【PWF会長ロードブレアース】昭和の全日本プロレス71【ドウモアリガトウゴザイマシタ】
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その時は大木は50歳だから仕方ないだろうな
それでも日本人には馬場、鶴田くらいしかフォールさせないし
国際に移ってからもR木村とはシングルやらなかった シンが全日に登場した時に、大木が対戦相手に名乗りを上げたが、シンに
「大木なんか格下、試合なんかできるか」って言われてカード変更されていたよな。 馬場が大木の頭をつかんでコーナーポストに叩きつけるも大木は振り返り、
「効かねえんだよ!」ってどや顔で馬場をにらみ返すしぐさが好きだったw
あと不意を突いての急所撃ちとか、どうにもならんオッサンやなアという印象だった。
馬場が頭突き対策で?長髪にしてた頃・・。 >>169
75年のWリーグ戦はストロングさんにフォール負けしているけど、約半年後には馬場と蔵前
で一騎打ちしていた大木。一方姐さんはエース級外人の噛ませ役に成り下がっていたな。 1対3マッチの寺西のイメージ
・引退した小鉄レフェリーにガンガンタックル決められる
・2回行った1対3マッチで一人だけ勝ちをもらえなかった
・今時コブラツイストでギブアップ >>155
大木と寺西を同列で語る、お前の心理の方が理解できんよ。 >>166
メイン外されることも屈辱やろが。
ましてや負けブックなんか飲めるかよ。 >>170
遠征先で仕事にありつけるかどうかもわからんしなあ。 >>179
でもそれでも大木は他に行く場所もなく、全日のリングに上がり続けていただろ? >>18
> 新日本の立会人は日本プロレスリングコミッション二階堂、全日本の立会人はPWF会長ロード・ブレアーズ。
> 子供のころブPWF会長は大物政治家と同じくらい偉いと思い込んでいたw
■1964.03.18 米国・ハワイ州ホノルル市・シビックオーデトリアム
タッグマッチ 30分1本勝負
カンジ・イノキ&ロード・ブレアース vs カーチス・イヤウケア&トシ東郷
◎ 時間切れ引き分け
なんと、猪木とロード・ブレアースのタッグ。
1964年のアントニオ猪木の戦績
https://kissatalk.web.fc2.com/inoki_senseki_1964.html >>182
ストロンゲストマン優勝でも
喧嘩だとこうなるのか。
MMA も着衣だと怪しいよね。 >>181
「韓国プロレス界の帝王」でいるためには
定期的に日本に来て同胞の英雄力道山の築いた“準本場”日本のマット界とのコネをキープ
(実際のコネキープとそういうコネがある俺エライ!強い!というのを
韓国プロレス関係者にアピールしてみせるという両方の意味で)
あとは日本に遠征してきたガイジンレスラーに帰国前のついでで
韓国国内での自分の興行に誘う必要もあった
(ブッキングのコネに加え足代や宿泊代の節約、日本人中堅若手の調達も)
日プロ崩壊後一旦韓国に帰って向こうで興行手掛けていた大木にすると
実は定期的に日本マットに登場してそれなりの扱い受けることさえできれば
(その“それなり”がけっこうイイ扱い求めそうだけど)
新日でも全日でもなんだったら国際でも案外よかったのかも
猪木馬場、あるいは坂口小林木村との「日本選手権」云々は方便で 馬場は大木よりインターのベルトのが価値を感じてた可能性も インターって元々タイトルですらなかったものを、力道山と
馬場の「マスコミ統制力」だけで、日本一権威あるタイトルと
ファンに刷り込んできた歴史の象徴だからな
猪木が「インターナショナルレスリンググランプリ」に勝ったら
いわば「インターナショナルグランドチャンピオン」になるわけで
新日がIWGP実行委員会を発足した1981年4月1日の12日後
4月13日にインターが大木から全日に移管されることを発表し、
猪木がIWGPのためにベルトを返上した一週間後の4月30日に
インター王座決定トーナメント決勝戦をやってる 大木の日本最後の対戦相手はマスクドXで市原大会かな… >>188
>インターって元々タイトルですらなかったものを、力道山と
馬場の「マスコミ統制力」だけで、日本一権威あるタイトルと
ファンに刷り込んできた歴史の象徴だからな
それまで日本一権威あるタイトルは何なの?
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数分で出来ますので是非ご利用下さい >>152
寺西の絶頂はその83年のサマーファイトシリーズの印象
ジュニアと軍団の双方を股に掛けて毎週テレビに登場
旭川のタッグマッチでは星野からフォールも奪ってるし >>190
力道山時代のインターは日本に持って来れないNWAやWWAの代替物
最高権威として確立したのはむしろ世界王者の挑戦も受けた馬場時代 >>194
寺西は皆が思うほど負けて無いんだよなぁ。
ジャパンが正式に消滅するあたりまでは
新日時代から含めてピンフォール負け
するのは1シリーズ1、2回くらい。
むしろ国際時代の方が簡単に負けている。
新日時代、浜口が国際軍脱退してしばらく木村・寺西組でやっていたけど、そんなに負けていない。長州・浜口組相手にも負けていない。 >>196
>新日時代、浜口が国際軍脱退してしばらく木村・寺西組でやっていたけど
そういえば木村がUWFに移籍した時、寺西の立場はどうなったの?
木村移籍後から半年後、ジャパン入りで維新軍として記者会見してたけど
その半年近くの間、寺西のカードはどんな感じだったんだろうか
維新軍に入る何らかのアピールというか、明確な軍団入りの告知とか表現はあったの? 連属レスすまん、書いた後に少し思い出したけど
UWF旗上げの時期、蔵前で新日が正規軍VS維新軍の5vs5をやったよね
その時には既に寺西は次鋒として維新軍で戦ってたな
じゃあ1984年の春ぐらいに何かしらの維新軍入りのリアクションの表現はあったの? 83年10月のシリーズから、小林と寺西は維新軍入り。テレビ的アクションは無し。ラッシャーは負傷欠場。 >>195
最高権威というか挑戦者群を見るとそう言っても過言じゃないよ、まったく。
ただ防衛戦もシリーズ終盤に二回という楽なスケジュールだし、
また決勝は反則決着が多いから、NWA王者が挑戦していいとは思いにくいね。
馬場の頃が最高時代というのはもちろんだが、最低時代はやっぱ大木か。 >>200
ああ、そうなんだ
そうか、小林も最初から長州軍ではなかったのか
何となく佐山タイガーと抗争した時から、マサ長州と組んでるイメージをもってた
かませ犬発言の長州と、タイガーと抗争開始した時期は同じくらいだったけど
長州と小林は一年近くも他の派閥だったわけだよね?
じゃあそれまでの小林は本体だったのかな、それでタイガーだけと因縁があるという…
小林と寺西と谷津が維新軍キャリアが皆がほとんど変わらない、というのが今さらながら驚いたw
全日スレに書くにはネタが広がりすぎなのは心苦しいけど… >>202
小林って帰国してからは誰とも付くという感じでなく
タイガーとやるとき以外は
前座でクロネコだったりタイガーの対戦相手
とやったりしてたような印象しかない。
あと思ったよりタイガーとはぶつかってないんだよね。
1シリーズで数えるくらいしかない。
そのぶつかった時がテレビマッチでインパクトがあったから
未だに語られているけれど。 小林は佐山タイガーがいなかったら新倉クラスのフェードアウト組になってたんだろうな >>204はここと昭和の新日スレを股にかけて小林邦昭を必死でディスる頭のおかしいやつ 新倉って海外遠征する旨をリング上で紹介する模様が確か中継内で放送されましたよね? 81年ジャイアントシリーズに来日したドンデヌーチはテレビに出ることなく帰っていったね…見たかったな… 小林場合、元々革命軍一員。
其後、軽量級枠。
革命軍 自然離脱形態。
小林 寺西、結託 打倒佐山虎、目的一緒。
小林 国際軍団組込、自然流。
小林場合、国際無関係、不自然。
只、国際軍団 浜口離脱後、二人、弱体化状態。
小林 組込、一応三人確保状態。
木村 猪木戦敗北後、国際軍団解体。
小林 寺西、維新軍、組込。
木村 復帰後、一匹狼状態、髭面変貌。
亜連等、外人結託。 >>206
新倉には失礼だが、どんなレスラーなのか記憶が乏しいな
乏しい、というか新日時代は知らないし
全日でもテレビマッチのタッグマッチ、タイガーにフォールされた試合ぐらい
ジャーマンをタイガーにかけて、返されて逆にタイガーがジャーマンでフォールだったかな?
ルックスや体型なんかも含めて、いかにも新日系だなーという印象が残ってるくらい。 >>209
新倉は1つ1つの技に説得力があって
前座では印象に残る選手だったよ
海外遠征中にジャパンが新日に戻って運が悪かったけど
全日に戻ってればそれなりのポジションがあったんじゃないかと思う 新倉は基本新日原理主義者だから全日にリターンしても仲野と一緒にSWSへ行ったと思う。
保永やヒロみたいな柔らかい奴じゃないと全日風じゃないような。
新日が全日に違約金払うのが筋だった思うがサイレント首切りにあったのは不幸だと思うが、
いくら本人が良いと言ってもデビューすら危ぶまれた中年のおっさんボコって最後はブック道理負ける
なんて事するんだからプロレスでの成功はそもそも無理。とっとと辞めて正解だったんじゃないかな。
しかし新倉の首の切られ方ってアクシデント込みとはいえ斬新という変わった方法だったと思う。 新倉が行き場が無くなった経緯って
馳と一緒にカルガリー修行中にジャパン分裂、
→
その時病気をしていたので態度を明確に出来ず。
→
回復して新日入りを希望したらキャパオーバーで門前払い
→
やむなく全日復帰を馬場に要請するも相手にされず。
というのじゃなかったかな? 全日本プロレス所属レスラーが現役中に事故死したのはハル薗田以来? 笹崎って新倉みたいに海外修行中に宙ぶらりんになってやめたんだっけ? それとも新日本にUターンしてからやめたんだっけ?
いつの間にか引退してUインターのブッカーやってたよな。安生のグレイシー道場破りの手引きしてたよな。 >>215
新日に復帰してから
海外に行ってそのまま退団だったはず >>215
新日に戻って、結構テレビマッチにも出てたけどね。あっさり切られたよなあ。 新人・若手って数が少ない世代の方がライバル少なくデビューはしやすそうだけど
(実年齢より入門時期やキャリア的にという意味で)
デビュー後、売り出されるときって三羽烏とか前田平田ジョージ斎藤とかヤングライオンとか
ある程度同世代同士でグループ押しできるくらいの人数いないと
結局中途半端な形で海外とかに出されて帰ってきてもポジション無しみたいになりがちだよね >>217
6人タッグのセコンド着いているときにベイダーがライガーをリフトアップで場外に放り投げ、笹崎しかフォローする人がおらずライガーの全体重を浴びてのたうち回ってる姿がテレビで流れてた…あれが引退の決め手かと… >>216
>>217
サンキュー。
新日本戻ってからか。
橋本と同時期にカルガリー行ってたんだっけ?
記憶が曖昧。健介と北原が同じ時期行ってのはしっかりおぼえてるんだけど。 確か笹崎は表向きは膝が悪いって理由で辞めたよな
佐野が辞める少し前位だったかな
海外から帰ってきてアマレスの吊りパンがコスチュームだったよな 新日を辞めた後に渡米してWWFのトライアウト受けてるのが
週プロに載ったりしたけどフェードアウトしたな
確か大井山の奥さんを略奪婚してその後Uインターのブッカーになった
ベイダーのUインター移籍を仕掛けたのも笹崎 >>222
国際プロレスの大位山勝三が米国武者修行でテネシー地区に上がってた時の現地恋人が大位山が帰国した後に娘を出産していた
その娘と笹崎が結婚した
大位山は娘が居る事を知らなくて聞いた時には日本で結婚した後だった
娘が日本人レスラーと結婚したのもマスコミから聞いて大位山は驚いていたらしい 私もうろ覚えで>>224の話を知っていたが、>>222の勘違いは凄まじいな。奥さんを略奪婚w >>223
『笹沢』『笹里』『笹坂』平仮名場合、三回也。 >>215
新倉が病気で日本に戻ってきたから、代わりに笹崎が馳のパートナーになった。 >>222
安生がヒクソン道場破りいったときに
笹崎夫妻が付き添いだったか通訳だったよな >>229
元々Uインターのブッカーやってたよね。Uインターに外国人ブッキングしてた。 本日六月五日、伝説 鶴龍対決、三十年前、武道館也。
天龍 劣勢中、大逆転勝利、武道館 大盛上状態。
此頃、完全決着時代。
天龍人気、鶴田最強説、共々加速。 >>225
略奪婚っていうのは違うが>>222が合ってるよ。
娘と結婚したんじゃなくて、元妻と結婚した。 ジャパン所属でデビューしたものの、直ぐに辞めちゃった山本英俊っていう選手がいたね 健介の同期ぐらいだったのかな…1シリーズでは消えたね >>236
ちがった、ヤマモは雅俊か
山本英俊はパチンコのフィールズの社長だ >>234
健介はジャパンに直接入門したけど、山本は元新日の練習生だった。 長州がマーテルにフォール勝ちした神戸大会の前座で川田がそっと凱旋帰国試合を行ったんだよね… そして来る日も来る日も第一試合第二試合が続くんですよね
三沢タイガーを除いて唯一の同年代のライバル仲野はどんどん上で使われていってたのに >>240
川田は凱旋帰国試合で仲野を破ったんだけどな。しかし海外遠征に行ったのに第1試合に出てるのは酷いな。薗田もそんな事あったけど。 馬場と組んでヒロ斎藤とやったり待遇いいのかと思ってた。 川田はタイガーマスク2号に転身させる話が実現寸前まで行ったんだからエリートの内だよ
もしかしたらだから素顔では目立たせないように前座試合だったのかもしれん
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190531-00861440-sportiva-fight&p=3
「川田も三沢以上に受け身がうまかったですし、飛び技もできたから、『タイガーマスクは川田で』とも考えていたようです。
でも、いろいろな要素をふまえて三沢をタイガーマスクにした。その後も、結果的には実現しなかったんですが、
三沢に続いて川田もタイガーマスクにして、"タイガーマスク兄弟"として売り出すプランもあったんです」 >>241
そもそも、いつ海外に出たのかもわからなかった… 川田は海外修行のときリック・マーテルとトム・ジンクに世話になったらしいが、ミスターヒトが「マーテルとジンクはホモだから川田は掘られた」とか言い回ってたな。
ホラ吹きのヒトだから信じ難いが。
川田は海外修行から帰国したのに、また馬場の付人にさせられたのが気の毒。 ジンクは知ってたけどマーテルもなのか
言われてみればそんな感じだな ヒトの話の信憑性は話半分どころか10分の1ぐらいと馳に言われてる典型的ホラ吹き男 当時の事を川田に聞くと「年功序列で勝てなくてもいいから上の方で使って欲しかった
動けてた時期に毎日前座第一試合では気が滅入ってしまう」 >>248
川田も凱旋帰国後、天龍革命前でも6人タッグとかではテレビに出てたことはあるよね。
ニールキック綺麗に決めたけど倉持か若林は「スピンキック」と実況してた。知らないのか、あえて意地でも新日本で定着した技名を使わないのかわからんが。
後々組むことになる冬木は凱旋帰国でそこそこ見せ場あったよな。三沢タイガーとの絡みとか。
川田の扱いよりはマシだったと思う。 87エキサイトシリーズ開幕戦 後楽園ホール
馬場、タイガーマスク、川田対木村、原、鶴見
凱旋帰国後、天龍革命前はこれだけかな >>252
この日は長州をはじめ、ジャパン軍の大半が出場ボイコットした日だよね?
多少は予期してたとは思うが、カードのコマ不足ゆえ緊急処置の要素もあったんじゃね? >>253
それは次のチャンピオン・カーニバル
この日は長州だけ
あと冬木がプエルトリコだったか?に行った >>254
あ、そうだっけ?
じゃあ、エキサイトシリーズの最終戦の武道館(3月上旬)
この日は長州以外はジャパンは出場してたんだ?
鶴龍vsウォリアーズのインタータッグ戦
フレアーvs輪島のNWA戦
この2試合しか印象がないから、出場選手も全日選手中心でスカスカなのかと思ってた。 >>255
むしろこの日はラッシャーのマイクがネタを入れたウケ狙いの内容に変貌していたのが全国的に知れ渡った日だという印象が強い。
その手の内容はもう去年からやっていたけど生で19時から流れたのは多分始めてだったと思う。残念ながら内容が聞き取りずらかったけど。 85〜86年のラッシャーってどこの会場でもマイクやってたのかな?
なんとなく挑発的なマイクはやってたけど、和むようなのってないような
気がしたから。 >>255
浜口、谷津対ゴディ、クルーズと渕対ヒロ斉藤があったね… >>257
地元に来たノーTVの富山大会でもマイクやってた。馬場にジャイアントコーン食べてやるぞって挑発してた 話がずれるが、1986年の春からハリケーンズあたりまでが全日に上がった頃
一番思ってたのは、新日出身選手の層の厚さ
ジャパン軍やハリケーンズが全日リングの主要カードに名を連ねて
同時期の新日リングは、当時は正規軍プラス山田や、秋には武藤が凱旋、さらにUWF軍が席巻していた
片や全日は鶴田天龍タイガーぐらいが本当の主力で、あとは輪島ぐらいか
両団体のテレビマッチやメインクラスのカード分布図、八割ぐらいは新日出身が占めてたんじゃないの? >>255
長州の欠場理由は風邪と腱鞘炎だったかな
小林邦昭も終盤いなくなってた
SSマシンは暮れの最強タッグからずっと欠場してた
他は最後まで出場した
浜口はこれでかっこよく引退したんだが
まさか数年後復帰するとは 70年代後半から80年代初頭の新日本の合宿所の面子はエグかったな
その後みんなそれなりにプロレス界に大なり小なり足跡残した連中ばかり ガングリオンという病名を長州で知った人間は多いと思う >>261
長州の欠場原因は当時プロレス内で流行語になったガングリオンの悪化。
天龍から「そんなの俺もある」と皮肉られてた。 天龍は体がボコボコだったね
木村浩一郎が「あれは打たれすぎでできた血瘤。ブッチャーの傷よりすげえ。」と
言ってたとか ガングリオンってバンドがあってそこに在籍していたベースの子がかわいかった。 >>261
このシリーズにはマイクジョージも来日してたね…ロートル感が出てしまっていて黒星が多かった… ガングリオンは部活でテニスやる者はけっこうな確率で罹患してた
病気の重さや浅さの段階があるのか知らんが、「その程度で?」と思ったのは多いと思う
自分もなった事があるが、病院で注射針を刺して中にたまった脂肪?を抜いてすぐ治った 長州のガングリオンが報道された少し後に右手甲にガングリオン出来た事があった
おぉ〜、これが長州にも出来たのかっ!って興奮した思い出 当時ガキだった俺にはガングリオンという名称がロボットアニメみたいで
カッコいい!と思ったw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています