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91年も
ハンセン&スパイビー(20点)vs鶴田&田上(18点)がセミ
三沢&川田(19点)vsゴディ&ウイリアムス(19点)がメイン
ハンセン組勝ったらメイン消化試合
三沢組をメインに出さないわけにはいかないし
馬場&アンドレ(18点/最終戦でvsブッチャー組)も含めて5チームに
優勝可能性ありの大混戦を演出したかったんだろうが
もしハンセン組vsゴディ組が引き分けだったら
ハンセン&スパイビー(19点)vs鶴田&田上(18点)
三沢&川田(19点)vsゴディ&ウイリアムス(20点)
両リンはあり得ないわけだから鶴田組、馬場組は実質脱落になるが
こっちの方が良かったのでは… オープン選手権は馬場の優勝が決まったあとに
デストvsブッチャーの公式戦が行われたね
あれは完全な消化試合
国際でももう決勝トーナメント始まってるのに
予選リーグ公式戦やったりした
1番ひどいのは力道山時代のWリーグ
力道山は前回優勝で決勝決まってるから
他の日本人は何のために公式戦やってるのか意味不明 最終戦最後の試合の1点負けてるチームが勝って、
優勝ってパターンを永遠やってたな
日程見て誰が優勝するかすぐわかった 大相撲みたいに千秋楽を待たずに優勝決定。
最終武道館(国技館)は消化試合・・・・・
これをやれてたら「全日はガチ」が定説になったのになw >>425
ちょっと話がずれるけど
鶴田と30分引き分けの時、82年春の頃の天龍って細いよね…
83年あたりから随分と体に変化が出てきて、ある意味では急に大きくなったイメージ
30歳を過ぎてから肉体的に大きくするのって大変そうだよね >>421
いや、毎年恒例の春の祭典で
別に馬場本人が公言もしてなければ
周囲からこれが最後の大会的に公然のように言われてたわけでもないのに
それを社会の常識って言われてもなぁ
CCはあくまで全日本という団体の春の祭典でトップ選手たちが
シングルのリーグ戦で覇を競う大会(シリーズ)という位置づけで
当然馬場やドリーが優勝争いの主線から一歩退いた後は
鶴田や天龍らがハンセンやブロディあるいはデビアスやゴディあたりと競い合い
馬場やドリーブッチャーらはそれでもダークホースの大物ベテランとして
リーグ戦を盛り上げていく存在になっていくんだろうなと思っていたのが当時のファンの大多数だったろ >>452
91年はどのチームが勝ってもおかしくないし大混戦だったからいいが、
92年は田上・秋山組は完全な格落ち。なんの感動もありゃしない。
三沢組をセミにしていればターザンに失敗だったと言われることはなかった。
あとこれは賛否両論だろうが、馬場小橋組を解体。田上小橋、馬場秋山に変更だったら
盛り上がったかも。ダメかね? 八十一年 天龍 凱旋当時、色白細身。
否力強、否闘志。
併、後々、天龍 体大、腕太 胸板厚 変貌。
天龍体型、芯体型、酷似。
又、天龍 肌赤道色、変貌。 459
そのターザンのバカは観客ら相手に調査でもしまくったわけか? 馬場の命令で調査してこい(°▽°)
それしかできないやつだぞ みんなから情報が集まったら全日本贔屓の記事を書く
それしかやつに生き残る道はない 機嫌そこねたら廃刊ニダ(°▽°)
東京湾にプカプカニダ(°▽°)
そんくらい昔は力があったニダ(°▽°)
全日本の影響力 リーグ戦での一点差が最終戦で二転三転はそりゃあ盛り上がるだろ。
ただそれは作為がないならの話。
いつもやられると、見え見えになるのもまた当然。
だからオープンタッグで馬場組が大木組に勝ったところで
ファンクスとブッチャー組は両リンで馬場組優勝が確定したと思った。
(ちなみに情報遮断でテレビを見ていた) ブッチャー&カマタ組がトップで最終戦蔵前を迎えた時、
マッチメイカーがファンに思ってほしかったこと。
「ブッチャーがいよいよ最強タッグ初優勝か!」
実際にファンが思ったこと。
「ブッチャーはシークに足引っ張られて終わるんだな。」 >>459
ハンセン&エースvsSDDのき公式戦で時間切れに終わってブーイングが飛んでたね。メインの結果が分かりきってたから。
これでこの時の勝者と三沢組の優勝決定戦にさせればもっと盛り上がったのに。
三沢は嫌がるけど。 >>457
大多数のファンがどう思ってるか、
なんか、この話に関係あるか? 86年の最強タッグ最終戦
セミで鶴田天龍(11点)vsハンセンデビアス(11点)
メインが長州谷津(10点)vsファンクス(10点)
セミは両リンで両チーム無得点試合
メインは10月のシングルで長州がテリーにギブ勝ちしてる流れもあり
今回も長州組が勝って最強タッグ初優勝の流れだと思ってた。
実際に鶴田組とハンセン組は予定調和のように両リン無得点試合。
そしてメインは長州組のフォール勝ちで定番通りメインに出場した
チームが優勝と思ったら、まさかの裏切りストーリーがあったんだよねwww 八十年世界最強二人組決定総当戦
佛茶 蒲田組、最得点 優勝目前、脱落。
飼育、佛茶組優勝阻止、目的達成。
不安久酢、優勝逃。
仁久 呂瓶尊、参加也。 >>470
あの最終戦、星勘定が上の方がセミに来たのは
点数云々よりも再試合、決定戦ありきで考えてたんだろうね
鶴田組とハンセン組をメインにもって来ると再試合が連戦になってしまう
体力的のきつさ、というより長州組とファンクスの試合の後にもう一度見れるという方式はインパクトあるし
でもあのメインは、両リンという裁定で終わった時に大歓声だったね
あの微妙なリングインで長州がリングアウト勝ちだったら初優勝だったんだけどね
でも会場に見に来たファンは微妙な初優勝よりも、もう一試合見たいという気持の方が大きいのかな?
あの日は観戦して会場にいたけど、思ってるより長州って人気ないなと思った。 世界最強二人組決定総当戦、場合、最終戦 公式戦、事実上 優勝戦。
昭和場合、予想簡単。
最終戦 公式戦目因試合、優勝戦。 >>470
>>472
試合後の鶴龍の談話で二人とも「長州谷津が優勝すると思った」とコメントしてるのが謎
特に天龍が超不機嫌で優勝したのに「みんながバタバタしてて最低の試合だった」と怒ってて、俺は水面下でぐちゃぐちゃした駆け引きや揉め事があったと想像してる >>474
自分達が無得点試合をやらかした時点で
上り調子の長州谷津組とロートルのファンク(しかも10月に長州がテリーに完勝した)とでは
当然の如く長州組が2点を取って鶴龍 ハンセン組を抜いてトップになり優勝すると思っても不思議では無い 88年の最強タッグ最終戦
セミ→鶴田谷津vsブッチャーシン
メイン→天龍川田vsハンセン ゴディ
セミが両リンで両チーム無得点試合をやらかし
メインに出たどちらかが優勝すると思ってたが
鶴田組が間一髪のリングアウト勝ちで2点獲得
この時点でメインは鶴田組から-1点差のハンセン組は勝てば優勝
鶴田組から-2点差の天龍組は勝っても鶴田組と同点決勝という展開になったから
天龍組の優勝は無くなったと思った。
例えハンセン組に勝ったとしても連戦で1試合分休憩できた鶴田組に
勝てる確率はほぼゼロだったからね。 >>474
御前 単純、天龍 芝居也。
鶴田 天龍 発言『長州組、優勝予想』意図的発言。
台本通、報道陣前。 >>475
御前 予想正解。
当時、長州 谷津組優勝予想、大半。
併、馬場 否認、長州組優勝。
長州勢 否身内、外様扱。
反戦 身内、馬場 思案。 >>476
天龍 川田組 優勝可能性 確率、皆無予想、当然也。
得点上、天龍組、反戦組破場合、後、鶴田組 対戦。
当時、川田 若手非力立場。
相棒、原場合、状況違。
天龍 原組 場合、優勝可能性大。 >>474-475
あのへんのコメントは何か覚えてる
日本人抗争の時代に突入し、確かにファンクスは扱いが化石状態とはいえ
カード的にはいちおうトップ戦線だし、さらに鶴龍にとっては師匠でもある
それでも「長州谷津が優勝する」とはずいぶんと冷たいなとは思った
ガチでファンクスの扱いには鶴龍も思うところがあったのかな?
ちょうどハンセンやブロディが同じ事を思っていたように…
でもロートル扱いとはいえ、今の時代からみればファンクスはまだまだ若いよね
テリーが当時では42歳、ドリーは45歳
テリーはちょうど今の棚橋ぐらいで、ドリーは長州が安生を撃破した年齢が45歳ぐらいだよね…
まだまだ強さという意味でも説得力をもてる年齢でもある 漢字バカが必死でかまってもらおうとレスつけまくってのが笑う >>476
88最強は露骨だった。発表カードのメインは龍原vsハンセンゴディ。今年は五輪はお休みなんだと思った(笑)
予定通り龍原だったら、札幌は五輪は時間切れ、最終戦は両リンで足を引っ張られる展開だったことだろう。 >>481
テリーが長州のサソリ固めでギブ負けしたという事実が
ファンクス神話を完全崩壊させたんだよ。
首固め等で微妙なスリーカウント負けや
ラリアットでフォール負けしたけどカウント2でロープに
足が掛かってたのにレフリーが気付かずに3カウント入れて
しまった負け方だったら、そこまでロートル扱いはされなかった筈 >>475
そうなんだけど、そもそも優勝戦で得点上位同士の試合を先にやるのはダメでしょう。
パンフで刷ったとか発表済みだからとか言うけど、じゃビリ同士を最終戦でやるんかい!っていう話し。 >>483
五輪コンビの相手がブロディ カーネルソンテビアース組だったしなwww
当然事前発表ではセミで組まれるよね。
もし予定通りデビアースが参加してたらブロディ組は最終戦を待たずに
優勝戦離脱かな?
それともブロディ組が五輪組に勝利、メインの結果いかんでは
優勝決定戦に進めるという僅かな希望を残させて最終戦を迎えさすのかな? >>484
あの頃の長州はマーテルも撃破して期待大だったからね。(まだ鶴田もフォールしてない)
しかし85,86と武道館の公式戦全部引き分けなんだよな〜
もっと上手いストーリー組めないかね >>486
それは87年です。。。
カーネルデビアース一度は来日してほしかった。 92年妄想。
セミ○ハンセンエースvsゴディ●ウイリアムス
メイン○三沢川田vs田上●秋山
決定戦○三沢川田vsハンセン●エース
これなら100%盛り上がった。。 >>484
しかも週プロがさらばテリーファンクなんて表紙に書きやがって >>484
手利井 蠍固降参、衝撃、手利井 化石化拍車。
土利井 乱入、手利井 寸前、降参。
長州時代、手利井化石化、対称的。
手利井 反則敗拒否、降参敗選択。
土利井 乱入前、試合終了。
次、谷津乱入。
不安久酢二人、長州 谷津 乱戦。
不安久酢二人、劣性状態 時代流。
長州 谷津、不安久酢二人、蹴散。
不安久酢 哀愁、時代完全終焉、印象。
全日、長州必要、不安久酢不必要。 此奴、昔 武道館大会観戦時、生卵投、頻繁。
↓↓
[***]P お前名無しだろ (ワッチョイ e2b7-86aj)[] 2019/**/**(*) **:**:**.** ID:*********
かなり昔だけど
全日武道館大会ではよく生卵投げたな。
セミやメインになると照明が暗くなって会場が大歓声になるじゃんか。
入場テーマが鳴るとお祭り騒ぎ。
そういうときに生卵をよく投げたもんだよ。
何度も投げたね。
持参した生卵が袋の中で割れたアクシデントもあったりしてね(苦笑)
そのうち武道館は生卵投げに行ってるようになってさ(笑)
そしたら何と雑誌の片隅にそれが掲載されたんだよね。
「悪質ファンの生卵投げ事件」みたいに。
利口な俺様はさすがにマズイと思って止めた。
バカな奴は続けるんだよ。
俺はそんなバカじゃないし。
ま、いい思い出だからさ。
↑↑
此奴、姑息、卑劣卑怯 犯罪者。 >>490
まあ、その時のテリーのコンディションや劣化度よりも
たった1年で復帰したイメージ負荷を引きずってるのも大きかったからなあ
それに復帰時期も悪かった、よりによってジャパンが参戦する同時期にだからね
馬場の要請なのか、テリーの希望なのか、はたまた引退の時点から既定路線だったのか
いずれにしても見定めが甘かったとしか…結果論でしかないけど。 プロレスは引退してすぐ復活すると言われるが、勝ち負けの格は2段階は落ちるよね。戻すのもかなり時間をかかる >>493
手利井 復帰案、手利井自身。
手利井 自身復帰懇願、要請。
馬場 手利井復帰懇願、受諾。 テリーの復帰は今更感があったね。
ある日の放送で、ハンセンvsテリー、長州vsシンってあって
馬場鶴田天龍が登場無しじゃダメじゃん!って突っ込んでた >>496
>ハンセンvsテリー、長州vsシン
その試合は1985年の夏休み時期の後楽園ホールだね
でも、その日は当日券買えない位だったんだよ
中学生の券だから、基本は指定席じゃないし、ある程度は大目に見て入場させてくれるんだけど
入場券売り場で並ぶ手間も無く早々と売り切れの文字、友達と同じ構内のゲーセンで遊んで帰ったよw
まあ、鶴龍がセミ以下でもカード的には大会場レベルに見えたんじゃない?
だってすぐ後に両国でも開催される時期だったはず、それでも売り切れたんだからね。
何年か前の後楽園で「馬場vs上田 鶴田vsシン」 ってあったけど、同等レベルの豪華さだったとは思うな。 >>494
テリーも復帰後の84年以降はオープンタッグの時から
6年継続してたタッグリーグ最終戦のメインを外されたしね。
因みに馬場もオープンタッグから継続してた最終戦の
メインかセミ登場を84年は外され公式戦すら組まれなかったんだっけ
翌85年は最終戦のセミで公式戦が組まれたけどね。 ドリーは、オープンタッグのころまでは
新聞や雑誌の表記は、「ジュニア」だったな
翌年ぐらいから徐々に、「ドリー」になっていった あの当時はレスラーをファーストネームで呼ぶことってほとんどなかったと思う。
ファンクスはラストネームでは呼ばずにそれぞれをフルネームで呼んでいた記憶がある。
友達同士でね。 日プロ時代のマニアは
ドリーのことを、
「ダンク」と呼んでいたよ。 >>484
会場で観戦してたけど
ドリーの乱入でテリーの反則負けと思ったけどね >>497
馬場 対 上田
鶴田 対 芯
八十三年三月 後楽園会場
馬場 対 上田
馬場 腕折攻撃、上田 肩脱臼。
上田制裁説 浮上。
原因不明、制裁説演出?
鶴田 対 芯
芯 前半、本領発揮、寝技等、鶴田完封。
後半、通常 乱闘、凶器攻撃、反則乱発。
芯 実力者評価、力 技 有。 >>503
試合結果
○長州(蠍固)手利井●
土利井 乱入直前、手利井 降参意思表示。
手利井 反則負、拒否。
結果的、試合終了後、土利井乱入、長州攻撃。
直後 谷津乱入、土利井攻撃。
土利井 場外投捨。
不安久酢 惨、気毒。 >>476
それでも88年の時はリングアウトとはいえ、五輪コンビが最凶悪コンビから反則以外で勝利したことで、場内はかなり盛り上がってた記憶がある。
翌89年は開幕戦で当たったが、鶴田がシンをバックドロップで仕留め、ピンフォール勝ちしたにも関わらず、場内はさほど盛り上がらず。
全日マットがこの間に大きく変わったんだが、最強タッグまで完全決着となるとつまらないなと思った。 >>503
ドリーが手出したのに、なんでそういう結末にしなかったんだろうな
もしかして長州と服部が仕掛けたとか >>508
元々のカードは「フレアーvs長州」だったはずだし
それ目当てで前売りを買った人に対して、代替カードが不完全決着はあまりに不誠意じゃない?
メインでなければまだしも、15周年記念の大トリだからね
しかし、書いてて思ったが…そんな記念興行のメインをよく馬場は外様の長州に任せたな
それも功労者のテリーの首を差し出して…前半の文と矛盾した内容だけどさ。 >>497
確か8月だったよね、見に行った。
テリー対ハンセンは、デビアスが裏切る→スーツ姿のドリーが救出ってのを覚えてるけど、何故か馬場上田と鶴田シンは全く記憶に無い。
あとは、南側の客席で阿修羅がウォーって叫んだのと、前座の百田対ターザン後藤で、百田が「痛たた、痛い痛い!テメ〜この野郎」を連発してたのしか覚えて無いw 510だけど、読み間違えた。
馬場上田、鶴田シンじゃ無くて、長州シンね。
それでも全く覚えて無いw >>507
ドリーファンク・ジュニアが
「ダンク」と呼ばれていたという
確かなソース、ネット上にないかな?
と検索したら↓にあった。
http://www.showapuroresu.com/collection/japanhtm/7008.htm 全日中継の次週予告では
D・ファンクJrになってる時もあったな >>512
ドリー初来日の時のゴング誌を持ってるけど
ファンク親子へのインタビューの中で
シニアはジュニアの事を「ダンク」と呼んでる しかし、「ダンク」(DUNK?)って、
ドリーファンク(Dory Funk)を
略した愛称じゃないの?
いわば、松本健一を「まつけん」というような。
他人が、ドリーファンク・Jrをダンクと呼ぶのは分かるが
ドリーファンク・Sr が ドリーファンク・Jrを「ダンク」
って呼ぶのはおかしくないのかな?
まぁ良いけれど。 >>509
否定されたのに肯定された508の心中やいかに >>508
本当は反則決着だったけど、服部がギブアップを独断で取ったという話はよく言われてるね。
テリーはその時点ではギブアップ裁定された事に気がついて無いのかも。
でも服部のジャッジポーズから仲田龍がゴングを鳴らすまでの流れは凄くスムーズなんだよな。やはりブック通りかな?
509さんの推測も当たっているような気がする。 でもテリーは長州戦で見切りをつけられたかといえば、そうでもないよね
次期シリーズの最強タッグでの得点状況や、最終戦のカードの扱いなども含めると
ファンやマスコミが冷徹だっただけで、試合結果は変わらず強豪の扱いだし
まあ、しいていえば翌87年の来日が最強タッグまで無かった事か。 87年の最強タッグ、最終戦はアンダーカードで公式戦でもなかったよな しかし週プロの「さようならテリーファンク」はひでえな
レスラーの商品価値に大ダメージ与えるようなこと平気でやってさ
ファンクスブームの時は稼がせてもらったくせに
だから週プロは嫌いだった テレビ中継で山田隆は服部の事よく批判してたけど何が気に入らなかったのかな?
他のレフェリーの批判はしないのにw 15周年記念大会のメインが予定通り長州☓フレアーだったら
フルタイムドローだと長州バテバテになるし
Wタイトル戦だから両リンしか無かったね。 長州谷津と引き分けた疑惑の?最強タッグからファンクスは1年間来日してないんだよね
ドリーだけ来てたのかな? >>523
でもフレアーなら意外と長州相手でも長州さえその気があれば
1本勝負ならちゃんとフルタイム引っ張ってたかもね
さすがに三本勝負で仲良く1本ずつ取り合って1-1の後
時間切れ引分けはお互いしんどいだろうけどw
まあでもフルタイムドローだからって
それが当時のファン的に満足できる試合になるかは別問題だけどw
そう考えると両リンや反則絡みがやっぱ妥当
むしろ長州相手なら1本勝負でさっさとリングアウト負けでもして
さくっと試合自体は終わらせるってのもフレアーならやりそう >>525
ドリーは一応チャンピオンカーニバルに来日してるね
ハンセンとのPWF王座決定戦とかあったはず 全日本プロレスはとにかくアメリカのパワーファイターらが来日して戦い慣れていたからね
新日あたりのやつらが来たときもまったくパワーで通用しなかったんだよ >>527
やっぱりそうか、地元でドリータイガー組の試合を見た記憶があったんで
でもそれ以外の試合を覚えてない、会場が超満員でメインが大輪島コールだった記憶だけ 86年のリング上の主役は長州だったよね
年明けの試合中の長州に鶴田がイスもって急襲したり
ハリケーンズのマシンやカーンの造反
なんかゴチャゴチャしてたけど構図が長州包囲網って感じ
雑誌のインタビューでもターゲットは長州だとマシンもカーンもまくし立てる
特に鶴田の時はどっちが格上なんだ?って思った、あの襲撃方法はトップのやる事ではないし
あとタッグでは東京体育館で天龍が取ったけど、その後の札幌で谷津に取らせて
そのまま丸々1年間もベルトを持たせた
それが結実したのが15周年のメインだったのかもしれないね。
そこまで優遇したのに翌年はあっさり離脱するんだから…馬場も煮え繰りかえったろう。 ブロディスヌーカの時や天龍同盟初期にも鶴田乱入やったけど、乱入がさまになりすぎてヒール感が出てた
日本のエースなんだから、外国人の悪事を退治する以外は乱入して欲しくなかったわ 86年は長州を中心に回っていた!
しかしMVPは天龍。なんだったんだろう。正直なんで?と思った >>534
長州は二年連続で最高試合賞を獲っていたのと、もう86年末には全日を
飛び出して新日に出戻る動きが露骨になっていたので、東スポも団体、
特に全日の手前もあってあまり長州を押し出したくなかったんじゃないか 長州は馬場に雇われてたんじゃくて、
その上の日テレに雇われてたからな
日テレ的には長州エースの全日本でのゴールデンだったから 不安久酢 息長、意外。
土利井 超経験者立場、後々、来日継続。
手利井 別路線、変更後、因出団体 頻繁来日、常連。
不安久酢二人 後々、新日東京導夢大会、出場、驚愕。 >>526
長州がPWFを奪取したハンセンとの変則2冠戦は例外として
馬場も頻繁にNWA・PWFのWタイトル戦をやったけど
リングアウト・反則決着になったケースあったっけ? >>518
○ショーンマイケルズ(シャープシューター)ブレットハート×
レフリーがギブアップと判断して(ハートはタップして無い)ゴング要請
ゴングと同時に他のレスラーが大挙して乱入してリング上を大混乱させ
ハートに抗議する間を与えなかった。
こんな展開にすれば、良かったかも? >>518
○ショーンマイケルズ(シャープシューター)ブレットハート×
レフリーがギブアップと判断して(ハートはタップして無い)ゴング要請
ゴングと同時に他のレスラーが大挙して乱入してリング上を大混乱させ
ハートに抗議する間を与えなかった。
こんな展開にすれば、良かったかも? 放送席でも
「テリーはギブァップしてませんよね?」
「確かにギブァップの意思は無かったよう見えますね」
「これは、レフリーが早とちりしてゴングを要請したかも知れませんね?」
みたいなやり取りすれば良かったんだよ。 86年は長州か前田がMVPでしょう?おかしいよな。。 >>541
あれどう見てもドリー乱入反則負けなんだよな〜
仲田が一方的に混乱を避けるため発表した感じ。 86年の天龍MVPは意外だしゴリ押しの感じしたけど、
87年は天龍でなかったら誰がいるんだという年になってしまい、
88年もその勢い止まずまたしても天龍イヤーだったので、
三連覇という偉業になってしまった。 >>507
丁度86〜87年頃、「DUNK」よく買ってたな。おニャン子中心に編集してたし。
あとメタルの「BURRN」とかバイクの雑誌ばっかり買っててプロレスがご無沙汰になりつつあったわw 86年の天龍の印象は
谷津にジャーマンでタイトル獲られたのと
マシンとの凡戦
最強タッグでのリングアウト優勝
これでMVPはちょっとな、両団体のインパクトはやはり前田だったと思うんだけどね。 >>538
NWAPWFのダブルタイトル戦、2回だけだと思うけど。
@長崎、ブリスコNWA×馬場PWF
A東京、馬場NWA+PWF×ブリスコ
どっちもダブルタイトル戦と呼ばれるが様相が違う、
なにか適切な名称を与えて分けた方がいいかもしれない。
この後はPWFも賭ける試合はやっていない。NWAへの挑戦だけだな。
ダブルタイトル戦だと移動はないという見透かされ度がより強くなるからかも。 日プロや新日本まで入れると
ダブルタイトル戦でのベルト移動は
以外にある フレアーって実際はかなりデカイし、受け身も巧みで
負けないレスリングだから、当時の長州とて簡単には
勝てなかっただろね。
当時の全日外人はみなデカかったから、長州はしんどかったはず。 天龍の3年連続MVPがのちに三沢と川田のケンカに微妙に関係してくるから面白い あと86年は長州が主役だったのと同時に、谷津の格上げが成された印象
ジャパンが来た当初は
鶴田が特別枠で
長州と天龍が同格、谷津はちょい落ちだったのに
86年は鶴田と長州が同格で、天龍と谷津が同格のライバルみたいになってしまった
谷津の格上げというか、天龍の格下げでもあるな
インタータッグ抗争でバランス取ったんだろうけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています