全日・超世代軍(90〜92)を今さら語ってみるスレ
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超世代軍
ハンセン、カーニバル連覇
殺人魚雷、最強タッグ連覇
ジャンボの勝ち >>78
91年4月の三沢vsハンセン、鶴田vs川田の時って凄かったんでしょ?警察から入場を早める要請が3度。パンフ売り切れ。 >>77
つゴディ&ウィリアムスvsハンセン&エース >>73
Uインターはこの頃が絶頂で、全女は交流戦バブルだったからな。
それに対して全日は東京以外では退潮傾向が始まってた。 >>79
この時の鶴田対川田はこのカードのベストバウトだなぁ >>83
確か珍しく鶴田がバックドロップを2発出したんじゃなかったか。体格で劣るのに川田が鶴田によく火をつけたね。 >>27
改行と変換ミスで
右翼団体の小橋
となっててワラタ >>67
田上のリングアウト勝ちは結構熱かったけどね
負け続きの田上が場外マットなしアームボンバーという恐ろしい技で決めたのもよかった >>84
鶴田のパワーボムを返してバックドロップ2連発だったかな。
これがセミでまだメインが残ってるのに満足しちゃうは疲れ果てるはで、やけに印象深い。
川田のテーマ曲もバリバリ伝説のサントラなのも良い。 >>87
天龍がいなくなった後の川田は鶴田やハンセンみたいなでかい選手と当たっても正面からぶつかって、四天王プロレスが始まると三沢、小橋とも何度も激闘を繰り広げて本当に凄い選手。
不器用を装っているけど実際は器用だと思う。 ただでかいだけだった田上とけしかけて抗争して田上を引っ張り上げた川田の功績は大きい。
それでタッグを組むと「俺がサポートに徹した方が良い結果が出る」と自覚して。
我が強いと思われるけど自分は取らずに田上に取らせて川田って賢明な選手だな。田上を活かすことで自分の評価も上げたのでは。
四天王プロレス時代の話ですまん。 >>88
なんだかんだで海外でやってきたのと冬木と組んでたのは大きいと思う。
もちろん本人の資質があってこそだけど。
三沢も結果タイガーになったとしてももう少し海外でやれてたらなぁと感じる。 日本人最強鶴田がスゴすぎた
三沢小橋が全盛期でも鶴田は無理だろ
でも俺は四天王プロが好きだったが 鶴田の拷問技・主な被害者
キッチンシンク→三沢 川田 小橋 (特に川田のイメージ)
膝攻め
場外では鉄柵や本部席の机へのニークラッシャー、
リング内では俯せ状態で片足を持たれ、
その片足の膝裏に鶴田が片足を乗せてのマットへの踏み付け→主に小橋
相手を高々と抱え上げ最高点で一旦静止、
アトミックドロップに行くの?と思いきや、そのまま前方に放り投げ→菊地
(実質2.5Mの高さから放り投げられてる) 91年秋頃のI田の菊地への攻撃はえげつなかった…菊地も何故か坊主頭で新人みたいな雰囲気出してたから余計に可愛がりが酷く見えた >>93
ギロチンスロー(トップロープに喉を打ちつけるやつ)は
主として田上が使っていたんだっけ。
>>97
予定通り小橋&エースvsキッド&Jスミスだったら
結果はどうなっていただろうか。 >>98
キッド&スミスが勝ったと思う。小橋&エースは後にディートン&ブラック相手にベルト落としたくらいだからね。
それを考えたらキッド&スミス戴冠だと思う。 >>100
ギロチンホイップは田上が多用していたな。 >>101
一番最初は鶴田だった様な
むしろ鶴田が開発者かも あと、田植えはブレーンバスターホイップて
面白い技も使ってたな >>99
そしてカンナムに陥落
実はアジアタッグで初の外人対決 >>104
91年4月、後楽園のカンナムvsキッド&スミスを皮切りに外国人同士のアジアタッグ戦が多かったね。
7月、横須賀でカンナムvsファンタ。
松戸でディートン&ブラックvsカンナム。
9月、武道館でカンナムvsブラックハーツ。
10月、盛岡でカンナムvsディートン&ブラック。
92年3月、平塚でカンナムvsステイトポリス。
5月、後楽園でカンナムvsフルトン兄弟。
こんなにあったんだね。後にカンナムvsパトリ&イーグルもアジアタッグを巡るライバル同士だったね。 89年にあったカンナム対キッドDBスミスの五番勝負から外人タッグ屋対決も
一つの定番になったね(マレンコ兄弟対ブルドッグスが嚆矢だが)
ファーナスが馬場に企画書を提出したのが実現のきっかけと聞いてファーナスの
見た目に反したインテリぶりに驚いた テレビ局からの放映料も大きかったのか外国人もたくさん来たよね。マレンコとかファンタとかヤングブラッズとか。
ステイトポリス、ブラックハーツみたいなキャラが濃いタッグチームもね。それはそれで面白かった。 SWS騒動でレスラー減った時もマークスカルパとかレンジャーロスとかの
イロモノ系外国人選手がさり気なく穴を埋めてたよな 91年最強タッグ、うちの地元まさかの三沢欠場でどえらくガッカリしたけどまさかの馬場さんフォール負けが見れた。 三沢が川田に殴られて、最強タッグ欠場したのっていつの話だっけ? >>110
91年だよ。
当日は三沢の分も川田が頑張ってくれてる…と感動したもんだが実際は…… >>105
横須賀では外人同士、武道館では日本人同士の世界タッグ戦もやってたんだよな >>95
カンナムの二人も菊地をかなりオモチャにしてたな
クロファットのコブラクラッチ揺さぶりとか、ファーナスのコの字逆エビやリフトアップから場外投げ捨てとか
特に、菊地が前方回転エビに行こうとする所を重力に逆らうかのように自分がエビ反りになりつつ菊地を強引に上へ持ち上げて、
それに連動してトップコーナー登って待ち構えていたクロファットがラリアットするアレはなかなか凄かった
ファーナスみたいに力がある選手でないと多分なかなかやれないだろう
ファーナスが大回転ジャーマンを菊地にやった時におそらくそれを始めて見たと思われる馬場がビックリしてたね
確かあの技でスパイビーエース組に勝って一回だけ世界タッグ挑戦したんだよな
その世界タッグでの川田田上との試合も通常よりかなり粘ってて悪くはなかったのだが最初から思い出試合として作られたのだろうなあ
その直後からタイトル戦線あっさり離脱して秋山ら若手たちを格上げする壁ジョバーに戻っちゃったし
もうその頃はWWFやECW行くの決まってたのかな >>107
ファンタはアジア取れなかったのはともかく、ジュニアは渕がずっと持ってた頃は層薄かったからトミーロジャース辺りに一回とらせても面白かったと思うんだかなあ
クロファットなら渕に勝っても納得だとしても体格はジュニアとしてはギリギリで微妙っていう人もいたしさ
トミーなら体も小さいし動きも悪くないと思ったんだけどね、決定的な必殺技がないとか何かが足りなかったか >>109
米子の馬場アンドレvs殺人魚雷かな?
大阪の次の大会は三沢だけでなく川田も欠場になって、馬場さんが喧嘩両成敗的に三沢と川田の2人を欠場にしたのかと思ったけど、小橋&菊地組は公式戦があったから川田のカードが組めなくなって仕方なく川田まで休ませたことに後から気づいたよw >>114
渕の連続防衛は13だっけ?ベルト落とすならジョー・マレンコが適任だったと思うな。
クロファットだとジュニアって感じがしなくてね。 >>115
そうそれ。地元ながらなんであんな田舎でこのカード組んだんだろ?て思った。
川田もその後休んだっけ? >>117
川田も足の状態が思わしくないという理由で1試合欠場。次の大会では小橋&菊地の公式戦が無かったため川田&小橋&菊地vs鶴田軍のシックスメン。三沢のみ2大会続けて欠場。 きっとその川田の欠場も、足の怪我は関係ないんだろうね。鶴田が92年に足首の怪我で欠場した時も、実は重篤な内臓疾患だったっていう…。 >>119
夜の虹を架ける 四天王プロレス「リングに捧げた過剰な純真」 に書いてる
まあ下らん理由だ
川田は辞めるつもりで東京に帰ったらしい その頃ってフィニッシャーじゃない意外な決まり手結構多くなかった?SDDのダブルタックルとか >>120
そう>>115に書いたけど川田にシングルマッチやらせるわけにもいかない、妥当な相手もいないからたぶん「カード組めないからお前も休めよ」程度で欠場にしたのだと思う。 馬場アンドレ対殺人魚雷と言えば、馬場のランニングネックブリーカーであの時のゴディが寝た事に驚いたわw
解説してた竹内さんも、まさかって驚きながら「入りましたよ!」って感じだったからなあw >>122
すぐに思い出せるのは91年7月の横須賀の世界タッグかな。ゴディがスパイビーに後方回転足折り固めもどきのやつ。
パワーボムでいいのにね。何であんな見栄えの悪いフィニッシュにしたんだろ。 鶴田がランニングネックブリーカーでハンセンから勝った三冠戦もあった >>126
鶴田がハンセンに勝った試合では一番まともな部類のフィニッシュだったような。
フォール勝ちでも丸め込みとかが多かったからね。
結局バックドロップで勝ったことは一度もないまま終わった。 >>127
格を落とさないようにするか、純粋にバックドロップがお互いに無理があったのか、どっちだろね >>128
ハンセンがジャーマンを食らったのは一度も見たことがない。BDも同様では。 菊地はやられっぷりで光ってしまったので浅子が使われ出したら陰が薄くなっていってしまったね… >>128
格落とさないと言えば、最強タッグ優勝戦の殺人魚雷vsハンセンスパイビーで
最後明らかに時間切れ引き分けのゴングが先に鳴ってるのにジョー樋口のあのクッソ遅いカウントで
ハンセンがウイリアムスにフォール負けにされたのはなんか露骨だったなあw
ってか、殺人魚雷を優勝させるなら普通にスパイビーが寝ればいいのにどうしてあんな風にしてまでハンセンが寝たんだろ、意外性を狙ったのか >>134
90年ウイリアムスはハンセンにシングルで2連敗だからな
ハンセンvsゴディは1勝1敗だがゴディが勝ったときはウィリアムスがプチ介入
タッグながら最後に勝たせてハンセン≧ゴディ≧ウィリアムス的なバランスを取ったんだろうな まあ試合後の乱闘は全日ではシン辺りが来日しなくなった後はほとんどやる選手居なかったし(ブッチャーすらベビー気味になってたし)、ほとんどハンセンによる風物詩のようなもんだった感w
この回の三沢小橋vsハンセンエースの試合後とか、この頃の全日にしては珍しく他の外人選手たちも含めてみんな止めに入って珍しい光景だったね
(この前の試合で川田とかなりいい試合してグロッキーになってたクロファット以外はみんな乱入してるね)
ttps://youtu.be/bTYXQGyK1v8
小橋が格落とさないようにハンセンがラリアットしてフォールだけエースがするっていうなんともなブックだったせいもあるかな
新日ではこういうの日常茶飯事なのに、全日ではハンセンくらいしかやらなかったしw
まあ多分馬場がこういうのあんまり許可しなかったんだろうけど >>135
なるほど、そのバランスのためにそうする必要があったんだね 時期はズレるが
武道館の小橋vs医師は凄まじかったな
でも、断崖技もないし
危険技は最後の殺人バックドロップだけかと
大好きな試合だわ >>139
81年MSGタッグでハンセンは藤波のバックドロップを食らった
雑誌に『藤波のバックドロップがハンセンに決まる』
『今の藤波は正に猪木二世』
これを覚えてる
あと猪木もハンセンにバックドロップを何度も決めたはず お前ら記憶力良すぎだろw
その頃ビデオ録画して当時は熱心に繰り返し見てたはずだけど、ほとんど覚えてないわ・・ 鶴田とハンセンのシングルってお互いに気を使ってるような遠慮しあってるようななんともユルい感じの凡戦ばかりな印象
鶴田対ブロディとかハンセン対天龍は面白かったのにね 人生の先輩ばかりだなwこのスレ。記憶を共有できて嬉しいよ。
三冠戦のフィニッシュがDDTなのは斬新。90年6月の鶴田vsゴディ。 憶えている人いるかな?90年サマーアクションシリーズ開幕戦、大宮の鶴田&谷津vs三沢&川田の試合後。
エプロンに手を着く三沢の背中に客席から椅子が投げられて、百田が気づいてそっちの方向に行く。三沢は無反応。
投げられたのはもちろん鶴田でも谷津でもセコンドでもなさそう。あれは何だったのか未だに不明。 >>142
リング外での仲の良さが悪い方に作用してしまった感じがした。
>>143
4日間でシングルマッチ2敗は鶴田にしてみればしんどいな。
三沢戦のフォール負けを渋ったというのも無理からぬことではある。 四天王スレに比べて
色んな団体オタが出入りしてるな
当時の超世代がどれだけ各団体に影響を与えたかよく分かる 今のノア、白色マット、『美学のある闘い』、
鎖国、そしてオサレ書体のNOAHと
なんか全盛期のDDTやタジリのSMASHみたいな
オサレインディーを目指してるぽいな
どうせなら超世代のころのスタイルを
志向すればええのに
スレチすまん いや無理でしょ
壁役できるベテランいないし
15年前なら選択肢としてあったかもしれんが >>143
田上の唯一のアジアタッグ戦の日でもあるんだよな
初挑戦で取ったのは四天王でも唯一
しかしパートナーの仲野はこのまま全日本を離脱し王座返上
そして十年後には田上が自分でそれをやるという皮肉
また小橋vsビガロや三沢・川田vsカブキ・冬木とか他にも興味深いカードが >>131
中盤のエプロンサイドでハンセンを力づくで
滞空式ブレーンバスター決めたのは凄いな
ハンセンが真っ逆さまにされるのは
そうそう見られなかったんじゃ すき間なくびっちり入ってるアリーナに時代を感じるね
一本花道はないけど四方向ひな壇組んでたんだよな ハンセン&スパイビーvsマレンコ兄弟とか、
ハンセン&スパイビーvsファンタとか
マッチマークが雑だった。
殺人魚雷vsマレンコ兄弟もあったな。こんなに体格差が違うのに対戦させて客に何を見せたいのか不明なマッチメークw また地元ネタでごめんけど、
いつだかのチャンカーで出雲で小橋エースがあって当時ふたりは同格でめちゃくちゃ白熱したんだけどまさかのセミ前で、
そのあとクロファットvsウィリアムスっていう完全トーンダウンカードだったなあ。ウィリアムスがゴディならまだ面白くなったかもだが。
とにかく90年代序盤は番狂わせが皆無に等しかった >>153
93年かな?
エースはハンセンのパートナーなのにDBスミスに負けちゃ駄目でしょ。 >>153 93・4・3出雲
三沢、川田、菊地vsハンセン、スミス、ディーd
セミがゴディvsクロファット
小橋vsエース
田上&小川vsウイリアムス&リチャード
ちなみにウイリアムスvsクロファットの公式戦は4・14名古屋だね。 ハンセン対キッドってのをたしかCC後楽園でみた、リーグ戦だから仕方ないけど
あの時の場内のやるせなさすぎる空気は忘れられない >>155
あれ?ゴディだったか。記憶カスカスだなあ
メインもすげー短時間でがっかりしたよーな。 >>156ハンセン対キッドのシングルってキッドが引退したシリーズでもやってたよな >>158
91最強タッグでハンセン&キッドvs殺人魚雷はあったけどシングルは無いのでは。 91最強タッグはシリーズ中に超世代軍四番勝負と銘打ってウィリアムス対菊地とか
無茶すぎるカードが実現してるな >>157
短時間といえば92チャンカーで公式戦及び試合数が多いためかスパイビーの勝つ試合が短時間ばかりw
その反面、四天王時代になるとダラダラ30分ドローが増えるわけだがw 91年最強タッグの結果載ってるサイト見つけて
見たらキッド、菊池組とかエース、小川組とか
おもしろいタッグが実現してるのね
パートナーがアンドレとはいえ馬場も格が高く
川田から3カウントとってるね >>159引退するちょっと前に後楽園でシングルやってたと思ったが記憶違いかスンマセン >>166
ハンセンvsキッドは既出だけど91カーニバル開幕戦の一度だけじゃないかな。 91年頃だともう厳しいかなって思われるくらい
キッドの体調はひどかった
来日する度にやせ細っていってたからな >>79
会場入りするキッドに蹴りを入れられそうになった 91年のチャンカーにゴディ&ウイリアムスがリーグ戦に出なかったのは謎だった。後半には特別参加したのにね。
リーグ戦復活1年目のだからテスト的な意味合いで、ゴディ&ウイリアムス絡みのシングルを取っておく目的かな?それ以外の理由が思いつかない。 中継で「退かぬ!媚びぬ!省みぬ!ダイナマイト・キッド」と
どこかで聞いたような紹介をされていたのもこの時期だったような。 サウザーかwww
若林実況、倉持ファン、昭和全日ファンには
不評だが
あの超世代のスポーツライクな感じには
凄くマッチしてたと思う 田植え社長、ノアの借金ぜんぶ一人で返して
さらにお釣でステーキ屋やってんだな
田植え社長といい、イズさんといい、
新日に比べれば少ないだけで
ふつうのレスラーじゃありえんぐらい
金持ってんだな
そういや二人とも元子さんと仲良かったよね >>168
長年のステロイドによる影響で心臓肥大が見つかったのが、この91年。
医者から「このまま続けたら命の保証がない」と言われ引退を決意。
本人も「あのまま続けていたら、間違いなくデイビーボーイ(39歳で死去)と同じ運命だった」
と言っていた。
晩年は脳卒中による施設暮らしで相当辛かったが、60歳の誕生日まで生きられた。
>>171
「キッドが客に対して暴れるスタイルになったのは完全にジェット・シンの影響」と前田が言っていたな。
自伝の中では、キッドはシンを評価してなかったけど。
>>174
小橋が札幌で試合をした時は、福澤がもろに「北斗のケ〜ン!!!」と叫んでたなw キッドは今の時代ならオスプくらいの体格でもトップいられたよなあ… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています