【PWF会長ロードブレアース】昭和の全日本プロレス71【ドウモアリガトウゴザイマシタ】
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国際プロレスの大位山勝三が米国武者修行でテネシー地区に上がってた時の現地恋人が大位山が帰国した後に娘を出産していた
その娘と笹崎が結婚した
大位山は娘が居る事を知らなくて聞いた時には日本で結婚した後だった
娘が日本人レスラーと結婚したのもマスコミから聞いて大位山は驚いていたらしい 私もうろ覚えで>>224の話を知っていたが、>>222の勘違いは凄まじいな。奥さんを略奪婚w >>223
『笹沢』『笹里』『笹坂』平仮名場合、三回也。 >>215
新倉が病気で日本に戻ってきたから、代わりに笹崎が馳のパートナーになった。 >>222
安生がヒクソン道場破りいったときに
笹崎夫妻が付き添いだったか通訳だったよな >>229
元々Uインターのブッカーやってたよね。Uインターに外国人ブッキングしてた。 本日六月五日、伝説 鶴龍対決、三十年前、武道館也。
天龍 劣勢中、大逆転勝利、武道館 大盛上状態。
此頃、完全決着時代。
天龍人気、鶴田最強説、共々加速。 >>225
略奪婚っていうのは違うが>>222が合ってるよ。
娘と結婚したんじゃなくて、元妻と結婚した。 ジャパン所属でデビューしたものの、直ぐに辞めちゃった山本英俊っていう選手がいたね 健介の同期ぐらいだったのかな…1シリーズでは消えたね >>236
ちがった、ヤマモは雅俊か
山本英俊はパチンコのフィールズの社長だ >>234
健介はジャパンに直接入門したけど、山本は元新日の練習生だった。 長州がマーテルにフォール勝ちした神戸大会の前座で川田がそっと凱旋帰国試合を行ったんだよね… そして来る日も来る日も第一試合第二試合が続くんですよね
三沢タイガーを除いて唯一の同年代のライバル仲野はどんどん上で使われていってたのに >>240
川田は凱旋帰国試合で仲野を破ったんだけどな。しかし海外遠征に行ったのに第1試合に出てるのは酷いな。薗田もそんな事あったけど。 馬場と組んでヒロ斎藤とやったり待遇いいのかと思ってた。 川田はタイガーマスク2号に転身させる話が実現寸前まで行ったんだからエリートの内だよ
もしかしたらだから素顔では目立たせないように前座試合だったのかもしれん
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190531-00861440-sportiva-fight&p=3
「川田も三沢以上に受け身がうまかったですし、飛び技もできたから、『タイガーマスクは川田で』とも考えていたようです。
でも、いろいろな要素をふまえて三沢をタイガーマスクにした。その後も、結果的には実現しなかったんですが、
三沢に続いて川田もタイガーマスクにして、"タイガーマスク兄弟"として売り出すプランもあったんです」 >>241
そもそも、いつ海外に出たのかもわからなかった… 川田は海外修行のときリック・マーテルとトム・ジンクに世話になったらしいが、ミスターヒトが「マーテルとジンクはホモだから川田は掘られた」とか言い回ってたな。
ホラ吹きのヒトだから信じ難いが。
川田は海外修行から帰国したのに、また馬場の付人にさせられたのが気の毒。 ジンクは知ってたけどマーテルもなのか
言われてみればそんな感じだな ヒトの話の信憑性は話半分どころか10分の1ぐらいと馳に言われてる典型的ホラ吹き男 当時の事を川田に聞くと「年功序列で勝てなくてもいいから上の方で使って欲しかった
動けてた時期に毎日前座第一試合では気が滅入ってしまう」 >>248
川田も凱旋帰国後、天龍革命前でも6人タッグとかではテレビに出てたことはあるよね。
ニールキック綺麗に決めたけど倉持か若林は「スピンキック」と実況してた。知らないのか、あえて意地でも新日本で定着した技名を使わないのかわからんが。
後々組むことになる冬木は凱旋帰国でそこそこ見せ場あったよな。三沢タイガーとの絡みとか。
川田の扱いよりはマシだったと思う。 87エキサイトシリーズ開幕戦 後楽園ホール
馬場、タイガーマスク、川田対木村、原、鶴見
凱旋帰国後、天龍革命前はこれだけかな >>252
この日は長州をはじめ、ジャパン軍の大半が出場ボイコットした日だよね?
多少は予期してたとは思うが、カードのコマ不足ゆえ緊急処置の要素もあったんじゃね? >>253
それは次のチャンピオン・カーニバル
この日は長州だけ
あと冬木がプエルトリコだったか?に行った >>254
あ、そうだっけ?
じゃあ、エキサイトシリーズの最終戦の武道館(3月上旬)
この日は長州以外はジャパンは出場してたんだ?
鶴龍vsウォリアーズのインタータッグ戦
フレアーvs輪島のNWA戦
この2試合しか印象がないから、出場選手も全日選手中心でスカスカなのかと思ってた。 >>255
むしろこの日はラッシャーのマイクがネタを入れたウケ狙いの内容に変貌していたのが全国的に知れ渡った日だという印象が強い。
その手の内容はもう去年からやっていたけど生で19時から流れたのは多分始めてだったと思う。残念ながら内容が聞き取りずらかったけど。 85〜86年のラッシャーってどこの会場でもマイクやってたのかな?
なんとなく挑発的なマイクはやってたけど、和むようなのってないような
気がしたから。 >>255
浜口、谷津対ゴディ、クルーズと渕対ヒロ斉藤があったね… >>257
地元に来たノーTVの富山大会でもマイクやってた。馬場にジャイアントコーン食べてやるぞって挑発してた 話がずれるが、1986年の春からハリケーンズあたりまでが全日に上がった頃
一番思ってたのは、新日出身選手の層の厚さ
ジャパン軍やハリケーンズが全日リングの主要カードに名を連ねて
同時期の新日リングは、当時は正規軍プラス山田や、秋には武藤が凱旋、さらにUWF軍が席巻していた
片や全日は鶴田天龍タイガーぐらいが本当の主力で、あとは輪島ぐらいか
両団体のテレビマッチやメインクラスのカード分布図、八割ぐらいは新日出身が占めてたんじゃないの? >>255
長州の欠場理由は風邪と腱鞘炎だったかな
小林邦昭も終盤いなくなってた
SSマシンは暮れの最強タッグからずっと欠場してた
他は最後まで出場した
浜口はこれでかっこよく引退したんだが
まさか数年後復帰するとは 70年代後半から80年代初頭の新日本の合宿所の面子はエグかったな
その後みんなそれなりにプロレス界に大なり小なり足跡残した連中ばかり ガングリオンという病名を長州で知った人間は多いと思う >>261
長州の欠場原因は当時プロレス内で流行語になったガングリオンの悪化。
天龍から「そんなの俺もある」と皮肉られてた。 天龍は体がボコボコだったね
木村浩一郎が「あれは打たれすぎでできた血瘤。ブッチャーの傷よりすげえ。」と
言ってたとか ガングリオンってバンドがあってそこに在籍していたベースの子がかわいかった。 >>261
このシリーズにはマイクジョージも来日してたね…ロートル感が出てしまっていて黒星が多かった… ガングリオンは部活でテニスやる者はけっこうな確率で罹患してた
病気の重さや浅さの段階があるのか知らんが、「その程度で?」と思ったのは多いと思う
自分もなった事があるが、病院で注射針を刺して中にたまった脂肪?を抜いてすぐ治った 長州のガングリオンが報道された少し後に右手甲にガングリオン出来た事があった
おぉ〜、これが長州にも出来たのかっ!って興奮した思い出 当時ガキだった俺にはガングリオンという名称がロボットアニメみたいで
カッコいい!と思ったw ガングリオンは神経に障るとものすごく痛い。
長州のそれが神経に障っていたのかは、本人と医者にしか分からないけど。 >>265
スレとは関係ないけど木村浩一郎も早かったね、残念。 >>265
>「あれは打たれすぎでできた血瘤。ブッチャーの傷よりすげえ。」
そうだったんか、プロが言うならその通りなんだろうな
失礼ながら筋肉増強剤の副作用かも?と思っていた
相手レスラーとの相対的な部分もあるとはいえ、WARの頃に新日に上がった頃は本人談でガチで130キロあったらしいし…
何度も言われてる事だが、40歳半ばで30代の頃より巨大になるなんて凄い事だ。 その頃の天龍はゴツくてカッコよかった…
確かに40過ぎてから肌を焼いて頑丈そうな体型になったね >>268
長州が欠場の時、天龍もガングリオンができてたらしい。明らかに休むほどのことではないよな。
レスラーはガングリオンができても、フォークで刺して潰すとも言ってた。 カンケー無いが、おれは痛風と胃もたれで日々戦ってるぞ。。
夏場になると発作が来るんだよなあ。。でも酒はやめられないし食い物の好みは
若いころと変わんないんだよねー。。 天龍は全日時代は日焼けしないのがポリシーだったと思うけど
考え方が変わったんだね。 >>267
マイク・ジョージは初来日が全日だったけど、しばらく呼ばれないまま1980年から国際のエース外国人に収まったんだよな。
ケレン味ない大型ラフファイターだったから、鶴田や天龍と手が合ったと思うんだが、呼ばれた時にはまだ若かったのに「過去の人」扱いだったのは勿体なかった。
木村が国際時代にやられそうになって、スミルノフに助けられたのがあったな >木村が国際時代にやられそうになって、スミルノフに助けられたのがあったな
それジョージじゃなくてストンパーだろう。
コーナーから木村にストンピングやろうとしてたのを椅子で一撃したやつ
にしても、マイク・ジョージって平凡な名前はどうにかならなかったのか
キャッチ―なリングネーム名乗るだけでだいぶインパクトが違ったはず >>275
天龍の鶴龍コンビ時代は情けない身体だったよ。
あきらかに格下で鶴田にオンブに抱っこ。
長州戦では完全にパワー負け。
鶴田が長州を完封せざるをえなかったわけだ。 >>284
井上尚弥「・・・」
逆にシンプルすぎて記憶に残ってるけどなw 彼もテッドデビアスあたりに似て風貌も
ちょっと地味で国際2度目の時はカーリーヘアに髭面で多少はイメチェンあったけど
突出したインパクトまでは出せなかった。もし全日で活躍の場があればデビアス同様、
ハンセンあたりと強力なコンビが組めそうなレスラーだったと思う。。 >>285
長州戦でパワー負け?
新日信者は特殊な目をお持ちで。 >>284
名前は関係ない。
どんな平凡な名前でも、本人がデカクなれば、
良い名前ってことになる。 マイクジョージ、新日本参戦時国際軍団と結託してたね。
乱入して試合前のタイガー襲ってたな。タイガーにショルダーバスター食らわせて。
タイガー組の対戦相手のミショネロスが所在無げに傍観してて何か気の毒だった。 >>275
大相撲時代は典型的なソップ型だったしな。プロレスに入ってからもゴツくなるまで10年かかってる。
WARの時には木村健吾がパイプイスで胸板をぶっ叩いても、イスの方が壊れるんじゃないかと思うほど
頑丈な分厚い体になってたもんな。
>>285
天龍は色んなところで「長州選手が来る前の自分のプロレスは恥ずかしくて見たくない」と言っている。
ジャパン時代の長州との対戦で「気付い」て、天龍革命で鶴田と対戦し完全に「覚醒」したんだろう。 >>290
恥ずかしくて見たくないって、天龍チョップのことかな?
あれは子供心に、意味無し、恰好悪いと感じた。 >>282
第三回チャンカーだったか
この時はスティーブ・カーンにボブ・オートン・ジュニアも参加の実に鶴田向けのフレッシュな顔ぶれ
ただし興行成績が悪かったためか次の第四回からブッチャー路線になった印象 >>291
あの「相撲ツッパリ」のことか。あれを天龍が最後にやったのはいつかな?
確かにジャパンが来ていた頃にはやらなくなってた。
83年最強タッグの最終戦でハンセン&ブロディにやっていたのは覚えてるけど、
それ以降はあまり記憶にないな。 天龍が蔵前でメインを張った唯一の試合でもあるんだよな
とにかく五年後と並んで天龍の最後のラリアットでのやられっぷりが強烈 あの天龍チョップは後に猪木戦橋本戦小川戦でも見せてた。
胸に当てて痛そうに見えないのと途中でエルボーを喰らって中断するのが欠点だから、出す以上は顔に当てて必ずやりきれば良かったんだよ。それも中堅時代じゃ難しかったのかもだが >>285
ハンセンブロディとやりあってたくせに長州なんかにパワー負けとは情けないよなw >>287
俺も天龍は小さな体の長州相手に苦労してやられ役やってるように見えてた、たまに反撃すると体格差がモロに出てたし >>295
特に失神から目覚めての猪木への怒涛ぶりが良かった ジャンプ放送局のスポーツ新ルールで
「天龍の天龍チョップは意味が無いので使用を禁止する」ってのがあった >>286
>>292
あの時代の初来日ルーキーをジャンボのライバルとして囲い込んでいればよかったのにな。
ほかにも
リッキー・ギブソン
ランディ・タイラー
エド・ウィスコフスキー >>300
> リッキー・ギブソン
鶴田自身がこの人からミサイルキックをパクったと言ってたな。 >>287
いや俺は全日ファンだよ。
俺が言ってるのはジャパン参戦時の初シングルのときの試合なんだが。
体格差は明らかに長州が上だったし、長州自身も源ちゃんはラクだった。と言っている。
後にでかくなった天龍以降は別だと思うがね。 >>302
> 体格差は明らかに長州が上だったし
それは絶対に無いな。
同じくらいに見えることはあっても、長州が上は絶対に無い。 「源ちゃんは楽だった」
ハンセンブロディ、ウォリアーズの天龍評と同じ意味合いだろう。
「どんな技でもキレイに受けてくれる」という。 まあ、イメージというか雰囲気もあるしな
日本で1番ノッテる時期の長州だからね、等身大よりも大きく見えたのは事実
天龍は物理的にもオーラ的にも、1993年あたりのデカさはすごいね
新日では大きいほうの木村健ですら向き合うと厚みが全然違ったし… >>306
そう。後に新日に上がってころの天龍のデカさ圧倒感は別物で別人のようだった。
あくまでジャパン維新軍当時の様子としてなんで。 >>306
天龍だって、人が変わったように覇気があったよ。
大体いくら長州が乗りに乗っていても、
身長差がありすぎるだろ。
それでも明らかに長州の方がデカかったというなら、
眼科か脳神経外科に行くことをオススメする。 >>295
痛める技じゃなくて、相手を押し込める技だろ。
なんでもかんでも痛く見えなくちゃいけないわけじゃない。 天龍 鶴龍時代初期、色白、細身、気弱、印象。
後々、天龍 褐色肌、太肉体、強気、印象。
天龍 肉体的変貌、鶴龍解体後。
腕太、肩盛上、日焼 褐色肌。
天龍 体系的、芯酷似。
全日離脱後、新日登場時、天龍 矢鱈巨大。
天龍 既四十代也。 >>308
いや、オレは長州の方が大きく見えたとは言ってない
ただ巷で言われるほど天龍との体格差は感じなかったという感じ
天龍は昭和と平成の境あたりで体格が変わってきたイメージ
厳密に段階で分けると、1982年と1983年での体格のスケールアップ、その第二段階での体格アップという感じ
まあでも、1983年で既に33歳〜34歳っだったんだから何気に凄いが… スベってる漢字表記だけならまだしも、内容もそれまでのレスの焼き直し…。 天龍は天龍同盟で一気にイメージ変わったよ。
そして親日に上がった時は実際の体格まで変わっていた。
鶴龍時代は不器用でスベり気味の2番手キャラだったのに
(トペとか延髄なんて劣化した物真似でしょっぱい)
革命以降はその不器用さが凄みになった。
あと、VTがブームになったことでプロレス入りする前のキャリアが
より重要視される時代になったのも、親日時代の天龍のイメージアップになったと思う。 >>313
新日に上がって体格が変わったんじゃなくて、
新日レスラーが小さいから、デカく見えたんだよ。
冬木があんな大型だって、誰も思わなかったろ? >>312
矢鱈巨大とかどんな苦し紛れやねんてなw
寒いったらありゃせん >>308
うーん。身長差でなく厚みと横幅、体幹の馬力、スピード感ね。
念を押すが、83、4、5年ごろに限った天龍の印象だから。 >>316
> うーん。身長差でなく厚みと横幅、体幹の馬力、スピード感ね。
長州が上回ってたのはスピード感だけだな。
じゃなきゃハンセン、ブロディ等と渡り合えるわけがない。 >>316
だから、眼科か脳神経外科へどうぞ。
単にお前が長州好きなだけだろ。
長州が来た頃の天龍は、
色はまだ白いが、
十分ゴツいよ。 ブロディが鶴田のスピードに対応するために減量した、という与太はあるが……
そんな感じでハンセンのパワーに対応するために身体をでかくしたんじゃないかな。
やっぱり長州以前から。
鳥獣コンビの矢面にいるくらいの時にはこういうのをヘビー級っていうのね、と思うよ。 >>319
> ブロディが鶴田のスピードに対応するために減量した、という与太はあるが……
スピードじゃなくてスタミナだろ。 ブロディは実際体重どれくらいあったんだろう…あの風貌とブーツで凄いデカく見えるけど意外とスリムなイメージがあった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています