秋山準の真っ当な評価とは?
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誰とでも試合を創れる、言葉を持っている、色々な歴史を味わっている、育成や運営も語れる、そしてここぞという時に強く出れる。
バランス型名選手だと思うのですが、皆さんはいかがでしょうか? >>93
そりゃ不人気の諏訪間なんかに憧れる奴いないだろ。
秋山と一緒に流れてきたノアオタ達がいきなり持ち上げ出しただけで、武藤全日時代はボロクソな評価だったじゃん。 >>94
中西のバックボーンって馳でしょ?
あんまり、変わらないような。
5強にはなれず、本田みたいなポジション?
後は井上がアルゼンチン、使えないくらい(笑)
秋山が早い段階で馳と交わって、ライバルがたくさんいる状況だったら…
責任が分散するから伸び伸び、ゆっくり成長できたかも。
パニックに悩まなくて済んだかも。
でも新日本での経験値だと、四天王要素が入らないので、特色のないレスラーで止まったかも。
永田っぽい感じ? >>96
だがそういう副業を持った経験が今の社長業に活きてると言ってた
スポンサーに土下座したりとかは三沢みたいにプロレス一本の選手はなかなかできない
後一般社会では当たり前だけど日計表つけて客数や売り上げetcを書類としてきちんと残し
次回興行に役立てるという手法をajpに導入したのは秋山らしい 大森がノア離脱してなければ、秋山もノアも安泰でしたよ 「巨星を継ぐもの」読むとわかるけど地に足がきちんとついた考え方をする人だな
アンテナと社会性が高い、きっとスポーツ新聞じゃない新聞を毎日読んでるタイプだな とんでもねえルーキーだったな
ドタバタ感が全くなく鼻につくほど上手かった
俺も秋山ほどコイツ別格すぎると驚いた新人レスラーはいない 高山に引っ張ってもらってようやくアピールできるような大森がいたところで役に立つかね デビューから一年間あそこまで見事にやりきったレスラーは後にも先にも秋山だけだろうな
まさに前人未到のセンス。
塩なのに無理矢理プッシュされてる感がなかったもんな。試合内容もそうだけど
めちゃめちゃ肝も据わってたよな。堂々としてた。
デビュー戦からして週プロにのってた小橋を下から見上げる表情なんて、
あんな表情デビュー戦でできる若手いないよ。
10月にデビューして二か月後ぐらいの年末にもう「新人賞」受賞してるんだよな。
これまた前人未到の記録だろうな。
今の秋山が「当時の自分みたいな新人が欲しい」ってそりゃ言うよw 専大アマレス部に蔓延っていた体育会系的悪習を排除する改革をしたものの、
同時に部まで弱体化させてしまった。
自分自身のアマレス戦績も悪くて新日からお呼びが掛からず、
プロレス入り諦めて専大アマレス部OBのコネで大手企業の内定貰うも、
その面通しの帰り満員電車に揺られて帰宅する死んだ顔のサラリーマンたちを見て、
「こんなんになるの嫌だなあ」と大事なコネを反故にし、
また別のコネ(でもやっぱりコネ)で全日入社。
・・・なんて話もあったな。 絡みに行く外のレスラーも選んでるしデビューした時からプロレス脳が高かった。
ノアが硬直して自分が引いて小橋や中堅上げにまわって全日行くまでの数年が残念。ほんとはピークの時期だよね。 自分は団体のエースになるタイプじゃないって自覚して、自分の役割を果たしてる感じかな
いい意味で 良くも悪くも頭がよすぎるバランサーだったんだと思うよ
俺が俺が!を貫いてれば時代は変わった
返す返すもそこが残念だ フロントネックロックは見栄えが悪すぎるわ
ノア以降はギラギラした部分がなくなってた モノはいいようだねぇw
自覚があったから
中堅いじりいやいびりか
そんなことより
ミサワが逝ったときに逃げたのが
致命的
言い訳はあるんだろうけど
あれ以降は応援できないわ >>111
立場的にエースにならなきゃいけなかったんだけどね 活動期間が恵まれなかった印象だなあ
5年程度早いか襲いかで相当変わったろうに っていうか同世代でライバルがいないのが悲劇だった
同世代のライバルがいなかった名レスラーって思いつかない >>74
三沢全日本時代が嘘のようなノアになってからの大森への冷遇ぶり
やはり元子対策でしかなかったという事か >>111
本人はそう思ってたけど、ファンからすりゃ、お前がエースにならんでどうすんねん?って感じだったけどなぁ
潮崎なんかダメダメだったし、あそこで秋山がもう一踏ん張りしてたら、ノアももう少しマシになってたかも 川田も「ノアが駄目になったのは秋山をトップに持っていかなかったから」って
言ってたって秋山本に書いてあったね。
馬場が存命だったら間違いなくその路線だったんだろうけどね。そのために
練習生の頃からエースとしての帝王学を叩きこんでたみたいだし。 将来のライバル役として大森を早くから付けられていたし
むしろ全日本に戻ってようやく本道に回帰したという感じなんだよな
まさに失われた十年というか
もちろんノアでの苦労も決して無駄ではなかった感じだが 秋山のインタビューで
「当時付き合ってた彼女と誕生日か何かの記念日に、子供できたら結婚しようって言って、ゴム無しでした。それで一発でできたので結婚した」
って話だけなぜかやたら覚えてる ここまでケツアゴへの言及はなしか。
というか、その指摘って過去にも殆どないのよね。 安全な場所からしたり顔でイヤミ垂れるけど自分は矢面に立つメンタルは持ち合わせてない評論家気質
プロレスマスゴミの方が向いてたかもしれない >>122
早々に三沢からGHC奪取させて、トップにもっていこうとしたけど、客が支持しなかったからな
防衛戦のベイダー戦のネック&アームブリッジフィニッシュとかお通夜だった >>126
評論家みたいに批評して相手より上に立とうとする奴って、ファンはみんな、じゃあお前はどうなんだよ?とかお前が盛り上げろよ。とか思ってんだよな。今だと近藤修司とか鈴木秀樹とかさ。 ネック&アームブリッジやフロントチョークで決めることがあったのも
四天王プロレスを続けていたらいつか破綻するという危機感があったのでは >>104
超新星 秋山 飛来!
デビュー戦は凄かった。将来頼もしかった。 昔何かのスレで新日の第三世代の優れた部分だけを合体させれば
全てにおいて秋山のワンランク上のレスラーが出来るってレスを見て
逆にどんだけ秋山は色んな要素を兼ね備えてたんだって思ったわ >>130
だと思う
でも客は四天王プロレスを求めてたな 秋山がなぜトップになれなかったか?を語ることは、ノアがなぜ没落したか?を語ることと等しい
秋山をトップにさえすれば没落しなかった、と言えるほど業界は甘くないけど
秋山をトップにすること「さえも」ままならないほど、ノアは四天王マニア、四天王プロレスマニアに支えられた、
今考えればすごくエクストリームな団体だった
三沢小橋がトップにいる姿しか見たくないファンの集まりだったし、
旧態依然を好む、何なら新日よりも保守的な連中だった
秋山も秋山で、その方針に乗ってしまった
本当なら、どこまでやるかは別として、取るべき言い分としては
「俺をトップにしないこの団体はク●だ!」だろう
ただ彼の発言は「アニキ後は頼んだぞ!」だったんだよな 高山ともっと対戦してほしかったな。ノアでの初のシングルも旬を過ぎてたからからだったし。
後は、三沢が丸藤にあのときのGHCのどちらかを譲って丸藤対秋山の路線で行ってほしかったな。
体格的に秋山もそこまでデカクはないからかつての三沢鶴田のような若いエースとその大きな壁みたいな関係性になれたんじゃないかと思う。 三沢タイプの天才型、小橋タイプの熱情型、川田タイプの厳しい型、どれでも行けると言われてたが
結局は無欲で若手相手に寝たり一歩引きがちな田上タイプに落ち着いてしまった 田上さんは会社の指示で逆らいもせずに寝てるイメージ
秋山は自分から「俺が寝たら面白いから寝ましょうか?」と提案してるイメージ
良い悪いではなくそんなイメージ >>139
そういう考え方はレスラーとして素晴らしいのだが
防衛戦でジュニアの小川・丸藤相手に寝てしまったのは後から思うと残念だった
丸め込みだから傷はつかないとはいえ 小橋が昔勝ちブックおじさんとして揶揄されてたが
そういう「俺が俺が」がある程度はあった方がいいんだろうな
その器がない奴がやってもダメだが秋山は十分あったと思う
自らno2に甘んじたというか
no1は団体の不平不満の捌け口だから
ある意味そこに耐えうるメンタルがなかったとも言える ヒールおじさんとして消えた!みたいだったよ(°▽°) 141
そのあとは森嶋エース路線引くみたいな感じやったん
三沢がいたころから
ところが女子高生に化けただ(°▽°)アンニャロ 初め見始めたときはとにかくでかいし迫力はあっただよ >>143
と言いつつなんだかんだで2008年までベルト巻かせられなかったでしょ
次の戴冠なんかもう2010年代だしね
四天王ノアの世代交代はいつも、ちょっと試してまた戻る、中途半端で終わってた
秋山しかり力皇しかり
おそらく、いわゆるタニマチ筋やスポンサーなんかにも
王者変えたら相当文句言われたんじゃないか?
そこを「まぁまぁ!若い奴頑張ってますから」で進めなきゃいけなかったと思うけどね 若手時代の秋山は技と技の繋ぎが巧かった
一気果敢な攻めのラッシュ、ゲームでいうコンボみたいな要素
同じ専修大のOBの馳も、そのあたり巧かった
ただ、エクシプロイダーにしろ、裏投げにしろ、ラッシュ中の連発で決まる技になっちゃってたのが 146
普通そゆんでも試合慣れやがて年とりみたいなんなるとねちっこいグランドレスラーになるんだ
タイガージェットシンなんて若いころなんざほんとアマレスのエリートみたいやったぞ あとはブッチャーなんて痩せてるし丸っきりの空手家だよ(´∀`)
それがあんなんなっただ(°▽°)
まあシークの下やからな シンなんざ初めはほんとに映像見たがグランドレスリングの天才だよ
アメリカ北東部で長い間エース格として活動してるからね
あれ新日本にきたときもエース格引っ張ってきてんだよ >>139
それはお前の中で勝手に作り上げたイメージでしかないよね
現実は「小橋や秋山がもっと若手の格上げに協力すれば…」と、
みたいに書かれる程度には負けを飲まなかったよね デビュー後一年間も素晴らしかったけど。今の秋山も凄いと思う。
コンディションを維持してること、他団体とのパイプ復活、選手育成、まさに全日回復の立役者。
特に選育成では決して粒ぞろいではない並の新人をメインで使えるところまで育てたり、
そこそこ完成されてた中途入団や常連フリー選手にアドバイスしてレベルアップさせたり。 ゼロワンで絡んだ時橋本はあんまり秋山知らなくてハヤト!って言ってたな ルーキーイヤーに菊池にジャーマンで勝利(リベンジされたが)とか新日っぽい売り出し方だったな 現状チャンピオンカーニバルにも参加せず前座の6人タッグに徹してるのは不満
まだ秋山が第一線で試合することにニーズがあるのを理解してほしい そんな老人重視の糞プロレスは三沢の死でもう終わったろ >>151
育成能力疑問じゃね?
AJPのレスラーも他所じゃ使い物にならんから、お呼びがかからない。
せっかく呼んでもらっても恥さらしただけだし。
フリー選手も別にレベルアップしとらんがな… ドームでの小橋秋山戦は何回見ても面白い
親日の坂口が移動のバスで「お前らこれ見て勉強しろ」って流したんだよな 全日系は育成能力ゼロですからね
育成能力なんてものがあればこんなに落ちぶれてませんよ 元子が潔く退いて三沢が思う通りのことができていれば安泰だったと思うか? 受け身の技術そのものは一番だと思ってる
三沢はすごいって感じだが秋山はうまいって思う 三沢全日が続いていたら、結局はノアみたいな全日になったと思う。
その代わりに武藤や天龍が2000年以降の全日みたいな新団体を作っていたかも。 >>165
川田がいるから余計に四天王プロレスから脱却できないしな ん?
川田って技を削ろう、減らそうとしてたのだから、四天王プロレスの過酷化とは真逆だったのでは? >>167
四天王が全員揃ってれば客は四天王プロレスを求めるだろうって話 >>134
旗揚げからノア見てたから同意しまくるわ
秋山はもがいたけど諦めたんだよな
そして引いてしまった。地方は最初から動員良いわけじゃなかったし武道館も客が減ってきて。事情はいろいろあるけど仲田が硬すぎたんじゃないかなー。三沢以外信用しなかったというか。秋山がプロレス界で一番目立った時期があったのにもったいない。 秋山が社長にならなかったら全日本ってどうなってたとおもう? >>171
全日本プロレスは既に潰れてるからその質問は無意味
今はオールジャパンプロレス、ファンなら間違えるな >>171
パーニングが来た時点で潰れていて(正確には、SP社で借金漬け状態)、潰れてなお、パニらの食い扶持稼ぎに利用されて看板に糞ぶっかけられ続けることはなかった感じ。 >>172
看板としての「全日本」じゃないのか
やってる事も昔と同じだし
それを言ったら同じ会社でも分裂前後の方が大違い 全日末期からノア初期までを1番熱中して見てた身としては、秋山がいなかったらノア初期の盛り上がりは絶対になかったと思ってる。最初の旗揚げシングルで小橋倒した後のインタビューがカッコ良すぎてやばい。
ただあの時からずっと他の選手に対して危機感煽ってたし、秋山は今のままじゃいずれやばいってずっと思ってたんだろうな。 結局ノアになっても中身は変わらなかった
ハードな試合でしかファンが付いてこないから >>176
なんせ旗揚げの二日間で三沢と小橋と田上を倒したからな
まさに主役は秋山だったし、ワクワクした >>178
しかし、そこまでやっといて、どうして三沢小橋に戻ったんだろうね ノアで三沢を破ってGHC王者になって新日本にも永田とのパイプで乗り込んでいって、その後G1クライマックスで準優勝した所までは印象が強いけど、その後があまり思い出せない。
ドームの小橋戦とか柴田勝頼戦とそれに絡んだ前田日明との間接的なやり取り覚えてる。
後は中堅や若手を底上げしようとしてたり、小橋を引き立てようとしてたりで、少し引いた感じだったかな。 >>176
ノア旗揚げの頃は考え過ぎて精神安定剤飲んでたって言ってたよね
当時はかなりトゲのあるコメント多かった
なかなか上に意見が通らない、なかなかファンから認められないのもあったんだろうな
話題になるのは秋山以外だと三沢小橋とノーフィアーくらいだしね
2003〜2004年は高山が新日ノアを股に掛けて
話題振りまいていて助かった部分あったかも知れんけど
全日にしろノアにしろ軍団抗争は正直、
あまり面白くなかった
超世代ー鶴田軍くらいでしょう、インパクト残したのは ノアを辞めて苦労したからこそ、今の全日を作り上げられたんだろうな。 秋山も小橋も、病にさえならなかったらなぁと思う
あとは大森の離脱がなければ
三沢も安心して、第一線退くことが出来た、そんな未来があったかもしれない >>180
ドームでは秋山が勝つべきだった
あそこで勝った事で小橋の絶対王者は確立したかもだが後が続かなくなった >>184
まさにそう。
あそこで小橋が勝って、シラケたよな。
去年のドームでオカダが内藤に勝って、後々の展開が詰まらなくなったのと同じ >>185
この三人の関係がどういう物だったかが一番気になる >>187
三沢小橋は、間にガチドラ(仲田)が入ってて、ガチドラ小橋に問題があった。
三沢死後は、小橋派とガチドラ派(田上を擁立) で後継争いが勃発、敗れた小橋派は、軒並み粛正された。
なお秋山は、小橋の腰巾着。
冷遇され、パーニングを率いて脱北、今に至る。 >>181
鶴田軍ー超世代軍の頃は外国人選手の人材が豊富だからマッチメークの材料には事欠かなかったけどテレビ中継の縮小の影響か固定になったからな。 秋山なんて単なる生命維持装置だろ、
全日なんてとっくに潰れてなきゃいけない糞インデー、
全日を守る! みたいなワケわかんない変な根性出さないで、
潰れるべきはさっさと潰れれば良いんだよ、客が入らないってのは需要が無いって事、
逆に変な夢見させちゃ可哀想、若いうちに社会に出なくて無理してプロレスなんかやってると、中年になって職歴無しの障害者になって人生詰むぞ、
実際そんな奴多いし。 >>188
粛清と言っても代わる人材があったわけでないので単に縮小しただけで終わった >>181
ノア初期は小橋軍対秋山軍にノーフィアーが絡んできたりとか、スターネス対ウェーブのイリミネーションとか軍団抗争もやってたけどほんとに最初だけだったね。
今見るとノアの旗揚げ戦では三沢小橋もアクセントではあるけど今までやってなかった絞技とか入れたりして改革していこうというのはあったのかな?と思わされる。 >>189
金銭面は、日テレマネーは、潤沢だった。
基本、旧全日(ノア)首脳陣のセンスがなかった。
1.三沢がマッチメイクの全権掌握した際に馬場とその取巻きを排除、優秀なマッチメイカーの市瀬氏も去った。
2.タフマンコンテストの四天王プロレスに走ったため対応する外人レスラーがいなくなった。 >>191
結局、小田原ドンチャカ組に純化しただけだしね。
ガチドラも謎の死を遂げ、団体も計画倒産。
結局本気で団体を守ろうって団結がないまま旧全日系(旧全日・ノア)は、崩壊した。 >>192
まぁ、そうは言っても四天王プロレスに変わる価値観として、
現実的に弱かったんだと思うよ、秋山がやってた事は
フロントネックロック使いましたっても、じゃあ次のステップとして
タイトルマッチで格プロやるわけにもいかない
結果的に、ちょっとフックが効いた四天王プロレスの亜流、に落ち着いていた気がする
あの時代の差別化戦略としての四天王プロレスは必ずしも間違いじゃなかったと思うよ
というか、それしかなかったことも確か
「次」がなかっただけでね
秋山がホントに棚橋を新日に持ち帰ってたらどうなってたかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています