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浜口、谷津対ゴディ、クルーズと渕対ヒロ斉藤があったね… >>257
地元に来たノーTVの富山大会でもマイクやってた。馬場にジャイアントコーン食べてやるぞって挑発してた 話がずれるが、1986年の春からハリケーンズあたりまでが全日に上がった頃
一番思ってたのは、新日出身選手の層の厚さ
ジャパン軍やハリケーンズが全日リングの主要カードに名を連ねて
同時期の新日リングは、当時は正規軍プラス山田や、秋には武藤が凱旋、さらにUWF軍が席巻していた
片や全日は鶴田天龍タイガーぐらいが本当の主力で、あとは輪島ぐらいか
両団体のテレビマッチやメインクラスのカード分布図、八割ぐらいは新日出身が占めてたんじゃないの? >>255
長州の欠場理由は風邪と腱鞘炎だったかな
小林邦昭も終盤いなくなってた
SSマシンは暮れの最強タッグからずっと欠場してた
他は最後まで出場した
浜口はこれでかっこよく引退したんだが
まさか数年後復帰するとは 70年代後半から80年代初頭の新日本の合宿所の面子はエグかったな
その後みんなそれなりにプロレス界に大なり小なり足跡残した連中ばかり ガングリオンという病名を長州で知った人間は多いと思う >>261
長州の欠場原因は当時プロレス内で流行語になったガングリオンの悪化。
天龍から「そんなの俺もある」と皮肉られてた。 天龍は体がボコボコだったね
木村浩一郎が「あれは打たれすぎでできた血瘤。ブッチャーの傷よりすげえ。」と
言ってたとか ガングリオンってバンドがあってそこに在籍していたベースの子がかわいかった。 >>261
このシリーズにはマイクジョージも来日してたね…ロートル感が出てしまっていて黒星が多かった… ガングリオンは部活でテニスやる者はけっこうな確率で罹患してた
病気の重さや浅さの段階があるのか知らんが、「その程度で?」と思ったのは多いと思う
自分もなった事があるが、病院で注射針を刺して中にたまった脂肪?を抜いてすぐ治った 長州のガングリオンが報道された少し後に右手甲にガングリオン出来た事があった
おぉ〜、これが長州にも出来たのかっ!って興奮した思い出 当時ガキだった俺にはガングリオンという名称がロボットアニメみたいで
カッコいい!と思ったw ガングリオンは神経に障るとものすごく痛い。
長州のそれが神経に障っていたのかは、本人と医者にしか分からないけど。 >>265
スレとは関係ないけど木村浩一郎も早かったね、残念。 >>265
>「あれは打たれすぎでできた血瘤。ブッチャーの傷よりすげえ。」
そうだったんか、プロが言うならその通りなんだろうな
失礼ながら筋肉増強剤の副作用かも?と思っていた
相手レスラーとの相対的な部分もあるとはいえ、WARの頃に新日に上がった頃は本人談でガチで130キロあったらしいし…
何度も言われてる事だが、40歳半ばで30代の頃より巨大になるなんて凄い事だ。 その頃の天龍はゴツくてカッコよかった…
確かに40過ぎてから肌を焼いて頑丈そうな体型になったね >>268
長州が欠場の時、天龍もガングリオンができてたらしい。明らかに休むほどのことではないよな。
レスラーはガングリオンができても、フォークで刺して潰すとも言ってた。 カンケー無いが、おれは痛風と胃もたれで日々戦ってるぞ。。
夏場になると発作が来るんだよなあ。。でも酒はやめられないし食い物の好みは
若いころと変わんないんだよねー。。 天龍は全日時代は日焼けしないのがポリシーだったと思うけど
考え方が変わったんだね。 >>267
マイク・ジョージは初来日が全日だったけど、しばらく呼ばれないまま1980年から国際のエース外国人に収まったんだよな。
ケレン味ない大型ラフファイターだったから、鶴田や天龍と手が合ったと思うんだが、呼ばれた時にはまだ若かったのに「過去の人」扱いだったのは勿体なかった。
木村が国際時代にやられそうになって、スミルノフに助けられたのがあったな >木村が国際時代にやられそうになって、スミルノフに助けられたのがあったな
それジョージじゃなくてストンパーだろう。
コーナーから木村にストンピングやろうとしてたのを椅子で一撃したやつ
にしても、マイク・ジョージって平凡な名前はどうにかならなかったのか
キャッチ―なリングネーム名乗るだけでだいぶインパクトが違ったはず >>275
天龍の鶴龍コンビ時代は情けない身体だったよ。
あきらかに格下で鶴田にオンブに抱っこ。
長州戦では完全にパワー負け。
鶴田が長州を完封せざるをえなかったわけだ。 >>284
井上尚弥「・・・」
逆にシンプルすぎて記憶に残ってるけどなw 彼もテッドデビアスあたりに似て風貌も
ちょっと地味で国際2度目の時はカーリーヘアに髭面で多少はイメチェンあったけど
突出したインパクトまでは出せなかった。もし全日で活躍の場があればデビアス同様、
ハンセンあたりと強力なコンビが組めそうなレスラーだったと思う。。 >>285
長州戦でパワー負け?
新日信者は特殊な目をお持ちで。 >>284
名前は関係ない。
どんな平凡な名前でも、本人がデカクなれば、
良い名前ってことになる。 マイクジョージ、新日本参戦時国際軍団と結託してたね。
乱入して試合前のタイガー襲ってたな。タイガーにショルダーバスター食らわせて。
タイガー組の対戦相手のミショネロスが所在無げに傍観してて何か気の毒だった。 >>275
大相撲時代は典型的なソップ型だったしな。プロレスに入ってからもゴツくなるまで10年かかってる。
WARの時には木村健吾がパイプイスで胸板をぶっ叩いても、イスの方が壊れるんじゃないかと思うほど
頑丈な分厚い体になってたもんな。
>>285
天龍は色んなところで「長州選手が来る前の自分のプロレスは恥ずかしくて見たくない」と言っている。
ジャパン時代の長州との対戦で「気付い」て、天龍革命で鶴田と対戦し完全に「覚醒」したんだろう。 >>290
恥ずかしくて見たくないって、天龍チョップのことかな?
あれは子供心に、意味無し、恰好悪いと感じた。 >>282
第三回チャンカーだったか
この時はスティーブ・カーンにボブ・オートン・ジュニアも参加の実に鶴田向けのフレッシュな顔ぶれ
ただし興行成績が悪かったためか次の第四回からブッチャー路線になった印象 >>291
あの「相撲ツッパリ」のことか。あれを天龍が最後にやったのはいつかな?
確かにジャパンが来ていた頃にはやらなくなってた。
83年最強タッグの最終戦でハンセン&ブロディにやっていたのは覚えてるけど、
それ以降はあまり記憶にないな。 天龍が蔵前でメインを張った唯一の試合でもあるんだよな
とにかく五年後と並んで天龍の最後のラリアットでのやられっぷりが強烈 あの天龍チョップは後に猪木戦橋本戦小川戦でも見せてた。
胸に当てて痛そうに見えないのと途中でエルボーを喰らって中断するのが欠点だから、出す以上は顔に当てて必ずやりきれば良かったんだよ。それも中堅時代じゃ難しかったのかもだが >>285
ハンセンブロディとやりあってたくせに長州なんかにパワー負けとは情けないよなw >>287
俺も天龍は小さな体の長州相手に苦労してやられ役やってるように見えてた、たまに反撃すると体格差がモロに出てたし >>295
特に失神から目覚めての猪木への怒涛ぶりが良かった ジャンプ放送局のスポーツ新ルールで
「天龍の天龍チョップは意味が無いので使用を禁止する」ってのがあった >>286
>>292
あの時代の初来日ルーキーをジャンボのライバルとして囲い込んでいればよかったのにな。
ほかにも
リッキー・ギブソン
ランディ・タイラー
エド・ウィスコフスキー >>300
> リッキー・ギブソン
鶴田自身がこの人からミサイルキックをパクったと言ってたな。 >>287
いや俺は全日ファンだよ。
俺が言ってるのはジャパン参戦時の初シングルのときの試合なんだが。
体格差は明らかに長州が上だったし、長州自身も源ちゃんはラクだった。と言っている。
後にでかくなった天龍以降は別だと思うがね。 >>302
> 体格差は明らかに長州が上だったし
それは絶対に無いな。
同じくらいに見えることはあっても、長州が上は絶対に無い。 「源ちゃんは楽だった」
ハンセンブロディ、ウォリアーズの天龍評と同じ意味合いだろう。
「どんな技でもキレイに受けてくれる」という。 まあ、イメージというか雰囲気もあるしな
日本で1番ノッテる時期の長州だからね、等身大よりも大きく見えたのは事実
天龍は物理的にもオーラ的にも、1993年あたりのデカさはすごいね
新日では大きいほうの木村健ですら向き合うと厚みが全然違ったし… >>306
そう。後に新日に上がってころの天龍のデカさ圧倒感は別物で別人のようだった。
あくまでジャパン維新軍当時の様子としてなんで。 >>306
天龍だって、人が変わったように覇気があったよ。
大体いくら長州が乗りに乗っていても、
身長差がありすぎるだろ。
それでも明らかに長州の方がデカかったというなら、
眼科か脳神経外科に行くことをオススメする。 >>295
痛める技じゃなくて、相手を押し込める技だろ。
なんでもかんでも痛く見えなくちゃいけないわけじゃない。 天龍 鶴龍時代初期、色白、細身、気弱、印象。
後々、天龍 褐色肌、太肉体、強気、印象。
天龍 肉体的変貌、鶴龍解体後。
腕太、肩盛上、日焼 褐色肌。
天龍 体系的、芯酷似。
全日離脱後、新日登場時、天龍 矢鱈巨大。
天龍 既四十代也。 >>308
いや、オレは長州の方が大きく見えたとは言ってない
ただ巷で言われるほど天龍との体格差は感じなかったという感じ
天龍は昭和と平成の境あたりで体格が変わってきたイメージ
厳密に段階で分けると、1982年と1983年での体格のスケールアップ、その第二段階での体格アップという感じ
まあでも、1983年で既に33歳〜34歳っだったんだから何気に凄いが… スベってる漢字表記だけならまだしも、内容もそれまでのレスの焼き直し…。 天龍は天龍同盟で一気にイメージ変わったよ。
そして親日に上がった時は実際の体格まで変わっていた。
鶴龍時代は不器用でスベり気味の2番手キャラだったのに
(トペとか延髄なんて劣化した物真似でしょっぱい)
革命以降はその不器用さが凄みになった。
あと、VTがブームになったことでプロレス入りする前のキャリアが
より重要視される時代になったのも、親日時代の天龍のイメージアップになったと思う。 >>313
新日に上がって体格が変わったんじゃなくて、
新日レスラーが小さいから、デカく見えたんだよ。
冬木があんな大型だって、誰も思わなかったろ? >>312
矢鱈巨大とかどんな苦し紛れやねんてなw
寒いったらありゃせん >>308
うーん。身長差でなく厚みと横幅、体幹の馬力、スピード感ね。
念を押すが、83、4、5年ごろに限った天龍の印象だから。 >>316
> うーん。身長差でなく厚みと横幅、体幹の馬力、スピード感ね。
長州が上回ってたのはスピード感だけだな。
じゃなきゃハンセン、ブロディ等と渡り合えるわけがない。 >>316
だから、眼科か脳神経外科へどうぞ。
単にお前が長州好きなだけだろ。
長州が来た頃の天龍は、
色はまだ白いが、
十分ゴツいよ。 ブロディが鶴田のスピードに対応するために減量した、という与太はあるが……
そんな感じでハンセンのパワーに対応するために身体をでかくしたんじゃないかな。
やっぱり長州以前から。
鳥獣コンビの矢面にいるくらいの時にはこういうのをヘビー級っていうのね、と思うよ。 >>319
> ブロディが鶴田のスピードに対応するために減量した、という与太はあるが……
スピードじゃなくてスタミナだろ。 ブロディは実際体重どれくらいあったんだろう…あの風貌とブーツで凄いデカく見えるけど意外とスリムなイメージがあった だるだるの鶴田と対峙すると、コントラストが残酷だった 足が異常に細かったね
それを隠すためにアレ着けてたらしいけど >>319
ブロディ刺殺事件のドキュメンタリーの動画で、息子のジェフリーがブロディのビジネス手帳を公開しているんだけど、
その中で「スクワット○○○回、ステップアップ(踏み台昇降)○○○回」と毎日欠かさずに記録してあった。
他にも「○月○日 サンファン・プエルトリコ、○月○日 ダラス・テキサス」と几帳面に自分のレスリングスケジュールも
細かく記録されていて、やはりブロディはプロだなと感じた。
スクワットとステップアップの記録が刺された日で途切れているのが、悲しかった・・・
>>322
70年代後半は一番体重があったはず。135s以上確実にあったんじゃないかな。
82年〜83年頃は一番絞っていたよね。120sくらいかな。フレアーと60分フルタイムをやっていたのもこの頃だった。 1979年新春シリーズでのイヤウケアとのタッグマッチでは164キロのイヤウケア(倉持アナの実況より)よりずっと重そうに見えた。
倉持アナの実況ではブッチャーもずっと140キロだったが。 バーバラ夫人の「ブルーザー・ブロディ私の、知的反逆児」だと、ステロイドの副作用で原因不明の体調不良で入院してからステロイドを止めてスリムになったと書いていたね ブロディとタッグ組んでたロングヘアでちょっと禿げてるレスラーもめちゃくちゃ脚が細かったよな。
あれはプロとしてどうなんだと思った。
名前が出てこないんだ、、困った バック・ロブレイがTシャツ着て試合するのは、弛んだ体を隠すためだったのかな >>329
いや、24時間テレビのチャリティだろうに ブルックスは国際に来ていた頃は脚のみならず胸板も凄い厚みだったのにほんの数年で萎んでしまった。 まさかキラー・ブルックスが新日本、それもIWGPに参戦するなんて思いもしなかったわ。 初来日時のブロディはかなり違うね。
小川が肉体改造(ただのダイエット?)する前と後くらいには。
ハンセンも初来日時の頃が一番重いかな。 >>334
MSGシリーズ以前のワールドリーグ戦に先祖返りした印象だったな
実質的なエース外人はマサ斎藤で >>334
1987年だよね。同じく全日本から流れてきたスミルノフも参加してたね。
他にヒギンズ、コンガ・ザ・バーバリアン、若手の頃のスコット・ホールが参加。
外国人参加者に優勝争いしそうな選手がいなかったな。 ブロディの足は言われてるほど細くはない。
マスコミに印象操作されたな。
あの体であのジャンプ力はなかなか出せないよ。
同時代では鶴田くらいだろ。 https://i.imgur.com/urOC20P.jpg
若い頃、ボアのシューズカバーつける前の写真。これ見ると太腿はバンバンに張ってるが、太腿に比べて脹脛はそこまで太くない印象。
https://i.imgur.com/20qywj1.jpg
体絞った晩年も太腿はパンパンだから、元々脹脛は体のサイズのわりに細いのかもね。
シューズカバーつけたのは正解だったかも。 馬場がブロディの脚力には驚いていた。
金沢市卯辰山相撲場の勾配をダッシュで駆け上がり、物を投げた悪質ファンを捕まえたという。 >>339
ブルックスとスミルノフを国際と新日にブッキングしたのは大剛 >>339
え〜、そんなメンバーだったんだ?
そりゃショボイな、UWF勢がいて長州軍も参加秒読みとはいえ
確かその年が最後で、IWGPはタイトル化されたんだよね
しあし1988年は新日の暗黒年といわれるが、IWGPというドル箱シリーズを失って
さらに同時期に新生UWFが旗上げしたもんだから、ダブルショックだな、確かに暗黒というのもわかる
全日も夏のブロディ事件といい、年末には前年の薗田に続き、原と輪島と石川を失った
全日新日を問わず、既存のプロレスファンとしては1988年は暗い思い出のイメージが強い… >>346
新日本は暗黒だったけど全日本はそうでもないよ、最強タッグはもりあがったし輪島石川の退社は年明け発表だったはず
88年の新春シリーズはちょっと暗黒感があったけど次のシリーズのウォーリアーズ天龍から一気に盛り上がりが加速していく >>339
ブルックス、スミルノフ
いかにも全日本からのお下がりといった感があるな。
IWGP当初からのストロングスタイル至上主義者にとってブルックスは絶対受け入れ難い選手だろうが、そんなファンはUWFに傾倒していたのだろうな。 >>345
スミルノフはカリフォルニア在住の新日本駐在員鯨岡チカに直接コンタクトした
BY 流智美 『超一流になれなかった男たち』 >>346
Aブロックは猪木、坂口、藤波、藤原、バーバリアン、ホール、ブルックス。
Bブロックはマサ、キムケン、ジョージ、前田、上田、ヒギンズ、スミルノフ。
藤波、前田ともに負傷欠場でリーグ戦途中から離脱。
ブルックスは藤波に不戦勝以外全敗だった。
猪木とマサで優勝争いさせるの丸わかりの展開だったね。
シリーズ途中で長州が復帰して新日本自体は盛り上がってたけど、リーグ戦はイマイチだったね。 マードックとブルックスの従兄弟コンビをみてみたかった 世界統一のイベントのはずだったIWGPに
全日をお払い箱になったスミルノフ、ブルックスを出すことに
抵抗を感じなかったのかね?w 全日でのブルックスは単なる小汚いヒールレスラーだが、新日に来たらインサイドワークに長けた実力者と改変されます。 >>343
マードックが新日時代の対決前にあいつの
○○は以外とだぜ。ってウィンクした記事を覚えてる。 当時の新日本はWWFと関係が切れていて
吉原経由で新日本のブッキングをやるようになったジョー・ダイゴーに頼っていた
ダイゴーがブッキングするレスラーは国際臭が漂うレスラーばかり スミルノフは全日時代も良くて二番手的な存在に終わったね…
タイトルマッチにはシングル、タッグと何回か絡んでたけど… 木村とカマタがタッグ組んでいたけど木村・カマタ・ジョーのトリオなんて実現したら
国際マニアが狂喜乱舞だな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています