでいたけど木村・カマタ・ジョーのトリオなんて実現したら
国際マニアが狂喜乱舞だな。 >>339
その意味ではワールドリーグ時代のクラップすらいなかったんだよな
せめてウィリアムスでも参加させられていたら違ったかもだが >>347
89年の新春シリーズはブルドッグスの復帰で結構盛り上がってた印象
そして伝説のマレンコ兄弟との対戦も >>348
国際崩壊してすぐ全日に上がるのはフレッシュさがあるんだけど、何年も経ってから急に新日に上がるとc級感がすごいんだよな。
ブルックスやスミルノフもそうだけど、ケリーツインスとかカールステイナーとかマイクミラーとか特に。 >>360
でも、その頃はバーバリアンとウィリアムスは同格だったよ。前年秋の後楽園での対戦も好勝負だったし。
バーバリアンも一度くらいIWGPに挑戦させてやればよかったのに。 >>361
原の解雇でテレビ収録予定だった長崎大会が中止になった。なもんでただでさえ入っていない福岡大会を2週に分けて放送。大阪大会もガラガラで最後の後楽園だけ盛り上がった印象。 福岡と大阪はジュニアのタイトル移動があった時か
ある意味で伝説対決が実現したのは馬場が捨てシリーズ的に考えていたのもあったりして >>363
バーバリアンって大相撲の、幸ノ島だっけ?福ノ島がプリンストンガから
キングハクだけど、バーバリアンとハクは海外ではタッグ組んでいたんだよね。
一度は二人の原点である日本で、タッグを実現してほしかったな。 >>366
フェイシス・オブ・フィアーだな。
“怖い顔”とはよくできたネーミングだ。 >>366
97年3月の新日に来てたね
橋本、健介組と試合してた… >>368
えっ、国内でタッグ実現していたの?不勉強で申し訳なかったです。 SWSでも91年にタッグ組んでいる。
また2人だけではなく、当時ハクとナチュラル・パワーズ組んでた谷津を含めた
トリオも実現している。 >>364
最終戦の後楽園は盛り上がったよね、天龍同盟の試合もよかった
福岡は天龍川田対鶴田谷津だっけ?川田がひたすらやられてた印象しかない、ミサイルキックで疑惑の3カウントってのもあったが >>371
天龍が全然カットに入らなくて異様に見えるくらいの川田ロンリーバトルだったね。
単に二週収録の為の長時間試合だったら興醒めだ。 >>371
あの試合は私も現地で見たのですが、全日の国際センター大会では初めて二階席の販売がなくアリーナだけの席の設定でした。
最も二階を封鎖していた訳ではなかったのでアリーナのチケットを購入して眺めのいい二階で観戦してた人は結構いました。 >>373
35分くらいの長い試合でほとんど川田がやられてたしテレビでは客席が暗かったので熱い試合だったけどブロディ原輪島石川が抜けた後の暗黒のイメージがあるわ
客席が暗かったのは客入りの悪さもあったのか ブロディと原は痛いけど、輪島石川なんてその頃ほとんど空気でひっそり引退したイメージだけど 輪島は空気になってたけど、
石川はカブキとともに中堅で結構な存在感があったと思う。
アジアタッグは獲られたけどまだまだフットルースの壁になってたイメージ。 龍原砲対輪島石川、ドラゴンリングインした石川めがけて天龍がラリアット
それをフィニッシュにしてしまう全日のセンスよ >>375
石川が空気ってアホか。
輪島も最強タッグの時の最後のテレビマッチで良いファイトしてたから、期待してた矢先だったから残念だった。 石川は地味な地蔵顔で損してたね
イケメンとまでいかなくてもパッとした顔立ちだったらもう少し印象が変わってた >>379
石川はアピールするとウザいが、黙々と
自分の仕事をこなしている時は魅力的。 輪島&石川は世界タッグとしては軽いがアジアタッグとしては重かったんだよな
晴れ舞台としてはやはり武道館で馬場&三沢タイガーとやった時くらいか 全日本最後の試合でも
相撲ラリアット→さそり固め→カットに入った相手のキックを耐える→カットの相手がロープの反動をつけて攻撃しようとする→相撲ラリアットで迎撃
のムーブで盛り上げてた 輪島、石川と天龍、原は毎回いい試合してたな
初対決の福岡とか何回も見てしまうわ 石川といえば両国の最初の興行でも井上との好連携でフィニッシュを決めていたな 馬場、鶴田、天龍、タイガー。。。
全てと上手く合わせられる職人レスラーだったね。ハンセンのラリアットを一番食らったのは原じゃなく石川だと思う。 石川とマイティのコンビは本当に上手かったね。
丸め込みや一瞬の技も説得力があるんだよな。
フットルースとのアジアタッグ3連戦は何度見ても面白い。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています